獣人少女を救った話   作:風神莉亜

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四本目。皆様の感想のおかげで書けてます。


蜘蛛の目は何を見るか

「お、お父さん! 庭に、庭にぃ!」

「ん」

 

 とある昼下がり。部屋のベッドで寝転んで微睡んでいると、何やら慌てた様子のシルクの声が聞こえてきた。目を開くと、丁度シルクが空中からふわりと身体の上に着地するところだった。

 身体を起こして抱き止めると、シルクは何やらあわあわとしながら窓の外を指差している。目まぐるしく変わる瞳の色から、どうやら相当混乱というか、興奮というか、とにかく気が昂っているようだ。

 わかったわかったとその名を現すような髪を撫で、窓の外へと目を向ける。何か彼女が怖がるようなものがあっただろうか、とぼんやり眺め。

 

「……あぁ、そういえばそうか」

 

 二本の木の間で何やらハンモックらしき糸に揺られるアラクネの姿を見て、納得する。此方の視線に気付いたらしい彼女は、ひらひらとその手を振っていた。

 

 

 

 

 

 

「ハーイ。何か用?」

「いいや、特に俺は何も無いんだが」

「アラクネ……蜘蛛……天敵……」

「――あぁ、そゆこと」

 

 自分の背後で震えているシルクを見て、その複眼を細めたアラクネの女性――リリアナは、丸い糸の塊から何かを啜りながら笑う。大きさはおおよそ人の頭程度だ。

 

「確かにアタシ達蜘蛛は何だって食べるけどねぇ」

「……因みにそれは?」

「お化けリンゴだけど?」

「何故わざわざ糸を巻くんだ……」

「習性よ。別にからかおうとしてるわけじゃないのよ?」

 

 少しいたずらっぽい笑みで、長い舌で唇を舐めるリリアナ。

 因みにお化けリンゴとは、単に巨大なだけのリンゴだ。ひとつの果樹に一個しか実らないリッチな果物だが、ある程度のところで収穫してやらないと果樹の方が枯れてしまうという手加減を知らないリンゴである。そこまで育てたお化けリンゴは王様リンゴに名前が変わり、目出度い日に振る舞われる名物果物となる。

 

 ……まぁそんなことはどうでもいいのだ。

 

 チロチロと糸の下にいるであろう果実を舌で弄びながら、ニコニコと言うにはちょっぴり邪悪な笑顔を見せるリリアナ。この手の笑顔は知っている。自分の行動が他人にどう影響するかを知った上でからかいにくる存在は良く知っている。

 その存在――仲間の治癒魔術のエキスパートであった彼……と言えばいいのか、彼女と言えばいいのか。その小悪魔な笑みを思い出して頭を抱えた。

 

「そもそも、人なんて補食してたら討伐対象でしょう? 何でも食べれるからって、悪食なわけじゃないの」

「だ、そうだけど」

「す、すいません……頭じゃわかってても、身体が」

「それこそ仕方無いじゃない? 本能はわかっていても変えられない。……貴方達人間くらいよ、天敵への恐れが無いのはね」

 

 怖がらせてごめんなさいね、とハンモックから降りた彼女は、その糸で出来たハンモックを回収すると、此方に向き直る。

 

「……とはいえ、見る度に怖がられるのもアレだし。要するにこの見た目が悪いわけよね」

「いや、そのぅ……」

「遠慮しなくていいわよ。他の亜人や人間からどう見られてるかなんて知ってるし」

 

 腕を組んで溜め息をつくリリアナ。

 彼女はルミナスやシルクと違い、身体の節々に蜘蛛のパーツが多く見られる。

 そもそも下半身は完全に蜘蛛そのものであるし、複数の目や鋭く尖る牙などの特徴から見る者の恐怖を煽ることが多いのだろう。彼女に限らず、アラクネは皆似たり寄ったりの悩みがありそうだ。

 

 が、目の前の彼女は一味違ったようだ。

 

「仕方無い。少し窮屈だけど」

 

 溜め息をついたリリアナは、一瞬だけ六つの瞳を妖しく光らせた。途端に顔を出した魔力の気配に何をするのか理解して、へぇと短く声を出す。瞬間に、彼女の身体が糸に包まれた。

 

「……こんなものか。どう?」

「驚いた。ただのアラクネじゃなかったのか」

「あら、それは少し無用心じゃない?」

 

 瞬きをした瞬間に、身体を包んでいた糸が消える。そこに立っていたのは、どこからどう見ても妙齢の女性であった。長い手足にメリハリのついた身体。真っ赤であった瞳も人間のものに変わり、銀にも思える細い髪が風に靡いている。

 

「アタシの遠いご先祖様がサキュバスだったらしくてね。隔世遺伝、とか言ったっけ?」

「……そんなポンポンいるようなものでも無いんだがな」

「類は共を呼ぶって言うじゃない?」

「返す言葉もないな」

 

 ケラケラ笑うリリアナ。何となく、アラクネにしては魔力の流れがおかしいとは思っていたが、まさかサキュバスの隔世遺伝……この場合は先祖返りとでも呼ぶのか。とにかく、サキュバス自体がこちらでは目にする機会の無い存在である。珍しいこともあったものだ。

 

「……というか、普通もっと警戒するものじゃない? サキュバスよ? 魔族よ? その気になればおかしなことだって出来る程度には力もあるんだけど」

「そう言う奴は大抵実行に移さないものだ。それに、何かするなら既に事を起こしてるはずだが」

「……そ。ま、今はそういうことにしといてあげる」

 

 どこか妖艶さを振り撒きながら、リリアナは言う。……どうやら、言葉の裏に隠された考えを見透かされたようである。一瞬だけ昔の感覚を思い出し、頭が切り替わりそうになって――止めた。

 そんな自分の様子を興味深そうに観察していたらしいリリアナも、不意に視線をその背後にあるシルクへと向ける。

 

「どう? これならいくらかマシでしょう?」

「……はい。ですが、ちょっと別な意味で……」

「この姿だと魔族寄りになるからかしら。妖精族とは相性悪いわよねぇ……流石に勘弁してもらうしか」

「いいえ。むしろ私のせいで無理をさせてしまって……」

「無理って程じゃないから平気よ。街に入る時とかはこの姿じゃなきゃいけないし」

「だからです。……自分の正体が受け入れられない辛さは、私も知っていますから。それを貴方にさせてしまうのは、とても……心が苦しいです」

 

 酷く申し訳なさそうに俯くシルクに、リリアナはキョトンとした顔をする。しかし直ぐに眉尻を下げて、ポンポンと彼女の頭を撫でた。

 

「どうしようもない良い子ちゃんねぇ。でもありがと。本当にアタシは平気だから」

「……でも」

「いいのよ。そもそも、アタシは自分の身体に何一つ不満は無いの。恐れるのも怖がるのも、他所で好き勝手言えばいい。他人の評価なんてくそくらえってね」

 

 最後に多少乱暴にぐしゃぐしゃと強く撫でてから、リリアナは背中を向けて歩き出す。シルクは、その背中に視線を向けたまま呆気に取られているようだ。

 自分を受け入れられなかった彼女には、ある種真逆とも言える彼女の言葉と生きざまが衝撃的だったのかも知れない。

 と、そこでぐいと右腕が前方に引っ張られる。見れば、いつの間にかそこには糸が絡み付いており。その糸はリリアナの手へと繋がっている。

 

「付き合いなさい。せっかくこの姿になったんだから、ちょっと買い物したいの」

「……はぁ。わかったから引っ張るな。シルク、ルミナスに少し出てくると言っておいてくれるかい?」

「は、はい。いってらっしゃい」

「うん。行ってきます……だから引っ張るなと言うのに」

 

 ぐいぐい引っ張られるままに、なんとかシルクに言伝てを頼んでから歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「で? 買い物は口実なんだろう?」

「え?」

「ん?」

 

 家から大分離れたところで此方から切り出すと、キョトンとした顔でリリアナが見返してきた。あれ、何か話があるから連れ出したのだと思っていたのだが。

 

「んー……そうねぇ。聞きたいことは沢山あるけど、別にいいかな。代わりに貴方の質問には答えてあげるわよ。警戒されっぱなしは疲れるから」

「警戒、とまではいかないんだが……」

「あはは。これでもそれなりに場数は踏んできたの。貴方には及ばなくてもそれくらいはわかるわよ」

 

 ケタケタ笑う彼女。

 

「貴方がアタシをあそこにいるのを良しとするなら、それはその気になればいつでもアタシを排除出来るから。違う?」

「……腹芸は無駄か」

「そうそう。別に生娘でもあるまいし、そうそう傷付いたりしないから」

 

 だから思ってること言っちゃいなさいよ、と軽くリリアナは言う。軽く息を吐いてから、そうさせてもらおうかと口を開いた。

 

「最初に言わせて貰うと、別に俺は君を危険だとか考えている訳じゃない。じゃなきゃ、庭に巣なんて作らせないし」

「そこが不思議なのよねぇ。あ、やっぱりアタシからも質問していい?」

「どうぞお好きに」

 

 てくてくと歩きながら言葉を交わす。

 ……なんだか新鮮な気分だ。ある意味、等身大の自分で喋れているからかも知れない。そう考えると、家にいるメンバーの中ではリリアナは貴重な存在なのかも。

 そんなことを考えながら彼女の横顔を眺めていると、彼女は恐らく、わざと目だけをアラクネのものに戻した。赤い六つ目がこちらを見つめてくる。

 

「普通に考えて、アラクネはともかく、サキュバスって魔族よ? 正体を明かした今、充分にアタシは危険な存在だと思うんだけど」

「俺はそもそも種族でモノを考えない事にしてるんだ。過去にそれで痛い目も見てきたから」

 

 味方だと思っていた人間に背中から切られ、敵だと考えていた魔族に助けられ命を繋いだ。他にも似たようなことは沢山あった。なればこそ、種族というくくりでモノを考えるのは迂闊だろう。善も悪も全ては個人の抱えるもの。自分以外は全て敵になり得る存在であり、良き隣人となる可能性も秘めている。

 

「そのおかしな(まじな)いも、痛い目にあった結果?」

「さて、どうだったかな」

 

 あえて否定はせず、適当にはぐらかす。やはり魔族にははっきりわかってしまうらしい。当然か、これは彼女と同じ、魔族から受けたものである。他の魔族には強く香る(・・)ようにしたと言っていたし。

 

「ふうん……。今の人間ってそういうもの?」

「いいや。昔程じゃないとはいえ、今でも魔族に対する人間の見方は厳しいだろう。俺みたいな奴は少数派さ」

「でしょうね。はーぁ、アラクネってだけでおかしな目で見られるのに。生きづらいったらないわねぇ。あ、街の近くまで脚だけでも出していいかしら」

「どうぞお好きに。やっぱり辛いものなのか」

「感覚で言えば、身体の中に押し込んでるようなものだから……まぁ、やっぱり窮屈よね」

 

 言いながら、背中の辺りから八本の脚を解放するリリアナ。調子を確かめるように身体の前でその尖った先を擦り合わせる彼女は、ひとつ大きく伸びをした。同時に脚も全て伸びている。長い脚が伸ばされることで、まるで鳥が翼を広げたように彼女の存在が大きく感じられる。

 

「その状態だと背中から出るんだな」

「背中というか、脇腹ね。場所的にここしか出すところ無いし」

「別の場所からでも出せるのか?」

「多少の調整は出来るけど、全く別の場所は無理よ。糸も出せないし、不便なのよねぇ」

「サキュバスとしての力は使えるんだろう?」

「別にあれはアラクネの格好してたって関係無いし。そもそも夢の中なら勝手に格好変わるしね。リリムの連中なら魔眼だとかその辺の魅了魔術も使えるらしいけど、アタシが使えるのは精々が人に近付く為にこうして身体を変えるくらい。あ、因みにこの身体、アンタの好みで出来てるからね」

「わかってるから持ち上げるな」

「今度夢に出てあげようか? アンタの精、極上の気配がぷんぷんするのよねぇ。正直興味津々」

「……頼むから、あの子達の前でそんな話してくれるなよ」

 

 頭を抱える俺に、またケラケラと笑うリリアナ。

 全く、色々ととんでもない存在が家に住み着いたものである。

 

 

 

 

 

 

 その後、特に他愛のない会話をしながら何事もなく街に到着した自分達は、取り敢えずリリアナの言うままに買い物を始めた。

 

「取り敢えず果物よね」

「俺もいくつか買っていくか……えーっと」

「あら、果物好きなの?」

「俺と言うより、シルクがな」

「あー……って、そんなに買って保存は効くのかしら」

「生活魔術は一通り覚えてるからな。保存に関しては問題ないぞ」

「良いこと聞いた」

「……持ち帰れる量にしろよ」

「帰りは持ってあげるわよ」

 

 先ずは食料関係。

 どうやら基本的にリリアナは果物を好むらしく、楽しそうにぽいぽい籠に品物を放り込んでいく。何でも溶かす手間が少なくて食べるのに楽なんだとか。

 じゃあ普段から果物ばかりなのか、と聞かれればそうでもなく、巣にかかったモンスターも見えないところで普通に食べているとのこと。道理で彼女が来てから家周りが静かだと思った。

 

「別に見られたからってどうってことないけど。結構ショッキングな絵になるらしいのよねぇ」

「あの子達に配慮してくれているんだろう?」

「ま、勝手に住み着いてる訳だし。……何、止めてよその生暖かい目」

「いや、良い隣人が来てくれたものだと」

「……ふふ。アンタくらいよ、そんなこと言うの」

 

 一瞬だけポカンとした後に、口元に手を当てて笑うリリアナ。ほのかに上機嫌になったらしい彼女は、会計を終えて此方に荷物を押し付けると、腕に絡み付いてきた。

 

「ね、どうせだから街中回りましょうよ」

「構わないが、どうして?」

「一人だと行く先々で声かけられて面倒でね。あんまりゆっくり回ったこと無かったの。ねぇ、いいでしょ?」

「エスコートに自信は無いが……まぁいいか。随分機嫌が良いな」

「だとしたら、アンタのせいね」

 

 せい、とはこれいかに。

 まぁ、目に見えて上機嫌になっていく彼女に水を差す真似はしたくないので、ここは言うとおりにしておこうか。

 ……色々と知り合いからちょっかいを出されそうだが――まぁ、そうそう会うことも無いだろうし。

 

 

 

 

 

 

 

 ――なんて考えていた十分前の自分に、その見通しの甘さをどうにかしろと説教してやりたい。

 

「新しい女が増えてる!! 離れなさいよー! この……えっと……うぅん? な、なんだか凄いのね、貴女」

 

 本来こんな場所に出てくるはずのない妖精国の王女様が、目の前で一人で騒いだ後に混乱している。こっちはお前がここにいることに混乱したいところだが、元々神出鬼没なのでどこに居ようが納得出来てしまうのが悲しいところ。明日には魔族の領域にいても何ら不思議ではないのが彼女の恐ろしいところである。

 

「あら、昔の女?」

「過去の女扱いするなっ! 現役ですー! 向こう三百年は現役ですぅー!」

「普通の人間はそんなに生きねぇよ。こっちが引退してるわ」

「……普通の人間のつもりなの?」

「急に素に戻るんじゃない」

 

 確かにちょっと普通とは言えないが、こんな大通りのど真ん中でそれを認めたら注目されるだろうに。いやもう充分に注目はされているんだが。

 とにかく、急に現れた王女様の腕を掴む。引っ張って、とある建物に向かうことにする。

 

「わぉ。両手に花ね」

 

 頼むから今は黙ってて欲しい。

 

 リリアナと王女様が言い争うのを全力で聞き流しながら、肩で扉を押し開けて中に突入。

 当然こんな状況なので、注目はされてしまう訳だが。

 

「……なんだか懐かしく感じるのは俺だけか?」

「全く以て同意だが、一先ず部屋を貸してくれ」

 

 筋骨隆々の大男が、苦笑しながらカウンターの下にあるらしいひとつの鍵を投げて寄越してきた。

 

 

 

 

 

 

「で、何で此処にいるんだ?」

「居ちゃ悪い?」

「今更お前がどこにいようが驚きはしないが、暇だからって理由で国を留守にするのはよろしくないな」

「だいじょーぶよ。王女は私一人じゃないし、弟もいるし」

「第一王女がそんなんでいいのか」

「むしろ、第一王女がそんなんでも大丈夫なくらい平和ってことよ。そもそも国政とか頭痛くなるし……戦乙女としての出番も無いし」

 

 苦い顔をしながら肘を立てる王女様。

 まぁ、生来のものとして考えるよりも先に行動を起こすタイプの彼女だ。複雑な魔術式や古代妖精語の解読、複数術式に必要な並列思考等、その辺りの知識や技術は群を抜いている癖に、その頭の良さが他には生かされないのが彼女である。今もカウンターで他の冒険者を威圧しているであろう彼の方がよっぽど知略に向いていた。

 今では自分と共に世界を渡り歩いた経験から、王女でありながら妖精国の有事の際に動く戦乙女の一員にもなっている。尚更国の外に出るなと自分は言いたいが、彼女の言葉通り平和だからこそ今のように好きにしているのだろう。彼女が国から出なくなることそれ即ち、妖精国はのっぴきならない状況ということになるのだから。

 そんな自分の葛藤じみた何かをさっくり無視した彼女は、ひとつ咳払いをした。どうやら空気を変えて、話題も変えたいらしい。

 

「で、貴女だけど。一応魔族……になるのよね」

「一応隠してたつもりだけど、やっぱり妖精族にはわかっちゃうか。初めまして王女様」

「堅苦しいのは遠慮するわよ。そもそもそんな柄じゃ無いしね」

 

 ひらひらと手を振る王女様。その雰囲気が仄かに固く感じるのは、きっと気のせいではない。

 それをリリアナも感じているのか、ほんの少しだが、座ったまま前に重心を置いた。それを見て、警戒されたとみた王女様が再度手を振る。

 

「そんな警戒しなくていいわよ。確かに私達妖精族と魔族は相性悪いけど、それは単に魔力の波長が壊滅的に合ってないだけだから、精神的に反りが合わないとかじゃないし」

「……そうなの?」

「それも妖精側だけが感じるものでね。実際、魔族側で妖精族そのものが嫌いな奴とかいなかったし。ねぇ?」

 

 不意に振られて、しかし直ぐに頷き返す。

 基本的に魔族というものは来るもの拒まず去るもの追わず、という種族である。良くも悪くも向けられた感情に素直に向かうので、好意を向けられれば友好的であるし、敵意を向けられれば容赦なく殲滅してくるのが魔族という存在なのだ。

 彼等に種族間での特別な感情は無い。俺が心掛けている種族の無差別、それを魔族は地で行っている。

 

「でも、警戒そのものは間違ってない。最近こっちの地方で過激派の神官がでばって来てるから、そっちには警戒しておいた方が良いわ」

 

 たまたまだったけど、会えて正解だったわね、と彼女は微笑む。微笑みかけられた当のリリアナは、困惑したように此方に視線を向けてきた。

 ふむ。出会った時もそうだったが、どうやら彼女は人に気遣われるという行為にあまり慣れていないらしい。自分と出会うまでどう過ごしてきたのかわからないが、少しだけ予想がついた。

 次いで、貴方も他人事じゃないからね、とテーブルを越えて胸に指を当てられる。

 

「疑われたら素直に(のろ)いだって答えること。で、解呪しようとしてきたら素直に一度受けること。どうせ絶対出来やしないんだから、変に固辞するんじゃないわよ」

「忠告どうも。ついでに、街を出るまでついてきてくれたら安心なんだが」

「言われなくてもついてくわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、無事に街を出て暫く歩いた後に、右隣を歩くリリアナへと声をかける。

 

「もういいんじゃないか?」

「え、あぁ……そうね」

 

 ここにきて、初めて彼女は歯切れの悪い様子を見せた。

 どうしたのか、と聞く前に、逆側にいた王女様がひょいと顔を出す。

 

「何?」

「あぁ、リリアナは」

「言わなくても見ればわかるわよ」

 

 妙に冷めた声が聞こえてきて、そちらを見たときにはすでにリリアナの身体は糸に包まれていた。数秒でそのシルエットが大きく形を変えていき、まるで卵から孵化するように、アラクネの姿となったリリアナが現れる。

 体高が上がったことで此方を見下ろす形となった彼女は、何故か此方を見ようとはしなかった。

 が、

 

「成る程ー。アラクネとの混血だったか。道理で魔力の流れがおかしいと思った」

 

 いつかの自分と同じような感想を呟きながら、スタスタと近付いてその脚を指先で弾く。硬質な音が響き、おぉーとどこか間の抜けた声をあげる王女様に、リリアナはまたしても困惑していた。

 

「……驚かないのね」

「ん? ……あー、さっきから妙だと思ってたけど、そんなこと気にしてたの。別に恥ずかしがること無いじゃない、こんなにキレイなのに」

「い、いや。別に恥ずかしいとかじゃなかったんだけど」

「だったら、怖がらせるとか思ってた? は、ちゃんちゃらおかしいわね」

 

 はん、と鼻で笑う王女様に、此方は此方で苦笑する。確かに、彼女からしてみれば、リリアナの気にしていたことは些末なことでしか無いだろう。

 何せ――

 

「ねぇ、純血の妖精族が本気で戦うところ、見たことあるかしら」

「……いいえ」

「でしょうね。知ってたら、貴女よりも遥かに化物の私が(・・・・・・・・・・・・・)貴女のこの姿を見て怖がるなんてこと思うわけ無いもの」

「……何を、言っているの?」

 

 訳がわからない、とリリアナは今までとは違う意味で困惑する。まぁ、確かにいきなりそんなことを言われても意味がわからないだろう。

 しかし、長年彼女と共に戦ってきた自分には、その言葉が何一つ偽りの無い真実だということが理解出来る。

 深くは語らないが……俺がこの世界で何よりも敵に回したくないのは、目の前にいる王女様のような、純血の妖精族である。

 

「とにかく、私の前では楽な姿でいればいいのよ。文句言うやつがいたら私がぶっ飛ばしてやるわ」

 

 何故か俺を見て拳を握り締める王女様。俺が言って姿を変えさせたとでも思ってんのか。

 心外にも程があるぞと睨み付けると、王女様はビクッと身体を震わせてリリアナの脚にしがみついた、ところで。

 

「――っは、アハハハハハッ! 何よアンタ、本当に王女様? し、信じられないわ、アハハハハッ」

 

 ケラケラと、リリアナは今までで一番大きく、そして腹の底から笑い出した。おかしくてたまらない、と声を抑えることもなく大声で笑っている。

 

「な、何よっ! 正真正銘の王女様ですけどー! 証拠のネックレスでも、なんだったらじい様の王冠でも持ってきて見せましょうか!」

「止めろ」

 

 身分証明の為だけに国を大混乱に陥れようとするな。

 

 リリアナは王女様がキャーキャー言っている間に、ようやく落ち着いてきたらしく、息を乱しながらも溢れた涙を服で拭う。たっぷり数十秒の大爆笑だった。

 

「わかったわかった。じゃあ、ぶっ飛ばしてもらうことにするわ。……出来るものなら」

「……え、何か不安なんですけれど」

「ほら、アンタも荷物よこしなさい。さっさと帰るわよ」

 

 リリアナはそう言うと、此方の手にある大量の袋をひったくると、脚に抱き付いたままの王女様を連れて先に進み始めた。

 気付けば、空が少し赤く染まりはじめている。……なんだか色々と濃い一日だったが、悪くない時間だった。

 いつか、機会があれば仲間全員とリリアナを会わせてみたい。心を許せる仲間がいるというのは、とても素晴らしいものだから。

 

 

 

 

 

 

 余談だが。

 

「ほら、ぶっ飛ばしてみなさいよ」

「シルクちゃんにそんなこと出来るわけ無いじゃないのぉー!」

 

 ニヤニヤとするリリアナに、少女の前で膝から崩れ落ちる王女様。それを前にして、どうしたらいいかわからずおろおろとするシルクが、家の前でそんなやり取りを繰り広げていた。

 何をしているのか、と溜め息をついたところに、ルミナスが嬉しそうに此方に駆け寄ってくる。

 

「主、おかえりなさい」

「ただいま、ルー。お土産買ってきたよ」

「流石、主。さ、家に入る」

 

 手を伸ばされ、それを掴む。互いに顔を見合わせてから、連れ添って玄関をくぐる俺達だった。


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