千恋*万花~福音輪廻~ 作:図書室でオナろう
「ふぅむ……妙なこともあるものだな」
再び。
黒は憑代を変えて神域の前に現れた。
「どうやら、奴らに何か……あったようだな。これでは逸らした時、完全に目が逸らし切れん」
しばし沈思黙考し、そして黒はクツクツと自嘲しながら呟いた。
「ならば今しばらくは沈黙してやるか……そちらの方が都合が良い。騙す……などと人は言うが、本心を隠すことなど誰でもしていように……」
かつてより黒は、人と同じことをしている筈だった。
だが同じことをすれば、やれお前は狂ってるだのなんだのと言われる。
それが疑問で仕方なかった。
「解せんな、やはり。
──咲き誇る花よりも朽ち果てた枯木。
──美しい人よりも醜い死体。
──熟れた果実よりも腐った果実。
……ただ好むものが違うだけ。そしてそれを欲して動くことに何の罪があろうものか。
誰だって殺していよう、生きるために」
人より外れた感性であっても、人として生きようとすることに何の罪があろうか。傲慢にも否定されれば、それはこの黒とて手が出る。
黒は行動や思考こそ極めて人を外れているが、それさえ除けば戦乱に明け暮れていた時期の人間としては、"極めて穏やかで非好戦的な性格"をしている。
──そうおかしなことに。
「馨……お前と実際に顔を合わせてみたいものだが、あぁ──それは先の話か。クククッ、楽しみにしているぞ」
馨の名を呼び、楽しげに笑いながら消え行く黒。
「神に愛された者の末裔と、神に愛されなかった者の末裔……愛は平等に不平等だが、さて……」
妖しいほどに透き通った、蒼ざめた月光にに照らされたその黒の姿は。
──鞍馬小春、その人であった。
「この娘はあまり夜遊びをするタイプではないようだし、次はどの身体を借りたものかな」
彼女らしからぬ、人ならざる魔性の笑み。
それはその内に燻る者が、如何なる者かを如実に語っているのだった。
それとはまた違う何処か。
──ゆっくりと茉子は目を覚ます。
「……ここは……?」
愛おしい彼の隣で眠っていたはずなのに、まったくわからない何処か。
横たわっていたはずなのに、石に背中を預けるように座っていた。
辺りを見渡すと、セピア調の世界だった。
山の中だろうか? 木々と草花が生い茂り、だがどれもこれもセピアに染められていて、その元来の美しさを察することはできない。
「目覚めたか」
「……あなたは」
そしてそのセピアの奥から、闇より切り出された狼が、赤光の瞳と共に茉子を見つめ、小さく人語を話した。
かつての神、そのなれ果て──そして常陸の始まりが穢した神。
……罪の象徴。
「……何やら面倒なことになっているらしいな」
「知っているんですか!?」
「ふん、貴様の感情を見ているのだ。記憶程度は容易い……故に、人間たちがあの大罪を償おうとしているのは察している。そして貴様があの非道な男の血を引いていることもな」
狼はなんでもないようにそう語ると、さぞつまらなさそうに茉子へと問いかけた。
「……答えてもらおう」
「っ、何ですか」
茉子はその問いに至る前の宣告が、まるで死刑宣告にも思えた。罪深き血族に生まれ、罪深き者として私心を殺して機械の如く尽くしてきたが、やはり心の何処かでは与えられる罰に恐怖を抱いていた……
「あの伊奈神の男、貴様と恋人になっていると考えていいのか」
が。
聞かれたのは、そんななんでもない……というか、確かに狼には理解不能なことであり、茉子は一際間抜けな表情を見せてしまった。
「……えっと、それはそうですけど」
恋人なのは否定する必要が無い。しばらく手を出してくれないだけで。
そこがもどかしいし、いっそ食べてくれたらもっと甘えて行けるのにとか色々思うところはあるが、茉子の中ではもう恋人同士なのであった。
「では何故、あのような煮え切らん態度なのだ」
「カッコつけられない雑魚だからじゃないかと」
「……やはり人間は理解できん。とにかく、奴とは恋人であるのだな」
「はい。馨くんはワタシの……恋人、です」
「ふん……ではそれが人を好きになる、誰かを愛する、という感情か……」
狼は何処か納得するように──
「たださらさらと流れる波──このような暖かく、優しい光を持ちながら、何故……何故貴様らは……」
しかし、だからこそ理解し難いと言わんばかりに、あらゆる感情がごちゃ混ぜになった声で、そう絞り出した。
しばらく茉子をジッと見つめていた狼だが、ふと鼻で笑い。
「──呪い殺してやろうかとも思ったが、興が削がれた。故に貴様らの償いを見定める。その上で、命の行く末を決めよう。件の話も、手を貸してやる」
そう、神としての確かな威厳を見せつつ告げた。
唖然とした顔をしているのを感じながら、彼女は狼に問う。
「……いいんですか?」
「確かに許されることない罪だが、償おうとしているのもまた事実。違うか」
千年もの間、荒ぶり呪っていた神が、まさかここまで落ち着いてるとは……茉子の素直な感想だ。問答無用で殺されるかと思っていたし、実際それだけのことをした家系であるが、いくらなんでも見逃されるというのは少々意外だ。
ここまで話が通じるのならば、もしやと。
「あのぅ……犬になるの、どうにかなりませんか? 真面目な話、あなたにとっても効率的に恋を学べないと思うんです」
「む──そうか、そういう形で現れていたか。その程度であれば造作も無い。人とは違い、交わした契約を勝手に切るなどはせん」
「ありがとうございます。これでなんとか……えっちの時に犬になるなんてことはなくなりそう」
犬になることはないということに安心するあまり、ある意味では大変健全な下心がポロッと出てしまったが、狼はこれを大人な気持ちでスルーした。というよりも、突く必要性も感じなかっただけだが。
「……そろそろ目覚める頃合いか。貴様は普通に過ごすがいい。それだけで十二分だ。それで私の知るべきものも見えてくる」
狼はそう告げて、背を向けて去る。
それと同時に眩い光が見えて──
「……朝……?」
ゆっくりと身体を起こして周囲を確認する。当然ながらまったく見慣れてない場所……つまりは馨が借りている部屋だ。
(そうだ、昨日──)
その瞬間、昨夜のやり取りを全て思い出す。喜びと羞恥が半々、確かな熱となって身体を駆け巡る。
やっと恋人になれた……キスだってできた。でもしばらくはお預け。
(あんまり、待てそうもないなあ)
我慢弱い自分を笑いながら、隣で眠る馨の頭をゆっくりと撫でる。くすぐったそうに身じろぎしている姿がとても愛らしくて、愛おしい。
人であって人ではないが故に自死を選んでしまうような思考で、歳不相応に幼くて、根っこはどうしようもなくて、肝心なところで決められないヘタレ具合──自分でもよくまぁこんなロクでなしを心底から好きになってしまったものだと思う。
一体いつの間に、幼い日の思い出は恋の記憶になったのだろうか? 茉子にとってその始まりは重要なことではないが、実際気が付けば好きになっていた……という奴だ。
それがこうして実って、兄と妹/姉と弟から男女の仲になっている。
「……あは」
笑みが溢れる、愛情が溢れる──いっそこのまま寝込みを襲うのも……
(っ!? ダメダメ! まだカッコつけたところ見てないからダメ! よし、ワタシは我慢できるワタシは我慢できるワタシは我慢できる……そう、ワタシは機械の如く冷静な常陸茉子です。うん、大丈夫)
大変健全な下心と劣情によって淑女にあるまじき行為を働きそうになったが、はしたないのは嫌いだろうしそもそも主とその婚約者がそういう行為に至っていないのだから従者としては待つべきだろう……そう結論づけ、色々と悶々としながら部屋を出て行く。
一旦芳乃の部屋に戻り着替えて──そこで彼女の姿が無いことに気がつく。
「ふふふ、我ながら完璧ですね」
──何処が完璧なのだ。昨夜のことであれば他の者に見られていたぞ──
「なっ、にゃにゃにゃにをそんなバカな!?」
──やかましい──
内より聞こえたあの狼の声と、それにより告げられた真実に動揺して珍妙な声を上げるが、ふとここで狼の側から話しかけてきていることに気がつく。
ならばと内側に声を送ってみる。
(……こうですか?)
──そうだ、喋らずとも通じている。伊奈神の男と似たようなものだ──
(けどどうして? 別に用があるわけでもないでしょう)
──ふん、貴様から話ができるようにせねば不便だろう。手を貸すと言った手前、眠らねば話せぬなど面倒だ──
(確かに……ですがその、いいんですか?)
──くどい。私は"貴様個人"を見定める。行動で示してみろ──
罪深き血族として、その罪を償う機会を、かつて穢した神より直々に与えられている。茉子はそれ故に遠慮し、狼はそれ故に行動しろと言う。
とても数奇な関係だが、茉子は不思議なことに、どうもこの狼に他人の気はしなかった。
そう、何故かまるで親と接しているような……
とにかく恋を教えるために、そして一族の罪を償うために、全力を尽くさねば。
茉子は決意を新たに、まずは朝食の支度を始めるのだった──
──……愛して欲しい、か──
(は?)
──気にするな。時に独り言を言う時もある──
……ただし彼女は。
着替えるために寝間着を脱いだ時に、自分が自分で引くほどの変態であることを自覚するのであったとさ……
「……えっ、えぇ……ワタシ……嘘……えぇ……」
「こ、これでは年若い痴女が股を濡らしながら恋人の隣で寝ていたことに……寝惚けてナニをシてたんだろ……」
■
ギリギリと何かの音が聞こえる。
それは鎖の軋む音、繋がれたら杭が傷む音。
冷たいけれど心地良い、鉄とはまた違ったもの。
あぁ、この思い出は、果たして誰の──
「……最悪だ」
下腹部の痛みで目が覚めた。
……痛い。
──耐えたツケだな──
わかってるよそんなの。
二度寝する……フリでもしておく。
──じゃあ刀握れば?──
シモ?
──ノーシモ。ほら、虚絶──
あぁ、それね。
モゾモゾと布団から手を伸ばして柄を握ると、自然と頭が切り替わっていき、当然のように痛みも引いた。
……嫌な切り替えの仕方だなぁ。
──でも便利でしょ──
まぁね……
さてと身体を起こして着替え始める。
時間を確認すると、大体芳乃ちゃんが起きるくらい。(ただし弁当を作る前までの、だが)
今日は普通に学院がある。が、さて茉子の様子次第ではまた待機となるわけだが。
「おはよー……」
「お、珍しく早いな馨。なんかあったのか?」
「毎日二度寝決める訳でもねーよ」
汗を流し終わった将臣とばったり会っていきなり心外なお言葉をいただいたので、こちらもそれ相応の対応をさせていただく。
しかし将臣はニヤニヤとしながら──
「昨日はお楽しみだったな」
「……は?」
こいつ、見てたのか?
「何お前茉子のキス顔見てんの? 殺すぞ」
するっと出てくる殺害宣言。
昨日の今日でこれである。
いいのか俺。
「物騒だな!?」
「物騒? 何を言うか。お前だって芳乃ちゃんの蕩けた顔を誰かに見せたいか? 見られたいか?」
「無理だな」
即答。しかもキリッとした顔で。
「例え相手が誰であっても、思うものはあるな」
「だろ?」
「……まぁでも置いておいてな」
「は?」
「だーから! 置いといてくれよ! 言いふらすつもりもないって!」
「……まぁ信用してやる」
──お前らのちょめちょめ覗いてやるぞちくしょう。
くだらないことを思いながら、俺は居間へと向かった。
「はい」
「ん……あれ、なんか量多いな」
「昨日の事もありますから、精は付けとかないと」
「サンキュ」
珍しく腹の調子が良いのでお代わりを貰ってみたが、茉子に多く盛られてしまった。まぁ一理あるので、そんなに気にすることでもないが。
「てかお前、今日学院行くの? 着替えてるけど」
「その事なんですけどワタシ、夢で犬神と話したんです」
いきなりの発言に全員の箸が止まる。
いや、いきなり過ぎて……でもアクションが起きたっていうのは重要だ。
「もしかして、昔のことで?」
「ご心配ありがとうございます、有地さん。でも彼はもうしばらく見定めると、そのために犬にならないようにすると。それから芳乃様の耳の問題についても、手を貸してくれると言っていました」
……意外な展開だ。
まさか、最大の敵──という訳ではなかったが、一番謎に包まれた存在が手を貸してくれるとは。
信用できると言えば嘘になるが、しかしこれほど心強い味方もいるまい。
現に安晴さんもムラサメ様も唖然としている。
「そ、れは……本当なのかい? 茉子君」
「はい。一度交わした契約を一方的に破るつもりはないと。一応、ワタシの方からも声はかけられるので、意思疎通はできます」
「それは、吾輩たちの行動が評価されてということなのか」
「多分……そう、ですね」
なんとも言えない空気が漂う。
そりゃそうだ、先祖の尻拭いを必死になってやってきて、その行動を殺されて利用された張本人から評価されるとは。
「……無駄じゃ、なかったんだっ。私たちのこれまでは……っ!」
絞り出すような声と共に、俯いて嗚咽を漏らす芳乃ちゃん。安晴さんは無言だが、その心中は察するに余りある。
……正直、そっちの不幸でおまんまを食っていた一族としては、かけるべき言葉なぞあるわけもないし、それにそもそも……
うむ……やっぱ俺、いいのかな……茉子に好きだって伝えるのが許されるのかな……
──いや過去のことばっか気にしてもしょうがないでしょ。なんか気の効いたセリフでも考えておきなさいよね──
頑張る。
おろおろと慌てる茉子と、えぐえぐしながらなんとか平気に振る舞おうとする芳乃ちゃん。
本来は親戚の筈なのに、どうしてこうまでしてすれ違ってしまったのか。
過去に責任があるとは言えども、確かに罪はあるとは言えども。
その罪科は永遠に帳消しにできない。
咎人も、罰を下す者も、もはや何処にもいないのだから……
今日の朝飯は、嬉し涙の味がした。
……波乱な朝食を終えて、ひとまず落ち着いてから学院に向かう。
初々しく手を繋いでいる将臣と芳乃ちゃんだが、彼女に耳が生えていることから察するに事態は変化していない。
強いて言えば、犬神の参戦だが、如何に神とてしばらくは様子を見ないとわからないようで、まだアレコレとは言えないらしい……って茉子が言ってた。もっとも物理的に見るんじゃなくて、感知になるそうだから近くにいる理由もないけど。
芳乃ちゃんの後ろを歩く茉子のケツを眺めながら、隣にいるムラサメ様の微妙な雰囲気を感じる。
まぁ、将臣お兄ちゃんが取られちゃムラサメちゃんとしてはあんまり面白くないか。
「むぅ」
「妬いてるのかい、ムラサメ様」
「当然じゃ。月下でああも言ってくれたクセに」
「まぁ、あんまり構ってあげられてないみたいだしな。俺もこう……微妙だし」
「肉体があればのぅ……しかし、結局吾輩の身体はどうなったのであろうな」
言われてみれば確かに。
魂を抜き出された肉体は朽ち果てるのみ。けれどムラサメ様は肉体がどうなったのかは知らないらしい。
普通に考えて残っている筈は無いのだが、神刀に捧げる人柱の肉体だ。可能性はあるが……年代経過的に考えても難しいだろう。
「吾輩はいつも通り憑代を見ておく。馨、虚絶、頼んだぞ」
「任されて、ムラサメ様」
──任せよ──
いつも通りに校門でムラサメ様と別れ、靴を変えて廊下を歩く。
のんびりと歩いていると、芳乃ちゃんに何か言われたのか、急に茉子がトテトテと寄ってくる。
「お昼、二人きりで食べない? またほら、あそこで」
「ん? いいけど。芳乃ちゃんの入れ知恵?」
「聞こえてますよ。どうせ馨さんはヘタレですからお膳立てしないと何もしないでしょう」
「余計なお世話だよっ!? 将臣、お前の彼女なんだからなんとかしろよ!」
「付き合ってんだろ二人とも。何もそんなに言う必要あるのか?」
──付き合っている。
その言葉を聞いた瞬間に茉子の視線が地獄めいた絶対零度に切り替わった。ジト目を通り越したそれは、もちろん俺を射抜いてる。怖い。
というか笑顔になっている。とても魅力的で可愛らしくて綺麗で、本能的恐怖を呼び覚ます笑顔に。
「あは」
あは、じゃないよ茉子。
怖いよ茉子。
可愛いけど。
「……い、いや……その……」
「恥ずかしいのか? 言うのは。俺たちなんて穂織中に知られてクラスメイトから公開処刑食らったけど、それ以上に?」
「あ、あの、だな……?」
「? どうしたんですか馨さん。夜中にき、キスなんてする仲なのにもしかして……?」
二人から凄まじい重圧を感じる。
やばい、一歩も動けない。茉子の笑顔も二人の「なんだこの雑魚」って感じの呆れた顔も、この俺を縛る鎖と化している……!
しばらく見ていた二人は同時にため息を吐き、顔を見合わせて──
「A行けたけどそもそもA以前はまだ?」
「多分B行ってますよ。でも肝心のA以前はまだですね」
「告白?」
「告白」
大変不名誉な発言がいくつか聴こえてくる。ま、まさか……バレてる……? いやいやいや、そんなバカな、ありえない。流石にあの二人もそこまで──
と、考えていたら視線が合う。
ビビる俺。
そして。
「かっこ悪いな」
「情けないですね」
「ええ。まったくのへなちょこです」
──間違いなくキミは雑魚だ──
容赦無く放たれた口撃。
ガクリと崩れ落ちて、ぐおおおと唸る。
「何してるんですか、稲上君」
「あっ、比奈ねーちゃん。いや聞いてよ、こいつら俺のこと雑魚って言ってくるんだよぅ。なんだよどいつもこいつも俺のことをやれヘタレだなんだって言ってさぁ」
「ねぇ、馨」
「うん」
「ヘタレだなんだ言われたくなかったらまず私をねーちゃん呼びするのやめたら? 子供っぽいよ」
「ね、ねーちゃんもかよぉ……いいもん、お前らみんな知らねーもん。レナに慰めてもらうもん……」
比奈ねーちゃんにすら裏切られた俺はブツクサと文句を言いながらふらふらと教室に向かっていく。
「……カッコつけて欲しかったなぁ……」
「常陸さん、もしかして馨と──」
「あっ!? いえ!? 別にィっ!? そういう関係ではなくてですね!?」
「あぁ、隠さなくても大丈夫。あの子のこと、よろしくね?」
「は、はぃぃ!? あばっ、あばばば……」
「っ!? 茉子!? なんで倒れてるの茉子!?」
「ダメだ芳乃! 多分中条先生から馨をよろしくって言われたから色々妄想しちゃったんだよっ」
「ま、眩しい笑顔……わ、ワタシ……それに比べて、ワタシはなんて汚れてぇ〜……」
「……大丈夫かしら」
………………あれ?
振り向くと比奈ねーちゃんに抱えられる茉子がいて、それを「手遅れだったんだ……」みたいな雰囲気で見ている将臣と芳乃ちゃんがいて……あれ?
──……茉子ちゃん、結構スケベな女の子だしなぁ……ナニ想像したんだか──
あんだって?
──忘れなよ──
????
それからしばらくは特に何も無かった。
……いや無かったと言えば語弊になるか。事情を知るレナにあれやこれや聞いてみたり、たまたま来てた駒川に話を通してみたり、一応できる限りのことをやった。
そんなこんなで昼休み。
もはや耳なぞ知らぬとばかりに休み時間に静かにイチャついていたお二人のバカップル加減は天元突破。砂糖を振りまいてその上からブドウ糖液糖を垂れ流したような甘さを教室に見せていた。
あーんとかそういう恋人っぽいことなんてしていない。ただ側にいてご飯食べて談笑しているだけ。なのにもはや夫婦が如き空間を形成している。
……なんか前に比べて二人とも更に壁を取っ払った感じだな。
もちろん、それに顔をしかめる人などいない。何せみんなの巫女姫様が、普通の人と同じであったとしみじみしているのだ。もはやクラスメイト全員が「ふっ……長かったなここまで」みたいな雰囲気を出している。
廉はともかくお前らそんなに付き合いあったっけ? そしてレナは興味津々に二人を見てるし。
「二人とも幸せそうですね」
「ああ、こりゃ心配要らない感じだな」
心底から安心したような茉子を見て、こいつもやっと肩の荷が降りてきているんだなあとしみじみ思う。
「それじゃあ芳乃様、ワタシたちはちょっと席を外させてもらいますね」
「ええ。二人で行ってらっしゃい」
そんなこんなで俺たちが移動するために軽く報告すれば、芳乃ちゃんは笑顔で手を振るし、将臣に至ってはサムズアップだ。
ハハハと乾いた笑いを出しながら、茉子と出て行こうかと席を立つと──
「二人だけって珍しいな。普段なら教室でイチャついてるのに」
実際珍しい光景なので、いつも通りにみんなで飯を食おうとしていた廉がそんなことを言う。
「悪りぃな廉。色々あって」
「まぁなんでもいいけどよ。てかなんだよその手は」
「手?」
「常陸さんと手ェ繋いでるだろ。それにガッチリ指まで絡めてさ。何? 遂に?」
……指摘されて初めて気が付いた。
いつの間にやら隣にいる茉子の手を握っていたし、指も絡めてる。はてそんなに甲斐性があるはずなどないのだが……? でも茉子からやったってわけじゃない。無意識か?
「ふふっ、ご想像にお任せします。ほら行きますよ、馨くん」
「おっと、引っ張るなよ。歩くから」
俺が答えるよりも先に茉子が答えてさっさと教室を出て行く。手を繋いだまま廊下に出て、顔を見合わせて、少しだけ笑い合う──
「なぁ将臣、遂に馨の奴、常陸さん落としたの?」
「んー? もうとっくの昔に二人とも落ちてたんじゃないか」
「普段の馨に比べてだいぶ浮かれてる感じがあったし、常陸さんも雰囲気ちょっと変わってたし、なんかあったのかね」
「そんなわけないですよ! 別にあの二人が付き合い始めたとか、夜中に首を噛んだり噛まれたりをしてたとかそういうのじゃないですからね!!」
「へー。そうなんですかァ……ん?」
「そうだね。確かに……うん?」
「……なぁ今さ」
「……気のせい」
「ちっ、違いますよ!? あの二人はお互いに好きなのに中々踏み切れなかったんじゃないんですからね!?」
「あ、やっぱりカオルとマコは結ばれていたのですね! とっても喜ばしいことでありますよ〜! 付き合い始めるまで短かったような、長かったようなでありますが」
『付き合い始めたァァァァっ!?』
「バカなそんなバカなまたは嘘だろおいよォ!? えっ!? あのナンパをするときもヘタレで、むしろ向こうから情けをかけられるような馨が常陸さんに告白したァ!? いやいや、ちょっと待ってください巫女姫様!? 天地がひっくり返って月が落ちてこないと告白もしないし相談もしないあいつが常陸さんと付き合い始めたァ!?」
「落ち着くのでありますレンタロウ。カオルもマコもバレバレだったので、お互いに気付いたというだけでありますよ」
「いやだってよレナちゃん、あいつのダメ男加減知ってるだろ!? 将臣なんてよく分かってるはずだ!」
「確かにカオルは可愛げの方が先にくる人ではありますが、それでもきっとマコの心を鷲掴みにするロマンチックな一言を言ったに違いないであります!」
「おい廉太郎。いくら馨が告白そのものができていないって言ってもだな。常陸さんが結構グイグイ行くタイプで……」
「……カオル……それは……」
「将臣さん! 言っちゃってる言っちゃってる!」
「へ? あっ、やべっ!」
「これは稲上君が受けで常陸さんが攻めね! でしょ典子?」
「ごめん成美。クラスメイトで掛け算は流石に引くよ。不純な目で見ちゃいけないでしょあの二人」
「なぁ、鞍馬の奴が騒ぎ立てたから多分他の教室にも聞こえてるよな」
「そうだな。でも中条先生が職員室で遂に馨が常陸さんとってボヤいてたのを聞いたって話もあるからどのみちバレてんじゃね。まぁお似合いというか、それ以外考えられない組み合わせだからやっとかって感じだけどさ」
……えっ、何これは。
移動しようにも固まってしまう。
「──廉兄! お兄ちゃん! 馨さんと常陸先輩が付き合ったって本当!?」
「おうマジだぞ小春! こりゃマジだ大マジだ! 芦花姉にも報告すんぞ! 祖父ちゃんにもな!」
「これはお菓子持ってくべきかな!? どうしたらいいんでしょう巫女姫様!」
「えっ、あっ、ま、茉子は洋菓子が好きなのでそっちを持ってくのがいいです……よ?」
……えっ。
あの、えっ。
「……芳乃ちゃん……っ! 君ってヤツは嘘がつけない、いい子だな……っ!」
思わず血を吐くように言ってしまう。
付き合っているとバレるのはまだいい!! 100歩譲って告白がまだなのもいいさ!!
でも首を噛んだりって見てたなあのスケベ巫女! んで将臣もいたってことはムラサメ様もいたわけで!!
あぁもうなんだこの羞恥プレイ!? 昨日の恥ずかしいこと全部見られてたのかよ!?
で、これはワザとやってんのか!? 謀られたのか!? しかも将臣も将臣だ! レナのフォローを台無しにするどころか、俺の茉子をよくもまぁグイグイ系なんて表現しやがったなァ!?
ふざけんなよ! 茉子は可愛いんだぞ! 割と受け身なんだぞ! 俺が更に受け身だから相対的に攻めに見えるだけなんだよ!! そこ間違えるな! ガチ勢舐めんな!?
そこでふと、振り向いてしまっていたことに気がつく。
そうだ茉子! 茉子は──
「……〜〜〜〜ッ!?!?」
顔を真っ赤にして爆発していた。
……照れるんだ。昨日は余裕綽々だったクセに。
「茉子?」
「……な、なんだか凄いことになってしまいましたね……」
「もう気にすることもないって思えばいいわけだ。……まぁ俺の茉子を好き勝手に言われるのは気に入らんが」
「っ……そういうの卑怯です」
急に真っ赤な茉子に卑怯と言われる。こういう時に卑怯だどうだとか言うのは、大抵茉子がときめいてるみたいな場合なんだが、さっきの言葉の何処にそんなものがあったのか? ……我が恋人ながらよくわからん。
「……まぁなんでもいいけど行くぞ。廉にドヤされるのもごめんだし、さっさとカッコつけないとなァ」
さっきとは逆で、俺が彼女の手を引っ張って学院の裏山まで向かう。
きゅっと握り返された手は小さくて、柔らかくて、暖かくて、とても愛おしいものだった。
着いてみればとても静かなものだ。
腰を下ろして弁当を広げている茉子を見ていても、風が通り抜け木々の揺れる音がはっきりと聞こえる。
「ん? 今日のはやけに和風というか古風だな」
「馨くんの好みに合わせたんだよ」
「ありがと」
「どういたしまして」
可愛い奴。
わざわざ俺の質素な趣味に合わせなくてもいいのに。
まぁ、嬉しいけど。
ただ喋るネタが無い。
将臣と芳乃ちゃんの場合であれば、芳乃ちゃんの最近本格化してきた料理や、お互いの知らないネタを話せるのだが、俺たちの場合はお互いにほとんど知り尽くしている。困ったほどに。
「ね、なんでレナさんだったの?」
「は?」
ところが急に、茉子はそんなことを言った。レナの名前を出したのは……そう、今朝の……あぁ、そういう。
「お前は俺をヘタレと言う。芳乃ちゃんも情けないという。将臣だって雑魚って言う。廉と小春ちゃんはほら、俺のダメ男加減を知っている。だから慰めてくれそうなのはレナだけ……って話だけど」
「人選には納得いったけど、ワタシ彼女なんだよ? もうちょっと何か無いのかな」
「お前ズバズバ言うじゃん」
「あ、もうお父さんとお母さんには報告しておいたから。ひと段落ついたら報告来てね、って伝言。お母さんから」
「……ははは、おじさんとおばさんをどう説得したもんかなぁ……」
茉子の親父さんとお袋さんは比較的仲の良い方ではあるが、親父さんの方は俺が茉子と一緒にいることにはあまり良く思っていなかった。
……と、言うよりも適合した魔人である俺そのものに良い思いなどできるはずがない。
一応、個人では可愛がられてたけど、大切な一人娘を殺すやもしれん相手というのは、親としてはゴメンだろう。
……こりゃ本当に一戦交えるやもしれんな。
「だ、大丈夫だよっ。いざとなったらワタシも説得するからっ」
ふんすと気合を入れる茉子だが、それでまぁ許されるのだろうか? 可愛いから頭を撫でてやろう。
「さらさらだな」
「女の子の髪は、女の子の命って言うでしょ?」
「なるほどね」
くすぐったそうにしているけど、前とは違って喜色を思いっきり出している。デレデレしている。可愛い。
撫でる手を止めて箸を持つと、やや抗議的な視線が向けられたが無視する。流石に腹が減った。
適当なおかずを摘んで一口。
「相変わらず美味いな」
「ん、よかった」
「でも本当に俺の好みに合わせなくてもいいんだぞ? 手間だろ」
「ワタシがしたいからしてるの」
「ならいいけどさ。……うん、腹減ってると余計に美味い」
「空腹は最高のスパイスって言うけど、やっぱり本当なんだ」
「まぁな。けど愛情だなんだと注ぐのは結構だが、それでマズけりゃ世話ねぇ話だってなんでわかんねぇんだか」
愛情が最高の調味料になるのならば世のメシマズは生まれていない。
むしろ愛情があるならマズイとかはっきり教えてやるべきなのではないだろうか?
「……ま、お前と食う飯なら、どんなにマズかろうが笑って受け入れられそうなもんだけど」
「ふーん? 最愛の人こそ最高のスパイスって考えかな? あは」
「むしろ主さ──……いや、すまん、忘れてくれ」
……なんかこういうのって恋人というよりも夫婦みたいな距離感ではないのだろうか? もっとこう、イチャイチャとかしなくてはならないのだろうか? でも冷静に考えると俺たちは基本イチャついてたわけで……
「どうしたの? そんな百面相して、箸止まってるけど」
「あぁいや、別に。なんでもない」
訝しむ茉子を誤魔化しつつ、早くカッコつけた言葉を考えねばと頭を捻る。
……一応、男女仲ではあるが、あれでは情けなさすぎるし茉子も見たがってるし、頑張らねえと。
──食べ終わってくつろいでいると、気付けばもうすぐチャイムだ。
「……教室戻るの億劫だなぁ」
「……大事になってそう」
二人してため息を吐いて頭を抱える。
そのまま顔を見合わせて──
「ま、俺がヘタレなだけで全部終わるか」
「ですね。問題無いかと」
あ、猫被った。
こいつの猫被りの基準よくわかんねえけど、まぁ敬語の茉子も素の茉子もどっちも可愛いけどさ。
また手を繋いで戻ると面倒になりそうだからと、俺はいそいそと校舎へと向かうべく足を向ける。
「さっさと戻るぞ、茉子」
声だけかけて、ポケットに手を入れて歩き出すと、ひょいと腕を組まれる。そこまで甘えてくる奴ではなかった筈だが、なんだ吹っ切れたのか?
「甘えん坊の茉子にゃんはどうしたんですかな」
「……」
「いや黙るなよ。困るだろ」
大抵こういう時の茉子は、なんか俺にして欲しいとかそういう感じだが、ただ雰囲気的には違う。
もうしょうがないので、組まれた腕を外して顔を覗き込む。流石にまたサボろうと言われても余計面倒になるから認められないのだが。
「〜……っ!」
しかし茉子にゃん、どういうわけか顔を真っ赤にして唇をきゅっと結ぶ。
……俺の顔だぞ? 見飽きてる俺の顔が近くに来てどうしてそうなるんだ。
とにかくなんか喋ってくれないかねと、声をかけようとした。
「ま──」
グッと茉子との距離が無くなる。
「ちゅっ……」
茉子が近い、近すぎる。いい匂いするし、唇に柔らかい感触が……ってこれキスじゃん!?
……それは不意打ちのキスだった。
微かに触れ合うだけの、昨夜のとは全く違う、まるで確かめるかのようなキス。
一瞬と永遠の狭間を行き来するものじゃなくて、一瞬だと分かりきっているからこその──
唖然として固まってしまう。
「あは……
してやったり、みたいな不敵で魅力的な笑顔。それでも恥ずかしいものは恥ずかしいのか、朱色が仄かに差している。
だから俺は。
動揺のあまり──
「……もしかして日にち伸ばして欲しかったらキスしなきゃダメ?」
「が、我慢できなくなっちゃっただけ……だから……そのぅ、〜〜〜……っっっ」
そのまま俺を通り越して、トタタと走り去る茉子。
どうやら俺の彼女は可愛いが、少々欲に素直すぎるようだ。
これ、真面目に早くカッコつけないと食われるな、俺。
──頑張ろ。
……もちろん顔を真っ赤にして駆け込んだ茉子のお陰で、教室に帰ったら死にそうな思いをした、とだけ。
──ていうかさ。
今更気が付いたけどナチュラルに俺と茉子、昨日のこと引きずってね? 意識しないとダメってヤバくね?
……いやおい、どーすんだこれ……?