ロスのコーヒーショップで起きた、あるくだらない話

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完全オリジナルの一次創作です。
忙しかったのがやっと時間が出来ました…
勢いを取り戻す為に、自分がやりたい物を一度書いてみました…


ジャンクフードとガバメント

例えば。

そう、例えばだ。

ベイルートの高級ホテルで死にかけのクリスチャンの頭を粉々にしたなんて体験をしたとして、アンタはそれを家族に誇れると思うか?俺は思わん。

例えば、だ。

道端で少年が財布を落としてそれを拾ってやった、なんて体験をして、アンタはそれを友達に誇れると思うか?俺は思う。

例えば、だ。

この二つを同時にこなした人間がいたとして、そいつの頭の中の善悪のパロメーターはどんな色をしてると思う?

俺はこう思う。

そいつのパロメーターは、限りなく真っ赤な色をしているに違いないと。

 

 

俺はプラスチック容器に入ったスターバックス製カフェイン飲料専用液―――またの名をコーヒー―――を口内に含みながら、ロサンゼルスで警官が黒人に9ミリをブチかました事件のニュースを鼻歌混じりに眺めていた。

鼻歌は、トニー・ベネットの『ライグス・トゥー・リクサー』

あまり上手いと言えない事は自覚していた。いや、嘘をついた。下手くそだ、ああ、下手くそだよ。

 

ニュースキャスターはヴァージニアで起こった黒人射殺事件を例に出して、差別心を発端とした事件の急激な増加について話を進めていた。

昔、南部の喫茶店で出た不味いコーヒーを見て『まるでニグロだ』と冗談めかした馬鹿が黒人店主から頭に散弾喰らった笑い話を思い出したが、今思えば何の笑い話でも無い事に気付いてすぐに忘れようと頭を軽く横に振った。

 

レストランの出口の前には、脳内でタイタニックでも公演していそうな男女が抱き合いながらクリスマスキャロルを歌っていて、それは元ネタがクトゥルフ神話なのだと無性に教えてやりたくなった。

 

くたびれたベーコンエッグにフォークを無造作に突き刺すと、カウンターからやってきたカーラ―――黒髪の気のいい娘だ―――が呆れ顔で軽い注意をしてきた。

 

「ここで他の店の物を飲むの、やめてもらえませんか?」

 

「心の底から申し訳なく思うよ」そう言いながら容器に口をつける。

 

「やっぱり根性が捻じ曲がってますね」

 

「俺の根性の形を見た事ないだろ?」

 

「形なんて見えない」

 

「なら適当な事を言うもんじゃない」

 

カーラは溜息を吐いてメモ帳をめくると、皮肉っぽくかしこまって用を聞く。

 

「ご注文はどうなされますか?」

 

「ツナサラダとフライドポテト、それとチーズバーガー」

 

「バーガーなんてウチはやってません」

 

「じゃ、新しいメニュー作ってくれるか?」

 

「……無茶を言わないでください」

 

メモ帳に書き写してそのページを千切ると、ヒラリと国旗のようにはためかせながらキッチンまで戻って行った。

 

よくもまぁ、自分みたいな適当な人間に毎回飽きもせずに。チップを弾んでやるか。二ドルくらい。いや、一ドルでいいかな。

 

トマトソースまみれの癌患者の内臓みたいなベーコンエッグに向き直ると、こんなもん頼むんじゃなかった、と一人で後悔した。

口の中に黒っぽい黄色の卵を放り込むと、苦虫を噛み潰したエド・ハリスみたいな顔をした。もちろん、俺の顔は自分では見えない。それくらいに、その、美味くなかった。いや、ハッキリと言おう。酷かった。

 

ふと、さっきまで皮膚科の待合室みたいな店内音楽だったのが、急にシド・ヴィシャスの『マイ・ウェイ』に様変わりした。

それも鼓膜を破りに来んばかりの爆音で、多少の事は目を瞑る寛容な俺でも少しばかり驚いた。

 

店の奥でノリノリで音楽に乗っている若者の頭を、ザ・アメリカンと言った風体の肥満野郎が後ろから雑誌で思いきりよくはたきだした。

軽い喧嘩に発展していて、騒音が客間まで聞こえている。

 

腕を組んで仏頂面のカーラは、俺の方に向き直って困ったように小さく首を横に振った。

 

俺はその場で空気を読まずに助言した。

 

「あの若い奴は年の割に趣味はいいが、俺は今はトニー・ベネットの気分だ。次に流すなら、せめてフランク・シナトラの方にしろって言っとけ」

 

カーラは心底面倒くさそうに溜息を吐くと、俺にそっぽを向いた。

少しバカにしすぎたな。よし、やっぱり三ドルにしよう。

 

窓から見える景色は相も変わらず、小さい頃に見た親の財布の中身みたいに味気がない。

交差点に突っ立った黄色の信号機、道路に並ぶ中古車、道端に転がったバーガーの包み紙、水で薄めた洗剤みたいな笑顔のカップル、ジャンクフードとゲーム機両手のガキ。

 

それが俺には性に合ってた。

いつもの光景であり、何の変哲も無い。

大して美味くもないパンケーキをコーヒーと一緒に食いながら、ポール・オースターやらアガサ・クリスティーを読み耽る。

飽きてきたらふと窓から空を見上げて、好きな映画のシーンのどこが良かったのかを考える。そうするとまた新しい発見があるし、家に帰ってその映画を見返す気にもなる。

今、食ってるのはベーコンエッグだが。

 

間違っても高層ビルの六十五階で、血まみれのメキシコ人の耳に指を突っ込むなんて仕事は御免だった。

手に残る血の匂い、踏み砕いた頭蓋骨の感覚。

しばらくはこの手の仕事は受けないと、クリスチャンみたいな心持ちで神に誓った。

神などいないと、タカをくくっていたものの、いざ都合が悪くなれば祈りを捧ぐ。

胸の前で十字を切って、おお我らが主よ、と天を仰ぐ。

クソッタレめ、と悪態をついた。

 

どういうわけか、向かい側の席の若い男はテーブルに置かれたサラダを、ドイツ人みたいな神妙なツラで見つめていた。

腹でも下したのか、微動だにしない。テーブル下に手元を隠して、神経質に周りを見渡していた。

 

小さな子供が通路を犬みたいに走り回って、家族から注意を受けている。もちろん子供は意にも介さず走り続ける。

カーラの方は仕事が忙しいようで、注意まで手が回っていなかった。

人手の足りないホールで害獣みたいな役割を果たしていた子供は、件のサラダ野郎の肩をほんの少し掠める。

舌打ちをする男の不快そうな顔に、子供は少したりとも気付いていなかった。

 

その様子に気を取られている俺に、サングラスをかけた軽薄そうな白人の男が話しかけてきた。「よぉ。アンタ、便所がどこか知ってるか?ここの店員は使えなくてよ」

 

今のこの店の状態にあまり良い口をきけないのは分かるが、それでも馴染みの知り合いをコケにされたと思うとほんの少し不快になった。

だからと言って、相手に何かするわけでもなく、俺は無愛想に人差し指で便所の方を指した。

 

「ああ、ありがとよ。にしても、店員も客もロクなのがいねぇな。アンタは別だぜ?」

 

クソの足しにもならないであろう愛想を、わざわざ俺に振り撒くのに、深い意味があると思えなかった。

さっさと便所に消えてくれ。

俺の願いに反して、野郎は世間話を始め出した。

どことなく妙な野郎で、粋がったチンピラにはありがちな態度だった。

 

「見てみろよ、この店。チンケな場所だ、なぁ?こんな場所でよ、なんだって飯なんざ食わなきゃいけねぇんだって話だよなぁ」

 

薄汚い雑巾みたいな笑みで俺に同意を求め、不意に手を差し出したと思うと握手を求めてきた。「ラリーだ。ラリー・チェン、よろしくな」

 

何がよろしくなのか分からなかったが、俺は取り敢えず中指を立ててこう言ってやった。「失せろ。俺はクスリなんぞやらん」

 

俺は呆気に取られたラリーを一瞥してから、目の前の食用改造された臓物をどう処理するのかという思考に脳を移行させた。

横で唾を飛ばしながら罵詈雑言を放つラリーを無視し、食べるのは諦めて残す、という結論に思考を完結させた。

サラダ野郎は訝しげにその様子を眺めていた。

 

ラリーはブツブツと文句を垂れながら、便所へと去って行った。

少しばかり気が違った印象を受けたが、アレは多分クスリをキメたクチだと予想する。

似たようなのを昔、腐るほど見た。

そして、腐るほど殺した。

 

不明物体が盛り付けられた皿を前に押し出すと、横から現れたカーラが注文の物を置きながら皿を押し返した。「食べて下さい」

 

「食べなきゃダメかな?」

 

「自分で頼んどいてその言い分は、あまりに虫が良すぎませんかね」

 

「イケるかな、って思ったんだけどなぁ。無理だった」

 

「無理だった、じゃないです。さっさと食べて帰って下さい」

 

「そうだ。さっきまで忙しそうだったけど、もういいのか?」

 

「話を逸らさないで」

 

「どうなんだよ。気になるんだ」

 

「……あの二人の喧嘩が終わったので、もう大丈夫です。まったく、仕事の最中にふざけた事をしないで欲しい」

 

「大変だったな。まぁ、これで俺にも、話し相手が戻ってきたって事か」

 

「違いますよ。別に暇ってわけじゃないし、そもそも仕事中に客と話なんて出来ません」

 

「今してるだろ」

 

「いいから、食べて」彼女の小さな顔に宿った圧に気圧されて、俺は従順な子犬みたいにゆっくりと頷いた。

 

彼女はその場からすぐに離れるのかと思ったが、何故かステンレスのトレーを持ちながらテーブルの横に立ち尽くしていた。

何かを迷っているようで、小さく俯いている。

 

「どうした?」

 

「……ちょっとしたお話があるんですが」

 

「仕事中に話は出来ないって、今お前が…」

 

「話が、あるん、ですが」

 

「是非、聞かせて頂きたい」

 

カーラは心底困ったと言うように、溜息を吐いた。

 

「はぁ…明日の夜の八時って、空いてますかね」

 

「何が」

 

「貴方の予定です」

 

「なんで」

 

「…一緒に映画でもどうかなと」

 

「一緒って誰と?」

 

「……馬鹿にされてるんですかね?」

 

「どうして」

 

「………もういいです」

 

「悪かった、悪かったよ。謝るから、そんな顔するな」

 

「人をからかうのもいい加減にしてくれませんかね」

 

「悪かったから。それで、急にどうしたんだ。友達とじゃなくて、なんで俺と?」

 

「…みんな予定があるんですよ、ええ」

 

「一人で行けばいいんじゃ?」

 

「行きたくないんですか?行きたいんですか?」

 

「行きたいさ。だけど急に仕事が入る事もあるから、簡単には返事できない」

 

「…なら、無理して来なくてもいいです」

 

「待てって。何を観に行くんだ?」

 

「ヘイトフル・エイトのリバイバルです」

 

俺の四肢に、衝撃と言う名の電流が走った。

 

「…七十ミリの?」

 

「それ以外に何が?」

 

俺は打ち上げられた魚のようにその場から飛び上がると、両手を一杯に広げてカーラに言った。「ハグだ」

 

彼女は馬鹿を眺める表情で、戸惑い気味に問い返す。

 

「……はい?」

 

「この喜びを表現する方法として、最適の物はハグだ。さぁ」

 

「意味がよく分かりません」

 

「ありがとう…!ありがとう…!持つべき物はやっぱり友だな、チップは二十ドルやる。さぁ」

 

「い……嫌です、やめてください」

 

俺は興奮を抑えて席に着いた。誰も自分達の方を向いたりはしていないが、カーラは少し騒ぎ過ぎだと心配しているようだった。

 

「…変な事しないで下さい」

 

「とにかく、明日は空いてる。仕事が入っても、意地でも空ける」

 

「仕事が出来たら帰ってください」

 

「嫌だ」

 

彼女はまた溜息を吐いた。

 

「そんなに溜息ばかり吐いてると、幸せが逃げちまうぞ」

 

「逃げるような幸せとか願いは、もう無いです」

 

「願いが無いのか?」

 

「そうじゃなくて、もう叶ったっていうか……なんでもないです。気にしないで」

 

俺の周りの人間の間では、意味が汲み取れない言葉を意味深に呟くのが流行っているのか、と疑いたくなる。

カーラが髪をかき分けると、ほんの少し紅潮した頬と額が見えた。

仕事の疲れだろうか。

俺は風邪でも引いたのかと気になって、ガラにもなく心配の言葉をかける。

 

「顔が赤いぞ。調子、悪いのか?休みは適度に取れよ」

 

彼女は動揺したようにまばたきすると、顔を隠すようにそっぽを向いた。「……余計なお世話です。ほっといて下さい」

 

「なんだ、心配しただけだろ。そりゃあ、からかって悪かったと思うが…」

 

「とにかく、待ち合わせとかは追って連絡しますから」

 

「お前の電話番号を知らない」

 

「……じゃあ、終わるまで待ってて下さい。どうせ暇でしょ」

 

そう言って彼女はそそくさとその場から立ち去った。

女ってのは難しい、ってなセリフが昔からキザったらしくて嫌いだったが、今のカーラの態度に関しては言わねばなるまい。『女ってのは難しい』

何か気に障るような事を言っただろうか?

考えても仕方がない。昔から、難しい問答について深く考えるのは苦手だった。

 

相も変わらず、元気に通路を突っ走る子供が丁度、俺のテーブルの横を通った。

ほんの少しだけカーラへの恩返しと思って、俺は子供に声をかけた。「おい」

 

子供が走るスピードを徐々に下げて、二つ前のテーブル横で止まった。

 

「ボク?」

 

「そうだ。何してる」

 

「走ってるの」

 

「どうして」

 

「楽しいから」

 

「父親と母親はどうした?」

 

「あそこ」そう言って子供は俺のテーブルに近付きながら、出口前のテーブルを指差した。

 

子供二人と大人二人が席に座って、談笑しながらベーコンエッグを食べていた。

俺のより大分マシな、いやかなりマシなベーコンエッグだった。

 

「怒られないのか?」

 

「うん、『もう知らない』って言われたの」

 

「小僧。それはな、悪い子だと思われてるんだぞ」

 

「でも、怒られてないよ」

 

「呆れられてるんだ。それでいいのか?」

 

「あきれられる、ってどういう意味?」

 

「もう、好きでも嫌いでもないって事だ」

 

「…ホントに?」

 

「ああ。いいか?店の中で走り回るのは、悪い事だ。最初は怒られたんだろ」

 

「…うん」

 

「だけど、いつまで言っても直さないお前を見て、怒ったってダメだと思ったんだ。根っこからの悪い子だと思ったんだよ」

 

「悪い子じゃないよ」

 

「じゃあ何で走ってるんだ」

 

子供は悲しそうに俯いて押し黙る。

生まれたての子鹿みたいに弱々しい子供に、俺は肩を叩いて言ってやった。

 

「走るのをやめて、謝ってこい」

 

「……でもあきれられてるんでしょ」

 

「ああ。だけどお前は悪い子じゃないって、自分でそう言ったろ?それを証明してやれ」

 

「…しょうめいって、何?」

 

「それを教えるって事だ。お前がそれを教えるには、走るのをやめて、しっかり反省して『ごめんなさい』って謝ればいい」

 

「それで許してくれる?」

 

「お前が心の底から反省するなら、みんな優しいから許してくれるさ」

 

子供は眼に小さな涙の粒を溜めて、ゆっくりと頷いた。

 

「どうだ?反省したか?」

 

「うん」

 

「じゃあ、歩いて戻って、謝って来い。大丈夫だ、本当はみんな、お前の事が大好きだろうよ」

 

「…ありがとう、おじちゃん」

 

「おお。おじちゃん、とはいい度胸だな、クソガキ。こんな所で油を売ってないで、さっさと謝って来い」

 

「…うん!」そう言って子供は走り去ろうと態勢を取ったが、思い出したようにハッとすると、歩いて戻っていった。

歩きながら後ろを向いて、これでいいよね、と言わんばかりに俺の眼に視線を送る。

俺はしっかりと親指を立てて、合図を返す。

子供はテーブル前で言われた通りに謝り、親に頭を撫でられてから家族の輪の中に入っていった。

 

朝から不思議な気分だった。今日は二度、ガラにもなく子供にいい顔をしたのだ。

ついさっき、人を殺したばかりの人間が。

吐き気はしない、居心地の悪さもない、何の不自由もない。

ただ、頭が痛くて堪らない。

 

俺の善悪のパロメーターは、限りなく真っ赤に近いんじゃないかと思っている。黒でもなく、白でもなく、真っ赤なんだと。

やはり、気分が悪い。やはり、吐き気がする。やはり、居心地が悪い。

 

急に辺りが暗転して目眩がすると、視界を黒が埋め尽くし、それから白が支配する。

俺は一体、何をやってる?

知るか

そう心の中で吐き捨てて、目眩を振り払う。

気付くと、さっきまでと同じ光景が広がっていた。

 

遠くの席で、カーラが客に絡まれていた。

ひどくヒステリックな調子の婆さんで、何かを怒鳴っているようだった。

俺はぼうっとした頭をかるく叩いて正気を戻すと、助け船でも出そうかとテーブルを立ち上がる。

お節介だとは思ったが、これくらいしないと明日の件の恩は返せない。

 

すると向かいのテーブルのサラダ野郎が急に立ち上がり、ひどい形相で怒鳴り散らした。

手には拳銃を握り、それを振りかざす。

客も店員も、みんながそれを見て身をすくめた。

 

「クソッタレ共!財布を出して、大人しくしてろッ!少しでも変な事をする奴を見たら、撃ち殺してやるからな!」

 

全くもって不謹慎な事に、その時の俺は、無性にチーズバーガーが食べたかった。

 

***

 

便所から出てきたラリー・チェンが肩からライフルをぶら下げているのを見て、俺は気付かれないように小さく溜息を吐く。

ああ、これじゃあさっきのカーラと同じだ。

 

落ち着きなく息を荒げているサラダ野郎は、サンタクロースが持ってそうなデカくて白い袋に、客から徴収した財布を残らず放り込んでいた。

窓側の席から順に財布を入れて、ついに俺の番が回ってきた時に、ラリーと眼が合った。

奴はしてやったと言うように微笑みながら、ライフルをこちらに向けて撃つ真似をした。

俺は肩をすくめて両手を上げると、子供との遊びみたいにやられる仕草をした。

 

ラリーは動じない俺に苛ついたようで、すぐ近くまで近付く。それから天井に向けてライフルをぶっ放した。

ラリーは言う。「怖いか?どうだ、クソ野郎め」

 

店内に小さな悲鳴の渦が湧くが、怒鳴り散らすサラダ野郎の声でたちまち掻き消える。

野郎がラリーに怒鳴る。

 

「テメェ、何のつもりだ!」

 

「『俺たち』を馬鹿にする奴がいたのさ。だから、脅かしてやった。ハッハッ!」

 

ラリーの行動は明らかに常軌を逸していて、相方のサラダ野郎も困り果ているようだった。

 

「次やったら、俺がテメェを殺すからな」

 

「分かった、分かったよ。もう二度とやらないさ。ああ」

 

肝心の俺はウォレスとグルミットのジェスチャーみたいに―――この表現は分かりにくいな、変えよう―――待ち合わせに来た友達に手を振るみたいな調子で、両手を肩の高さまで上げていた。

 

ラリーが相方を呼ぶ。

 

「ベイリー、この後はどうする?」

 

「おい、偽名でも名前は呼ぶな」

 

「なんでだ」

 

「今の警察はそう言う細かい所からでも、俺たちを特定できるんだよ!刑事ドラマ観た事ないのか?」

 

「それじゃあ偽名の意味がねぇだろうが」

 

「知るか。テメェが付けたいって言ったんだろ」

 

「当たり前だ。憧れだろ、こう言うのって」

 

「一人でやってろ」

 

聞くに耐えない馬鹿な会話をしている二人の情報を、今一度とおさらいしよう。

サラダ野郎の偽名がベイリー、中肉中背の二十代後半の男。

ライフル持ちはラリー・チェン、三十代の痩せ型、身長は低め。偽名がどうかは分からないが、奴のイカれた態度を見るに本名をうっかり口にしたって線もある。

 

兎にも角にも、結構な状況だ。ライフル持ちのジャンキー、もう一人も何をしでかすか分からない。二十人くらいの客の中、出口前には子供が三人、婆さん一人に、馴染みのウェイター。

台所の奥の店長とバイトは、そそくさと手を挙げて命乞い。

極めつけは、目の前のベーコンエッグだ。こんなもん、死んでも食ってたまるか

 

軽い口論じみた物を交わした二人は、すぐにお互いの持ち場に戻る。

全員がこの二人に畏怖し、縮こまっている。

いや、カーラとあの婆さんはその限りではなかった。

まだ反撃の機会でも伺っているようで、女どものあまりの強さに、俺はたまらず苦笑する。

 

ラリーが出口前でライフルを持って見張りをしていると、それを見つめていた子供と目が合った。「何を見てやがる、ガキ」

 

怯える子供と必死に助けを乞う親達を横目に、俺は一人、決心をつけた。

 

丁度、俺の財布が袋に入ろうという所で、俺は懐にしまっていた百ドル札の太い束を故意に床に落とした。

そのまま、わざと声を出す。「…あっ…」

 

強盗二人を含めた店内の客が、一斉にこちらを見やる。

 

サラダ野郎ことベイリーが驚きに満ちた顔で、見るからに新品で使い慣れていない、大口径のリヴォルバーを向ける。「そいつは、何だ?」

 

俺は焦ったように手を挙げて、必死な弁明を見せる。

 

「待ってくれ、手違いだ」

 

「何がだ」

 

俺とベイリーの会話に、ラリーが横槍を入れる。

 

「おい、どうしたんだ?そりゃなんだ?金か?」

 

「落ち着け。今、こいつに聞き出してる最中だ。…もう一度だけ言うぞ?そいつは、何だ?」

 

食いついている。良い調子だ。

 

「……仕事の金だ。これは、その…契約金で…振り込むんだ…現金で…」嘘だ。この金は全部、今朝の仕事の報酬だった。

 

「何の仕事だ?」

 

「お…お願いだ、この金を届けなきゃ俺が殺されちまう…見逃してくれ…!」

 

我ながら最高の演技だ。これならアカデミー助演男優賞くらいなら取れるんじゃないかとすら思える。

 

出口前の家族から順調に離れたラリーが、ライフルを俺に向けながら楽しそうに叫ぶ。

 

「おい…おいおい!さっきまでの威勢はどうしたよ?ええ?なぁ、ツキが回ってきたぜ!この金を持ってトンズラしよう!」

 

「待て!…その金は危ないモンだろ?アンタ、カタギじゃないな?」

 

「そ、そうだ!とにかくヤバイ金だ…アンタらだって殺されるかも知れない」

 

「……いや、俺たちはすぐにこの街から出て行く。残るのはアンタが金を盗まれたって事実だけだ、そうだろ?」

 

ベイリーはその顔に、満面の笑みを滲ませていた。

 

「いいか!よく聞け。このシケた場所じゃ割に合わないと思ってたが、とんだラッキーだ…」

 

「つまり?つまり?どうすんだ?」

 

「お前の言った通りだ、この金を持ってトンズラするぞ!」

 

二人は思いもよらない幸運に、子供みたいにはしゃぎ出した。この二人、やっぱり素人だ。

 

ベイリーはリヴォルバーを俺に向けながら、床に置かれた札束を拾い取る。

それからほんの少しの間だけ俺を見つめて、何かに気付いたように眼を見張る。そしてこう問いかけた。「まだ、持ってるな?」

 

ここからが本番だ。

 

「お…お願いだ!それで、それで勘弁してくれ!」

 

「つべこべ言うな!さっさとよこせ、クソ野郎!まったく、今日は最高の日だ、なぁ⁉︎」

 

出来る限り怯えたように体を震わせながら、嗚咽を漏らすフリをして懐から二つ目の札束をゆっくりと取り出す。

 

「そうだ…それでいい。アンタ最高だぜ?最高のカモだよ、ああ」

 

目の中の光を狂ったように輝かせながら、俺のすぐそばまで近付いてくる。

俺は震える手で札束を差し出しながら、ベイリーの眼に視線を移して鮮やかな流れで問いかけた。「一つだけ、いいか?」

 

呆けた顔をしたベイリーが怒鳴るより先に、間髪入れずにカマをかける。

 

「安全装置が掛かったままだ、ルーキー」このセリフを、一度は人生で言ってみたかったんだ。

 

案の定、リヴォルバーなど触った事も無いであろうこの新人強盗は、焦って手元の銃器の射線から俺の顔面を外す。

俺はその瞬間にベイリーの玉を蹴り上げて拳銃を取り上げると、札束を投げ出した左手で懐から四十五口径を引き抜く。

出口前のラリーがライフルを俺に向けるよりも早く、野郎の肩めがけてブチかました。

肩まわりの肉が鎖骨の破片と共に吹き飛び、血潮が家族連れのテーブルを朱に染める。

悶えるラリーを尻目に、取り上げた拳銃をベイリーに向けた。

両手に大口径を交差するように構えながら、大声で叫ぶ。「誰か!その馬鹿の銃を取り上げろ!」

 

先程から身構えていたカーラが戸惑いながらも、痛みに悶えるラリーのライフルを取り上げた。

俺は溜息の代わりに口笛を吹くと、目の前で痛々しげに股間を抑えた野郎の頭を蹴飛ばす。

 

「死んでもソレを離すなよ!いいな!」

 

メキシコの国境で相方が股間を抉れた時並みにヒヤヒヤしたが、フアレスでこめかみに電動ドリルを突きつけられた時よりはマシだった。あの時は言葉も通じなかったんだ

 

俺はめまぐるしい状況の変化に息を切らしながら、呆れ気味に語りかける。

 

「知ってるか?六連発にゃな、安全装置なんざ無い」

 

「……クソッ…!クソッ…!」

 

「撃った事、無かったろ?六連発どころか、これまで銃さえも。見てりゃあ、大体わかる」

 

興奮のあまり、マシュー・マコノヒーみたいなふざけた喋り方になっていた。試しに言ってみるか?オーライ、オーライ、オーライ…ダメだ、そんな場合じゃない

 

「…まったく。なんだってこんな事を?まだ銀行をタタく方が賢い」

 

ベイリーは答えない。ただ俺の事を忌々しげに見つめるだけだった。

 

「だんまりか。いいぞ?好きにしろ。どうせ肩に風穴開けりゃ、小鳥みたいに喋り出す」

 

俺の眼を見て本気だと気付いた途端、仔羊みたいに縮こまって体を震わせ始める。

こんなチキン野郎が強盗なんぞに手を染める時代とは、恐れいった。

しかしベイリーはその眼に再び鋭い光を宿らせて、俺に抗おうと強く言った。

 

「……アンタは、いいよな。そんな大金を持ってフラついて、貧乏人をコケにしてるんだろ?…クソが!ア……アンタに何が分かる!」

 

「何が分かるか、だと?そんなもん決まってる。テメェの余命が精々あと三分って事さ」

 

「……ッ!金が、必要だったんだ!銀行なんざタタくのは金持ちの強盗のやる事だ!俺たちは金が無いから奪うんだぞ、本末転倒だろうが!」

 

「強盗に種類なんぞあってたまるか。下痢便と普通の糞に、何の変わりもありゃしない。だろ?」

 

「じゃあ、俺は何の為に生きてたんだ⁉︎お袋の為に身を粉にして働いて、幸せに生きてたんだ!本当さ…幸せだった…それだけで良かったんだよ…税務署の役人と銀行家が根こそぎ金を奪い取ってから、お袋を薬漬けにするまではな!何だったんだよ、俺の人生は…教えてくれよ…」

 

「……知るか」

 

「……ハ…ハハ…!…殺せよ…殺しちまえよ!そんなもん持ってんだ!どうせ人なんて沢山殺してんだろ?」

 

「ああ、そうするよ」撃鉄を上げて額を狙う。いつも同じだ、ルーティンとすら言える。

 

ベイリーは目を瞑りながら、神と母の名を唱えながら何事か呟いていた。命乞いかと思ったが、その言葉の数々は母と日々の恵みへの感謝だった。

そんな物で俺は撃鉄を下げたりしない。

同情するような心意気は、十二年前にキャプテン・アメリカのシールと一緒にベガスに捨ててきた。

 

そう。

だからこれは同情じゃない。

 

「なぁ、知ってるか」

 

ベイリーは震えながらもゆっくりと眼を開けて、唐突な俺の問いに訝しげな顔をした。

 

「梟はな、死ぬ時に口から毛玉を吐き出すんだ」

 

結局の所、俺は後悔していたんだ。

人殺しに罪悪感を抱く位なら、この仕事には向いてない。だから罪悪感なんて物とは無縁だ、その筈だった。

 

「何の意味もない。特に理由もなく、吐き出した毛玉はそこらに転がって、何をされるでもなくぽつんと置かれるだけだ。俺たちも、変わらない」

 

始めてダッチの家族と食卓を囲んだ時、幸せな気分だった。味わった事の無い最高の時間。

だけど俺がこれまで積み重ねてきた時間は、その幸せに泥を塗るようなひどい代物だったんだ。

 

「人間には二通り種類がある。『死んでる』か『生きてる』か。単純だろ?逆に言えば、それしか無い」

 

彼等の幸せも、カーラの幸せも、ビッグ・ベンソンの幸せも、子供の幸せも、カップルの幸せも。全ての幸せが俺にとっては眩しかった。

 

「俺の人生は変わったもんさ。『生きてる』のに死んでるも同然だった。クソみたいな毎日で、覚えてる事と言えば昨日殺した奴の破裂した頭蓋と、『ヒート』のデニーロの台詞だけだ。彼はこう言ってた、『三十秒フラットで高飛び出来るよう、面倒な関係は持つな』ってな。俺の信条だったが、ある陽気なデブと、喫茶店の娘と知り合ってからは、彼の教えに背いてる」

 

幸せの尊さに気付いた時には、俺はひどい、とてもひどい殺し屋だった。

だから全部終わったら、知り合いに挨拶してから高飛びでもしようかと思っていた。

それなのに、俺はこの街に居心地の良さを感じて、友達と過ごす幸せを得ていた。

終いには殺した奴の事を考えながら、子供の財布を拾う始末だ。

最低な、気分だった。

 

「人が死ぬ時に、残せる物なんてない。梟と同じだ。それなのに、なんで人は懸命に生きる?楽しいからさ、生きるのが」

 

ベイリーはじっと俺を見つめていた。怯えで震えていた体も、今では静まって話に聞き入っていた。

 

「その生きる権利を俺は奪って、奪って、のうのうとここで飯食ってるんだ。…やってられるかってんだ、クソッタレめ…!」

 

糞は俺の方だ。ゴミだクズだと罵られるのは、俺の役割だったんだ。

 

「それで?お前は何をしてやがる。どんなにクソみたいな人生でも、懸命に生きたんだろ?なら、命を投げ出すような行為は、生きたくても生きられなかった死者への冒涜だ」

 

ベイリーはその言葉を反芻するように、唇を噛み締めた。「どうしろってんだよ…」

 

「生きろ。簡単だ、単純だ。どんなに辛い事があっても、どうしようもなくても、お前のこれまで人生に価値がないと、神が決めつけたって俺は信じない。手前のお袋が死ぬ思いで産んだんだ。もしお前に価値が無かったとしても、彼女の行為には価値がある。生きてりゃ良い事があるなんて嘘っぱちだ。けどな、生きてなきゃ、良い事を夢見る事すら出来ない」

 

「……そんなんで本当に…いいのか…?」

 

「いいとも。どんなに怒鳴られた日でも、馬鹿にされた日でも、殴られた日でも、殺されかけた日でも、辛い、辛い日でも。次の日に好きな映画見りゃ、大抵なんとかなるさ。保証する。どうだ、生きたいか?死にたいか?」

 

幾度か逡巡してから、絞り出すようにベイリーが言った。「……生きたい…生きたいよ…母ちゃん…」

 

俺は撃鉄を乱暴に下げたが、銃口はベイリーに向けたままだった。「反撃なんぞしようすれは、殺す。そこまで人間は出来てないからな。だが、これは俺の気まぐれだ。俺の心に出来た隙間が、今日から殺しは止めだと叫んでる。だから、アンタは一生分の幸運をここで使った事になる」

 

ベイリーは驚きに満ちた眼で俺を見つめていた。

 

「消えろ。この街から出てって、二度とツラを見せるな。そうすりゃ、まだやり直しは効く」

 

「……本気か…?」

 

「冗談でこんな事を言うほど、俺がナンセンスに見えるか?」

 

ベイリーはレモンに思いきり齧りついた赤ん坊みたいな顔で、目に涙を溜めながら俺に言った。「…あ…ありがとう…ありがとう…!」

 

俺は何も言えなかった。

強盗を助けて、自分が清く正しい者になったつもりなのか?

自分でもわからない。

ただ、もう二度と人なんて殺したくなかった。

それくらい、疲れてた。

 

ベイリーはそそくさとテーブルから立ち上がると、肩を電動歯ブラシみたいに震わせながら出口へと駆けて行った。

 

これで良かったのかなど、もはや知った事では無かった。

 

ベイリーが出口の扉に手を掛けたのと同時に、ラリーが痛みに悶えながらもズボンに隠していた銃を手に取って、彼に向けるのが見えた。

ラリーが叫ぶ。

 

「どいつもこいつも舐めやがってッ…!死に腐れ…!」

 

考えるよりも体が動く方が早かった。とにかくベイリーの体を押しのけようと、必死に出口へ走り込む。

ラリーに拳銃を向けながら、ベイリーの身を庇う。俺が引き金を引くのと、ラリーが人差し指に力を入れるのは、殆ど同時だった。

 

二発の銃声が轟く。

一発はジャンキーの眉間を綺麗に撃ち抜き、もう一発は俺の体のどこかを撃ち抜いた。

正直、痛みで何も分からない。

何度か撃たれた事はあるが、こんな感覚は初めてだった。

 

倒れ伏した俺はゆっくりと、ゆっくりと自分の体に視線を向ける。胸の中心から滲んでいる血を見て、ため息をつきながらも頬を緩める。

 

結局、一人殺しちまった。だけどこれで、何の気兼ねもなく地獄に行けるってわけだ。

 

肺から漏れ出る空気が妙に心地よく、開け口の開いた風船みたいな呼吸音をひねり出していた。

 

視界の端でベイリーと他の客が唖然としている。

そりゃ、そうだろう。こんなクズが人を庇うなんて、三流の小芝居だって今時はやらないシナリオだ。

 

何故かカーラだけが、俺に寄り添って何度も何かを呼びかけてきた。

残念な事に俺の耳は声どころか全ての音が聞こえない状態で、答える事すら出来なかった。

 

ああ、だけどこれだけは言わないと。

 

「…あ………が…の…」

 

カーラの眼に溜まった涙が、俺の顔に落ちて頬を伝う。

 

「……明…日の…画………行け…なく…て…」

 

視界を闇が覆い尽くし、もはや光は俺を見放していた。だけれど、俺の心は穏やかだった。

 

「わる…かっ…た……」

 

俺を幸せにしてくれた友達に、笑顔を向けるべきだと思った。

だから最後に、俺は彼女に笑いかけた。

 

 

 

窓から差す昼の陽光は、死にゆく殺し屋と哀しげな娘を照らす。季節外れのコートは血に染まりながら、殺し屋の死を周囲に告げた。

その場には激しい慟哭など無く、ただ硝煙が淡々と、高らかに高らかに、立ち昇るだけだった。

 

 


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