今夜は月が紅い夜。霧の湖の中心に聳える館の主によって幻想郷は紅く染め上げられていた。
館の一室にて1人の従者が呟いた。
「そういえば、あの時の月もこんな風に紅かったわねーーーー
幻想郷の遥か西にある地、言語も文化も違う場所に1人の少女がいた。
少女は金髪碧眼の美少女で、気立てが良く、なんでも器用にこなすので皆から親しまれ、誰からも好かれていた。
ある日、少女は隣町へ買い物に出かけた。
隣町へは崖があるが、一本道であるため、少女にとっては通い慣れた道であった。
その道を歩いていると、ふと妙な影が映った。不思議に思い、上を見上げてみると、眼前には馬車が一台収まるほどの大岩が迫っていた。
少女は瞬時に状況を理解し、そして自分はもう助からないことを悟った。
ーーああ、私はここで死ぬのかーー
少女は静かに目を閉じた。聡明であった少女は死の間際にも冷静であった。はずだった。
人は死ぬ寸前に自らの人生を走馬灯のように思い出すという。少女にもそれが起こったのだろうか。一瞬の逡巡の後少女の脳裏によぎったのは
ーー死にたくない。
だが一体私に何ができるというのだろう。そんな未練は打ち捨てて楽になればいい。充実した楽しい人生だったではないか。さっさと諦めーー
妙だ。おかしい。いくらなんでも長すぎる。いつまでたっても岩が落ちてこない。
彼女は目を見開き、そして愕然とした。
ーー岩が止まっている。
自分の目の前、鼻先数十センチのところで完全に停止している。いや、岩だけではない。周りの石も動きを止めている。風も吹かず、音も聞こえない。
一体何が起きているのか彼女は理解できなかったが、とにかく岩の下から抜け出すことを優先し、駆け出した。
十メートルほど走ったところで背後から轟音が響いた。振り返ると地面が抉れている。
いましがた起きたことが白昼夢ではないこと、自分がかろうじて助かったことを理解すると全身から汗が噴き出した。
結局その日は隣町の衛兵に落石を伝え、買い物を済ませて別のルートから帰路についた。
その夜、彼女に異変が起きた。
眠りに就こうとすると頭が痛い。頭を殴られたような痛みが走る。
その日は一睡もできなかった。
痛みは次の日も、その次の日も続いた。
両親は心配し医者に診せたが、特に異常は見つけられなかった。
碌に眠れない日々が続き、彼女の髪からは金色が抜けていき、刺すような白銀の色に、透き通るような蒼い眼は時折赤みを帯びるようになっていた。
周りの人々は彼女を気味悪がり、彼女は次第に孤立していった。
彼女を気にかける者は両親だけだった。
ある朝、彼女が目を覚ますと、外が騒がしい。窓から外を見ると、衛兵らしき者達が家を取り囲んでいる。両親が必死で説得しているのが見える。
ーーああ、ついに来たのか。私のような異質な者は魔女として処刑されるのだろう。身体に異変が起きた時から覚悟していたことだ。今更驚きはしない。
家から出ると、周囲が一層騒然とする。私は縋り泣く両親の脇を通り過ぎ、衛兵の前に立った。
衛兵は彼女の予想通り、魔女として彼女を連行する旨を告げた。
彼女は黙って従う。後ろで両親の怒号が聞こえるが止まらない。振り返ってしまえば、二人も罰せられてしまう。
切れた唇から血が伝う。
地下牢に入れられてどれくらい経っただろうか。変わりばえのしない景色は時間の感覚を奪っていく。
牢の扉が開いた。いつもは小窓から食事が運ばれるのみで扉が開くことはない。
とうとう処刑されるのかーーー
彼女は黙って看守に従う。
だが、告げられた言葉は彼女の想像を外れていた。
曰く、街の外れに吸血鬼と思しき一味が館を構えたらしい。討伐に向かった兵士は一人を残して全滅したという。命からがら逃げ帰った兵士は、吸血鬼からの言伝を伝えた。
「この街で魔女と呼ばれている者をさしだせ。そうすればお前達には手を出さないでおこう。期限は次に月が満ちる夜だ」
伝言を伝えた兵士はその後三日三晩悪夢にうなされ続け、食事もとらず衰弱死した。死体を調べると、血が一滴残らず抜かれていたという。
彼女は思った。
これはチャンスだと。
彼女は長い地下牢での生活で時間を操る能力をある程度操れるようになっていたーーそのせいで時間の感覚が曖昧になっていたようだがーー退屈しのぎにやっていたことだが、この能力があれば逃げることができる。
処刑場に直行であればどうすることもできなかったが、一度外に出るのならばチャンスはある。幸い、兵達に能力のことは知られていない。手枷をつけられているが、時間を止めればどうとでもなる。
思考を巡らせていると、衛兵に背中を押されて馬車に乗せられた。
馬車の中から外は見えない。入り口には外から鍵がかけられているが、どうということはない。
時を止めるというのは、詰まる所無質量での超光速移動だ。質量が無いのであれば、何物も彼女に干渉することはできない。
そして、馬車がしばらく進み、監獄から十分離れた辺りで彼女は能力を使った。いや、正確には使おうとした。だが。
能力は不発だった。普段なら彼女が念じれば時間が止まり、馬車の進む音が聞こえなくなるはずなのだが、一向に止まる気配はない。
一体これはどういうことだ?まさか突然能力が失われたとでもいうのか?もしくは能力を看破されていて、なんらかの形で妨害されているのかーー
少女はパニックになりそうな感情を必死に抑え思考を巡らせる。
能力が使えなければどうすることもできない。どうすればーーー
そうしているうちに馬車が止まった。が、能力によるものではない。目的の場所に着いたのだ。
ああ、これが私の運命なのか。この能力が発現したせいで人に忌み嫌われ、折角利用してやろうと思っても肝心な時に使えない。これならばあの時落石で何も考えず死んでいた方が楽だったのではないか。
馬車の扉が開き、兵士に館まで連れて行かれる。外はすっかり日が落ち、満月が煌々と輝いていた。
「ようこそおいでくださいました。お嬢様がお待ちです」
見慣れない格好をした女性が扉の前で出迎える。読めない文字の書かれた帽子を被り、腰まで伸びた赤髪と全身緑色の服という妙な格好である。が、女性が発するただならぬ気配から誰もそれを指摘はしない。
館の中は異様な雰囲気であった。血を思わせるようなほどの真っ赤な装飾で彩られ、廊下だけでも家数軒分の広さであった。
赤髪の女性に従って館を進むと、一つの扉の前に来た。扉の装飾の仰々しさとその向こうから感じられる異質な気配からこの扉の向こうに吸血鬼がいるのだと分かる。
女性がノックをすると、中から扉が開かれる。
中は途方もないほどの広さであった。天窓から月明かりが差し込む。
「夜は月明かりの中で寛ぐのがお嬢様の日課なのです。昼は日光が入らないように閉じていますが」
中には三人の少女がいた。三人とも見た目は若く、否、幼く見える。だが、少女達から発せられる気配はどんな頑強な男でも気圧されてしまうようなものだった。
「お前が魔女と呼ばれる者か?」
主と思しき少女が尋ねる。青い髪をした美しい容姿であるが、背中の羽が人間ではないことを物語っていた。
「レミィ、彼女は正確には魔女ではないわ」
紫の髪をした少女が言う。彼女もまた人間ではないのだろう。
「そんなことはどうでもいい、彼奴がここに来ることは決められた運命なのだからな。とはいえ、余計な者も混じっているな。私の運命に間違いがあってはいけない。フランドール」
瞬間、私の側にいた兵士達の首から上が弾けた。血飛沫が舞い、顔が血で赤く染まる。
「あははははは!人間ってなんて脆いんでしょう!大丈夫!貴方達の血は私が全部貰ってあげるわ!」
色とりどりの羽をした少女が叫ぶ。
血で染まった私の目は景色をより一層紅く映していた。さっきまで光輝いていた月は赤黒く、不気味な雰囲気を醸し出している。
「さて、綺麗になったところで挨拶といこうか、私はレミリア・スカーレット、この館の主であり誇り高き吸血鬼の末裔だ。こちらは我が妹、フランドール・スカーレットと朋友のパチュリー・ノーレッジだ。貴様の名前は…どうでも良いな。単刀直入に言おう。今宵貴様を招いたのは我が下僕としてこの館に迎え入れる為だ」
月明かりに照らされた少女は傲慢かつ妖艶な口調でそう告げた。
思考が止まる。理解できない。今、なんと言った?私が?下僕に?吸血鬼の?私は生贄として殺されるのではないのか?分からない、一体どういう風の吹きまわしだ。
ただでさえ限界に近い思考は、突拍子もない言葉を受け入れられない。
「嫌とは言わせんぞ。貴様は私の従僕となる。これは定められた運命なのだ」
「…なぜ、私を?」
私はやっとの思いで言葉を発した。
「なに、時間を操る能力を持つ者がいると知り、興味が湧いたのだ」
私は愕然とした。何故今日初めて会ったばかりの少女が私の能力について知っているのか?
「何故、私の能力を…?」
「私には運命を操る能力がある。その能力で時間の歪みを感知し、根源を辿ってきたわけだ。ここに来る途中、能力が使えなかったろう?あれも私の運命操作によるものだ。途中で逃げられてはかなわんからな。お前は必ずここへ来る。そういう運命だったのだ」
なんと強大な能力だろうか。私の能力が通じないばかりか、時間を止めたことさえも感知されるとは。いや、重要なのはそこではない。
私は人間だ。だが、異能を手にしたことによって既に人間の世界では生きられなくなってしまった。この吸血鬼が私を必要とするのであれば、この人ならぬ者たちの中で過ごすのも悪くないかもしれない。
「分かりました。私は二度死んだ身です。であれば、もはや人の中では生きられない。吸血鬼の僕として生きるのも一興でしょう」
吸血鬼の少女、レミリア・スカーレットは満足気に頷く。
「よし、ならば死んだお前に新たな名を与え、我が下僕として生きることを許そう。今宵は満月だからな、十六夜咲夜という名前はどうだ?」
十六夜咲夜ーー十六の一つ前の夜すなわち十五夜、月が満ちる夜であるーー
「有難き名前ですわ」
人間の世界で生きた名を捨て、人ならぬ者の中で生きるにはこれ以上なく相応しい名前だ。私は心からそう思った。
ーーーー紅き月の夜、あの日とはうってかわって館の中が騒々しい。どうやら、この異変を終わらせる者が来たようだ。
目の前には自由に舞う美しき紅白の蝶。
あの日忠誠を誓った主の為に。私の能力を以って侵入者を排除する。
「あなたはお嬢様には会えない。それこそ、時間を止めてでも時間稼ぎができるから」
ものを書くというのは初めてでしたが、なかなか大変ですね。文字数はそんなに多くないのに脳みそを使い果たしてしまいました。糖分が欲しい。さて、最後まで読んでくださった方々(いるかなぁ?)ありがとうございます。咲夜さんは私が東方にハマった時から好きなキャラクターで、この思いを誰かに伝えたい、というのが一番の動機でした。創作自体初めてでしたが、なんとか形にすることができました。ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございます。ではまた。