生まれ育った街を離れるというのは、どんな気持ちなのだろうか。
白露は、二頭立ての幌つき馬車に乗りこみ、珊揮と戒莉は騎獣にそれぞれまたがっていた。
幌の中から、後ろに小さくなっていく街並みを見つめている白露の横顔を、戒莉は頭巾の下から盗み見た。
戒莉の目には白露が嬉しそうに映った。
大学に行くのだ。可能性に満ちた未来、希望に溢れる世界。それが彼女の前に広がっている。嬉しそうでも、ちっともおかしくはない。
ならば、見据えるのは行く手、前方ではないだろうか。白露が、視線と心を遣るのは来し方、後ろなのだ。
何がそんなに喜ばしいのか、戒莉はなんとなく訊きたい衝動にかられたものの、それを飲み込んだ。
別に訊くことではない。
それに、あまり喋らないことを決めている。海客であるということが、言葉の様子からばれてしまわない為だ。
巧は、海客には厳しい国だ。
巧に流れ着いた海客は、だいたいほとんどが殺されるのだという。
海客は、巧ではとても憎まれている。それは、海客が現れると同時にその土地を襲う蝕のせいだ。
蝕が通り過ぎた後には、何も残らない。
刈り取り寸前であった作物も根こそぎ持っていかれるし、それどころか多くの命もさらっていく。
海客が蝕を連れてくるのだと、皆思っている。いや、そうではないことを本当は知っているのかもしれない。
奪われる悲しみや怒りの矛先が無ければ、やっていられないほどにその絶望は深い。
そういうことなのだろう。
流されて来たのが巧でなくて運が良かったのかもしれない。そう一度思ってみて、戒莉は笑った。
本当に運がよければ、今ごろ戒莉は日本で暮していただろう。
まあ実は、それすら運が良いとは言い切れないのだか。
ともかくも、巧で海客であることを表立たせているのは、得策ではない。
珊揮は『喋ることで、海客だとばれはしない』と笑い飛ばしていたが、日本語で話しかけても、こちらの言葉に聞こえるという仙の言うことなど、あてにはできない。
「よく、御覧になっておくとよいですよ」
珊揮が、白露に語りかけた。
戒莉の耳には、それが日本語に響く。
さらに、珊揮は続けた。
「あれが、あなたが生まれた街ですよ」
白露は、言葉でそれに答えはしなかった。だが、その瞳に浮かんでいた喜色は、珊揮の一言で掻き消えた。
おや、と戒莉は首を傾げた。
先ほどまで目の前に居た完璧な女が、揺らいでいた。
じっと、旅立った家のある方を見据えながら、白露は不安な表情を見せる。
期待と不安、悲しみと喜び。それら相反するものが、ないまぜになって彼女の中に存在する。
白露は、急に不安定な存在となった。
別れは悲しいものだ。そして、旅立ちは嬉しいものだ。
白露の故郷は、遠ざかっていく。
モウ カエラナイ
モウ ニドト アエナイ
戒莉は、頭巾を改めて深く被った。