咲夜が一度死ぬ話です。

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咲夜は一度死ぬ

***

 

 

 

 病死だった。あの子は昔から理不尽な体質だった。ご飯は食べるし代謝もあるようなのに、薬も注射も効果が薄かった。恐らく、只の風邪の悪化だった。あの子は仕事は出来たけれど自分の事にはおっちょこちょいで、よく怪我をしていた。怪我の治りは普通よりだいぶ早かったように思う。あの子は四十歳程度の筈だが、見た目は二十歳ごろになってから歳を取らず、ずっとそのままの姿で私たちと生きてきた。

 

 あの子は最期に、特に自分の事を何も振り返らなかった。ただ私達にお元気でと、そう言った。私と我が親友は話をして、あの子を蘇らせる事に決めた。結論だけ言うとそれは失敗に終わった。あの子は死を受け入れていた。あの子はさっさと三途の川を渡り、さっさと次の人生へ旅立った。魂の無い体が動き出したが、それはあの子では無いのだった。魂の無い人間というと恐怖が先行する。いや、少なくとも外見上、それは二十歳ごろの人間の女性に見えた。十六夜咲夜の記憶を保持していたし、目を覚ました彼女は私の事をお嬢様と呼んだ。私たちがあの子の部屋に集まり、咲夜を一様に見つめていた事に対して、一体どうしたのかと訝しんだ。咲夜の脳には機能として、あの子の人格がインストールされていると我が親友は言った。咲夜は自分の掌と、窓の外、そして私たちを順番に見て、何か自分自身の様子がおかしい事に気付いたようだった。

 

 咲夜はあの子ではない。咲夜は今この瞬間生まれた。あの子は死んだ。これはあの子とは無関係の物語となる。たまたま生まれたその瞬間、別の人間の記憶を持っていることは不幸なことかも知れなかったので、私と我が親友は彼女の人生を手伝うことに決めた。

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

【咲夜は一度死ぬ】

 

 

 

 

 

【0歳】

 

皆は闇から生まれた

 

私は光の中から掬い上げられた

 

皆は純粋で何も持っていなかった

 

私は服を着ている

 

どうしようも無い乾きと

 

喪失感と

 

既に持っている繋がりの重さと

 

荷物の一分も無い体積の自分と

 

恐ろしく身勝手で

 

傲慢で

 

何よりも暖かくて

 

黒くて紅い

 

海よりも濃いあなた

 

 

 

***

 

 

 

 咲夜はよく食べた。あの子はホットケーキを作るのが好きで、食べるのも好きだった。咲夜もそうなのかいと聞いたら、甘くてふわふわしていて、暖かい、食べられるものだという事は判りますと答えた。一事が万事というか、このような調子で咲夜にはおよそ主観的な感覚が無かった。快晴の空を見ると、雲が一つもなく、太陽が照りつけていて空が空色をしているという認識はするものの、それを気持ちがいいだとか、いやいや気が滅入るだとか、そういった彼女本人の感想が存在しないのだった。魂の無い、肉体だけの人間は文字通りただの肉の塊であって、咲夜に感性だとか心だとかいうものは存在しないのか?それにしてもよく食べる。もりもりと食べる。すごく食べるが、決して汚くはない。それはテーブルマナーに則っていた。私があの子に教えた事そのものであった。

 

 私たちは咲夜に提案を試みた。君は、様々なややこしい事情を抱えては居るものの、私、レミリア・スカーレットと、隣にいるこのパチュリー・ノーレッジの間に生まれた0歳の子供という事になる。私達は偶然から君を生み出したが、君のことを害する気持ちはない。君の望むことを尊重したいし、その手伝いをしたい。まず君の頭の中にある記憶は君のものではなく、その体を君の前に使っていた十六夜咲夜という人物の記憶だ。今は混乱していると思う。君の記憶ではベッドの上で私たちに元気でと伝え息を引き取り、その後何故かもう一度目覚めた処だろうから。とにかく、君は好きな時間ここに居ていいし、落ち着いたら私の処に、いや、私の処じゃなくても、誰でも話しやすい者の処に来てくれればいい。ひとまず私たちは部屋を出るから、今はゆっくり休んでくれ。こんな調子だ。咲夜はその日の内に私の部屋に来た。そして自分に咲夜を名乗らせて欲しいと言った。自分が自分の前身と違う、あの場で生まれた存在であることは理解したが、行く宛もないし、貴方たちが私の家族というなら私のことを見て欲しいと。妥当というか、そうするしかないというか、私は、おかしな風に作り出しておいて、いけしゃあしゃあ何を言っていると彼女に八つ裂きにされる覚悟までしていたので少々拍子抜けではあったものの、それを承諾した。前身の十六夜咲夜はややこしいので「あの子」と呼称する事に決めた。

 

 咲夜は自分で作った料理を自分が一番食べていた。咲夜の作る料理は美味しかったが、あの子の記憶で、あの子の体で作った料理なのに不思議と味はぜんぜん違うように思える。そんなに食べると太るのではないかと思ったが、あの子は外見の変性が見られない子だったので、無駄な心配かもしれないとすぐに思い直した。あの子は食べる量は普通だったが、それと比べると咲夜の食欲は異常にも映った。咲夜は無表情のような顔で三角食べを繰り返していた。後から聞いたら前身の記憶を頼りに同じ様に作ったようだった。ただ、前身は料理に愛情を込める事を一番大事にしていたようだと最後に言い、その場で「おいしくなぁれのダンス」を私に踊ってみせた。

 

 料理を作っている最中、きちんと踊ってみたと言っていた。

 

 

 

***

 

 

 

 咲夜はよく寝た。一日に平均して十三時間程度は寝ている。もしやと思い性欲について聞いてみたら、恐らく旺盛な方だと思いますと答えた。これについては前身の頃から変わっていないとまで言い出したので、いくら君が前身の記憶を持っていると言っても、それは彼女のプライベートだから、彼女の尊厳に関わりそうな事までみだりに他人に喋ってはいけないよとたしなめた。咲夜は意味を理解していなさそうな顔をしたものの、努力しますと答えた。あの子は時間をしょっちゅう止めていたしいつ寝ているかわからないような子だと思ってはいたけれど、もしかしたらあの子もこれくらい寝たのかな。私たちと同じ時を生きている前提で言えば四十歳くらいの筈だけれど、本当は四十一歳くらいかも知れないし、百歳くらいなのかもしれなかった。

 

 咲夜は時間を操れなかったし、空も飛べなかった。時間を操る能力は人というか、生命が持つには過ぎた代物で、その能力があの子の望んでいない様々な事柄にまで影響を及ぼしていた。老化という概念が無いように見えたし、その気になれば食べなくても平気だった。体に何の異常も無いのに、身籠る事が出来なかった。人工的な受精ですら失敗に終わった。よく食べよく寝るのはそれらからの解放に関係している可能性があると我が親友は仮説立てた。咲夜は歳をとるし、太るし痩せるし、病気になったら薬や注射がきちんと効くし、子供も産める普通に普通の人間なのかもしれなかった。

 

 投げナイフが上手いのはあの子と変わらないけれど、空間が操れないのでスカートの中にナイフがたくさんしまってあったりはしないし、CQCでも教えた方が護身術として役に立ちそうだなと思った。

 

 

 

***

 

 

 

 二週間ほど経過し、体の検査をすることにした。咲夜を突然永遠亭に連れて行ったら間違いなく驚かれるので、まず先に事情を説明するために司書を使いに出してもらった。あの子がよくお世話になっていたけれど、あそこの医者は自分ともあろうものがここまで力になれない事があるとは思っていなかったと言って重い顔をしていたものだった。あの子には薬も注射も効果が薄かったし、外科手術の必要な怪我や疾患は経験がなかったし。とにかく病気になると弱かったのだ。インフルエンザになった時はマジでもうだめだ死ぬんだろうなと思ったけれどなんとか大丈夫だった。結局その何年か後にただの風邪で死んじゃったのはもう、本当にレ・ミゼラブルって感じだ。悲しい。せめて栄養のあるものを食べて普段から健康にするようにと色々教鞭頂いた事もあった。本当に医者には良くしてもらった。しかし、そもそもあの子はご飯を食べるという事の意味合いが普通の人間とは違うように思えた。代謝があることすらも、都合のいい作為に感じた。あの子は人間であることに誇りも執着もあった。あの子は人間らしいことに思いを馳せる人間だった。あの子は医学的には完全な人間だった。あの子の体は支離滅裂だった。

 

 私と咲夜と門番で永遠亭に行った。本当は私は行かなくてもいいというか、むしろ館の主としてはホイホイ外を出歩くものではないかもしれないけれど、なにせことが咲夜のことだから、自分が直接動かないとムズムズするのだった。主も門番も居ない館って、もう世間体も何も無い感じがする。医者は、貴方達のそういう、人間を蘇らせようとしてあっさり七割型成功させたりする処が、身内の為ならなりふり構わない感じがすごく出てて流石に少し苦笑いするけれど、その方法は是非聞きたい処ねと言った。彼女はあの子に関しては相性が悪かっただけで、基本的には腕が良かった。口が悪い処はご愛嬌で、私は信頼している。でもそれは私達の元々望んでいた結果を招かなかったし、何よりこの話は外に出すには難解さと面倒臭さが天を衝いていたので適当にはぐらかした。蘇らせようとする試み自体は完全に失敗しているという処は、念を押した。医者にしろ大概で、試験管の中で人間を作るくらい出来る程度には気持ち悪いやつだった。

 

 検査結果では、咲夜は全くの人間だった。検査とは言うものの、あの子という前例がある。あの子も検査結果では全くの人間だったのだ。その為、それを踏まえて検査というより実験に近い経過となった。あの子に見られたような理不尽な異常性は、咲夜には確認されなかったということだ。咲夜はそれに対して何の感想もないような態度だったが、お嬢様達にとって以前ほど便利な存在では無くなったようですねと言った。咲夜のその台詞を、私は「紅魔館にとって利益のある存在で居たい」という欲の様なものであったとしたら、咲夜にも人間性が芽生える可能性は十分にあると、希望的に思った。あの子はあくまで人間として私の横に居ることに拘っていたが、咲夜は利他的な行動の為の手段を特に選んでいない気がする。それは感情や人間性というよりは、「自分は紅魔館に置いて貰うのが一番安全で、この状況が続くためには主の利益となるのが一番早い」という演算。知能の高い動物が生きるのに必要な事を考えているだけと言ったほうが、客観的には自然だと思う。咲夜は歳をとるし、太るし痩せるし、病気になったら薬や注射がきちんと効くし、子供も産める普通に普通の人間だと医者によって判明したけれど、それでも咲夜に感情は無かった。医者は難色を示した。魂が無いとはいっても、脳には様々な感情を司る機能がきちんと備わっている。ここまで機械的なのはおかしいという事だ。単に精神的な疾患、例えば失感情病なのかもしれないが、それにしては行動や言動に妙に積極性がある。自身の体験では無いにも関わらず他人の記憶があるので、自分の人生が他人事に感じている可能性がある。これは離人症やシミュレーテッドリアリティに近いが違う。咲夜の場合はまぎれもなく自身の体験なので、より話がややこしい。前例が無いので、地道にカウンセリングするくらいしか無いし、それも効果があるかわからない。そもそも魂がない人間を相手にしたことも多分ないそうだ(当たり前だ)。咲夜は通院をする必要が今の私には感じられないが、自分の状態が知れたことは有益だったと言った。

 

 医者は最後に、今彼女は重篤な衰弱から急激に回復してきたような状態にあり、今はほぼ健康だがそれでも少し弱っているようだからと、栄養剤の類を幾つか処方してくれた。それを聞いた私は咲夜が妙に食べるし眠る事を話したら、様々な機能の回復のためにそうしていたのかもしれないし、関係ないかもしれない。脳機能的な障害の回復は、緩やかにではなく、突如として急激に現れる傾向にあるので、変化がないように見えても辛抱強く付き合う必要があるのだそうだ。関係ないとしたら、それは無意識的な腹いせのようで、人間的な行いに思えると締めくくった。腹いせか。あるいはストレスの解消。咲夜の状態、置かれた境遇を思えばそう不思議な話ではない。そして、その原因は私にある。

 

 

 

***

 

 

 

 日傘をさして庭の花を愛でていると門番と咲夜が何事か話をしているのが目に入る。主が居ると話辛いこともあるだろうしあの場に突っ込んでいくのはやめた方が良い気がするなと理性が判断したが、そういう空気を読まずにガンガン行ってしまうのがレミリアのキャラだろうと本能が告げたので後ろからいきなり現れて驚かす事にした。二人共全く驚いてくれなかった。つまらん奴らであった。咲夜は前身が跡取りを作ろうとしていたことに関して門番に相談?していたらしい。そうそう。あの子は一度子供を産んで跡取りを作ろうとした事があった。あの子は人里で良さそうな異性を見付けていたし、館にそいつを置いてやって幸せな共同生活を送っていた。色々あって駄目だった。前述。咲夜なら恐らく出来るだろうということか。まぁ出来るだろうけれど、あれはあの子が望んでいたからという前提がある。私達も家族が増えるのは良いし後任のことまで考えてくれるのならって手伝っただけの話で、咲夜が別に必要ないと思うならそんな話は始めからないってことよ。門番も大体同じことを言ったらしい。咲夜は、このままだと身体年齢的には適性から外れるだけになっていくと言った。行き遅れを心配する農婦みたいな事を言うんだなと思った。咲夜は人間っていうか動物的なものの考え方をする。多分これはただの保存本能の話だ。つまり、咲夜は子供が欲しいのかい?しかし、答えはノーだという。私たちの意見を聞いてみたかっただけだと。もしかして咲夜は自分がどうしたいのかを探すために、参考として私達の話を聞いているのかな。主体性や人間性が垣間見えると私たちが嬉しそうな顔をするもんだから、彼女なりにその点について努力しようとしているのかも。咲夜はそうかもしれないと答えた。そういうのは無理のない範囲ですればいいんだよ。別に私たちを喜ばせようとしなくても。私はお前が、自分を不幸だと思っていないことが一番なんだから。

 

 自分がお嬢様方の利益になりたいと考えていることは、自分が生きるためという目的以上の何かがある気がしていて、それは大事にするべきことなのではないかと考えている。どう表現すれば良いのか判らないながらも頑張って言葉を探しているかのように、そう言った。門番はいい子だなあという顔をしていた。私が心配している程咲夜は無感情ではないし、これからどんどん変化していくのかもしれない。これだから人間というやつは。

 

 咲夜が生まれて数ヶ月。咲夜はあの子がしていたように、時間を止めて無茶な仕事量をこなすと言った事を出来ない代わりに、妖精やゴブリンに指示を出すようになっていた。奴らは最初、咲夜をナメくさっていた。犬と同じだ。咲夜の後ろには私が居るからとか、そんな事は全く関係がない。しかしそれは私が口を出すことでもない。私は咲夜に仕事を求めてはいなかったし、それでも彼女がメイド服を着て仕事をしたがるならばそれは彼女の問題なのだ。私がする事といえば、咲夜に危害が行かないか遠目に見守るくらい。それにしたって、多少小突かれるくらいは放っておくくらいしないといけない気がしていた。自分のしていること、していないことは咲夜に良い影響を与えているのか、最近常に考えている。

 

 

 

 

 

【1歳】

 

何も湧き上がらない。

 

 

 

***

 

 

 

 ここまで、という、門番の大きな声が聞こえたのでおやつのビスケットと紅茶を持って外に出ることにした。我が妹と途中ですれ違い、あら私が持ちますわと言って恭しく私の持ち物を引き受ける。外に出ると月がいつもより眩しかった。汗だらけでへたれこんでいる咲夜がこちらを見て立ち上がり、ぺこりとお辞儀をする。ふむ。私の中で、そろそろあの子と咲夜の差別化が大分出来てきたかな。門番に調子はどうかと聞くと、もう十分人間にしては強いから一人で出歩いても問題ないと咲夜を褒め、その上で、もちろんそうするのであれば強く警戒心を持つ必要があると付け加えた。咲夜が生まれてから一年ちょっと。超常の力を持たない彼女は鍛錬の末、そのへんの雑魚妖怪くらいになら立ち向かえる程度にたくましくなった。こうまで鍛えたのは本人の希望であって、それは外にくらい一人で行けるようになりたかったからという、なんともいじらしい理由であった。咲夜は門番に認められて少し興奮しているように見えなくもなかったが、単に動きすぎて顔が紅潮しているだけにも思えた。相変わらず、強くものを希望するようなずくはあるくせに、感情の表にでない子だった。しかし、もう感情や人間性が無いのではないか、という心配をする段階はとっくに過ぎていた。咲夜は明らかに、生まれたばかりの頃にはなかった柔らかさを持ち合わせていた。さっそく近々外に一人で行ってくるという。何処に何をしに行くのか聞いても良いのかな。あんまりそういうの聞くのって子供は鬱陶しがったりするかもしれないと思って特には聞かなかった。とはいえ老婆心から説教くらいは許して欲しいと思って、お前が私達を頼らず望むことはお前の責任になるのだから、私たちはそういう処でお前を助けたりはしてこなかったし、これからもしない。くれぐれも気を付けるんだぞと、くどくど言ってしまった。咲夜はありがとうございますとお辞儀をした。

 

 我が妹は一人でおやつを食べだしていた。目が合うときょとんとした顔をする。私はため息を付きそうになったがその程度で嫌な気持ちになったわけでも無かったので止めた。皆を促して近くのテーブルに向かった。

 

 ビスケットをつまみながら談笑をしていると、それはあの子の思い出話にまで渡った。いま目の前に咲夜いるのにね。記憶を持っているだけで自分ではない、自分の体の前の持ち主の思い出話を聞かされるというのがどんな気持ちになるのか。私たちに判るはずもないが、そういった事で変に気を使うのは半年くらいでやめた。勝手にそれは嫌なことだと私たちに判別が出来るだろうか。じゃあ逆に、そういったことにおいて線引され、勝手に距離を置かれることこそ嫌なことではないだろうか。何を嫌がるかは本人が知っている。そして、咲夜は嫌か聞けば正直に答える子だった。そんな訳でまたあの子の思い出話をするが、しばらく拝聴願いたい。

 

 小腹がすいたよー、と匙でカップを鳴らすなどという品のない行動を私がするとあの子は何処からでも即座に現れて、ばちんとウインクをしておまかせ下さいという。そしてがっつりどっしりとしたアップルパイを作ってくるのである。一切れ食べたらお腹一杯になりそうなボリュームだなあと思い、館の皆を呼びつけて軽食タイムにしたのだが、あの子は初めからそのつもりだったようで人数分の紅茶まで持ってきていた。結局朝ごはんはお腹いっぱいであんまり食べられなかった。あの子はにこにこしていた。そういう愚かかわいい子だった。あの子は一人にするとよくわからない行動を取り、その様をたびたび私達に目撃された。アドリブで変な歌を歌いながらスキップで洗濯物を運ぶのがレベル1だが、彼女はそれを見付かると少し恥ずかしそうにするだけで、その後はこちらを巻き込もうとしてきたものだった。意味の判らないことを言うのも得意だった。一緒にお菓子を作っていたら、ピーマンはどの程度までの混入ならばれないのだろう?と真顔でこちらに振る。私もいちいちつっこまず話に付き合うので本当にぐだぐだになるしむず痒いので、本音を言うとあの空気は好き嫌いは別にして得意な方ではなかった。

 

 咲夜はこういう話を聞くことについてどう思うんだい?

 

 それらの話は私の方が皆さんよりもよく記憶しているくらいのようで。ただ、それと人から話を聞くのでは全く違う感覚があります。私の前身が私のすぐ隣にいて、その話に加わりそうな心地がします。特別嫌な気分はしません。

 

 

 

***

 

 

 

 司書とチェスをしていた。咲夜は一人で外に出ている。なんでもない顔をしているがそのことが気にかかっている。司書は大体愚痴相手とか、どうしても暇な時相手してもらったりとか、大体他の奴の間を縫うような時に狙いすまして現れる。門番にしか言わない事、咲夜としか見ない景色、妹としかしない遊び、親友としか出来ないいたずら。の、それ以外が全部司書。彼女は咲夜が居ない間の私の心の揺らめきを落ち着けに来たのだ。彼女がそう言ったわけではないが、そうに決まっている。どうでもいいことだが、司書は私達の中でぶっちぎりで年長者だった。司書は力が強くないし知識が深い訳でもないけれど、信頼とか友愛とかそういうことではなく、私は彼女を少し頼りにしていたというか、拠り所にしていた。そんな彼女が私に振ってきた話は、私からすれば少し意外な、突っ込んだものだった。

 

 レミリアさんが心配していることを……もう少し穿って私は考えてしまうんです。今、咲夜さんが死んだら。死んでしまったら……魂のない彼女はどうなるんでしょう。彼女は何処へ行ってしまうんでしょう?何処かへ行くための何かを、持っているのでしょうか?そもそも魂がないのに人間が生きて動くなんて事を、悪魔の私は知りませんでしたよ……レミリアさんも悪魔ですけど、私のそれとは畑が違いますよね。私は契約の悪魔ですよ。魂の抜かれた人間は……その場で死にますよね。なのに彼女は動いているんですよ。咲夜さんからはエネルギーを感じません。生きているもののエネルギーです。だからこそこんな処でこんな風に暮らしているにも関わらず、何の力も無い。空すら飛べない。近くに居る存在のあり方にまで強烈に影響を及ぼす強大な吸血鬼の隣に立っていながら。咲夜さんを下等に見ているわけではないんです。疑問に思うし、心配しているんです。多分この館の誰よりも彼女を。レミリアさんはいつか、「あの子」の事を、「あの子」の体のことを支離滅裂と称していましたがね。私は今のほうがよっぽどイカれていると思います。裁縫針が一人でに立ち上がって、その上にコマが回っているように奇妙ですよ。それはあるいは、咲夜さんの支離滅裂な体と、レミリアさんとパチュリー様の強烈な執着を生贄に顕現した、一つの陽炎のようなもの。触ろうと手を出しただけで、その風の流れで消えてしまうようなもの。類稀。そんな彼女が死んでしまった時の心配を私はずっとしているんです。彼女が死んだら、どうなってしまうんだろう。ごめんなさい。本当は多分、レミリアさんは私をそう思ってくれていたんだと思いますが、レミリアさんの心を落ち着けようと思ってきました。でも、私のほうが少しおかしいみたいでしたね。私は……私には私の秩序と教養があって、本当はあまり出しゃばってこういう事を言うべきではないんです。知っているでしょう。

 

 咲夜は、何事もなく帰ってきた。咲夜は一番に私の部屋に来て、私にブローチを渡した。香霖堂に行ってきたと彼女は言った。あの子が病に伏せる少し前に香霖堂でこのブローチを見付け、私に似合うだろうと思っていた事を咲夜は辿ったのだという。この為に毎日頑張っていたのかい、と口を付いた。それだけではないかもしれません。私もこのブローチはお嬢様に似合うだろうと思ったので買ってきました、と咲夜は答えた。私は咲夜を抱きしめてありがとうと言った。

 

 司書とチェスをしていた。彼女は微笑みをたたえていたが、その心にはさざなみが立っていても、おそらく誰も気付く事は無い。私も、恐らく我が親友ですら。その彼女が口に出して私にした忠告を、軽く流す事が出来るわけもなかった。私の心はそれからの数日の間、ぐちゃぐちゃになった。あの子と咲夜、二人のくれたブローチ。十字と鎖のモチーフに狼。その眼は紅く煌めいていた。咲夜が死んだら咲夜はどうなるのか。答えは「わからない」。それは希望的な物言いで、現実逃避だった。彼女を彼女たらしめていたものはこの世にもあの世にも、どこにも存在しなくなる。咲夜が本当に私達の執着とあの子の異能の元にたまたま生まれた幻のようなものなら、その生命が潰えた時、私達の記憶にすら残らないのかもしれないと、そう思った。

 

 それから一週間程経ったが、咲夜はそこに居た。これまでと様子は変わらない。突然手を握っても彼女はよくわからないという顔をして、手を握り返してくれる。からりと笑って、お早う、今日もいい月だとは思わないか、と挨拶をすると、下弦の月は意識して見ると少し物珍しいですねと答えた。昨日までは居たのだから今日も居るだろうとは思えなかった。咲夜は呆けている時間がまあまあ多かった。あれは必要な時間なのだろうなと思う。決まった椅子に座り、空中を見ていた。それはそのまま透き通って、消えて失せてしまいそうな心地がすると、そこを通りすがった私は思うのだった。

 

 

 

 

 

【2歳】

 

ハロー 灰色の世界よ

 

今日の私は感じているか

 

ものを揚げるような蝉の声を

 

雪に沈む足跡から漂う人生を

 

標識の向こうにある有刺鉄線のあちら側を

 

幼き黄色い帽子を

 

子供の強さと大人の弱さを

 

流れ込んでくる想像のチカラを

 

ロリポップに覚えていたエンヴィーを

 

別れの空気が脳の裏を掠めることを

 

シンパシーを

 

空色の空を

 

あの人の声が少し楽しそうなことを

 

 

 

***

 

 

 

 咲夜は常に新しい刺激を求めているように見える。最近は本を読んでいる事が多い。知識が欲しくて読んでいるわけではなく、単純な娯楽本、特に推理小説と少年漫画を多く読む傾向があるが、一概には言えず、どんな本でも好き嫌いなく読む。楽しいという事が私にも判るかと思いまして。と彼女は言っていた。咲夜が本を読むことに関して親友は好意的かつ熱心だった。親友は目を光らせ、しかし態度は柔らかく、私はここに置いてある全ての本と友達なの。あなたは糸で手繰られるみたいに手に取った本を読んで、それを素晴らしいと思えるかもしれない権利を持っているのよと言って聞かせた。他にも、妹とカードゲーム等をして遊んでいる場面がまま見られる。咲夜のゲームには運や流れというものが無いというか、見ていて機械的に振り分けられた順番に従わされているような気持ちになるが、なんでそんな現象が起こるのかはよくわからなかった。我が妹、ひいては私たちはいわゆる「持ってる度」に格差がありすぎたため、ゲームをするに当たってこれはむしろ好都合と言えた。咲夜は完全な人間に見えるが、私達の預かり知る処とはまた違う摂理で動いている、そんな異能がちらほらと発見された。どうしてそんな事になるのかわからないが、とにかくそうなるらしいという類の理不尽。我々の持っているそれとは明らかに違う。門番の知り合いには似たような能力を持つ鬼が居るそうなので聞いてきてもらったことがある。彼女の能力を無理やり理屈で説明すると、道理に力で介入して思い通りに物を進めたり、思い通りの事を起こしたりするというものらしい。それは咲夜の持っている何かとは全然違うし、私たちに寄った話だった。咲夜はゲームが楽しいと言うよりは、自身を娯楽品の様に扱うことに安心感を覚えているらしい。安心という概念は恐らく後天的に生まれたものだろう。少なくともかつての咲夜からは見られなかった。

 

 我が親友は咲夜にクオリアに付いて根掘り葉掘り聞く。クオリアというものを説明するのは難しい。前述。「主観的な感覚」。例えば、ホットケーキを見た時に覚える感じ。ホットケーキが目の前にある時のあの感じ。ホットケーキを食べた時のあの感じ。それがクオリア。咲夜にはそれが無いと考えられている。あるいは、少しずつ発生しているとも。無いか、いや、あるとしても、彼女は確かに通常に暮らしているように見えたあの子の記憶を持っていて、その記憶にはクオリアの経験が伴っていたはずで、でも今の咲夜はあの子とは別人で、咲夜は一人なのに二人分のクオリアを持っていて、それを比べる事が出来る稀有な例ではないかと考えているというわけだ。他人は空の「青」を、自分の感覚で言うと「紫」に感じているかも。そんな比較の証明になるかも。咲夜にそれらの血の通った感覚が、あの子の記憶と比較した時に存在しているのかを、咲夜に問うている。無かったとしても、徐々に発生しているとも。限らないので、我が親友は大体月一でこのカウンセリング?を実施していた。例えば、私が見たら喜びそうな満月の写真なんかを見せる。これを見てどう思う?満月の写真という事は判りますが、私の前身がこの写真を見たらこう感じたであろうという推測と比較して、私の認識には大きな喪失感があります。つまり咲夜はクオリアを失ったという主観を持つ人間という事だ。しかし、これが今の咲夜だ。咲夜は明らかに「クオリアを欲している」。私から言わせればこれはもう主観的な感覚だ。咲夜の世界がもっと色に溢れたものになる可能性は大いにある。咲夜が生まれてから2年。人間にとっては長い旅になるかもしれないけれどね。

 

 

 

***

 

 

 あの日司書とした話を忘れたことはない。魂がないのに、魂があるように動いているものは死ぬと何処へ行くのか。無くなってしまうのか。門番にこの話を振ると、彼女は彼女で面白いことを言う。今の咲夜に魂が宿る事はないのか?そもそも、魂というのはどうやって来て、どの段階で宿るんだ。あいつらは何処からやってくるんだと。そんな事を完全に解明してしまった日には、閻魔の職務内容が変わるだろう。いやもう、むしろ、乗り込んで全部聞きだしてやるかと笑うと、門番も笑って、その時は付き合うと言った。

 

 真面目に考える価値はあるかもしれない。先に悪い話からする。すでに咲夜には魂が宿っているのではないかという説は、恐らく否定していい。霊魂に関して最も敏感な司書が何も言わない。私も、咲夜から魄動を感じたことなどない。門番に至っては、普通の人間は纏ってる筈のオーラすら皆無だと言った。彼女は脳の電気信号と、私達のわからない何か糸のようなもので動いている。では、これからは?これから咲夜に魂が宿ることは?付喪神で考える。奴らは、百年経た道具に魂が宿ったものだとかいう。九十九神は?読みは一緒だが成り立ちは全く違う。百年経って魂が宿られては困るので、道具は九十九年で壊して捨てるという慣習が出来た。そこへあと一年で付喪神になれたのに!と人間を恨んで妖怪に転じたのが九十九神だ。付喪神というと、動物が転じた物も含むことがある。これは基本的な話で、実際は場所や派閥に拠って伝える事が違ったり、別の成り立ちだったり、人為的に生まれたり、例外はいくらでもある。なおこれら情報は我が親友のものである。私がこんなこまい事知っている訳がない。普通の人間は母を選び宿り、子供を孕んだ時に移り変わるのだとか、いやあ肚の中にヒトの形を為した時に宿るのさとか、んなわけねえだろ、股からおぎゃあと出た時に飛び込むんだよとか、色々言われるけども、咲夜の扱いはというとよくわからない。やはり物や道具として扱ったほうが例に依り易い。物語の最後に心を理解するコンピュータ。そして涙の別れ。彼らは最後に魂を得たのだろうか?天国とかに行けたのか?そっちの例だとすると、道具や動物に宿るのは浮遊している霊魂や精霊や神だという。まぁ、どっちでもいいのかもしれない。一瞬希望を抱いてこんな話をしていたが、親友も気付いたようだ。今、咲夜に魂が宿っていないとして、彼女に芽生えている自我のようなものだ。それが我々が今最も大事にしているもの。魂が現象として、ある地点から突然宿るものだとしたら、それまで生きていた彼女は何処へ行くのか?それはあるいは、それまで動いていた彼女はただの肉塊で、私達がしていたのはただの人形遊びに過ぎなかったという前提の元に進む話だ。私たちにも、咲夜にも、それは冒涜だった。結局同じ話なのだ。私達が求めている、「今の彼女の行く末」を守る方法はない。

 

 咲夜は人里に買い出しに行く。図書館のレパートリーにはない、新しい本等も買ってくる。我が親友よりも早く読まれた本がこの館に存在している事は、ある意味新たな風である。風。私の心には風が吹いているのでしょうか。咲夜は多分、何かの本で読んだのであろうそんな形容を私に振った。私達がお前の風よけになれることを願っているよと、何かの本で読んだ気がするそんな形容を私は返した。

 

 

 

 

 

【3歳】

 

花言葉。

 

 

 

***

 

 

 

 咲夜はもはやメイド長として、そのアプローチは違えどあの子と比べても負けない程に有能だった。彼女の指示を聞かない部下など居ない。館の主要人物とは完全に打ち解けているように思える。それは、私たちの壁ではなく、彼女の壁が取り払われて感じられるということだ。彼女は彼女の望んだ生活を出来ていると私達は感じているし、それに安心している。咲夜には感情が見て取れる。表情筋がオリハルコンで出来ている事はもう誰も気にしない。咲夜は楽しそうに、キャッチボールをしている。夜なのでボールが見えにくいからなんとかしてほしいという我儘を親友に言ってみせるし、親友もそれに仕方ないわねとすました顔で、光るボールを作ってくれる。妹と司書は笑いながら咲夜のめちゃくちゃなボールを取る。私と門番はそれを見ながら紅茶を飲んでいた。それは私達の望んでいたもの。いつまでも続けばいいと願うもの。

 

 咲夜が生まれた時の事が、つい昨日のことのように思える。咲夜は、私ですらそうなのですから、お嬢様方は尚更でしょうと言っていた。妖怪の感覚で過ごしていると、咲夜と過ごす時間がごく短いなどということは、もういい加減辟易するほど聞いたことのある展開回しだが、それは最もストレートに事実だ。しかし、事実だけに、受け止めていることでもある。大した問題ではない。突然いなくなったりするものだから、私達は冷静でなくなったのだ。あの子は運命が一切存在しない子だった。それが意味する処。あの子は私達と同じ場所に居るけれど、私達とは違う存在だったということ。人間と妖怪だとか、そんなものよりも更にもっと隔たりのある、どうしようもなく遠いもの。それは0と1。それは宇宙の内と外。そんなあの子と、私達は暮らしていた。奇跡よりも悍ましい何かの上に、それは成り立っていた。咲夜の運命は未だ見えない。あの子と咲夜を繋ぐもの。それは、どうしようもなく人間であるはずの咲夜を、どうしようもなくこの世の全てから切り離す超越した存在にする。愚かなことに、それは裂こうとすると簡単に八つに崩れ落ちる。

 

 少し前に妹は、咲夜の自由を制限してでも咲夜を守るべきだと言った。それは恐らく、間違っていない。妹の感性と咲夜の特性を思えば当然の主張とも言えた。私は咲夜のしたいこと、すべきことを、望むようにさせてやりたかった。私達からすれば、1年も100年も大した違いはない。その程度の時間すら自由にさせてやらないというのは、あまりにも私達だけの都合で出た意見だ。それに、もし私達全員が、本当はそれを望んでいる部分があるということを咲夜が知れば、それを甘んじて受け入れるだろう。妹もそれをわかっていた。だからこそそれを私にだけ言う。私は。わかっている。わかっているだろう。そう言うしか無かった。妹は歯軋りした。こんな問答に解などない。解がないなら、いっそ妹の言う通りにすればいいのかもしれない。ずっと館の中に居てもらえばいい。私達が守るから。何があっても守るから。そしてしわだらけの君と別れを告げ、天高く昇る灰を見送らせて欲しい。そうすれば私達は君を、私達の心の中に永遠に生かす事が出来るのだから。そう、お願いすればいい。簡単なことだった。

 

 貴方の決めたことに文句を言うなんて、ここに居る全員がするわけないことよ。でも、それがつらいこともあるわよね。……これは、こればっかりは、私にもどうにもならないわ。貴方はここの主人なんだから。貴方が選んだこと、選んだ道、選んだ結末。私達は一緒に歩くから。だから大丈夫。大丈夫なのよ、レミィ。だって、それで終わりじゃないんだからね。

 

 私達は今、紛れもなく幸せに暮らしていた。それはもう、物語のハッピーエンド、その後のように。咲夜と目が合う。私はつい顔がほころんで、彼女に手を振った。咲夜は一際酷い暴投を司書に押し付けて、手を振り返した。

 

 

 

***

 

 

 

 咲夜はいつものように、その日のご飯を用意して、皆を呼んだ。味噌汁と焼き魚と白米と沢庵と海苔と納豆が並べられていた。どうぞ、ご用意できましたと咲夜は言った。いつもの調子だった。皆で頂きますと言って、ご飯を食べだした。途中、妹が湯呑みを倒してしまった。咲夜は、妹にお湯がかかっていない事を確認して、すぐに片付けて代わりのお茶を用意した。

 

 今日はなんだか、いつもより調子がいい。最近貧血気味だったのが嘘のように。晴れ晴れとした気分。咲夜もそのようだった。大声とか出したいですねと言っていたが、あんまり共感できない。変わったことを口にする事が多くなってきた。彼女特有の感性が育まれている。その凝り固まった表情筋で大口を開けたらきっと顎が外れるだろうと思った。そのまま談笑しながら図書館に行くと、親友の顔色が良かった。もしかして、今日は調子がいいのかい?と聞いたら、レミィもそのようね、と言われた。不思議なこともある。気候とかかな。龍脈の巡りのようなものかもしれない。ここは元々、様々な気や霊や存在の通り道だから。でも、そのへんの影響を受けづらそうな咲夜も調子が良いとなると、本当に不思議ね。親友は次々に考察を語り出した。別に嫌ではない。彼女の話は楽しいから。

 

 ブラシと布巾を持って妹が図書館に来た。私と親友の方を見ると、妹は司書に羽の手入れをして欲しいと頼んだ。司書は少し驚いたが、すぐに朗らかな顔に戻って了承した。妹の羽の手入れはいつも私がやるが、親友が私に楽しそうに話しているのを見て気を使ったのだろう。妹は変な実験とか地下を掘り進めてダンジョンを作ったりとか、趣味がアレな子なのですぐ体中が汚れる。ある日、私が羽の手入れを申し出たその時に、それはね、お前の羽は本当に美しいからだよ。泥だらけ煤だらけになってもお前の髪と羽が綺麗に光るから、私とお前はそれを誇りに思うんだよと言って聞かせた。妹はそれを大層嬉しがって、自分で羽の手入れをするようになった。自分でやりきれない処を週一くらいで私に頼む。妹と司書を見やる。彼女達の美しさは瑠璃色のそれだ。冷たく、身を裂くような。私と妹がそうしているのを、じっと見つめていた門番の気持ちがなんとなく判る。ここには奇跡が詰まっている。五百年越しのダビデの手の様に。私達は、毎日の様に奇跡に立合い、それを眼球の奥に刻み込んで生きている。

 

 門番が来た。門番は果物を持っていた。植えて育ててから初めて枇杷がなったらしい。なったもの直ぐ持ってきたのか。熟すまで待ったりとかしなくてもいいの?枇杷はメロンやバナナみたいにそんなことはしなくていい。直ぐ食べないと直ぐ痛むんだ。門番は机に枇杷の入ったバスケットを置いて、果汁で紙が汚れないように本を片付けだした。バスケットには門番の分を除いた、人数分のお手拭きも入っている。君は食べないのかと聞くと、自分で味も判らないものを主人に食べさせるわけが無いだろうと、本棚の奥から声が聞こえた。先に食べたから勝手に食べていてくれということのようだ。皮を剥き、口に運ぶと、甘酸っぱくてまろやかな味がした。そして、咲夜が淹れてくれた紅茶を飲む。

 

 その日は皆で図書館でだらだら過ごして、しかも皆で寝た。夜に起きると、咲夜と門番が居なかった。一番上の階の、窓のある廊下に咲夜はいた。門番が門に立っているのを見ていたようだった。私に気付き、おはようございますと挨拶をした。咲夜の横に並び、門番の様子を見てみる。身じろぎひとつしない。恐らく二時間ほどそうした後、庭を見回りだすだろう。あんなの見てて面白いのかと私は呟いた。私は愛おしいと思っていた。咲夜は首を傾げるだけで何も答えなかった。

 

 月に僅かにかかる雲。

 

 山吹色の暖かい空気。

 

 咲夜の髪を撫でる風。

 

 私は彼女が微笑みをたたえているのを、その時、確かに目睹した。

 

 

 

***

 

 

 

 それの損傷と腐敗は著しく、それが彼女だと判断させたのは身に付けていたものと勘くらいのものだった。検死をしようかと言われたが、丁重に断った。拒否にならないように気を使った。野良妖怪に襲われてのことだった。人里へ行くと行って、そのまま帰ってこなかった。紅魔の息のかかった人間を襲って食べるなんて言うのは、知能の低い雑魚か、相当に気の触れたぶっちぎれた奴くらいのものだった。後者だった。妖怪に襲われて死んだくせに、たとえ状態が悪くても遺体が残っていたのだから幸いと思うべきかもしれない。無意味とは思ったがその妖怪は殺した。私が腕を軽く振ればそれだけで二つに別れるにような脆弱な粕だった。妖怪の首だけを持ちふらふらと帰ってきた私を見て、門番はため息をついて遺体を取りに行った。司書はそれに追従した。親友は顔を片手で覆っていた。私が持ち帰った首を妹はひったくって、泣きながらその場でばりばりと食べ尽くしてしまった。

 

 蝿と悪臭がのたうつ部屋の中で、私達は何もしなかった。俯いたり、嗚咽を漏らしたり、遺体を見つめたりしていた。私達は一言も言葉を交わさなかった。ああすればよかった、こうすればよかったという後悔を一つ、強いて述べるなら、こんなことになるなら私が喰っとけば良かったと思った。遺体に頭部は無かった。私達が苦心したり、愛情を込めたりして彼女と作った思い出は、どうでもいい唾液と胃液に溶かされた。腹ただしくも、悲しくもなく、私はただ喪失したのだという後ろ暗さに襲われていた。部屋を出ようとした。寝ようと思った。門番は私の肩を掴んだ。私が茫然自失として、まともな状態でないのを判っていたのか、何も言わなかった。しかしその顔は語っていた。こいつをこのまま蝿に食わせておいて寝るつもりなのかお前は、と。私は。私は咲夜を燃やすことにした。

 

 悪臭は一定の線を超えると、嗅覚というより味覚に訴えるようになる。それを何時間も死んだように浴びていた私達の服は、黄ばんですら見えた。誰も臭いなど気にはしなかった。親友は機械的に嘔吐していた。吐瀉物と、嘔吐時に生理的に出る涙でひどい顔をしていた。この悪臭の中では、吐瀉物の臭いすら甘く爽やかに思えた。外に出ようが、私たちにこびりついた臭いは消えなかった。咲夜は組み木の中で鮮やかに燃えていた。妹は私に、脚だけ食わせろと言った。比較的綺麗に残っている方だった咲夜の脚は妹の腹の中に収まっていた。門番は眼が窪んでいた。妹は血まみれだった。親友は直ちに死にそうだった。司書は彫像の如く凜としていた。私は自分がどんな顔をしているのかわからなかった。咲夜は灰になった。灰は庭の土に混ぜた。あの子と同じく、墓は作らなかった。

 

 数日の後。館は。というか、身も清めず飯も食わずに居た私達は、ぼろ屑の様になっていた。感情の制御が出来なかった。いっそ死んでしまおうと思ったわけでも、自棄になったわけでもなく、何もする気が起きなかった。妹が私の前に立った。妹は私を風呂に入れた。体を拭いた。服を着せた。飯を用意した。部屋は綺麗に掃除されていた。親友も門番も司書も居た。司書以外の二人は、妹に世話を焼かれてここに来たようだった。綺麗な私達が綺麗な場所で顔を合わせるのが、もう何年ぶりかに思えた。高級そうな肉だった。口に入れたら、味がきちんと判る自分の舌に驚いた。それは美味しかった。妹は、食べたら片付けと掃除を手伝ってねと言った。館は別に、言うほど汚れていなかった。咲夜は妖精とゴブリンに、それぞれ長を任命して、大まかな指示を出したら後は全部その二人が細かいことをやってくれる所まで教育を済ませていた。二人は、極めて素直に、悲しそうな顔をして目に涙を溜めていた。妹は、皆、心配しているのよと言った。

 

 最後に咲夜の顔を見てから、もう何週間も過ぎていた。無様に床に倒れて何も考えていない内は、それを実感しなくて済んだ。幽霊のようにふらふらと、彼女を燃やした。もっと毅然と。もっと誇らしく彼女を見送れた。私は紅魔の主なのだから。にも関わらず。ああ、そうだった。

 

 咲夜は死んだんだなあ、と私は思った。

 

 

 

***

 

 

 

 賢者の石ふりかけご飯を食べていた。様々なモチベーションや、元気とか、あと普通にいつもやっていた事をやれるだけの気持ちなどが復活してきていた。親友は、また咲夜を蘇らせる研究でもする?といたずらっぽく言った。私はもうやめとこうと言った。十六夜咲夜三世が生まれるのがオチだ。別にそれも悪くないんだけど、もうやめとこう。近しい人を失うという事。死ぬ。もう会えなくなる。それはこれから永遠に。もう会えないんだよなあと、当たり前に思う。下手に力を持っていたり、死にづらかったりするから始末に悪い。死んだらもう会えないなんて言うのは当たり前の話だ。やはり、喪失感ばかりが先行して、悲しいとか、そういう感情がよくわからない。死の香り。愛の残響。それが私に遺るもの。

 

 死んだら咲夜は何処へ行くのか、どうなるのか。という話。私達は咲夜が生きている時から今に至るまで、しつこく調べていた。咲夜という存在の定義は、結局人間ではないという結論に落ち着いた。咲夜は時間を操る能力を失った訳ではなく、その有り様を変えただけだった。彼女の能力は魂ではなく、その体に根ざしたもの。咲夜がこの世界に行っている干渉は、この世界に存在するどのような物とも違う、もっと上にあるものだ。例えば、この世界がパーソナルコンピュータに内包されたものだったら。何もかもはHDDに入っているデータで、その中に入っている摂理の通りものは動く。十六夜咲夜は、HDDに物理的に干渉する存在だ。HDDに付いたキズだ。データではない。もっと上のもの。彼女はHDDに付いたキズの様に、この世界が存在する限りそこに在り続ける。彼女は存在ではなく現象。魂も肉体も、座標がそこに合ったと言うだけの話で、感情も情動も、それらは全てゆらぎのようなもの。やっと立てた仮説。それは、却って救いがないものだった。私達は苦笑いした。私達の摂理に則って言えば、あの肉体に宿った知性は空にばらまかれながらも、たしかに存在し続けるということ。それは私達が今そうしているように、喋ったり、思ったり、感じたりするものではないけれど。時間や空間を操るという超常。時間は河のように流れているものではなく、水槽に溜まった液体のようなもの。咲夜はそれをかき混ぜる事が出来た。私は親友の熱弁をそろそろ遮った。

 

 

 館の中を歩いていた。あの子と咲夜の残滓を確かめていた。それはピアノのように刹那的だった。十字と鎖のモチーフに狼。その眼は紅く煌めいていた。私が咲夜に与えたもの、与えてくれたものは、私の中では消えないだろう。咲夜の中ではどうだろう?炎に包まれて全て灰になったのだろうか。その無情な、吹き渡る知性に内在しているのだろうか。この廊下。咲夜はいつもここを通って洗濯物を運んでいたな。司書が居た。私は、こんな処に佇んで、君も私と同じで暇なんだなと言った。彼女はそのまま私に付いてきた。司書は私と咲夜をこんな風に見ていて、それが楽しかったという話を私に聞かせた。私はそんな話を聞いているのに、頭の中では、あの鮮やかな炎の前で最も誇り高かったのはこの女だったなとか思っていた。司書は私が、自分がしている話のノリと違う顔を私がしているのに気付いて、もー、話聞いてるんですかと言った。私はそれを無視して、ああ、ここの窓から咲夜と門番を覗いていたんだよ、と窓に駆け寄った。

 

 あの窓から門番を見た。門番は視線を感じたのか、こちらを向いて手をちょろりと振った。私と司書も手を振り返した。その時、私の腕に何かが滴った。なんだこれ。司書の方を見ると、すごく驚いていた。え、ちょっとまって。違うんだよ。い、今更?いやだってさ、いま横に咲夜が、咲夜がさあ。

 

 咲夜、私は今、漸くお前達の死を悼むことが出来そうだよ。

 

 

 

(おしまい)

 

 

 

 




***



 白状するが、私は咲夜を食べたかった。妹はその欲求を前面に出した。私が出さなかったのはただの偶然だろう。私はそのことに関して多少後悔していた。それは恐らく、咲夜と共に生きていく最も判り易い方法だった。咲夜はどんな味だったか聞いたことがある。あんな腐りきったものひどい味に決まってるでしょと言われた。それは確かにその通りだった。

 あの時咲夜には、プライベートがあるからあの子の記憶を濫りに喋るなと言ったけれど、当然それは教育上そう言うけれど、私個人の欲求としてはあの子のことはその何もかもを知りたかった。あの子のことも、咲夜のことも。咲夜はあの時、何を考えていたのかな。親友の言葉で私はひとまず、その欲求に一段落、幕を下ろすことにした。

「そんなこと、今までだって、私達の間でだって、本当に判ることなんて一つだってなかったんじゃないかしら。」

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