雌蕊   作:沖黍州


原作:know
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本作品は、野﨑まど『know』の二次創作です。

サークル「かきまぜぼう」様から発刊される合同誌に掲載予定の一部です。

2章以降は公開予定のない試し読み部分ですので、悪しからずご承知おき下さい。

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雌蕊

世界を曲げ門を闢くとき

百八の正と悪が対峙する

 

 

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 たぶん、これはいけないことなんだ。

 

「またなんだぁ……」

 冬の朝、京都メトロの列車が東山駅を通過し、三条京阪を向かうあたりで、予想と違わずそれはやってきた。

 人口密度が高まって、情報素子の超微弱電磁波が相互に攪乱されて干渉しあい、ノイズが共鳴して情報空間に穴が開く一瞬。公共の敵(パブリック・エネミー)は、そのような社会の脆弱な部分を群れをなして探し、広め、共有する。そして、《クラス1》の男が人混みを利用して、クラス2のわたしの臀部をさすろうとしている。卑猥な思いを抱いている。

「今年に入って、何回目だっけ。痴漢」

 ごくありふれた京都の日常だった。

 痴漢は、超情報化社会において爆発的に拡散していて、超情報化社会の出発点である日本から全世界に拡散してしまった流行だ。

 この圧倒的な格差社会では、適切な年齢に達していることと、犯罪歴が無いことを条件に、官能に関するあらゆるデータが情報格(クラス)に応じて開示されている。ついこの間、公民の時間に若い社会科の先生が若干顔を赤らめて説明していた(うるさい生徒がきゃーきゃー騒いだ)が、「政府は、生殖に関する情報は憲法第25条で保障されるべき最低限度の文化という答弁を……云々」というように、わたしたちの社会は官能を生殖という生物的単語に落とし込んで、卑猥なものを最低限度の文化という生存権としてクラス0にも付与されるべきものと定義づけている。

 政府は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利の中に、猥褻な情報を閲覧することも含めている。社会の秩序維持に、最低限の猥褻さは必要だと公共が判断した。

 そのような猥褻さに満ち足りた今の京都で、何故、この男はわたしの臀部に触れようとしているのか。リスクを取って、わざわざ卑劣な行為に出ようとしているのか。

 それは、性的なことがごくごく個人的(パーソナル)なもので、肉質的なものだからだろう。

 どれだけ情報格(クラス)が高くても、得られる情報は生存権で保障された最低限度の文化であり、それは何かといえば、政府が保証した教育的ポルノと、オープンソースでしかない。教育ポルノは過激になればなるほど、また閲覧すればするほど、社会的点数が下がり、情報格(クラス)が下がりやすくなる仕組みになっている。なんとも、くっだらない。私も――ごくまれに教育的ポルノを見るけれども、あんな決まりきった男女の規則的動作が私の身体を励起して熱くすることはなかった。管理されたヒメゴト? ばっかばかしい。秘め事は隠されているから秘め事なのだ。

 だから、みな、個人の裸(オープンソース)に惹かれる。

 共有情報に平坦化された、記号のような官能素ではない。(カケ)ル君(サッカー部の人気者。クラス1)が走って散らす汗、(ミツ)ル君(理知的で爽やかな柔和な子。クラス1)の隠れた野性が発揮される剣道の畳、そういう自分の身近な、知っている人の所作から性的な感傷は発生する。

 わたしも使っているけれど――言い訳をしながら告白すれば、(カケ)ル君が怪我をした(タエ)コちゃんをおぶって保健室に連れて行くシーンは、同学級(クラス)の女の子から既に何千回アクセスされたか分からないほど学級の友達(クラスメイト)の道具にされている。汗ばんだ筋肉質な身体、体育服を通して伝わるほてった熱感、流れて滴る汗……「わたしがそこにいたら!」という願望を叶えるかのように、個人情報の防御力の低い翔ル君と妙コちゃんのおんぶシーンは、(タエ)コには悪いけれども、彼女の個性がタグごと剥ぎ取られ、加工され、(カケ)ル君にまつわる共有妄想劇として中学生の好奇心に晒されている。

 知っている人の仕草は、とても性的なのだ。

 この痴漢も、「わたし」という子を狙っているのだろう。既にわたしが痴漢を認知してから五回目の遭遇だ。きっと、誰でもいいわけじゃない。「わたし」を狙った犯行に間違いない。わたしの息遣い、熱、うぶ毛の感触、身体の曲線、痴漢が五感で切り取った私のそんなあれこれに触れるということが、今の痴漢にとってとんでもなく甘美なのだ。わたしに触れたい、壊したい、そんな(よこしま)な感情が想起されて、嫌悪感がこみ上げる。

 要は、この男は、最低限度の猥褻さで満足できず、公共空間にはない「わたしを汚すシーン」を手に入れようとしている。手に触れて、ダウンロードできない肉欲を奪おうとしている。

 いくら個人情報のセキュリティを高めても、痴漢のように身体に直接触れることは防ぎようがない。肉質的な官能は、情報社会において犯罪の養分だ。

「うえぇ」

 その気味の悪さに、吐き気がする。

 だから、わたしはわたしの物理的情報が手で触れられ(よご)される()()に、この男に社会的制裁を加えることにした。

 情報空間のセキュリティホールを突いて、痴漢がわたしのふとももに触れようとしたとき、わたしは周囲に攻撃的な情報発信をした。隣で経済面のニュースを眺める中年の会社員、子どもをあやしている乳母、わたしと同じように学生服を着て、おめかししている女の子。同じ車中にいる人のすべての啓示視界をハッキングし、わたしの視線を闖入(Drop)させた。

 たった一秒。しかし、決定的な一秒だ。

 車中の全員の目が、私の目になる。

 みなが、痴漢の手を見た。それぞれの啓示視界を通して。

 その一秒後、

みなが、痴漢を見た。自分自身の視界を通して。

 車内全員に振り向かれ、ぎょっとした痴漢の表情を前に、わたしは勝ち誇ったように宣言する。

「きゃあぁぁ、この人、痴漢です」

 いくばくか演技がかかっていた科白(せりふ)かもしれない。だが、わたしの心配を余所に、啓示視界と己の視界が一致したこの瞬間、車内全員がわたしの味方になり、性犯罪の現場の証人となった。全員のアクティビティログは即座に警察に開示され、動かぬ証拠として痴漢男を社会的に抹殺する道具となる。

 三条京阪駅の警察に突き出し、ほんの僅か警察官に時間を貸して、わたしは痴漢が二度と手を触れられぬプライベートな時間へ歩き出す。

 

 

 あーあ。またやっちゃった。

 たぶん、いけないことだったんだろうな。

 

 

 ここまで、すべて計算ずくだった。

 遊びだった。

 警察もそろそろ怪訝に思う頃かもしれないな――なぜ、京都メトロの痴漢は大沢・詠ウ(あの女の子)を狙うのか?

 


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