彼が手に入れた新型V R(バーチャルリアリティ)デバイスと新作VR MMO。両者の組み合わせは圧倒的なゲーム体験を生み出した。彼はゲームを楽しくプレイする。しかしある日、それは彼に訪れた。そのとき彼は、どうするのか――。

※恋愛小説ではありません。読後感は悪いです。
※「小説家になろう」にも同一作品を投稿しております。

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なにかが燃え尽きるとき

 自室に入るなり、俺はカバンをベッドの上に放り出した。壁の時計に目をやる。平日のこんなに早い時間に帰宅するのはひさしぶりだった。

 

「よし」

 

 俺は独り言をつぶやいて、机の上の黒い、ゴーグル型の端末を手に取った。

 

 V R(バーチャルリアリティ)ヘッドギア。

 

 昨年発売されたそれは、従来のVR端末とは一線を画した性能だった。

 ほぼ全視界をカバーする光学系と骨伝導型を併用したサラウンド音響。以前からいろいろと似たような端末を試してはいたが、それらとはまるで別物で――ラノベに出てくるような脳直結型の端末は夢また夢とはいえ、それに近づいたことは間違いなかった。

 

 (なか)ば無意識のうちに、俺は椅子に深く腰掛けて端末を装着していた。グローブ一体型のコントローラを手探りで、それでもまったく迷わずに身に着ける。

 両手を軽く打ち合わせると、暗かった視界が、ぱっと開けた。

 

 青く広がる空、どこまでも続く雲海。それらを背景にゆっくりと現れる見慣れたロゴ。凝った書体で描かれた「Black Dale Online」の文字だ。

 

 ヘッドギアと同時発売されたVR M M O (多人数参加型オンライン)RPG、「ブラックデールオンライン」。略称BDO。このゲームもよくできていた。

 リアリティとアニメ調の中間を狙ったような3Dモデルは万人受けしたし、システムはオーソドックスなソーシャルRPGそのものだ。

 

 あえて奇をてらわずにVR対応だけに注力したのが良かったのだろう。BDOは発売以来、ずっとランキング上位にいた。

 

 空中にロード中のインジケータが伸びて、BGMが期待を盛り上げる――はずなのだが、俺はどこか()めた感覚でそれを見ていた。

 

 俺の体は――キャラクタの体は、やがて街の広場に実体化した。わっと喧騒(けんそう)が耳をつく。

 始まりの街は、いつも通り賑やかだった。

 

 俺はゆっくりと首を振りさらに視線を左右させる。

 

 コンシューマ向けでは最高峰のVR。それでも今日は、やけにラグ(遅延)が気になった。細かい部分――建物の影やキャラクタの表情、服のひだ、地面の凹凸に(ほこり)――のディテールが、つぶれて見えた。

 当然、匂いはない。

 

 世界はピクセルで構成されていた。

 

 いつもなら最前線の街へ向かうために転送門にダッシュするのだが、その気になれなかった。

 俺はゆっくりと街を歩いた。

 

        ・

 

 兆候(ちょうこう)は、あった。

 

 前回のイベントでは、オフラインの忙しさを理由にろくにプレイせず、ランキング報酬を取り逃していた。それに気づいてもたいした後悔は沸かなかった。

 

 廃課金といえるほど課金もしていない。廃人と呼ばれるほどプレイ時間も(つい)やしていない。それでも多少の金額とそれなりの時間を使ってプレイして、新コンテンツが追加されればすぐに攻略に加わり、イベントのランキングでは上位に食い込んでいた。レベルだって上から5%に入るだろう。

 

 ただ、今までのプレイで得られたものはそれだけだった。

 

 昨晩、スマホのアプリで友人と会話し、彼が期間限定のガチャで当てた話を聞いた――自分は爆死していた――せいかもしれなかった。

 

 初心者丸出し装備のP C(プレイヤーキャラクタ)やファンタジー世界の町人風のN P C(ノンプレイヤーキャラクタ)に交じりながら街を歩く。

 俺のクラスはファイターで、いわゆるアタッカー職だ。タンクほどではないが大ぶりの長剣と金属鎧は、PCの視線を引いた。

 

 なんとなくメニューを開いて、所持品を確認する。

 初心者プレイヤーなら喉から手が出るほど欲しい武器や防具、アイテムが並んでいた。でも、だからどうだというのか。

 

 ふと我に返ることは、ゲーマーなら一度や二度はあると思う。あれだけ血眼(ちまなこ)になったアイテムもクエストもレベルも、結局、デジタルデータでしかない、と。

 

 いままで他のゲームでもあったことだ。VRの目新しさもあって、BDOはずいぶん長続きした。それでも、そろそろいったん離れたほうがいいのかもしれない。

 BDOを止めるのか、ゲームそのものを止めるのか、それとも新イベントでも開催されたらいそいそと戻ってくるのか――それはわからないにしても。

 

        ・

 

 電子音がして、視界の片隅にアイコンが点滅した。メッセージの着信だった。

 

『珍しいな、こんな時間に。新フィールドを攻略中だぜ』

 

 ギルドのメンバーからだ。

 

『すまん、今日はすぐ落ちるんだ』

 

 それだけ返信してメッセージウィンドウを閉じる。

 

 オフではなくBDOで生まれた人間関係。それも面倒(くさ)さに一役買っていた。一緒にプレイすれば楽しいし、ときどきは真剣な相談をしたりもする。ただ関係が長くなれば、そのぶんしがらみも生まれるのは仕方なかった。

 

 ふと、ロゴと同じ書体の看板が目に留まる。「Adventurer's Inn(冒険者の宿)」、最初の酒場だ。

 発売直後にはよく利用したが、先の街に進んでからは一度も来たことがない。すこしの懐かしさに、俺はスイングドアを開けてなかに入った。

 

 いくつものテーブル席、その奥にはカウンター、窓に向かって並ぶ一人掛けのスツール席など、酒場というよりカフェといった(おもむき)だ。

 デザイナーも力を入れたのだろう、凝った装飾の燭台(しょくだい)(の3Dモデル)が随所に輝き、フロアは磨き上げられた木(のテクスチャ)、窓の向こうには街の中心を流れる川(フラクタルで現実感抜群)が広がっていた。

 

 ホールにはPC、NPCが入り混じり、ひどい騒がしさだった。

 

 そして俺の驚いたことに、背の低いPCがうろうろしていた。それも種族としてのホビット族やドワーフではなくて――歓声を上げながら、ところ構わず走り回るのをみると、本当に子供のプレイヤーが操作しているらしい。

 

 そういえば、と思い出す。

 VRの光学系が改善されて成長期の視覚に与える悪影響がなくなったこと、情操(じょうそう)教育の面からは従来型よりもVRゲームが望ましいという説があることから、VRシステム一式(いっしき)を買い与える親もいるらしい。

 

 今までは攻略メインでかつ夜間にプレイしていたので、低年齢プレイヤーに出会わなかったのだろう。平日ならではの光景というわけだ。

 

 だからといってBDOをプレイさせるのは、無茶だと思うが――たしかに全年齢向けだが、キャラクタが死ぬことだってある――子供だけでは街の外に出られないなど、なにかシステム的な制約があるのかもしれなかった。

 

 俺は設定画面を呼び出して聴覚を「会話相手のみ」に限定した。「俺向けではない」とシステムが判断した声の音量が、ぐっと抑えられる。このあたりは現実世界にない便利さだった。

 

 ここに来たときいつも座っていたスツール席は、空いていた。

 俺はこの世界のコーヒーに相当するアイテム(わずかにHPとMPが回復する)をNPCの店員から買い、そこに座った。

 こんなことをしても体は自室の椅子の上だ。本当ならヘッドギアを外して本物のコーヒーを飲みに行ったほうがいいはずだ。

 

 それでもなぜか、精神的に落ち着くことは事実で――醒め始めたいまでも、それは変わらなかった。

 似たように感じるプレイヤーは多いらしくて、スツール席もテーブル席もPCでほとんど埋まっていた。

 

        ・

 

 俺は最初に「死んだ」ときの衝撃を思い出す。それはもう、ひどいものだった。

 運営は偶然だと否定しているが、プレイ中に亡くなったプレイヤーも何人かいるらしい。

 

 体にはなにも影響はないはずなのに、深々と刺さったモンスターの剣からは冷たさが内臓に染み込んできた。ないはずの痛みが、じんじんと波打った。

 俺は大声で叫びながらヘッドギアをもぎ取った。

 鼓動が落ち着くまで、たっぷり十分はかかったと思う。

 

 しかし、それは昔のことだ。

 今は「死」も日常茶飯事、ただしできれば避けたいこと(なにしろ復活には金がかかる)になっていた。

 

 半分ほどコーヒー的なものを飲んで(飲むコマンドを入力して)顔をあげる。

 

 窓の向こうには青く流れる川と、そこに掛かる木の橋が見えた。川の反対側に街の半分があり、市壁の向こうには緑の草原が、地平線に青くかすむ山々までつながっていた。

 気に入っていた眺めで、まるで()()()()()()()()だ。

 

 ――その言葉は俺の心境を端的に(あらわ)していた。

 

 俺は、ここにいるのではなかった。観客席から、見ているようだった。

 

 BDOは色あせていた。

 

 このままログアウトしてアカウントを消そうか。そうすればもうBDOには戻れない。レベル1からやり直す気力は、さすがにない。

 どうせなら、ここにいるPCに全財産をぱーっと配るのもいいかもしれない。

 残念ながら石はすべて、この前のガチャで使ってしまったが。

 

 それとも、いままで決してやろうとしなかったことを試そうか。――たとえば、PCに襲い掛かるとか。いわゆるP K(プレイヤーキル)だ。

 相手はそう、左隣にいるプリーストらしい男でもいい。

 

 ただ、街のなかでPCを攻撃したら、衛兵(ガード)がどこからともなく現れて俺は瞬殺される。いや、今のレベルなら二、三ラウンドは持つかもしれない。でもシステム的に決して勝つことはできず、そのあとは牢獄(ろうごく)行きだ。

 

 どうせなら逃げ回ることのできる、街の外、フィールドのほうがいいだろう。

 

 BDOは決してP K(プレイヤーキラー)には甘くない。犯罪者認定されたら街へは入れず、入ったら牢獄へ。解除するにはアライメント修正のための気の遠くなるようなクエストをこなさなければならない。

 

 とはいえ、アカウントを消すよりは回復の手段があるだけマシで――俺はそんな逃げ道を探す自分が、ますます嫌になった。

 

        ・

 

「隣、よろしいですか」

 

 右側から女性の声がして、俺は物思いから覚めた。

 湯気の上がるカップを手にしたひとりのPCが、こちらに微笑んでいた。装備からして他の大勢と同じくプレイを始めたばかりだろう。

 

 それにしても――ゲームのなかで相席を確認されたのは初めてだ。

 

「どうぞ」

 

 俺はうなずいてみせる。彼女はお辞儀をして、まだすこし操作に不慣れなのだろう、ゆっくりと椅子に座った。

 ただそれはぎこちなさではなくて、どこか上品さを感じさせた。

 

 彼女はコーヒーを飲み、ふうっと息を吐いた。

 

 おそらく俺と同じファイターだろう。初期装備の皮の鎧、皮の盾。武器はダガーから短剣に変わっている。レベルはおそらく3か4くらいで――ゲームが面白くなってくるころだ。

 

 俺がそこまで読み取ったところで、彼女はこちらを向いた。ごく自然なようすで(モーションキャプチャ技術の賜物(たまもの)だ)彼女は首をかしげる。

 

「あの、プレイヤーの方ですか?」

「ええ、そうですけど」

 

 ワールドマップを見ればPC名で一目瞭然(いちもくりょうぜん)だが、そこまで気が回らないのだろう。

 

「すみません。あまり見かけない装備なので、衛兵さんかもと思って」

「いや、違いますよ」

 

 俺が笑ってみせると、彼女も安心したように続けた。

 

「失礼ですけど、かなりレベル、高いですよね?」

「まあ、90は超えてます」

 

 嫌味にならないよう、口調に気を付ける。

 

「すごいですね。でも、どうしてこんなところへ?」

 

 彼女は純粋な興味、といった雰囲気で聞いた。

 俺は一瞬、言葉に詰まる。

 

「昔を思い出して、かな」

 

 なんとかそういうと、彼女はうなずいた。

 

「なんだか……格好いいですね。歴戦の勇者、って感じで。私なんか、もう街やダンジョンを歩くだけでドキドキなのに」

「VRは、初めて?」

「ええ。これでもほかのゲーム、すこしは遊んでるんですけど」

「やっぱりVRは違うから……無理もないと思うよ」

 

 すこしだけ、俺も最初のワクワクを思い出していた。

 

「そういえば……西の洞窟には行った?」

「ええ、行きました! 洞窟の中に青い湖。それに滝! 本当に素敵ですよね」

「うん、あれこそVRならでは、だよね」

 

 街からすぐの洞窟。地底なのになぜか青く輝く水面が広がっていて、無数の鍾乳石が立ち並び、周囲からは無数の滝が注いでいるのだ。序盤の見どころのひとつだった。

 

「でも、コボルドが無限に沸いてきて大変だったでしょ」

 

 俺は記憶をたどって話す。スポーンのタイミングのせいか、いつの間にかあたりを囲まれて苦戦したものだ。

 

「えっ、それはなかった、かな……。何人か倒したら宝箱が出て、静かになって……」

「それじゃ、修正が入ったんだ。あそこ、景色はきれいだけど初見殺(しょけんごろ)しだったから」

「そうなんですね」

「このへんのダンジョン、ひと回りしても面白いかもしれないな。いろいろ変わってそうだし」

「なんだか、里帰りした勇者みたい」

 

 彼女はくすくすと笑った。

 その声に、俺はつい口に出す。

 

「もしよかったら、パーティを組んで案内しようか。俺となら、相当先まで進んでも大丈夫だと思う」

「本当ですか? あっ、でも……」

 

 彼女の視線が動いた。時刻を確認したのだろう。

 

「ごめんなさい、もうすこししたら落ちないと」

「あ、そうなんだ」

 

 わずかに戻ってきたこの世界への興味が、また消えていく。

 

 彼女の言葉が本当なのか、それとも誰かと一緒に遊ぶ約束をしているのか、それはわからないが――後者のほうが可能性は高いだろう。そんな気がした。

 

「故郷に戻った勇者、というのは正しいのかもしれないな」

 

 俺は彼女に言うともなく、ささやいた。ただゲームシステムは会話が続いていると判断して、しっかりとそれを伝えた。

 

「それって、どういう意味ですか?」

 

 彼女が言った。素直に思ったことを口にしただけなのだろう。それがあまりにも自然で、俺は無防備に答えていた。

 

「……ちょっと疲れたのかな。しばらく休むか……いっそのこと引退しようかって思ってる」

 

 誰かに話したかったのかもしれなかった。

 

「引退、ですか」

 

 戸惑ったようすの彼女。無理もない。俺はあわてて付け加える。

 

「いや、ちょっとリアルが忙しくてさ。……あ、そうだ、よかったら」

 

 そういいながら俺はコマンドを操作した。全財産の一割ほど、それでも駆け出しプレイヤーにとってはかなりの金額のゲーム内通貨を、俺は差し出した。

 金銭譲渡のウインドウが開く。

 

「もらってくれないかな。これもなにかの縁だし」

「いえ、こんな大金、受け取れません、見ず知らずの人から」

 

 彼女はそういって首を振る。

 

「ゲームを始めたばかりなのに、辛気臭(しんきくさ)い話を聞かせちゃったお()びだと思って。ごめん、水を差しちゃって」

「いえ、それは大丈夫ですけど。本当にいいんですか」

「うん、しばらく遊べないし……あとで返してくれてもいいよ」

 

 俺にとってはたいした金額ではないし、そもそももう、価値のないものだ。

 彼女はうなずいた。

 

「わかりました、そういうことなら。次にお会いしたときにはお返しします」

「うん、それで気がすむなら」

 

 彼女が操作すると効果音が鳴り、譲渡ウィンドウが閉じた。

 

「ありがとうございました。たぶん、かなり楽になると思います」

「うん、それなら嬉しいな。あ、装備を整えたとしても、無理して先に進まないでね。レベルが上がってからにしないと」

「そうですね。装備に頼ると危ないのは、わかります」

「あと、PKにも気を付けて。序盤は、ほとんどいないはずだけど、万一(まんいち)もあるし」

 

 さっきまでPKを考えていた人間がなにを言うのか、と思ったが、それでも俺は付け加えた。場違いに豪華な装備は人目を引く。

 

「ええ、わかりました。ありがとうございました」

 

 彼女は椅子から立ち上がり、俺にお辞儀をした。

 ログアウト操作をしたのだろう、次の瞬間、彼女のキャラクタは輝く光の粒になって消えた。

 

 彼女のキャラクタ名を俺はしっかりと記憶した。

 

 彼女のいた席には空のカップがしばらく置かれていたが、オブジェクトの寿命が切れるとともにそれも消え失せた。

 

 俺もコーヒーを飲み終えて席を立った。

 ふとカップを握りしめる。警告音と同時にウインドウが表示された。赤い文字は、こう告げていた。

 

「他者の所有するアイテムにダメージを与えると、犯罪者として認定されます。それでもよろしいですか?」

 

 衛兵からの牢獄行きコースだ。俺は馬鹿馬鹿しくなってカップを置いた。

 

        ・

 

 酒場を出て橋を渡り、街の門に向かう。俺は、さきほど話に出た西の洞窟に行くことにした。

 

 フィールドは午後の遅い時間だった。BDOの一日はリアルとは連動しておらず、四倍ほど早く、つまり六時間ほどで流れる。夜間限定のクエストなどもあるためだろう。

 

 さわさわと草が揺れる。草原を渡る風は心地よい――のかもしれないが、ヘッドギアでは感じられなかった。

 スライムなどの雑魚(ざこ)モンスターを倒しながら草原、そして森のなかの抜けていく。

 西の洞窟まではあっという間だった。こんなに近かったのかと驚くほどで、まるで――ひさしぶりに小学校のあたりを散歩したら、行動範囲が想像以上に狭かったときのようだった。

 

 嬉しいことに洞窟のなかは記憶の通りだった。

 彼女の話していたようにコボルドは数体で現れなくなった。宝箱は放置する。

 

 PCは、いなかった。風光明媚(ふうこうめいび)とはいえ特になにかが稼げるわけでもない。クエストアイテムを得るために(さきほどの宝箱のなかにあるはずだ)立ち寄るのが関の山の場所だ。

 無数の水の流れが注ぐ下層の地底湖の前で、俺はひとりしばらく耳を澄ませた。

 

 背後から気配がして、俺は身構える。会話モードはフィールドに出たときに解除されていた。

 VRで気配というのもおかしな話だが、たしかに俺はそれを感じられた。視界の微妙な揺らぎや環境音に混じるかすかな金属音や足音を自然にとらえているのだろう。

 

 果たして数人連れのパーティが通路から現れた。

 

「うおっ、モンスター?」

 

 俺に気づいたひとりが大げさに驚いた。

 

「馬鹿、PCだよ。マップ見ればわかるだろ」

 

 パーティは会話しながら湖へと歩いてくる。

 

「すっげーな、この湖。超リアルじゃん」

「だろ? 滅茶苦茶よくできてるよな」

「でもさ、コボルドは?」

 

 俺は視線を感じる。

 

「なんだよ、スポーンまで待たなくちゃか」

「しょうがねえな」

 

 目当てのモンスターが他のプレイヤーに倒される、というのはよくあることだ。だから彼らもそこまで気にしていないだろう。

 ただ、高レベルプレイヤーがどうしてここに、という雰囲気は、感じた。

 

 彼らをPKしてから永遠にログアウトしようか。そんな考えを、俺はもてあそんだ。

 

 ただいくら彼らが低レベルとはいえ、この人数だと返り討ちにあうのが――彼らがしっかりPK対策をしていれば――予想できた。

 

 代わりに俺は、所持品ウィンドウから彼女に渡したのと同じくらいの通貨を取り出して、床にばらまいた

 

「すまないね、これで許してくれる?」

 

 彼らが色めき立つのがわかった。

 

「まじかよ」

「あざーっす」

 

 彼らの声を背中に、俺は敏捷力の許す限りの速さで洞窟の外へ向かった。

 

        ・

 

 フィールドの日は暮れていた。暗い森は月の光も差さない。

 俺はあえて明かりをつけずに通常速度で街のほうへ向かった。

 

 あらわれた数匹のオオコウモリ(ジャイアントバット)が襲ってきたが、俺は一切、ダメージを受けなかった。

 しばらく一緒に歩いたが、だんだんと数が増える。さすがにうるさくなり剣戟(けんげき)スキルを発動した。コウモリたちは一瞬で砕け散った。

 

 もう、なにもかもがどうでもよかった。

 

 前方が明るくなってきた。森が切れる直前で、俺は道の脇、ひときわ大きな樹の影に入った。

 

 次に通りがかったキャラクタ――PCでもモンスターでもいい。それを倒してから、ログアウトしよう。

 

 ワールドマップを非表示にして会話モードを設定した。これでPCが近づいてきてもモンスターと区別がつかない。

 

 そして隠蔽(いんぺい)スキルを発動し、待った。

 

 どれくらい経っただろう。俺はいつの間にかヘッドギアのなかで目を閉じていた。それでも鍛えられた聴覚はなにかをとらえた。

 彼らが戻ってくるだろう。そう考えていたのだが、予想は外れた。

 

 街のほうからだ。ごく少人数。ひとりか、ふたり。

 俺は剣を握りしめた。

 道に影が伸びて、俺はいつものように、間合いぎりぎり、攻撃コマンドを入れる。

 

 キャラクタが地面を蹴った。

 ばっと土煙(つちけむり)が舞い、体が道へと飛び出す。

 追加効果のエフェクトともに剣が風を切り、横なぎに相手に迫った。エフェクトの光が相手の顔を照らし、その瞬間、俺は知った。

 

 BDOでは、いったん発動した攻撃はキャンセルできない。

 

 後悔とも諦めとも快感ともつかない感情の高ぶりが、俺を襲った。

 剣は、彼女の体を切り裂く代わりに、なにかに当たったような金属音を立ててはじき返された。

 

「他のPCを攻撃すると犯罪者として認定されます。それでもよろしいですか?」

 

 警告ウィンドウだった。

 

 いまさらどうしろというんだ。

 

 迷ったのは刹那(せつな)だった。俺は「はい」を選択した。途端にステータスウィンドウのキャラクタ名が赤に変わった。

 

 あらためて剣を構えて対峙(たいじ)する。

 

「えっ、どうして……」

 

 目を見開き、彼女がささやいた。

 

「俺は勇者なんかじゃない」

 

 吐き捨てるように言う。彼女は硬直が解けたように、ぶるっと身震いをした。装備は店売りの最高級品に変わっていた。

 

 彼女は逃げ出すようすもなく、不思議と落ち着いていた。

 

「ごめんなさい」

 

 彼女が武器を替えるのがわかった。長剣から、片手に収まるような金属製の武器へ。俺も持っている。「守護天使の(いかづち)」だ。

 封じられた魔力で超強力な魔法光弾(マジックミサイル)を発射する、一度だけの使い捨て武器。火薬のないBDOの世界で最も銃に近いアイテムだ。

 先制攻撃のアビリティに、敏捷力への大幅ボーナス。そして対人専用。運営の用意したPK対策のひとつだ。だから、PKには相手の不意を打つことが必須だった。

 

 どうやら彼女は、しっかり準備をしてきたらしい。俺の金で。

 ここで倒れるのも悪くない。

 

 しかし――PKをするなんて奴は、頭が狂っているとしか思えない。だから存在そのものがごくわずかだ。もしかしたら。

 

 次の瞬間、彼女の手元からまばゆい光がほとばしった。

 

 俺は無意識に、使い慣れたスキル、神速の邀撃(ラピッド・インターセプト)を放っていた。相手の攻撃を()らしカウンターアタックを掛けるスキルだ。

 

 俺の体は沈みこみ、かわりに剣が、光弾の進路へ強引に割り込んでいく。

 刀身が光弾と交錯しギリギリと甲高い音を立てた。右手に鈍い衝撃が伝わる。

 

 やはり無理か。

 

 そう思った瞬間、光弾はわずかに進路を変えて飛び去り、俺の髪の毛を何本か蒸発させた。

 

 レベル差と、プレイ経験の差が、「守護天使の雷」のボーナスを上回ったのだ。

 

 やった、と思う間もなく俺の右手は自動的に動き続ける。俺の剣は店売りの金属鎧をものともせず、彼女の体に吸い込まれた。

 

 彼女の顔が、今度こそ驚きに満ちた。

 HPゲージが一瞬でゼロになる。

 

 彼女の体は無数の三角形のオブジェクトに砕けた。

 ログアウトともモンスターが死ぬときとも違うエフェクトで、きらきらと輝きながら、オブジェクトは消えていった。

 

 俺はしばらく、そのまま立ち尽くした。

 

 いろいろな思いが渦巻いたが、それらはまるで意味を持たなかった。

 

 やがて最初に意識に(のぼ)ったのは、死亡エフェクトなんかに()らなくてもいいのにな、ということだった。どうせ誰も見やしないのだ。

 

 地面には無数のアイテムが散らばっていた。

 彼女は最初の街の教会で(よみがえ)ることになる。痛い経験だが、きっと銀行には預金があるだろう。

 

 俺にとってのBDOは、いま、終わった。

 

 俺はアイテムをそのままにして、ログアウトするためにメニューを開いた。

 

「えいへいさん?」

 

 俺はびくりと体を痙攣(けいれん)させた。ゆっくりと声のほうに体を向ける。

 不思議そうな顔をした女の子がひとり、俺を見つめていた。

 

「おねえちゃん、どこに行ったか、知ってる?」

 

 俺はごくりと(つば)を飲み込み、右手の剣を強く握りしめた。

 

 

 

 








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