寛勢が死んだ。しかし、安心はまだできない。どうやら毒薬を手に入れた寛勢の妻、つまり顕彰の母親がまだ潜伏しているらしい。
夜明け前に起こされて、そんな話を聞いて、白露が衝撃を受けないはずがない。
それでも、何故か戒莉の前では虚勢を張っている白露がいた。
「残念だわ。食堂の料理の塩加減が好みになったのに」
そう言って、白露は冷たい弁当を受け取った。
戒莉は、そんな白露の態度など、気に留める様子もなくなっていた。
「昼餉も、夕餉も、ここで食べてもらう。それから、水もこの水筒のもの以外は全部口にするな」
「分かった。でも、これって私だけが助かるってことじゃない?」
白露は、ふと不安になった。
「他の学生が、毒を飲まされる……可能性はある」
ひどく冷たく、戒莉の声が響いてきた。
「俺が守るのは、あんただけだ。他の人間までどうにかする依頼は受けていない」
「そんな」
白露は、動揺した。
自分の命が狙われているよりも、自分のとばっちりで誰かが被害にあうかものしれない方が、白露には苦痛に思えた。
「そんなことは、許せない」
「なら、あんたが自分で寛勢の女房を見つけろ。顔を知ってるのは、あんただけだ」
きっと、顕彰の母親は大学に入り込んでくる。
白露の目を、戒莉ばじっとみて、続けた。
「昨日、寛勢は毒薬を買ったらしい。その日のうちに寛勢がその毒を飲んで死んだ。たぶん、すぐにでもその毒を使いたいはずだ」
「ならば、大学に知らせて」
大学側に知らせれば、不審な女を雇うこともないはずだ。
「それじゃあ寛勢の女房は、現れなくなってしまう」
戒莉は、それを許さないというかまえだ。
「でも、皆を危険にさらすことになる」
白露は、なおも食い下がった。
「仕方ないだろう。相手が何処に隠れているか分からないんだ。下手に動いて警戒されて、その女に逃げられたら? あんたは、いつまでも怯えて暮らさなくちゃならなくなる。あんた、それでいいのか?」
苦しげに、しかし明確に、戒莉は言ってくれた。これは、お前のためなのだと。
白露はひと呼吸おいて、戒莉に向かった。
「それでも、ここで誰かが私の代わりに死んだら、私はずっと、それこそ一生後悔だけをして生きていくことになる。だったら、ここで死んだ方がまし」
白露は、毅然と言い放った。
白露のそんな態度を見ると、戒莉は軽く舌打ちをした。
「あんたが死んで何になる? ただ、あのバカ夫婦が満足するだけだ。いや、あんたが死んでも、寛勢の女房は、もう止まらない。あいつらにとって、この大学そのものが呪詛の対照になってるんだよ」
怒鳴るわけではないが、戒莉の声には怒りが込められていた。
白露はその感情の強さをヒリヒリと感じながらも、決して引き下がることはなかった。
「ならば、なおのこと。誰も、殺させるわけにはいかない」
「オレも、あんたを死なせるわけにはいかない」
戒莉も一歩も引くつもりはないらしい。
「では、やることは決まった。私を含めて、誰も殺させない。単純なことでしょう」
できるだけ尊大に、白露は、思い切り微笑んだ。
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