静かな夜。
ボクの意識はまどろみの中に沈んでいた。
優しい月明かりに照らされて、久方ぶりにカーテンは開け放たれている。
エアコンも切って、今日は熱帯夜でもなくて、心地いい気温。
たまにはこういう日もある。
「んゆ……」
ころんと横になる。
ボクの身体は女の子になってコンパクトになったから、小さなベッドで寝返りを打ってもまったく問題ない。余裕のサイズですよ。
ふわふわの意識。
睡魔の手招き。
覚醒には程遠い意識の狭間。
ゾンビって意識がない存在だとされているけれども、実際にはどうなんだろう。こうやって、眠りについているときも意識がなくなるわけだし。
そもそも意識がない状態のほうが正常で、意識がある、つまり覚醒している状態のほうが異常なんてことも――。
むにゃ。むにゃ。
「失礼いたしまぁす……」
おかしいな。
この部屋には当然ボクしかいないはずなのに、なぜか命ちゃんの声が聞こえる気がする。そういえば昨日、配信中に部屋の外に行く代わりに、『いつか』お泊まりしたいとかいってたけど、もしかして……。
むにゃぁん。
「先輩の寝顔……かわいいです」
「むにゃ?」
「ほっぺつっついてもいいですよね」
ほっぺ?
ほっぺとはなんだろう(哲学)。
そんなこともわからないぐらい哲学だ。
ボクの意識は既に睡眠下にあって、無意識の支配下にある。
ぷにっ。
あう? なんか変な感触をほっぺに感じる。
そうか、これがほっぺぷにぷになのか。
「とても刺激的な感触です……。ああ、幸せはここにあった!」
ふにふに。
ふにふに。
なんだかくすぐったいです。
「身をよじる先輩がかわいすぎて死にそう……。でも、これで終わりではありませんよ」
????
なんだろう。今日は胸元をボタンでとめるタイプのパジャマを着て寝てたんだけど、そのボタンがひとつひとつ開かれていっているような――。
そして、ピトって胸のあたりに冷やっこい感覚。
「みなさま。聞こえますか。はぁ……生きててよかった」
『とくとく』『とっくんとっくん』『とぅんく』『ママみ』『いけないことしてる気分』『おかあさーん』『小学生ユーチューバーの鼓動を感じる』『ちょっと心臓早くね?』『子どもらしい胸の高鳴り』『全力で録音した』『ふぅ……』
「って――、なにしてんの!?」
必然的な結果として、ボクは飛び起きることになった。
胸の前をかき抱くようにして、ガード。
命ちゃんの手には見慣れぬ……いやある意味、稀によくある程度に見慣れている冷たい物体が握られていた。
風邪のときにお世話になる。
「なにその聴診器……そしてカメラ」
一瞬でその意味を理解した。
ボクの超聴覚がカメラのハムノイズを捉える。
カメラは無情にも回っていて、ブルートゥースか何かの原理でパソコンにつながっているのだろう。
バーチャルなままだけど。
バーチャルなボクだけど。
でも、今回の恥ずかしさはその比じゃない。
ボクの胸にさっきまで聴診器が当てられていて、それをこうなにかよくわからない機械につないで全力配信しちゃってる!
全国の皆様にボクの胸の音が聞かれちゃってる!
「視聴者さんはえてしてサプライズを求めているし、配信者の素顔っていうのを求めているものなんですよ」
「なんで、は、配信しちゃってるの?」
「今は昔。寝起きを襲う不埒な番組があったとか」
「そんな番組もあった気がするけど、ボクの寝起き動画とかなんで撮られちゃってるわけ?」
「絶賛配信中です」
「やめてよ。み……後輩ちゃん」
とっさに自分の口を手で覆って、名前を出すのは避けたけど、それで配信がとまるわけじゃない。
机の上を見てみると、みんなのコメントが流れていた。
『後輩ちゃんナイス』『すやすやヒロちゃん』『かわいさの周波数』『録音しました』『拡散希望』『配布希望』『みんなの安眠を守るとか言ってたけどこのことじゃったか』『お兄ちゃんと一緒に寝ようね』『おう、お兄ちゃんオレといっしょに寝ようや』『アッー』
「やめ、やめろー!」
「ひとりでゾンビだらけの世界をお散歩した罰です」
『まじで?』『この幼女強すぎひん?』『ゾンビだらけの世界をひとり散歩する幼女がいるらしい』『ぅゎょぅι゛ょっょぃ』
「ち。違うよ。ボクそんな無謀な子じゃないし」
『謎のエイム力でゾンビを撃ち殺していった可能性』『幼女を襲うゾンビがいるわけねーだろ』『でも、ヒーローちゃんなら襲ってみたいかも?』『←ボコォッ』
「後輩ちゃん。お昼はいいけど夜は入ってこないでって言ったでしょ」
「先輩はお泊りしていいっていいました」
「言ったけど……。違うだろぉ!」
「いつと言ってない以上、今日でもいいはずです」
『後輩ちゃんのヤンデレ度数が高い』『後輩ちゃんってヒーローちゃんより小さいの?』『声の感じからすると、おねロリにしか聞こえない』『後輩ちゃんもかなり若い声に聞こえる』『どうせ、みんなおっさんだぞ』『この声でおっさんだったら逆にすごいわ』
「ともかく! 勝手に寝姿撮らないで!」
「むぅ……わがままですね。先輩は」
「どっちがだよ!」
むしろどこかわがままな要素あった?
ボクわがままだった?
そういえば、ちょっと前に、ボクってわがままだって言われたことあるけど、それって正しい評価だったのか。
『急にテンションさがるヒロちゃん』『引きこもり特有のムーブ』『クソ雑魚メンタル』『豆腐よりやわらかなメンタル』『ぽんぽん痛くなってきた?』
「痛くないよ! っていうか、みんなこんなサプライズじゃなくて、ボクのすごく計算された天才的動画を見てよ!」
『やはりイキるか』『引きこもり特有のイキりムーブ』『ぽんぽん痛い?』『生理きてる?』『おいやめろ』
「生理はまだです……」
『ktkr』『ハァハァ……』『幼女はここにいたんだ!』『すぅうううううううううう』『すぅぅぅぅぅうぅぅぅぅぅぅ』『オレサマヨウジョマルカジリ』
「セクハラ! セクハラだかんね!」
「先輩が顔真っ赤にしてる様が配信できて、私はとても満足です」
「やめてね!」
深夜のテンションでおかしくなってしまったけれど。
とりあえず、配信は適当なところで切り上げた。
みんな満足してくれたようでなにより……。じゃないよ!
さすがにボクは怒りました。
必ず、かの邪智暴虐の後輩ちゃんを除かなければならぬと決意しました。
「命ちゃん。あのね。世界がこんなになってしまってもやっていいことと悪いことがあると思うんだ」
「確かに一理ありますね」
「一理どころか百理はあるよ!」
「でもですね。先輩。よく考えてください」
命ちゃんはベッドに正座しながら、ツイと視線をあげて言う。
「最近、マナさんばっかりに髪をいじらせて、私とのスキンシップが減ってる気がしませんか?」
「いや、べつに?」
「わたしも先輩で遊びたいです!」
「接続詞まちがってるよね。ねえ!?」
「先輩が――他人のクオリアを感じたいって言うから」
突然真面目な調子になる命ちゃん。
「え?」
「私が無茶をやれば、少しは感じてくれるかなって思ったんです」
「確かに全国の視聴者様にボクの心音を聴かれるとは思わなかったよ。びっくりサプライズだよ。びっくりするほどユートピアだよ」
「少しはクオリア、感じ取れましたか?」
「みことちゃーん!」
ボクは命ちゃんのほっぺを両手で引っ張った。
「いふぁいれふ」
「あのね。ちょっとは反省しようね?」
「ふぁふぁりまふぃた」
「よろしい」
ボクは命ちゃんのほっぺたから手を離した。
「まったく……、ボクといっしょに寝たいなんて、命ちゃんはちっちゃい頃から全然変わってないね」
「先輩一筋ですからね」
「むう……」
そういわれるとむずがゆい。
感じていた怒りも霧散していく。
なんといってもずっと昔からの幼馴染だ。
命ちゃんが時々無茶をするのは、ボクのためを思ってだと知っている。
ボクが絶対に望まないであろう寝姿配信をあえてすることで、きっと、蛍の光みたいに、淡く自分がここにいるって主張したかったんだろう。
愛しい光――ではある。
ボクに抱きついてきて、生心音のほうがいいとか言ってこなければ。
「先輩とまたいっしょに寝たいです」
「変なことしなければいいよ」
「やった!」と小さくガッツポーズ。
ボクって命ちゃんに甘すぎなのではないだろうか。
ひとりっこだと、幼馴染に甘くなる傾向――。あると思います。
☆=
お昼になった。
あれから例によってマナさんたちと買い物に出かけ、テレビといくつかのゲームハードを手に入れてきました。テレビはでっかいサイズでもいいといわれたけど、ボクの部屋にマッチしているのはひとり用だ。
十七インチサイズの普通のテレビを部屋の隅っこに設置。ついでにテレビ台も設置。
いままでパソコンゲーばっかりやってきたから、正直なところ据え置きゲームのプレイヤーとしての力は初心者そのものだと思う。さすがにゲーム人生そのものは長いから、まるっきり触ったことのない人よりかはマシだと思うけどね。
でも、べつにプロゲーマーってわけじゃないんだ。
いわゆる初見プレイっていうのもおもしろいんじゃないかな。
特にバーチャルだと、ボクという虚構であって虚構でないようなそんな曖昧な存在を知ってもらうためにいいと思う。
初見だと素がでるからね。
鼓動音は素をさらしすぎてる気がするけど、それはともかくとして。
「どきんっ! 今朝のことはみんな全力で忘れてゲームをしようね」
『命の脈動感じました』『ヒロちゃん鼓動音.mp3』『ヒロちゃん寝姿.mp4』『スクショ撮影しました!』『掲示板にお晒ししました』『地味にバイノーラル録音で捗りました』
「ううっ」
アーカイブ残してなかったのに。
『泣いちゃった?』『消したほうがいい?』『ヒーローちゃんがいやならアップしてるの消すよ?』『おまえら小学生泣かせるとか最低だな。DLしたけど』『運営の管理能力下がってるんだからおまえらやめてさしあげろ』
「みんなやさしいな」
そう思うと、心が晴れる気がする。
「えっと、は、恥ずかしいけど……だいぶん、恥ずかしいんだけど、みんながボクのいろんな姿みたいっていうのなら、それでいいよ」
『見たい!』『えちえちな姿を見せてください!』『天使顔』『お可愛いこと』『お可愛いがすぎますぞ』『どうせおっさんだぞ』
んん。
くすぐったい。
こうなんというか、全力で肯定されている感がすごくて、自分がお姫様にでもなったような気分だ。あれ? それでよかったんだっけ。
「ま、まあ、いいや。えっと、今日するゲームはこれ使ってやるよ。これ」
取り出したるは体重計のようなそれ。
世界で一番売れている体重計とも呼ばれるれっきとしたゲームのコントローラーだ。
カメラは全体を俯瞰するようにして、ボクはコントロールが精密にできるようにするため靴下を脱いだ。
『オレが乗ったら壊れたやつだ』『ご家族様用ゲーだぞ』『おひとり様ご案内します』『やめろその言葉はオレに効く……』『なにするの?』『ヒロちゃんのおみ足』『足ぺろぺろ』『靴下脱ぐモーションも完備とか、まちがいなくこのモデル作ったやつは天才』『ただの足フェチだろ』
「えっとね……今からするゲームは【おまえにフィット】だよ」
『直訳定期』『フィットをフィットできなかった不具合』『あー、これかー』『はじめての非ゾンビゲーじゃね?』『おまえゾンビ以外もできたんか……』『いつもと違う系統だね』
「えっと、このゲームはね。後輩ちゃんに薦められたんだ。みんなもゾンビだらけの世界で、健康管理難しいでしょ。身体を動かせるならお部屋の中でも動かしたほうがいいよ」
『あっ(察し)』『後輩ちゃん@策士』『身体を動かしたらゾンビに気づかれたぞ』『ゾンビに気づかれてゾンビに襲われたぞ』『ゾンビに噛まれたらすげー痛かったぞ』『ゾンビ兄貴は成仏してね』『そういやこの子の部屋ってどうなってるんだ?』『どっかのスタジオなんじゃね?』
「ふつーにゾンビに気づかれそうだったらやめようね」
命ちゃんが策士っていうのはよくわかんないけど、なんか変なゲームだったりしないよね。例えばエッチな仕様とか……。でもそれはないか。
ご家族様用というかパリピ用というか、そんなイメージがあるこのゲームハードでは、R18なゲームは発売されていないはず。
「じゃあ、はじめるね」
――ハジメマシテ。ワタクシ、ハイパーウェーイボードといいマス――
――ハイパーボッとでもお呼びクダサイ。――
ふにふに動く体重計ちゃんがかわいい。
字幕の台詞もファンシーだし、これからがんばっていくぞって気分になるね。
「よろしくねー」
軽い気持ちで答える。
【YES】【はい】
の選択肢がでてたので、とりあえず【YES】を選択した。
すると、いきなり体重計ちゃんは体型はそのままに、足と腕だけがムキムキの状態になった。
なにこれ。ぜんぜんかわいくないんだけど。
いやほんと。なにこれ……。
幼女にトラウマ絶対植えつけるマンかよ。
ムキムキ体重計は言った。
――これから毎日、オマエの健康を管理スル!――
――話し掛けられた時以外口を開くな――
――口でクソたれる前と後に“サー”と言え――
――分かったか ウジ虫ども――
いきなり語気つえーな。
「サー。イエスサー」
とりあえず答えて先に進める。
――オマエにバランスと姿勢の関係について教えてやる――
【聞かない】【聞く】
選択肢が現われたのでボクは迷わず聞かないを選択した。
「だれが聞くかよ」
『機械には強いヒーローちゃん』『つよつよガール』『機械にしかマウントとれない系幼女』『うそだぞ。内心ドキドキしてるぞ』『ドキドキガール』『おっさんがつよガール』『オマエがおっさんだ』『かわいいければなんでもいい』
――いいか。このゲームにはゆがみを改善する訓練が入っている――
――貴様ら雌豚が おれの訓練に生き残れたら各人が兵器となる――
いや、そんな筋肉ゴリラにはなりたくないんですけど。
いまでも車のドアを無理やり破壊する程度にはゴリラだけど、謎のパワーのおかげか、見た目はプニっとしたままだ。
――では、訓練の前に身体測定をおこなう――
――へちゃむくれ顔。名前は?――
「サー。ヒーローちゃん。サー」
――英雄のヒーローか?――
「サー。イエス。サー」
なんだ。なにげにすごいなこのAI。このところAIの進化はすさまじいって聞いてたけど、ここまで会話が成り立つものなんだ。
――気品のある名前だな。王族か?――
「サー。ノー。サー」
――名前が気に食わん。おまえは白玉団子と呼ぶ。いい名だろ――
「サー。イエス。サー」
なにこれ?
白玉……団子だと。
ボクの配色的にはあってるような気がしないでもないけど。
『白玉団子ちゃん』『白玉ちゃん』『ヒーローちゃんは白玉ちゃん?』『このAIなにげにあだ名つけるの上手いからな。オレなんかほほえみデブだぜ……』『ほほえみデブ草』『白玉デブちゃんじゃなくてよかった』
――身長は?――
「えっと……142センチです。サー」
――まるで、子猫ちゃんのような小ささだな。サバ読んでるだろ――
「サー。ノー。サー」
『ちっちゃいな。マジで小学生かよ』『142センチとか小学生五年生クラスの身長』『小学生女児平均値がスッとでてくるオレくんが怖い』『どうせちっちゃなおっさんだぞ』『身長は自己申告制だからな……身長は』
――生まれた年は?――
「えっと……」
大学生のボクじゃなくて、ユーチューバーとしての架空の年齢から逆算する。
小学五年生の設定だと、確か10歳か11歳くらいだからね。今年の年数から、10とか11マイナスに引いた値を設定した。
『小学生だよね?』『オレは幼女だと信じてる』『自己申告定期』『せいねんがっぴおぼえててえらいね』『サバ読んで偉い』
――からだ測定――
――オレサマを平らなところに置いて電源ボタンを押せ――
――降りた状態で押せ。分かったか。白玉団子――
「サー。イエス……イエス」
――ゲームパッドをもって乗れ!――
「よし……」
『ごくり』『おみ足で踏まれたい』『ふみふみ』『もしかしてこれはエッッッッッ』『体重ばれない?』『ばれるぞ』『ヒロちゃんが踏んでるの普通に体重計だしな。あとはわかるな』
ん?
そうなの?
「えっと……だからどうしたの?」
『ン?』『どうした?』『無垢シチュ?』『体重バレすんぞ?』
「体重バレたらなにかあるの?」
よくわからん……。
そもそもボクの体重はさっき計ってみたけど、めっちゃ軽いねーくらいしか思わなかったし、みんなに知られてもべつに変な数値じゃないし?
『これは天使の可能性』『小学生並の体重じゃなかったらバレちゃうよ?』『ヒーローちゃんの設定が壊れる。壊れるっ』『ヒロちゃんがほほえみデブだとヤダー』『おっさんがおっさんになる日』
なんだ。
みんな、本当にボクのことを小学生並の女の子と思っていたわけじゃないのか。
ふむ……。
冷静に考えるまでもなく今のボクは小学生並の体重なのでまったく問題ないな。
あ? もしかして、命ちゃんって体重バレ羞恥を狙ってたのか。
残念だけど、ボクは普通に男の子としての精神を有しているので、自分の体重が晒されてもまったく羞恥心を感じない。
それに女の子の体重なんてよくわからなかったし、べつにこれが普通かなと思うし。
命ちゃん敗れたり!
はい。でました。
体重30キロジャスト。
『はい天使確定』『なんだただの美少女か』『オレの体重の半分もないぞ』『むしろ三分の一だぞ』『ちっちゃくてかわいい』『小学生並の体重感』『軽すぎてお兄さんがもう少し食べさせてあげたい』『ガリでもないぞ。普通だ』
むふん。
どうやらわかってもらえたようですわね?
「じゃあ、次いきまーす」
そのあとは普通にゲームを楽しみました!
体重バレ羞恥饅頭ちゃんみたいにしてもよかったけど、
TSだし、まあ多少はね。