セミの抜け殻。
ボクが思ったのはそれである。
つまり、どういうことかというと、ピンクちゃんがその小さな四肢をボクの上半身あたりにまとわりつかせている。細くてちっちゃいのに、大木にがっちり固定されているセミの抜け殻のように、ピンクちゃんはボクに接着しているといってもいい。
あどけない表情に、健やかな寝息。
抱き着いている表情には安心の二文字。
朝起きると、ピンクちゃんがそんな感じでした。
昨日――。
ひとつの大きなベッドで、ボクとピンクちゃん、そして命ちゃんは眠った。
今日という日の大事さから、いささか眠りが浅かったボクは、いちはやく目が覚めて今の状況に気づいたというわけだ。
さらに問題がある。
反対側にいる命ちゃんもまた、同じようにボクの片腕をがっちりホールディング。
ボクの頭というか、髪の毛に顔をうずめて、すぅすぅと安らかな寝息を立てている。
なんらかの成分摂取をされているようだ。
こちらも高校生のわりにはあどけない表情。
――動けない。
動こうとすると、どっちかは目を覚ましちゃうだろうし、ピンクちゃんも命ちゃんも眠ってるときは、ただのかわいい女の子で、そんな寝顔を見るのも悪くないと思ったからだ。
とはいえ、ずっとこうしているわけにもいかないだろう。
今日のヒイロウイルスを受け渡しする式典は10時からを予定しているとはいえ、みんなの動き出しはもっと早い。
だとすれば、ボクたちもおとなしく待ち構えてないといけない気がする。
時計がないから正確な時間はわからないけど、眠気の程度でだいたいはわかる。
たぶん、そろそろ7時になるかどうかってところじゃないかな。
もう少ししたら、ピンクママさんあたりが起こしにきてくれるような気がするけれど、自分で起きることもできない小学生だと思われるのは、気持ち的に釈然としないところだ。
起きようと思った。
さて、ではどうするかだけど。
どちらか一方を起こすとなれば、ピンクちゃんより年長な命ちゃんに決まっている。
「命ちゃん。起きて……」
「ふ。ふへ。先輩といっしょに……ふへ」
ホームセンターのときもだったけど、命ちゃんって眠ってるときはめちゃくちゃ無防備だよな。
ボクの両腕は完全に固定されているけれど、まだ自由にできる第三の腕が残されている。
念動力だ。
不可視の腕で、命ちゃんのおでこあたりを撫でてみる。
ごしごし。ごしごし。
「ん。んっ。先輩、もっと撫でて……」
君、もしかして起きてないよね。
「命ちゃん。そろそろ起きて~」
と、小声で問いかける。
おめめパチパチ。まだ寝ぼけ眼だけど、ようやく起きたみたいだ。
「起きた?」
「起きてないです。昨日みたいに目覚めのキッスが必要な案件です」
「もうっ。命ちゃんが動かないとボク起きれないんだけど」
「むぅ」
命ちゃんが拗ねる。ぷくっとほっぺたを膨らませる。
その反応、八歳児のピンクちゃんと変わらないんだけど。
「命ちゃん。昨日のはボーナスステージだから」
一時の気の迷いとは言わない。
命ちゃんのことを大事に思ったのは確かだし、ボクも悪いなとは思っている。
「お兄ちゃんは男らしくないです」
「今のボクのどこに男要素が……」
しかたないので、おでこのあたりにキスを落としました。
「もうちょっと。もうちょっと下のほう」
しかたないので、ほっぺたのあたりにキスを落としました。
「どまんなか……どまんなかです」
君は野球投手に指示する人か。
しかたないので、普通に唇のあたりにキスを落としました。
「ん。先輩、男らしいです。かっこいいです」
なしくずしって怖いなって思う。
世の中の人為的ミスってだいたいは、なしくずしのせいかもしれないし。
とりあえず、片腕が自由になったので、ボクはピンクちゃんを起こさないように、ゆっくりと腕を引き抜こうとする。
が、ダメ。
ピンクちゃんの無意識の力はゾンビのソレだ。
ボクじゃなかったら腕の骨が折れていたかもしれない。
人間には250本以上骨があるのよ、1本くらい何よとはさすがに言えない。
それぐらい、がっちりとつかまれている。
そうこうしているうちに、起きだした命ちゃんがボクの目の前でルームウェアを脱ぎ始めた。
「み、命ちゃん、なにしてんの」
「なにって、シャワーでもあびようと思いまして」
「だからってボクの目の前で脱がなくてもいいでしょ」
シャワールームは本棚で仕切られた向こう側にあって、脱衣室らしきものもあったはずだ。
ピンクちゃんのお部屋というくくりでは、他の部屋に行く必要はないけれど、ボクの目の前で着替える必要もないはず。
この娘、もしかするとストリッパーの気質があったりするのだろうか。
お兄ちゃんは、男の人の前でほいほい服を脱がないか心配です。
「心配しなくても先輩だからしてるだけです」
「そうですか」
いつもの命ちゃんだった。
そんな命ちゃんは脱いだルームウェアを持ってきた黒のボストンバックに詰めこんで、下着姿のまま、シャワールームに向かってしまった。
残されたのはボクと眠ったままのピンクちゃんだけ。
「うーむ……」
あらためてピンクちゃんを見てみると、すぴすぴ寝ててかわいらしいな。
昨日のピンクちゃんはアメリカ大統領の娘、アメリアちゃんと喧嘩したりと、いままで以上に子どもっぽさを見せてくれた。
それだけに、今まで以上に仲良くなれた気がする。
今日までも、今日からも、ピンクちゃんは人類のためにがんばっている。
そんながんばりやさんを起こすのは、本当に忍びないけど、時を止めることはできないしやむを得ない。ボクは自由になったほうの手で、ピンクちゃんの頭を撫でた。
「むうぅん。あ、ヒロちゃん……」
ぽやっとしたまなざしで、ピンクちゃんが起きた。
「おはよう。ピンクちゃん。昨日は寝ちゃったね」
「んぅ。もっと寝る……」
「あ、もう起きなきゃダメだよ。朝ごはん食べて、しっかり栄養補給しないとね」
「わかった」
そう言って、ピンクちゃんは両目を閉じて唇を前に突き出した。
え、なんですか。
この構えは、もしかして。
「あの、ピンクちゃん」
「ん。どうしたヒロちゃん」
「マジでキスする五秒前みたいな顔してるけど」
「朝の目覚めのキスだぞ」
「欧米か」
欧米だよ……。
ピンクちゃんアメリカ人だし、ピンクママさんが溺愛しているみたいだったから、朝は目覚めのキスなんかされているのかもしれない。
「というか、さっき後輩ちゃんとしてたから、日本もそんな感じなんだと思ったぞ」
げげっ。見られていたのですか。
「眠ってたと思ったのですが」
「ゆめうつつに見てた」
「なるほどですね」
ピンクちゃんの観察眼も侮れない。
ベッドで眠ったままの恰好だから、ピンクちゃんのぷっくりとしたほっぺたも、淡い紅色をした唇もすぐそこにある。横向きになりながらピンクちゃんと顔をあわせている状態だ。
腕は自由になったからそのまま起きてもいいけれど……。
とりあえず、そっとおでこあたりにキスしてみました。
アメリカのドラマとかで、小さい子に大人がしているような感じです。
「ヒロちゃんは恥ずかしがりやだな」
それ以前に陰キャなんですけどね。
ピンクちゃんの考えは豊かだ。当然、ボクが何を考えているかぐらいはわかったうえでの言葉だろう。
例えば、いまは女の子だけどみたいな考え。
ピンクちゃんといっしょのベッドに寝ていることへのかすかな罪悪感とか。
そういうもろもろを含んでの恥ずかしがりやという言葉なのだろうと思う。
「後輩ちゃんはシャワーか?」
「うん。もうそろそろあがると思うよ」
「後輩ちゃんの後は、ピンクたちもいっしょにシャワーを浴びるか」
「いっしょはマズイと思うけどね」
「ふふっ。冗談だぞ。ヒロちゃんをからかっただけだ」
この娘。小悪魔度があがってませんかね。
もちろん、シャワーは別々に入りました。
ボクが脱いだおもしろティーシャツをやたらと吸っていた命ちゃんがいたことを、ここに記しておきます。
★=
「小山内くん。君には一足早く私とともに"いんとれぴっど"に乗船してもらいたいのだが」
"いずも"内の貴賓室に呼び出された私――小山内は、江戸原首相の言葉に、いくぶんかの危機感を抱いた。
隣にいる撫子くんを見てみる。
今でこそ首相の秘書をしている撫子くんだが、少し前には自衛隊員に所属もしていた。
今回の江戸原首相の"お考え"については、さすがに問題があることに気づいているだろう。
端正な顔立ちの撫子くんだったが、今の顔はさながら般若。
いや、すまない。なんで何も言ってないのに伝わるんだよ!
女性って怖いなと心の芯から思う。
わたしはしがない公務員として口を開く。
「ええと。首相。本日の日本の乗船順番はしんがりを引き受けてすべての国の検疫が終わったあとではありませんでしたか」
そうテロリストがもぐりこんでいる可能性がある以上"いんとれぴっど"に乗り込む前の検疫の役割をはたす、ここ"いずも"の存在は大きい。
さながら究極の防壁を果たす『皮膚』のように、身体に侵入される前にウイルスであるテロリストは排除しなければならない。
自分がどうこうというわけではないが、テロリストは元自衛隊員である可能性が高く、最も考えられるのは久我春人の再来だ。
さすがに国の代表になりすますというのは難しいだろうが、ボディガードならありうるかもしれない。
わたしは久我を見ている。それなりに知ってもいる。
だから"いずも"に残るべきだと考えていたのだが――。
江戸原首相の意向は違うらしい。
「小山内くん。アメリカに水をあけられたのは大変遺憾の意が強いのだよ」
「はぁ……なるほど」
気の抜けた返事をしてしまう。
アメリカとの差といえば、昨日のうちにアメリカ合衆国大統領トミー・デフォルトマン氏と、その娘アメリア嬢が"いんとれぴっど"に乗船したことだろう。
どの国よりも早い乗船。一番乗り。世界一位。
しかし、言うまでもないが、"いんとれぴっど"はアメリカ国籍の船だ。
組織としては国際機関に片足つっこんでいるから、微妙なところではあるとはいえ、アメリカ大統領がアメリカの船に乗って何が悪いという論理も成り立つ。
もっとも――、みんなで一斉に乗船しようねと、幼稚園の手をつなぎながらのゴールのようなことを言っておいて、自分からルールを破るのは、アメリカのよくある横紙破りではあるのだが。
「そんなに気にすることはないと思いますがね」
「何をいっているんだ。今日のセレモニーは歴史的なイベントになるのだぞ!」
青筋たてて怒鳴る江戸原首相。
そんなに怒ると血圧あがりますよ。
「日本は検疫を果たすという点で、非常に重要な役割を担っているものと思います。与えられた職責をまっとうするのが、国際的信用につながるものと愚行いたします!」
びしっと敬礼してみた。
「それは"いずも"にいる隊員が果たせばいい。そもそも君はヒロちゃん係だろう」
つまり、オレは黙って首相のおもりをしておけってことね……。
最後の抵抗ということで、いちおう撫子くんに視線をやる。
撫子くんは心得たとばかりに口を開く。
「首相。小山内先輩の存在は検疫にとって非常に有用だと思われます。再考をお願いいたします」
「いやいや、撫子君、組織はひとりで動いているものではないのだよ。いかに小山内くんが強くても、それは人ひとりの力にすぎない。小山内くんを侮っているわけではないが、我が国は組織として一致団結して、事に当たらなければならないのだよ」
「なに言ってるんですか。なにも中身のないことをおっしゃらないでください」
いいぞいいぞ。その調子だ。撫子くん。
「中身がないってそんな……うーん。まあいい」
「まあいいってなんですか。ごまかさないでください」
「ともかくだ!」バンと机をたたく首相。「これは決定事項だ」
「決定事項? どういうことですか。秘書の私を通さないでアメリカ大統領に直電しましたね?」
ひえ。撫子くんが鬼のような形相になっている。
江戸原首相も滝のような汗をだしている。
「まあまあまあまあ、落ち着き給え。撫子くん。わたしが友人としてトミーに電話をかけてもなにも変なところはないだろう」
おそらく、アメリカとしてはどうでもよかったのだろうと思われる。
なにしろ、すでにアメリカは一番乗りしているのだ。日本が二番だろうが最後だろうが、わりとどうでもよかったんじゃないだろうか。
検疫を軽視しているとは思うものの、自分たちが横紙破りをしておいて、日本にそれをするなというのは言い難いというのもあったのかもしれない。
「専門家の意見ぐらい聞いてください」と撫子くん。
「ああ、わかった。次からはそうしよう」
「まったく……」
撫子くんがタブレットを見た。わずかな思考。時間を見ているのだろう。
「小山内先輩。申し訳ありませんが、首相についていってくださいませんか」
それが結論らしい。
「かまわないが、今からでもアメリカ側に打診すればよくないか?」
「いえ、向こうは向こうで警備体制を敷いてるはずですから、予定を今から組み替えるのは難しいと思います。もう少し首相が早くおっしゃってくだされば、こういう事態も避けられたかもしれませんけれど」
「連絡が遅れたのは申し訳なかった」
報告。連絡。相談。
まあ組織で動くうえでは基本中の基本だが、日本ってわりと『わかってくれるだろう』で動くところがあるからな。首相もご多分に漏れずというやつなんだろう。
いささかの不安は残るものの。
わたしは、首相とともに"いんとれぴっど"に乗船することになった。
☆=
8時になりました。全員集合はいたしません。
昨日聞いた予定だと、そろそろ"いずも"による検疫が始まっている時間だ。
そんな時間にボクたちは優雅に食事をとっています。
ピンクちゃんの専属シェフに会えるかなとも思ったんだけど、昨日も今日も忙しいらしくて会えなかった。食事はほんとに軽めのパンと目玉焼きとベーコンで、これぞ朝の定番って感じ。
持ってきてくれた人は、シェフではなくてピンクママさん自らだった。
温冷車っていうネコ車みたいな大きさのやつにトレイごと入れてきたらしい。
デカい通路を持つ"いんとれぴっど"ならではの輸送法だろう。普通の大きさの空母だと通路はそこそこでしかないからね。
そんなわけで、ボクと命ちゃん、ピンクちゃんとピンクママさんは適当に置いてあった椅子に座り、トレイを念動力で浮かせている。
四人で互いに支えれば、結構な安定力があるみたいだ。
まるで見えないテーブルがそこにあるかのようで、まったく揺らぎがない。
「軽めの食事でよかったか? 足りそうにないならもう少しもらってくるが」
ピンクママさんがボクに優しげに問いかけてきた。
「いえ大丈夫です。緊張するから、あんまり食べないほうがよさそうだし」
イベントが終われば、あとは楽しい歓談らしいけどね。
セレモニーは朝早くから始まって、夕方くらいまではかかる。
丸一日ということだから、立食パーティーみたいにするらしい。
毒物みたいな心配もなくはないけど、ヒイロゾンビになったら毒無効だしね。
ピンクちゃんの専属シェフも駆り出されるほどの大量の食事を用意しているみたい。
まあイベントが終わったあとには時間ができるだろうし、そこはあまり気にしていないところです。
ボクとして気になるのは、むしろピンクママさんだ。
ここの所長であり艦長でもあるピンクママさん。こんなところで優雅に食事をとっていていいのって話です。いやもちろん愛娘と触れ合うために、苦労して時間調整しているのかもしれないけど。
そのあたりはピンクちゃんも気になっていたのか。
「ママ。艦長としての職責は果たさなくていいのか?」
食パンを裂きながら聞いた。
「ああ、私は一時的に艦長の地位を大統領に預けた」
「ん……そうなのか」
ピンクちゃん、何かを察してそれ以上は聞かない。
でも、少ししょんぼりしている。
これって……。どういうことですかね。
「大統領の地位は最高指揮官だからな」
ピンクママさんが続けた。
なるほど、なんとなくだけどわかった。
昨日、この船に乗艦したアメリカ合衆国大統領のトミーさん。
髭面イケメンのナイスガイって感じの人だったけど、あの人が軍の統帥権も持つってことか。
よくわかんないのはピンクちゃんの組織は科学を標榜する組織だったはずだけど、どう考えても"いんとれぴっど"は軍属だもんね。
統帥権を持つ大統領が、ここにいる以上、命令系統は一本化しておいたほうがいいっていう判断なのかもしれない。
「ん。じゃあ警護とかも大統領が指示するの?」とボクは聞いた。
「そういうことになるな」
「ピンクママさんは?」
「窓辺でサボテンに水やりでもしようかと思ってる」
要するに暇になったということらしい。
「ピンクとしては不満だぞ。いいところだけ取っていって」
「モモ。お口わるわるはよくないぞ」
ピンクちゃんのお口まわりについた食パンの残りかすを、ハンカチで拭うピンクママさん。
「むぅん」
「まあ悪いことばかりではない。トミーは優秀な軍人だし安心して任せられる。わたしは久しぶりに娘を愛でる時間ができた。むしろいいことばかりなのではと密かに考えている……」
考えてること、ぶっちゃけてますけどね。
プロットを詳細化してました。
ふんわりプロットから詳密プロットへ。
あとは書くだけなんで、たぶん一気にいけます。
それと思ったんですけど、章が長くなりすぎなんで、お船のところでいったん章を閉じようと思います。