やはり、眠れてしまった。
実にスバラシイ。
朝は容赦なく、やってくる。
「おはようございます」
そして、この男の笑顔も全く容赦というものを知らない。
サワヤカではない。
白露は、もう諦めの境地に入りつつある。
荷馬車は揺れる。
白露は、荷台が揺れるのに身を任せていた。
「どうして、あの時にしらを切らなかったんだろう」
考えていたことが、気付けば口から出ていた。
あの時、珊揮が白い豹の姿である自分に対して、『お嬢さん』と声をかけてきた。それに応えなければ、白露が半獣であるということを隠しきれたかもしれない。
それなのに、白露は潔くも、肯定の言葉を発してしまった。
どうして、そんなことをしてしまったのだろうか。自分でも、分からない。
そんなにあっさりと、認めてよい秘密ではなかったはずだ。
これは、自分ひとりきりの身の破滅を意味するのではない。役人に知れれば、父母にもその罪科が及ぶはずだ。
白露には、分かっていたはずだ。
しかし、それでも押し切れない何かが、あの男にはあった。
「無駄だからだ」
誰かが、白露の代わりに答えてくれた。
そうだ。
いくら誤魔化そうとしても、あの珊揮という男を騙しきれない。無駄だから、白露は観念したのだ。
「あ」
白露は、その声がした方に顔を上げた。
白露の方へ振り返りもせず、戒莉はその御者台にいた。
そしてその背中は、さっき声がしたのが幻聴であったかのように、もう何も語ろうとはしていなかった。
「なるほど。無駄なのね」
白露は、すっかり納得した。
そうして、ぼんやりと、ただぼんやりと、白露の脳裏にあの日の朝のことがひらりと落ちてきた。あの日、豹の姿のまま、珊揮と戒莉の会話を聞いていたことを、白露は思い出した。
珊揮が戒莉に語って聞かせていた官吏の娘の話を聞きながら、白露はいろいろと考えていた。何を考えていたのか、ひとつひとつは思い出せないが、いちいち考えることの多い話だった。
珠鳳という官吏の話。
あれは、戒莉に話しているようで、白露に向けられたものであったのかもしれない。
もしも、白露が官吏となったとして、もしも王が道を見失ったとして、白露は何ができるのだろうか。
白露はひとつ、溜息をついた。
すべては、もしもだ。だが、覚悟は必要なのかもしれない。すべての『もしも』に対する覚悟が。
「戒莉」
白露は戒莉に問いかけてみたくなった。
「あなたは、なぜ剣客になろうとしたの?」
答えは何となく予想できていた。それでも、白露は戒莉の口から、その答えを聞きたいと白露は思った。
「他にやれることがなかったからだ」
戒莉の言葉は白露が考えていたよりも簡単なものだった。
戒莉の思考は、実は簡単だ。
それ故に悩みは、単純で、その分根深いのかもしれない。白露や、ひょっとしたら珊揮よりも。
ものごとを複雑に考えるのは、悪いことではない。いろんな考えや、知識があることは重要なことだ。けれど、それらにまぎれて、本質的なところを見失ってしまうことがある。
戒莉が放つ単純な言葉が、ときおり白露にそれを思い起こさせる。おそらく、珊揮も、そうなのだろう。
もちろん、戒莉自身はそんなことを露とも知らない。
ただ、彼は思っていることを言っているにすぎないのだ。
だから、敵わない。でも、戒莉のような人間ばかりで世界が成り立つかといえば、そうでもない。 いろんな人間がいていいのだ。
そう、王である者や、麒麟である者がいて、官吏がいて、農民がいて、半獣や海客もいる。
そういう世界に、生きているはずだ。