嘉穂ちゃんのお姉さん――野愛さんが話し終えた。
聞く限りでは、博多駅ビル内で微妙なあれこれが起こり、野愛さんたちは最終的に脱出。
その際、野愛さんだけゾンビに噛まれて、その後に中眞知事によって回復したらしい。知事クラスともなれば、ヒイロゾンビであるのが普通らしいので、これはおかしなことではない。
野愛さんがノーマルゾンビではなくヒイロゾンビになっているのには、わずかばかり特別な意味があるだろうけれども。つまり、それは中眞知事が野愛さんに一目ぼれをしたらしいってこと。
ヒイロゾンビにはいろいろ特典がついているし、ヒイロゾンビは簡単に感染する。
添い遂げたいなら、相手もヒイロゾンビにしたほうが手っ取り早いってことかもしれない。
いや、知事がいい人ならそのあたりの説明はしたあとに、ヒイロゾンビにしたのかな。
申し込みと承諾があったのかな。
意思の合致というか。
なんだかプロポーズっぽいなと思うと、少し顔が熱くなってくる。
いずれにしろ――。他人の恋愛事情につっこんで聞くのも野暮だし……。
中眞知事の熱烈なアタックに野愛さんもまんざらではなさそう。
野愛さんをチラ見するボク。
相談室のソファにふんわりとしたスカートを広げて座る野愛さんは、メイド服を着た20代半ばのシュッとしたクール美人。大人な雰囲気があるし、実際に大人なんだけど。
確か知事のほうは40代半ばらしいから、かなりの年の差があるなぁ、とは思う。
べつにそのあたりはどうでもいいんだけど、野愛さんはボクの愛弟子の姉。嘉穂ちゃんのお姉さんだから、多少は気になる。
ボクの隣に座っている嘉穂ちゃんは、少々驚いているみたい。
結構、ドラマティックだったしな。ボクがいないゾンビの世界は、わりと普通にハードモードだから。つまり、噛まれたらおしまい。噛まれたらいずれ死ぬ。
そんな世界で、妹のために身を差し出す姉。
その姉である野愛さん自らが語ったことだから信憑性という意味ではやや疑問点もあるだろうけど、語り口に淀みはなかったし、実際に経験したことじゃないとここまで語れないだろう。
ボクたちがここに来た理由を野愛さんは今日まで知らなかったんだし、即興で作れるような話ではない。野愛さんが犯人である確率はぐっと低くなった。
「駅ビルの人たちはどうなったんです?」とボクは聞いた。
「存じません」
「存じませんって……」
「気づいたら全滅していたんですよ。彼らがどういう未来をたどったのか。興味もありませんし。ただ、あのコミュニティは私たちをイケニエに差し出そうとしたときに既に崩壊していたのです」
崩壊、ね。
倫理観という意味ではそうかもしれない。
ボクがいない世界での、刹那的な世界観。
嘉穂ちゃんと野愛さんが差し出された意味なんて、ほとんど決まっている。
難波さんとかいう大阪のおっちゃんは、そこまで考えていたのかどうかは知りようもないけれど。
いずれにしろ、8月の時点で始まったゾンビハザードが、ヒイロウイルスによって緩和されるまでの4か月から8か月の間に、駅ビルのコミュニティはことごとく全滅しちゃってたということらしい。
薄く笑う野愛さんの顔を見ると、自業自得だと言ってるようだった。
確かに――そうかもしれないけどね。
ゾンビハザードにおけるコミュニティの崩壊はほとんどの場合、人間側のエゴによって生じる。
コミュニティ側の話はそれで終わったとして、問題なのは嘉穂ちゃんのほうだ。
「えっと、野愛さんの話をまとめると……」
ボクはじっと野愛さんを見つめる。
野愛さんは薄く微笑んで待ちの姿勢。
「犯人は那珂川勇也くんってこと?」
「いえ、私は私の知りうる限りをお伝えしたのみです」
最後に嘉穂ちゃんといっしょにいたという同級生の男子。
那珂川勇也くんは、話を聞く限りではわりと好青年っぽかった。
けど、野愛さんが脱落したのはわずかゾンビハザードが起こってから半月程度のこと。
それから後のことはわからない。
人の気持ち――精神――心のありようが変わるには十分な時間があったように思う。
野愛さんの語り口はわりと公平で客観的っぽかったけど、それでも主観が混じっているのは否定できないだろう。那珂川勇也くんがどういう人物なのかボクは知らない。嘉穂ちゃんはクラスメイトだから多少は知っているだろうけど、ゾンビハザード前の記憶しか残ってないから知りようがない。
「あ、それと言い忘れていたんだけど」
ボクは続けた。
「嘉穂ちゃんは誰かに食べられちゃってました」
「え?」
きょとんという顔。
それはそうだろう。
こういう異常事態をすんなりと飲みこめる人はそんなにいない。
ボクという超ド級の異常事態があっても、じんわりとしか染みこんでいかなかったしね。
「お姉ちゃん。私、誰かさんに食べられちゃってたであります」
嘉穂ちゃんがいつもの調子で言うものだからコメディ色が強い。
だけど、言ってる内容は激烈だ。
「誰かに? 嘉穂が」
「そうでありますよ。冷蔵庫の中を見てみると、私のボディがまろーんしてたのであります!」
まろーんってなんだ?
ともかく、嘉穂ちゃんの必死の説明に、いよいよ野愛さんの顔がすっと青くなった。
血の気が引いたのだろうか。
「そうそれで……緋色様に助けていただいたというわけね」
「それだけじゃないであります。今のわたしは"魔法少女"みたいな不思議パワーも使えるのでありますよ!」
立ち上がり興奮した様子で話しかける嘉穂ちゃん。
もともと魔法少女になりたかった系の女子だからな。
ヒイロゾンビになって、一定の人気を得た嘉穂ちゃんは、魔法のような力を得たといえる。
「落ち着きなさい。嘉穂」
「はい。であります」
ストンと椅子に座る嘉穂ちゃん。
「なるほど話はわかりました。嘉穂が誰かに食べられていたと……」
遠くを見るように何かを考えている野愛さん。
なにか重苦しい雰囲気が部屋の中に満ちる。
「それにしても、お姉ちゃんに好きな人ができたんでありますなぁ」
と、暗い雰囲気を消し飛ばすような弾んだ声を上げたのは嘉穂ちゃんだった。
野愛さんの話を聞く限り、嘉穂ちゃんはけっこう空気の読める子だ。
わざと明るくふるまっているのかもしれない。
実の妹が食人されたと聞いて、お姉さんのほうも冷静ではいられないだろうから。
ただ殺されたというだけじゃない。
明らかに猟奇的な。あるいは変態的な。
通常では考えられない殺され方。
嘉穂ちゃんは小動物的なかわいらしい女の子だし。
なんといえばいいか。ある種の性欲を満足させるような使い方だってされたかもしれない。
ゾンビハザードが起こってからボクが出現するまでの間は、そういうことが起こる無法地帯だったろうし、人のこころはミステリーだから、そういう変なことも起こってもおかしくないのかもしれないけれど。
ボクがあれこれ考えている間にも、野愛さんは微妙な表情。
それで。
少しの間。
唐突に野愛さんは口を開いた。
「ひとつだけお伝えし損ねていたことがございます」
「ん?」
「中眞様は、食人なされていますの」
「え」
ええええええ~!?
「食人って聞こえたんだけど」
「食人です」
「それってカーニバルダヨ的な食人ですか」
「おや、緋色様は英語がおじょーずなんですね。その食人でございます」
いつまでも英語よわよわガールじゃいられない!
ってやかましいわ。
そんなことよりマジですか。
江戸原首相の紹介だから変な人じゃないと思っていたんだけど。
「誤解なきように申し上げておきますけれど、わたしは中眞様のことをお慕いしておりますし……、嘉穂を手にかけた犯人でもないと確信しております。ですから、先んじて申し上げたのは、あとから緋色様がそのことをお知りになったときに、変に疑われることのないようにと思いまして」
「配慮ですか」
「忖度ともいいます」
「政治的なあれこれもあるんだろうけど……」
「むしろ個人的なあれこれです」
野愛さんは中眞知事を信じているということか。
「その……どうして、食人的なことを?」
ボクはうまく言葉をつむげない。
というか、いままでにそんなことを質問した人がいるのだろうか。
猟奇殺人犯にレポートするマスコミな人とかだったらわかるけど。
「それは、直接お聞きしたほうがよいのではありませんか?」
「まあ確かに」
まあ確かにだ。
そこまで特殊な趣味だとすると、本人に聞いたほうが早い。
だけど、確認しておかなければならないことがひとつ。
「あの……。食人って言っても、殺してるわけではないんだよね?」
食人っていうと、基本的にそんなイメージあるけどさぁ。
「もちろんです。わたしは中眞様をお慕いしていると申し上げました。わたしがそのような殺人犯をお慕いするような輩に見えますか」
「嘉穂ちゃんのお姉さんってこともあるけど、そうは見えないかな」
「ありがとうございます」
頭を下げる野愛さんに、ボクは微妙な気持ちになる。
「もしかして、食べられているのって……」
「ええ、わたしです」
それが何かと言いたげに、伊達眼鏡をクイっとするメイドさん。
んんー。それって、つまりそういうことなのか。
ヒイロゾンビは再生能力が強い。
例えば、腕一本を切り落としてもすぐに再生してしまう。
通常ならば、この再生っていうのもエネルギーを喰うところなんだろうけれども、ヒイロウイルスの謎パワーで駆動しているので、無限に食人が可能だ。飯田さんが絶食していた時期があって、さすがにヒイロゾンビも食べないと餓えるのは証明されたので、どこまで可能かはわからない。
けれど、例えばふたりでお互いを食しあえば……。
――究極の生産性。
といえるかもしれない。
本人たちが申し込みと承諾を繰り返す限り、つまり意思の合致がある限り、ひとまずのところ誰にも迷惑はかけないと思う。
嘉穂ちゃんを食べてなければ……ね。
嘉穂ちゃんの顔を見てみると、なんとも言えない表情になっている。
一番当てはまる言葉をあえてあげるとするならば"困惑"かな。
いや、そりゃ実のお姉さんがわたし食人されていますとかいわれたら、そりゃそうなるよね。
しかも、自分も誰かさんに食べられているという状況なわけだし。
「命ちゃんはどう思う?」
「ご本人たちの意思次第でしょうが、個人的にはあまり好ましいとは言えませんね」
「どうして?」
「例えば、今の時期は公権力が非常に強くなっています。緊急時には民間の力が衰えますからね。そうすると、知事という公権力の強い地位の方が一方的になにかしらの融通を利かせるから、おまえを食べさせてくれって言うわけです。もちろん、野愛さんの場合は違うのはわかりますが……」
「んんーなるほど」
命ちゃんとしては無理強いしている可能性がないのかって点が気になるのか。
そりゃそうだよな。
例えばの話、金と地位をあげるから少女にその身を差し出せってことになったら、援助交際あるいは今風に言うとパパ活っぽいしな。
「さて、では中眞知事にお会いしにいかれますか?」
少しばかり精神的に疲れていたけれど、もともとそのつもりだったんだから、いまさら拒否する理由はない。それと、もうひとつだけ理由をつけるとしたら、どうして食人しているのか聞いたほうがいいだろう。
ここに至っては、姉を探してという理由のみを伝えていたのが功を奏した。
知事は嘉穂ちゃんが食べられていたということまでは知らない。
☆=
ボクたちは野愛さんの案内で県知事室までおもむく。
しかし、びっくりしたのは、この巨大な県庁という建物で贅沢に電気を使っていることかな。ボクの町は例によって物資的には結構めぐまれているほうだと思うんだけど、さすがにずっと発電機を回し続けるというほどのものではない。時間を決めたり量をきめたり、ともかく節約人生だ。
つまり何が言いたいかというと、最上階までエレベーターでいけるというのが素晴らしい。
高いところにある知事室というと、ほらあれだ。権力者がよくやる窓から街を見下ろす構図。
行き交う人たちの顔もなんだかスタイリッシュで洗練されている。
ボクを見ると、みんなにこやかなに一礼して去っていく。
福岡民ってやっぱ都会人なんじゃないかなんて思いつつ、いよいよ知事室の前まで来た。
知らない人に会うことに少しだけ緊張する。
しかも、相手はカーニバルが趣味のお方らしいし。
緊張しないほうが嘘だろう。
知事室の前の扉はボクの町の町長室より一段と格式高く、分厚そうな扉に守られている。
「よろしいですか」
野愛さんが振り返りボクに聞いた。入室してもよいか聞いているのだろう。
はい、とボクは応える。
野愛さんがドアをノックした。
中からは渋めの声で「どうぞ」と聞こえた。
開かれたドアからは、スーツ姿の男性の姿が見えた。
年齢は聞いていたとおり45歳なのかな。この年代って個人差が激しいのかよくわからない。すごく若々しく見えるし、40代と言われれば40代の顔つきだし。
んー。
さて――。どうしようか。
いろいろ考えてるうちに、知事は立ち上がりボクの方に近づいてくる。
「ようこそ福岡へお越しくださいました。夜月緋色さん。わたしは知事をやっております。中眞です。どうかお見知りおきください」
物腰は丁寧。
差し出された手をボクは握る。はい握手。
「夜月緋色です。今日はありがとうございます」
それからは定型的に話は進んだ。
要するに、ソファに座って、野愛さんがお茶を出して、つまようじのつきの水ようかんが出されたり。パクもぐもぐしたり。おかわりはしなかったけど、なくなっちゃったって顔をするとおかわりがだされたり。
水ようかんは、知事には出されていない。
普通、歓談するときはだいたいお客さんと主人がいっしょのものを食べたりすることが多い。
やっぱり、食人以外しないから――とか。
「しかし、驚きました」知事が楽しげに話す。「野愛さんが探していたお姉さんだったとは」
「わ、わたしも驚いたでありま――驚きました」嘉穂ちゃんが言いなおす。
いつもの口調じゃないのが少し違和。
「配信の時とは違う口調ですね。楽にしてもらって結構ですよ」
「で、ありますか」
「ええ、格式や様式も大事ですが、いまはプライベートな時間だと考えていますから」
プライベートな時間。
それは逆に言えば、公的な時間じゃないってことだ。
ある程度の個人的な質問も許される。
ボクはおかわりしたことになってしまった水ようかんにつまようじを刺す。
「あの、中眞知事にプライベートな質問があるんですけど」
おずおずと切り出す。
「なんでしょうか」
「食人しているってお聞きしました」
「ああ、野愛さんに聞いたんですね」
「すみません。変なこと聞いちゃって」
なんだかイケナイ趣味を持ってますよねって聞いてるみたいで、かなり躊躇する。
しかし、知事はたいして気にしたふうもなかった。
「私としては公言しているくらいですから特に問題ありませんよ」
公言。
公に言うこと。
自分の食人趣味をおおっぴらに公開しているのか。
――ゾンヴィーガン。
知事はそう呼称した。
「ヴィーガンをご存じですかな」
「えっと、肉食しない人ですよね」
「わたしはもともとヴィーガンだったのです」
どうにもベジタリアンとの違いがよくわからなかったけど、最近はそういう人も増えていたらしい。ゾンビハザードが起こってからは知らない。普通に考えて、缶詰とかの食料品でヴィーガンが生きていられるとも思えないし、ボクがいなかった数か月はどうしていたんだろう。
そう聞くと、知事は哀しげに顔を歪ませた。
「緋色さんがいなかった間、わたしは自分の主張を曲げざるをえませんでした」
「主張?」
「ヴィーガンにもいろいろな主張を持つ方がいると思います。例えば肉食自体が嫌いだったり、野菜が健康にいいと信じて野菜しか食べなかったり。しかし、多くの場合に共通するのは、命は平等に尊いということです。できれば霞を喰らって生きていたい。しかし、そういうわけにもいきません。だから、ダメージが少ないであろう植物の命をわけていただきます」
豚や牛の殺される際の痛みに共感してしまうんだろうな。
まあボクも少しはわかるよ。豚骨ラーメンを食べたいって思ったときに中学生たちに言われたことだけど、自分で豚を殺せるかって聞かれても難しいって思ったもん。
生き物を殺すのは厳しいことではある。
いつもはきれいにパッケージングされていて、死をほとんど感じないからおいしく食べられるわけだけど、ハムみたいなぺらぺらのお肉から、死まで連想してしまうほど共感性が強い人がヴィーガンになるんだろうな。
「知事は、ボクがいない間、えっと――人間を食べてたりはしない、よね?」
「そこまではしておりません。しかし、肉食はしてしまいました」
「生きるためだし、しょうがないのでは」
「そうですね。しょうがない……。現実はいつもそういう言葉で理想を覆い隠してしまいます。しかし、今は緋色さん。あなたがおります。わたしの理想は現実のものとなったのです」
ボクがいるから?
ヒイロゾンビのことか。
「理想が、つまりゾンヴィーガンなの?」
「そうです。わたしの理想とは、要するに食することによるダメージの総和を減らすことです。食べられること、傷つけられることによるダメージ、不安、恐怖、そういったものをできる限り少なくすることです。豚も牛も鳥も植物も、痛いとは言ってくれません。しかし、ヒイロゾンビは違います」
「ヒイロゾンビは痛いといわないからいいって?」
「ええ。ヒイロゾンビは身体のコントロールができますから、痛覚をカットすることもできるんですよ」
「まあ、それぐらいはできるだろうけど。それって同意がとれてるから傷つけてもいいってこと? それとも再生するからなにしてもオーケーってこと?」
「両方ですね。例えば仮にヒイロゾンビ豚なるものが可能になったとしても、わたしとしては肉を切断される恐怖を考えると豚を食べるのはよくないことだと考えます。また、いくら同意がとれていても再生しない身体を傷つけるのはやはりダメージだと考えます。両方あわさって初めて、わたしの理想となるのです」
「同意って本当にとれているのかな」
「わたしは野愛さんの言葉を信じているんですよ」
うーむ。難しい。
遅くなって申し訳ございません。
怠惰が原因です。