厨房の中は、既に朝餉の支度が始まっていた。
女の調理人が作業をしているようだ。
白露は少し離れたところで見ているのだが、その女が寛勢の妻ではないことは、はっきりと分かった。
やはり料理の塩加減だけで、判断するのは性急であったのかもしれない。
「おや、支度はまだだよ」
厨房の中から、白露を見つけた女が声をかけてきた。
白露は食事をしようというのではないことを女に伝えると、女はそうでしょうとも、という顔で笑った。
「目が覚めてしまって、こちらから人の気配がしたものだから」
白露は、厨房に近づいた。
やはり、寛勢の妻の姿はない。
「最近、味付けが変わったようだけれど、何かあったのかしら」
目が覚めてしまって、誰かと話をしたいという風を装い、白露は女に微笑みかけた。
「ああ、気になったかい。ごめんなさいよ。ちょっと私が具合わるくしてね。代わりに入った人がどうにも薄味だったみたいでね」
「では、その代わりの人はもういないのね」
この女とは違う人間が、この厨房にいたのだと、白露は心の底が冷やりとするのを感じた。
「ああ、今朝は仕込みだけしてもらったけどね。味付けは私がやろうと思ってね。もう、帰ってもらったんだよ」
女は、味付けに絶対の自信があるようだ。
「では、この近くの人なの?」
「いいや。遠くの町から最近来たばかりだと言っていたよ。南の方だと言っていたけど。そこでは、どうも薄い味付けをするらしいよ」
「そう」
白露は、その南からやってきたという女が、寛勢の妻であることを確信した。
正直、怖ろしかった。しかし、ここで立ち止まってしまう訳にはいかなかった。
「その人、どこに住んでいるのかしら」
「さあ、知らないねえ。あんた、何か用でもあるのかい」
女は、探るような目でジロリと白露を見た。
「私の故郷の味に似ていたものだから、もしかしたら同郷の人かと思っただけなの」
「へえ、あんたもあんな薄味がいいのかい」
「まあ、ずっとそれに慣れていると、そういうものだと思ってしまうのね」
女の気分を害さぬように、白露は気を使った。
「そうだねえ。私もこういう味つけが当たり前だと思っていたからね、人によってはちょっとショッパイのかもしれないね。そうだ。あんた、ちょっと味見をしてくれないか」
女は、煮物を小皿にひとすくいした。
「……」
毒が、入っているかもしれない。その想いが、白露を躊躇させた。
「大丈夫。毒なんて入ってないからさ」
女は豪快に笑う。
しかし、白露には笑えない。
それでも、白露は厨房の中に入り、女の手から小皿を受け取った。
それは湯気をあげ、美味そうな匂いをさせていた。
白露は、じっとそれを見つめた。
と、白露の背後から声が滑り込んできた。
「毒なんて入ってないって? 笑えない冗談だな」