それは、とある使い魔の追憶の物語。
 長い旅路の果て、使い魔たるその猫の瞳に、何が映るのか。

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 TwiPlaでのみょん!(@myon34)様による企画「誰の作品か分かんないけど、これいいんじゃね?」(#文字書き誰これ)で作品No.06として投稿させていただいた作品になります。
 ハーメルン用に修正・改訂させていただいた物のため、あちらでの掲載分とは微妙に異なる箇所が存在します。予め、ご了承ください。


我が主に幸あれ 《改訂版》

 それはもう、ずっと昔のことだ。

 

「ねえ、貴方。私の使い魔にならない?」

 

 それは初雪が降った、ある日のこと。春の訪れと共に海沿いの村を訪れた銀髪の少女は、寒空の下で私を見降ろして、そう告げた。

 私は当時、返す言葉を持たなかった。いや、そもそも彼女の言葉の意味すら、理解出来る筈もなかった。

 

「――まあ、契約もしてないのにただの猫が話せるわけもないか」

 

 溜息交じりに笑いながら、少女はしゃがんで、私を抱き上げた。

 その温もりは、私を取り巻く寒さから包み込んでくれるようで、とても心地が良い。

 少女が何を思ってそう言ったのかも理解しないまま、私は彼女の腕の中で微睡みに身を委ねた。

 

 

 

 私は、魔法使いであるアリス・モーガンの使い魔となった。

 使い魔となったことで私は人語を解するようになった。しかし人語を解すれど、話すことは無かった。

 当時、まだまだ幼かった私は猫のまま彼女に甘えたかったというのが、最初の理由だった。

 アリスは契約しても言葉を話さない私を見て、困ったように首を傾げていた。まあ、一方的に契約したのは彼女だから、これは正当な対価だ。

 

 

 そして1年ほど経ったある日。その村は、地獄と化した。

 人間の心の中に潜む恐怖が生み出した悲劇――魔女狩りだった。

 

 罪の無い者が告発され、ある者は拘束され、またある者は処刑台へと連行される。そうして幾人もの人間たちが次々と犠牲になり、村を恐怖に陥れた。

 

 ――その時、本当の意味で魔法を知り、使う者が私とアリスだけならまだ良かった。その村を捨てて、逃げられた。しかし現実は、そうはいかなかった。

 アリスには、友であり弟子でもある親しい少女がいたのだ。

 その名に主とよく似た響きを持つ、あどけなさを残した少女。アリスはその少女に、魔法を教えていた。

 

 アリスも私も、誰にも知られない形で魔法を使うことはあった。少女に魔法を教える時もそれは同様であったし、アリスは彼女に人目の付くところで魔法を使ってはいけないと口酸っぱく言っていた。

 それは魔法が本質的には、恐ろしいモノだったからだ。

 物理法則に囚われず、あらゆる現象を魔力と儀式だけで起こしてしまう奇跡。

 風で思うままに物を切ることも出来れば、人を癒すことも出来る。

 そんな奇跡を使いすぎれば人々はそれを過信し、己が技術を高めようとしなくなる。或いは、不気味な悪魔憑きだと不信を招く。過去、普通の人々と関わった魔法使いの周りではそんな出来事があったと、アリスは魔法使いであった母から伝え聞いていた。

 少女も日々の関わりの中でそれはよく理解していたようで、きちんと用心もしていたようだ。

 

 だが、少女はあの悲劇に巻き込まれてしまった。

 きっかけはやはり、些細な恐怖心。結論から言えば彼女は()()()()()()()()ことは終ぞ誰にも知られることは無かった。

 しかし魔法に触れる以上、彼女の行動に些細な変化が現れるのは必然だ。告発した人間は、それをどこかで見ていたのだろう。

 

 そうして幾つもの偶然が重なって、アリスの親友である少女は、処刑台でその短い生涯を断たれた。

 魔法が衆目の目に晒されることは無かった。しかし、彼女は吊るされてしまった。

 少女が魔女であることは露見しなかった。しかし彼女は、「魔女」の誹りを受けた。

 

 

 そして「魔女狩り」は、アリスの人生すらも変えてしまった。

 

 

 少女の犠牲を最後に、魔女狩りは収束した。

 けれどアリスは、冷たい氷のような目付きをするようになっていた。

 私が彼女と出会うまで独り見上げていた、あの冬空の冷たさと似た目をしていた。

 少女を陥れた者たちが許せなかったのは、明らかだった。しかし、私はアリスを止めることも、背中を押すこともしなかった。口を開くこともなかった。

 私が選んだのは、彼女の傍に居続けること。彼女の歩く先を見届けること。

 知りたいと思ってしまったのだ。アリスがいかに、復讐を果たすのかを。

 

 

 手始めにアリスは、少女を陥れた者たちの行方を探した。

 私の持つ、他の猫の視界を借りる魔法も利用して、一人ずつ見つけていった。

 使えば重大なデメリットを負う魔法すら用いて、見つけ次第手当たり次第に殺害していった。そして殺す度に、少女の名前を口にしながら天を仰いでいた。

 その度に私は、アリスにとって少女がいかに大切な存在だったかを思い知らされた。時には嫉妬すら覚えたこともある。それでも私は、誓いを守り続けた。

 

 やがて5年をかけてアリスは、事件の発端となった少女の元に辿り着いた。

 その少女を見付けるなりアリスは山中に誘い込んだ上で、襲い掛かった。彼女に殺意すら感じさせず、不意打ちのような形で魔法を使い、心臓を貫いたのだ。

 そして彼女が息絶える様を見届けたアリスは地面に膝を突き、例の如くまた天を仰いだ。

 

「これで――やっと全員殺したよ」

 

 しかし表情は、今までとは違っていた。

 

「でも、まだ復讐は終わってない。――貴女を……皆を不幸にした魔法を私は、この世から消し去る」

 

 涙を堪えたように声を震わせながら、遥彼方にいる友に向けて、アリスは呪いにも似た誓いをした。

 

 

 

 

 アリスが誓いをしたその日から、約300年が過ぎた。

 アリスは世界中に点在する魔法使いを探し出しては、殺し回った。魔法に手を伸ばそうとする兆候が見られれば、これを未然に防いだ。

 

「世界から魔法を無くすために、まずは魔法を使う人間を根絶やしにする」

 

 あの少女を殺した日、端整な顔を曇らせながら呟いた一言から、彼女の「復讐の続き」は始まった。

 より多くの「魔女」を殺すために禁忌の魔法を使う度、アリスの寿命は延びていった。

 彼女が「混沌魔法」と呼ぶそれは、従来必要とされる呪文や魔法陣などの儀式を行わずに、周囲の生命力を吸い取ることで、即時発動が出来るという魔法の才ある者にしか扱えない代物だった。

 そしてその代償は、吸い取った生命力――魂――とも呼び変えられる、その命がまっとうする筈だった寿命を引き受けること。

 普通の魔法を使う時間は無いからと、アリスは混沌魔法を使い続けた。

 少しでも早く、この世界から「魔法」を消し去る。

 それが、アリスにとって友のための復讐であり、贖罪だった。

 

「あの子みたいに、不幸に陥る人を一人でも多く減らしたい」

 

 300年の旅の中でいつか、アリスはそう語っていた。

 皮肉だ、と思った。

 目的のために動植物問わず多くの命を混沌魔法の糧として使い潰し、挙句には二度の大戦の中で多くの人間、特に兵士の魂を奪い取ったこともあった。

 より多くの人を幸せにするために、より多くの命を犠牲にする。

 その現実から目を逸らしながら、アリスはそれでも歩みを止めることはなかった。

 

 

 やがて私たちは、日本と呼ばれる国に辿り着いた。

 その国のとある都市で、「魔法が本当に存在するかどうか」の研究が行われていることをアリスが察知したからだった。

 それは元はと言えば、二度の大戦にアリスが関わっていたことが原因だった。皮肉なことに、アリスが根絶やしにしようとしていた魔法が、逆に広まりかねない状況を生んでいたのだ。

 アリスは研究が行われている施設の研究員として紛れ込み、内情を把握し、いかに魔法の目を摘み取るかについて腐心していた。

 

 そして、ついにその日はやって来た。

 アリスは私を連れ、施設を襲撃した。

 勿論自分の姿を晒すわけでは無く、魔法を駆使して爆発事故を装うような形だった。施設に職員として忍び込んだのは、今までのように派手に混沌魔法を使うわけにはいかず、予め魔法を仕込んでおくためだったのだろう。

 事前の仕込みは功を奏し、次々と施設を破壊し、関係者を火の海へと葬り去っていった。

 その襲撃の最後に、普段親しくさせて貰った夫婦研究員の元へと、アリスは向かった。

 彼らは、研究室のドアを吹き飛ばしその余波で向かい側の壁まで貫いた魔法を目撃したことで、この「事故」の首謀者がアリスだったことを知ることになった。

 アリスは、今まで彼女の使う魔法を目にした者も、この手で殺してきた。――それは、この時も例外では無かった。

 アリスは二人の言葉に一切耳を貸さず、魔法を使って彼らを攻撃した。彼らは、穴の開いた壁から外へ吹き飛んでいき、死んだ。

 ――こうしてアリスは、研究施設の職員全員を殺害した。

 彼女はやはり、何も言わずに天井を見上げていた。足元に立つ私からは、いつも表情は見えなかった。でも、それが涙を誰にも見せたくないからだというのは、容易に想像が付いた。

 

 そしてそんな時、予想だにしない出来事が起きた。

 

「あ……、え……?」

 

 私たちの背後から、幼い子供の声が聞こえた。

 

「誰!?」

 

 アリスは珍しく焦ったような調子で、後ろを振り返り、火の海となったその部屋から外を見た。私も一緒に、物音のした方へ視線を送る。

 視線の先には、アリスが殺害したばかりの夫婦の死体。その前で小さな男の子が、地面に倒れていた。

 遠目から見るに、まだ息はあるようだった。

 私は、幼子をどうするのかとアリスを見上げ、言葉無く問いかけた。

 声が聞こえたタイミングを考えると、アリスの魔法が見られた可能性は半分といったところだ。

 疑わしきは、殺す。

 それが、今までの彼女のやり方だった。子供であろうと、それは変わらなかった。

 しかしこの時アリスは、その選択をしなかった。出来なかったのだ。

 アリスは、気を失った幼子の元へ近寄ると、しゃがみ込んでその頬を撫でた。

 その子は、たった今彼女が殺したばかりの夫婦の一人息子だった。

 施設には託児所が設けられており、彼も両親が仕事をしている間は、そこに預けられていた。

 夫婦と親交があったのなら必然、その子供と会う機会も幾度かあった。彼とはほんの少しだけ話しただけだったが、アリスはその子供によく懐かれていた。

 アリスは、そんな彼を見て何を思っていたのだろうか。

 まあ、大体想像は付くが。

 

 

 アリスは結局その子供を殺すことはせず、引き取ることにした。

 私はそれを、咎めることはしなかった。

 残酷なことだろう、とは思う。

 その子供にとっても、アリスにとっても。

 保護下に置いて育てたところで、いずれその関係は破綻するかもしれない。

 それでも私は、アリスの選択を尊重した。

 それが意味の無い贖いだったとしても、現実逃避だったとしても、いくら回り道をすることになったとしても。

 

 

 その子供――高井(あきら)は元々、名の通り明るい子だった。しかし事件以降、その明るさは鳴りを潜めていた。

 ある意味当然のことだろう。大好きだった両親が、無残な姿になって自分の前で息絶えていたのだから。

 アリスはそんな彼と少しずつ向かい合い、傷ついた心を癒していった。

 魔法に頼らず、言葉と時間と、スキンシップ。凡そ普通の人間が用いるだろう方法だけで、明の心を解きほぐしていった。

 アリスの献身によって、明は本来の明るさを徐々に取り戻して、すくすくと育っていった。

 

 

 明が大学生になった頃、アリスは行方不明となった。

 日本で構えた家に、明と私を残して。

 アリスは明と過ごすようになってからも、世界から魔法を消し去る方法を探し続けていた。そのために、日本から出てどこかへとフラリ、旅に出ることもあった。

 だから私はアリスが行方不明になった時、やっと魔法を消す手段を見付けたのだろうと見当がついた。

 しかし、明はどうか。

 明は十数年もの間、魔法に触れずに育ってきた。アリスがその存在を知らせまいとしたからだ。故に明は、アリスが姿を消した理由を知り得なかった。

 当時アリスに色々な感情を持っていた明にとってそれは、受け入れ難いことだった。

 

 アリスが行方を眩ませてからというものの、明は心ここに在らず、といった様子だった。

 

 ――アリスが明を引き取ったのは何故だったか。

 それは彼が、あの村にいた少女とよく似ていたからだ。朗らかさ、人懐っこさといったところが特に、似ていたのだ。

 しかし私はアリスを思い続ける明を見て、やはり彼とあの少女は違うと思った。

 いったい、何が違ったのだろう? 漠然と過った思いに、私は暫し考えを巡らせた。

 

 少女は魔法に憧れ、アリスの弟子となり、魔法を通して触れ合った。

 少年は全てを失い、アリスに保護され、魔法を知らず同じ屋根の下で時を共にした。

 少女はアリスの友人となり、少年はアリスの家族となった。

 ――しかし、それは単に境遇が違うというだけのことだ。そうではなく、もっと根本的なところが違うような気がしたのだ。

 

 そうして独りで考えるうちにこんがらがって、思わず彼に聞いてしまっていた。

 あの少女は、アリスのことを「魔法を教えてくれるお友達」と言っていた。

 なら彼は、アリスのことをどう思っているのか、と。

 

 初めて私の声を聞いた明は、不意の出来事が受け入れられずに目を丸くして、戸惑っていた。それでももう一度、「アリスをどう思っているのか」と尋ねると、こう答えた。

 

「色んな言葉が出てくるけど、そうだな。一言で表すなら、“愛してる”……かな」

 

 それを聞いた私の行動は早かった。

 アリスからは、彼女を明に探させないように言い含められていたが、それをいとも容易く破った。使い魔失格もいいところだ。

 居場所も大体の見当は付いていたから、そこに明を導いて、アリスとの再会の手助けをした。

 

 アリスと明の再会は叶った。

 そして再会したその場所で、明はアリスが今まで背負ってきたもの、してきたことを知ることとなった。当然、両親を殺したことも明の知るところとなった。

 それでも明は、アリスへ手を伸ばした。

 

「それでも、俺は貴女と一緒にいたい」

 

 シンプルな言葉と共に、明はアリスを呪縛から救い出した。

 そしてその言葉は確かに、「最後の奇跡」へと繋がったのだった。

 

 

 

 

 

「やっとお目覚めね。よく眠れた?」

 

 頭上から馴染み深い、慈愛に満ちた声が聞こえた。

 顔を上げると、宝石のように青い瞳の女が、穏やかな笑みを浮かべて私を見降ろしている。

 見た目だけで言うなら、齢は20を少し過ぎたといったところ。しかし実年齢は、1000を超えている。

 

「――ああ、アリスか。また私は、寝ていたのか」

 

 随分と、長い夢を見ていたように思う。

 アリスと初めて出会った時から、彼女が明に救われるまでの300年と少し。私が見てきた記憶の全て。

 ずっとずっと昔の事を、こうして夢に見るのはこれが初めてではない。それだけ私にとって、思い入れの深い時間だったのだろう。

 ――随分長い時間寝ていたせいか、体が凝り固まったような感覚がする。

 私はアリスの膝の上で、軽く体を伸ばした。

 

「……む」

 

 使い魔になったとはいえ、何百年も生きていると流石に体も老いてくる。

 昔ほど起きたり歩き回ったりと、自由気ままに過ごすことも難しくなった。

 ――それに……。

 

「どうしたの?」

「……昔の夢を見た」

「ああ、貴方が時々見てるって言う、あの夢ね」

 

 私の言わんとすることを察して、アリスは頷いた。

 あの夢を見る度にアリスには話していたので、容易に想像が付いたのだろう。

 

「――しかし」

「うん?」

「夢の中と全く変わらんな。我が主は」

「何それ、褒めてるの? それとも貶めてる?」

 

 腰ほどの長さまで伸ばされた銀色の髪が、首を傾げる彼女の動きに合わせて、さらりと揺れる。

 

「褒めているに決まっているだろう」

「へえ。具体的に、どの辺が褒めているのかしら?」

 

 端整な顔に悪戯っぽい笑みを浮かべるアリス。

 彼女は基本的には心優しい人間に過ぎないが、時折こうして意地の悪いことを口走る。

 

「知るか。こんなジジ猫に構ってないで、生涯の伴侶にでも褒めて貰ったらどうだ」

「それは嫌ね。褒め殺しにされるわ」

「だろうな。“アイツ”の褒め言葉にだけは耐性が無いからな、隙あらば惚気てくるこの主様は」

「私が一度でも惚気たことあるかしら?」

「たった今だ。顔がにやけているぞ、“元”魔女様よ」

「ぐ」

 

 まったく、この数百年よくもまあ飽きもせず毎日いちゃついたり惚気たり。そんな光景を毎度見せられるこっちの身にもなって欲しい。

 ――嫉妬しているわけではない、断じて。

 

 アリスと言い合いをしつつ、私は辺りを見渡した。

 私たちが今いる場所は、誰も入って来ないような山奥に建てられた一軒家の広々とした庭だった。

 その庭の端に設けられたベンチにアリスは座っており、私は彼女の膝の上で休んでいたようだ。

 そして私は、辺りを見渡してある人物の姿を探す。その人物は、さして苦労することも無く、すぐに見つけることが出来た。

 

 視線の先には、アリスと同じぐらいの年齢と思しき青年。彼は、10歳前後の男の子とサッカーボールを使った遊びに興じていた。

 

「ああ、またあの子供と遊んでいたのか」

「ええ。()()()()()()だもの。可愛くて仕方がないんじゃないかしら」

「そういうアリスも可愛がっているじゃあないか。行かなくていいのか?」

「いいのよ。今は()()()()()()()()()だから。貴方も分かっているんでしょ?」

「む……。じゃあせめて、アイツらをこっちへ呼んでくれないか」

「あの子を可愛がっている点じゃ、貴方も大して変わらないじゃない」

「私は可愛がられているんだ、間違えるな」

「それもそうね」

「待て、そこは否定しろ――」

「二人ともー! こっちにおいでー!」

 

 私の抗議を聞き終える前に、アリスは彼らを大声でこちらに呼び寄せていた。

 違う、断じて違う。

 私は“言葉を話せるちょっと不思議な猫”とアリスたちの血縁者の間で通っているのだ。

 別に、あの子供が腰を叩くときの絶妙な力具合が心地良いだとか、アリス直伝撫で撫でが気持ちいいとかではない。

 

「あ、猫さんやっと起きたんだ」

「ええ。ほら、いつものようにマッサージしてあげて頂戴」

「うん!」

 

 ぐわっ、やめろっ、その腰トントンは私に効く――!!

 

「猫さん、人間みたいにしゃべるのに、ここが気持ちいいんだね」

「私をただの猫と思うな――ふにゃっ。私の名前は――うにゃん。じゃなくて――ぐにゃん」

 

 駄目だ。効きすぎて言葉が――。

 

「相変わらずの即落ちだな……」

「元はと言えば、貴方が自分の子供にこの技を教えたからじゃない。おかげでウチ唯一の秘伝の技にまでなったもの」

「秘伝かどうかは兎も角、伝統みたいなものにはなったな……」

「そこのっ、バカップルな夫婦っ……。見てないで、助けてくれ……」

 

 いつまで馬鹿話をしているつもりだ、この二人は。老骨の身も考えてくれ。

 

「分かったから、そんな目で睨まない。ほら、(はる)君、もうやめてあげて。この子ももう、御爺ちゃん猫だからね」

「はーい」

 

 晴と呼ばれた子供は、アリスの言葉で素直に手を引っ込めた。

 

「た、助かった……」

「ハハ、猫の血は争えないみたいだな」

「あまり口が軽いと引っ掻くぞ。――明」

 

 さっきまで晴の遊び相手となり、私を見降ろしながら苦笑するこの青年。彼こそが、紆余曲折の末アリスと結ばれることになった、高井明だ。

 何故、彼が未だ生きて、この場所にいるのか。

 それは魔法を世界から消し去る、最古にして最後の魔法による奇跡をアリスと共に起こしたことによって、代償を負ったからだった。

 明が負った代償は、()()()()()()()寿()()()()()()()()()()()()()だった。

 

「ふん」

 

 明は私の威嚇を受けると、つまらなさそうに鼻を鳴らして黙ってしまった。

 随分と子供っぽいように思うが、彼は私のことを苦手にしているようだから仕方が無い。

 

「相変わらず貴方たち、仲悪いわねぇ」

「アリスがいなかったら、俺はコイツと一緒になんていたくないからね。何考えてるか分かんなくて気持ちが悪いんだよ、この猫」

「失敬な。私はこれでも年がら年中、主のことを考えているぞ」

「いや、それはそれでキモいぞ」

「貴様にだけは言われたくないな」

「ハイハイ、私の事が好きなのは分かったから喧嘩しない、二人とも」

 

 明と言い合いをしていると、アリスが呆れ顔をしながら手を打った。

 これ以上続けると後が怖いので、私はさっさと明から目を逸らす。向こうの方も同じようで、溜め息を吐いてからアリスの隣に座った。

 ちょうど私からは真後ろの位置に座ったので見えなかったが、二人がさり気無く手を繋いだのが気配で分かった。

 まったく、育て育てられの関係から何をどうやったらこうなるのやら。

 

「アリスお姉ちゃん、モテモテだね」

 

 屈託なく笑う晴を、私はジロリと見やった。

 

「悪いが、お前にアリスはやらんぞ」

「うん。アリスお姉ちゃん綺麗だもんね?」

「何故私に聞くんだ」

 

 いや確かに、アリスは私から見ても十分綺麗だとは思うが。

 

「晴君ってば、可愛いなあもう!」

 

 そう言ってアリスは、私を撫でる手を晴の頭の上にやって、優しく撫でていた。

 まあ、この年頃の子供は可愛い盛りで、ああして貰えるのも今の内だけだ。私は猫だから、いつでも撫でて貰える。別に寂しくなんかない。

 

「アリスお姉ちゃん、くすぐったいよ」

 

 キャッキャと笑う、晴とアリスの声が聞こえる。

 

 この場所に落ち着いてから数百年。そこにいる子孫は変われど、繰り広げられる光景はいつまでも変わらない、愛しさすら覚える私の大切な日常。

 その前までのアリスと明の日々は、苦難の連続だった。私は傍で見ているだけだったが、あんな体験を自ら進んでしたいとは思わない。

 一緒に苦しみを分かち合うことは出来たかもしれない。無茶をするなと、止めることだって出来たかもしれない。けれどあの300年間、私はそのどちらもしなかった。

 最初はそれを、主が行く先を見届けたいからだと思っていた。けれど苦悩する明の姿を見て彼の背中を押し、アリスを助けてからようやく気付いた。

 

「私は、アリスの笑顔が見たかったから、ずっと傍にいたのかもしれないな」

 

 思わず口を突いて出てしまった言葉。アリスに聞こえてしまっただろうか。だとしたら恥ずかしいことこの上ないが、同時に別にそれでもいいかという気持ちも同居している。

 ――ああ、瞼が重い。

 眠気のような、そうでないような、体から力が抜けていく感覚。

 きっと、私を生かしていた最後の魔力が尽きようとしているのだろう。それが尽きれば、私は死ぬ。

 魔法の力を使えなくなったアリスにも、現代の動物医にも私に息を吹き返させることは、最早無理だろう。

 だからせめて、お別れの挨拶くらいはしないといけないな。

 

「ありがとう、アリス。あの寒い村で貴女と出会えて良かった」

「……ええ」

「一緒にいられて、楽しかった」

「…………ええ」

「――だから、先に行って待っている。旅先で、貴女たちが来るのを……」

 

 そう。

 ここから先は、夢では無く。

 果てしない彼方への旅の、始まりだ。

 

 別れ際、上から雫が一滴落ちて、私の額を濡らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、猫さんどうしちゃったの?」

「アリスと一緒に旅をしている夢を見ているんだろうさ」

「明お兄ちゃんは一緒じゃないの?」

「さあね。それはコイツの気分次第だろうさ。な、アリス」

「……ええ、そう、ね――」

 

 アリスの膝の上で、老いた黒猫が一匹、静かに横たわっていた。

 微動だにせず、しかし笑っているとも取れるような安らかな顔で、瞼を閉じている。

 未だ残る体温を膝の上に感じながら、アリスはそっと、労わるようにその黒猫を何度も撫でていた。

 1000年近くもの間、アリスの傍にただ一匹在り続けた存在。忠義の使い魔。

 皮肉と言うべきなのだろうか。彼は名の由来となった騎士よりも篤く、子を為すことも無く、ただ一人に寄り添い続けた。

 彼の名は――――。

 

「おやすみなさい、“ロット”。いい(たび)を」

 

 アリスは目に涙を溜めながら、ともすれば伴侶たる明よりも長い時を共にした者の名を、愛しむように口にした。

 

 




 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
 この作品はみょん!様の企画に参加するにあたり、構想していながらもボツにしてしまった物を元にしています。
 テーマは「人間以外が見る夢」だったのですが、これが私の没ネタと上手くハマりそうだと考えた結果、出来上がった作品です。企画が発表されて1週間ちょっとで書き上げた覚えがあります。そのくらい、この作品の主人公……ロットにピッタリなテーマでした。そのお陰で、没ネタとはいえ脇役に過ぎなかった彼の一面を描くことが出来ました。

 この場をお借りして、今回の企画をしてくださったみょん!様、TwiPla掲載版含めて拙作を読んでくださった方々、本当にありがとうございました。


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