ViVid Infinity   作:希O望

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長らくお待たせして申し訳ありません。
第四話になります。
こちらは二つに分割した内の二本目です。
よろしくお願いします。


第四話 宿敵と決意②

 ウィズは振り抜いた拳を戻して体勢を整える。

 

 視線の先には派手に吹っ飛んだままピクリとも動かない宿敵の姿があった。

 

 彼は肩で息をするように大きく息を吐き出し、目を見開いた。

 

「いつまで寝てんだ手前ぇ! 大してダメージも受けてねえ癖にふざけてんじゃねえぞ!」

 

 陸戦場の一角でウィズの怒声が響き渡る。

 

 遠くからその場面を見聞きしていた人たちがギョッと目を剥いた。

 

 突然の大声に驚いたということもそうだが、一番の驚きはその内容だ。

 

 完璧に決まったようにしか見えないカウンターを喰らって、大したダメージを受けていない?

 

 そんなことはないだろうと俄かに信じ難いウィズの言い分に観戦している者たちの視線が倒れている白髪の少年へと集中する。

 

 

「……………………フ」

 

 

 その時、微かに零れた吐息の音が聞こえた。

 

 

「…………フフ……フフフ」

 

 

 その音が笑い声だと気づいた時、ピクリとも動かなかった王者が震えてることに気づく。

 

 そして。

 

 ユラァ、と腕すら使わずまるで逆再生した映像のように不自然に静かにだが一切の淀みもなく立ち上がった。

 

 幽鬼にも似た不気味な雰囲気を醸し出しながら、ネオは立ち上がり大きく口を開いて。

 

 

「フフ、ハハハッ。クハッ、アーッハハハハハハハハハハハハッッ!!! クヒッ、ハハハハハハハハハハーッハハハハハハハハハハッ!!!! アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 

 まさに狂笑。そうとしか表現ができないほどの狂気的な笑みだった。

 

 大きく裂けるように開かれた口元からは鋭利な歯が剥き出しになり、喉の奥から喜悦の声が響き続ける。

 

 そう、喜んでいた。彼は歓喜しているのだ。

 

「フハハハハッ! そう、そうそう! そうこなくっちゃあ!」

 

 肩を震わせて哄笑する少年は心の底から沸き起こる愉悦を隠そうともせずに露わにする。

 

 見開かれた赤い瞳は爛々と輝き、歯茎を剥き出しにして笑う。

 

 どこまでも楽しそうに、どこまでも嬉しそうに、そして、どこまでも好戦的に笑みを浮かべる。

 

 これまで見せてきた笑みとは根本から異なる本心から浮き出た表情。

 

「やっとらしくなってきたねウィズゥ。鈍い拳ばっかり振るからどうしたのかと思ったけど、これでもっと楽しくなるよ!」

 

 見て取れるネオが受けた負傷は僅かに赤くなった頬のみ。そこを指で触れて心底楽しそうに笑う。微塵もダメージを感じさせずにただ笑っている。

 

「うるせえ。そっちこそ、やっと本調子になったじゃねえか」

 

 ウィズはネオがダウンから全く堪えた様子もなく立ち上がってきたことや、彼自身の変貌ぶりにも動揺することはなかった。

 

 知っていたからだ。ネオという人物の実力と本質を、誰よりも理解していたからだ。

 

 ウィズはゴキゴキと首の骨を鳴らし、肩を回して深呼吸をする。

 

 対してネオも狂気的な笑みはそのままに、カハァと獣の如き息吹を吐いて拳の骨を鳴らす。

 

 まるで今までが準備運動であり、これから始まる闘いが本番だと言わんばかりの二人の態度。

 

「クハハッ! そうだね、じゃあ手加減はもうやめるよ」

 

 ネオの信じ難い発言に観戦席から聞いていた者たちは耳を疑う。

 

 だが、次の瞬間にはそれがはったりではないことを否が応にも理解する。

 

 

 ──空気が変わった。

 

 

 相対する少年は勿論、何百メートル以上離れている者たちでも肌で感じた。

 

 ビリビリと空気が震えていると錯覚するほどの威圧が一人の人間から放たれている。

 

 同時にネオの周囲に靄のようなものがかかる。

 

 黒い、全てを飲み込む闇が具現化したかのような黒い靄が少年の背後から立ち昇る。

 

 これは王者が発する威圧感が見せる幻、などではない。

 

 これは魔力だ。

 

 本来魔力とは魔力光という言葉があるように光を体現するものだ。

 

 だが、この男は違う。

 

 彼が纏うモノは光とはまるで正反対の闇を体現させ、瘴気にも似た威容を放つ、まさに魔の力。

 

 一般的な魔力エネルギーと同義と捉えて良いものなのかどうか疑問に思えるほどネオの魔力は毛色が違った。

 

 さらに、その魔力量は尋常ではない。

 

 漏れ出た魔力だけでもその大きさが計り知れない。

 

 体感的には昨日彼女の集束砲撃魔法を迎え撃った時に匹敵する威圧感を感じる。

 

 厳密には流石にそこまで規格外の魔力量ではないのだろう。

 

 しかし、彼が発する猛獣をも超えた威圧と闘気も合わさってそれだけの圧力を感じてしまう。

 

「…………」

 

 肌に伝わる衝撃と全身に圧し掛かる重圧をはっきりと感じながらもウィズは眉一つ動かさない。

 

 最早、つい今朝方まで感じていた緊張感やささやかな萎縮など当に消え失せていた。

 

 今心にあるのは仇敵を討つという至極明確な目的へ邁進するための煮え滾る闘志だけだった。

 

「ッラアアアッ!!」

 

 気合の入った短い雄叫びと共にウィズの内から力が溢れる。

 

 その力は魔力という形となって少年の全身を覆う。

 

 直後、紅蓮の煌光が莫大な力の奔流を現すように光の柱となって立ち昇る。

 

 迸る赤き光は、眼前に広がる闇と拮抗、寧ろ打ち消す勢いで彼の意志と同じ力強い輝きを放つ。

 

 莫大な魔力の流れが一陣の風と化して周囲に吹き荒れる。

 

 ウィズが発する輝きの強さ、そして放たれるプレッシャーは決して王者の威圧感にも負けていなかった。

 

 互いに魔力を開放し、睨み合う。

 

 静かにいつもの構えを取るウィズ。

 

 ゆらり、と左腕を上げると全身に魔力を循環させる。

 

 対するネオは腰を落とし、広げた両腕に漆黒の魔力が集中する。

 

 周囲を漂っていた魔力の瘴気が両手に集まり、膨大なエネルギーの塊となって言い知れぬ圧が伝わってくる。

 

 交差する視線。

 

 吹き荒れる魔力の嵐によって揺れる髪。

 

 戦意と殺意がぶつかり合う最中、最初に動いたのは黒を纏う白き少年だった。

 

 壮絶な笑みがさらに吊り上がる。

 

「ぜえぇい!!」

 

 目にも止まらぬ速度で魔力で包まれた両腕が振り下ろされる。

 

 手刀の形で振るわれた腕から暗黒の刃が形成された。

 

 ゾン! と虚空を切り裂き、大地を割り、恐ろしい勢いで漆黒の魔力刃が飛来する。

 

 それが二つ。縦に並んで前方の目標を斬殺せんと迫ってくる。

 

「──ふっ!」

 

 同時にウィズは前に出た。

 

 一切臆することなく、拳を握ることもなく、ただ前へ駆けた。

 

 そのまま黒の斬撃に触れる刹那──飛んだ。

 

 身体を半身にして、刃と刃の間を縫うように宙を舞う。

 

 グルリ、と側方宙返りの要領で身体を回転させて魔力刃の合間を通過する。

 

 回転の最中、漆黒の刃が鼻先に掠めるが恐怖心はなかった。

 

「ウラァ!!」

 

 飛来する斬撃を切り抜けた瞬間に側宙の勢いのまま右脚を振り抜く。

 

 両腕を振り下ろした体勢のネオの肩口に吸い込まれるように命中する。

 

 ドゴッ! と凄まじい衝撃が白髪の少年を襲い、身体が地面に沈み込んだ。

 

 小さなクレーターが生み出されるほどの威力は人体を破壊するには十分な破壊力だろう。

 

 

 彼が『怪物(きかくがい)』でなければ、だが。

 

 

「アッハッハ!!! いいねいいね! それでこそだよねえ!」

 

 ウィズの蹴打をまともに喰らっても苦痛に顔を歪ませる所か眼光を怪しく光らせて笑みを携えている。

 

 やせ我慢でもない。痛痒を感じても笑い続ける異常性もこの少年にはあるのだろうが、今は違う。

 

 ウィズは殆どダメージを与えられていないことを悟る。

 

(こいつ、やっぱり力を流して──ッ)

 

 思考する時間はない。

 

「ほら、このままだと脚が潰れるよ!」

 

 肩に打ち込まれたウィズの太い脚にネオの手が食い込み、そのまま強靭な握力で握り潰そうとする。

 

「シッ!」

 

 瞬時に身体全体を捻る。身体の捩じりによって掴んでいた五指を振り払い、拘束から逃れる。

 

 その回転の力でネオの顔面を横から蹴り抜こうとしたが、あっさりと躱される。

 

「フハッ!!」

 

 続いてネオの両腕が閃いた。

 

 未だ地に足を付けていない状態のウィズに無数の打撃が叩き込まれる。

 

「ハハッハハハハハ!!!」

 

 目にも止まらぬ連撃が人体を抉る。

 

 たとえ無手でもこの怪物から繰り出される攻撃は鈍器にも、刃にも、弾丸にすらなりえる。

 

 掌底が突き刺さり、手刀で斬り裂かれ、指突が抉り込んでくる。

 

 空中にいるウィズに避ける術はない。

 

 だが、ウィズの瞳に宿る戦意は些かも曇っていなかった。

 

(避けられなければ、全部叩き落せばいい! それだけだろ!)

 

「オオオオォオオ!!」

 

 両手に紅蓮の光が灯る。

 

 連打には連打を返す。

 

 迫り来る怪物の猛攻を光を宿した拳が迎え撃つ。

 

 甲高い衝突音が幾度も響き渡る。

 

 炸裂の瞬間を現す無数の光輝が短くも激しく明滅した。

 

 激しく交差する互いの拳撃が弾き合い、どちらも決定打が当たらない。当てられない。

 

 一瞬の拮抗。

 

 次第にそれは崩れて、一方の打撃が相手を掠める。

 

 押されていたのはウィズの方だ。

 

 肩のジャケットが吹き飛ぶ。

 

 脇腹が裂かれて、生身の身体に僅かな切り傷が走る。

 

 今、頭を傾けなければ強打が直撃していた。

 

 地上に立つネオと宙に身を浮かせるウィズでは打撃のキレに差が出るのは当たり前だった。

 

 だが、それでも、ウィズの集中力が崩れることはなかった。

 

 ネオの空気を震わす一撃が顔面に迫るが、寸前で拳をぶつけて逸らす。

 

 首を刈ろうとする凶刃と化した手刀を弾く。

 

 刹那の空白が空き、瞬時に拳を捻じ込んだ。

 

 ネオは笑みを深くし、顔を背けて躱す。

 

 決して致命打を与えず、隙あらば反撃に転ずる姿勢から彼が一歩も引く気がないという絶対の意思を感じさせた。

 

 怪物は本当に楽しそうに口を裂いて笑う。

 

 そして、ギシギシ、と軋みを上げるほどの力で拳を握り締める。

 

 強烈な一撃が来る。

 

 ウィズは右拳を引き絞り、力を込めて解き放つ。

 

 ゴオオォォンッ!! とおよそ拳同士の激突は思えないほど重厚で鈍い轟音が周囲を揺らした。

 

 鬩ぎ合いは一瞬で終わり、両者は弾かれるように身体が背後に飛んだ。

 

 ほんの十秒足らずだったが異様に長く感じた滞空が終わり、ようやく地面に着地できた。

 

 再び空いた距離を埋める前に前方を睨む形で見つめる。

 

 そこには白髪の少年が激突した拳をプラプラと揺らしながらも平然と体勢を整えている姿があった。

 

 痛がっているというよりもこの程度の威力か、と確認しているように感じる。

 

 ふと視線が交差し、にやりと挑発混じりに微笑んだ。実際にはそこまであくどい笑みではなかったのだが、ウィズにはそう見えた。

 

(上等、いずれにしろ試さなきゃいけねえんだからな)

 

 ウィズは静かな決意を胸に一歩を踏み込んで。

 

 ヴァリヴァリヴァリ!! とあの破砕音が鳴り響く。

 

 無限の輝きを灯した右拳に強大な魔力が宿る。

 

 先程完全に防がれた自分の必殺技をここで再度解禁した。

 

 先の衝撃はまだまだ鮮明に胸の中に残っている。

 

 だが、それで尻込みするなど言語道断、愚の骨頂。

 

 自身が持つ最強の一撃を信じられずにどう闘い、どう打ち勝つというのか。

 

 挑発、されたと思ったウィズは躊躇なく拳を紅蓮に染めて突貫する。

 

 猛然と一直線に向かってくる挑戦者を見て、王者であるネオは──。

 

「カハハ! アハハハ!! なんか知らないけどやる気満々だね! まあ、関係ないけど!」

 

 ただ笑い、仁王立ちしながら左手を突き出して待ち構えていた。

 

 前回と同じように片手で受け止めるつもりだが、濃密な漆黒の魔力が纏われているという相違があった。

 

 確実にウィズの必殺を封殺する気なのだ。

 

 構わずウィズはまた一歩踏み込む。

 

(この野郎、やっぱり受け止める気か……だがなっ)

 

 わかっていた。白髪の少年の性格を熟知しているからこそ、この赤拳を向ければ受けに回るだろうということは予測していた。

 

 わかっていても、腹が立つものは腹が立つ。

 

「やれるもんならやってみろォ!!」

 

 噴き出す怒りを力に変えて、最後の一歩を踏み抜いた。

 

 踏み込みの衝撃で大地が割れる。

 

 魔力を研ぎ澄まし、全身を循環している魔力を一点に集中させる。

 

 踏み込みの力を足先から拳に伝達させ、余さず全てを集約させる。

 

 脇を締め、腰の回転を意識し、重心の移動を瞬時に、正確に行う。

 

「インフィニットォォォ!!!」

 

 最後に気合とあらゆる壁をぶち抜く心意を込めて撃ち出した。

 

 赤き拳撃が破砕音を轟かせながら着弾する。

 

 

 ネオの手に触れた瞬間──防御の先にあった彼の顔面ごと弾き飛ばした。

 

 

 腕は大きく弾かれ、顔が盛大に仰け反り、それでも衝撃は緩まず全身纏めて殴り飛ばした。

 

 先の一撃とはあらゆる意味で違う。

 

 力の運用、魔力の量、そして何よりも心構えが違う。

 

 逃げの気持ちで撃った拳と攻めの気持ちで撃たれた拳が同じである筈がない。

 

「もう一発!!」

 

 確かな手応えに打ち震えることなどせず、すかさず追撃にかかる。

 

 吹き飛ぶ少年の後を追うように飛びかかり、打ち落とす要領で拳を振り被った。

 

 ヴァリリ!! と紅蓮の輝きは継続している。

 

 インフィニットの二連撃。

 

 まともに当たれば立てる者などいないと断言できる。

 

 そう確信し打ち下ろす瞬間、彼の口元が変わらずに壮絶な笑みを浮かべているのが見えた。

 

 ゾッ、と背筋に寒気が走る。

 

「ッ、ウオオ!」

 

 思考する以前に、直感的に狙いを変えた。

 

 思いっきり振り抜こうとした右拳をコンパクトに横振りする。

 

 同時に。

 

 突如真下から虚空を裂いて漆黒の螺旋が突き上げられた。

 

 ゴギャアア!! と歪な衝突音と共に『インフィニットブロウ』と『螺旋貫手』が接触する。

 

 ウィズの顔面を粉砕せんと迫っていた黒い渦の軌道を横から殴り抜いたことによってどうにか逸らすことに成功した。

 

 それでも凄まじい切れ味でもって頬の肉を薄く裂かれた。

 

(なんつう体勢と角度から、螺旋を放ってきやがる!?)

 

 当然のように防護フィールドを抜けて傷を負わせるネオの貫手。

 

 もしも、気づくのが一瞬遅く軌道を逸らせなければ間違いなく重傷、下手したら致命傷を負っていたであろう。

 

 辛うじて避けることはできたが完全に勢いを殺され、それ以上の追撃はできない。

 

「ハハハ!! おしいおしい! 次はもっと速くやらなきゃだね!」

 

 ウィズの拳で吹き飛んでいた筈のネオは既に片手を着きながら身体を後方に回転させて体勢を立て直していた。

 

 笑いながらも口の端から微かな血が滴る。先の一撃によって口の中を少し切ったようだ。

 

 それを舌で舐め取りながら、赤い瞳の輝きが増す。

 

 ウィズも頬を流れる血の雫を親指で拭う。

 

 その表情はネオとは対照的に感情を押し殺すように口を結び、しかし双眸の鋭さだけは一際激しさを増している。

 

 膠着していたのも束の間、二人は同時に飛び出した。

 

 今度はネオの方も全力で駆けて来る。

 

「アアアァァ!!」

 

「ハハハハッ!!」

 

 怒声と大笑が混じり合い、互いの打撃が衝突する。

 

 爆発が起きたかのような爆音と衝撃が陸戦場を揺らし、破壊する。

 

 交錯する二人を中心に小さなクレーターが生じ、連続して放たれる一撃一撃によって更に深さと大きさを広げていく。

 

 赤き閃光と黒き暗影が幾重にも重なり、その都度秘められた莫大なエネルギーが爆発している。

 

 押しも押されもせぬ熾烈な攻防が大気を揺るがし、大地を震わせる。

 

 既に十手以上の猛打が打ち交わされ、両者一歩も退かない気概を存分に感じさせている。

 

「フハハ!」

 

 そんな拮抗した状況の最中、ネオが突如背を向ける。

 

 激しい応酬が交わされていたにも関わらず、余りにも自然な動作で反転した。

 

 背中や後頭部を曝け出すという奇行に疑問を抱く間もなく、脳天にネオの脚が突き刺さる。

 

 オーバーヘッドキックの要領で背後へ宙返りしながら凄絶な蹴りを見舞ってきた。

 

「ぐっ、な、めんなぁ!」

 

 当たる寸前に腕を割り込ませることに成功し、腕を痺れさせながらも蹴打を払い除ける。

 

 奇襲が防がれ上下逆さまの状態となったネオは焦りなど露ほども感じさせず、それどころかそのまま顔面に向けて素早く突きを繰り出してきた。

 

 怪物の独特な掌底を寸でで躱した時、ウィズの首元でピタリとその手が止まる。

 

(掌底打ちじゃねえ、掴み技か!)

 

 急停止からの急加速。

 

 ネオの五指がウィズの襟首を掴もうと動き出す。

 

 咄嗟に身体を横にズラして掴みを回避しようとする。

 

 ウィズの神がかり的な反射神経でもって襟を掴まれることは避けられた。

 

 そう、掴まれこそしなかった。だが、指一本、ほんの小指一本がジャケットの襟に引っかかった。

 

 

 直後にウィズの視界が天地逆転する。

 

 

 

「────な」

 

 投げられたと気づいた時には全てが遅い。

 

 コンマ数秒前まで逆さまとなっていたのは相手の方だったのに、今は自分が上下逆転し相手は地面に降り立っている。

 

 一体どんな原理の投げ技なのか。王者は小指一つで互いの立場を完全に入れ替えてみせた。

 

(何をされたかわからねえ……わからねえがわかってるのは一つ)

 

 この状況は非常にまずい。

 

 眼前の怪物が凶悪な笑みを作って腕を振り被っていた。今、冷静に技の分析をしている暇はない。

 

 即座にウィズは()()()()()()を殴り抜いた。

 

 豪快に大地が砕け、盛大に土煙が昇る。その殴った反動でもって、跳んだ。

 

 人一人殴り飛ばすことも容易いウィズのパワーにかかれば、自分の身体を跳ばすことも簡単だ。

 

 衝突の余波で創られたクレーターから転がるように飛び出た。

 

 細かな力加減まではできなかったため、道路を滑りながら勢いを殺し、体勢を整える。

 

 息つく暇もなく、舞い上がる土煙の中から黒い影が飛び出してくる。

 

 人影は猛烈な気勢でこちらに迫ってきた。

 

 身を竦ませるような重圧と共に漆黒に染まった拳が突き出される。

 

 ウィズは真っ向から迎え撃つために同様に拳を握る。

 

 振るわれた互いの拳がぶつかり合い──あっけなく黒い腕が霧散する。

 

(ッッ、これは魔力の塊と殺気で作ったフェイク! 本物は──)

 

 後ろから来るプレッシャーに気づいた時には完璧に背後を取られていた。

 

「はーい、また引っ掛かったぁ!!」

 

 ドゴォォン! と後頭部を鷲掴みにされてビルの壁に顔面を叩きつけられた。

 

 顔の半分がビルに埋まるほどの勢いでぶつけられ、衝撃で廃ビル全体が揺れる。

 

 それだけでは終わらない。

 

「アッハハ! 顔面磨り潰しの刑ー」

 

 ゴガガガ! とウィズの顔面をそのまま押し付けてコンクリートの壁を粉砕させながら引きずり回す。

 

 一切の容赦はなく、人体を軽々と持ち上げて壁に摩り付けて走る。

 

「ハッハハハ!! 早く抜け出さないと本当に卸しちゃうよー?」

 

 十m、二十mと駆け抜けて、人の顔面を使ってビルの壁や窓を崩壊させていく。

 

 瞬間、ウィズの左腕の筋肉が膨れ上がる。

 

 肩を回す形でグルン、と左腕を振るってネオの笑い顔をぶん殴った。

 

 強烈な威力に首が盛大に捻じれて、頭部が跳ね上がる。

 

 たたらを踏むようにしてネオの身体が離れ、同時にウィズは魔の手から解放された。

 

「いってえだろうがクソ!」

 

 反射的に壁に擦り付けられていた顔を押さえるが、微かに赤くなっている程度で傷はない。

 

 魔力で防御しているといっても彼の素の肉体強度が並ではないことを如実に現わしていた。

 

 だが、痛みはやはりあるのか思わず悪態を吐いていた。

 

 そんな彼に殴られた白髪の少年は殴られて首を傾げた体勢のままぎゅるん、と眼球を動かして視線を送ってくる。

 

「えー、オレは痛くないけど? 貧弱だなーウィズは」

 

 ゆっくりと首を戻してコキコキと軽く骨を鳴らす。

 

 ふざけた態度を見せるネオに苛立ちを隠せないウィズ。

 

「手前ぇ、喧嘩売ってんだろ買った。それよりも何でさっき背後を取った時に攻撃してこなかった。わざわざこんな脆い壁に押し付けやがってよお、遊んでんのか?」

 

 脆い、という言葉を体現するように乱暴に拳を叩きつけて外壁を粉砕する。

 

 ウィズの怒気の籠った視線を一身に受けながらもネオはあっけらかんと返す。

 

「オレはねウィズ、楽しんでるんだよ。だって、ハハッ、こんなに楽しいのは本当に久しぶりだからね。ウィズもさ、折角なんだから楽しもうよ」

 

 ケタケタと笑いながら見開かれた瞳には狂気的な光が見え隠れしている。

 

 はっ、と短く息を吐き捨ててウィズは全く共感できない様子で一蹴する。

 

「っざけんな、手前ぇがそうにやけてる時点で苛立ちしか湧かねえぜ。楽しめるとしたら手前ぇが笑えなくなった時だろうなぁ」

 

 それ以上言葉を交わす気はないと言わんばかりに構えを取った。

 

「そっかぁ……」

 

 ネオは腰に手を当てて寂しそうに笑いながら俯き加減に頭を下げる。

 

「じゃあ一生無理だね」

 

 そして、口元に鋭利な弧を描いて断言した。

 

 ネオの姿が掻き消える。

 

「ッ!」

 

 遅れて先ほどまで立っていた地面が爆散し、途轍もない衝撃がウィズを襲う。

 

 目で追えないほどの速度で一直線に突進してきたネオを両腕で抑え込みながらも衝撃を全て往なし切れずに後ろのビル群へ二人まとめて突っ込んだ。

 

 

 

 

 

「これもう試合って感じじゃないわね」

 

「だな、試合というよりも喧嘩、ステゴロだ」

 

「あ、あはは、何だか凄いねぇ」

 

 観客席でポツリと呟かれたティアナの言葉にノーヴェが率直な感想を述べて、スバルは苦笑していた。

 

 ノーヴェが言った通り、真っ当な格闘技の試合の体をなしていない。

 

 単純な迫力という意味でも、顔面を壁に擦り付けるという試合内容を取っても普通ではない。

 

 そして、今現在は陸戦場に立ち並ぶビルを幾つも倒壊させ、瓦礫の雨の中で殴り合っている。

 

 これが格闘技選手同士の試合だと言ってどれだけ信じる人がいるだろう。

 

「喧嘩だとしても規模が大き過ぎるけどね。もし捕縛するとしたら私一人じゃ無理ね……エース魔導士が率いる部隊総出で何とか」

 

「物騒な想定しないでよティア~」

 

 親友の呟きがどこまで本気なのかわからず、スバルは困惑した声を上げていた。

 

 映し出される映像ではウィズの一撃でビルが根元から吹き飛んでいた。

 

 崩れ落ちる高層建築物が二人のすぐ脇を落下する最中、相対するネオが驚きの行動を取る。

 

 無造作に腕を伸ばし、むんずと倒壊物を鷲掴みにした。

 

『────えっ?』

 

 一体何人の当惑した声が被っただろうか。

 

 混乱するのも当然だ。

 

 何故なら今白髪の少年が掴んだ物体は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ネオの奇行はそれだけにとどまらず、ビルそのものを片手で持ち上げて。

 

 ズゴシャアアアン!! とド派手な轟音を上げてウィズに叩きつけた。

 

『………………………………』

 

 余りにも非常識な試合映像に驚愕の声すら上がらない。

 

 人間、本当に心の底から驚いている時は黙るらしい。

 

「…………えっと、リオもあれくらいできるよね?」

 

「できないよ!?」

 

 王者の常識外の行動から目を逸らすように隣の友人に声をかけたヴィヴィオだったが、速攻で否定された。

 

 因みに陶酔状態だったヴィヴィオはネオがあっさり立ち上がった衝撃で割と早く正気に戻っていた。

 

 混乱しているヴィヴィオは頭では理解していても、条件反射で食い下がってしまう。

 

「いやでも、コロナのゴライアス投げてたよね?」

 

「あれは足元崩して前のめりにさせたからだよ!? 立ったままのゴライアスは流石に投げれないよ!?」

 

「で、ですよねー」

 

 ごもっともな言い分にヴィヴィオは頷き、隣のコロナも苦笑いしている。

 

「それよりもウィズさんは大丈夫かな!?」

 

 王者の奇行に思考を奪われていたが、計り知れない重量をぶつけられた少年の安否の方が重要だ。

 

 慌ててモニターを確認しようとするがその前に横から静謐な声色で声がかかる。

 

「あの人なら大丈夫だと思いますよ」

 

 それは試合映像から一時も目を離さずにいたアインハルトからの言葉だった。

 

 ヴィヴィオも冷静に画面を注視すると、ちょうど瓦礫の山から真っ赤な輝きを解き放って飛び出すウィズの姿が映った。

 

 五体満足の姿にほっと安心して一息吐き、落ち着いてからアインハルトに問いかけた。

 

「アインハルトさんはウィズさんがチャンピオンに勝てると思いますか?」

 

「……わかりません。最初は圧されていたウィズさんも今は盛り返していてこのまま行けばとも思いますが、相手選手の底が未だに見えません」

 

 ヴィヴィオの問いに明確な答えは返せなかった。

 

 覇王の記憶を継承する彼女から見ても二人の実力がはっきりと見えてこない。

 

 特に白髪の少年に関しては規格外の一言で強さの限界が計り知れない。

 

 彼女たちにできることは試合の戦況をただ眺めていることだけだった。

 

 

 

 

 

 赤と黒の激突。

 

 耳をつんざくような爆音が轟き、その苛烈さを物語っていた。

 

 廃ビルの内部を駆け巡り、壁や棚などの障害物を物ともせずにぶつかり合う。

 

 天井に大穴を開けて、どんどんと上へ昇っていき、屋上まで突き抜ける。

 

「せあああ!!」

 

「アハハハ!!」

 

 ウィズの拳撃とネオの蹴打が衝突し、周囲に広がる衝撃波が屋上のタイルを消し飛ばす。

 

 このような両者の激突を幾度も繰り返し、周辺の地形を悉く破壊し尽くしていた。

 

 規模としては前日のなのはとの模擬戦で集束砲が撃たれる前と同程度である。

 

 それを素手の殴り合いで引き起こしているのだから、二人のパワーの凄まじさを物語っている。

 

 何十と続いたぶつかり合いの中、全くの互角だった力関係に変化があった。

 

「おお?」

 

 当たり所が良かったのかウィズの拳がネオの蹴りを確かに押し返した。

 

 空中で脚を押し込まれ、バランスを崩した一瞬をウィズは見逃さなかった。

 

 ネオの腕と襟を掴み、力強く引き寄せる。

 

「落ちやがれええ!!」

 

 そのままビルの屋上から眼下の地上へ向かって思いっきり背負い投げた。

 

 まるで隕石を彷彿とさせる恐ろしい速度でもって、ネオの身体が一直線に倒壊したビル群の瓦礫に突っ込んだ。

 

 鈍い落下音と一緒に少なくない量の砂煙が舞い、落下の衝撃の大きさが見て取れる。

 

(まっ、大して応えてねえだろうがな)

 

 ウィズは屋上の縁に立ち、投げ落とした先を俯瞰しながら結論付ける。

 

 十数mの高さから落ちた程度でどうにかなる相手ならここまで苦労していない。

 

 では何故効かないとわかっていて、地面に叩きつけたのか。

 

 それは現状を打破するために他ならない。

 

(残り時間も少なくなってる筈だ。このままチンタラやって時間切れなんて目も当てられねえ)

 

 試合時間がどれだけ経過しているかは全て体感で判断している。

 

 ウィズのデバイスがもっと優秀だったなら自動で計測してくれたかもしれないが、必要最低限の機能しか有していない愛機では無理な話だ。

 

 だからより、この膠着させられている状況をぶち破る気概に溢れていた。

 

 させられている、というのも今の互角の一撃が何度もぶつかり合っている戦況そのものが、狂気的に笑う少年が面白がって生み出しているものだからだ。

 

 あの少年の本質を理解しているウィズだからこそわかる。

 

 自分が放った攻撃と全く同じ威力の攻撃をぶつけて来ていることが。

 

 証拠はない。証拠はないが、直感的に感じるのだ。

 

 現に先ほどインパクトの瞬間に力を込め直した結果、僅かに競り勝っている。

 

 しかも意外そうに口を丸くしていた姿に自分の推測が現実味を帯びてしまい、途轍もなく腹が立った。

 

(アイツの笑い腐った顔を歪ませるにはやっぱインフィニットしかねえ。とりあえず、瓦礫から飛び出してきた所に不意打ちでぶちかま──)

 

 如何に自慢の拳を喰らわせるか算段を巡らせていた時、視界一杯に黒い影が映る。

 

「──ぐおぉ!?」

 

 弾丸級の速度で飛来してきたソレを寸前で上半身を逸らして躱す。

 

 ウィズの頭よりも太く、長細い物体の正体は鉄骨だった。

 

 どうしてこんなものが飛んできたのか。理由などわかりきっている。

 

 ウィズは反射的に逸らした上半身を更に曲げて後方に回転する。

 

 直後、一瞬前まで居た地点が崩壊する。

 

 今度は一人の人間を軽々と超える大きさがある瓦礫の塊だった。

 

 それと同規模の岩塊が何発も投じられ、外縁部に直撃して原型を留めないほどに粉々にする。

 

 まるで火山でも噴火したかのような惨状だった。

 

 引き起こした犯人は勿論、白髪赤目の少年だ。

 

 ウィズは屋上の中心近くまで後退し、眉を顰める。

 

(俺の狙いに気づいたか? いや、アイツのことだから近くにあったものを投げた方が面白そうってだけだろうが)

 

 計算ではなく本能で生きている野生児の行動原理を完全に読み解くのは不可能だ。

 

 だが、彼が既に迫ってきていることはわかる。

 

 好戦的に過ぎる本質を持つ少年がただ遠くから鉄骨やら瓦礫やらを投げて終わるわけがない。

 

 そこまで勘づいて、ウィズは徐に空を見上げる。

 

 見上げた先の遥か上空に、居た。

 

 紛うことなきネオの姿にウィズは思いっきり舌打ちする。

 

(鉄骨で俺の視線を切って、投擲した瓦礫の影に隠れて上空に飛びやがったか。にしても気配も何も感じなかったっ)

 

 普段は殺気を垂れ流し、フェイントやフェイクにも応用する癖に今は空気に溶け込んだように微塵も気配を感じさせない。

 

 見えているのに見失いそうになる。

 

 しかし、次の瞬間には一気にドス黒い存在感が爆発する。

 

 隠す気がなくなったと同時に攻撃に転じたからだ。

 

 獰猛な笑みを浮かべたネオの脚に火炎にも似た濃密な黒い魔力が灯る。

 

 ウィズが最大限の警戒を行い、迎撃に移ろうとした直後、眩い光が視界を焼いた。

 

 雲の隙間から顔を出した太陽が空中のネオと重なり、諸に太陽の光が当たり目を眩ました。

 

(くそ! これも計算、じゃなくて本能なんだろうな畜生!)

 

 心中で悪態を吐きながら即座に視界を復活させて、閃光を魔力で防ぎながら再度上空を睨む。

 

 その僅かな間に怪物の技は完成する。

 

 まるで回転ノコギリのように身体を回し、黒に染まる片脚の軌跡が円を描く。

 

 凄まじい回転速度を生み出した瞬間、勢いそのままで一気に急降下した。

 

 ギロチンの如き凶悪な踵落としが炸裂する。

 

 ミサイルでも着弾したかのような物凄い爆音とビル一つが真っ二つに割れた激しい倒壊音が鳴り響く。

 

 空手家が行う瓦割りを高層ビルでやってのけた。

 

 これまでにないほどの粉塵が舞い上がり、辺り一面に濃密な煙幕が覆う。

 

 視界を埋め尽くす土煙の中、ゆらりと一人の人影が立ち上がる。

 

「アハハ、ちょっと煙たいなー」

 

 能天気な声を発するのは白髪の少年、ネオであり彼は大量の塵が立ちこむ中きょろきょろと辺りを見渡している。

 

「ウィズー、流石にこれくらいじゃ死ねないよねー。生きてるでしょー、ねえーウィ」

 

 ドゴン! とネオの身体がピンポールのように横に吹っ飛ぶ。

 

 煙幕の奥から現れた拳を辿れば、静かな表情でありながらも強烈な眼光を宿したウィズが見える。

 

 髪は乱れ、バリアジャケットの上着は既に原型を留めないほどボロボロになっているが負傷や疲弊した様子は些かも伺えなかった。

 

 微かに両腕に残る魔力の残滓からあの強烈な踵落としを腕で受け止めたことが窺えた。

 

 カハァ、と息吹を吐き出し身体中に闘気を行き渡らせて宿敵に鋭い視線を送る。

 

 吹き飛んだネオは殴打の威力を利用してクルリと横に一回転して滑るように着地していた。

 

 完全に油断していた態度であったが、ウィズの不意の一撃を腕で受けていた。

 

 受け止めた前腕部から衝撃の余波で蒸気のようなモノが昇っているが、当のネオはピンピンしていた。

 

「クアッハッハッハ! ギリギリ両腕で防御したでしょ、感触でわかってた。さあ、もっともっと楽しもうか!」

 

 瞳に妖しい光を浮かばせて、狂気的な笑みで相手に呼びかける様は終始変わらない。

 

 対する黒髪の少年は無言で構える。

 

 最早口を開くことはやめ、ただひたすらに眼前の敵を討つことに思考を割いた。

 

 機械のような無の表情、だが研ぎ澄まされた双眼には激烈な闘志が宿っている。

 

 気の弱い人物が対面すれば一瞬で気を失いかねない強大な威圧感に、ネオは壮絶な笑みでもって応える。

 

 絶大な気迫が魔力の嵐となり周囲の土煙を飛散させ、晴れ渡った視界で睨み合う。

 

 

 沈黙はほんの一時。

 

 

 両者の拳が赤と黒に染まる。

 

 

 一瞬で距離を詰めた二人が再び激突する。

 

 熾烈な打ち合いの光が陸戦場の方々で爆発するように灯る。

 

 互いに高速で移動しながら身体と身体、技と技をぶつけ合う。

 

 時節轟く怪物の笑い声と相反して響く真紅の剛腕が生み出す破壊の轟音。

 

 一歩も退かず、譲らない鬩ぎ合い。

 

 紅蓮と漆黒が相手の存在を打ち消さんと爆発的に膨れ上がる。

 

 その闘いが永遠に続くかと思うほどに激しさを増していく。

 

 だが、終わりは確実に近づいていた。

 

 一際甲高い衝突音と眩い光が模擬戦場の中央部で響き輝く。

 

 爆発的な光の中から黒髪と白髪の少年が弾かれ飛んでくる。

 

 互いの会心の一撃が激突した破壊力によって身体が大きく投げ出された。

 

 ズザザ、と大地を滑って衝撃を往なす。

 

 短くも長かった互角の攻防の中で、初めて目に見えるほどの距離が開く。

 

 ウィズとネオが顔を上げる。

 

 冷徹でありながらも苛烈な戦意が漲った眼光と魔獣の如き獰猛さと殺意を滲ませた赫眼が交叉する。

 

 

 瞬間、二人を中心に凄まじい波動が溢れ出す。

 

 

 かつてないほどの魔力の高まりに、遠くから観戦する全員が息を呑む。

 

 伝わってくる圧倒的な迫力から極大な一撃が解き放たれようとしていることを察する。

 

 両者ともに右腕を振り被る。

 

 

 ウィズの拳が紅蓮に染まる。

 

 

 ヴァリヴァリヴァリヴァリッッ!!!! 

 

 最早聞き慣れた歪な破砕音がこれまで以上に鳴り響き、真紅の閃光が一気に膨れ上がった。

 

 拳の魔力が手首を通して、腕に広がる。

 

 右肘にまで達した赤き光が暴力的な輝きを放ち、周囲全てを打ち震わせる。

 

 大地に亀裂が走り、欠けた破片が宙を舞う。

 

 インフィニットブロウの第二段階、必殺を超えた破壊の拳が振るわれようとしていた。

 

 

 ネオの腕が漆黒に埋め尽くされる。

 

 

 他を圧倒する絶望的なまでの高密度な魔力が渦を巻き、螺旋を描いた。

 

 右腕に集約される黒一色の魔力が腕全体を覆って固める。

 

 触れるモノ全てを切り裂き、貫き、粉砕する凄絶な暴風の断層が軋みを上げる。

 

 余りにも強大な力場により空間が悲鳴を上げているかのようにギチギチギチッ! と思わず鳥肌が立つ奇怪な音が鳴り響く。

 

 今まで放っていた螺旋を遥かに超える規模で広がっていた暗黒の渦がグチャッ! と歪に蠢きやがて槍の如く圧縮される。

 

 これまでの比ではない黒の力が込められた螺旋槍が解き放たれようとしていた。

 

 

 強者二人の絶大なエネルギーが鬩ぎ合い、空気が震える。

 

 

 そして、全く同時に地面を踏み砕き、互いの距離が零にまで詰められる。

 

 

 眼前の相手に向けて、全力の一撃を──撃ち放つ! 

 

 

 

「インフィニットブロウ・バース──!!」

 

 

 

「螺旋貫手・シン──」

 

 

 

 想像を絶するパワーが秘められた紅蓮と漆黒がぶつかり合う、その瞬間。

 

 

『はい! 両者そこまでぇ──!!』

 

 

 二人は盛大に空振った。

 

 

 互いの右腕が上下に交差して、それぞれの背後の空間を穿つ。

 

 行き場を失った莫大なエネルギーが解き放たれ、空間そのものが爆ぜた。

 

 大地をゴッソリ抉り、空気が弾けて、一瞬音が消えた。

 

 衝撃と爆風が治まる頃になって、ようやく右腕を振り抜いた姿勢からゆっくり元に戻した。

 

「あーもぉー、いいとこだったのにー!」

 

「時間切れ、か…………」

 

 不貞腐れて地団太を踏むネオを尻目にウィズは静かに呟くと、目元を隠す形で顔を手で覆った。

 

 そのまま見えない仮面を脱ぐような仕草で顔を拭うと大きく息を吐いた。

 

 まるで張り詰めて戻らない神経を強制的に落ち着けたかのようだった。

 

 終盤から無表情を貫いてきた顔面が一度脱力し、すぐに苛立たし気に歪む。

 

(ちっ、息どころか汗一つ掻いていやがらねえ)

 

 近くで納得のいかない様子で不満を体現している少年を睥睨しながら内心で舌打ちをする。

 

 バリアジャケット自体はボロボロになっているし、身体も所々擦っていたり赤くなっているが消耗した様子はまるで感じられない。

 

 対するウィズは呼吸が乱れ、じっとりと全身が汗ばんでいる始末。

 

 互いの状態を見るに体力的にどちらが上か、軍配が上がるとすればそれは王者の方だろう。

 

 無論、それだけで勝敗が決まるわけではないが闘いにおける大事な指標の一つなのは確かだ。

 

 時間切れで終わったこともあって、何とも歯がゆい幕切れとなってしまった。

 

「いや、ちょっと待って! ウィズ、20分て何秒?」

 

「あ? なんだ突然」

 

 苛立ちと不満を腹に抱えているウィズの心中に気づいた様子もなく、ネオは平然と話しかけてくる。

 

 内容もあまりに馬鹿らしく思わず辛辣な態度を取る。

 

「いーいから!」

 

 そんなことはお構いなしに白髪の少年は詰め寄って急かしてきた。

 

「……1200秒だ」

 

 渋々ウィズは小学生でも答えられる回答を口にした。

 

 ネオは心底合点がいったように大きく頷いて、上空を見上げる。

 

 そこには試合終了を告げた男性、ジンの顔が映るモニターが展開していた。

 

「ほーらやっぱり! おかしいと思った。ジンさーどういうつもり?」

 

 胡乱な視線を向けられたジンは顎を擦りながら首を傾げる。

 

『さて、何のことだろうねぇ』

 

「惚けちゃって、あのさ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()じゃん! なのにどうして止めたのさ!」

 

 まるで探偵が犯人を言い当てた時みたいにズビシ、と指を突きつけて問い詰める。

 

 それよりも分を秒に換算できないにも関わらず、試合開始から正確に秒数を把握していたことに目を瞠る。

 

 何ともちぐはぐな少年の知能に呆れればいいのか驚けばいいのかわからない。

 

 ネオからの追及を受けてもジンの表情に動揺の色は見えない。

 

『そうかもしれないねぇ』

 

 それどころか柔和な笑みを浮かべながら肯定するように頷いた。

 

「えー」

 

 あまりにあっさりした返答に流石のネオも呆れていた。

 

 ウィズもこの時ばかりは同じ気持ちだった。

 

『実はおじさんの時計壊れてて時々秒針が飛んじゃう時があるんだよねぇ。いやぁ、これを計測に使ったのは失敗だったねー』

 

 ハハハ、と白々しい笑い声が木霊する。

 

 確かに、試合開始の時にあの時計で20分を経過したら終わりだと言っていたことを思い出す。

 

(最初から、早めに終わらせる気だったのか……まあ、あの人がそう判断したんなら仕方ねえ)

 

 ただでさえ無理を言ってこの試合を組んでもらったのだ、これ以上の我儘は言えないとウィズは意図的な試合時間の短縮にも折り合いをつけていた。

 

 しかし、白髪赤目の少年は違う。

 

「だー! 出たよジンの大人げない小細工! これだから汚い大人はさー!」

 

 納得がいかない様子で天を仰いで慟哭する。

 

「どうせまたオレがやり過ぎちゃうとでも思ったんだろうけど! あんないいとこで止めなくてもいいじゃんかー!」

 

 さらりと保護者の考えを正確に読みながら、悔しがり不満を叫ぶ。

 

 苦笑いするジンを尻目にギャーギャー騒いでいたネオだったが、次の瞬間にはピタリと止まる。

 

「ま、いっか。楽しみは後に取っておいた方が面白いもんね」

 

 そこには再びいつもの不気味な笑みを浮かべた表情へと戻った怪物の顔があった。

 

 怖気が走るほどの威圧的な微笑みを間近で向けられながらも鼻で笑い、ウィズが不敵に告げる。

 

「同感だ。決着はあの舞台でつけてやるよ」

 

 どちらも負けず劣らずの好戦的な態度と視線を交じらわせ、ピリピリとした空気が流れる。

 

『はいはーい、もう戦いは終わりにしようねぇ』

 

 そんな空気を霧散させるためか朗らかな声色で二人に声をかける。

 

 ウィズとネオもその声をきっかけに戦闘状態を完全に解除し、肩の力を抜いた。

 

 こうして昨年度のIM(インターミドル)の優勝者と準優勝者が拳を交えた壮絶な模擬戦は終わりを告げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 試合が終わり暫くして、再びウィズは意識を集中させていた。

 

 一点を見極めるために片時も目を離さず、最高の瞬間を絶対に見逃さない。

 

「まだー?」

 

 隙は見せられない。隙を見せればあっという間に持っていかれる。

 

「まだだ」

 

 視覚、聴覚、そして嗅覚を駆使してタイミングを見計らう。

 

 そこだ! とすかさずソイツを裏返す。

 

「ねーまだー?」

 

 一つだけではない。複数ある目標を全て視界に収めてコントロールする。

 

「まだだっつってんだろ」

 

 外野の声は無視して、眼下に広がる目標の色が変わったのを見逃さずに素早く銀の武器でひっくり返す。

 

 ジュワァ、とそれだけで涎が出そうな極上の音と芳ばしい匂いが鼻に届く。

 

「まだまだまだー」

 

「うるせえな! 肉が焼けるのなんてすぐなんだから大人しく待ってろ!」

 

 熱した金網の上でたっぷりの脂が乗ったお肉がネオの代わりに返事をするように勢いよく肉汁と油を跳ねさせた。

 

 時刻は正午ちょっと前、一同は昼食のためにホテルのテラスで焼肉パーティーを開催していた。

 

 その隅のスペースで男子二人が陣取って淡々と肉を焼いていた。

 

「ほら、焼けたぞ」

 

「わーい」

 

 言うが早いか一切れどころか三切れもまとめて掬って大きく開けた口に放り込む。素手で。

 

「いや箸を使え!」

 

ひひはんへふひ(いいじゃんべつに)

 

 ネオは取り皿に盛られた肉を次々と直接指で摘まんで口まで運んでいた。

 

「……原始人かよ」

 

 あまりにも非常識なテーブルマナーを見て普通に引きながら、ただただ肉を焼く。

 

 ネオの食事を飲み込むスピードは本当に噛んでいるのか怪しいくらいに速く、肉を焼くのが追い付かなくなってくる。

 

 速いだけではなく、どうやら食事量も相当なもののようだった。

 

 次々と肉が盛られた皿を空にして積み重ねていきながらも、食べるスピードは一向に落ちない。

 

 恐ろしい食欲だ。

 

むが(まだ)ー?」

 

「口に物入れて喋るんじゃねえよ」

 

 行儀の悪いネオの言葉に辟易しながらも渋い顔で肉を焼き続けるウィズ。

 

 まるで肉食動物にエサを与えている飼育員の気分だった。

 

 そんな時、口内の肉を咀嚼し嚥下したネオは暫くは様子を見ていたが、それも数秒だけだった。

 

 何の前触れもなく徐に手を伸ばしてきた。

 

 金網で焼き始めたばかりの肉をぐわしと鷲掴みにして口元に持っていく。

 

 あまりに素早い動きと想定外の行動に反応できなかった。

 

「──おいこらぁ! 行儀悪過ぎる上に生焼けを食うな!」

 

らっへ(だって)、んぐ、遅いんだもんウィズ」

 

 ウィズの怒鳴り声にも一切萎縮した様子もなく、それどころか呑気にほぼ生の肉を飲み込んで文句を言う始末。

 

 こめかみに青筋が浮かび、頬が引き攣る。

 

「焼肉なのに焼かずに食う馬鹿がどこにいる!」

 

 思わずさらに怒声を浴びせるウィズだが、怒るポイントが少しズレている。

 

 そもそも熱した金網に触れたことで火傷を負ったり、生の肉を食べて腹痛を起こすかもしれないという心配はことこの少年に対して一切していないからなのだが。

 

「おー、たしかに」

 

「……アホだ。いいから大人しくしてろ、ったく」

 

 能天気に手を叩く姿に怒る気力すらなくし、ウィズは淡々と新たな肉を焼き始める。

 

 

 

 

 

 その様子を傍から見ていた幼い少女たちは二人の掛け合いを見て意外そうに眼を丸めていた。

 

「……なんていうか」

 

「仲が良いのか悪いのか、どっちなんだろ?」

 

「気心の知れた仲ではあるみたい?」

 

 今もウィズが小言を言いながらも焼いた肉を配膳し、ネオは能天気に返事をしながら大口を開けて肉を何切れもまとめて口に含んでいた。

 

 険悪というわけでもなく、けれど決して仲睦まじいというわけでもないが言葉の節々に遠慮のなさや親しみを感じる。

 

 少し前まで試合と言う名の殴り合いの喧嘩をしていた二人とは思えないくらいだ。

 

 そんな二人の関係を言葉に表すとしたなら例えば。

 

「普段は喧嘩の多い双子の兄弟、ってとこだろうねぇ」

 

 自分たちの思考を読んだかのように横から投げかけられた声にハッとしてそちらに顔を向ける。

 

 そこには今まで出会った男性の中でも群を抜いて背丈が大きく、温暖な気候であってもスーツの上着すら脱がない細身の男性が立っていた。

 

 しかし、背丈の大きさからくる迫力とは裏腹に優しい笑みを浮かべた柔和な表情から感じるのは穏やかな気配だった

 

 不思議な雰囲気を感じさせる中年の男、ネオの保護者であるジン・クライストが笑いかけている。

 

 彼は大人たちに改めて挨拶や昼食のお礼などを言いに回っていたようだったが、どうやらそれも終わって問題児の元へ戻ろうとする途中のようだった。

 

「えっと、クライスト、さん、それって……」

 

 年上の男性ということもあってやや緊張感を滲ませながらも口を開いた。

 

 ヴィヴィオの緊張にも気づいているのかジンはあくまでも少し離れた位置関係を保っている。

 

「あいつとウィズ君は試合がなければ、あんな感じで軽い口喧嘩、というかウィズ君を一方に苛立たせちゃってるから申し訳ないんだけど、まあそのくらいで決して仲が悪いわけじゃないんだよねぇ」

 

 箸を使いやがれ、と指導するウィズをのらりくらりと受け流して肉を貪るネオ。

 

 二人のやり取りを優しさとほんの少しの憂いを混ぜた視線で眺めながら言葉を続ける。

 

「最初の出会いこそ色々あったけど、どうもあの二人の間には不思議な繋がりができたみたいでねぇ。初対面以降は割とあんな感じで気安く言い合う仲になってたんだよねぇ」

 

「ウィズさんとチャンピオンの出会い……」

 

「あー、その辺りはウィズ君のプライバシーにも関わるからねぇ。詳しい話はウィズ君本人から聞いておくれ」

 

 思わず気になるキーワードを金髪の少女が反芻するように口にしただけだったが、問いかけられたと認識したジンは二人の出会いに関しては口を濁した。

 

「今の二人を見てると、何だかんだで面倒見のいいお兄ちゃんが落ち着きも礼儀もない弟を窘めてるって感じがするんだよねぇ」

 

「「「あー」」」

 

 言われてみればとヴィヴィオ達は相槌を打つが、三人とも一人っ子であるためイメージはしづらかったかもしれない。

 

 ジンの意見を参考にもう一度二人を見てみる。

 

 トングの先を向けて野菜も食えと苦言を呈しているウィズに対してやだやだと肉を口一杯に頬張りながら拒否しているネオ。

 

 兄弟と言うよりもお母さんと子供みたいな微笑ましいやり取りに見えてきて苦笑いする。

 

 ウィズが野菜を摘まんだトングを素早くネオの皿に乗せようとするが、ネオもネオで人間離れした俊敏さで回避していた。

 

 微笑ましさを超えて騒がしくなってきた二人を見ながらポツリとジンが呟いた。

 

「……ホント、そんな関係だったらどれだけよかったか」

 

「え?」

 

 ヴィヴィオの耳にだけ微かに届いたジンの独白に思わず聞き返す。

 

 だが、彼は先の独り言などなかったかのように振る舞い、少女たちから離れていく。

 

「お食事の邪魔をして悪かったねぇ。あいつの世話を代わってあげなきゃウィズ君がお昼食べられなくなりそうだからもう行くねぇ」

 

 そう言い残してジンはウィズたちの元へ向かっていった。

 

 結局、先程の言葉の真意は聞けずじまいだった。

 

 

 

 

 

 昼食後、すぐにネオとジンは飛び立つこととなった。

 

 ジンの仕事の関係で大分遠くの星まで行かなくてはならないらしく、今すぐにでも出なければ間に合わないようだ。

 

「それでは、色々とお世話になりました」

 

 灰色のスーツ姿の男性が帽子を取り、皆へ向かって静かに頭を下げる。

 

「こちらこそ、俺の我儘のせいでご迷惑をお掛けしてすみませんでした」

 

 すかさずウィズも頭を下げ返す。

 

 多忙なスケジュールを抱えていることを知っていただけに罪悪感も一入だった。

 

「ハハッ、いいよ別に、楽しかったし」

 

「お前に言ってねえ……」

 

 代わりに横から能天気な声で言葉を投げかけてきた少年を睨む。

 

 ネオはウィズの苛立った態度もどこ吹く風と笑いながら受け流していた。

 

「いいんだよウィズ君。こいつにとっちゃウィズ君と戦うことだけが唯一の楽しみだろうし、暴れ出させないために適度に発散させようにも相手が務まるのはウィズ君くらいだしねぇ」

 

 寧ろ感謝しているくらいだよ、とネオの笑みとは全く違う慈愛を含んだ微笑みを浮かべてウィズを安心させた。

 

「……それならいいんですけど」

 

 それでもまだ眉尻を下げて申し訳なさそうにしていた。

 

 見かねたジンが更に付け足すように言葉を重ねた。

 

「ウィズ君にはこいつと長く付き合ってもらいたいからねぇ。ホント、このくらいなら全然迷惑でも何でもないよ」

 

「…………長く付き合えるかはわかりませんが、決着をつけるまでは喰らいついてでも離しませんよ」

 

 ジンの気遣いを慮ってかウィズは不敵に笑いながら断言した。

 

 灰色スーツの男性は逆に少しだけ苦笑いした。

 

「おじさんとしては、完全に決着がつかないことを祈るよ」

 

「…………」

 

 その言葉に、ウィズは無言で返した。

 

 傍から二人のやり取りを聞いていた人たちには、彼らの会話にどんな真意が含まれていたのかわかるわけがなかった。

 

 ジンはもう一度ホテルアルピーノの面々に頭を下げて、次元港へ向けて歩き去って行った。

 

 追従するネオが別れ際、首を振り返り気味に傾けながら、最後に告げた。

 

 

「次もちゃんと楽しませてね、ウィズ」

 

 

 口元は弧を描き、向けられた瞳は期待と戦意に彩られ、歪に輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の午後は大人も子供もみんなで軽めのトレーニングメニューで運動をしたが、そこにウィズの姿はなかった。

 

 彼は模擬戦の疲れを癒すためという名目で、自室で休んでいた。

 

 無論、それも理由の一つなのだろうが、色々と整理を付けたかったのだろう。

 

 王者と別れた後、伏し目がちな表情を浮かべていたことからの推測だ。

 

 ウィズは夕食の時こそ顔を出したが、食事が終わればすぐに自室へ戻ってしまった。

 

 結局この日、ヴィヴィオたちはまともに少年と話すことはできなかった。

 

 そして一夜明け、合宿四日目の最終日。

 

 四日目はトレーニング等は一切行わず、遊びやピクニックなどの行楽に費やすこととなっている。

 

 というわけで、ヴィヴィオたちはホテルアルピーノからそう離れていない小丘でピクニックを楽しんでいた。

 

 草原の上にシートを敷き、朝食も兼ねたサンドイッチを美味しくいただいた後、のんびりとした時間を過ごしていた。

 

 今は持ってきた頭くらいの大きさの柔らかいボールを使ってボール回しに興じていた。

 

「それ!」

 

「おっとっと」

 

「あは、アインハルトさんいきましたよ!」

 

「は、はいっ」

 

 四人の少女たちが楽しそうに笑いながらボールを飛ばして遊んでいた。若干一名表情も動きも硬くなっていたが。

 

 先程までノーヴェやルーテシアも加わっていたのだが、昼食の準備などで一時的にホテルに戻っている。

 

 なので、今この場に居るのは少女四人──と少し離れた木陰にもう一人。

 

「………………」

 

 丘の上に生える一本の大木の根本に腰掛け、ぼうっとどこでもない虚空を眺めている黒髪の少年。

 

 そんな人物は一人しかいない。ウィズである。

 

 まさかこの少年が自らピクニックに参加するわけもなく、彼がここに居るのは偏になのはのせいだった。

 

『ウィズくん! こんないい天気なのに部屋に籠りっぱなしなんて勿体ないよ。昨日は見逃したけど今日は許さないからね』

 

 と本当に母親みたいなことを言うなのはに押されてヴィヴィオたちにくっつかされたのだ。

 

 だが、半ば無理矢理付いて来させられたピクニックを心から楽しめるわけがない。

 

 いつもの──と言えるほど長い付き合いではないが──覇気のある顔つきと比べて、やはりどこか陰りがあった。

 

 言葉を投げかければちゃんと返事はしてくれるのだが、それ以上の会話が中々続かなかった。

 

 やはり、昨日の王者との模擬戦で思うことがあるのか心ここにあらずな状態であると見受けられた。

 

 色んな話をしたい聞きたい、でも彼が試合について思考しているのを邪魔したくない。だけど、もし悩んでいるなら力になりたい。

 

 そんな相反する思いが心中で渦巻き、ヴィヴィオの葛藤は今も続いていた。

 

 ボール遊びをしている最中でも、何か話すきっかけがないものかと意識している。

 

 横目でちらりとウィズの顔色を窺う。

 

 木の太い幹に凭れ掛かり、ヴィヴィオたちが遊んでいる方向とは逆方向に視線を送っている。

 

 烏羽色の前髪が風に揺れ、その隙間から覗く木漏れ日を反射させて美しい輝きを見せる翡翠の瞳。

 

 少しだけ幻想的な光景、のようにヴィヴィオには見えて一瞬目を奪われる。

 

 いやいや、と思考を放棄しかけていた自分の頭を再起動させるように顔を振る。

 

「あ、ヴィヴィオ!」

 

「……え?」

 

 その時、突然名前を呼ばれたことで思考が現実に回帰する。

 

 顔を上げた先には視界を埋め尽くす黒い影があった。

 

「あうっ」

 

 ボスンと額に柔らかいボールが当たり、全く痛みはなかったが軽い衝撃に思わず声が漏れた。

 

 反動で真ん丸の玉は転々と地面を転がる。

 

「もう、なにボーッとしてるのー」

 

「あはは、ごめーん」

 

 ボールの当たった額に手をやりながら、気まずそうに笑って謝罪する。

 

 まさか黒髪の少年を盗み見てたら見惚れてましたなんて口が裂けても言えない。

 

 誰もヴィヴィオが呆けていた理由について気にした様子もなく、朗らかに笑っていた。

 

 転がったボールに一番近い位置にいたリオが拾いに向かう。

 

 すぐに追いつき、ボールを両手で抱えて拾い上げた。

 

 そして、拾い上げた視線の先には先ほどヴィヴィオが玉を見失った原因たる少年の姿があった。

 

「…………」

 

「? リオ?」

 

 ボールを拾い上げた体勢で固まる友人の姿を不審に思ったコロナが思わず声をかける。

 

 遅れてヴィヴィオをリオの様子に気が付いた。

 

 しかし、名を呼ばれたリオは返事を返すこともなく、よしと何か決心したように一つ頷いて一歩前に進む。

 

 進む先には勿論、あの少年がいる。

 

(まさか、まさかいくの? いっちゃうのリオ!?)

 

 自分が決して踏み出せなかった一歩を、元気が取り得の友人が踏み込んだことを察したヴィヴィオは驚愕を露わにする。

 

 ヴィヴィオ、それにコロナやアインハルトも見守る中、迷いなくリオは脚を進めた。

 

 そして、ウィズの元まで歩み寄ったリオは特段緊張した様子もなく無邪気に口を開いた。

 

「ウィズさん!」

 

「ん?」

 

 明るい少女の声に呼ばれて、ウィズが反射的に顔を向ける。

 

「一緒に遊びましょー!!」

 

 ボールを頭上に掲げ、太陽のように明るい天真爛漫な笑みを浮かべて屈託のない声で告げた。

 

 大きく開かれた口元からは特徴的な八重歯が覗いている。

 

(いったー!!)

 

 何の打算もない無垢なお願いを言ったリオにヴィヴィオは内心で絶賛し、誘われたウィズも目を瞬き口を僅かに開いて驚いている。

 

「…………」

 

「…………」

 

 数秒の沈黙が辺りを支配する。

 

「…………」

 

「…………ぁぅ」

 

 反応が返ってこない現状に流石のリオも思わず涙目になる。

 

 そんなリオの様子を見て、ようやくウィズも呆けていた思考を現実に引き戻す。

 

 そして、ふっと軽く息を零すように笑い、立ち上がった。

 

「そうだな、折角だし遊ぶか」

 

 勇気を出して自分を誘ってくれた少女を安心させるようにくしゃりと大きな手がリオの頭を撫でる。

 

「ふわぁっ」

 

「「あっ!」」

 

 撫でられたリオからは微かな驚きと確かな喜びが混ざった吐息が漏れた。

 

 その光景を見ていたヴィヴィオ、それにコロナが反射的に短く叫んだ。

 

 彼女たちの声色には驚愕というよりも多分の羨望が宿っていた。

 

 リオからボールを受け取ったウィズがこちらへ向かってくる。

 

「……えへへ」

 

 その半歩後ろで嬉しそうに撫でられた頭を押さえている友人が目に入る。

 

(な、なんだろう、この胸がざわつく感じ……)

 

 ざわざわ、と今まで感じたことのない胸に走る不可解な感覚に困惑する。

 

 ざわつく感覚の正体を理解するよりも前にウィズが間近まで近づいていた。

 

 右手の人差し指の先でクルクルとボールが回転している。

 

「それで? とりあえずこれを落とさないように回し合えばいいのか?」

 

 先ほどまでの微かに帯びていた憂いの感情を感じさせない穏やかな顔つきだった。

 

 

 そうして五人で輪になってボール回しをすることになったのだが。

 

 

 ポーン、ポーン、バシィッ。

 

「んっ!」

 

 ポーン、ポーン、ポーン、バシィッ。

 

「あのっ」

 

 ポーン、バシィ、バシィッ。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

「何だ?」

 

 ウィズの対角線上に立つ碧銀の少女が思わず声を上げる。

 

 ウィズは戻ってきたボールを一旦受け止めて中断した。

 

「どうして私にだけ当たりが強いんです!」

 

 そう、ウィズが小学生の女児たちにボールを返す時は優しく放るのだが、何故かアインハルトに対してだけバレーのアタックのような激しさを見せていた。

 

 無論、本気ではないし軽い玉のため速度も威力も大したことではない。

 

 ただ、ここまで急激に緩急をつけられれば困惑するし他と180度対応が違えば反論したくもなる。

 

「ああ、すまん。お前にならこれくらいしてもいいかなって、角度もちょうどいいし」

 

「どういう基準ですかそれ……」

 

 納得がいかないように眉を顰めるアインハルトに悪びれた様子もなく肩を竦めた。

 

「それにただボールを回していくだけじゃつまらんかと思ってな」

 

「あ、じゃあお話しながらやりましょう」

 

 ウィズの言葉にすかさずコロナが提案する。

 

「それで落としたら罰ゲームってことで」

 

 リオも面白そうに微笑みながら便乗した。

 

「罰ゲーム……」

 

 ウィズはポツリと呟き、先日にも同じようなことをある女性との間でやり取りしたのを思い出していた。

 

 幸いにも小声であったため彼の独白を耳にしたものはいなかった。

 

「それなら落とした人はスクワット10回、なんてどう?」

 

 最後にヴィヴィオが笑顔で告げた。

 

 変なところで体育会系のノリを出す少女たちだった。

 

 こういった同年代同士のコミュニケーションが苦手というか不慣れなアインハルトは口を挟む余地がなかった。

 

「それじゃあウィズさんからお願いしまーす」

 

「えっ、俺? まあいいが……」

 

 現在ボールを手に持っているウィズからスタートすることは至極当然だった。

 

 しかし、小さな少女たちが盛り上がりそうな話題など到底検討もつかない。

 

 そのため、とりあえず真っ先に頭に浮かんだことを口にした。

 

「アインハルト、お前デバイスの話は済んだのか?」

 

 ポン、と碧銀の少女に言葉を投げかけながらボールを叩いて飛ばす。

 

「は、はい。八神さんという方が真正古代(エンシェント)ベルカのデバイスに精通しているということでご協力をいただくことになりました」

 

 突然話を振られたことに困惑しながらも、玉の軌道も緩やかだったこともあって何とか口も手も動かした。

 

「八神はやてさんはなのはママやフェイトママの幼馴染なんですよ」

 

 ヴィヴィオが自分の元へ来たボールを難なくトスする。

 

「とっても明るくて綺麗でそれに面白い方でした」

 

 続いてコロナは手前に落ちてきたボールを落ち着いて下手でレシーブする。

 

「去年の合宿には来てたんだよね。いいなー私も会いたいー」

 

 リオは放物線を描いて頭の上に飛んできたそれをなんとヘディングで返した。

 

 器用だな、と思いながらウィズは適当な返事を返しながら戻ってきたボールをパスした。

 

「ウィズさんはインテリジェントに変えようとは思わないんですか?」

 

 ウィズからパスを受けたコロナがデバイス繋がりで質問を投げ掛けた。

 

 IMで準優勝した経歴を持つ彼であれば、デバイスを製作する大手の会社からもアプローチが来ているだろう。

 

 金銭的な意味で新たなデバイスを造れないわけではないと推測できる。

 

 それでもウィズは以前から変わらず赤い腕輪のデバイスを身に着けている。

 

「ああ、俺はデバイスの性能に頼りたくないし、それに気持ち悪いからな」

 

「え? 気持ち悪い、ですか?」

 

 デバイス選びの上では聞かない単語に思わず聞き返す。

 

「お前たちは感じないみたいだけどな。前にあの人……なのはさんのデバイスを使わせてもらったことがあってな」

 

「レイジングハートを?」

 

 ヴィヴィオが母の愛機の名前を口ずさむ。

 

「そうだ。その時、俺の魔力を使って魔法を組まれたんだが、あの感覚が如何ともし難い気持ち悪さでな」

 

「私もクリスが来る前はレイジングハートに魔法を手伝ってもらってましたけど、そんな感じはしませんでしたが……」

 

「いや、普通は何ともないんだろう。ただ俺は自分の魔力を何者かに動かされるのが受け付けられないらしい」

 

 戦闘中のコンマ数秒の刹那が勝敗を分けるという時に集中を乱されてはたまったものではない。

 

 だからこそ、ウィズは最低限の機能しかないレッドを使い続けているのだ。

 

 少年の思わぬ拘りを聞けて得した気分になる少女たち。

 

 その後も何気ない日常会話レベルの話を交わして盛り上がる。主に三人娘がきゃいきゃいと姦しかった。

 

 ウィズも適度に会話に混ざりながら、基本的には聞き手に回っていた。

 

 一度だけアインハルトに返球した時に、手元で変化するように回転を加えてミスを誘ったが失敗した。

 

 彼女はすぐに少年の小細工に気づき頬を赤くして二色の瞳で睨んだが、無視された。

 

 

 

 

 そんな時間が数分続いた辺りだっただろうか、徐にリオがウィズに向かって口を開いた。

 

「ウィズさん、昨日の試合はどうでした? 手応えは感じましたか? あのチャンピオンには勝てそうですか!?」

 

 彼女の言葉にヴィヴィオの身体が電流に打たれたようにビクンと震える。

 

 ヴィヴィオは友人の本日二度目の忌憚のない発言に驚愕を隠せない。

 

「……ズバリきたな」

 

 機嫌が悪くなったわけではなく呆れた様子であることが救いだった。

 

 ウィズは一瞬だけ逡巡し、緩やかに向かってきていたボールを片手でトスしながら答えた。

 

「手応えはあったっちゃあった。アイツと闘ったことで以前より自分がどれだけの力を付けたのか体感できたからな」

 

 おぉ、と思わず感嘆の声が漏れる。

 

 しかし、ヴィヴィオたちの盛り上がりを断ち切るようにきっぱりと告げた。

 

「だがまあ、このままだと十中八九負けるな」

 

「「「ええっ!?」」」

 

 ウィズの発言にヴィヴィオたち三人娘は信じられないと言わんばかりに瞳を見開いて驚きの声を上げる。

 

 因みにボールは慄く金髪の少女の代わりにウサギのぬいぐるみが全身を使って打ち返した。ギリギリ反則のような気がするがただの遊びであるし、今はそれどころではない。

 

「そんな、あんなに互角の勝負だったじゃないですか!」

 

 もうボールの行方など気にする余裕はなく、ヴィヴィオがウィズに詰め寄る。

 

 アインハルトは自身の元に飛んできた玉を返さず受け止めた。少女たち、それに自分も彼の話が気になってしょうがないからだ。

 

「そう見えたか?」

 

「はい! 両者一歩も譲らない激闘でした!」

 

 嘘ではない。確かに序盤こそ押されていたが、それ以降は本当に互角の試合だと思っている。

 

 だが、ウィズはほんの少しだけ心苦しそうに眉を下げて言う。

 

「それはな、アイツが遊んでたからだ」

 

 遊び、その言葉に狂気的な笑みを浮かべて戦う白髪の少年の姿が想起される。

 

「でもでも、チャンピオンも凄い攻撃を何度もしてたし、本気だったんじゃ……」

 

「ああ、本気で遊んでたんだ」

 

 ヴィヴィオの見解とは違うとわかっていながらも、わざと肯定するような言い方した。

 

「前の決勝戦観たことあるなら知ってるだろ。アイツは『螺旋』こそ使ったが他の『六本脚』と『爪牙』は使う素振りすら見せなかった」

 

 それは最強の王者がウィズに対してだけ披露した奥義とも言える技の名称だった。

 

「『六本脚』ってあれですか? こう背中からグワーってなるやつ」

 

 リオがぐわー、と自分で言いながら両手を広げてわしゃわしゃと動かす。

 

 藍色の少女の愛らしい姿に微笑ましそうに目を細めて頷いた。

 

「ああ、それだ。あれを使われてたら、ただでさえ不規則なアイツの動きが更に変幻自在になっていただろうな」

 

 それだけではなく攻撃も激化の一途を辿るだろうと暗に告げていた。

 

「でも『爪牙』というのは……」

 

「あの試合でのフィニッシュブローだ」

 

 『螺旋』や『爪牙』というのはネオとウィズの間だけで使っている名称であるため、名前だけでは伝わりづらい。

 

 そのため、ウィズはコロナの疑問に端的に答えた。

 

 合点がいったようにリオが手を打った。

 

「ああ! ウィズさんが場外まで吹き飛んだあの──っ、ご、ごめんなさい……」

 

 思わず声に出てしまった言葉が相手を不快にさせたかもしれないと察し、すぐに謝罪した。

 

 ウィズは気にした風もなく口角を上げて笑い飛ばす。

 

「いいや、気にするな。事実だからな」

 

「それでは、切り札を温存していた、ということですか」

 

 これまで聞き手に回っていたアインハルトが初めて口を出した。

 

「温存、なんて意識はアイツにはなかっただろうがな。ただ長く楽しんでいたかった、それだけだ。『爪牙』を出せばすぐに終わると思ってたんだろ、ムカつく野郎だ」

 

 王者が繰り出す技の中で、間違いなく最大最高の威力を誇り、正に奥義と呼べる技。

 

 だからこそ、それを使わなかったことに苛立ちを禁じ得ない。

 

 舌打ちが聞こえてきそうなほど顰められた表情に少女たちは苦笑いをする。

 

 そんな中でヴィヴィオは意を決したように口を開いた。

 

「でもやっぱり、ウィズさんは以前よりもずっと強くなってると思います! あんな凄いカウンターだって決められたんですから! きっと全力のチャンピオンにだって通用しますよ!」

 

 ヴィヴィオの熱の籠った応援にきょとんと眼を丸くして見つめ返すウィズ。

 

 その反応に熱くなっていた自分を自覚してカァ、と頬が赤くなる。

 

「確かに、あのカウンターは自分でもよく動けたと思ってる。それに負けると言っても今のままならって意味だ。まだ時間は残ってるからな、色々と対策は考えてる」

 

 ウィズの強気な発言に羞恥心で悶えそうになっていたヴィヴィオの表情が歓喜に変わる。

 

 隣のリオやコロナも同様だった。

 

「応援してます!」

 

「頑張ってください!」

 

「試合、絶対見に行きますね!」

 

 三人娘の大きな瞳がキラキラと輝いて見える。

 

「お、おう……」

 

 彼女たちの怒涛の詰め寄りに思わずたじろぐ。

 

 逃げるように視線を逸らし、その先に一歩離れた位置から力強い視線を向けてくる碧銀の少女を捉える。

 

 気を逸らす意味でも話題を変える意味でもウィズは彼女に声をかけた。

 

「なあ、アインハルト。お前、まだ俺と戦おうって思ってるのか? 強さだけで言うならアイツも相当だぞ」

 

「はい、チャンピオンも底知れない実力を感じました。ですが、私が一番拳を交えたいと思うのはやはり貴方です、ウィズさん」

 

 あ、これ墓穴掘ったな、と自分の失敗を悟ったウィズ。

 

 少年の後悔の念など露知らず、アインハルトは強く語った。

 

「昨日の試合を観ていて改めて思いました。私は貴方に私の全てをぶつけたい。覇王の拳も意志も、全てを」

 

 ギュッと小さな手を握り締め、青と紫の美しい瞳に並々ならぬ思いを滲ませている。

 

 微笑みを浮かべた圧倒的な力を持つ者、覇王の記憶にある少女とは本質的に全く違うが、それでも同じ絶対的強者であることは変わらない。

 

 その強者を前にしても一歩も退かないあの姿。

 

 聖王女(オリヴィエ)を止めるために立ち塞がった若き覇王(クラウス)の姿と重ねって見えた。

 

 もしも、彼に拳を届かせ、追い付ければ、強さの証明が得られるのではないか。

 

 覇王の記憶を継承してから朧気でしかなかった目標が明確な形になったように感じた。

 

「だから私は貴方と戦いたい。今はまだ届かずとも、いずれ必ず私の、覇王の拳を届かせてみせますっ」

 

 静かに、だが強く、激しい思いが伝わってくる碧銀の少女の宣言だった。

 

 少女たちも興奮を忘れ、息を呑むほどに気迫の籠った言葉だった。

 

 それを真正面から受けた少年は。

 

 

「そう言えば前から気になってたが、覇王って何だ?」

 

 

 ガクッと少年以外の全員が思わず前のめりに脱力する。

 

「……そうですね。まだ貴方には話してませんでしたね」

 

 すっかり興が削がれてしまったアインハルトだが、自分の生い立ちを彼に話していなかったことを思い出し、改めて説明する。

 

 自分の正式な本名、古代ベルカから続く覇王の血筋、先祖返りや記憶継承術、覇王の悲願などを簡潔に語った。

 

 小さい少女が抱える壮大な宿命に対するウィズの反応はと言えば。

 

「ふむ、っていう設定なんだな? お前の中では」

 

「ち、違いますッ!!」

 

 まさかの誇大妄想(ちゅうにびょう)扱いに頬を真っ赤にして全力で否定する。

 

 彼女の反応を楽しむようにウィズは笑いながら告げた。

 

「冗談だ。流石に今の話が妄想や嘘とは思ってねえよ。それにしても、そうか、ふーん…………え? ちょっと待てよ」

 

「……なんですか?」

 

 今度は何を言い出すんだとアインハルトは訝しく思いながらウィズを半目で見つめる。

 

「お前、本名はハイディって言うのか? アインハルトじゃなく?」

 

 どうやら彼にとって特殊な生い立ちや覇王の悲願よりも少女の名前の方が気になるようだ。

 

「……いえ、まあ、どちらも本名です。ただ名乗りやすさと愛着があるという意味でアインハルトと名乗ることが多いというだけで……」

 

「ハイディ……そうか、ハイディちゃんか!」

 

 なるほどなるほど、と彼女の名前を口ずさむ声を聞いてアインハルトの頬が今までにないくらい紅潮する。

 

 カアァッとウィズが自分の本名を口にする毎に顔どころか全身に激烈な熱が行き渡る。

 

 何故これほど羞恥を覚えてしまうのか自分でも理解できない感情に翻弄される。

 

「ハハハ! ハイディちゃん! いいじゃないかハイディ! フフ、アインハルトよりも女の子らしくて可愛い名前で! クククッ」

 

 激しく揺れ動く感情は少年の含み笑いとからかい混じりの言葉によって爆発する。

 

「~~~ッ、やめてください!」

 

 顔を真っ赤にして、激情に任せて拳を握る。

 

 だが、完全に放たれるよりも前に断空の拳は途中で止まる。

 

「おっと、照れ隠しにソレするのやめろって」

 

 前回で学んだのか一瞬で間合いを詰めたウィズが腕が振り切られる前にあっさりと彼女の拳を受け止めたのだ。

 

 アインハルトの瞳が大きく見開かれる。

 

 断空拳をいとも簡単に止められたから? 否。

 

 瞬く間に間合いを詰められたから? 否。

 

 彼女の小さな拳を包み込むように少年の大きな手が重なっているからだ。

 

 ギュッと硬く温かい掌がしっかりと自分の手を包み込んでいる。

 

「~~~~~~~ッッッ!!!」

 

「お、おい、暴れんな」

 

 最早武術もへったくれもない遮二無二になって掴まれた手を振り解こうと振り回す。

 

 だが、離れない。

 

 ウィズもウィズでこのまま放せばまた殴り掛かられると思い、離そうとしない。

 

 結果、感じ続ける手の温もりに羞恥が溢れ頭が沸騰しそうなほどの熱を生み出す。

 

 アインハルトの瞳が徐々に濡れ始める。

 

 これはヤバいとウィズも焦り始めた時。

 

「ウィズさんっ」

 

 後ろから静かに少年を咎める少女の声が聞こえた。

 

 ゆっくり振り向けば、むぅと口を一文字に閉じてこちらを見つめる金髪の少女の姿があった。

 

 彼女だけではなく、隣の少女二人も同様にむむぅと頬を僅かに膨らませている。

 

 可愛らしくも明確な咎める視線に少年の息が詰まる。

 

 これまで慕ってくれていた少女たちから責められているという事実が余計に胸に刺さる。

 

「あいや、こいつの本名が面白──意外で、つい…………いや、そうだな」

 

 パッと掴んでいたアインハルトの手を離す。

 

 いきなり手を離された少女はバランスを崩しながらもすぐに体勢を整えて、掴まれていた右手を胸の前で押さえる。

 

 はぁはぁ、と息を乱し頬を赤く染めた碧銀の少女に向かってウィズは軽く頭を下げた。

 

「すまん、人の名前をからかったりして悪かった」

 

 突然の彼の謝罪に一瞬面を喰らう。

 

 おかげで少しだけ冷静さを取り戻すことができた。

 

「い、いえ、私も少し過剰に反応してしまいました」

 

 アインハルトも自分にも非があったことを認め、照れ隠しの意味でも顔を俯かせる。

 

 思い返してもどうしてあんなにも我を忘れるほど慌ててしまったのかわからない。

 

 二人の些細ないざこざもどうにか落ち着き、三人の少女たちからも安堵の息が零れる。

 

 しかし、まだ頬を赤くし気まずそうに立ち尽くす少女の姿を見て、ウィズは気を逸らすために言葉を紡ぐ。

 

「で、アインハルト、お前が俺と戦いたい理由はまあ、何となくだが理解した。だから、ある条件を満たせば戦ってやらんこともない」

 

 勿論全力でな、という黒髪の少年の言葉に勢いよく顔を上げるアインハルト。

 

「何ですか、その条件というのは」

 

 そこには羞恥で涙を浮かべていた少女の瞳はなく、ギラギラと戦意に燃える格闘家としての眼差しがあった。

 

 周囲の空気と彼女の気分を切り替えられたことに密かに安堵しながらウィズは続ける。

 

「何、簡単だ。お前、IMに出るんだろ?」

 

「ええ、そのためにデバイスの作成をお願いしたのですから」

 

 アインハルトがIMに参加しようと思った理由は一昨日の晩、ウィズの過去話を聞いた後に話題となったIMの話を聞いて、純粋に興味が湧いたことが一つ。

 

 もう一つは彼が出場した大会で自分がどれだけ戦えるのか試してみたくなったのだ。無論、男女別であることは理解している。

 

「ならIMの都市本戦で優勝してみろ、それが条件だ。いずれにしろ、それくらいの実力がなきゃ俺の相手は務まらんぞ」

 

「……都市本戦」

 

 彼女はまだIMのことには詳しくはないが、ウィズが条件として挙げるくらいには難しいことなのだろうと予想できる。

 

 それでもアインハルトは臆するどころか、より一層意欲が湧いてきた。

 

「その言葉、信じてよいのですね」

 

「ああ、約束は絶対に守る」

 

 彼は簡潔にしてはっきりと口にした。

 

 アインハルトも納得したように頷き、羞恥で乱れていたことはすっかり頭の隅に追いやられたらしい。

 

 そんな二人のやり取りを聞いていた少女の一人が手を伸ばし元気よく声を上げた。

 

「はいはーい! それってもし私が優勝しても有効ですか?」

 

 リオの無邪気な問いかけにウィズは目を瞬きながらも頷いた。

 

「いやまあ、俺と戦いたいなら別に構わないが」

 

 ウィズの肯定に藍色の少女がやったー、と諸手を挙げて喜ぶ姿に苦笑する。

 

「り、リオ? リオもそんなにウィズさんと戦いたかったの?」

 

 友人のはしゃぎようにコロナが動揺した様子で問いかけた。

 

「え? いやーアインハルトさんほど強い思いがあるわけじゃないけど。あのウィズさんと戦えるんだよ! 真剣勝負で!」

 

 リオの純粋な闘争心は格闘技選手なら誰もが持つものだ。

 

 何せ彼はミッドチルダの競技選手の憧れの的であることは間違いない。

 

 キラキラと瞳を輝かせる友人を見て、コロナもハッと感化させられる。

 

「……そうだよね、私もいつか戦ってみたい」

 

「うんうん、何年かかるかわからないけど頑張ろうよ!」

 

 おー! と少女たちが互いに奮起しているのを傍で眺めていたウィズはえ? 今年だけじゃないの? と密かに瞠目していた。

 

 いや、とウィズが否定しようと口を開きかける。だが。

 

「リオさん、コロナさん、負けませんよ」

 

「はい! 私も全力で行かせてもらいます!」

 

「私も! 精一杯頑張ります!」

 

 不思議な盛り上がりを見せる美少女たちを前にして口ごもる。

 

 今年限りの約束だと言いたいがとても水を差せる雰囲気ではなかった。

 

 諦めて疲れたように息を吐いたところで、一人足りないと気づく。

 

 いつもならリオよりも先に詰め寄ってきそうな少女が輪に入っていない。

 

 視線を動かせば、少し離れた位置で立ち尽くすヴィヴィオの姿がある。

 

 その表情は曇っていて、今までの晴れやかな笑顔とは打って変わって沈んで暗かった。

 

 何事かと困惑し声を掛けようかと迷っている内に、彼女のデバイスであるウサギがピコンと効果音を鳴らす。

 

「あっ、ノーヴェからだ。えっと、昼食の準備ができたから降りてこい、だって。もうそんな時間かぁ、皆さんそろそろホテルに戻りましょう!」

 

 とても先ほどまで暗い顔色を浮かべていたとは思えないほど明るい声色と表情で声を出していた。

 

 そのまま撤収する流れとなり、結局あの表情の意味を聞き出す間もなくこの場はお開きとなった。

 

 

 

 

 最後にウィズが締めくくりに告げた。

 

「あと、アインハルト」

 

「?」

 

「ボール打ち返さなかったから罰ゲームでスクワットな」

 

「!?」

 

 その後、アインハルトは超速でスクワットした。

 

 

 

 

 そして、ウィズは。

 

(あー、しんどかった、精神的に)

 

 年下の少女たちに混ざって遊戯に興じるという年頃の男子にとっては中々つらい時間を乗り越えたことに安堵していた。

 

 それでも参加したのは自分を心配してくれている優しい少女たちに応えてあげたかったからだ。

 

 しかし、終わってみれば練習よりも肩にのしかかる疲労の重みが遥かに大きい気がしてならない。……半分は自業自得な面もあるが。

 

 少年はこんなことはもうこれっきりだ、と心に誓っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 合宿最後の食事も終わり、あとは身支度を整えて帰宅するだけとなった。

 

 最後の憩いの時間として食後もまだ皆がリビングに残ってティータイムを楽しんでいた。

 

 親友と語らう人もいれば、普段話せない者同士で交流を深めたり、焼いたクッキーを振る舞っていたりなど思い思いに穏やかな時間に浸っていた。

 

 この和気藹々とした空間から浮いている者が一人いた。

 

 意外にも、それは黒髪の少年ではなかった。

 

 彼は今、栗色の髪の女性からクッキーをあーん、と食べさせられようとして鬱陶しがっていたり、金髪の女性が淹れてくれた紅茶を恐縮しながら受け取っていたりと馴染ませられていた。

 

 

 その人物とは、金髪の女の子、ヴィヴィオだった。

 

 

 一度お手洗いに行き、リビングに戻って来てからはどこの輪にも入らず、部屋の隅で何か思い詰めるように立ち竦んでいた。

 

 彼女は昼食よりも前、あの遊戯の時間からあることを思い悩んでいた。

 

 きっかけはアインハルトが自分の生い立ちを彼に語ったこと。

 

 それを横から見聞きしていたヴィヴィオは前々から抱いていた決意をより強くしていた。

 

 そして、同時に焦燥感と不安感も強くなった。

 

(────よしっ)

 

 一度深く呼吸をして気合を入れるように心の中で意気込む。

 

 無意識に手を握り締めながら一歩踏み出し、ある人の元へと向かう。

 

 当然、向かう先は黒髪の少年の元だ。

 

「あのっ、ウィズさん」

 

 緊張でほんの少しだけ声が上擦る。

 

 しつこいなのはの手首を押さえて、半ば本気で捻り上げようとしていたウィズは視線だけヴィヴィオの方へ向ける。

 

「ん? ああ、ちょうどよかったお前の母親をちょっとどうにか」

 

「お話があるんです」

 

 ウィズの言葉を遮るようにヴィヴィオが告げた。

 

 今まで見たことのないくらい真剣な声色にただならぬ気配を感じる。

 

「……今? 俺に?」

 

「はい」

 

 改めてヴィヴィオの意思を確認したウィズはなのはから手を離し、なのはも流石に空気を読んで身体を離して距離を置いた。

 

 ヴィヴィオは少年に相対するようにテーブルを挟んで座る。

 

 ウィズも彼女の並々ならぬ思いを感じ取って姿勢を正す。

 

 そして、紅と翠の瞳を真っ直ぐ彼に向けて、重々しく口を開く。

 

「お話ししたいのは、私の過去についてです」

 

「過去? なのはさんの養子になった経緯とかか?」

 

 彼の言葉に緊張した面持ちのまま頷いた。

 

「そのことも含めて私の生まれや過去の出来事について、お伝えしておこうかと」

 

「……それはここで話していいものなのか?」

 

「はい。ここに居るみんなはもう知っていることなので」

 

 突然の申し出にも関わらず気遣ってくれる少年の優しさを嬉しく思い、ほんの少しだけ笑みが浮かぶ。

 

「…………そうか」

 

 何か諦めたようにソファに深く腰掛け直し、じっとこちらを見つめてくる。

 

 ウィズはもう何も言わずにヴィヴィオの話を聞く姿勢のようだ。

 

 ヴィヴィオはもう一度深呼吸をして、口を開いた。

 

「まず、私がなのはママたちと出会ったのは…………」

 

 話は機動六課の面々に救出してもらったことから始まった。

 

 金髪の少女の口から語られるのは過去話というよりもある種の物語のようだった。

 

 記憶がない状態でなのはに保護され、彼女を母と慕い、一時の幸せな時間を過ごしたこと。

 

 しかし、その幸福な時間はいとも容易く崩れ落ちる。

 

 犯罪集団に拉致され、古代兵器の鍵として使われ、そこで知った残酷な真実。

 

 少女の正体、それは『最後のゆりかごの聖王』と呼ばれる大昔に存在した偉人のクローン。

 

 記憶がないのも当然だった。自分は母親の胎内ではなく培養器から生まれた人造生命だったのだから。

 

 

 

「それで……っ」

 

 そこまで話してヴィヴィオの言葉が詰まる。

 

 何故なら『クローン』という単語が出た瞬間、目の前の彼の表情が明らかに変わったからだ。

 

 眉間に皺を寄せて、まるで嫌悪したようにも見えた少年の顔はすぐに元の憮然としたものに戻ったがさっきの変化に身体が震える。

 

 嫌われ、気味悪がられたかもしれないという考えがヴィヴィオを恐怖させる。

 

 それでも、涙が出そうになるのを必死に堪えて少女は話を続ける。

 

 

 

 本当の母親などどこにもいないという現実に絶望した彼女を救ったのは一人の優しくも勇ましい不屈の魔導士。

 

 純白の魔導士は自身の思いをぶつけ、時には否定され、拒絶されても、最後は助けを請う少女を全力で救ってみせた。

 

 そうして二人は本当の家族となり、これまで以上の幸せを築いている。

 

「──と、いうわけなんです」

 

「…………」

 

 簡単にだが自分の生い立ちを語り終えたヴィヴィオは静かに目を閉じて何も言わないウィズを恐る恐る見つめる。

 

 彼が今何を思い、何を考えているのか全くわからない。

 

 わからないのが、怖い。

 

 ヴィヴィオは膝の上に置いた両手を硬く握り締めて身体を強張らせる。

 

 先ほど少年が見せた表情の意味を考えて不安になる。

 

(ウィズさんと折角知り合えたのに、嫌われるなんてやだ!)

 

 初めて試合を観た時から惹かれ、憧憬の念を抱いていた彼と知り合えたことが本当に嬉しかった。

 

 その嬉しさの分だけ、忌避された場合の辛さは計り知れないものだ。

 

「……一つだけいいか?」

 

「──ッ!」

 

 ウィズが重く閉ざしていた口を開いたのは実際にはヴィヴィオが話し終えてから数秒と経っていない間だった。

 

 だが、その間がヴィヴィオにとっては何倍にも長く感じられた。

 

 緊張を抑え込むように唾を飲み込んで、何とか返事の声を出せた。

 

「は、はいっ」

 

(せめて、何を言われても泣かないようにしよう。ウィズさんを困らせたくないもんっ)

 

 もう既に涙目になっている自覚もなく、少女が悲壮な決意を固めていた。

 

 そんな彼女の様子を知ってか知らずか、ウィズは躊躇なく言葉を紡いだ。

 

「さっき自分がクローンって言ってたが、それは事実なのか?」

 

 ビクッ、とヴィヴィオの肩が揺れる。

 

 力強い光を宿す翡翠の瞳に射貫かれて、震える手脚を必死に抑えながら頷いた。

 

「はい、事実です」

 

「そうか……」

 

 ウィズが何かを逡巡したように目を伏せる。

 

 だが、それも一瞬だけ、すぐに視線を上げて真っ直ぐにヴィヴィオを見つめて口を開いた。

 

「なあ、ヴィヴィオ、お前…………」

 

 ギュゥ、と思わず瞼をきつく閉じる。

 

 その先の言葉を聞きたくないと無意識に身体が拒否している。

 

 それでも彼の発言を止めることはできない。

 

 ヴィヴィオがどれだけ嫌だと願っても止まらない。

 

 

「身体は大丈夫なのか?」

 

 

「……………………ふえ?」

 

 ウィズのその言葉はヴィヴィオが全く予想だにしないものだった。

 

 暫く反応できずに固まり、最終的に変な声が出てしまうくらいには予想外だった。

 

 少女の反応が芳しくないのは意味が伝わらなかったからと判断したのか彼がさらに言葉を重ねる。

 

「いや、クローンってよく古い映画とかだと寿命が短かったり、病気になりやすかったりするだろ? だから、お前は大丈夫なのかって」

 

 ウィズの態度に金髪の少女を拒絶し嫌悪する気配は微塵もない。

 

 それどころかこちらを気遣う優しさと配慮を感じさせていた。

 

 想像していた事態と大きく食い違い、脱力し思うように反応を返せない。

 

 大きな瞳をパチクリと瞬く愛らしい置物と化したヴィヴィオから視線を外し、横にスライドさせる。

 

 そちらには少し離れた位置で二人を見守っていたヴィヴィオの母親がいた。

 

 答えられないヴィヴィオの代わりに彼女が笑顔で答えた。

 

「聖王協会直属の病院で毎年検査してるけど何の異常もないよ。普通の子と一緒、ううん普通の子よりもよく寝てよく食べる健康優良児な自慢の娘です!」

 

「──ママッ!」

 

 最後に余計なことまで告げた母への抗議でようやく動き出せた。

 

「じゃあ、何ともないんだな?」

 

 再び視線をヴィヴィオに戻したウィズが確認してくる。

 

 ヴィヴィオは恥ずかしそうにもじもじと身体を擦り合わせながら小さく頷いた。

 

「は、はいぃ、おかげさまで毎日元気ですぅ」

 

 無性に羞恥を感じて頬を赤く染めながら伝える。

 

 それを聞いた彼はフッ、と息を零すように微かに笑って。

 

「ならよかった」

 

 安堵した様子でそう口にした。

 

「────あっ」

 

 少年が持つ根源的な優しさに触れた気がして思わず声が漏れる。

 

 ヴィヴィオの反応を見て取ったウィズが訝しげに表情を歪ませる。

 

「何だ? 俺が他人の心配をするのがそんなに意外か?」

 

 どうやら少女が口を丸くしていることを別の意味に捉えたようだ。

 

 すぐさま首を振って否定する。

 

「いえいえいえ! 違います! そうじゃなくて、私がクローンってことに対して他に思うところはないのかなって……」

 

「思うところ? ……他にあるか?」

 

 これを素で言っているのだから本当に大した少年だ。

 

 ヴィヴィオは猛烈に嬉しさを感じると同時に、彼が気付いていないだけかもしれないと思い直す。

 

「あの、クローンっていう特殊な生まれに対して感じるところと言いますか。その、気持ち悪いとか、偽物、みたいな」

 

「はあ? そんなこと気にしてんのか?」

 

 あくまでも一例として説明した少女の言葉にウィズが露骨に顔を顰めた。

 

 大きく息を吐くとヴィヴィオと目線の高さを合わせるように片肘を付いてぐっと身を乗り出した。

 

「確かにクローンって存在に対して何かしら思う奴はいるかもな? だがな、そんなのは全部無視だ無視」

 

 まるで羽虫を払うように手首を振って、他人の悪意や嫌気など無視しろと断言してのける。

 

「どっかの誰かの代わりに生み出されたんだとしても、この世に生まれて、これまで見てきた光景、感じた痛み、湧き出た感情の全てが本物で、歩んできた人生こそがお前がお前である証だ。断じて偽物なんかじゃねえ」

 

 乗り出していた身体を再び起こしてソファに凭れ掛かりながらぶっきらぼうに告げた。

 

「そもそも、鬱陶しいくらいに構われて、死んでも離さないってほど愛してくれる家族がいるんだ。赤の他人にどう思われたって悩む必要なんかないと思うぜ」

 

 家族の話をしている時に苦笑いを浮かべていたことから少年は自分の父母のことも思い起こしていたのかもしれない。

 

 ヴィヴィオは彼が捲くし立てるように言ったを受けて、呆気に取られてぽかんとした表情になっていた。

 

(あ…………慰めて、くれたんだ)

 

 遅れてウィズが語ってくれた言葉が自身を慰撫するためのものだと気づいた。

 

 ヴィヴィオはただウィズのクローンという人造生命に対する見解を聞きたいがために『気持ち悪い』や『偽物』といった発言をしただけなのだ。

 

 だが、彼はそれを自分の生い立ちについて引け目を感じていると受け取り、気に病んでくれたようだ。

 

 ヴィヴィオの顔が花が咲いたように綻ぶ。

 

「はいっ、ありがとうございます。えへへ」

 

 ついさっきまで胸の内を渦巻いていた不安感は跡形もなく消え去り、代わりに言葉にできない高揚感が宿る。

 

 ヴィヴィオの笑顔を直視したウィズは息が詰まった様子で後ずさる。

 

 同時に、リビングにいる人の殆どから視線を向けられ、注目されていることに気づいた。

 

 多数の視線に晒されていることと先の自分の発言に思うところがあったのか口元を苦く歪ませ、僅かに頬を赤くして顔を逸らす。

 

 逸らした先にニコニコと笑って二人を見守っていたなのはがいた。

 

 瞬時に羞恥よりも苛立ちが増す。

 

「……こっち見んな」

 

「ウィズくん…………」

 

 低い声で唸るように呟かれた少年の台詞を自然に無視してなのはが名前を呼ぶ。

 

 その顔はどこまでも優しく、慈愛に溢れていた。

 

「かわいいねぇ」

 

 口にした言葉のイントネーションはどこまでも相手を揶揄するものだったが。

 

 ウィズのこめかみがピキリと引き攣る。

 

 なのはに対して何か文句を言おうと口を開いたが、言葉を紡ぐことはなかった。

 

「──ウィズ」

 

 その前に、フェイトが横から声を掛けてきたからだ。

 

「あ……はい?」

 

 不意を打たれた形となったため、不自然に声が漏れたが何とか返事を返す。

 

 金髪の女性の表情はこれまでにないほど喜色に染まっていた。

 

「ありがとうね」

 

「…………はい?」

 

 ウィズは何故今自分がお礼を言われたのか意味が分からないといった風に首を傾げている。

 

 フェイトは少年が困惑していることをわかっているのだろうが、それ以上は何も言わずに微笑んでいた。

 

 当然、お礼の真意を問おうとするがそれもまたできなかった。

 

 今度は少し離れた位置からまた別の人物から声が掛かる。

 

「ウィズさん、ありがとうございます」

 

「……あ? いや、エリオまでなんだよ?」

 

 赤髪の美少年から同じようにお礼を告げられ、目を白黒させている。

 

 混乱するウィズに対してエリオもフェイトと同じく爽やかに笑いかけてくるのみだった。

 

「あー、これはあたしたちも礼を言う流れか?」

 

「いやー、私やノーヴェはフェイトさんたちと少し事情が違うからねー」

 

 それもそうか、と色違いの姉妹が意味ありげなやり取りを交わしていた。

 

 とにかくウィズを中心に和やかな空気が流れている。

 

 本人は全く意図しておらず、理由もわからないため不本意極まりない状態だった。

 

 少年にできることは不機嫌そうに押し黙ることだけだった。

 

 不貞腐れた、ように見えるウィズになのはがじりじりとにじり寄る。

 

「まあまあ、ウィズ君。フェイトちゃんたちは別にからかってるわけじゃなくて」

 

「うるせえ黙れ」

 

「普通にひどくない!? 流石に傷つくよ!」

 

 反射的に一際辛辣な発言をしたウィズだったが、苦い表情を崩さず詰め寄ってくるなのはを鬱陶しそうに振り払う。

 

 負けじとなのはが手を伸ばす。

 

 完璧なディフェンスで防ぐが、しつこく何度も掴みかかろうとしてくる。

 

 苛立ちがピークに達したウィズがそもそもおかしな空気になった原因である少女をギロリ、と横目で睨む。

 

 鋭い視線を浴びるヴィヴィオだったが、不思議と恐怖心などは感じなかった。

 

(あ、とうとう私にも矛先が)

 

 とこれから起こる現実を淡々と受け入れていた。

 

 そして、今まで母に向けていたような態度を一片でも自分にぶつけてくれることに少しだけ嬉しさを感じていた。

 

 ウィズはなのはの両手首を押さえつけながら苛立ち混じりに口を開く。

 

「そもそも、何で今その話をしたんだお前はっ」

 

 ヴィヴィオは少しだけ目を泳がせながら気まずそうに答えた。

 

「えっと、一昨日の晩にウィズさんのお話を聞かせていただいた時からお詫びに私の過去も話さないといけないな、と思ってまして……」

 

 いじいじと左右の人差し指を絡ませて所在なさげに金髪の少女が話す。

 

「さっきアインハルトさんもご自身のことをお話しされたので、私も早く話さなきゃって。……それで冷静に考えたら今この時間を逃したらウィズさんと落ち着いて話す機会もなさそうだったので、そのぉ」

 

 気まずげに言い澱むヴィヴィオから思わず遠くで成り行きを見守っていた碧銀の少女をキッと強い視線を向ける。

 

 余計なこと言いやがって、とでも言わんばかりの目つきだった。

 

 ビクッ、と突然睨まれた形となったアインハルトが肩を揺らすが、次の瞬間には何故自分が睨まれなければならないのかと腹立たしさが募り、ムッと睨み返す。

 

 まず最初に貴方から聞いてきたのでしょう! と反論するように青と紫の瞳が細められる。

 

 そうだった、と舌打ちを必死で我慢しながら悔しそうに顔を逸らした。

 

 理不尽な八つ当たりを受けたアインハルトが不機嫌オーラを醸し出すが、当然のようにウィズは無視した。

 

「……まあ、理由はわかった。それにしては少し緊張し過ぎな気がしたがな」

 

「それはー、あのー……」

 

 何気ないウィズの言葉にヴィヴィオが露骨に視線を逸らす。

 

 不審がる少年に答えたのは金髪の少女ではなく、彼に手首を掴まれている女性の方だった。

 

「それはねー、ヴィヴィオはウィズくんに嫌われないか不安だったんだよ」

 

「は?」

 

「なのはママ!?」

 

 狼狽する娘を尻目になのははにこやかに微笑んで自信満々に告げる。

 

「でも、ウィズくんは優しいから、私はそんな心配してなかったけどね」

 

 パチンとウィンクして少年に対する全幅の信頼をアピールするなのは。

 

 ウィズの顔が嫌悪に歪む。

 

「うざっ」

 

「ひどい! え? さっきからひどくない!?」

 

 揶揄する気持ちも一切ない純然たる本心を発したにもかかわらず、あからさまな拒絶を受けてなのはもショックを隠せない。

 

 ウィズも今のは言い過ぎたか、と少しだけ罰が悪そうに顔を背ける。

 

 その時、ヴィヴィオの肩を後ろから抱きすくめるように少女と同色の長髪を靡かせた美女が現れた。

 

「そうだね、ウィズは優しくていい子だよ。ウィズの優しさに、ヴィヴィオももう気付いてるもんね」

 

「う、うん」

 

 慈愛の笑みを浮かべてフェイトが少年を讃嘆し、ヴィヴィオももう一人の母の言葉に頷いた。

 

「…………」

 

「何でフェイトちゃんには黙れともうざいとも言わないの!?」

 

「言えるわけ、ねえだろっ!」

 

 ウィズはほんの僅かな罪悪感も消え失せた様子でなのはに怒鳴り返していた。

 

 なのはが何で私だけー、と嘆き、黒髪の少年にさらに食って掛かる。

 

 二人の言い合いはヴィヴィオも流石に見慣れてきたため多少の余裕が生まれ、呆れた視線を向けていた。

 

 おろおろするフェイトは頼れなさそうなので、やはり自分が動くしかないと判断する。

 

 数分前とは打って変わって晴れやかな気分になったヴィヴィオはとりあえず暴走気味な母を抑えるために口を開くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 長いようで短かった合宿も終わり、無事ウィズたちはミッドチルダまで帰って来ていた。

 

 現在はミッドチルダの首都次元港のロビーで固まり、フェイトが車を用意してくるまで待機している状態だ。

 

「みんなー、自分の荷物はちゃんと揃ってるかなー?」

 

「「「はーい!」」」

 

 まるで引率の教師のように確認するなのはにいつもの三人娘が元気よく返事をしている。

 

「あの、ノーヴェさん、IMの都市本戦を優勝するにはどれくらい試合に勝利すればいいのでしょうか?」

 

 その脇でアインハルトが少女たちを微笑ましく見守っていたノーヴェに話しかけていた。

 

「都市本戦? い、いきなしどうした?」

 

「知りたいんです。教えてください」

 

 突然の質問に困惑しながら、アインハルトの並々ならぬ熱意が宿った瞳に見つめられ、さらに気圧される。

 

 しかし、ノーヴェは彼女がここまで自分の気持ちを露わにするのは大抵あの少年が絡んでいるのだろうとまだ短い付き合いながらも予想できた。

 

「……えーっと、お前みたいに初出場の場合だとまず選考会があって、そこの結果次第で予選の組み合わせが決まる」

 

 ノーヴェの説明にうんうんと頷きながら熱心に耳を傾ける。

 

「『ノービスクラス』と『スーパーノービスクラス』に分かれて、普通はノービスなんだが、お前ならスーパーノービスは行けそうだな」

 

 アインハルトの実力は覇王流と幼い頃からの鍛錬もあって同年代の中でも突出している。

 

 そこで明確な目標も抱いているとなれば、選考会ではまず負けないだろう。

 

「スーパーノービスに上がって、もう一回勝てればエリートクラスに進出する。そこのトーナメントを勝ち進めば本戦に出場できる」

 

 言葉にすれば短いが、実際に勝ち上がるのは並大抵のことではない。

 

 しかし、彼が通った道だと思えば一層やる気に満ち溢れてくる。

 

「因みにあいつみたいに昨年度の都市本戦優勝者は予選を飛ばして本戦出場が確定してる」

 

 ノーヴェが親指を立てて後方で腕を組んで佇む件の少年を指さす。

 

 聞こえているのいないのか、ウィズは何も反応を返さずに無言でそっぽ向いている。

 

「都市本戦には、何人出場できるのでしょう?」

 

「20人です!」

 

 そう答えたのはノーヴェではなく、二人の話を横から聞いていたヴィヴィオだった。

 

「正確には昨年度の本戦優勝者も含めて21人なんですけど、地区予選から選ばれるのは20人ですよ」

 

「魔法戦技選手からすれば、それこそ夢の舞台ですね」

 

「そこでミッドチルダ中央区のナンバーワンが決まるんです!」

 

 ヴィヴィオに続いてコロナ、それにリオも顔を出してにこやかに語り掛けて来る。

 

 そして、アインハルトも彼の経歴で知っていたがIMは都市本戦が最後ではないと再度教えてくれる。

 

 ミッドチルダ三地区の都市本戦優勝者が集まって都市選抜戦を行い、世界代表を決めて、次元世界最強を決める世界代表戦がある。

 

 そこまで話して少女たちの表情が沈む。

 

 IM初出場で世界代表戦のしかも決勝戦にまで勝ち進むなど夢のまた夢なのだ。

 

 それを実現できたのは歴代でも後ろで澄まし込んでいる少年とそのライバルである現王者の白髪の少年くらいだろう。

 

「というわけで私たちは都市本戦出場を目標に頑張ってます」

 

「そう、ですか……」

 

 アインハルトは彼女たちの堅実な目標に暫し目を伏せる。

 

「ノーヴェさん、正直なところ私たちはどこまで行けると思いますか?」

 

 碧銀の少女からの唐突な問いかけにノーヴェは顎に手を当てて考える。

 

「あくまでもあたしの予想だからな、それを踏まえて聞けよ?」

 

 コクリとアインハルトが頷く。

 

「まず、ヴィヴィオたちは地区予選の前半までだ。ノービスならまだしも、エリートクラスじゃ話にならねえ」

 

 師匠と仰ぐ女性の率直な感想に微かに息を呑む三人。

 

 わかってはいたが、こうして改めて言葉にされると少なからずショックを受ける。

 

「次にアインハルトは、地区予選の真ん中、よくて後半までいけるかどうかだな。都市本戦にまで進むのは厳しいだろう」

 

 ノーヴェの指摘にギュッと拳を握り込んで僅かに眉間に皺を寄せて悔しがる。

 

 彼との本気の試合を実現するためには思っていたよりも高い壁が立ち塞がっていることを実感する。

 

「それでも、まだ二ヶ月あるよね? その期間に全力で鍛えれば、結果も変わってくるでしょ?」

 

 ヴィヴィオのめげない姿勢にアインハルトも視線を上げる。

 

 今以上に強くなりたい。強くなる。

 

 そう決意を固めて、強い輝きを瞳に宿らせる。

 

「まあ、そうだな。どうなるかはわからねーな」

 

 彼女たちの決意にノーヴェは頬を緩め、次の瞬間には不敵に笑って告げる。

 

「そのための練習メニューは考えてやる。頑張って鍛えて、あたしの予想をひっくり返してみせろ」

 

「「「はいっ!」」」

 

 少女たちの高らかな返事に隠れるように、碧銀の少女も確かに頷いた。

 

 

 

 

 

 

 小さな美少女たちが盛り上がっている傍らでウィズは静かに佇む。

 

 瞳を閉じて想起するのは二日前の宿敵との一戦だ。

 

(最初こそ翻弄されたがアイツの動きは視えた。しかし、フェイントを見抜けなかったのは今後の課題だな)

 

 反省点を一つ一つ洗い出す思考は、試合を終えてからずっとしてきたことだが何度も繰り返し思考し心に刻む。

 

 次は絶対に同じ過ちをしないように幾度も心の内で反復する。

 

(『螺旋』にはインフィニットで対応できる。『爪牙』も結局インフィニットで迎撃するしかねえ、威力を上げるために魔力の練り上げをもう少し意識してやるか)

 

 必殺には必殺で応じるしかない。下手な小細工をすればあっという間に飲み込まれることは前の決勝戦で身に染みて理解している。

 

 そのためにも必殺の拳(インフィニットブロウ)の威力向上は必須だった。

 

(『六本脚』に対抗する手段は思いついてはいるが、実行できるかはまだわからねえ。鍛錬あるのみだが…………畜生、やっぱまた頼むしかないのか)

 

 最も厄介で禍々しい怨敵の技を思い返し、口の端が僅かに歪む。

 

 『六本脚』に翻弄されて完全にリズムを崩され、『螺旋』によって追い込まれ、最後は『爪牙』でとどめを刺された。

 

 つまり『六本脚』が以前の敗北の一番の要因であったと言える。

 

 あの技の危険性を思い起こしたことが表情を歪ませた理由だが、もう一つ理由がある。

 

 それは対策として新たな技の習得をするにはある人物に協力を要請することが一番の近道であるという結論に行き着いてしまったからだ。

 

 だが、宿敵に勝つために必要であればあの人物にだって頭を下げてやる、と静かな決意を固めた矢先。

 

「えいっ」

 

 ウィズの思考を読んだかのようにそのある人物が脇腹を小突いてきた。

 

 くすぐったさは感じないが代わりに不快感を感じる。

 

「…………なんだよ」

 

 ゆっくりといつの間にか至近距離まで近づいてきていた人物を見遣る。

 

「ウィズくんが寂しそうにしてたから構いに」

 

 苛立ちを隠そうともしないウィズの態度を全く気にしていない様子でなのはがにこにこ笑っていた。

 

「してません」

 

 ウィズは話を打ち切るためにすぐに顔を背けてぶっきらぼうに突き返した。

 

 そんな少年の態度が面白いのかくすくす笑いながら、彼の正面に回り込んでくる。

 

「まあそれは半分冗談で、ウィズくんに改めて伝えたいことがあって」

 

「…………」

 

 ウィズは憮然とした顔つきで正面のなのはと目を合わせる。

 

「ウィズくん、忘れてない?」

 

 もうその言葉だけで激しく嫌な予感がしてならない。

 

「…………何をです?」

 

「罰ゲーム、覚えてる?」

 

 忘れていた。

 

 なのはとの模擬戦で負けた、ことになってしまい相手の言うことを何でも聞くという罰ゲームを受けなければならないのだ。

 

 ネオとの試合ですっかり頭から抜け落ちていた。

 

 ウィズの微かな動揺を見て取ったのか、なのはの口元がにんまりと上がる。

 

「やっぱり、じゃあ改めて罰ゲームの内容を伝えるね」

 

 彼女の表情から絶対に禄でもないこと言い出すと半ば確信に近い予感が走る。

 

 聞いたら後悔するから絶対に聞きたくないという願望とこの人から逃げることは負けた気がして絶対に嫌だという謎のプライドがウィズの中で鬩ぎ合う。

 

 そうこうしている内になのはのピンク色の唇が開かれた。

 

「ウィズくん、ヴィヴィオたちの練習を面倒見てくれない?」

 

「………………は?」

 

 まだまだ少年の日常が戻ってくる日は遠そうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第四話 完

 

 

 第五話に続く

 




〇独自設定
・辺境世界の調査、研究をする職業があること
・デバイスの製作会社があること
・IMにおいて主人公とライバルだけが初出場で世界戦決勝まで勝ち進んだこと


〇更新の遅れについて
 前話から今話まで更新に長い間が空いてしまい、申し訳ありません。
 言い訳させてもらえるのであれば、仕事やプライベートで色々ありまして、モチベーションが著しく低下してしまったのが原因です。
 全く創作意欲が湧かずにダラダラと時間だけが過ぎてしまいました。
 次話はできる限り早めに届けられるよう頑張ります。


〇今回のお話について
 この作品のライバルキャラ兼ラスボスが登場しました。完全になのはワールドからは浮いてますね。極力、なのはキャラたちとは関わらせない方向で行きたいとは思っていますが、どうなることやら。ラスボスという名の通り、奴と闘ってこの作品は終わる予定です。そこまで辿り着くのにどれだけ掛かるかわかりませんが、頑張って書いていければなあと思っています。


〇ViVid本編の時系列について
 さて、次話からIMに向けて話が進んでいくわけですが、IMの話を書く上で大会のスケジュールがわからないと上手く描写できないなーと思い、とりあえずViVid本編の出来事を時系列順に整理してみました。

4月   始業式 
     ヴィヴィオ対アインハルト(1、2戦目)
5月末  合宿(ヴィヴィオ対アインハルト3戦目)
     皆で練習
6月中旬 個別の秘密特訓
7月末頃 選考会
8月   地区予選開始(1~2回戦)
1週間後 3回戦
3日後  4回戦(アインハルト対ジークのみ?)
翌日   無限書庫
2日後  ヴィヴィオ対アインハルト(4戦目)
9月?  イクスの目覚め
     (準々決勝?)
     学院祭
     衣替え
翌日   準決勝
祭の次週 ルーフェン
     決勝 地区予選終了
10月  都市本戦?
     アインハルトU15デビュー戦
11月  戦技披露会
12月 
1月?  アインハルトタイトルマッチ
2月
3月   ナカジマジム開設

 パッとわかる範囲ではこんな感じでしょうか。
 3巻でヴィータが「5月も終わりだぜ。そんな時期だよ」というセリフから合宿が行われたのは5月末と判断しました。
 3巻の最後で『予選開始まであと2ヶ月!』とありましたので、この予選というのを選考会という意味で捉えて選考会は7月末としました。
 4巻でリオコロがハリーと会ったり、アインハルトがティオを引き取ったり、ヴィヴィオがシャンテに斬られたり(イメージ上で)したのが合宿が終わってから2週間後ということなので秘密特訓が開始されたのは大体6月中旬頃にしました。そうすればノーヴェの「特訓を続けてもうひと月」というセリフと選考会開始の時期とも整合性は取れるのかなあと。
 5巻でフェイトが「予選開始はもう来週からなんだっけ?」と言っていますので、地区予選は8月に入ってから始まると推定。1回戦と2回戦はその日の内に行い、3回戦は1週間後(この間にハリー対エルス)、その3日後に4回戦……なのですがこの日はアインハルトとジークの試合だけで他の主要人物は後日らしい。予選の組番で違うのかな?
 その次の日には無限書庫に行って、魔女っ子とバトったり、ベルカの回想があったりして、2日後にはヴィヴィオ対アインハルト(4戦目)があって、アインハルトが可愛くなります。……でもクール? な時も私は好きです。
 さて、ここからの時系列がちょっとよくわからないのですが、12巻の最後の辺りで『新しい季節に向かって歩き出します』ってあるので、イクスが目覚めたのは9月入ってからか8月末頃、と推定します。続いて準決勝と学院祭なのですが……なんだかおかしいセリフがあるんですよね。13巻のMemory64でヴィヴィオがミウラからの言葉を読み上げる場面で「準決勝の直後だから勝って学院祭を見せていただきますって」と言っています。あれ? 本編だと学院祭の後に準決勝をやっているんですが? どういうこと? 単純に間違いなのか、準々決勝と勘違いしているのか。衣替えの翌日が準決勝なので、4回戦から結構間が空いている気がします。2週間くらい? そう考えると間にもうひと試合あってもよさそうな気もしますが、本編で描写されていないということは、多分準々決勝はないのでしょう。上の表には一応入れておきましたが。
 学院祭の日にリオが「来週の連休ってお時間ありますか?」とミカヤに問いかけていることから、ルーフェンは学院祭の次の週に行っていることがわかります。ルーフェン旅行が3日間、その後に決勝戦がありますが時期はよくわかりませんが、ルーフェンから数日後のことだと思われますし9月中なのは間違いないでしょう。
 17巻の巻頭で『10月も半ばを過ぎて――』とあり、少なくとも10月中旬よりも前に都市本戦の1回戦と2回戦が行われていることがわかります。それ以降は不明です。アインハルトのU15デビューも「今月だけで2試合!?」というノーヴェのセリフから10月中と思われます。
 戦技披露会はルーフェン旅行が終わった直後になのはが「2ヶ月後くらい先のことだからねー」と言っているので多分11月中なのでしょう。
 あとは上の表に一応載せましたが、アインハルトのタイトルマッチがあります。これも詳しい時期はよくわかりません。戦技披露会の翌日にチャンピオンから再戦を申し込まれてから、いくつかの試合を経てのタイトルマッチなので1~2月くらいが妥当なんでしょうか。
 そして、最後に3月にナカジマジム開設ですね。
 それで、一番知りたかった世界代表戦の日程とかは全く触れられていないのでわからないんですよね。その前の都市選抜や3回戦以降の都市本戦もそうですが。なので、ここら辺は独自設定で乗り切ろうと思っています。


 次回からはバトル展開が殆どありません。ヒロインたちとの交流がメインになるかと思います。その交流もちょっと特殊な感じになるかもしれませんが。


 長文失礼いたしました。
 最後まで読んでいただきありがとうございます。
 次回もよろしくお願いいたします。

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