あさおん・オブ・ザ・デッド   作:夢野ベル子

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ハザードレベル3

 結論から先に述べよう。

 ボクはゾンビに襲われなくなっていた。

 それどころかある程度操ることができるみたい。

 

 あれからボクは持ち帰ったおにぎりを食べた。30時間ぶりに食べたおにぎりは身体にしみわたるというか、とてもおいしかった。

 身体が小さくなってしまったせいで満腹度も高かったしね。

 

 それで、ふと思ったのは、これってボクが美人なお姉さんにおにぎりもってきてほしいって考えてたせいかなって――。

 だとすれば、話は早くて、今度はサンドイッチでもお願いすればいい。

 すぐに試してみた。

 両の手を軽く握って、ベッドの上でぺたんこ座りして、うんうん唸る。

 

(サンドイッチ……サンドイッチもってきてお姉さん)

 

 さっきの綺麗なゾンビさんが再来することをひたすら祈った。

 すると、約三十分後くらいあと、また呼び鈴が鳴った。

 

「ひゃん」

 

 二回目だけど、ちょっとだけびっくりしちゃった。

 でも今度はさっきみたいなドキドキはもうない。なぜだかわからないけれども、ボクには『そうだろうな』という確信めいたものがある。

 

 ボクはゾンビを操れる。

 だから、軽い足音を響かせてすぐに玄関に向かった。

 怖かったから、チェーンはまだかけっぱなしだったけど。

 覗き穴から覗いてみると、さっきの美人ゾンビさんだ。扇情的な姿をしているけれども、そこには意志の輝きみたいなものがない。でっかくて動くフィギュアみたいなものだから、よくよく見てみるとかわいらしくも感じる。

 そう感じるのは、少しずつ不安が払拭されているせいかもしれない。

 名前も知らない美人なお姉さんだけど、それは『人間』じゃなくて、だから相手のことを考えなくて好き勝手していいんだという気持ち。

 共感性に欠けた傲慢な考え方だけど――、いまはそういう気持ちが勝った。

 

「お姉さん。サンドイッチ持ってきてくれた?」

 

 ボクはチェーンはかけたまま、ドアを少し開けて聞いてみた。

 お姉さんゾンビはボクの声が確実に聞こえているはずだけど、特に暴れたりする様子はない。きょとんとした不思議そうな反応をしている。

 

「サンドイッチあるならちょうだい?」

 

 ボクはかわいらしくおねだりしてみた。

 

 少し怖かったけれども、部屋のこっち側に受け皿となる手をさしだし受け取る体勢を作る。すると、お姉さんゾンビは開いた隙間から青白い手を差し入れてきた。

 

 ちょっとドキドキするけど、その手のひらにはやっぱり予想どおりサンドイッチが握られていて、ボクは配達人から受け取るみたいにサンドイッチをゲットした。

 

「ありがとう」

 

 まったくもって素敵。

 ボクはどうやらこの終末世界においてチート能力を持っているらしい。

 チートとはもともとゲーム用語で、ズルとかそういう意味みたいだけど、ゾンビが溢れた世界でゾンビを意のままに操れるなんて、チート以外のなにものでもない。

 

 よく小説やアニメの異世界転生ものとかでチート能力とかは必須になってくるんだけど、チートって基本的には『何かを獲得する』という能力よりは『何かを回避する』という守勢の能力だと思うんだよね。

 

 例えば、主人公が立身出世していくとかいう物語だったら、チートは獲得する方向に働くんだけど、最近の異世界転生ものは復讐譚とかそういうのじゃない限りは、わずらわしいストレスをなくすために働いているように思うのです。

 

 つまり、何が言いたいかというと。

 ボクはこれから思いっきりノーストレスでスローライフなゾンビ世界を生き抜くんだということ。

 

 大学の講義もないし、面倒くさい人間関係を構築していかなくていいし、もっと言えば、将来仕事をするために必要な社交性なんかも必要ない。

 

 ただ、だらだら過ごしていてもなんとかなりそう。

 

 そのことにボクは圧倒的な安心と幸福感を得たのだった。

 

 で、今に至る。

 

 ボクはそれから後もいろいろとお姉さんゾンビで実験することにした。ゾンビを操れるという感覚は、少しずつボクの中ではっきりとしたものになりつつある。

 

 いままで尻尾がなかったのに突然尻尾が生えたみたいな。

 いままで羽がなかったのに突然羽が生えたみたいな。

 そんな奇妙な感覚だったけれども、ボクとお姉さんゾンビには、太くて見えないパイプのようなものができていて、ボクは思考で操ってるというわけではなくて、より正確を期すならば、ゾンビをゾンビたらしめているソフトウェアを書き換えているような、そんな感覚だ。

 

 まあ、考えればそのように動いてくれるんだけど、ずっとそういうふうな思考をしつづけなければならないというわけではないみたい。

 

 例えば、ゾンビお姉さんに右手をあげてほしいと思ったとして、ずっと右手をあげてというイメージを持っていなくてはいけないわけではなく、『右手をあげて』という命令を走らせておけば、変更がない限りはそのような動きをするという感じ。

 

 うーん。ボクにはなにがどうしてなのかはさっぱりだけど――。

 パソコンのプログラマーみたいな感じなのかな。

 命ちゃんがそういうの詳しかったから、教えてもらえれば何ができるかはっきりするだろうけど。

 

 他にも何ができて何ができないかは、できるだけはっきりさせとかないといけない。あたりまえだが「空を飛んで」とかは無理みたいだし、複雑な命令もこなせるのかも検証しなければならない。

 

 とりあえずまだ怖いので、お姉さんゾンビには廊下の端、階段のそばあたりまで下がってもらった。

 

 彼我の距離は五メートルほど。

 ボクは外にいる。

 心臓がドキドキしてきた。

 あたりは夕暮れから夜に移り変わろうとしている黄昏時。

 いつもと異なるのは周りの家が電気を消しているところも多いということだ。いつもより薄暗いはずだけど、ボクにはなぜだかひとつひとつの家の輪郭がしっかりと見えた。

 どうやら夜目が利いているらしい。どうしてなのかはわからないけれども、暗視スコープをつけたみたいにくっきりはっきり見える。

 男だったときとの見え方の違いにわずかな混乱が生じたけれど、ゾンビが操れることに比べたらたいしたことないと思った。

 意識を再びゾンビお姉さんに移す。

 

 ボクがその場にとどまっているように命じたので、お姉さんは微動だにしない。

 いや、ちょっとは動いているけどね。

 ボクは一歩近づく。

 急に襲われやしないか正直ビクビクしていたけれど、お姉さんゾンビにはそんな様子はない。あー、とかうーとか小さくうなるだけで、お行儀良くその場にとどまっている。

 また一歩近づく。

 

「お姉さん。ボクを襲わないでね」

 

 お姉さんゾンビは喋ることができない。『わかりました』と言ってみるよう念じてみたけれど、うーうー唸るばかりでうまく話せないみたい。何かを話そうとはしているみたいだけど。

 

 これはボクの能力が未熟なせいなのか、ゾンビ側にその能力がないせいなのかはわからない。

 

 そしていよいよ手を伸ばせば届く距離まできた。

 ここまできても襲われないというのなら大丈夫かな。

 よし……。

 

 じゃあ――、しようか。

 

 何をって?

 いかがわしいことじゃないよ。

 人差し指を伸ばして――伸ばして。

 

 ETごっこ。うーんネタが古すぎた。

 

 まあともかく、接触しても特に大丈夫そう。

 お姉さんゾンビの右手に接触。

 は、初めて女の人と手をつないじゃった。ゾンビだけど。ゾンビだけど!

 お姉さんの指先はマネキンみたいにひんやりしてたけれど、ボクが指先にグッと力を入れると、わずかに弾力がかえってくる。

 当たり前だけど、人間の肌の感覚だ。

 代謝がほとんどないけれど、死後硬直をしているようには思えない。

 ゾンビお姉さんの瞳はレジンのような人形めいた光を放っていたけれど、意志や意思の存在はわかりようもなかった。

 

 次にボクはその場から動かず『適当なゾンビ』がこちらに来ることを願った。

 いまはまだ曖昧な感覚だけど、なんとなく周りにゾンビが数体いる気配がわかる。そいつらがボクのところに近づいてきているのもわかった。

 

「うん。今」

 

 ボクの言葉とほぼ同時に『適当なゾンビ』さんが現われた。仕事帰りのサラリーマンなのか。ネクタイもしていない少しだらしない格好のスーツ姿だった。

 こちらに来るように命じたものの、ボクはそれ以降の命令はしていない。

 命令が終わったらどうなるのか知りたかったからだ。

 

 通常は――、たぶん人間を探しているとか、生前の行動をなぞることが多いのがお約束なんだけど。

 

 ちなみに万が一に襲われるということも考えられたけど、感覚的にはそれは絶対にないと感じていた。

 

「ボクは認識したゾンビを支配できるのかも?」

 

 ゾンビマスター的な?

 それにしてもどういうふうな原理でボクのお願いというか命令というか、そういう意思が伝わってるんだろう。

 ボクの脳みそから電磁波でも出てるのかな。

 

 美人お姉さんゾンビとサラリーマンゾンビの二体が周りにいても、そしてサラリーマンゾンビには特に命令を下していなくても、ボクが襲われることはなかった。

 

 その場にとどまるように命じているお姉さんゾンビのほうは特に動きはないけれど、サラリーマンゾンビのほうはフラフラとしていたかと思うと、ボクの隣をすり抜けて、隣の部屋の前を行ったり来たりしていた。

 

「あー、うん。そういうこと」

 

 たぶん、隣の家には人間がいるのかな。サラリーマンゾンビはやがて何かに気づいたのか、激しくドアを叩き始めた。

 うなり声も激しくなり、力強く殴りつけるようにドアを叩いている。

 すると、周りからゾンビが少しずつ集まってくる感覚がした。

 家の中からは焦ったような、そんな息遣いが聞こえてくる。

 すごくはっきりと――。

 そして、それに反応するみたいに、サラリーマンゾンビは興奮しまくってる。

 あの、これってヤバイ感じかも。

 顔も知らないお隣さんだけど、さすがに最初の一体はボクが呼んだようなものだし、ボクのせいで誰かが死ぬのは寝覚めが悪い。

 

「えっと。やめてね?」

 

 ボクははっきりと声に出して伝えた。

 ゾンビにはそもそも最初から人間を襲うようにインプットされている。そのコードとボクの命令のどちらが優先するかはわからなかった。

 

 だめだったらしょうがないかな――。

 なんていう投げやりな心境だったけれど、どうやらお隣さんは運がよかったらしい。ボクの命令が優先し、サラリーマンゾンビはドアを叩くのをやめた。

 

 他のゾンビも散るように命じたら、気配が遠ざかるのを感じた。

 

「大丈夫みたいだね。えっと、じゃあ、お姉さんは適当なところで待っててね。また呼ぶかもしれないし。サラリーマンさんはもう帰っていいよ」

 

 そんなわけで、ひとまず実験終了ということにした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 明くる朝。

 ボクはいつもどおりに、右手を天頂に伸ばすようにして伸びをし、「ふわあああああ」とだらしないあくびをしてから、しばらくぼーっとしている。あいかわらず、カーテンは閉めっぱなしで暗い部屋。

 エアコンは弱設定でかけっぱなし。まだ電気はついてるみたい。

 

 洗面所でひとまず顔を洗い、歯磨きをする。

 うん。すっきり。

 

「あー、それにしても、髪の毛がスーパーサイヤ人みたいになってるな」

 

 これ、どうやって整えればいいんだろう。

 ロングヘアはお手入れが大変だと、風の噂で聞いていたけれど本当だったんだね。

 でも、ロングヘアって女の子ならではの髪型な感じもするし、切ってしまうのはちょっともったいないな。

 

 そもそも、ボクって――髪の毛切ったりしたら生えてこないかもしれないし。

 そう、さすがのボクもね、考えたわけですよ。

 

――もしかしてゾンビなのかな

 

 って。

 

 誰がって、言うまでもないけどボクがです。

 もしかしたらゾンビの上位種とかそういう存在なのかもしれないけど、ゾンビの延長上にいるのはまちがいないと思う。

 つまり、ボクがゾンビに襲われないのは、ゾンビのお仲間だからかもしれない。

 ゾンビって基本的には死んでるし、腐っていくといわれてるから、ボクもそのうち腐っちゃうのかななんて、かすかに不安に思ったんだ。

 でも、ゾンビと違う点も結構多いんだよな。

 

 まず、ボクは呼吸している。成分分析しているわけじゃないからわからないけど、普通に酸素吸って、二酸化炭素を排出しているように思う。

 

 次に、体温がある。体温計で測ってみたけど、平熱より少し低いかなということで、人間の範疇だった。

 

==================================

ゾンビの体温は低い

 

ゾン美少女な作品『さんかれあ』では、体温がなかったり、『がっこうぐらし』ではゾンビウィルスに罹患した少女の体温が低くなったりする。体温が低いということは代謝がゼロに近づくということであり、腐りにくくなるということを意味している。ちなみに人間が死亡した場合、冬場であっても二週間程度で腐って溶ける。ゾンビと人間の戦いは篭城戦に至ることが多いので、ゾンビ側に長持ちしてもらわなければ困るのである。

 

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 心臓も鼓動があるし、瞳孔散大もしていない。

 

 そして、かわいい。

 圧倒的にかわいい。大正義な状態。

 

 うーん、ゾン美少女という線も儚げで悪くはないと思うけど、どちらかというと生きている要素が強いかな。

 

 あ、もうひとつ忘れてた。

 はい。あれです。おトイレ事情です。男から女になったことで根本的にあるものがなくなったので、勝手が違ったけれど、少なくとも人間的な行為は必要なようだった。ゾン美少女な作品だと、排泄しないというものもあったと思う。

 

 けど、昭和のアイドルじゃないんだから、食べたら出さないと身体に悪いよね。美少女でもそれはもう当たり前だと思うんです。

 

 逆に人間っぽくなくなったのはどんなことかな。

 まず、力――単純な筋力だけど、これは少しずつ強くなってる気がする。明らかに筋肉量が足りてないはずなのに、スチールの缶がアルミ缶みたいにグチャっとつぶれてしまった。

 もしかしたら脳のリミッターみたいなのがはずれてるせいかもしれない。いわゆる火事場の馬鹿力的なやつだ。

 

 だとしたら、あまり無理はしないほうがいいのかな。

 でも、どう見ても小学生女児が出せるパワーじゃないように思うんだよね。明らかに人間やめてるってほどでもないから、まだなんともいえないんだけど。

 

 それと、他には夜目が利くようになったこと。昨日の段階で、気づいていたから、ためしに夜中に電気もつけずにいたけど、完全にまっくらな中でも、くっきりと物が見えた。

 

 うーん。これだけだとボクっていったいなんなんだろうと思う。

 まあいいか。

 いろいろ変わったところも多いけれど、ボクはボクだ。

 

 適当にパソコンの置かれた机に座り、適当にネットしながら、それからボクはお姉さんゾンビをデリバリーした。

 

 何十分か待っていると、お姉さんが来た気配がしたので、ボクは玄関に行って鍵を開けた。

 

「ど、どうぞー」

 

 は、初めて知らない女の人をお家の中に入れちゃった。

 

 あ、ちなみに後輩の命ちゃんはノーカンです。なんかこう妹感があってね。ボクには実妹はいなかったけれど、たいしてドキドキもしないのですよ。そんなことを伝えたら、命ちゃんはなぜかガッカリした表情になっていたけど。遅れてきた思春期かな。

 

 お姉さんゾンビはあいかわらず美人だ。風塵にさらされているので、いずれは腐っちゃうかもしれないし、もしかすると肌にダメージとか蓄積しているかもしれないけれど、ざっと見る限りはやっぱり綺麗なお人形さんという印象しかない。

 

 そ、そのうちお風呂とかに入れちゃったりして。

 

 そんないかがわしいことを考えつつ、ボクはパソコンのところの椅子に座る。

 

 ゾンビお姉さんは洗面台のところからブラシを抜き取ってそれからボクの髪をとかし始めた。当然ながらボクがお願いした結果だ。

 

 モシャモシャした髪をどうにかしたかったのもあるし、ある程度曖昧な命じ方でも大丈夫なのか知りたかったからだ。

 

(お姉さんの知ってるやり方でお願いします)

 

 こんな感じ。

 髪の毛を丁寧にとかされていると、すごく気持ちいい。お姉さんの手さばきには一切の淀みがなく、やっぱり脳みそに蓄えてる知識をもとに行動しているみたい。ゾンビウィルス的な何かはその知識を参照して、いまの行動に結びついているのかも。

 お姉さんの右手がボクの髪の一房を手にとり、軽い感覚でブラシが通り抜けていく。モサモサしているけど、ボクの髪質は悪くなく、ブラシが途中で引っかかったりはしない。

 

 髪の毛がとかされる時にわずかに感じる、シュッシュという鋭い音。

 髪の毛ごしに伝わる微細な感触。

 それらが混合して、男だったときには感じたことのないムズムズとした感覚が生じた。おなかの奥とかが熱くなってくるような変な気分。

 

 よく漫画とかで、頭をなでられただけで惚れてしまう女の子キャラとかいたけど、それって科学的にも正しいのかもしれない。

 

 あー、気持ちいい……。

 ふわふわしちゃう。

 そうして、意識を飛ばして、気づいたときには――、

 

 ボクはリボンを頭の両サイドにつけていた。紅いバラのように広がるリボンが、プラチナブロンドにわずかな彩りを添えている。

 どこから持ってきたんだろう。

 ていうか、お姉さんの趣味なのかな?

 ツインテール……。




ここまで読んでくださりありがとうございました。
続きは土曜とかかも……。

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