あさおん・オブ・ザ・デッド   作:夢野ベル子

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ハザードレベル119

 ピンクちゃんのママにひとしきり堪能されたあと、不意に興味をうしなった猫みたいに、ママさんは立ち上がりクリーム色をした通路を歩きだした。白衣のポッケに手をつっこんで、すたすたと先を歩いていく。

 

「ついてきて」

 

 ボクはさっきまでの濃厚接触とのあまりの違いについていけない。

 クールなのかホットなのかよくわからない人だ。

 それでも、ピンクちゃんが大事にされていることはわかったけどね。

 

 通された部屋は普通にボクのアパートよりも広く、二十畳くらいはあるスペースだった。いくつか大きくて真っ白な事務机が置かれていて、何人かの人がパソコンとかを触って何やらしていた。ボクたちが入ってくると一瞥と軽く「ハイ」と言われたりしたけど、すぐにお仕事に意識を戻した。

 

 つまりは事務室なのかな。

 

 わりと雑多に物が置かれている。何かの科学の賞をとったのか、金ぴかに光るトロフィ。大きな事務用複合機に、大きな鉄製の書庫。わりとどこにでも置いてそうな何の変哲もないウォーターサーバー。

 

 そして隣に続く部屋をくぐると、ちょうど町役場の町長室みたいな、大きな机が一個だけ置かれていて、その机の上にはかなり大きめの液晶とパソコンが二台ずつ置かれていた。

 

 事務室の隣に所長室があるタイプみたい。

 

 うーむ、なんか所長っぽい感じ。ていうか本当に所長なんだろうけど。

 なんというか存在感が透明で、雪化粧のような色合いをしていて、ボク的な印象としては、もしかしたら失礼な考えかもしれないけど雪女って感じの人だ。銀と蒼が混ざったようなブルーメタルの髪の毛が余計そう思わせるのかもしれない。天然なのかな。ピンクちゃんの髪の毛も天然らしいし、親子ともどもレアな感じだ。

 

 そしてピンクちゃんのママは、黒タイツを履いてるすらりとした足を組んで椅子に座った。

 なんというか、すごくえちえちな感じがします。

 

「先輩……」

 

「な、なんでもないよ」

 

 最近は小さな女の子ばかり周りにいたから、大人の色香に惑わされてなんかいないです。

 マナさん? 外見はきれいだけどね。あれは変態というカテゴリーだからノーカンだよ。

 

「もはや先輩のなかではマナさんはヒトというカテゴリーですらなかったのですね」

 

「そんなこと……あるかもしれない」

 

 だって、得体のしれないことばかり言うんだもん。

 

 ボクたちは、前もって準備されていたのであろう背もたれのついている木の椅子をすすめられた。

 ニ脚ある。ん。ピンクちゃんは?

 

「モモはこっち」

 

「ママは甘えん坊だな!」

 

 おなかに押し付けるような形でピンクちゃんがピットインした。つまり、抱っこされている状態だ。微妙に背もたれ部分が倒されていて、ちょうどよい感じに収まってる。やはり堪能されている。

 

「ヒロちゃんに紹介するぞ。もうわかっていると思うが、ピンクのママだ。ホミニスの所長をしている。要するにこの空母の中で一番偉い」

 

 むふーって息を吐くピンクちゃん。

 ママのことを尊敬しているんだね。

 

「ピンクママと呼んでくれればいい」

 

 ピンクちゃんのママは言葉すくなに語る。

 それにしてもピンクママってまんまじゃないか(激うまギャグではない)。

 なんというか自己紹介とかなさらないんですか?

 あるいは芸名みたいなものなのかもしれない。

 ビッグママみたいな感じで周りにピンクママと呼ばせているのかも。

 

 そんなことを考えていたら、じっと見られていることに気づいた。

 

 いかん、こちらも自己紹介しなきゃね。

 

「えと。ピンクママさん。お初にお目にかかります。夜月緋色です。ピンクちゃんにはいつもお世話になってます」

 

「神埼命です」

 

 命ちゃんが人見知りムーブで便乗名乗りしてる。

 ピンクママさんはいくぶん穏やかな表情になる。

 

「モモとお友達になってくれてありがとう。モモは同年代の友人がいないから。ヒロちゃんがいてくれて、あんなに楽しそうに笑ってるのは初めて見た。本当にありがとう。ママはうれしい」

 

 ピンクママさん、組んでいた足をほどき、ピンクちゃんごと頭を下げる。

 ピンクちゃんが小さいからまるで人形みたいだ。

 

「ボクもピンクちゃんがいてくれて本当に助かってます。今回のことだってボクだけだと収拾つかなかったと思うし、頭のいい人たちがいろいろと考えてくれると安心します」

 

「収拾がつくかは今後の推移次第だ」

 

「ヒイロゾンビは何名までとか決めてる感じなんですか?」

 

「人類救済という意味合いで言えば各国2000名程度もいれば十分だ。しかし、おそらくそれでは済まないだろう。ヒロちゃんはヒイロゾンビの数を抑制すべきだと考えるか?」

 

「うーん」

 

 当事者であるボクが知らないのはまずいかもしれないけれど、政治的な色合いも帯びてる今回のサミット的な会合は、ボクがあまり強烈に入りすぎると、いろいろとまずい気もしている。

 

 例えば、各国のお偉いさんがいちいちボクにお伺いをたててくるようになったら、それはそれで面倒くさいなって……。もっとはっきりいうと、町のみんながわりとボクに依存しているような感じがして、それが拡大化されていくと、なんというか人類の自立といいますか、そういうのが阻害されるんじゃないかなって思ってたりします。

 

 もちろん、見た目小学生のボクに依存するとかそれ自体が変な考えなんだろうけど、なんかそういうふうにいつのまにかなっちゃってるというか、信者さんからすればボクがご神体なのだからそうなるのはわかるんだけど、そうじゃなくても、重力みたいにボクが引き寄せてるような感じがするんだよね。

 

 じゃあ最初からピンクちゃんに任せて全部丸投げしてたほうがいいのかということも考えはしたんだよ。これでも無い頭を必死にフル回転させて考えました! でもあちらを立てればこちらが立たずで、会合に参加するのも参加しないのも一長一短がある。ヒイロゾンビが増えるのも増えないのも同じく有利不利がある。他にも宗教観とか科学的事実とか、いろいろいろいろいろいろ……考えることが多すぎた。

 

 考えたんですよ! 必死に! その結果がこれなんですよ!

 

「先輩の頭がプスンプスン言ってる……」

 

 難しすぎてわからんのです。目立ちたくないって言いながら、結局は目立っちゃうなろう系主人公みたいな気分だ。

 

「ヒイロゾンビの数なんて考える必要ないぞ」とピンクちゃん。「国のえらいやつらが勝手に考えればいいことだ。ピンクはヒロちゃんと楽しく配信できればそれでいい」

 

「モモ。それはなかなか難しいことでもある」

 

 答えるようにピンクママさん。

 

「ん。ママ。どうしてだ」

 

 ママさんピンクちゃんをくるりと回して抱っこの姿勢になる。

 

「ヒロちゃんが政治的な立ち位置をまったく求められないということはない。もちろんモモがヒロちゃんの仕事をがんばって肩代わりしようとしているのはわかる。わたしの娘は天使なのはまちがいない。けれど、馬鹿な人間は必ず因果のないところに因果を見るだろう。ヒイロゾンビが世にあふれてもあいもかわらずヒロちゃんは中心人物であり続けるだろう。要するに――」

 

 ピンクママは結びの言葉を口にする。

 

「馬鹿な人間を利口にすることは科学にもできない、というわけだ」

 

 ものすごい淡々とした、粛々とした言い方だった。

 ピンクちゃんもわりと近い思想をもってると思うけど、ママの影響だったのかなと思う。

 

「ピンクは少し違うのかなって思ってきたぞ。町のみんなもいろいろ考えてる。大衆は馬鹿じゃない。地球人類の総体が文化的に未成熟だとしても、ホミニスにいる人たちと変わらない。つまり大衆は馬鹿だからヒロちゃんを求めてるのではなく、モースのいう全体的社会事実に基づいてヒロちゃんを求めているんだ」

 

「モースが申す……」

 

「先輩……」

 

 いや、モースって誰だよって思ってね。

 たぶんえらい学者さんか誰かなんだろうけど。

 

 ピンクちゃんがなにをどう考えて"宗旨替え"したのかボクにはわからない。

 

 でも、なんとなくわかることは――いままでピンクちゃんは箱入り娘だったんだろうなってこと。そんなお嬢様だったピンクちゃんが、みんなと触れ合うことで変わってきたのかなって思います。

 

「先輩の影響も大きいでしょうけどね。先輩好みに染め上げてしまったんですよ」

 

「なんかハーレム主人公みたいな言い方やめて!」

 

 でも、ピンクちゃんはいい子だなって思います。これは本当のことです。

 

「大衆が馬鹿だろうがそうでなかろうがどうでもいい。いずれにしろ今後の推移としてヒロちゃんは求められ続ける。それが問題じゃないか?」

 

 じっと吸い込まれるような金の瞳をピンクちゃんと合わせるピンクママさん。

 

「ピンクとしては……、少しは自重が働くんじゃないかと思ってる」

 

「ノー。おそらくヒロちゃんもモモも衆目にさらされることになるだろうと思う。それが心配だ。いままで以上に行動が制限されるかもしれない。ママもそのうち配信して弾除けくらいにはなるつもりだがどこまで制御ができるかはわからない」

 

「でもピンクはちゃんと配信できてるぞ」

 

「配信は遊びだ。政治とは違う」

 

「いっしょだぞ。全体的社会事実だ」

 

「どうしよう。うちの娘がかわいすぎて反論できない」

 

 ちらっとボクを見てくるピンクママさん。

 いやボクに助けを求められましても。

 そもそもの話、なんの話をしてるのかよくわからなくなってきたよ。

 

 最初に問題になったのはヒイロゾンビの数を抑制するかどうかって話だよね。

 

 ボクの意見がそこで重要になってくるかもしれないってことで、これからあとみんなを無視して楽しく配信だけをしていればいいってことにはならないということママさんは言いたかったのだと思う。

 

「えっと……、まずヒイロゾンビの数についてはボクとしては意見を出さないほうがいいと思います。いわゆるノーコメント戦法でいこうかと」

 

 ノーコメもありや。

 

「ホァイ? なぜ」

 

「うーん。やっぱりみんなで考えてほしいから」

 

 けっして丸投げではないのです。丸投げでは。

 高度な政治的配慮なのですよ。

 

「丸投げではなく考えた結果なら、それでもよいと思うが……」

 

 疑惑の瞳を向けられるボク。

 

「大丈夫! ちゃんと考えました! 考えた結果がこれなんですよ!」

 

「つまり、ヒロちゃんは政治的なあれこれを……モモが言うところの全体的社会事実を考えないわけではないということでよいか?」

 

「あの……全体的社会事実ってなんですか」

 

「……ホミニスは専門的集団だ」ピンクママはボクの知性を探り探り言葉を選んでくれている。「現代社会というのは個別の問題に対して個別の解法を探る傾向にある。文明が成熟してくると学問が細分化され高度になっていくというのはわかるか?」

 

「わかります」

 

 それぐらい、大学生だったボクなら余裕のよっちゃん(死語)ですよ。

 

「全体的社会事実というのは横断的かつ包摂的な前言語的背景のことだ」

 

「ふわぁ……」

 

 なんか難しいこと言われると、よくわからんないけど脳内でまったく関係のない、たとえばラーメン天国みたいな妄想がはかどるよね。四角いお餅が、ざっざと一糸乱れぬ行進をしながらラーメンのなかにダイブする映像が流れたよ。ラーメン餅絶対おいしいよ。

 

 ピンクママが何かを察したのか、あわてて言葉を追記する。

 

「つまり、なにもかもが混ざったスープみたいな感じだ」

 

「なんとなくだけどわかりました」

 

「これからヒロちゃんが"ヒト"と対話していくということは、法律も文化も文明も言語もあるいは思想もそれらすべてがグチャグチャに混ざり合った状態で目の前に置かれることになる」

 

「ピンクちゃんが科学的事実を述べてもダメだったもんね。要するにいろんなパラメータがあって、ポートフォリオの構築を考えなくちゃいけないってことでしょ」

 

「エクセレント! すばらしい。ヒロちゃんは私の娘と同じく天才だったのか」

 

「えへへへ……」

 

 マナさんの予習が役にたちました。

 

「さて、ではヒロちゃんの合意もとれたことだし。ひとまず一つ目の全体的社会事実に立ち向かおうじゃないか」

 

 ピンクママはピンクちゃんをそっと床におろし、机の上においてあったコールボタンを押した。

 

「例のアレをもってきてくれ」

 

「イエスマム!」

 

 応答があった。やっぱりマムって呼ばせてた。

 

「ふえ?」

 

 ボクは当惑気味です。いったいなにが始まるのでしょうか。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ドクタースタイルの方々が持ってきたのは、いくつかのハンガーラック。そして段ボール箱。

 お部屋の中がすぐにいっぱいになるほどの量だ。

 

「な、なにこれ」

 

「みつぎものというやつだな」

 

 ピンクちゃんが念動力を使って段ボールを受け取っている。

 

「みつぎもの?」

 

「あるいは賄賂と言い換えてもいい。ヒロちゃんの復興支援に対するお礼という形で送られてきたやつだ」

 

 ピンクちゃんは適当な段ボールを開けて中を見せてくれた。

 

 箱の中にまた箱があって、マトリョーシカみたいになっている。とりあえず適当って感じで開けた中には、透明色のガラスの箱が鎮座してて、その中には見たこともないような宝石のはまったネックレスが入っていた。サイズは卵大。ブリリアントだかなんだかわからないけど、金色に輝くダイヤモンドだ。もちろん周りの意匠も訳のわからないレベル。

 

 庶民的な感覚のボクでも、背筋がぞっとするようなオーラを放っていた。

 

「お、お高いんでしょう?」

 

「うーん。50億円くらいだと思うぞ。戦闘機とかと比べればわりと安い」

 

 ピンクちゃん、適当に取り出して適当にポイって段ボールの中に直接イン!

 あばばばばば。

 

「ピンクちゃん雑!」

 

「うん。あ、そうだな。ヒロちゃんのものを雑に扱ったらまずかった。ごめんなさい」

 

「いや、そういうことじゃないんだけど……」

 

「こっちは王冠みたいなのが入ってますね」

 

 命ちゃんが開けた箱の中にはまさしくRPGとかでよくある王冠が鎮座していた。

 金ぴかでまぶしい光を放っていて、吸い込まれそうな色合いをしている。普通だったら手を触れるのもいとわれるようなそんな歴史の重み、感じちゃいます。

 そっと頭にかぶせられて、なんか頭が物理的に重いんですけど。

 

「あの国は国宝を出してきたか。気前がいいことだ」

 

 ピンクママさんが何か言ってる。

 なにか……得体のしれない全体的社会事実を感じる。

 

「日本は振袖ですか」

 

 あ、これはかわいらしい感じ。他のがゴージャスな中、ボクみたいな小学生ボディで着ていてもそんなに変じゃなさそう。

 

「お値段は2千万円くらいですかね」

 

「へえ安いなー」

 

 億円とかの単位じゃなくてよかった。感覚がマヒしてくる。

 

「こっちにはドレスもあるぞ。ピンクも明日はさすがにフォーマルな恰好をしなくちゃいけないから、ヒロちゃんにはドレスを着てほしいぞ」

 

 ボクの洋服。マナさんが選んでくれたかわいい服だけど、このままじゃいけないのかななんて。

 カジュアルなもこもこなジャケットにミニのプリーツスカート。生足で元気な小学生って感じなんだけど、ダメなんでしょうか。

 

「礼装は必要だと思うぞ。社会人としての常識だ」

 

 八歳児に社会人としての常識を説かれるボク。

 

 手にもってるのは、ピンク色をした腰にふわんふわんした紐がまとわりついているタイプのドレスで、ピンクちゃんが着たらかわいらしいだろうなってやつだった。

 

「要するに、だ――。各国の連中はヒロちゃんが何を身に着けるかに心血を注いでいる」

 

 ピンクママさん、少しため息をついている。

 どんどん国宝クラスのアイテムが送られてきたのだそうな。

 

「ヒイロゾンビは勝手に増やせるからボクのことなんかどうでもいいはずなのに」

 

「どうでもよくないということがこれでわかってもらえたかな?」

 

 ピンクママさんが何を言いたいのかようやく身に染みてきた。

 

 ボクは明日着ていく服を、装飾を、あるいはバッグひとつに至るまで選ばなければならないらしい。たいして重要なことじゃないかもしれないけれど、送ってきてくれたやつはだいたいが女の子用のやつで、ボクの精神力を地味に削っていくものでした。

 

 カジュアルなのはもう慣れたんだけどね。ごふっ。




ありがとうございます。がんばって最後まで書きます。

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