天涯~巧編~   作:清夏

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『明日という日』

「おはようございます」

 朝の挨拶など、誰が決めたのだろうか。

 珊揮のあいかわらずの呑気な調子を、その言葉が助長しているようだ。

 白露は、どんよりとした視線を珊揮に当てると、何もかもがこの男のせいにできないか、などと訳の分からないことを考えてみた。

「おはようございます」

 気の迷いを払いながら、白露はなんとか呪わしい挨拶をひねり出した。

 

 珊揮の背後で、戒莉が無言で通り過ぎていく。

 そういえば、昨日、戒莉は一言も喋らなかった。

 確か、珊揮から顕彰の話を聞いたときに、同席していたはずなのだが。

 白露は、どうしてもその時の戒莉の様子が思い出せない。きっと、白露には見えていなかったのだ。

 

 

 食堂は、朝餉をとる客たちでにぎやかだった。

 白露は、その片隅に何とか席をみつけて腰を下ろした。

 白露には、めずらしい寝不足状態だ。食欲もあまりない。

 故郷の街を出てからというもの、白露は食事が口に合わないことに閉口していた。それは白露の口が奢っているというよりも、塩加減の問題だった。とにかく、どこで食べる食事も、白露にとってはしょっぱいのだ。特に今日の朝餉の塩辛さは、白露の食欲を減退させるのに一役かっていた。

 ぼんやりと、白露は珊揮と戒莉の様子を眺めてみる。

 戒莉は、のろのろと箸を使いながら、申し訳程度の食事をしていた。朝が弱いだけなのか、あいかわらずもの凄く不機嫌な様子に見える。

 珊揮は、その戒莉にあれを食べろ、これもどうだと言いながら、自分はしっかりとした食事をとる。

 いつもの、朝の様子に違いない。

 

 この二人は、何を考えて生きているのだろうか。

 白露は、思う。

 剣客などといって、聞こえはいいかもしれないが、彼らは明日の命も保障されないようなものだ。

 こういう人たちには、裏切りや、仕返しなどは日常茶飯事、よく目にすることで、特に気に留めるようなものではないのだろうか。

 白露は、こんなことにくよくよとする自分の方が馬鹿なのではないかと思いはじめていた。

「どうしました? あなたまで食事が進みませんか?」

 考え事が過ぎて、白露の手がお留守になっていることに、珊揮が気付いた。

「ええ、まあ」

 あいまいな言葉で、白露は心の内を隠した。

「今日もまた大変な道中ですからね。しっかり食べて、眠ってくださいよ。もちろん、お前もね」

 白露から、戒莉へ、珊揮の矛先が変わる。

 戒莉は、ぶつぶつと何言かを噛み砕きながら、やはりあまり食べようとはしなかった。

「昨日は、もう終ってしまいましたけどね。今日はずっと続いていくんですよ。死んでしまわない限りね」

 彼なりに白露を慰めようとしたのだろうか、珊揮は、そんな唐突なことを口にした。最後の一言は、余計かもしれなかったが。

「知ってますか?」

 何か思い出したという顔で、珊揮はなおも、続ける。

「明日というのは、永遠に来ないんですよ」

 そう言われた白露は、一瞬ぽかんとした。

 戒莉もなんのことやらという顔をしているが、ことさらに気にしていない様子で、卵料理と格闘していた。

「それは、何かの謎かけですか」

「まあ、そんなようなものです」

 珊揮の不敵な笑顔に、白露は少し考えた。そして、直ぐに分かった。

「ね、そうでしょう」

 白露がその答えを言う前に、珊揮はそう言った。

 その瞬間に、戒莉が少しむっとするのが、白露には分かった。

 

 明日という日は、永遠に来ない。

 今日の明日は、明日の今日だからだ。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆■◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 宿を出、馬車に乗り込もうというところで、珊揮が白露に話しかけてきた。

 今日か、明日には目的地に辿り着けるだろうということだ。

 それから、と、まるでついで事のように珊揮は言った。

「例の賊と、あの御者のことは、あなたのお父様にお任せしようと思います」

「そう」

 白露は特段、逆らいはしなかった。

 それが多分、一番いいだろう。

 珊揮のことだ。白露の父へ、使者としてあの特徴のない男を既にやったのだろう。

 

 顕彰の父と、白露の父は幼馴染であり、商売の上では好敵手というところだ。ただ、いがみあって相手を潰し合うばかりでは、商売がうまくいかない御時世だ。白露と顕彰の婚約も、そんなところからの、政略結婚というやつだ。いや、商略と言った方が、いいだろうか。

「どう、お裁きになりますかね」

「こちらの懐が狙われれば、それを許す父ではないわ」

 身内に対して愛情に深く、そして外に対しては非情な商人である父を、白露は知っていた。

「狙われたのが可愛い娘であるならば、なおさらでしょうね」

 白露の言葉に頷きながら、珊揮はそう言い足した。

 もしも、官吏であれば、これをどう裁くべきだろうか。白露の意識は、そちらへ飛んだ。

 ……と。

 

「あんた達の話は、まわりくどい」

 低く、かすれた声が割り込んできた。

 戒莉だ。

 朝餉の時とは別人のように、戒莉はキビキビと動き、馬車の支度を整えていた。

「そうだねえ」

 珊揮は、笑った。

「本当。そうね」

 回りくどいことなど、必要はない。

 罪人には、その罪に見合った罰を与えればよいのだ。二度と、罪を犯さぬように。

 

 

 もうすぐ、この旅が終る。

 けれど、本当の旅はまだこれからだ。

 何も解決はしていないし、これからどうするかも決まってはいない。

 白露がどう生きていくのか、どんな罰を科し、どう罪を贖っていくか、決めるのは白露自身だ。

 まだ、何も始まってはいない。

 ここが、出発点なのだ。

 

 白露は溜息をひとつ落として、それから戒莉に微笑んだ。

「今日もよろしく」

 

 生きている限り、今日という日は始まるのだ

 

 

 

 

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