フーガ 作:志須
キャロルの過去想像や、託された命題のエルキャロ二人にとっての顛末の想像などを交えながら、過去作『カノン』https://syosetu.org/novel/161102/とほぼ同じ結末へ至る内容になっていますが、叙述がエルフナイン視点であったり、AXZで加わった設定を踏まえたり、エルキャロのそれぞれの命題の認識など、カノンを書いたGX最終話放送直後時より深まった原作把握や考察を元に書いているので、その辺りの相違がわりと多めとなっています。
(拙作『クリスマス・ビフォア・アポカリプス』https://syosetu.org/novel/168313/、『レセ・ヴィヴレ』(R18)https://syosetu.org/novel/169818/等の過去作を若干継いでいますが、読んでいなくても内容は通じます)
(初出:2018/06/01)(他サイトと同時投稿です)
ゆらゆらと揺れながら大きさを増していくそれは、先程の鬼火のよう。
実際、炎だった。映像の輝度や明度の数値を適正に戻すかのように、色彩が戻って色味がついたそれは、たいまつの炎。
いつの間にか、たいまつを手にした数百人の作る人垣の輪の内側に立っていた。
黒い煙が、下から鈍い橙色の光に照らされながら夜の空の闇の中へ流れ込むかのようにもうもうと立ち上っている。
煙の出処は、人垣の大きな輪の中心。中世時代の欧州建築様式の色の濃い町並みの、広場の中央に設けられた木の円柱――すでに火の手が上がっている、火刑台だった。
遠く微かに聞こえ続けていた潮騒のような音は、徐々にはっきりと聞こえるようになるにつれ、それが人々の口にする非難の声や怒号だと分かるまでそれほどかからなかった。
「それが神の奇跡でないのなら、人の身に過ぎた悪魔の知恵だ!」
「裁きを! 浄罪の炎でイザークの穢れを清めよ!」
小さな影が、ひとつ。黒い影の連なりのような人垣の中から、炎で照らされる広場へと転がり出るように飛び出してきた。
それは転びそうになりながらも一心不乱にまっすぐに火刑台へと駆け寄ろうとして、けれど
それに気が付いた刑の執行人らしい黒装束の大人二名が、火刑台の数歩手前でその小さな身体を捕まえて引き留めた。
広場の中心で煌々と燃える炎へ泣きながら小さな手を伸ばしてもがく、生成りのブラウスと臙脂色のワンピースにベージュのケープを羽織った、見覚えのあるその小さな姿は。
「キャロル……!」
「パパ、パパ、パパー!!」
間違えようもない。この想い出は、キャロルの父親のイザークが、火刑に処された『炎の日』の想い出――
「パパ……、っ……!」
悲しみとやりきれなさに胸を鷲掴みにされる。
目の前の情景はすでに起きた、変えることのできない過去の出来事。刑を止めることもできなければ、キャロルの涙を止めることもできない。
過去ではない今、自分の目から溢れる涙もまた、止める術がなかった。
研鑽を積み、培った叡智によって人々を死の病から救ったのに、それは奇跡とされ、そして神の奇跡を資格なく代行したとされ、火刑に処された。
人々の科学への未明と理解のなさ、集団心理、時の権力者の思惑によってパパは死に追いやられた。暗黒の時代ゆえの理不尽とはいえ、あまりにむごく、そして悲しくやりきれない。
深夜の病室に現れたキャロルはパパから託された命題はおろか、パパの名前も思い出せないくらい想い出を過剰に焼却してしまっていたはず。けれど今こうして想い出として鮮明に仮想空間に展開されているのは、こちらが覚醒前にキャロルから複写された想い出によって、焼却による欠落が補完されているのだろう。
「キャロル……生きて、もっと世界を識るんだ」
「世界を……?」
「それがキャロルの――」
炎が一層高く燃え上がって、パパの姿も声も、今度こそ全てが炎に隠されてしまう。
「パパ! パパー!!」
高く燃え上がる炎に合わせるかのように、人々の喧騒も高まる。それにかき消された、涙濡れた悲痛な叫び声は、キャロルと自分、どちらのものだったろう。
情景のあちこちに火の手が上がる。
人々が手に手に持ち寄っているたいまつを出処に、先の玉座の間の想い出と同様、炎が情景を焼け落としてはそこに虚空が顔を覗かせていき――やがて情景の全てが燃え尽き、漆黒の闇に包まれた。
◇
闇の中から浮かび上がるようにぼんやりと輪郭が見え始め、同時に色彩も戻っていく。
見えた情景は、今度は屋内だった。
この風景には、見覚えがある。
板床の居間とかまどをかまえた土間の厨房とが続いている、近世時代にありふれた牧歌的な庶民の家。
けれど一般的な庶民の家と言うには、食器棚と並んで壁に付けられた背の高い棚に並んでいる試料の入った密封瓶や瓶詰めの標本、下段の方に詰められている重厚な装丁の分厚い古書が異彩を放っていて、趣を異にしている。
土間では窓際の作業机の上にフラスコやビーカーや試験管といったガラス製の器具が、作業の途中だったのか試料の入ったままで置かれ、石床にはまだ現代のような記号体系に洗練されていない時代の、原初的な化学構造式がチョークで描かれている。
その周りを開かれたままの本や紙片、羽ペンや鉱物のかけらや試料の入った乳鉢などが散らばり、装飾品のように床一面を飾っている。
庶民の家庭にある煮炊きの調理道具と錬金術に用いる器具が入り混じって置かれている、見覚えあるこの風景は、パパと二人で暮らしていた頃のキャロルの生家。
その居間に、立っていた。
「ううぅ……ぐすっ、パパ……」
嗚咽の聞こえた方を振り向くと、居間のテーブルに突っ伏して泣いているキャロルがいた。
知っている風景の、知らない想い出。この情景はキャロルから複写された想い出の中にはない。燃え残っていたキャロルの想い出の断片なのだろう。
パパがいない、キャロルがひどく悲しそうに泣いていることから、おそらくはパパが処刑されて間もない頃の想い出。
パパが連行される際、審問官一行に手荒に捕物されたのか、棚や机の前の床には落ちて割れたガラス器具や本がいくつか落ちていて、室内は少し荒れていた。
「キャロル……」
嗚咽に震える小さな背中に手を伸ばしかけて、けれど途中で力なく腕を落とす。
ここは仮想空間。触れたとしても触感は得られても、想い出の中の情景に影響を及ぼすことはない――幼いキャロルに寄り添って慰めることはかなわない。
胸が潰れる思いで眺めることしかできないでいると、やがてキャロルは身じろいで、頭を重たそうにのろのろと顔を上げた。
涙濡れた顔が土間の方へ向けられる。
テーブルの土間側の、パパがいつも座る席には誰もいない。
キャロルの目尻からまた涙がこぼれて、頬を伝い落ちた。
「パパ……」
(あっ――)
急に、胸の内側をぎゅぅっと絞られるような感覚に襲われて、思わず胸に手をあてた。
喪ったパパを想って泣くキャロルを見て胸を痛めていたのはたしかだけれど、それとは別の痛みが、それまでを上回る強さで突然に生まれて、胸の奥に絞るようなやるせない痛みをもたらし始めた。
「パパは何を言おうと……何を伝えようとしていたの? 『世界を識る』って……?」
(っ――)
さらに、重く濡れた質感が心の中に流れ込んでくる。
悲しみ、喪失感――パパを喪ったことへの。
理不尽――パパを奪われたことへの。
無力感――パパを助けることができなかったことへの。
無念、疑問――パパの言葉を聞き取れなかったことへの。
胸に内の絞るような痛みと、息の詰まるような重い苦しさに、胸のワンピースの布地を掴む。
同じ感情は自分にも喚起されているものの、この感情の質感はそれを遥かに上回って強い。
自分の心から生じたのではないこの感情の質感の出処は、あるとすれば。
(感覚、共有……っ)
被験者をマリアとした仮想脳領域では、想い出の中の過去のマリアの五感体験で、たとえば乗馬鞭で腕を叩かれるなど、心身への一定以上の強い感覚は自分にも及んだ。
同じ素体から作られたホムンクルス同士は、術と自覚が伴えば視覚や聴覚といった感覚を通じることができる。
それと同じように、自分の意識がキャロルを素体として造られたホムンクルス躯体で生じた意識だからか。
または同化することによって一つの躯体に二つの意識が共存しているせいか、または脳神経パルスの描き出す“意識”という電影の電気信号に類似部分が多いせいか。
要因は様々に考えられるけれどともかく今は、マリアと違って五感だけでなく、想い出の中のキャロルと感情や思考から生じる心の質感までもが共有されるようだった。
まるでキャロルの想い出を追体験しているかのよう――自分の意識が把握していない想い出を感覚共有を伴って体験することは、想い出を複写することに等しいのかもしれない。
「パパは、世界の全てを識りたいと言っていた……」
『世界を識ること』はパパの命題。けれど、託されたそれを追い求めようにも、命題が何を指すのか、何を意味するのか、答えが分からない。
パパは答えを教えてくれなかった。……キャロルに教えることが、できなかった。
「『識る』……錬金術とはこの世の万象を分解、分析して識り、そこから構築すること……」
悲しみに心を潰されながら、キャロルは懸命に命題の答えを見つけ出そうと思考する。
失われた命は二度と還ることはない。パパは二度と戻ってこない。
志半ばで潰えたパパから託された命題を追い求めることで、取り戻せないパパをせめて志だけでも自分の元に取り戻したいとするかのようだった。
パパの記憶を思い起こし、これまでに得た錬金知識をも思い返して、その中に手掛かりを求めようとする。
答えに繋がるものを求めてか、どことはなしに室内を彷徨わせていたキャロルの視線が、ふと一点で止まった。
「ぁ……」
何かを見つめたまま微動だにしなくなったキャロルの顔は、土間の方へ向けられている。
視線の先を追って見ると、土間の作業机の手前の床に、元はガラスのフラスコのような器具だったのだろう落ちて砕けたガラス片のひと塊があった。
パズルピースのようなそれを見つめるキャロルの内で、停滞していた思考が目まぐるしく回り始める感覚が、感覚共有を通じて伝わってくる。
「『世界を識る』……そうだ、きっとそうだわ……!」
ガラス片を見つめながら、キャロルはゆらりと椅子から立ち上がった。
頭の中では堰を切ったような勢いで、論理が組み立てられていっている。
「『世界を識る』とは、世界を解析すること……それなら世界をバラバラにすればいいんだわ! 解剖して分析すれば、万象の全てを理解できるもの!」
興奮をにじませた弾むような声で言うと、キャロルは座る人のもう居ない土間側の席を再び見遣る。
先刻まで悲しみに沈みきっていたはずのその顔には、長年の問題が氷解したかのような晴れ晴れとした笑顔が浮かんでいた。
「わかったわパパ! 町も教会も、森も湖も、人も犬も猫もみんな、パパを拒絶した世界を全て解剖するわ!」
「キャロル……! っく、ぅぅっ……!」
光景のすがすがしさとは真逆に、激しい感情の質感が膨大な量でこちらの心になだれ込んでくる。とても受け止めきれないそれのあまりの苦しさは、胸にあてていた手にワンピースの布地を握りしめさせ、身体を強張らせた。
燃え上がるように急激に吹き上がったこの感情の質感は、恨みと憎しみの感覚。
それと、歓喜の感覚――理屈と名分を得て苦しみの逃し先、恨みのぶつけ先を見つけたことへの。
そして、それらを裏から支える、合理から目を背けて自分を偽る自己欺瞞。
自分の心から生じたのではない、あまり抱くことのない感情の、これまで一度も発したことのない強く激しい質感が胸の内に殺到して、頭と心が張り裂けてしてしまいそうになる。
身を絞るように背を丸めてあえぐこちらと正反対に、キャロルは晴れやかな顔で天井を仰ぐ。
両手を組んで、まるで天にいるパパに祈り誓うかのように。
「万象の摂理と術理を隠す覆いを外して、分析したその記録は言わば『万象黙示録』――パパとわたしの錬金術、きっと完成させてみせる。わたしが、この手で! ……あはっ、」
ふいに、漏れるようにこぼれた笑いと共に、組んだ手が解ける。
そして無邪気に、腕を広げて。
「あははっ、あははははははははは……!」
傍目には幼い女の子が天真爛漫に笑う様子にしか見えないに違いない。
その胸の内には、パパを喪った悲しみと苦しみ、パパを拒絶した世界とそれを取り持っている人びとへ向けた憎悪が吹き荒れているにもかかわらずに。
「キャロル……あぁ……!」
(パパから託された命題に、そんなふうに、復讐を託して解釈するなんて……!)
あの日、世界の分解装置だったシャトーが大破して墜落したあのとき、キャロルと交わした言葉を覚えている。
――火あぶりにされながら、世界を識れと言ったのは、ボクたちにこんなことをさせるためじゃない……!
――そんなのわかっている!!
キャロルは、パパから託された命題の答えが世界の分解ではないことが分かっていた。なのに、それを答えだとしていた。自分を偽ってまで。
世界の分解という答えは、パパを喪った悲しみとパパを殺された憎しみのあまり、託された命題の答えの見つからない苦しさのあまり、それらのはけ口を求めて幼い心が作り上げた論理だったのだろう。
「ははははは、あははははははは……!」
キャロルの頬を、目尻からこぼれた涙が再び伝う。
いつの間にか、情景のそこかしこに火が灯っていた。
キャロルの無邪気だけれど不可思議な熱を帯びた笑い声と共に、情景は燃え落ちていく。
視界が暗闇に塗りつぶされて何も見えなくなったのは、胸の苦しさに目をつぶったせいなのか、情景が燃え尽きたせいなのか、どちらとも分からなかった。
◇
感覚共有から伝わる感情の質感は途絶えたけれど、胸は未だ苦しいまま。
苦しみの続くなかで瞼を薄く開けると、眇めた視界に見えた情景は再びキャロルの生家だった。
ガラス片などの残骸や棚から落ちた物などは片付けられているものの、部屋を乱された痕跡がそこかしこに残っていることから、『炎の日』からまだ幾日も経っていない頃の想い出なのだろう。
キャロルはこちらのそば、玄関の前に立っていて、開け放たれているドアから入ってきたらしい二人の大人の男性と向き合っている。
キャロルの隣でこの情景を眺めるに、来訪者は一人は質素な衣服の使用人といった風体の中年の男で、その人が仕えているだろうもう一人の、身なりの良い高齢の男がキャロルに話しかけていた。
「私はパパの友達だよ。この人は知っているだろう、時々ここへ使いに出していたのは私でね――」
「身寄りのない君を引き取ろう。この町にはもういられないだろう? ――」
「パパみたいな錬金術師になりたいなら、私と一緒に錬金術の研究をするといい――」
「来なさい――」
キャロルは悲しみに沈んだ顔で、差し出された手をじっと見ている。
けれど、そんな表情の一方で心は恐ろしく平静。
状況を冷静に考え、思考を巡らせている質感が感覚の共有で伝わってきていた。
やがてキャロルは悲しそうな顔をこくりと頷かせると、目の前の手を取った。
(っ――)
伝わってきた感情の質感は、色に例えるなら、黒い。
背の高さが同じで、顔の高さも同じな自分だから見えたのだろう、キャロルの頷いてうつむき加減となった幼い顔の、大人たちからは見えない角度に隠れている口元で、口の端がわずかに上がっていたのは。
高齢の男がキャロルの手を握ったまま家の中をところどころ指さし、使用人に必要な物を持ち出すよう指示している光景と共に、情景は燃え落ちていく。
胸の苦しさに目を眇めた視界の中で、世界が暗転する。
◇
視界が暗い。
それは、胸の苦しさを堪えるのに目を眇めたままでいるせいではなく、情景の中の光の絶対量が少ないせいで。
訪れたことも見たこともない、古い時代の意匠の石造りの部屋の中だった。
部屋は本部の発令所ほどの広さで、壁には緞帳のような布地の厚いカーテンがところどころにかかっていて、窓からの光を完全に遮っている。
それは室内に安置されている貴重そうな品や器具を陽光の傷みから守るためと見て取れたけれど、その品々はまるで室内を嵐が通り抜けたかのように辺り一面に散乱していた。
等間隔に並んでいる柱の上方に据え付けられたランタンと、石壁沿いに置かれた剣山のような蜜蝋のロウソクの燭台のうち、かろうじて火の消えていないものが乏しい光量で照らしているのは、床に散らばった試料の入った密封瓶や古い作りの器具、古文書といった品々だけではない。
折り重なるように倒れている者。
壁に背をつけて座ったまま頭を垂れている者。
部屋の出入り口なのだろう大扉のある、こちらに頭を向けて倒れている者。
七、八人ほどが、いずれもが血溜まりの上に身体を横たえて、微動だにしなかった。
(これ、はっ……)
凄惨な光景に思わず息の呑む。おびただしい血の量から見て、倒れている人びとは失血性のショック死を免れられなかっただろう。
部屋に散らばる品々の類型には見覚えがある。錬金術の道具なことから、ここは錬金術の工房らしかった。
何が起きたのだろう。キャロルはどこに居るのだろう――倒れている人々の中にキャロルの姿はない。
目眩のする光景という、新たに加わった胸の苦しさを押しながら周囲を見渡す。何かが動いた気配があってそちらを見遣ると、部屋の奥の暗がり中から、白い影が浮かび上がるように明かりの中に現れた。
「キャロル……!?」
柱のランタンの明かりに照らされたキャロルは、服も下着も身に着ていない素裸だった。
異常はそれだけではなく、石壁に右の腕と肘を衝いて、壁に寄りかかりながらかろうじて歩みを進められている態で、肩でぜぇぜぇと荒く呼吸を繰り返している。
乏しい光量の下だというのにその肌は、まるで陽に一度も晒したことのないかのように透けるように白い。
血みどろの光景の中にいるのに、キャロルには一点の汚れもないことに違和感を覚えていると、視界の端で何かが動いたのが見えた。
床に力なく放り出されていた腕の一つが、持ち上がってわななくように動いている。
助けを求めてか、頭上の空へとおぼつかなく伸ばされ、虚しく何かを掴もうとする。
まだ息がある。けれど背の下の床に広がる血溜まりの大きさからして、命の火は遠からず消えるだろう。
痛ましい光景に思わず目を背けかけた瞬間、鋭い金の光が腕の持ち主の胸を貫いた。
腕は操り糸が切れたように血溜まりの中に落ちて、それきり動かなくなる。
目を見開いたまま事切れたその人は、前の想い出で見た、キャロルを引き取った高齢の男だった。
予感がして、キャロルを振り返る。キャロルは倒れている男に向かって左手をかざしていて、煩わしそうに目を細めたまま左腕を力ませると、手のひらの真ん中から細い光の矢が放たれて、念を押すかのように倒れている男の腹を貫いた。
この惨状を作ったのは――
「っ、ううっ……!」
キャロルは苦しそうに呻くと、右肩を壁に押し付けるようにして寄りかかる。それでも身体を支えられなかったのか、背中を寄りかからせて、ずるずるとその場に座り込んだ。
「躯体の、っ、生体エネルギー量は、予測通り……高効率の、想い出の焼却も併用して、皆殺すにはどうにか足りたっ……」
壁に背中を預けて天井を見上げる。無防備な態でいるのは、動く者がもういないのを分かっているからだろうか。
苦しそうにしていた顔は、やり遂げたという達成感を思わせる満足げな顔になって、その後すぐに皮肉げな笑みを浮かべた。
「ふふ……わたしからパパの錬金術の知見を引き出して、用済みになったら実験のついでに処分しようとしていたのはわかってたの……素体を元にホムンクルスを生成し、それに自分の想い出を複写して生き永らえる聖遺物装置の実験体一人目として……」
キャロルは近くの床に転がる剣を見遣る。
倒れている人の手から離れたのだろうその抜き身の剣は飾り気がなく、屋内向けにか刀身の短いつくりをしていて、儀式・呪術用ならともかく武器として実用的な剣は錬金術工房のこの場にはそぐわないものだった。
キャロルは剣の向こうに横たわっている高齢の男を冷ややかに一瞥する。
「ここへ来て一年……無力な子供とくくったタカが、四大元素操作の一端の密かな習得を気付かせない……」
興味が失せたかのように男から視線を外して、キャロルは自分のやってきた部屋の奥へと顔を向けた。
部屋の奥は暗くてよく見えないけれど、ロウソクの小さな火の乏しい光源に、祭壇の供物台のような何かの立体の輪郭がぼんやりと浮き上がっている。
「万象黙示録の完成に一生なんかじゃぜんぜん足りない時間は、この装置で補うの。まずはこの装置を改修して、ホムンクルス躯体を完璧以上に完成させて、永遠の時間を過ごせるようにするわ――」
(っ――)
聴く人のもう誰もいない呟きの、声色の無邪気なあどけなさとは真逆に、自分を利用しようとした相手を逆にやり込めた胸のすく思いと、パパを慕う想いと喪った悲しみ、パパを拒絶した世界への復讐心とがないまぜになった殺伐とした感情の質感が、こちらの心に流れ込んでくる。
「このお城も有効に使わせてもらうわ。異端認定を避けるために秘密裏に建てた、知る人の限られた山奥の城なんて、願ってもないもの。ふふふ――」
才能に動機が結びつき、十分な環境が整えられたとき、叡智は培われる。
叡智そのものは純粋に力の拠り所なだけで、それ自体に善悪はない。力は主観で振るわれる。
そのはじまりを、目の当たりにさせられた気がした。
キャロルの罪の、はじまりも。
……ヒトの精神は、少なからず肉体の影響を受ける。
心に生まれた感情は通常、永遠に同じ強度と鮮度で胸の内に留まるということはない。激しい感情の鋭い尖端は時が経てばいつしか丸まる。身体の成長や老化に伴う内分泌の増減、あるいは忘却によって。それはヒトに備わった精神と肉体を保つための防衛機構の一つなのかもしれなかった。
ホムンクルスは自然成長をしない。少なくともキャロルが次代の器としてつくるそれは、キャロルと同じ十歳前後の女児の姿から成長も老いもしない。また、その記憶は想い出をホムンクルスへ複写する聖遺物装置によって貯蔵され、蓄積される。
これらは、ホムンクルスによって生き永らえるキャロルには、身体の成長変化や忘却による感情の自然的な鮮度の劣化がほぼ起こらないことを意味する。
感情は、得た当時の鮮度を保ったままキャロルの胸に残り続ける。感情を抱いた要因が解消されない限りは。
ヒトの死は取り返しがつかない――パパは二度とキャロルの元へ戻ることはない。
ならば、キャロルの記憶は忘却されることなく、怒りや恨み、悲しみは永遠に風化することがない――
ロウソクの火が勢いを強め始める。
けれど部屋を明るく照らすことはなく、次元を違えて情景を焼き落としていく。
胸に押し寄せる感情の質感の苦しさに目を瞑り、重いまぶたを再び開けたときにはすでに、暗闇ばかりが広がっていた。
◇
闇という水中の深くから浮き上がってくるかのように、暗闇の中から情景が徐々に立ち現れていく。
色彩と輪郭がはっきりしてくるにつれ、紋様パターンの壁紙の貼られた白い壁や、窓辺にかけられたレースのカーテン、辺と四隅にレリーフが施された白い漆喰の高い天井が見えた。
室内の広さは本部潜水艦のミーティングルームくらい。小さなテーブルと椅子が二脚か四脚といった組み合わせが壁よりに何式か置かれていることから部屋の用途も似ていて、西洋の大きな邸宅の談話室のような部屋なのだろう。
けれど、そのテーブルと椅子の並びに不自然に空白があった。
テーブルと椅子の一式があっただろうその場所の絨毯は、赤く染まっている。まるで粉末を無造作にそこへ撒いたかのように。
その特徴的な痕跡には見覚えがあった。その側に立つ、ヒトではない存在にも。
頭頂は風鳴司令より拳一つ分ほども高い。オレンジ色のボディをした、わずかに白く発光している巻笛状の分解器官を腕の先に巻き取っているタイプの――
「『アルカ・ノイズ』――」
自分ではないその呟きは、背後から聞こえてきた。
振り返って見えた部屋の中ほどには、シャトーで暮らしていた頃に時折見かけた、裾と袖にフリルをあしらった青い外衣を纏い、床につくほどに長い金の三つ編みを垂らしたキャロルがいた。
けれど呟きの声はキャロルのものではなかった。
呟いたのはきっと、キャロルと小さな丸テーブルを挟んで立っているもうひとりの少女の方。
それが見知っている少女だと分かって、胸の苦しさを一瞬忘れた。
その少女の見た目は、キャロルより年の頃も背の高さも少し上。
着ているワインレッドのロングドレスは大人用を単純に小さくリサイズしたような意匠で、レースやプリーツといった装飾に現代のような簡略化がないところに前時代を感じさせる。
『炎の日』より時代は下っておそらく近代初期。これもキャロルの体験した出来事なのだろう、現代で見知っている姿とは、衣服が違うだけでキャロルともども外見に変わりがなかった――暗緑色を煮詰めたような黒い髪をおさげにして、左右に垂らしているその少女、プレラーティは。
「……先史文明期の負の遺産、人類のみを抹殺する兵器であるノイズと、万能の溶媒アルカ・ヘストの錬金術的結婚。その手腕、見事なワケダ」
「この程度、造作もない」
プレラーティの賛辞に、キャロルの応えは素っ気ない。アルカ・ノイズを完成させるまで解消しなければならない技術的問題はいくつもあり、そのうち位相差空間操作などはパラダイムシフトに匹敵する技術だというのに。
先行の研究成果も存在していたのだろうけれど、二百年前後で技術的問題を解消してアルカ・ノイズを作り上げたキャロルは、この頃には優秀希少な錬金術師の一人と目されていても不思議ではなかった。
マホガニーの丸テーブルの上にはアルカ・ノイズが封入されているクリスタルがいくつか載せられている。
「我々の組織の長もいたくお喜びなワケダ。志を共にするなら歓迎するとのことなワケダが」
「遠慮しておこう。こちらには解き明かしたい命題があるのでな」
キャロルの内面に少しの緊張が走ったのが、感覚の共有を通じて伝わってきた。
「それは残念……とはいえ想定の内なワケダ。断られた場合は持ちつ持たれつ友好な関係を、と言付かっているワケダ」
「アルカ・ノイズのレシピを開示した意図を汲んでもらえたようでなによりだ」
プレラーティの言葉を聞いて、キャロルの内面の緊張がいくらか和らぐ。
敵対してしまうことで、有力な集団に組織立って何かと付け狙われたら、命題の解明に支障をきたすと危惧していたのかもしれない。
回避と隠匿をし続けるより交渉の席に着いたほうが、利を引き出すことはできないとしても不慮の事故を誘発せずにすむと踏んだ――レシピを渡した意図とは、そういうことなのかもしれない。
「それにしても、想い出の焼却とは思い切ったことをする。エネルギー変換効率の高さはたしかに類を見ないが、自分そのものの一部を焼却して力に換えるとは正気の沙汰ではない、外法なワケダ」
「使えるものを使ったまでのこと……そうでもしなければ、託された命題には手が届くまい。不完全な肉体を完全へと完成、その肉体からの生命エネルギーの抽出などという手段も、そう大差のあるものとは思えないが」
「言えているワケダ――」
プレラーティは不敵に微笑する。皮肉げとも自嘲ともつかないその笑みの理由はわからない。
冷たく冴えた感情の質感が伝わってくる。キャロルは油断なく気構え、冷徹に計算を巡らせている。
風景が燃えていく。やがて全てが燃え落ちて、世界はまた暗転する。
◇
見覚えのある石壁の部屋だった。
器具を納めた棚や試料の保管棚、作業机などの備品の有無や配置などは違うけれど、各種の固定炉や室内の間取りからして紛れもなくここは、シャトーの旧工房。
自分がシャトーで暮らしていた頃には既にキッチンへと転用されていたから、ここが第一の錬金術工房だった頃の想い出なのだろう。
キャロルは室内の中央、膝上丈の緋色のワンピースに黒い長手袋を着けた軽装姿で器具と試料を並べた大卓の前にいて、けれどそれには背を向けて、錬金術の操作作業に入る前に確認といった態で、宙空に創り出した数枚のパネルを眺めている。
金色の光で描かれた分子構造式のようなハニカム構造模様のパネルは四大元素操作の一つ、遠隔地を映し出す術。
パネルのひとつはどこかの定点映像らしく、そこに映っているのは、見たことのない不思議な形をした大きな建造物または装置が何基も連なり、壁も天井も無く果てが見えないといった、異世界じみた遠景の映像だった。
もうひとつには誰かの、首から下の上半身が映っている。
両手で支え持っている銀のトレーには、中心に赤い核のある透き通った多面体のクリスタルが整然と並べられている。
シンプルなブラウスの袖口から覗いている手首は球体関節で、そのことから映像の人物は人形なことが分かる。
遠景映像にあった建造物の一部が背景に映っているので、同じ場所なのだろう。
キャロルは映像から視線を外して、左腕に開き持っていた本のような台帳の記載に目を走らせた。
「世界を分解し尽くすに足る数には、あと一千年はかかるか……時間は無尽蔵にあるとはいえ、結社の動向は気にかかる……先史文明の巫女の動向も……」
右手で払うような仕草で宙空のパネルを掻き消し、台帳を両手でぱたんと閉じる。そばに控えていた人物に台帳を差し出しながら、任務に戻れ、と短く告げた。
はい、と倣ったかのようにこちらも短く返事をし、こくりと頷いて台帳を受け取ったもうひとりは、キャロルと同じ背格好。身動きした拍子に、脱げかかっていたのか黒い外衣のフードが外れて、下から現れたのは銅のような赤味がかった金色の髪だった。
空気を孕んで自然と持ち上がる、少々クセのある襟足までの髪のその色と、泣きぼくろが左目の下にある以外の見た目は、キャロルにうりふたつ。
黒いワンピースの上に、かつて自分も着ていたフードの付いた黒い外衣を着ているその少女は自分と同じ、労役のためにキャロルによって覚醒させられた廃棄躯体だろうのに、その浅葱色の瞳には自発的な意志の光がなく、まるで操られている人形かのようだった。
情景が焼け落ちていく。
暗転。
暗闇に淡紫の光球がぼんやりと浮かび上がる。
歯車の数がいくらか少ないように見えるけれど、上座への段の低い階段といい、欄干に囲われた円形の広間といい、自分が暮らしていた頃とさほどかわらないシャトーの玉座の間の風景だった。
階段の最上段に立つ軽装姿のキャロルの眼の前で、玉座の左右の歯車が重々しい金属音を立ててゆっくりと回転する。
玉座の肘掛けの間に現れていた聖櫃が床下へと沈み込み、やがてぽっかりとあいた四角い穴から緋色の座面がせり上がって、玉座は元の形へと戻った。
それを見届けたキャロルは作動を確認した風に頷くと、右手をかざして顔の高さの宙中にハニカム構造模様のパネルを数枚作り出す。
あるパネルではリストのような文字文が滝のように上から下へ流れ、別のパネルでは建造物の構造図のような絵図が次々に表示されていく。
「中枢部分の建造はこれで完了……分解装置の資材の調達は、結社の支援を受けて目処が立った。必要となる聖遺物も残るはヤントラ・サルヴァスパのみ。在処は計画遂行の途中で割り出せる、入手したも同然……ふふ……」
幼い唇の端が、不敵な笑みにつり上がる。
「シンフォギア、レイラインマップ……先史文明の巫女め、宿願の障害になるどころかオレに天啓をもたらしてくれるとは、感謝に絶えん」
アルカ・ノイズの膨大量頒布による世界全ての分解は、必要数を揃えるのに遠大な時間がかかる上に、それまでの間に不確定な障害が発生する可能性が低くない。
欧州の闇より歴史の表舞台に存在を晒すリスクを冒すような別計画へ舵を切ったのは、ルナアタック、フロンティアの二つの事変が、レイラインによる地球全体への分解エネルギー波の伝搬をキャロルに閃かせ、それが当初のアルカ・ノイズによる計画より即効性にまさるものだったからかもしれない。
「む……」
キャロルは数枚のパネルのうち、電子回路の基盤のような配線接続図が映し出されているパネルに目を留めた。
一部分を拡大し、また遠景に戻して描かれている細い線を目でたどる。
「オーダーにない経路……進入路。あの破戒僧上がり、この程度の監視孔の類にオレが気付かぬとでも思ったか? ……だが設計段階で仕込まれたここは、塞げば他の経路に支障をきたす上、塞いだことが先方に知れる、か……」
忌々しげにパネルを睨んだあと、右手を払って腹いせのようにパネルを打ち消す。
「ふん、好きなだけ覗き見するがいい。世界の解析データもくれてやろう。秘匿を要する情報はそれではないし、そこにはないのだからな――」
情景が燃え落ちていく。
暗転。
再び、玉座のそばだった。
玉座には聖櫃装置が現れていて、両開きの扉は開いている。
その扉を背にして戸惑いがちにキャロルを見つめる少女は、三つ編みがない以外はキャロルとそっくりな姿をしていて、冷気のもやが漂う床に裸足でいるだけでなく、衣服を何も身につけていなかった。
「あなたは……”わたし”? ”わたし”は、キャロル……」
キャロルは顔を左右にすると、黒い長手袋の右手を翻して少女の目の前の宙空にパネルを創り出す。青白い輝きが失せると、パネルは鏡のように少女の全身を映し出す。
「キャロルはオレだ。お前は、廃棄躯体十一号」
「わたしは、廃棄躯体……」
「そうだ。以後、お前をエルフナインと呼ぶ」
「エルフナイン……それがわたし、いえ……ボクの、名前……」
暗転。
「そうです……パパは死の間際に、世界を識れと言っていた……いえ、違いました。ボクのではなく、あなたのパパが」
「いや、言い得て妙だ。出来損ないではあるが、オレの素体から作られたお前もまたパパの娘には違いあるまい」
暗転。
「そのパパを殺したものは何だったか、お前にだって分かるはずだ」
「ですが、家族と過ごすかけがえのない日ではあります」
「だとして、何が言いたい」
「あなたはボクもまたパパの娘だと言いました。それなら、あなたとボクは家族ではないでしょうか」
「っ……」
暗転。
「パパは世界をバラバラにすることなんて望んでいなかった! 望んでないことをボクはあなたにさせたくない!」
「想い出を複写されただけの廃棄躯体風情が! 出来損ないの娘が語ることではないと覚えよ!」
「っ!」
「……お前をシャトー建造の任より解く。後はどうとでも好きにするがいい」
「っ……」
「理由を言えば受け入れるのか」
「わたしは……戦いたくない!」
「お前と違い、戦ってでも欲しい真実が――オレにはある!」
「見ていたのか。性根の腐ったガリィらしい」
「やめてくださいよぅ、そういうふうにしたのはマスターじゃないですか」
「想い出の採集はどうなってる」
「順調ですよ。でも、ミカちゃん、大食らいなので足りてませーんー!」
「キャロルちゃん……どうして世界をバラバラにしようなんて――」
「忘れたよ、理由なんて……『想い出』を焼却、戦う力と変えた時に……」
「っ……」
「その呪われた旋律で誰かを救えるなどと思い上がるな……!」
「うっ……!?」
「マスター?」
「最後の予備躯体に不調ですか?」
「負荷の度外視した想い出の高速インストール……さらに自分を殺した記憶が拒絶反応を起こしているようだ……!」
「いかがなさいますか」
「無論、まかり通る! 歌女共が揃っている、この瞬間を逃すわけにはいかぬのだ!」
「もう止めよう、キャロルちゃん!」
「本懐を遂げようとしているのだ、今更止められるものか! 想い出も、何もかもを焼却してでも!」
「これが世界の分解だ!!」
「そんなことを!!」
「ふん、お前にアームドギアがあれば届いたかもな?」
「生きていたのか、ドクターウェル! 何をしている!?」
「シャトーのプログラムを書き換えているのさ。錬金術の工程は分解と解析、そして……!」
「機能を反転し、分解した世界を再構築するつもりなのか……!?」
「お願い、止めて! わたしとパパの邪魔をしないで!!」
「止めろぉぉーーーーー!」
「あ……あぁ……シャトーが……託された命題が……」
「チフォージュ・シャトーは大破し、万象黙示録の完成という未来は潰えた……ふふ……」
「ならば! 過去を捨て、今を蹂躙してくれる!!」
「奇跡とは、蔓延る病魔にも似た害悪だ。故にオレは殺すと誓った。だからオレは、奇跡を纏うモノだけには負けられんのだ!」
「奇跡を殺す……皆殺す! オレは奇跡の殺戮者にー!!」
暗転。
◇