「それでね。その官吏の娘、字は珠鳳と言ったんだけどね。珠鳳は、国の荒むのを憂い、民の苦しむのに涙を流し、王をいさめようとしたんだ。」
いやな感じがした。
この先で珊揮が語ろうとしている珠鳳の運命が、戒莉には分かった。それは止めようがなく、そしてそうでなくては、ならない結末のような気すらする。
「珠鳳は、王に斬られたよ。その首は王宮の桃の木に吊るされてね。まるで、果実が実ったみたいだった」
そんな怖ろしいことを言っている珊揮の口元からは、笑が消えない。
戒莉の中の何かが、細かく震えた。
珊揮は、一息大きく吸って、吐いた。
「みな、珠鳳を止めようとしたんだけどね。誰も珠鳳を説得なんてできなかった。だって、彼女は正しかったからね」
正しいことが、正しく作用するとは限らない。戒莉は、それを知っている。
珠鳳は、正しかったけれど、間違ってもいたのだろう。
その王は、正しいことなど聞きたくはないし、正しいことをしようとしていなかったのだから。
珠鳳は。無駄に死んだのだ。
戒莉は、そう断じている自分が怖ろしいものに思えた。冷血な生き物だ。
「珠鳳は、言っていたよ。『王を止めなくてはならない』んだってね。そして彼女は、止めようとしたんだ。他の誰かが、あるいは天が、王を止めてくれるのを待つのは、止めたんだよ」
それは、王の命を狙ったということを意味するのだろうか。
ぼんやりと、戒莉は考えていた。そうではないだろう。会ったこともない珠鳳なのに、彼女はそんな人間ではないと、戒莉は確信していた。暴力に暴力で対するような女性では、ないはずだ。最後まで、諦めず、道を踏み外すことなどなく、王の良心を信じた。彼女は、そういう『正しい人間』だった。
「私たちは、珠鳳を止めようとしながら、彼女に期待もしていたんだよ」
珊揮の口から『私たち』という言葉が飛び出たのを、戒莉は聞き逃せなかった。
「彼女に任せて、彼女に背負わせ、自分には出来ないことを珠鳳に託してしまった。私たちが、私が珠鳳を殺したようなものなんだよ」
何か言おうとしたが、全く気の聞いた言葉をひねり出すことはできない。こんな状況だからではない、戒莉は自分にはもともと珊揮を救う力も、資格もないのだと、かすかに絶望してみた。
「それで、その王はどうなったんだ?」
そんな、つまらない言葉で話をつなげていこうとする浅ましさ。
戒莉は、自嘲する。こういうときにも人は笑いたくなるものなのだと、戒莉はひっそりとまた嘲笑った。
珊揮は、自然と下がってしまった視線を戒莉に上げた。
「死んだよ。でも、王に剣を振り下ろしたのは天ではなかったよ。陣宇という男だった。大僕のひとりで、珠鳳の父親だった」
誰かに期待するというのは、自分では何もしないということだ。それはとても卑劣で、卑怯なことだ。それに自分は気付かなかった。そして、誰かが、天が、王を止めてくれるのだけを期待していた。そうして娘も、なにもかも、失ってしまった。
陣宇という男は、そう言っていたと。
珊揮の話は、それで終った。