『同質』
その夜の宿では、珊揮が厩で眠ると言い出した。
白露は、なんのつもりであるか、さっぱり分からなかったが、別にどこで寝てくれてもかまわないと答えた。
「心細いかもしれませんが、近くに戒莉をおきますから、安心してください」
「は?」
どうして、そういうことになるのだと、白露は目を見開いた。
珊揮は、にこにこと微笑んでいるばかりだ。
「あの、近くというと」
「警護の為ですよ」
つまり、同じ部屋に泊まれということらしい。
さすがに、それはいかがなものだろうか。
「そこまでしなくても、よいのでは?」
白露は、何とかこの危機を回避しようとしていた。
そう、白露の心はこれを危機としていた。
「なに、気にしないでください。これが我々の仕事ですから」
珊揮の言うことは、全く白露の胸の内と噛みあっていない。だが、珊揮は知っていて、そんな風に振舞っているのにすぎない。いかに、白露がやんわりと拒否したところで、彼が受け容れるはずがなかった。
「気が休まらないので、一人にさせてはもらえないですか」
やや、強く言ってみる。
「戒莉は、貴女に干渉しませんよ。一人でいるようなものですから、気になさらないでください」
「気になります」
「何も同じ寝台で寝るわけではないですよ」
「当たり前です」
白露は、声を荒げてしまった。
いままで、こんな扱いは受けたことがない。白露は、人に傅かれ、人の羨望や尊敬、畏怖の念すら集めて生きてきた。それを鼻にかけたり、それに酔いしれて生きてきた訳ではない。しかし、知らず知らずの内に、周囲は自分に一目おいて、優しく接するのが当たり前のように感じていたのだ。だからこんな風に、当たってくる人間を前にすると、白露は戸惑いと苛立ちを覚える。
「宜しいですね」
「でも」
「なんです?」
「戒莉は嫌なのではないですか」
白露は、最後の頼みにすがるように戒莉の方を見た。
戒莉は、急に自分に向けられた矛先に揺らぐことはなかった。
「俺は、かまわない」
白露は、それ以上言うべき言葉を見失った。
夕餉は、珊揮の指図で、部屋でとることになっていた。
何故だろうか。珊揮は、警戒をしているようにも見える。
その割に、白露の側を離れるというのも奇妙だ。
一緒に食卓に就く事に、戒莉はあまり気乗りはしていない様子だった。だが、やはり珊揮が何か言ったのだろう、ぶすっとした顔つきで白露の向かいの席に座っている。
一言も発することなく、こちらが何か言うことも拒絶するような雰囲気に、白露はひとりで食べた方がましだと思う。
ちらりと戒莉を見ると、不味そうに汁物を口に運んでいる。それは食べることが苦痛だとしか言いようのない表情で、何が彼をそんな風にさせているのか、その理由を問いただしたくなる。
白露は、昼間に調子にのって質問攻めにしたことを反省するあまり、何も喋ることが出来なくなっていた。
食器と箸が触れる音と、微かに咀嚼されるものの音。それだけしか聞こえない空間。
奇妙だ。
白露は、緊張する。
仏頂面をした美貌の剣客は、張り詰めている。
「戒莉」
思い切って、白露は声を発した。
「……」
みごとに空振り。
戒莉は、まさに苦虫を噛むようだという表現が相応しい。
白露も溜息しか出ない。
再びの沈黙、それが実際はどれだけのものであったのか、白露には分からなかった。けれど、感覚的にひどく長いものだったような気がしていた。
唐突に、それは聞こえた。
「あんたは、何で大学に行くんだ?」
これが、どこから出た声なのか、白露は戸惑った。
ここに居るのは、白露と戒莉だけだ。白露は言っていない。ならば、この言葉は戒莉のものだ。
白露は、ひとつ大きく息を吸い込んで、吐いた。
「私はね。官吏になりたいの」
官吏になりたい。それは嘘ではない。たぶん。
「それには大学に行くしかないでしょう」
戒莉は果たしてこの答えで満足しただろうか。
いや、戒莉は今、さらに疑問を抱いているかもしれない。
誰よりも、白露がそれを問いただしたい気持ちに駆り立てられていた。
なぜ、官吏になりたいのか?
白露視点は、これでお終いです。
ここから本編の『因縁』へ続いていきます。
こっちの方が、戒莉がウジウジしていなくて良い気すらしてきました。
嗚呼、本当に。うっとおしい男です。