あさおん・オブ・ザ・デッド   作:夢野ベル子

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ハザードレベル21

 エミちゃんのお部屋で繰り広げられた安っぽいメロドラマから離れ、ボクは自分の部屋に帰ろうとしていた。

 

「あ、緋色ちゃん……」

 

 通路でばったり出会ったのは飯田さんだ。

 

 申しわけなさそうな顔でボクのことを見て、それから口を開いた。

 

「その……、ゾンビ避けスプレーについて、あんな結果になって……本当に申し訳ない」

 

 まるで、土下座でもしそうな勢いだ。

 

 飯田さんがもしも、スポーツブラをとりにいかなければ、こんな事態にはならなかったと思うけど、ボク自身は飯田さんに思うところはない。

 それどころか、あらためていい人だなと思ってる。

 よければパパって一回ぐらいは呼んであげてもいいくらいだ。

 

「いいですよ。ゾンビがはびこってる世界です。いつかはバレてたと思いますし」

 

「しかし、君の生存率をさげてしまった」

 

「うーん。そうかもしれませんけど、一応、コミュニティに守られてるという側面もウソじゃないですから、プラスマイナスはあるかもしれませんけど、それも含めてしょうがない面もあると思います」

 

 だって、人間が人間と接するのが生存率を下げるなんて――。

 

 そんな考え方はどこか悲しいと思うからね。

 

「おじさんが恭治くんを助けようとしたのは偉いと思うよ」

 

 恭治くんの話を聞いた限りだと、ゾンビに襲われたとき、もしも飯田さんがそのまま放置したら、恭治くんは噛まれていたかもしれないんだ。

 ゾンビ避けできることを知られるかもしれないというリスクを承知で助けたのは、人間らしい素敵なこころだとボクは思う。

 

「おじさんはいい人だね。ううん。かわいいと思うよ」

 

 飯田さんはきょとんとしていた。

 

「かわいいのは君だと思うんだが」

 

「むふん。おじさんっておだて上手だね。頭撫でてもいいよ」

 

「な、なんだか美人局みたいでこ、コワイな。突然、美少女から触ってもいいと言われるとか」

 

「美人局って?」

 

 まあ知ってるけど。

 

「あ、いや、なんでもない……よ」

 

「ふうん。じゃあどうするの? ボクのこと撫でたい?」

 

「お、お願いします」

 

 おずおずと伸ばされる手。

 自分が誰かを傷つけるのを恐れている手だけど、まあボクの場合は強いし、人間じゃないし、半分くらいは女の子でもないから、少しは怖がらなくていいようにテストプレイぐらいはさせてあげてもいい。

 

「あ、それとゾンビ避けスプレーはバレたけどお守りのことはみんなには内緒ですよ」

 

「うん。ああ、わかってるよ」

 

「そのお守りの効力だけは保証するからね。飯田さんはゾンビには襲われない」

 

 飯田さんは胸元にあるお守りを握りしめた。

 

 そう、そのお守りはボクの飯田さんに対する精一杯だ。

 

 たとえ、ボクがコミュニティを離れることになっても、飯田さんとわかれることになっても、そのお守りの効力は永続させようと思う。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ホームセンター前では、既にゾンビが大挙して押し寄せている。

 バリケードを突破するほどの能力はないが、それはボクが眼前で抑えているからという面も大きい。ボク自身にもどうしようもできない無意識の『人間』に対する嫌悪感が、ゾンビという荒波となって押し寄せているようだった。

 

「数多くなってますね」

 

 恭治くんが顔をしかめながら言った。

 

「ああ、そうだな。しかし、ゾンビ避けスプレーを試す機会でもあるな」

 

 大門さんの声は弾んでいる。

 まるで、新しいおもちゃを与えられた子どものようだ。

 ゾンビを避ける能力――世が世なら英雄の力と言えるだろうし、大門さんは自分の力が拡大することに本能的な喜びを感じているようだ。

 

 もちろん、そんなのはウソっぱちの能力なんだけど。

 

 リフレッシュシュを一吹きし、大門さんは土嚢を乗り越える。その先にある車の屋根に乗って、ゾンビの動きに変化がないかを観察していた。

 

 ゾンビは車の上にいる大門さんに目もくれず、土嚢の先にいるボクたちの方へと手を伸ばす。亡者の動きは大門さんをまるで空気のようにいないものとして扱う。

 

 ニヤリと笑い、大門さんは車の屋根の中ごろまで伸ばされているゾンビの腕を踏んづけた。

 なにもしてないのに、わりとひどい扱い。

 ゾンビはべつに痛みを感じないからいいけど、踏んづけられ、射止められた状態になっても、やはり大門さんを襲う気配はなかった。

 

「すごいな。これは……」

 

 大門さんが笑っている。

 もちろん――、ここで襲いかかるという選択もなくはない。

 今、目の前で起こっている事象は、すべてボクがコントロールしているからだ。

 ボクは心のなかのどこかが冷めきっていたけれど、このコミュニティに守られている命ちゃんやエミちゃんの存在もあるし、求められるがままに人形師を演じた。

 

 大門さんは車を降りて、ゾンビの大群の中を悠々と進む。

 最初は警戒するようだった歩みもどんどん大胆になる。持っていた鉄パイプで、意味もなくそこらを歩いていたゾンビを一撃し、昏倒させた。

 

「よし。完璧だ。すごいぞこれは!」

 

 大門さんは興奮していた。

 もっと言えば、手に入れた力に酔い知れていた。

 他の人たちは、ちょっと引いてたように思うけど、本人はおかまいなしだ。

 

「よし。おまえたちにもゾンビ避けスプレーをかけてやる! 物流センターに向かうぞ!」

 

「あ、僕はまた留守番でいいですよ」

 

 小杉さんはそんなことを言って、また辞退をした。

 ゾンビに襲われないのは立証されたはずだけど、自分が調達してくるという力にはあまり固執していないようだ。

 

「トラックの積載量が減っちゃいますし、そもそもゾンビ避けスプレーも使いすぎないほうがいいでしょう」

 

「む。そうだな……、では、前回と同じく、恭治くん。飯田くん。そしてオレの三名で向かうとするか」

 

 ゾンビが避けられるなら、べつに女の子を外に行かせてもいいと思うんだけど、やっぱり大門さんの中では、女は家のことでもやっていればいいという考えなのかな。まあ、ボクも命ちゃんも引きこもり体質だし、姫野さんは怖がって外行かないし、エミちゃんに至ってはあまり動けないから、大門さんの言い分にもそれなりに理由があると思うけどね。

 

 意気揚々と向かう三人を見送り、ボクはそっと溜息をついた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ゾンビがもがきあがくように、人間も生をもがきあがいている。

 ゾンビがうめき声をあげるように、人間も慟哭したりする。

 でも、人間とゾンビに違いがあるとするならば、それは選択するという力に他ならない。

 

 運命を切り開いていく生きようとする意志こそが、人間とゾンビの大きな差なのだと思う。

 

 それだけ、決断するというのはエネルギーを使うことなんだ。

 できれば、人間は決断したくない生き物だと思う。

 モラトリアムに、何も決めずにすましておきたいし、明日できることは今日やらない。誰かを愛することは誰かを愛さないことだと命ちゃんは言ってたけれど、つまりそれこそが選択し決断するということなのだと思う。命ちゃんの生き方をすべての人間が適用することは不可能だと思うけれども、一振りの刀のように綺麗な生き方だ。

 

 じゃあ、ボクはどうなんだろうな。

 ボクって大学生をしてたんだけど、それって言ってみればほとんど惰性で、なんとなくそうなったというだけで、べつにこうしたいという意志があったわけじゃないし、この道を行くんだって選択があったわけじゃない。

 

 ボクは何もしてこなかった。

 何にもなろうとしなかった。

 命ちゃんや雄大は大事な人だけど、本当の本当にオンリーワンな人っていなかったんだ。ボクとういう存在をまるごと投機してもいいと思えるような、そんな人をあえてつくらなかった。

 

 つまり、ボクは選択してこなかった。

 ボクはずっとずっとゾンビのように、生きてるのか死んでるのかもわからない生を送ってきたんだ。

 

 だから――――――――。

 

 だから。

 

 ボクは。

 

 選択することに慣れてない。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 大門さんたちが出かけていったあと。

 

 ボクは動画サイトを適当に見て、だらだらと過ごしていた。こんな世界になっても動画を作ったり、ボカロの音楽を作ったりしている人はいる。

 誰が見るかもわからないのに、ここに自分はいるよって宣言してるみたいだ。

 そんな人間の儚い活動に、寂しさを紛らわせながら、ボクは今後のことを考えていた。

 

 そして、なんとなくな気分で立ち上がり――、

 命ちゃんの部屋に行こうか、それともエミちゃんの部屋に向かおうか。

 そんなことをぼんやりと思考しはじめたとき、それは起こった。

 

「ああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 絶叫だった。

 幼い感じから、すぐにそれがエミちゃんの声だと気づいた。

 

「な、なに?」

 

 ボクはすぐに立ち上がり、エミちゃんの部屋に向かう。

 はっきり言って、声の調子だけでわかった。

 生命の危急を思わせるような、自分の存在を精一杯主張するような。全存在を賭したような。

 

 ありふれた言い方をするならば。

 

――断末魔。

 

 という言葉が脳内をかすめた。

 

 最初の叫びのあと、今度は姫野さんのなにやら喚く声が聞こえる。エミちゃんのほうもうなるような声をあげているから、べつに死んだとかそういうわけじゃないらしい。

 

 でも、この声には心臓をわしづかみにするような興奮量がある。すぐに向かわなければ何か大変なことが起こるような気がした。

 

 入り組んだ構造をしているホームセンターの中を進むのがもどかしい。

 

「緋色……先輩!」

 

 エミちゃんの部屋まであと少し。

 ちょうど、ホームセンターの中心あたりに位置する岐路にさしかかったときだった。

 今度は命ちゃんのかぼそい声が聞こえた。

 おそらくボクじゃないと聞こえないくらい小さな声。

 それきり声は聞こえなくなったけれど、ボクの超人的な聴力は、命ちゃんの心音がこれ以上ない高まりをしているのを感じ取る。

 

 近くには小杉さんの気配。

 また、なのかもしれない。

 

 小杉さんに襲われそうになった命ちゃんの様子がフラッシュバックする。

 

 そして、ボクはその場にたちすくむ。

 

 命ちゃんの言葉。

 

――誰かを愛することは誰かを愛さないことなんですよ。

 

 だから、選択しなければならなかった。恋愛ゲームだったら、ここでいったんセーブして、あとでロールバックすればいい。

 

 でも、人の生における選択は一度きりだ。

 

 命ちゃんとエミちゃん。どっちもボクにとっては大事な存在だ。

 

 危機が迫っている。選択しないという選択はこの場合、両方救えない最悪の選択だ。

 

 ボクは、

 

 ボクが選んだのは――――。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 僕はまちがっていない。

 

 僕はよく、あなたは人の心がわからないとか

 

 あなたは自分のことしか考えてないと言われたことがある。小学生のころから、中学生、高校生、果ては大人になってからも、しょっちゅう言われている。

 

 もしかすると、人の心が根本的なところでわかっていない何らかの脳障害を抱えているのかもしれない。

 

 だけど、僕が思うに。

 

 誰だってそうだろう。

 

 人には自己保全の本能が根ざしている。もともと脳という機関は自分のことが一番好きなナルシストだ。他人が死にかけているからといって、それが自分じゃなければどうだっていいというのが真実の脳の姿だ。

 

 そうだとすれば、他人のことを考えろと主張する者こそ、一番自分のことしか考えていないんだ。

 

 人のことを配慮しろとか他人の気持ちを考えろとか、よく言ってくるやつら。

 

 やつらは結局のところ「オレが一番強いんだからオレを配慮しろ」とか「オレには弱者の妹がいるのだから配慮しろ」というばかりで、その実、本当の他人である僕のことなんて考えていない。

 だから、さ。

 僕だって好き勝手したっていいだろう?

 

「また、何か用なんですか。小杉さん」

 

 命ちゃんは、そのような俗世とは隔絶したような美しくかわいらしい少女だった。

 例えれば、白雪のような。

 人に踏みしだかれる前の柔らかな白。

 スカートから覗くふとももは誰にも触られたことがない雪のような白さを誇っていた。

 

 僕は言う。

 

「そんなに冷たい声をださないでほしいな」

 

「前にも言ったとおり、私はあなたとは一秒もいっしょにいたくありません。すぐに私の目の前から消えてください」

 

「緋色ちゃんだけどさ……」

 

 命ちゃんがピクリと反応した。いいぞ。

 

「あの子ってひどいよね。自分がゾンビに襲われない状況にありながら、それをみんなに黙っていたんだからさ」

 

「緋色せ……緋色ちゃんを悪く言わないでください」

 

 命ちゃんは普段何事にも冷徹な、まるで機械か人形のような女の子だったが、緋色ちゃんのことになると声色が変わる。

 

 まるで心を取り戻した人形にように、瞳を輝かせ、あたたかいまなざしになる。

 

 だからこそつけ入ることができる。

 

 他人に配慮するのは当然だからね。

 

「君は前に緋色ちゃんの保護者だと言ったよね」

 

「それが……なにか」

 

「言ったよねぇ」

 

「だからなんなんです」

 

「僕はこうも言ったはずだ。子どもの責任は保護者の責任だとね。緋色ちゃんの不始末は君が補填する必要がある」

 

「緋色ちゃんは、ゾンビ避けスプレーを差し出してます。このコミュニティに十分な貢献をしているように思えますが?」

 

 絶対零度というのも生ぬるい視線だ。

 まるで、僕のことをゴミか、価値がないものを見るようなまなざしだった。

 

 ふ ざ け る な!

 

 周りの人間は誰も僕のことを便利なやつだと考えている。割を食った人間の気持ちなんか考えていない。ひとりよがりで、自分勝手なゴミ屑はそっちのほうじゃないか。

 

「命ちゃん。いい加減にしてくれないかな」

 

「その銃はなんのつもりですか」

 

「大門さんも言ってたじゃないか。力だよ。僕は君に教えてあげようと思ってね。どれだけ君が僕に赦されているのか、守られているのか」

 

「反吐がでますね。撃ちたければ撃てばいいでしょう」

 

「撃てないとでも思ってるのか!」

 

「大門さんもさすがに銃を撃ったら黙ってないでしょう」

 

「そんなのどうとでもなるさ……。なあ命ちゃん。僕は君のことが好きなんだよ。必死こいて媚びを売ってる姫野より、よっぽど綺麗な生き方をしている」

 

「狂ってますね」

 

「ああそうだよ。僕はもうすっかり狂ってるのかもしれない。もしかすると、君に拒絶されたら悲しさのあまり緋色ちゃんを殺しちゃうかもしれないし、君のことも傷つけちゃうかもしれないんだよ。かしこい君ならわかるだろう。どちらが賢明な判断か」

 

 そのとき。ホームセンターに叫び声が響き渡った。

 どこかのゾンビ娘が狂態をさらしているのだろう。

 視線を戻し、命ちゃんを見つめる。

 

「……わかりました」

 

 勝った!

 僕は全身が震えるほどの歓喜に包まれるのを感じた。

 僕は銃をおろし、命ちゃんに近づく。

 

 と――、肩が熱かった。

 

 焼けたような熱さを感じ、そちらに視線をやると、銀色をしたナイフが僕の肩に突き刺さっている。命ちゃんは何の情動も感じさせない鋼鉄のまなざしで、僕を敵と見定め、確実に狩ろうとしていた。

 僕はよろめきながら後退し、銃を何発か撃つ。

 

「みことぉぉ。いてえええええだろうがあああっ!! このクズが! クソガキがぁ!」

 

 命は既に走りだし、背後の通路に駆けこんでいる。

 執務室に向かい、立てこもるつもりだろう。

 

 だが――開かない。

 命はガチャガチャと何度か焦ったようにドアノブを回しているが、すぐに何かに気づいたらしくバックヤードのほうに逃げ出した。

 

 僕は煮えくりかえった頭の中が、すっとペパーミントのかおりに包まれるような清涼感を覚えた。あと数十秒ほどで命はおびえた姿をさらすだろう。その予期に。その近未来に。

 歓喜が抑えきれない。

 

 たいしたことではなかった。

 洗濯場の背後にあるのは、執務室へ向かう通路と、その反対側のバックヤードに向かう通路しかない。

 神埼命は機械のようにきっちりした性格をしていて、与えられた業務を同じ時間にこなす。だから、僕は執務室に入って、ドアに鍵をかけておいた。

 

 バックヤードにつながるドアは裏口から入って、鍵をかけておいた。

 僕はこのホームセンターの店長だ。

 やつはもう袋のネズミだ。

 

「さあ。鬼ごっこは終わりだよ。おとなしくしておけば、銃は使わない」

 

 通路の際に追い詰められた命は、僕を視線で殺すかのようににらんでいた。

 僕は楽しくなってくる。

 

「さっき銃を使ったから警戒しているのかな。これはしかたないよ。君がナイフを使ってくるから正当防衛したまでだ」

 

 命は、きょろきょろと周りを見渡し、僕のことを見ようともしない。

 一言も会話をかわそうとしない。

 僕は肩の痛みが熱さに変わり、再び脳が煮たつのを感じた。

 

「無視をするなよっ!」

 

「ねえ……」

 

 その声は、心とろかすようなかわいらしさを有しているようだった。

 

 だけど、僕にはなぜかそれが地獄の底から聞こえてくるようだった。

 

 振り返ると、紅い眼が薄暗がりの中で光り、不敵にほほ笑む緋色ちゃんの姿があった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「あのさぁ……。おまえ、なにしてるの?」

 

「あ?」

 

「命ちゃんに、なに銃つきつけてんの?」

 

「こいつはね。僕にナイフを突き立てたんだよ。だから、教育だよ。大人としてね」

 

「わかった。もう黙れよ」

 

 命ちゃんは通路の際で追い詰められていて、そんな命ちゃんにこいつは楽しそうに銃をつきつけていて、つまり、こいつは殺してもいいゴミだということで決定した。

 

 ボクの中で、完全に、無価値になった。

 

「大人に、黙れとか、そういう口を聞くのはよくないな。君にも教育が必要なようだね」

 

「……教育?」

 

「そもそも、君は人のことを考えられない配慮が足らない子だよね。みんながゾンビに震えているのに、君だけは、あのゾンビ避けスプレーを使って悠々自適な生活をしていたわけだ」

 

「知らないよ。おまえとボクとは関係がないだろ」

 

「同じ人間じゃないか」

 

「人間どうし博愛精神をもてって? お前のしてることはそれとは真逆じゃないか。暴力でどうこうしようとしていないうちはまだ許せても、力で強引にねじふせるなら、それはもう人間としての価値がない」

 

「おまえもっ! 僕を無価値だっていうのかよ! メスガキが! 殺すぞ!」

 

 小杉はボクに銃を向けた。

 完全にタガのはずれた小杉は、躊躇なく引き金をひいた。

 銃弾の軌跡がスローモーションでみえる。

 一発。二発。

 地面をけり上げて、壁を伝うようにして、走る。

 ちょうど、いいところに怪我してたから、ボクは右の手のひらを小杉の肩に差し入れた。

 

 おめでとう。ボクの初めてをあげるね。

 

「いってええ! クソが……山猿かよ」

 

 小杉は銃を持ち上げボクを狙う。

 もう遅い。おまえはもう死んでいる。っていう雰囲気じゃないな。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 怒りと憎悪と劣等感とどうにもならない他人という存在に、僕の脳はぐちゃぐちゃに混線していた。殺す。殺す。殺す。

 無限の殺意が湧いてくる。殺す。

 銃口を向けた。足や肩じゃない。人体の枢要部位に確実に狙いを定めた。

 先ほどは有りえないほどのスピードだったが、もはや数メートルも離れていない。この距離で乱射すれば、絶対にはずれることはない。

 オートマティックピストルの弾数は全部で16発。いままでで数発は撃ったが、あと十発程度は残っているだろう。

 この距離で十発。

 絶対にはずさない。おそろしく整った顔立ちの緋色をぶち殺すことに、わずかながらもったいなさを感じたが、しかし、そういった綺麗なものを壊して、破壊してしまうことに、かさぶたを無理やり剥ぎ取るような下卑た快感が生じた。

 

 ひ。ひ。ひ。

 死ね! おまえが悪いんだ。

 

「あ。銃はおろしてね」

 

 場違いな声だった。

 なにを言ってる? 緋色は銃口を向けられても微風を受けたようにニコリと笑っている。

 子どもだから殺さないとでも思っているのか?

 

 僕の腕が下りた。

 

 あ?

 

 僕の腕は僕のものなのに、なぜか思いどおりに動かなかった。

 

「残念。小杉さんの冒険はここで終わってしまった!」

 

 無邪気にケラケラ笑う緋色。

 なに、なにがどうなって、あ、れ。

 よくわからな。

 

「あのね。言ってなかったけど、ボクってゾンビなんだよね」

 

 は?

 何を言ってるんだ。こいつ。こんなゾンビがいるかよ。人間の言葉を話して、人間らしく振舞い。体温もあり、物を食べ、笑う。

 まるきり人間だ。

 しかし、僕の意識のなかで、その言葉の意味が急速に理解される。

 

「おまえもゾンビにしてやろうか?」

 

 ゾンビ。感染。ゾンビに。

 僕はゾンビに。いや。うそだ。いやだ。

 身体が動かない。意識がかすんでいく。いやだ。いやだああ。

 死にたくない。いやだ。死にたくない。どうして僕が。いやだ。

 ゾンビ。人間じゃなくなる。意識がなくなる。

 僕がどうして。死にたくない。死にたくない。死にたくないよおお。いやだ。助けて。助けてくれ。なんでもする。死にたくない。怖い。助けてくれ。誰か。誰か。僕がなにをした。僕は虐げられて。価値がない。助けて。いやだああ。ああ。意識が。薄れ。

 怖い。ああ。冷たい。暗くて。何も見えなくて。

 耳も聞こえなくて。暗い。水のように。体温がなくなて。

 腐って。冷たくて。暑くて。サムイ。怖くて。誰か。誰か。死にたくない。いやだ。誰も助けてくれな。痛い痛い痛い。崩れる。あ。

 

 死にたく――。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「うーん。終わった?」

 

 パソコンのインストールが終わったみたいな、そんな声色でボクは確認してみる。

 

 うーむ。ボクってゾンビの上位種なんだよね。たぶんだけど。

 そうすると、ボクの体に流れるゾンビウィルス的なものも当然、上位ウイルスということになる。

 ノーマルなゾンビウィルスは下位に位置していて、ボクは一度ゾンビウィルスに対して、命令をくだしているというような感じになるかな。リモートコントロールなわけね。通常は。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 だから何が言いたいかというと、ゾンビウィルスに比べて、ボクのウイルス――仮称、ヒイロウイルスに感染した個体については、ボクの命令がよりダイレクトで届くってことになるわけですね。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 したがいまして、何が起こるかというと――。

 

「あ……あれ? なにが起こったんだ?」

 

 と、小杉さんだったモノ。面倒くさいから小杉さんって呼ぶけれど。

 

 中身はまるきり異なる。

 

 ヒイロウイルスに感染した個体は、ボクの中ではたいしたプログラムも必要なく、生前と同様の行動をとらせることができるみたい。こうなることは予測してなかったよ。もしだめだったら、普通に死体遺棄するしかなかったからね。まあそれでもよかったけれど。

 

「先輩。なにが起こってるんです?」

 

 命ちゃんが警戒しながら近づいてきた。

 

「たいしたことないよ。ボク、ゾンビなんだ」

 

「そうなんですか。世界一かわいいゾンビですね」

 

「あの怖がったりとかは?」

 

「するわけないじゃないですか。たまたま愛した人がゾンビだっただけです」

 

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ゾンビとの恋愛

 

ゾンビとの恋愛を描いた作品といえば、『ウォーム・ボディーズ』だ。シャイなゾンビが人間に恋するという物語で、主人公は自分がゾンビだから価値が低いと思っているシャイガイである。ゾンビ主観で話が進むことから、この作品はロメロ系などのゾン襲われものとは趣が異なる。でも、主人公の初々しさとかが非常に良い作品。

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「で、これは?」

 

 命ちゃんが指差した先は、ぼんやりと宙を見つめている小杉さん。

 

「小杉さん的ななにか」

 

「ふむ……」

 

「小杉さんだった系の物体」

 

「おぉ……」

 

「あの、ふたりしてなに言ってるんですか?」と小杉さんの形をしたオブジェクト。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「つまり、いまのコレはなんの情動も心も意識もないけれども生前とまったく同一の振る舞いをしている哲学的ゾンビということになるのですね」

 

「うん。そうだよ」

 

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哲学的ゾンビ

 

生前とまったく同一の行動をおこなうが、クオリアが存在しない。言ってみれば、超高性能のロボットのようなものだが、意識や心と呼ぶもの、つまりクオリアの存在は誰にも証明できないので、そもそもクオリアがないと言われてもそれは外部からはわからない。

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「でも、小杉さんが生きていて、単純に緋色先輩が催眠術か何かで操ってるだけってことも考えられますね」

 

「うん。まあそれはそうだね。クオリアの有無なんて、神様の視点じゃないとわからないわけだし。ある意味、一番残酷な殺し方しちゃったかも……」

 

「先輩。ありがとうございます。私はたぶんあのままだったら、コレに犯されて殺されてましたから。先輩が罪悪感を抱いているのなら、私がコレ、処分しますよ」

 

 ナイフを持って、にこやかに笑う命ちゃん。

 

 ボクとしては、もう小杉さんは死んじゃってるので、いまさら肉体を破壊しても意味がない。それに初めての殺人だったわけだけど、たいしてダメージを受けているわけじゃないかな。

 

「べつにいいよ」

 

「コレについてはどういうふうな行動制限をかけることができるんです」

 

「ボクたちの情報は漏らさないし、人間は襲わないし、食事もしていいし、生存に関わらない限りでは、自分勝手に行動してくれていいって感じ。ああそうだ。なんかあとあと面倒くさそうだから、このホームセンターからは誰かからいっしょに来てくれって言われない限り、ひとりでは出ないようにしようか」

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「まあそのあたりが妥当ですね」

 

「あとは、適当に血をふいて、通常業務に戻ってくださーい」

 

「わかりました」と小杉さんは何事もなかったかのように自分の部屋に戻っていった。

 

 それから後。

 

 ボクは命ちゃんを選んだ結果について……、つまりエミちゃんを選ばなかった結果について、少なからず後悔することになる。




やっちまったなぁ。

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