フーガ 作:志須
キャロルの過去想像や、託された命題のエルキャロ二人にとっての顛末の想像などを交えながら、過去作『カノン』https://syosetu.org/novel/161102/とほぼ同じ結末へ至る内容になっていますが、叙述がエルフナイン視点であったり、AXZで加わった設定を踏まえたり、エルキャロのそれぞれの命題の認識など、カノンを書いたGX最終話放送直後時より深まった原作把握や考察を元に書いているので、その辺りの相違がわりと多めとなっています。
(拙作『クリスマス・ビフォア・アポカリプス』https://syosetu.org/novel/168313/、『レセ・ヴィヴレ』(R18)https://syosetu.org/novel/169818/等の過去作を若干継いでいますが、読んでいなくても内容は通じます)
(初出:2018/06/01)(他サイトと同時投稿です)
瑞々しい鮮やかな緑の野原に、柔らかな日差しが降り注いでいる。
欧州のどこかの山野の盆地なのだろう、空気は澄み渡っていて、どこまでも続く金貨のような丸い黄色の花の咲く野の向こうに、遥か遠くの山々までを見渡せる。
「パパ、どこまで行くの?」
「この先で採れるアルニムという薬草には高い薬効があるらしい。その成分を調べて流行り病を治す薬を作るんだ。……みてごらん」
「湖……わああ……!」
「パパはね、世界の全てを識りたいんだ」
「世界を?」
「人と人が分かり合うためにはとても大切なことなんだよ。さあ、もう少しだ。行こう……」
暗転。
暗い部屋の中を、キャロルは窓辺に歩み寄ってカーテンを開ける。
朝なのだろう清々しい日差しが部屋に満ちても、部屋の真ん中の大人二人が横になれる大きさのベッドの住人は、まったく起きる気配がない。
変わらず寝息を立てているその人にキャロルは業を煮やしたかのように、いつも一緒に寝ているだろうベッドに膝で上がると、その人の――パパの肩を揺すった。
「パパ、パパ!」
「んん、ああ、キャロル……キャロルか……」
「もう、やっと起きた。お薬作りが終わって、流行り病が収まった途端に朝寝坊なんだから」
「キャロル……」
パパは寝たままで上掛けの下から出した腕を、顔を覗き込んでるキャロルの頭に伸ばして、その金髪の小さな頭を存在を確かめるかのように、大切そうに撫でた。
「パパ?」
「……キャロルの夢を見ていたんだ」
「わたしの?」
頭を撫でられたことも、自分の夢を見たと言うことも、どちらも唐突だったのかキャロルは小首をかしげる。
「キャロルが一人ぼっちで泣いているんだ。パパの命題は何、何と言おうとしていたのって」
「パパの命題……?」
「だから手を伸ばして、僕の……いや、僕らに託され命題は、世界を識り、己を識り、人と人が分かり合うことなんだよ、って言ったらようやく顔を上げて、手を取ってくれたよ」
「ふうん……不思議な夢……。でも、」
不思議そうに想像を巡らせているふうだったキャロルの顔が、数回のまばたきの後、意識を現実に戻したきっぱりとした表情になる。
「現実の朝寝坊を、夢の話で誤魔化そうとしたってそうはいかないんだから。ちゃんと朝起きて、ちゃんと朝ご飯を食べて!」
「あはは、こいつは手厳しい」
「ふふっ、あははは……」
身体を起こしたパパと、朗らかに笑い合うキャロル。
世界の分解を目論んで生き永らえていた頃の、パパを喪った悲しみと恨みを熱く内包しながら冴え冷えた冷酷な質感と違って、パパと暮らしていた頃のキャロルの感情の質感は純粋で、こんなにも健やかであたたかい。
浮かぶ想いの情景には――想い出には、キャロルがいる。笑っている。
こんな風に、キミが笑う風景じゃなきゃ意味がない――二人でひとつになったこれから、想い出を紡いでいくのは。
それとも、想い出を燃やし尽くしてもなお、まだ世界を許せないでいるのだろうか。
どんなに深い想い出の、その奥が途絶えていようとも、まだ終わりじゃない。
諦めない。……諦めたくない。
(でも、時間が……)
左手首の内側を見る。腕時計に模した時計モジュールは、活動限界予想時刻まで残り十分ほどを示している。
これを過ぎれば身体と意識にどんな影響が生じるかわからない。
脳にダメージを負えば、Beatriceの使用は二度と不可とせざるを得なくなるかもしれない。
なにより、キャロルの身体を傷つけたくない。
(急がなくちゃ……でも……)
どうしたらキャロルの意識を見つけられるのだろう。
キャロルの姿はこうして目の前に見える。けれどこれはキャロルの想い出の断片からBeatriceが再現した過去の映像にすぎなく、こちらの声は届かない。
情景が焼け落ちていく。キャロルとパパの穏やかな時間の風景が、暗闇へと融けていくのを為す術無く見送る。
(キャロルに声が届けばいいのに……)
そう願ったことはこれが初めてではなかった。
もう、やめよう、と。先の事変のさなか、シャトーのエネルギー波の分解を再構築に転換するオペレーションを手助けした後、その少し前に身体に負っていた致命傷で朦朧とする意識のなか、祈るような気持ちでそう呟いた。
それは、キャロルに伝わった。
あの一時、超常能力の念話のように会話できていたのは、キャロルが感覚器官のジャックをし始めてこちらの声を拾ったからだろう。けれどこちらに超常能力としての錬金術を行使する能力はないのに、それまで感覚器官のジャックをしていなかっただろうキャロルに呼びかけが届いた偶然は、まるで祈りが通じたかのようだった。
情景が、暗闇のなかから浮かび上がる。再びキャロルの生家の、リビングの情景。
テーブルの土間側の定位置の席に座っているパパは、煤のついた服のままで、はぁ、と肩を落としてため息をつく。
「料理も錬金術もレシピ通りにすれば間違いないはずなんだけどなあ……どうしてママみたいにできないのか……」
「明日はわたしが作る。その方が絶対おいしいに決まってる!」
「コツでもあるのか?」
「ナイショ。秘密はパパが解き明かして? 錬金術師なんでしょ?」
「あははは……この命題は難題だ」
「問題が解けるまでわたしがずっとパパのご飯を作ってあげる。ふふっ、ふふふっ……」
キャロルの朗らかな笑い声と共に、情景が焼け落ちていく。再び暗闇の只中に一人になる。
今の情景は、いつかに夢でみたことのある想い出。たしか、オートスコアラーによって壊された響たちのギアの修復と改修を徹夜で行っていたさなか、寝落ちてしまったときに。
そのときにも思ったものだった。キャロルは何故、こちらに想い出を複製転写していたのだろう。
考えられる目的としては、失くしたくない想い出の万が一に備えた外部退避、廃棄躯体の精神情操の方向付け、他には――
(……感覚器官のジャック……?)
キャロルはこちらの感覚器官をジャックできた。そのことを知っている今なら、いくつかの可能性が思い浮かぶ。
別個体の感覚器官に接続するには、同じ素体から作られたホムンクルス同士であることの他に、同じ想い出を持っていることも条件だったからではないだろうか。
いま、覚醒前にキャロルによって複写された想い出に加えて、Beatriceによって複写されたかのようにキャロルの想い出の断片を追体験した。
感覚器官の接続に必要な錬金術の行使ができなくとも、同化してひとつの躯体となっていて、躯体を隔てていない今なら、こちらの声を意図して届けることができるのかもしれない。
また、これらのことは逆に、キャロルと身体も想い出も唯一近似している自分の他には、キャロルと出逢うことは望みが薄いことを示しているかもしれない。
「キャロル……」
語りかけるように、闇の果てへ名を呼ぶ。
――どこにいるの?
何からも、何処からも、応えはない。
けれども。
自分を取り巻く無限に広がる闇が、動いたような気がした。
(あ――)
闇が、遠のいていく。
背後から前方へと暗闇が流れていく。何も見えないはずなのに、たしかにそうと感じるものがある。
それは徐々に、だんだんと速く。
いや、違う。
闇が動いているのではなく。
(ボクが、闇の中へ、落ちている――!)
そう自覚した直後、暗闇が一気に晴れて、情景の中に投げ出された。
視界いっぱいに広がる、嵐のさなかのような暗く厚い雲の曇天。
身体は、視野の端に見える瓦礫と化してる地上へ向かってまっすぐに、背中から落下している。
上空では透き通った山吹色の翼を背負ったエクスドライブギア姿の響が、大破した獅子機から解け出た魔弦に絡みつかれながらも懸命にこちらへ手を伸ばしていた。
「キャロルちゃん! 手を取るんだ!」
口が、自分ではない声で叫ぶ。
「ふふふふ、お前の歌で救えるものか、誰も救えるものかよォオオ!」
(これは!?)
かつての、東京の中心地での、世界を壊す歌を口にするキャロルとの戦いの最終局面。
キャロルの放った攻撃性のエネルギーに伴う膨大なフォニックゲインを取り込んだ、装者六人のギアのエクスドライブの顕現――奇跡のかたちを見届けた後、自分はそれまでの失血と体力消耗で気を失ってしまっていた。
だからこれは、そのとき起きていた出来事の、キャロルの想い出の断片――
「それでも救う! 抜剣!!」
『ダインスレーイフ!!』
「うおおおおおーーー!」
響の叫びに同調するかのようにギアが禍々しい赤黒い焔を吹き出し、エクスドライブイグナイトモードへと変化し――
『キャロル!』
次の瞬間、キャロルに向かって自分が手を伸ばしていた。響の側で。
これはBeatriceの作り出した映像の第三者視点? キャロルの想い出? ギアに搭載したイグナイトモジュールに込めた、自分の想い?
異なる視点が瞬きの速さで明滅するようにオーバーラップする。
こちらに手を伸ばす、響に重なる自分の幻。
嘲りとも自嘲ともつかない不敵な笑みを意固地に浮かべて、自由落下に身を任せるのみのキャロル。
伸びてくる、伸ばされる、幻のパパの手。
――いつか、人と人がわかり合うことこそ、僕たちに与えられた命題なんだ。
――賢いキャロルにはわかるよね? そして、そのためにどうすればいいのかも……!
重なる、手を取りたい想い。
伸ばす、自分の手。
伸ばされる、キャロルの手。
「「パパあぁっ!!」」
手を掴み、掴まれた。
手を繋ぎ合った、そのとたん。
キャロルとの間から生まれた眩い真っ白な光に、何もかもが飲み込まれた。
◇
瞼の向こうの眩しさが徐々に引けて、光が弱まっていく気配がする。
ぎゅっとつぶっていた目をおそるおそる眇め開けていく。そして、やがて見えたものに、何度も瞬くことになった。
自分と同じ背格好に、膝上丈の緋色のワンピースに赤いパンプスの姿。
二の腕までを覆う黒い長手袋の腕の横で、重力に囚われていないかのようにたゆたう、背丈ほどに長い金の三つ編み。
キャロルが、目の前にいた。
こちらの右手は胸の高さでキャロルの右手を掴んでいて、キャロルもまた、こちらと同じように右手でこちらの右手を掴んでいる。
目の前の姿鏡に映る自分に手を差し伸べてその手に触れているかのようなこの状態は、先刻に見た情景の中から、手を繋ぎ合った瞬間を抜き出してきたかのようだった。
そして、触れている手には、感触がある。
こちらと同じように驚いたように瞼を瞬かせているキャロルの瞳はこちらの姿を捉えていて、想い出の情景の中のキャロルと違って明らかにこちらを認知している。
今度こそキャロルの意識だった。
この空間の、様々な色のにじみ混じり合う複雑なグラデーションのこの風景には、見覚えがある。
マリアを被験者として運用したときにも見た、夜空の星のように光る一つ一つは、おそらく想い出。
心象が描く風景ではないここは、きっと内的宇宙だった。
どうしてここにたどり着けたのだろう。どこかにいると堅く信じるキャロルへ向けて、祈るように強く願ったから?
要因はどうあれ、ようやくキャロルの意識を見つけ出すことができた。じいんとするものが溢れて、胸がいっぱいになる。
「キャロル……!」
繋げられた手は二度と離さない。離したくない。繋いでいる右手に左手も添えて、両手で包むように、キャロルの手を握った。
その拍子に、左手首の腕時計がなくなっているのに気が付いた。ここが心象の領域ではなく内的宇宙だからだろうか。
けれどそれにはかまわず、目の前のキャロルに話しかける。
「やっと、再び出逢えました……! キミに、もう一度逢いたかったんです」
気持ちが高ぶって上擦った声になってしまいながら言う。すると、キャロルは。
「……?」
「キャロル……?」
キャロルは、こちらを見詰めて不思議そうに、他意のない表情でぱちぱちと目を瞬かせるばかりだった。
致命傷を負って入院してるさなか、深夜の病室に現れたキャロルは、思い出を過度に焼却したために自分が何者であるかも分からなくなっていた。今のキャロルはそれを上回って、こちらの言葉が通じていない気配すらある。
「記憶障害……」
記憶には種類がある。
学びとった知識・言語に関する記憶と、体得した技能・運動感覚の記憶。それとそのどちらでもない、時空間に紐付いた個人体験の記憶が文字通りの“思い出”で、想い出の過度の焼却は体験の記憶を越えて記憶域への経路に至り、果ては自我を消失させる。
キャロルに言葉が通じていないのは、言語野と意識を紐付ける経路にまで焼却が及んで、こちらの言っていることが分からないからかもしれない。
焼却して失ってしまったのなら、その部分を再び補えばあるいは。
(想い出の複写……)
同じ脳領域に存在する意識同士、想い出を分け与えることができるかもしれない。
想い出は脳内の電気信号。
現実の世界では、個体と個体の間で想い出をやりとりするには、粘膜同士の接触を介して行っていた。
キャロルとは今は同じ脳領域に同時に存在している異なる意識同士、実体ではないけれどそれと遜色ない姿形と触感を伴っている。
キャロルの作る、素体を同じくするホムンクルス同士の同化の術は、キャロルにしかわからない秘術。けれど、あのときと同じ行為をすることで、想い出の複写が再現されると、直感的に確信するものがあった。
「キャロル……」
キャロルの左手を取って、左右の手同士を胸の高さで指を交わして重ね合わせる。
こちらが名前を呼んでも、言語能力を失っているキャロルにはきっと、音としてしか聞こえていない。その事実にずきりと胸が痛む。
何をされるのかもわかっていないだろうキャロルに、ゆっくり顔を近づけていく。
いつかの深夜の病室で行われたときとは逆に、こちらから。
唇をキャロルの唇に重ね合わせた。
色の違う互いの前髪が交じり合う距離の顔を少し傾けて、重なりを少し深める。
重なる唇の向こうへ、唇と歯列の割ってそっと舌を滑り込ませると、反射的に触れてくるキャロルの舌に、こちらも舌先で触れる。
知っているキャロルのことすべてを。
想い出を追体験して見知ったキャロルのことすべてを。
深夜の病室でのこと、あのときから今までのことを。
どうかすべて伝わりますように、と。祈り願う。
「ん、っ……」
キャロルの喉が鳴らされる。身動ぐ気配があって、どちらともなく自然と唇が離れた。
キャロルの顔を気遣わしく見守る。目の前で、閉じられていた瞼がゆっくりと開いていく。
蒼と菫の取り合わさった虹彩の瞳がこちらを捉えて、幼い唇がわななくように動かされた。
「エルフ、ナイン……?」
「キャロル……!」
こちらの名前をつぶやいた。それは、こちらが誰かを認識できたということ。想い出の複写ができて、言語能力も取り戻したということ。
直感の通りに想い出の複写ができた安堵と、遠隔の幻体越しに会話して以来ほんとうの意味での再会をようやく果たせたような感慨と、様々な思いとが胸にこみ上げてやまない。
けれどそんなこちらの一方で、キャロルは瞳に戻った意識の光をより強めて、驚きと困惑の相交ぜになった表情を顔に浮かべていた。
「どうして、オレを……」
「キミに、もう一度逢いたかったんです」
キャロルの視線を受け止めて、見つめ返しながらそう応えると、キャロルは視線を逸らせて、目を伏せがちにした。
「あのまま捨て置けば、いつかは消え果てたものを……」
どうしてという問いは答えを求めたのではなく、自分の意識を探し出して蘇らせたことそのものを、理解できないと言うために口にした言葉のようだった。
自分は消えるのが当然だと暗に言っているかのような物言いに、胸が切なくなる。
「……さっき、ボクの『想い出』をキミに複写しました。自分のことが分かりますか?」
言うと、キャロルは想い出を思い返しているのか伏せがちの目をかすかに彷徨わせて、そのあと目をきゅっと瞑った。
「オレはっ……」
顔をうつむき加減にして、どちらともなく解かれていた手がキャロルの両側でこぶしに結ばれる。
そして、苦しみを吐き出すように、呻くように、キャロルは言う。
「身を焼く憎悪の炎から救われようとして、血で血を洗い狂った汚れた醜悪だ……!」
全てが断片的で、霞がかったように輪郭が定まらない――深夜の病室に現れた、想い出を失ったキャロルは自分の状態をそう言っていた。
けれど今は、複写した想い出によって断片的だった想い出が補完されて、こちらが知らない想い出をも完全ではないにせよキャロルの意識には復元されたのかもしれない。
パパから託された命題の答えは世界の分解ではないと、キャロルは最初から分かっていながら、自他を偽っていた。
世界を識れというパパの遺した言葉を、世界を分解して解析することとしたのは、パパを喪った悲しみとパパを殺された憎しみ、託された命題の答えの見つからない苦しさのはけ口として、自己精神防衛のため幼い心がやまれず作り上げた論理だったのだろう。
キャロルの想い出の断片を追体験した今、そのことを知っている。
「ボクの考えたパパの命題の答えは、『赦し』……」
命題の答えは、自分にも分からなかった。そして自分の考えたこの答えは、合っていなかった。けれど命題のほんとうの答えのカタチを追い求めていたパパなら、自分たち父娘が受けた世界の仕打ちにはきっとそう言うだろう。
「たとえ世界の全てがキミを否定しても、キミ自身がキミを否定しても。ボクだけはキミを赦します」
「赦し……」
こちらを見遣ったキャロルは、苦悩を深めたかのように、眉根のひそみを深くする。
「オレの存在を赦すというのか。そんなことができるものか」
「キャロルのこの完璧以上に完成した躯体であれば、異なる電気信号の共存は可能です。キャロルの意識がこうして健在だったことがその証左です」
「だとして、オレを永らえさせることに何の意味がある」
「ボクたちの錬金術は、分解だけに留まるものではありません。そのあとの構築――世界と調和することが到達点です。壊れたものは直すことができるんです……離してしまった手は、もう一度繋ぎ直すことができるんです」
真意を推し量ろうとこちらを見つめてくるキャロルを、まっすぐに見つめ返して、言う。切なる想いを込めて。
「キャロル……さっき複写した想い出で、伝わったでしょうか。キミが呪いだったはずの歌から起こした小さな奇跡で知り得た、パパがボクたちに託したかった、ほんとうの命題……」
苦悩によってひそめられていた眉根がゆるめられて、悲しさを帯びた切なげな形に描き替わる。
キャロルは瞳を伏せて、顎引くようにこくりと浅く頷く。
「『人と人がわかり合うこと』……それが、パパが伝えたかった命題の答え、だったのだな……」
大破した碧の獅子機から切り離され、落下中のキャロルが見たあの情景。キャロルの見たパパの姿はきっと、極高のフォニックゲインが起こした超常現象。
生者の胸の内に宿る強い想いが、死者の魂を呼び寄せるなどといったことが、フォニックゲインが極大に高まった場では起こるのかもしれない。古来より存在する死者の霊の出現や、残留思念の具現化の逸話は、この現象も元なのではないだろうか。
“呪われた歌”の蒐集によって極高のフォニックゲインを練り上げたキャロルが、意図せず結果的に引き寄せた小さな奇跡。託された命題の答えは、それによってようやく知れた。
数百年を生き永らえた果てで、ほんとうの命題をようやく知ったというのに、想い出の過剰焼却の延焼で失くしてしまうなんて、あまりにやりきれなさすぎる。
世界から受けた理不尽をどうしても飲み下せなくて、苦しんだ挙げ句に起こした凶行とその結末の全ては、このため――教われなかったほんとうの命題を、キャロルが知るためにあったのかもしれない。
このために、自分は。いわば、キャロルにほんとうの命題を伝えるために、この世に生まれてきたのかもしれない――
「だが、世界がパパを拒絶したことは覆らない事実だ。それに、もう遅い……数え切れない罪を犯し、何もかも焼却してしまったオレには……」
苦しみが、眉根に刻まれる。
「復讐を命題の探求に仮託し、世界を拒絶したオレには、パパから託されたほんとうの命題を追い求める資格などない」
ふいに表情を緩めて、キャロルは自嘲のような笑みを浮かべる。
「オレには、罪の報いに燃え尽き果てて、この世から消え失せる定めがふさわしい。……お前の生だ。あとはお前が好きに生きろ」
言を締めた言葉は、深夜の病室を訪れた、想い出を失っていた頃に見えた、生来の善良さが覗く顔で紡がれた。
けれど、それに顔を左右にする。
「キミはもうひとりのボクで――」
「……オレは、もうひとりのお前」
応えてくれたキャロルに、頷く。
「キミの罪はボクの罪……」
世界の危険を知らしめようと、身の危険を顧みずにシャトーを脱出してS.O.N.G.へと飛び込んだのは、キャロルの世界を分解するという真意に気が付かず、姉妹の過ちを諌めることもできなかった罪を償うためだった。
けれど、償いはそれで十分ではない。
「命題を違えたことで犯した罪なら、託されたほんとうの命題の答えを求め続けることは、ボクたちの贖いでもあります」
かすかに目を見開いたキャロルに、伝える。
「ボクたちは二人でひとり。だから――行こう、一緒に」
手を取って。
「……どこまでも」
掴んだキャロルの右手を、胸の高さにして両手で包む。
「キミがボクの手を取って、消えゆくボクを掬い上げてくれたように。これがボクの正義だと信じて、キミの手を握ります」
この祈りが通じますようにと、触れている手に、ほんの少し力を籠もらせて握り締める。
「キャロル。二人でともに、世界を識ろう?」
キャロルはその蒼と菫の取り合わさった虹彩の瞳をかすかに震わせながら、こちらの目をじっと見つめてくる。
しばらくそうしていた後、やがて、ふと目を伏せがちにした。
そして、キャロルはこちらの手を――振りほどいた。
それから、突き飛ばすように肩を押し退けられた。
◇
本部潜水艦、資料保管庫。書架は、数は多くないけれど、さほど広くない部屋を最大限に活用するためか、どれも天井までの高さがある。
台車に載せている借りていた資料の本やファイルを元の位置に差し戻していると、出入り口の方から制服姿の友里がやってきたのが見えた。
「友里さん、来ていただいてすみません。ここにある資料が、踏み台を使っても元の位置に手が届かなくて……」
「待たせてしまってこちらこそごめんなさいね。もっと早く来られれば良かったんだけど、ちょっとキリが悪くて」
今日はこちらはお休みだけれど、友里は勤務日。勤務時間の定刻はもう過ぎているから、少し残業になっていたようだった。
「いえ、待ってなんて。まだ始めたばかりでしたので」
「それなら、残りも一緒に片付けるわね」
友里は分けて置いていた高所にしまう資料を小脇に抱えて踏み台に上がると、手慣れた手付きですいすいと書架にしまい始める。
友里はこちらから見えている限りでは発令所でオペレーターを担うことが多いようだけれど、命令あらば要人の付き添い、潜入捜査など装者と共に作戦現場に同行することもある。
S.O.N.G.の前身の組織は機密情報の処理をも担ってきたというから、職員に要求される能力は多岐に渡っているのだろう。
けれど現場での作戦行動以上に実務の比重を多く占めるのは書類仕事、ということはS.O.N.G.に協力するようになって今まで、ついこの間に提出した考察の報告書などで、徐々にだけれどその鱗片を垣間見ている。
S.O.N.G.職員にとって資料の出納などは現在の役職に至るまで、至った後も、誰でも否応ともなく培われる職能なのかもしれない。
手並みの鮮やかさに見とれかけるのを顔を振って自制して、こちらも手を動かして資料をしまっているうち、台車はあっという間に空になった。
「はい、これでおしまい」
「ありがとうございました、助かりました」
空になった台車を出口へ向かって押していると、後ろに続いていた友里が、ふと気付いたように言う。
「あら? エルフナインちゃん、その三つ編み……」
「はい、自分で結いましたっ」
後ろ頭の小さな三つ編みに触れながら友里を振り返る。
これまで自分一人で結ってみるものの上手くできなくて、結局は出勤してきた友里の手を借りていた。
友里が手伝わずにちゃんと結わえられていることは稀だから、目を引いたのだろう。
「得意の研究でこつを見つけたのかしら?」
「いえ、教えてもらったんです」
うれしかったその出来事を思い出して、つい顔がほころんでしまう。それを見てか、つられたかのように友里も微笑む。
「そう、良かったわね」
「はいっ」
資料保管庫を出て、鍵をかけ終えた友里におじぎをする。
「友里さん、遅くまでありがとうございました。ボクはラボに戻ります」
「ええ、また明日」
台車を押して、返すために備品置き場に向かう。
背中の向こうで、不思議そうにひとりごちる友里の声が聞こえた。
「でも髪を後ろで三つ編みしてる人、うちにいたかしら?」
◇
お休みの日が終わっていく。夕食と入浴を済ませて自室でくつろいでいると、日付が変わる時刻まではもうあと数時間。
先の事変の事後処理が収束してからは、事変の勃発する前のようにまた時折お休みをいただくようにしている。
勤務日では、研究事案があると緊急でなくても根を詰めてしまいがちなのが、近頃はちゃんと定時に上がってきちんと休んでいるようなので安心したと、友里と藤尭から言われるようになった。
実際、床につく時間が以前よりも少し早くなってることを、自覚している。
ベッドに入って、明かりを消す。……最後の日課をこなすために。
目を閉じてしばらくすると、ふわっと身体が軽くなる。暗転の後に見えるのは、在りし日のチフォージュ・シャトーの玉座の間。
歯車の透けて見える透明な床に、若葉色のバレエシューズのつまさきから着地する。かかとがついた後、浮遊感がなくなっていくのにつれて、裾に緑の平行ラインが入った白いワンピースの膨らみも収まっていく。
裾が落ち着いた頃、降り立ったホールの真ん中からいつも通りに玉座への階段へと向かう。
階段を上がった先の最上段の玉座には――緋色のワンピースに黒い長手袋をはめた、軽装姿のキャロルが座っている。
うたた寝から目覚めるかのように、うつむき加減だった顔と、下ろされていた瞼とがゆっくりと上って、蒼と菫の取り合わさった瞳が玉座の前に立つこちらを捉えた。
「キャロル……」
肘掛けに置かれたキャロルの左手に、右手を重ねる。
そうして、半身を前に傾けて、キャロルに顔を寄せていく。
顔の間の距離がさらに縮まると、キャロルの瞼が再び下ろされていき、こちらも目を閉じて、そのほんの少し後。
唇に受ける、柔らかな感触。
触れ合っているそれに舌先でかすめるように触れると、それは薄く開いて、くぐる許しをこちらに与えてくれているかのよう。
そうっと舌先を差し出すと、すぐのところでキャロルのに触れる。
一定の接触面積を取るために、擦り合わせるようにそっと触れ合わせ始めた。
「ん、……」
感覚に慣れないのか、キャロルはこのときいつも声を篭もらせるように喉を鳴らして、身体を少し強張らせる。
そうしてしばらくの間、お互いに触れ合わせあった後、そっと舌を戻して、唇を離して身体を引いた。
黒い長手袋のこぶしを唇にあてながら、キャロルが言う。
「……口頭で語って聞かせればいいものを」
「一言では伝えられないですから」
わかっているだろうに言わずにはいられないのか、眉根を少し寄せて恨みがましいような視線を向けてくるキャロルが、なんだかいじらしくてつい微笑んでしまう。
日々の日課になっている、今日その日の想い出の複写を終えた。
「今日、三つ編みを一人で結ってみたんです。ちゃんとできていたでしょうか?」
結い終わってから鏡に映して見てみたところ、自分ではちゃんとできているようには見えた。
キャロルの目がふと遠くなる。複写された想い出を、思い返しているのだろう。
「……まあ、問題なかろう」
「キャロルに教えてもらったおかげです。ありがとう、キャロル」
「……、もうひとりのオレだというなら、そのくらい出来てもらわねば困る」
目を逸らされる。ことさらに作ってみせたような気難しそうな顔で。
つくった三つ編みをキャロルに直接見せることはできない。なぜならこちらの今の姿は、緑がかってくすんだ銀のような色合いの、髪の短い廃棄躯体の姿だから。
ここは二つの意識のより合わせによって構築された心象の風景。
キャロルと自分は、キャロルの躯体に同化したとはいえ、お互いに異なる存在という認識があるためか、キャロルは長い金の三つ編みを垂らした緋色のワンピース姿で、こちらは意識が生まれたときの身体である廃棄躯体で、白いワンピースを着た姿で現れていた。
なぜチフォージュ・シャトーなのかをいえば、キャロルと自分とが共に長く居た場所といえばここだったから、心象に描かれる風景として想起されやすいからなのだろう。
歯車の回る重い音が遠く低くかすかに聞こえるシャトーの広間の空気感といい、別個体として存在していたときと遜色ない五感といい、二つの自我が認識を持ち寄って構築した心象の空間となると、再現性に富むのは当然かもしれない。
改修したBeatriceによってキャロルに再び出逢えてから、一週間が経っていた。
仮想脳領域で出逢えたキャロルに、手を振り払われて突き飛ばすように押し退けられあの後。キャロルとの間が不可思議に離れ、手を伸ばしたり駆け戻る間もなく急激に遠のいていって、遠く小さくなったキャロルの姿がグラデーションの空に融け消えた頃、意識が急速に浮上して現実のラボで目を覚ました。
リクライニングさせた座席の隣では、Beatriceが警告音を鳴らし始めたところだった。使用予定時間が超過したときに聴覚の刺激によって目覚められるよう、また周囲に異常を知らせて処置をお願いできるように、念のために備えていた仕組みだけれど、キャロルはなんらかの感覚で時間の超過と脳へのダメージの危険を察して、目覚めさせて助けてくれたのかもしれなかった。
今は、脳にダメージを負う危険のあるBeatriceを介さずとも、キャロルの元へ逢いに行ける。
眠りに就いた後、願えばこうして二人の心象が撚り合わされて風景が作られ、対面がかなうようになったからだけれど、これはキャロルの意識の側の誘導もなければきっとできることではないと思う。
そうして毎日キャロルに逢って、その日の想い出を複写している。
パパから託された命題は、学術知識や論理、超常の能力だけでは解き明かせない。
”ヒト”ではなく”人”の間に横たわるもの、またそれを取り巻く“世界”とが解き明かす命題なのだから、世界とそこに生きる人びとの営みを眺めることは命題解明に欠かせない根拠基盤。
日々の想い出の複写はそのためにだけれど、キャロルはそれを拒まない。
それは、パパから託されたほんとうの命題、“人と人がわかり合うこと”を追い求めることに異論はないということの現れなのだろうと思っている。
けれどキャロルは、パパを奪った人びとと、その末裔が取り保つ世界とに対する不信感は未だ拭えないようだった。
いずれ消え果ててしまうかもしれなかったほど希薄だったキャロルの意識は、想い出の複写によって補填され、意識の――電気信号の強度を取り戻した今、躯体の主導を交代してかつてのように自分自身として世界に接することができるはず。そのことはキャロルにとっては容易に推察がつくことだろうのに、それをしようとしないのは、世界に対してわだかまるものがまだあるからなのだろう。
想い出の中で追体験した、幼少の頃のキャロル。本来のキャロルは、パパ思いで賢い、善良な女の子だった。
その心根はパパを奪った世界を恨み、自分を偽った後も失われていず、想い出を過剰焼却して憎しみに彩られた記憶をすべて失ったとき、パパの言葉を“大切なこと”だとして忘れてしまったことを悔やんだりするなどで、顕わになっていた。
死にゆこうとしていたこちらの命を同化によって掬い上げたのは、きっとその善良な心根ゆえだったのだと思う。
「それはそうと」
ふと、何かに気が付いた風に、キャロルが話を転じる。
「想い出の複写など、日を空けてまとめて行うこともできるだろう。毎日眠るごとにオレの元に来て複写する必要など、ないのではないか?」
「ボクがキャロルと会ってお話したいんです。だめですか?」
「っ……」
キャロルは言葉を詰まらせて、また目を逸してしまった。
世界を識ること。それは、パパから託された命題。
その想い出を、これから紡いでいきたい。キャロルと一緒に。
人類に課せられた宿命――バラルの呪詛。相互不理解。
世界を識り、己を識れば、人と人はきっと分かり合える。
分かり合えるようになりたい。なれるだろうか?
それを目指したい。キャロルと一緒に。
日々をこの世界で生きて、その想い出をキャロルと分かち合う。
その様はまるで一定節遅れて同じ旋律をとる輪唱のよう――フーガを奏でながら、二人でともに、世界を識る。
「……好きにしろ。が、加減は自分で付けろ。さもないと、いつかのようにまた寝坊をするぞ」
「はうぅ、気をつけます……」
ふたりを分かつ、その日まで。
お読みいただき、ありがとうございました。
そんなわけで今作はエルフナインがキャロルに再び出逢う話であると同時に、“ぼくのかんがえたキャロルちゃんのかこ”な話でもありました。
“キャロルは子供の時分にホムンクルス化していて大人になったことがない”説で書きましたが、キャロルの過去は様々に考えられ、様々に想像していて、その内の一つを書く機会を持てて良かったです。書くのが楽しかったです。
以下あとがきのみですが、長いですのでご注意を。
想い出という自分そのものを焼却し尽くして、いわば自分自身と引き換えに、意図せず忌み嫌った奇跡を起こしてまでようやく託された命題を知ったのに、過剰焼却でそれすらも忘れてしまうキャロルがやるせなくて、私にはそれが心にずっとひっかかりっぱなしです。
キャロルは復讐の炎で全ての想い出を燃やし尽くしたことで苦しみから解放され救われたのだ、という感想に私はGX最終話放送当時から頷きかねています。
キャロルは父親を理不尽に殺されたという欠落を負わされたわけですが、欠落してる箇所そのものを取り除くことは、欠落を解決することとは違います。
問題そのものを除去するということは、問題を解決してはいない。あった事実はなかったことにならない。
キャロルは想い出をほぼ全て焼却することで苦しみはなくなったかもしれませんが、それは目隠ししたようなもので、救われてはいないと思うのです。
救いが何かは本人が決めることであって他者が断定できるものではないのですが、本編描写での言動や思考から察するに、父親を殺された悲しみと無念を晴したい一心で数百年を生き永らえてきたキャロルにとっての救いは欠落を満たすこと、父親を取り戻すこと以外にないように思えます。
しかし死者は蘇らないので、欠落を真に満たす=救われることはありません。
そこがキャロルというキャラの悲劇性なのではと思います。
悲劇はそのままかわいそうと愛でるのが悲劇作品のスタンダードな鑑賞の仕方かもしれませんが、問題そのものを取り除くことで悲劇を作るという手法に乱暴な印象が否めないという多少の反発感があることもあり、キャロルの先行きを想像するならここは問題を取り戻し、問題を乗り越える方向性で考えたいと思いました。
想い出を欠落したまま=自分自身が分からないほど記憶を失っているという状態は問題そのものを除去してるに等しいです。
父親を殺された以外に託された命題が分からなかったこともキャロルを凶行に走らせた主要因だと思うので、“人と人が分かり合うこと”という命題を知り得てそれをもって、父親を理不尽に殺された事実、人類の相互不理解という問題にもう一度真正面から向き合い、エルフナインというもうひとりの自分とともに、救いを自ら見出す第二の人生が、問題を除去される悲劇のままで終わらない場合のキャロルという少女の顛末にふさわしいのではと思ったので、GX放送終了後時点でもAXZ放送終了時点でも、本編後のキャロルの先行きを描く二次創作は今作のような、キャロルが意識を取り戻す内容になりました。
キャロルはマムやウェル博士のように明確な死亡が描かれていません。
私はぐうの音もでないほど納得行く経緯と背景がないならキャロルの再登場はしないでほしいと願っていますが、逆に言えば納得行く経緯と背景があるなら、原作で起こる何かを楽しみにせざるを得ません。
ここまでお読みいただき、重ねてお礼申し上げます。
その他よもやま話はブログ(http://sizu1885.blog.fc2.com/blog-entry-47.html)にて。