あさおん・オブ・ザ・デッド   作:夢野ベル子

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ハザードレベル120

 いよいよ明日にヒイロサミットが迫り、ボクは明日着ていく礼装について考えを巡らせている。

 ピンクちゃんが言うには、ドレスコードは社会人としての常識らしい。

 いま着ているカジュアルな服装はダメで、ちゃんとした服を着るというのが求められている。

 

「各国のお偉方からしてみればなんとかして、ヒロちゃんに自国の服装や装飾をしてほしいんだろうな。ちなみに、服装だけじゃないぞ。どこかの国は島の権利をポンとくれている」

 

 ピンクちゃんが何気なくすごいことを言ってないか。

 

 島の権利?

 

「島って?」

 

「島は島だ。いわゆる常夏の島的なやつだ。日本語的に表記ゆれがあったか?」

 

「いや、意味わかるけど意味わかんないよ!」

 

「すまない。ピンクはヒロちゃんが何言っているのかわかんない」

 

「ご、ごめん。混乱させるつもりはなくて、どうしてそんな大ごとになってるの?」

 

 というか、一日前になってようやく事態を把握し始めるとは。

 ボクってクソ雑魚すぎないか。

 

「ピンクも言おうかは迷ったんだが、どうせ何をいっても送られてくるのを止めることもできないしな。競売の原理で、みんな競いあうようにいろいろ送られてきたから、一国につき10個までという制限はさせてもらった。この空母がパンクしそうだったからな」

 

「ふぅむ……」

 

 所長室いっぱいに積まれた段ボール箱を見る。

 これでもまだ最小限だったのか。

 

「ヒロちゃんが全部受け取るつもりなら、あとで送付先を教えてくれ。みんなに伝えておくぞ」

 

「そんな通販みたいなノリで国宝級送ってこられても困るんですけど」

 

 そもそも頭の上の王冠っぽいのがすでに重い。

 スポンとはずし、とりあえず命ちゃんの頭に載せてみた。

 

「ふぅ」

 

「ふぅじゃないです、先輩。どうするんです?」

 

「普通に考えたら、ピンクちゃんから服装は借りて送られてきた装飾品とかはいっさい身に着けないのがよさそうだよね。政治のベクトルを感じちゃう」

 

「ピンクとしてはそれでもいいが……」

 

 ピンクちゃんは何か言いたげだ。ホミニス内に礼装を借りるというのが一番中立だと思うんだけどな。もちろん、みんなの期待を裏切ることにはなるけど、余計な嫉妬とか偏波を生まないほうがいいに決まってる。あそこの国はボクに選ばれたんだみたいなことになってはいけない(戒め)。

 

「日本はどうする?」とピンクママさん。

 

 あいもかわらずスラリと伸びる足をボクに見せつけてくる。

 

「日本がなにかあるんですか」

 

 チラチラ見つつ、ボクは言った。

 日本から送られてきたのは、他の国に比べたら金額的にはたいしたことのない振袖だったけど、それがどうかしたのかな。

 

「日本はすでに最大級の利得があるからな。端的に言えばヒロちゃんが在籍しているというのが最大の利益だ。補足的にいえばヒロちゃんが日本語を話しているというのも大きい」

 

「まあボクってこんな見た目だけど日本人だし」

 

「他の国はそうは思っていない」

 

「え?」

 

「つまり何も身に着けないという状態でもすでに偏りはある。真の公平性というのは満たされないかもしれないということだ」

 

「よくわかりません」

 

「ふむ」足をくみかえる動作。「モモ。ヒロちゃんに説明が足らないようだが」

 

「ピンクはヒロちゃんが来るとは思ってなかった。町役場が崩れたりいろいろあって大変だったんだぞ。しかたなかったんだぞ」

 

「言い訳をするうちの娘がかわいい。おいで」

 

 ピンクちゃん再びピンクママさんにピットイン。

 腕がシートベルトみたいになる。

 落ち着いた後に、ピンクママさんはボクに確認の意味をこめて口を開く。

 

「国籍はどのように決められるか知っているか?」

 

「国籍? えーっと確か出生地主義と血統主義とに分かれていたと思うけど」

 

 両親の国籍に関係なく生まれた国が国籍になるというのが出生地主義。

 両親の国籍と同じ国籍を取得するというのが血統主義だったはずだ。

 国際法か何かで習った気がします。でも必須科目じゃないのであやふやんです。ふやんふやん。ボクの学問的知識って急速に失われている気がする。そろそろ復習しないとヤバいな。

 

「エクセレント! ヒロちゃんは本当に素晴らしいな。大学生並みの知識を持っているとは」

 

「大学生? おおっ!」

 

 やった! やりました! ついにボクが大学生並みの知識を持っていると認められましたよ。

 しかも、人類科学の最高峰機関の所長から!

 権威主義万歳! ヒロちゃん万歳! かわいいだけのポンコツ小学生ではなかった!

 

「先輩……」

 

「なにか興奮しているようだが、話を続けてもよいか」

 

「はいどうぞどうぞ」

 

 大学生レベルのボクがなんでも答えますよ。

 

「国籍については血統主義か出生地主義ということになるが、基本的には血統主義だろうな。なので、血統が不明確というか……種族としてもホモ・サピエンスではないかもしれないヒロちゃんは国籍が不明ということになる」

 

「ボクって無国籍少女だったんだ……」地味にショック。「あ、でもボクの両親って日本人ですよ。だから血統主義的にいっても日本人だと思うんですけど」

 

「そうなのか? しかし他国からしてみれば――、いずれにしろ人類離れした容姿に人類離れした能力を持つ異種族という認定が一般的だろう。日本人として認めることはまずないだろうな」

 

「ボク、宇宙人じゃないんだけど」

 

「もちろん、ヒロちゃんの気持ちは大きいだろうが、例えばの話。ヒロちゃんを手元に置いておきたい国はたくさんある。たとえば――我が国の国籍を取得してみませんかという話だってありうる。ヒロちゃんがよければすぐにでも他国に国籍を移すことは可能だろう」

 

「ま、マジですか」

 

「その一環がさっきのような島をひとつあげるという話だったり、他にも首都近郊の土地をあげるという話だったりするわけだ。また、国の名誉大臣的なポストをヒロちゃんのために開けておくとかいう話もあった。これはフライングということで取り下げさせたが」

 

「なんか裏側でとんでもないことが起こっているよ……」

 

「そんなわけで、日本は世界中からすでに嫉妬されていると思ったほうがいい」

 

「ボク自身の価値なんかそんなにないと思うんだけど」

 

「この部屋にうずたかく積まれた金銀財宝がヒロちゃんの可視化された価値そのものだ。そして力は力を生むということも知っていたほうがいい」

 

「日本の振袖くらいは着ていったほうがいいのかな」

 

「そうだな。何も身につけていかなければ、日本と懇意の関係なしとみて、各国が招致しようとするかもしれない」

 

 愛国心があるかないかといえば、ありますけどね。

 ナショナリズム的な強烈なやつじゃなくて、パトリオティズムと呼ばれる緩やかなやつ。

 サッカーとかで自国を応援するような、自然な感情だ。

 

「うーん。ちょっと考えてみます。明日どうするかだからもう少し時間はありますよね」

 

「そうだな。期待感は膨らむばかりだろうが、ヒロちゃんの気持ち次第だろう。いざとなれば、モモにもドクタースタイルを貫かせればいい」

 

 ピンクママはそう言って、ピンクちゃんをなでる。

 

「ヒロちゃんに合わせるぞ」

 

 とはいえ――国際的な取り決めのなかで、ピンクちゃんに恥を欠かせるわけにもいかないしな。

 

 お兄ちゃんとしてきちんと考えたいと思います。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 日本。

 首相官邸。

 わたし、本郷撫子(26)のクライアント、つまりこの国の政府を牛耳っている江戸原首相は最新鋭のノートパソコンを人差し指で打鍵していた。

 

 人差し指である。

 

 自然とこぶしを握り締めてしまう。

 

 ブラインドタッチができるようになれとはいわない。

 しかし、いまどき人差し指操作というのはどうだろう。

 おまえそれ北斗の拳かと言いたい。パソコンの秘孔を突いているのかと言いたい。

 言いたいが、わたしはこれでも秘書兼政治家の卵でもあるので、ひとまず黙っている。

 いうまでもないがスマホのフリック操作もできず携帯打ち。

 見ているだけでもどかしい。

 

 首相はわりとがんばっているほうだとは思う。

 本来なら秘書のわたしに任せればよいところを大事なことだからとご自分でこなしているのだ。

 

 首相はまだ若い。内閣府のおよそ半数がゾンビ化してしまった現在、繰り上げ当選で選ばれたいまだ50代の若手( )だ。その50代のおっさんが必死になって打鍵している姿は哀れというか、ある意味、母性を刺激される奇妙なかわいらしさを有していた。

 

 ただ打鍵している内容は――、

 

「見て! ヒロちゃんが踊っているよ! かわいいね」

 

 何を書いているのだろう。

 

 いや書いている内容をわざわざブツブツ呟きながら打鍵しているので、まるわかりなのだが、わたしの脳細胞が理解を拒んでいる。

 

 江戸原首相、少し消沈した顔で書き進める。

 

「みんなが自国に招致するので、ヒロちゃんは踊るのをやめてしまいました。おまえのせいです。あ~あ」

 

「江戸原首相。いったい何を書かれてらっしゃるのですか」

 

「撫子くん。各国の動きがキナくさいと思わないか」

 

 キリっとした顔は、わりとダンディではあるのだけれど。

 

「公海上のヒイロウイルスの受け渡しの件ですか」

 

「そのとおりだ。ヒロちゃんは我が国に在籍している。まぎれもない日本人だ。しかし、各国はそう思わないらしい。アメリカは夢の国の隣の一等地をただでくれてやるという話だし、イギリスはヒロちゃんに爵位を賜るとか言っている! どこかの弱小国家は王様になってほしいまである。このままでは我が国の至宝といってよいヒロちゃんが他国に奪われてしまう!」

 

「その結果が、匿名掲示板――ヒロちゃんこれからどうするのスレで、首相自らがディスることですか」

 

「撫子くん。なにやら怒っているようだが、これは非常に重要なことだ。みんなヒロちゃんを自国に招きたいと考えている。腹黒どもの探り合いは過熱し危険な領域に突入している。このままではヒロちゃんを誰かに寝とられてしまうかもしれんのだぞ」

 

「とられてしまうって、オモチャじゃないんですから。夜月緋色さんは意思ある人間ですよ。彼女は幼いですが自分の意思でこの国にいるわけですから、誰かから招かれたとしてもおいそれと出ていくとは思いませんが」

 

「わからんじゃないか。先のことはだれにも」

 

 人類が経験したことのない未曾有の危機。

 ゾンビハザードを経験した今となっては、生き残った人間はみんな怖いのだ。

 いつ絶滅するかもわからない恐怖が、脳の裏側にこびりついている。

 その恐怖が、アンチウイルスである夜月緋色を希求するこころにつながるのだろう。もっともそれは、夜月緋色が宣言するとおり、ヒイロゾンビになること、つまり恐怖と同化しようとするこころに他ならない。心情的にはいっそ殺してくれという気持ちと同じだ。

 

「先のことはだれにもわかりませんが、仮に緋色さんがどこかに行ってしまっても、ヒイロウイルスの手渡しは確実になされるでしょうし――さほど困らないのでは」

 

「そんなことはないぞ。象徴的な権威がいるということは今後の国益、国民の精神的安定性にとってどれだけの寄与があるか。もし仮にどこかの国に行ってしまった場合、わが国は所詮それだけの国と思われてしまう」

 

「だったらどうなさるのですか? 佐賀県を神聖緋色協和国としてお認めになるのですか?」

 

「それはいいアイディアだな」

 

 この人、頭おかしいんじゃないだろうか。

 小学生に一国任せようとしているよ。

 いけない。わたしは思考のノイズを消すように努める。

 いちおうこの国のトップだということを忘れてはいけない。

 反論するなら理知的に冷静に。

 

「あの、夜月緋色さんは自己申告では11歳だったと思うのですが、国の保有する土地を無条件に与えるつもりですか? 国として分割するとして誰が経営していくのですか。外国が我が国固有の領土内にできてしまっては問題なのではないですか」

 

「ヒイロゾンビの11歳は人間でいうところの20歳かもしれんだろ。いわゆる合法ロリというやつだ。それに先にも述べたとおり、ヒロちゃんがそこにいてくれるというだけで安心感がまったく違う。彼女はゾンビで、ゾンビは死なない。つまり永遠に生き続けるかもしれんし、最終的には利益のほうが上回るかもしれんぞ」

 

「小学生に期待しすぎだと思いますが」

 

「しかし、他国に取られてしまったら不利益が大きすぎる。いまでさえ、あの町の評価は悪いんだぞ。ヒロちゃんに迷惑ばかりかけて我儘だとな!」

 

「我儘というか必死なのでしょう。被災者は一日一日を生きるだけでも必死です。なにかにすがりたいとしてもやむを得ないことだと思いますが」

 

「我が国の評判が落ちてしまう。ヒロちゃんがいるという豪運に恵まれながら、なぜあれだけいろいろと問題を起こすのか、これがわからない」

 

 ロマサガやってんなーと、ぼんやり思う。

 ヒロちゃんと話を合わせるため、各国のトップは必死だ。

 それは我が国でも例外はない。文化的な素養が近い分、我が国は圧倒的有利だろうが。

 ともかく、町の話だったな。

 あの町の人間の態度は、客観的にみれば確かにあまり褒められたものではないだろう。緋色さんがいることをよいことに、自分たちはいちはやくヒイロゾンビになって、利益を享受している。のみならず、人間のままでいたいという気持ちを踏みにじり、逆に差別を加えているらしい。

 

 らしい――というのは、実際にそこに行ったわけではないからだ。

 

「ネットを通じての情報ですから、話半分に聞いたほうがよいですよ。緋色さんが何をどう考えているのかは、直接やりとりをしている小山内さんのほうが詳しいのでは」

 

「おおそうだな。小山内くんのことをヒロちゃんは慕っているからな! 明日の会合もきっと小山内くんならいいようにまとめてくれるだろう」

 

 実際に振袖という、相対的に言えば金銭的価値が低いものを送ったらどうかと提案したのは小山内さんのアイディアだった。

 

 夜月緋色という人物を観察する限り。

 アンダークラスとまでは言わないが、いわゆる庶民的感覚を有していることは想像に難くない。きっと国宝級の金銀財宝を送られたところで困惑のほうが強いだろうというのが小山内さんの意見だ。わたしもそう思う。

 

「いずれにしろ明日次第ですね」

 

「そうだな。明日次第だ――。ところで我が国も美少女を送るべきだったのではないだろうか」

 

 ピンク理論によれば、人気度によってヒイロゾンビの強度が変わってくるらしい。

 小学生くらいの女の子は人類共通の認識で『人気が出やすい』という傾向にある。かわいらしいし、攻撃性を最も感じにくいからだ。

 

 昔なにかのSF作品で宇宙人が人類にコンタクトをとろうとするときに小学生くらいの女の子の姿をとるといったものがあった。理由は先に述べたように、一番安心するからというのが大きい。

 

 夜月緋色が配信を見る限りでは、わりと一般人的性格を有していることから、大多数の人類と感性が同じだとすれば、ひとまず小学生くらいの女の子を使者として送るのは理にかなっている。

 

 ただし、幼女先輩との人的関係のほうが強いだろう。

 

 彼女はわりと大人の男性も好きそうだからというのがその理由だ。小学生女児にとってはエレクトラコンプレックスといって、父親と仲が良くなる傾向がある。小山内さんに父親としての面影のようなものを感じているのかもしれないし、下手に美少女を投下するよりもよっぽど効果的と考えてのことだった。いまはとんと開かれなくなった内閣の重要な会議で話し合われた結果が、小山内先輩起用論だったのである。

 

 この国、大丈夫かなとちょっと思う。

 

「小山内先輩のほうが彼女のパパとして好かれるかもしれませんよ」

 

「わたしもパパになりたいんだが」

 

 日本死ねって思いました。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 オレは意識をもたげた。

 船内は狭く、すでに就寝時間。月が頂点あたりにあり、明日は早い。

 明日がくれば――。

 

 脳裏にめぐるのは、あの闇夜のような存在。

 ジュデッカの最高議長。要するにオレのクライアント。

 イスカリオテのジュディとの邂逅だ。

 日本内にあるとある屋敷の一室で、オレは心の底から恐怖と安堵を味わった。

 闇は安らぎでもあり、安定でもある。

 

「久我くん。君は何をしに帰ってきたのかね」

 

 傍らに立っていた入間隊長はそう言ってオレをさげすんだ目で見ていた。

 わかっていたことだった。オレは失敗した。町役場で潜伏していたにも関わらず、最後には訳もわからないまま、特に何事もできぬまま排斥された。テロリストとして逃亡するほかなかった。

 

 ジュデッカの立ち位置を悪くしたというのはオレの頭でも理解できる。入間隊長のさげすみや静かな怒りはわかる。だから恐ろしくはない。人が最も恐怖を感じるのは、自分の理解が及ばないときだ。

 

 入間隊長の怒りと対比的に、ジュディは穏やかな凪のような状態。

 怒りもなにも見えない底知れぬ闇をたたえた瞳。

 オレは彼女が恐ろしい。

 

 ジュディは固着した視線でオレを観察している。

 心の底までのぞき込まれているようだ。

 やがて――、

 

「あなたの殺意の源流はドコにアルノカシラ」

 

 と、機械じみた質問が飛んできた。

 品のいい調度品と白いテーブルクロス。視線は彼女を直接見ることを拒んでいる。

 にじみだす威圧感。

 

「オレは……」

 

「だっておかしいでしょう。緋色様は何も悪いことはしてナイワ。自らの能力を公表することも、あなたみたいな存在に襲われるかもしれないと思ったのなら、拒んでもやむをないデショウ。一か月かそこら遅れたことがそんなに罪なのカシラ」

 

「彼は自分の妹と家族をその手にかけております」

 

 入間隊長がオレの代わりに言う。

 

「ゾンビになったのね?」

 

 じわりと闇がにじむ。

 

 そう、オレの妹――久我夏美はまだ10年しか生きていなかった。

 実家には母親と妹のふたりだけ。父親は早くに亡くして、オレが一家の大黒柱だ。

 オレは普段基地に住んで集団生活を営んでいたが、休みには電車で一時間という比較的近い場所にある実家に帰る暮らしをしていた。

 

 あと少しで夏季休暇。

 その日、突然ゾンビハザードが起こり、オレに与えられた任務は基地内のゾンビの制圧だ。集団生活の隣で寝ていたやつがいきなりゾンビになるような異常事態だったから、ゾンビを駆逐するのに時間がかかってしまった。

 

 家は近いが遠い。

 妹や母親と連絡はとれず、どうなっているのかオレが確認できたのは、約一か月後。

 ちょうど夜月緋色が配信を始める一週間前くらいの出来事だ。

 

 母と妹はオレを盛大に迎えてくれた。どうやら先にゾンビになったのは母のほうだったようで、口元には妹の血がべったりとこびりつき、体にはどこにも損傷はなかった。

 代わりに妹は生白い体から腸だけがやけに赤く飛び出ていた。

 

 オレはその日、帰る家を失った。

 

 奇妙なほどに精神は安定していて、不思議と悲しいともつらいとも感じなかった。

 

 だから、オレはゾンビを駆逐する日々を送った。何も考えずにただひたすらゾンビを殺して殺して殺して――いや、ゾンビに人格はないから、解体するといったほうが正しいか。

 

 ともかく何も考えずに、ただゾンビを壊した。

 

 ある日、同僚が夜月緋色について話しているの聞いた。

 

 馬鹿な話だった。世界が壊れるときに救世主が現れると信じるような、そんな何の根拠もない話。

 

 いや、夜月緋色がどんな存在であろうが、どうでもいい。

 

「どうでもいい?」

 

「夜月緋色が救世主であろうがなかろうが、オレにとってはどうでもいい」

 

「ナゼですか?」

 

「偶然、やつが配信中に言ったんですよ。『ゾンビとかで大変かもしれないけど、みんながんばろう』と。忘れていた怒りが沸々と湧いてくるのを感じました。なにをこいつは言っているんだ。オレは帰るべき家を失ったんだぞ。おまえになにがわかる。こころがつらかろうが、血反吐をはこうが、帰るべき家がない。頑張る根拠がない」

 

 夜月緋色は無邪気に笑っていた。

 この世で最も邪悪な笑いだと思った。

 

 ひとかけらの邪気もなく、善意で、善意のかたまりで、ほとんど無意識のように『がんばろう』というようなことを言っていた。

 

 気が遠くなるようなそんな気持ちがわいた。

 遠くにおいやっていた現実が、いきなり牙をむき出しにして迫ってくるような感じがした。

 

 がんばろうって、なんだよと思った。

 

 オレはもう帰るべき家がない。服も漫画も、高校のときに少し弾いていたギターも何もかもぶっ壊れて、家ごと火をつけて焼いてきた。

 

 オレには何もない。

 何か頑張れる要素がオレにあるのか。

 お前は『いっしょに』がんばろうという。

 どこまでいっても他人事なのに、神妙な顔をして、ゲームのように遊んでいる。

 

 少し時間が経過して。

 夜月緋色がいかに傲慢なのか。安心で安全な他人事というポジションから、一方的に慈悲を与えているのかを知ることになる。

 

 膨れがっていく殺意。

 

「それがあなたの殺意の源泉ナノデスネ」

 

 オレはうなずいた。

 

「正直、不幸になってほしい」

 

 偶然、たまたま失わなかったやつらが、夜月緋色をことさらに持ち上げて、神さまのように祭り上げて、それでみんないっしょだ、みんながんばろうなんて世界。ぶっこわしてやりたい。

 

「オモシロイ考えですこと」

 

 かくして、オレはジュディに許され。

 いま、ヒイロウイルス受け渡しのランデブーポイントに向かっている。

 

「近藤。どうした眠れないのか」

 

 名前と顔を変えて。

 




つまるところ、久我さんはうつ病だったのですね。
そこに主人公がピンポイントで地雷を敷設してしまったと。
首相の会話は単にフレバ―テクストってやつで特にストーリーにかかわることはないです。たぶん。
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