異端を束ねるゾイの力。
排斥された者たち。虐げられた者たち。少数派。人でないとされた者たち。
ゾイはそれらの呪いをより集めてひとつの力にした。
不可視の触手で貫かれ押しつぶされた命ちゃん。
ヒイロゾンビも無敵じゃない。頭を潰されれば活動を停止する。
感覚的に知っている。
ボクたちヒイロゾンビも死ぬ。
死ぬ――。
死は断絶だ。
ボクは知っている。
もう二度と話せない。
もう二度と笑った顔を見れない。
命ちゃんを失ってしまった。
心臓が氷に張りつけになったようだった。
「命ちゃん!」
甲板は叩きつけられた際に生じた礫が、雨のようにパラパラと降り注ぎ、抉れたアスファルトと触手の摩擦熱が濛々と煙をあげている。
もしボクが甘えを見せずに決断していれば。
もしボクがさっさとゾイを攻撃していれば。
もしボクが少しでも余裕を見せなければ。
無数の『もし』が胃の中で膨らんで、息もできないくらい苦しい。
夢想にも近い想念は、中学のころにお父さんとお母さんが死んだ時にも及んだ。
ボクが『いってらっしゃい』なんて言わなければ。
ふたりで行ってきていいよなんていわなければ。
配信なんてしなければ。誰にも会うことなく引きこもっていれば。
人間が一人残らずゾンビになるまで待っていれば。
ううあああああああああ。ああ。あああ。
後悔の言葉で脳が焼ききれそうだった。
唇からは呻きに近い怨嗟の声が漏れて、ボクはボクでない何かになりそうだ。
ゾイは嗜虐に顔を歪ませた。
その顔を見た瞬間。
真っ白い。思考。途切れ。ねじ切るような力を本能そのままに解放する。
気づくと振袖なのもいとわず、音速をはるかに超えるスピードで蹴りぬいていた。
「ぐッ」
ゾイは身体をくの字に曲げて、甲板の向こう側に吹っ飛んでいった。
まだ。足りない。
コレはダメなやつだ。存在してはいけない。消さなきゃ。削除しなきゃ。殺さなきゃ。存在するのも呪いながら死んでいけるように惨たらしく殺さなきゃ。そうでなければ世界は間違っている。
――殺害する。
害を殺すから殺害という。こいつらは害虫だ。だから殺してもいいやつだ。
純粋に近い殺意がボクを支配する。
そうだよ。ボクなんて、最初からそうだったじゃないか。
最初から邪魔なやつ、嫌いなやつ、どうしようもなく気が合わないやつはいた。
そんなやつらをボクは、ただただ目の前から消していた。それは引きこもるというマイナスの行為で、客観的にはおとなしいものだったけれど、事実として、ボクの内心は緩やかな殺意に満ちていた。
ボクは世界を呪っていた。
いまは物理的にできるだけの力があるんだから、誰もかれも消してしまえばいい。
ボクは世界が嫌いだ。
ボクは他人が嫌いだ。
ボクは人間が嫌いだ。
――ボクはボクが嫌いだ。
だから、殺す。
「ヒロちゃん!」
遠く――。
輝く声を見た気がする。声が見えるなんて詩的な表現に思えるかもしれない。
でも、ボクには文字通り、その声は虹色に輝いて見えた。
ピンクちゃんだった。
ピンクちゃんは小さな身体で命ちゃんの傷ついた身体をかき抱いている。
みんなもいた。ボクがヒイロウイルスをあげた子たち。
それぞれが手を掲げて、薄いヴェールのようなシールドを張っていた。
「ピンクたちだって負けてないぞ。悪意になんか負けないぞ!」
「当たり前ですよ。国を統べる予定ですからね」「たったひとりに負けるわけないでしょ。いい加減にしなさい」「ふじゃけるな。ゆりゅさんぞ!」「負けません!」「戦隊ものでもわりと虐めだけど1対200はさすがにどうかと思いますが」「おまえ空気読めって言われたことないか?」
「あ……」っと声が出た。
それはピンと伸びていたゴムが急に弛緩したときのような、
――安堵の吐息。
としか言いようのないものだった。
命ちゃんは、お腹をぶち抜かれていて、もちろんヒイロゾンビにとっては致命傷じゃないけれど、その傷に慣れてないのか、よわよわしくわずかながら右手をあげて、ボクに生存を知らせてくれている。
口のカタチが小さく「お兄ちゃん」って動き。
胸がちりっとするような熱さ。
ボクの成長はボクの中にはなかったよ。
みんなのなかにあったんだ。
ボクがやってきたことは、周りのみんなに伝わって、ボクといっしょに害意や悪意と戦ってくれている。配信して人間と仲良くなろうとしなければ、誰かと友達になろうとしなければ、きっとひとりでは失うばかりだった。
命ちゃんを守ったのはみんなだけど、ボクの行動と因果的につながっていたんだ。
もう手加減はしない。
ボクはひとりで戦ってるんじゃないから。
「そのような三文芝居になんの意味がある? 人間は九割を生かすために一割を殺す生き物だ。わたしのような怪物が生まれたのも、人間の本性がそうあるからだ。ヒイロの力はそれを実体化したに過ぎない。ゆえに――、人間の本性が変わらない限り、いつかお前の大事な人は死ぬだろう」
ゾイはボクが蹴り上げた腹を抱えながら再び立ちふさがった。
すぐに何本もの不可視の触手が伸びてきた。ボクは無感動にひとうひとつを止める。
ドラゴンボールの超高速戦闘のように、ボガンボガンと空間がはじけとんでいる。
客観的には、ただ、つっ立っているだけだ。
『なにしてんのヒロちゃん』『戦ってるのか?』『さっきからドゴンドゴンいってるんだけど』『カメラさん仕事して……って固定カメラだったー!『さっき後輩ちゃんヤバかったよなぁ』『後輩ちゃんのへそちらに正直なところ興奮した』『へそちらというか内臓チラなんだよなぁ』『……興奮した』『だめだこいつ』『ヒロちゃん激おこ?』『さっき蹴ったとき、オレでなきゃ見逃してた』
怒ってるのは怒ってるよ。
それに失う怖さはよく知っている。
いまも、命ちゃんを失っていたかもしれないと思うと怖い。
でも、みんなが前を向いている。ボクの後ろには無数の世界を肯定する声がある。
いまいましそうにボクをにらんでくるゾイ。
ボクもにらみかえした。
「君が何かを失ったらしいのは言葉の端々からわかるよ。でも、自分が何かを失ったからって世界中を敵にまわしてなんになるの?」
「貴様だって、先ほどは世界中を呪っていただろうに。所詮は他人事よ。貴様はまだ失っていないから、そのような欺瞞を並び立てることができるだけだ! そんなものは、持てる者たちが持たざる者たちから奪われるのを恐れて野合した結果にすぎない」
「そうかもしれないけどね。持たざる者だって持てる者になりうるんじゃないかな。貧乏な人だっていつかはお金持ちになれるかもしれないし、大切な何かを失っても、また大切な何かを得ることができるかもしれない」
「そんな戯言」
ゾイは身体をわなわなと震わせ、怒りのまま念動力を叩きつけてきた。
パワー自体を無理やりつかみとる。
わずかな力の均衡。だけど――。
『ヒロちゃんにパワーを!』『いいですとも』『というか画面の前で元気玉をつくればいいんだよな?』『ヒイロちからがどんなふうに贈られるかはわからんしな』『投げ銭とかしたらいいんじゃね。50,000』『50,000』『1億ジンバブエドル!』『パパになりたい!』『振袖からチラリと覗くおみあしプライスレス』『パンツ見えた!!!』『お前どさくさにまぎれて何みてんだよw』
多数派の意見のごり押しだ!
ヒイロちから全開! たわんでいた空間のゆがみが激しくなり、やがて一方的に押し返す。
均衡が崩れるのは一瞬。
その瞬間、ゾイの半身は圧縮蓄積された念動力の解放によって一気に消し飛び、そのまま甲板を削り落とすような勢いで吹っ飛んだ。
たった一人の女の子に対してふるう力にしては、あまりにも巨大で、圧倒的で――。
ボクはいやな気分だった。
多数派が多数派としての力をふるって少数派をなぶるなんて、ボクが一番きらいなことだったから。ボクもある意味少数派で、べつに誰それにいじめられたわけではなかったけれども、その理不尽さは知っているつもりだ。
最低な人間になってしまった気分。
ゾンビだけれども、ヒトとしてよくないことであるのは確かだ。
でも、誰かがやらないと、きっと止まらない。
「殺してやる……」
ゾイはいまだに生存していた。ヒイロゾンビの生存能力は高い。頭を破壊されれば停止するだろうけれども、半身をふっとばされても、うまい具合に再生の核となる部分が残っていれば、全身が再生する。
じわりじわりと身体の半身が植物の全能性のように伸びていっている。
でも、急には動けるようにはならないだろう。事実上の戦闘終了だ。甲板のところどころは陥没し、天蓋の残骸がところどころに転がっている。ひどい有様だった。
ヒイロゾンビになった子どもたち、そしてその護衛も甲板の端っこで、ゾイに恐れとそして少なくない怒りを向けている。
さっきゾイに首をねじきられた人とかも、優しい美少女ヒイロゾンビさんが拾ってあげてたり。なんか小動物を抱く女の子感があってかわいらしい。手元のゾンビさんあーあー言ってるけど。
当然、兵隊さんのほうはヒイロウイルスを摂取していないから、まだノーマルゾンビ状態だけど、ヒイロゾンビにすればすぐに身体は元に戻るだろう。
なんとか人的被害は出さずに済んだかな。
そんなふうに、ほっと一息ついた瞬間だった。
甲板の向こう側からスーツ姿で息をきらしながら駆けてくるのは、トミー大統領閣下と、十数人の重武装した兵隊さんたちだ。
当然、ゾイを確保するのかなと思っていたら、
「
険しい顔をして閣下は言い放った。
英語だからよくわからない。けれど、確かディスという言葉は否定の言葉だ。言い放たれる語気には殺意が乗っている。
すぐに兵隊さんたちは甲板に倒れ伏したままのゾイを取り囲む。
「あ、あの……」
「申し訳ないが、これは決定だ。彼女を生かしておくことはできない」
呆然とする間もなく、甲板にとめどなくマズルフラッシュの光が満ちる。
アサルトライフルから放たれた銃弾は、ヒイロちからがほとんど残っていないゾイでは防ぎようもなく、細い身体は陸にあげられた魚のように何度も跳ねた。
ゾイは年相応に泣いていた。
「う……ぐ……ぎぎ」
肺炎の病気か何かみたいに、酸素を求めるように呼吸し、うつぶせになりながら甲板に右手を伸ばす。爪をたて――鋼鉄よりも硬い甲板をえぐる。
逃げようとしているというよりも、まるでだだっこのように。
くいしばった口元からは哀咽がこぼれた。
「いやだ。痛いのいやだ……姉さまぁ。ぐぎッ」
ダルルルルルルルと、再び銃口が火を噴き、ゾイの身体をはねあげさせる。
いくらかの減殺と驚異的な再生力があだとなって、余計に苦しませる結果となっている。
だけど、兵隊さんたちには、わずかながらに楽しんでいる気配さえあった。
自分たちが絶対の正義として悪を誅殺することに、獣欲に近いものを感じている。
「殺さないであげることはできませんか」
難しいのはわかっている。テロに情けなんて、意味がないどころか、むしろ害悪だ。みんなを危険にさらして命ちゃんを危険にさらして、大切な誰かを失う結果にいたるに決まっている。
けれど、十歳くらいの小さな女の子が泣いてる姿は、あまりにも哀れだった。
トミー閣下は眉に力を入れながら、アメリアちゃんにしたときみたいに片膝をつき、ボクに視線をあわせてくれる。
「責任は私がすべて負う。ヒロちゃんは彼女の"死"に対して何も責任は負わない。私が彼らに命令し、彼らはそれを実行するのだからね」
少し日本的な言い回しとは違って大仰だったけれど、要するにトミー閣下はボクが厭う必要はないと言っているようだった。
ボクは言葉をかけようとしてやめた。
アメリカという世界で一番大きな国の一番えらい人が決然とした意志で決定したことだ。
それを言い訳にしているというような思いもなくはなかったけれど、先ほどの命ちゃんのイメージがちらつく。
冷静に考えて、ここで脅威を排除するということは世界にとって悪いことじゃない。
でも本当にいいのか?
「配信を止めろ! これ以上は意味がない」
死をショーにするつもりはないらしかった。
けれど、大勢のまなざしはまだゾイに向けられている。
今日この日に彼らは――無垢な子どもでいるのをやめるのだろうな。
と、思った瞬間。
アサルトライフルよりも遥かに軽い音が青空に広がった。
いっそ、紙風船か何かを膨らまして、それを一気に割ったときのような軽さだ。
ずっと向こう。
タラップから甲板にあがって来たらしいびしょぬれの男の姿。
顔は全然違うけれど――、その瞳をボクは知っている。
憎悪に彩られた瞳。
ボクを恨み、呪い、死ぬように願った瞳。
久我だ。
久我はどこかで拾ったのか短銃を握っていた。
ちょうど幼女先輩がもらっていった銃に似ている。
その銃から、弾丸の火線が伸びている。
超人的な知覚能力でひきのばされた時間の中。
ボクは火線の先を追った。
ボクじゃない。狙ったのはボクじゃなく――大統領だ。
不可視の力を伸ばす――いや、こんな極短時間では無理。
意識の外から発射された力に対して、ボク自身だったらまだしも、他者に対してヒイロちからを及ぼすのは、ミリセカンドに満たない世界だけれども、致命的な遅延が発生する。
マズイ。マズイ。
この火線は確実に、大統領の頭蓋を破壊するコース。
あと。
わずか。
そんな、引き伸ばされた時間の中で。
ボクは奇跡を目撃することになった。
まったく理解できない角度から、つまり大統領の後方、仰角60度くらいのところから同じように火線が伸びていた。
空気が弾丸の回転によって引き裂かれている。
高速で飛来するカタマリは、つまり真逆の方向からもたらされていることになり、真向いにある火線をわずかばかり見下ろす形で発射されたことがわかった。
弾丸と弾丸は空中で衝突し、グミか何かのようにつぶれるのを知覚する。
絶技といっていい所業だ。
ボクは振り返ってみる。
すると、そこにいたのは一機のヘリ。
横面を見せたまま、縄梯子のようなものをたらし、そこに手をつかんでいたのは――。
幼女先輩だった!
幼女先輩はボクのポシェットに入っていたデリンジャーと呼ばれる小さな短銃を握り締めている。
あらためて考えてみると、揺れるヘリから、発射とほぼ同時に弾を撃ち落とすなんて。
人間技越えてるな……。
と、間髪を入れず。久我から二発目が発射される。けれど、これはもはや余裕の距離だ。
ボクはシールドを張って、それらの弾丸を空中一メートル手前で止めた。
久我の顔がわかりやすいくらい歪んだ。
タラップのところは階段になっていて、兵隊さんたちのほとんどはゾイに集中している。
場合によっては人質をとられる可能性もあるから、すぐに大統領は動いた。
わずかなハンドサイン。それだけで兵隊さんたちは機械的な素早さで、タラップ方向にいる久我に向かって牽制射撃をおこなった。
弾丸の雨が降り注ぐ中。
久我は驚くべき身体スピードで、甲板に躍り出る。
甲板は兵隊さんたちとボディガードと子どもたちが入り乱れている。
ボディガードは自らの国の子どもたちを守るのに必死。
兵隊さんはとりまわしのいい短銃ではなくアサルトライフルを装備しているから、悠々と射線を切って駆けている。
けれど、ゾイの周りには兵隊さんたちとボクくらいしかいない。
「自殺するつもりか?」
トミー閣下がいぶかしげに言う。
久我とゾイの関係なんてわからないけれども、もうすでにズタボロの雑巾のようになっているゾイを助けたところで、久我自身が危険にさらされるだけだ。
そう思いはするものの、でも、なんとなくわからないでもない。
そのメチャクチャなほどの破滅思考は、ボクにも覚えがあるから。
ばかだ。これで終わり。
でも、そんな他人事だけれども、自分事と同じ。
少し悲しい。
久我が撃つ。兵隊さんたちも撃つ。
入り乱れる人影。頭を抱え込んでその場でしゃがみこむ人たち。
アサルトライフルの弾のいくつかが久我の身体に吸い込まれた。
それでも止まらない。まごうことなき命を賭した突貫だ。
ボクはここにいる全員に、幼女先輩にしたようにバフをかける。
あんな短銃ではもはや傷さえつかないように。撃たれた弾丸が足のあたりにあたった兵隊さんが、反射的に顔を歪ませたけれども、何事もなかったことに驚いているようだった。
彼我の距離。わずか20メートルばかり。
けれど遮蔽もなにもない状況だ。いかに後方に賓客がいる状況といえども、撃ち漏らすことはない。それでも止まらない。ノックバックすることなく、すでに久我の肉体は限界を超えている。
なのに――死なない。
ああ――、そうか。そうなんだ。ボクと同じように彼には彼の味方がいる。
ゾイが力を貸しているんだ。
だけど、もはや感じられる力は弱く風前のともしび。
こんな状態で、なにができるの?
周りは脱出不可能な海の上。不可能で無駄なことをしているように思える。
いや、そんなことすら考えてないのか。
不死身の怪物のような有様に気おされたのか、兵隊のひとりがわずかに後退した。
その一瞬の隙をついて、久我の手が伸びる。
アサルトライフルをポイントした瞬間。短銃で射線をずらし、そのままふところに入りこんで、密着させるように撃つ。
ボクのバフで肉体的には問題はないけれど衝撃は伝わる。
引いた。久我は兵隊さんでできたサークルのど真ん中に侵入することができたことになる。
つまり、ゾイのもとにたどり着いた。
そんな彼の想像を絶するほどの努力と覚悟。
久我さんは呪いで駆動していると思っていた。
けれど、それだけじゃなかったのかもしれない。
歪んでいるけれど。終わっているけれども。生まれたことすら忘れるほど、人生に苦しんでいるけれども。
ゾイをかかえこむ姿は、ボクたちと変わりない。
自分以外の誰かを大切に思う、ただの人間だ。
どこか神聖な一枚絵のように、崇高な自己犠牲にすら思えるその姿は、容易に手を出せない状況を作り出した。
★=
「お前様よ……」
「ああ……」
「お前様も愚かよな。わたしごときを助けるために無駄に死ぬこともなかっただろうに」
そっと――、手を腹のあたりに添えられる。
いまいましく思っていたヒイロの力で、オレは癒されていた。
囲まれているこの状況だ。
すぐにでもオレは殺されるだろう。
そんなことはわかっている。
だが。そんな論理なんてクソくらえだ。
オレの紙のように薄っぺらい背景が。
世界のどこにでも転がっているような不幸が。
妹を失ったという、ただそれだけの事柄が、ゾイを見捨てることを許さなかった。
「ただ、それだけだ」
「なあ……お前様よ。わたしは欲が出てきたぞ」
血を吐きつつゾイが言う。
ゾイの半身は血塗られていたが、再生がある程度のところで止まってしまっていた。
死へ向かっている。
うつろで茫洋とした、あの濁った瞳のまま。
わずかばかり残った力で、オレに身体を接着させ耳元でささやく。
「わたしの復讐の弾丸となれ」
意味がわからなかった。
いまさらゾイが生きたいなどというつもりがないことはわかっていた。
ゾイの復讐は祖国の破壊。自分の父親を社会的に追い詰めることだ。
いやそれ以前に。
この状況をどうしよう、と。
オレの困惑もいとわず、ゾイは甘く微笑んだ。
――と、間髪入れず。
オレの身体が熱く輝きだす。
体中の細胞がバラバラになっていくような痛みを感じた。
しかし、我慢できなくもない。ゾイがなんらかのちからを行使しようとしている。人間爆弾か。オレの身体を爆弾に作り替えてすべてを破壊するつもりか。
いや。
違った。
急速に移り変わる景色。昔あったビデオテープの早送りのように瞬間、瞬間が移りかわっていく。
あわてふためく兵隊たち。夜月緋色。
いい気味だと思ったのは一瞬。ゾイは哀しげに瞳を揺らした。ひどく憔悴した様子。
そして、最後の言葉が聞こえた。
「お前様はわたしの代わりに生きろ」
オレは、空母"いんとれぴっど"の上から姿を消した。
☆=
午後1時32分。ゾイは死んだ。
甲板の上には凄惨な血の川がとめどなく流れている。
その身体にはブルーシートのようなものが被せられている。
死は思考の死。コミュニケーションの断絶だ。
わずかな言葉しか交わせなかったけれど、もはや取返しはつかない。
言葉も、思考も、意志も、途絶してしまった。
もちろん、いい気分なんかじゃない。
もしかすると、ゾイはジュデッカに利用されただけかもしれない。いや、そういう考えはゾイの意思をふみにじることになるのかな。
いずれにしろ。
もはやわかりようがない。
ボクたちにわかるのは、痛ましすぎる事件だったことだけ。
残されたのは、久我が消えたという謎だ。
「どういうことだ?」
閣下が困惑している。
ゾイも久我も死にかけだったし、特攻してきた兵士に対しての敬意のようなものから、最期の瞬間を躊躇させてしまった。容赦なく撃っておけばいいという意見もあるだろうけど、ボクとしては呪いが伝播する可能性もあるから、あの場ではベストな選択だったとも思う。
負の想い。人間が持つマイナスの力。
けれど、最期のゾイは違った。ゾイは久我を生かそうとしていた。
「テレポートしたのかもしれないぞ」
と、ピンクちゃんが言う。
振袖はすっかりボロボロになってしまったピンクちゃんだけど、肉体的には元気だ。
たくさんのファンに支えられているピンクちゃんは、もはや容易に傷つかない。
そして、その叡智もまた衰えることはない。
しかし、テレポートか。冗談めかしてトイレに行きたくなったときに膀胱内の物質を転移させればいいとか言ってたけど、それも可能ということなのかな。
ヒイロゾンビがいろいろできすぎて困る。
世の中がヒイロゾンビだらけになったら、いろいろとルールも変わってきそうだな。
とはいえ、テレポートができる子は、稀だろうけどね。
「そんなことが可能なのか?」
「んー……」
ヒュっとして、すとん。
どこからともなく――、ボクはデリンジャーを空中に出現させた。
隣にいた幼女先輩が慌てて腰のあたりを探る。
「ヒロちゃん。泥棒し放題だね」
「けっこう大技っぽいから、何度もは無理そうかもしれませんよ。生物をテレポするのはハエ人間が生まれそうで怖いし……」
==================================
ザ・フライ
筒状の転移マシンの実験中に、一匹のハエが紛れ込んで、人間とハエが混ざるという発想のもとに生まれた名作映画である。遺伝子レベルでハエと合体してしまった主人公が徐々にハエっぽくなっていく様がすさまじく生理的嫌悪感を抱かせる。だが、そこがいい。
==================================
「ゾイは命の炎を燃やしたから成功したのでしょうか」
へそちら状態の命ちゃんが聞いた。
いのちの危機があった命ちゃんとしては複雑な心境だろう。
命ちゃんはボクのために自分の身を犠牲にできる子だ。
なおさら複雑な心境なのかもしれない。
「そうかもしれないね」
「どこにいったかはわかるかい?」トミー閣下が聞いた。「可能であれば指名手配をかけたい」
「うーん。ヒイロゾンビになったわけじゃないからわからないです」
「ヒイロウイルスの力で跳んだのだろう」
「ヒイロウイルスはもう地球をまるごと覆ってますから」
力の生まれたポイントはここ。
空間自体のたわみは一瞬で、もうわからない。
久我さんがヒイロゾンビならわかったかもしれないけど。
「全世界に指名手配をかけるのが関の山か」
ちなみに、こんなことになってしまった以上。
立食パーティについては再開されることはありませんでした。
世界中のおいしいものが食べられると思ったのに!
お寿司だけは包んでもらって食べられたのが幸いです。
★=
目覚めると――。
そこは執務室のようなところだった。
豪奢な机と、そこに座る、でっぷりとした男。
そいつは机の上に置かれたパソコンの画面を眺めながら、ブツブツとなにやら呟いている。
そして、オレが立っていることに気づいた。
「あ、なんだ。お前はどこから現れた!?」
明らかに狼狽し、うろたえる男。
「なあ。お前の名前を言ってみろ」
「ワシはこの国の王だぞ。誰ぞ。誰ぞあるか。曲者を殺せ!」
聞くに堪えない罵声。
わずかばかりの時間で、近づいてくる足音。
時間はあまり残されていないようだ。
「ゾイを知っているか」
「ああ……ゾイ、か。先ほどのアレはなんだ。お前はアレの仲間か」
どうやらオレのことには気づいていないらしい。
配信されていたのは、ほとんどゾイで、オレの姿はカメラに映る前に配信自体が打ち切られていたのだろう。
銃をかまえる。
男は恐怖に顔をひきつらせた。
「な、なんだ。貴様は。ゾイの馬鹿がへまをやったから、ワシを暗殺しにきたのか。この国を亡ぼすために! 馬鹿な。あれはあいつが勝手にやったことだぞ。ワシは知らぬ」
「そーかい」
オレはいっそ笑いだしたくなるような気持ちを抑えて、引き金を絞った。
胸に二発。それでそいつの身体はくず折れて豪奢な椅子をすべるようにして床に転がった。
「オレは、あいつの弾丸だよ」
そんなわけでようやく今の章も終わりです。
いろいろと描写不足もあったかと思いますが評価していただけますと幸いです。
なお、次章は今の章が苦しかったのもあって、コメディタッチを少し多めにする予定です。最後の章になるかもしれない。