あさおん・オブ・ザ・デッド   作:夢野ベル子

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ハザードレベル44

 思えばボクは周囲から浮いている子どもだった。

 実際に、今のボクも浮いている。物理的にね。

 

 場所はなんでもない路地。人の気配はないゾンビがたくさんたむろしている道をボクは進んでいる。プカプカと浮かびながら進んでいる。足をパタパタ動かしちゃう。でも、手や足をつかって浮いているわけではないし、進んでいるわけではない。空を飛んでいるとも言いがたい状態。つまるところただのモーションだ。

 

 数十センチ地面の上をただよい、空中遊泳している。

 

 理論は正直なところわからない。命ちゃんに話してもよくわからなかった。

 

 でも感覚的なところはわかる。

 

 念動力の類ではなく、もっと具体的な『ボク』自身による重力の操作。

 

 石にも岩にも世界のすべてにボクを浸透させ、ボクで汚染し、ボクによって干渉する。ボクの干渉を受けているのは全生物だけでなく、全無機物も含まれる。

 

 あの彗星の降り注いだ日から、もう少しで三週間ほど経過する。

 

 その間に、周囲のハザードレベルは上がり、ボクのこの星に対する汚染も広がり続けている。

 

 ホームグラウンド化。

 

 星の植民地化が進んでいる。

 

 いくつかの石もふわふわと周りに浮いていた。

 

 くるくると回転するようにボクの周りを囲っている。

 

 別に意味なんかなく、シールドでもなんでもないけれど、練習にはなるよねって話。

 

 意思の力で、モノを動かす経験なんていままでなかったから、ボクには慣れないものだった。なんというか不可視の触手が動いている感覚なんだけど、実際に触手を動かしているというよりは、コントローラーを使って複雑なコマンドを動かしているような感覚なんだよね。

 

 ボク自身を浮かしているのも、ボクの中にあるボクを操作しているようで、肉体を直接動かすのとはちょっと違うボタンを押してるみたい。

 

 けれど、この感覚は間違いなく楽しい。

 

 空気を踏み台にしてジャンプしてみたり、すべるように滑空したり――。

 

 空を浮かぶ感覚は慣れないけれど、本当に楽しい。

 

 でも、あまり高く飛びすぎると怖いので、まだ練習中なのです。

 

 飛翔と呼べるにはほど遠いかな。

 

「そんなわけなんだけど」

 

 振り向くと、恭治くんがムスっとした顔をしていた。

 

 手にはショットガンを握り、ボクを見返してきている。銃口は地面に向けている。

 今は空気に浮かんでいる風船みたいな状態だから、恭治くんと目線の高さは同じぐらいだ。

 

 あれから恭治くんは当然のことながらゾンビ状態から復帰した。

 いまでは人間のようにモノを考え、意思を持ち、それから生きている。

 

 問題となるのは――確執。

 

 ボクとしては過去のことは水に流してほしいんだけど、恵美ちゃんを殺したこともある姫野さんのことがどうしても許せないらしく、いっしょのアパートに住むのは嫌だと言ってきたわけです。

 

 恵美ちゃんの家に帰るというのが恭治くんの主張だった。

 

 それはわからなくもないけれど、ボクとしてはできればみんな仲良くしてほしいわけです。同じヒイロゾンビ仲間なのだし。

 

 あえて言えば彼らは『ボク』に近い。

 ボクに一番汚染されているヒトたちだから。

 

「緋色ちゃん。恵美を助けてくれたことや、オレを助けてくれたことは本当にありがたく思ってる。でもそれとこれとは話は別だ。あいつは恵美を傷つけた。そんなやつといっしょにはいられない」

 

「恭治くんの言いたいこともわかるんだけど、事実上、今の恭治くんたちは人間でもないし、いわばヒイロゾンビみたいな感じなんだよね。ゾンビにも襲われないし、パワーも人間より上だし、最終的にヒイロウイルスに馴染んでしまえば、ゾンビ並の耐久力にもなる」

 

 つまり――化け物。

 

 端的にいえばそういうことだ。

 

 そして、ボクたちは一人残らずそういう存在になってしまっている。

 

「もしも、恵美ちゃんと恭治くんがお家に帰ったとして、人間たちに襲われたときに対処できるかという問題はあるよね?」

 

「ゾンビになってるかなんて見た目からはわからないだろ。襲ってくるやつらはどこにでもいるかもしれない。人間やゾンビに関わらず邪魔だといって銃を撃ってくることだってあるかもしれない。ただ、姫野は――あいつには前科がある。だから、今知ってるなかではあいつが一番危険だ」

 

「うん。まあ……それもわかる。姫野さんのやったことはボクとしてもまちがってると思うよ。ただ、それも怖かったからだと思うんだよね。自分がゾンビになってしまうかもしれない。モノ言わぬ、思考のない存在になってしまうことの怖さがあったんじゃないかな」

 

 恭治くんには直接的には言わないけれど、あのときの状況は、ある種の正当防衛的側面があることも否定できないと思う。

 

 だから許せとまではいわないけれど――。

 

「緋色ちゃんは最初からゾンビにならないわけだし――、ゾンビよりも上位の存在なんだろ。オレたち『人間』のことは本当にはわからないよ」

 

 恭治くんの目はボクを浮いているものとして捉えていた。

 もっと言えば、異物を見る目。

 いまの自分がゾンビになっているという認識はあるのだろうけれども、まだ自意識を取り戻したばかりだし、そう思うのも無理はないかもしれない。

 

「ボクとしても、ボクの特性が完全にわかってるわけではないから怖いんだ」

 

「どういうことだ?」

 

「例えば、ボクの周りにいる子たちは、今のところ不調はないみたいだけど、ボクの傍にいないとどんな不調が現われるかわからないし、恵美ちゃんにいたっては血を与えたのはボクではなくてマナさんだし、今後も定期的に血が必要ってなったときに困らないかな」

 

 もちろん、とボクはつけくわえる。

 

「恭治くんと恵美ちゃんのお家は知ってるから、時々は定期的に会いにいくつもりだけどさ。例えばの話。ヒイロウイルスがあるとき消滅してしまって、君たちがただの死体になってしまうなんてことも考えられる。一分一秒を争うような事態も生じるかもしれない」

 

 おそらくその可能性は低いとは思う。

 ヒイロウイルスはゾンビウイルスと同じく増殖する。

 ボクの感染領域は世界中を覆いつつある。

 自然に消滅するなんてことはありえない。

 でも、半ば嘘かもしれないけれど、恭治くんと恵美ちゃんにはボクのアパートにいてほしかった。

 

 なぜといったら難しいんだけど。

 ボクとしてはやり直したかったからだ。あのホームセンターでの悲劇を繰り返したくないというか。

 

 浅ましいことを言えば、ボクが原因で起こったことではないにしろ、ゾンビがいるという状況がゆえに生じたことは間違いないから、今度は間違えたくなかった。

 

 つまりは――贖罪。

 

 ボクは恭治くんや恵美ちゃんを護りたいわけです。

 

 ボクは浮いた状態から地面に降りたつ。

 

「どうかな。恭治くん。損はさせないつもりだし、姫野さんにはもう二度と同じようなことはさせないから」

 

 姫野さんの恐怖は、ヒイロゾンビになったことでかなりのところは抑制されていると思う。なにしろ、ボクの場合だけど、精神の安定力があるからね。完璧に調律されてる。みんなの無意識も若干影響を受けているはずだ。

 

「言いたいことはわかったけど……感情的に納得するのは難しいかな」

 

「うん。いまはそれでいいよ」

 

 だいたい今日び、同じアパートに住んでるからってだけで、ご近所づきあいがあるとも限らないしね。姫野さんと恭治くんがギクシャクしててもそこはしょうがないというか、ボクとしても残念に思うけれども強制はしないよ。

 

 ただもう一度チャンスがほしいんだ。

 

 今後いっしょに生きていくというチャンスをね。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「食人の性質はないよな?」

 

 恭治くんの言葉にボクは面食らう。

 

 うーん。ゾンビだと確かに人間ってエサみたいな感じだけどさ。

 

 どちらかというとボクという存在が広がっていくことに対する快感みたいなのはあるかもしれない。配信とかでファンが増えるとかの感覚と同じでさ。

 

 ただ直接的に同化したいという感覚は薄れてきてるかな。

 

「ボク、あんまり人間とか食べたくないよ。おいしそうじゃないし。恭治くんだって誰かを食べたいと思う?」

 

「いや、ないな。ていうか、緋色ちゃんってもっと幼い感じがしたけど、素だと結構精神年齢高そうだな」

 

「ボクって大学生だよ。恭治くんと年そんなに変わらない」

 

「マジか」

 

 驚いてる。フフ。最近のボクは幼女扱いされたり、幼女っぽいムーブしてたり、果てはガバガバ行動規範みたいに言われたりしたけれど、いろいろと考えてる結果なんだからね。

 

 なんというか、ゾンビだからか女の子になったからかはわからないけれど、精神の構造が多層的になってる気がするんだよね。マルチタスク思考というか、そりゃそうだよね。ゾンビという無数のセンサーが周りに広がっていて、ボクはそれらのセンサーに対して、無意識にしろ指令を出しているわけだから。

 

 ボク自身としては、男は単線タイプな思考経路をしていて、集中特化には長けてる面があると思う。言ってみれば貫く力が強いというか。

 

 逆に女の子はあらゆる感覚が敏感なんです。

 

「それにしては恵美と仲よいよな」

 

「そ、そりゃ女の子どうしだし」

 

「なるほどな……」

 

 うーむ。元男ということは黙っておこうかな。

 

 恵美ちゃんがゾンビだったときに上半身裸にしたり、着替えさせたり、トイレ介助したりと、いろいろやっちゃってるからな。

 

 恵美ちゃんは自分の身体すら動かせない状態だったからしょうがないとはいえ、ボクとしては罪悪感もあるわけで。

 

 これからはご兄妹仲良く暮らしていっていただければ幸いです。

 

「緋色ちゃんのスタンスはどうなってるんだ?」

 

「スタンスって?」

 

「人間に対するスタンスだ。恵美に聞いたんだが最近配信もしてるらしいな」

 

「仲良くなりたいとは思ってるよ」

 

「だったら、ゾンビからすぐに人間に戻したらいいんじゃないか」

 

「遠隔で戻すにはレベルが足りないみたいだし、ひとりひとりゾンビに戻していくのも時間かかるしなぁ。それにゾンビの数が少なくなると、一匹残らず駆逐されちゃうかもしれないよ。ボクたちも含めて」

 

「人間をそれなりに脅威とは考えているんだな」

 

「ボクはそんなに頭、お花畑じゃないと思います」

 

「オレとしては人間が一番こわいと思う」

 

 恭治くんが歯を食いしばった。もういなくなってしまった人だけど、大門さんのことを考えているのだろう。恭治くんは最後には大門さんに何発も弾丸を撃ちこまれて死んだわけだし、直接の死因はゾンビではなく人間だ。

 

 人間の害意が一番怖いというのはわからないでもない。

 

「だいたい、こんなふうに外を気軽に出歩くのもどうかと思うぞ」

 

 同年代だとわかったからか、恭治くんの言葉が気安いものになる。

 

 それはそれでうれしい。ボクとしても年が近い同性の友達という感覚がある。飯田さんは年が離れすぎているし、他のみんなは女の子だしな。飯田さんなんか恭治くんが生き返ったときは、涙流しながら喜んでたしね。

 

 金髪でイケメンで細マッチョな恭治くんは、わりと女の子にモテるタイプだろうな。うんうん。

 

 そういうときはこういう言葉がいいに決まってる。

 

「ボクを護ってくれるんでしょ」

 

 ボクはとびっきりの笑顔で言った。

 

「ば、バカ……空浮いてる女の子を護れるかよ。逆だろ」

 

「それもそうか。恭治くんが死んだら恵美ちゃんが悲しむから護ってあげるね」

 

「オレはそんなに弱くない……つもりだ」

 

 おー、ツンデレじゃね?

 

 と、ボクは思った。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 せっかく外に出たんだから、ボクたちは生活物資でも持って帰ろうと思っている。狙い目になるのは、大通りのゾンビが多いところだ。郊外のコンビニとかスーパーとかは軒並み全滅してると思ったほうがいい。

 

 三週間ほどで、人間にもそれなりの動きがあったようだ。

 

 餓死の恐怖は耐え難いものがある。ゾンビにかみ殺される恐怖よりも大きいのかもしれない。それは人間が『選択した』結果の後悔より『選択しなかった』結果の後悔のほうが大きいからだ。

 

 三週間もあれば、家の中にこもりきりというわけにはいかなくなる。

 

 その結果、ゾンビの仲間入りした人もいるだろう。

 

 大通りにはまばらにゾンビがいるけれど、明らかにこのごろは増えている気がする。避難所とかにうまくいけた人はともかくとして、もう既にゾンビのほうが優勢になっているのかもしれない。

 

 具体的な数はわからないけれど、ゾンビはどんどん数を増やしていくし、人はどんどん減っていくわけだからね。ボクみたいな特殊例でもない限り。

 

 そんなわけで、名も無いごろつきといったらいいか、武闘派といったらいいか、わかりやすく言えば北斗の拳のヒャッハーさんみたいな人たちに囲まれているのは、運がいいといえるのだろうか? あるいは運が悪いほうなのかな。

 

 こういった事態になったのには、十分ほど前に話をさかのぼらなければならない。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ほとんどのめぼしいものはデイパックの中にいれて、今日の収穫はいくつかのカップ麺と、缶詰を少し、500ミリリットルのペットボトルの水を何個かといったところで、もう帰ろうかということになった。

 

 本格的に探索するなら、やっぱり車とかできたほうがいいしね。

 

 今日は単に恭治くんと話したかっただけで、探索は付録のようなもの。コロコロとかについてたおまけみたいな感じにすぎない。

 

 まあそれなりに思っているところは聞けてよかったよ。

 恭治くんは人間を脅威とみなし、それなりに攻撃的なところがあるけれど、ボクにはそれが恵美ちゃんとかを護る盾になる面もあるから、一概に否定できないところだと思う。

 

 言うまでも無いけれども、人間というのは総体的に見れば戦闘種族だ。とりあえずのところ、食べられないものはほとんどないし、雑食性で、他の種族を選り好みし、嫌いな生物は駆逐しようとする。

 

 恭治くんは人間の本性に近いってことだ。

 そして、それは彼なりの正義があるってことも意味している。

 誰かの正義が誰かの不正義みたいな言葉遊びじゃなくてね。

 ちゃんとした、宇宙の絶対法則としての正義があるんじゃないかな。

 

 いや、これも――言葉遊びか。

 

 ともかくそんなわけで、少し彼と話ができてボクは満足です。

 

「緋色ちゃん。止まってくれ」

 

「ん。なに?」

 

「あそこのゲーセンだけど、なんかゾンビが集まってないか?」

 

 ゲームセンター。

 

 このごろ場末の小さなゲームセンターはめっきり姿を見かけなくなったけれど、ここ佐賀はわりと田舎なので、逆に生き残っているパターンがある。まちがってもボウリング場とかに併設されているデカイやつを思い浮かべてはいけない。

 

 地元の高校生や大学生が通う。ちょっと薄暗い店内。

 タバコOKだったところもあって、このご時勢に店内はヤニ臭かったり、死ぬほど古い格闘ゲームとかがおいてあったりする。

 

 もちろん、引きこもり体質なボクはほとんど行ったことありません。

 友達の雄大に誘われて無理やり連れてこられたこともあるけど、正直なところなんか怖かったし、二度と行くかと思ったものです。

 

 そのゲームセンターは路地裏に入りかけてる微妙な立地のところに立っていて、なんのデザイン性もない立方体のような作りをしていた。ドアはなんかの事務所みたいにスライド式で、両側からぴったりと閉められている。

 そこに何人かのゾンビが店内を伺うように、ドアに張りついていた。

 

 確信はないけど、なにかを探しているような感覚。

 

 ふうむ。

 ゾンビは店内にはいないみたい。

 つまり――、そういうことですね。たぶん人が中にいるんだろうな。

 

「人間が中にいるんじゃないかな?」とボクは言った。

 

「助けなくていいのか?」

 

「べつにどっちでもいいんだ」

 

 だって、仮に中の人がかまれてゾンビになっても、食い散らかされない限りは、ひとまず元に戻すことは可能だからね。正確にはヒイロゾンビとして意思や心があるように見えるというだけのことだけど、ボクにとっては人間と大差はないというか、心があるように見える。

 

 つまり、中にいる彼らを助けるという選択肢は、ないわけじゃないけれど、そこまで積極的に動くほどのことでもない。彼らの恐怖を想像することはできるけれども、なんてことはないよ。ゾンビなんて。ちょっと噛まれてみなよ、と言いたい。え、ダメですか? そうですか。

 

「恭治くんとしてはどうなの?」

 

「べつに……、さっきも言ったとおり、オレは人間のほうが怖いと思ってるし、接触する必要はないんじゃないか?」

 

「じゃあ、無視しよう」

 

 そういうことになった。

 

 けれど――。ボクたちが退散する前に、屋上からのっそりと黒い影が出たかと思うと、かなり大口径のライフル銃で、ゾンビを撃ち始めたんだ。

 

 さすがにボクもびっくりして、両耳をふさいでしまった。

 恭治くんも同じだったが、さすがにその人影に向けて銃をかまえることはしなかった。彼が狙ったのはあきらかにボクたちではなく、ゾンビだったから。

 ゾンビの幾人かは哀れにも二度と物言わぬ躯になってしまった。

 

 もう彼らが生き返ることはない。

 

「おい。おまえら。ゾンビが来る前に中に入れ」

 

 下のドアが開いて、まだ若い二十代くらいの男がボクたちを手招いた。

 つまり、これはボクたちの姿を見かけて助けてくれようとしたってことだよね。

 ゾンビに襲われることのないボクたちは当然、そんな行為に意味はないわけだけど、人の好意を無碍にするのも気が引けた。

 

 誘われるように店内に入り――。

 

 そこで四方八方から銃を突きつけられることになったわけです。

 

 はい。ヒャッハーさんでしたとさ。回想おしまい。




本日は二話更新します。次は19時でいいかなー。

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