あさおん・オブ・ザ・デッド   作:夢野ベル子

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ハザードレベル47

 パンデミック。

 ヤバイ。パンデミックだ。

 ゾンビとかそんなんじゃなくて、情報のパンデミック。

 つまりは――炎上。

 燃え盛る炎のように、鉄火場のように、熱狂がこの場を支配していた。

 

『ヒロちゃんがいればゾンビ怖くない?』『ヒロちゃん様どうぞ弱き我らをお救いください』『幼女に救われるオレら』『どうやったら声でゾンビ避けできるの?』『ゾンビだから?』『ちげーよ。悪魔の首魁だから追い出せた理論は、大工の小せがれが開いた宗教でも否定されてるぞ』『全力不謹慎』『宗教の話はNGで』『もうどうせBANなんかされねーよ』『我らをお救いくだされ』

 

「あの……みんな、もうちょっとおちつこ?」

 

『はい。落ち着いてます』『落ち着いて幼女の声に耳を傾けるのじゃ』『天使さまー』『これが落ち着いていられるかよ』『歌試してみました』『これで外に出られるんじゃね?』『動きが鈍くなるだけだから過信は禁物』『スマホで歌流しながら探索すればいいんじゃ?』『こうなりゃ残った物資は早いもの勝ちだよな』『そうやって出て行ったやつほど戻ってくる確率は低い』『お隣さんは初っ端それで死んだわ』『ヒロちゃん自身はゾンビがなんで落ち着くかは知ってるの?』『知ってたふうではあったが』

 

「うーんと……その、ゾンビがなんで落ち着くかは謎です。謎パワーです」

 

『謎パワーで視聴者数がもりもり増えてます』『ゾンビみたいな増殖率だな』『ヒロちゃん佐賀に居るの? 他の県には来ないの?』『いままでにない活気だな。どこに潜んでたんだよ』『隣の家に住んでるゾンビがおとなしくなりました』『私、ゾンビに噛まれたあとヒロちゃん様に治療してもらったんだー』『ちょっと流れ早すぎんよ』『あ、今なんか重要情報流れてね? こっちの板に書きこんでくれないか』『うんわかったー』

 

 あれ?

 いま、一瞬知覚できたのって、図書館で会ったあの子かな。

 文字がありえないぐらいのスピードで流れていってるけれど、強化された視覚ならギリギリで追いつける。

 思い出されるのは、たいした昔でもない。一週間かそこら前の出来事。

 ボクは気まぐれにゾンビに噛まれた子を治してあげた。

 べつに黙ってるように言った覚えはないんだけど、少しずつ情報が補完されていってるような。

 

 謎の美少女スレのほうには、その子が図書館に逃げこんだ経緯から丁寧に書きこんでる。

 

 ゾンビに噛まれたことやゾンビになりかけたことや、もうひとりいた女の子のことが好きなこととか。死ぬことよりその女の子をひとり残すのが怖かったとか、意識がなくなったあと、どんな具合で治ったのかとか、手のひら触れてハンドパワーとか、ボクが天使みたいに見えたとか、気持ちのおもむくままに書かれてある。高校生らしい文体で――。

 

 

 

 

777 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

 ゾンビってゅうのゎ。。

 英語で「zombie」 逆から読むと。。

 「eibmoz」 えいぶもず? そぅ。ぃみゎかんなぃ。

 もぅマヂ無理。 メシアしょ・・・

 

 

 

 心が折れそうになった。

 

 いやもうマジ無理なんですけど。

 

 メシア再臨とか騒いでる人たち。追従するコメントの伸びがすごいことになっている。あっという間にスレッドが消費されていく。

 

 たらりと背中を冷たい汗がつたう。

 

 心臓がバクバク言ってる。

 

 どうしよう。どうしたらこの場を収めることができるんだろう。

 

 というか、この後、自衛隊とか米軍とかがこのアパートに攻めてきたりしないよね。ボク、モルモットになるの嫌なんだけど。

 

 ずっと血液をしぼりとられたりしないよね?

 

 さすがにボクの戦闘力でも、自衛隊と真正面から戦って勝てるとは思えない。もっともっと強くなればわからないけれども、つい最近でもスナイパーライフルの銃弾をギリギリ反らせるくらいが限界だった。

 空もゆっくりとしか飛べないし、歩いてるのとあまり変わらない。

 軍隊に見つかったら――ヤバイかも。

 

 だ、大丈夫なはずだ。

 命ちゃんは超天才児。

 いまは、ボクのニオイが染み付いた枕を吸引しながら幸せそうに寝ているけど、きっと起きたらなんとかしてくれるはず。

 

 それにネットというシールドがある以上は、リアルでのボクにたどり着くことはそれほどないと思っていい。ボクは厳密には顔バレしていない。

 

 記録情報に残ってはいないはずだ。街頭カメラは正直盲点だったけど、幸いなことに後姿とかしか撮られていないみたいだし、顔を見せた人たちには写真とかビデオで撮られたことはないと思う。

 

 命ちゃんの技術力は、いくつかのスレッドを見るだけでもわかるとおり、ボクの身バレを防いでくれてるみたいだ。

 

 あとは――、この場を無難に収める方法を教えてほしい。

 みこえもーん!

 

「後輩ちゃん。起きて。ねえ起きて!」

 

「ん。んうぅ。どうしたんですか」

 

 よかった。ようやく起きてくれた。

 命ちゃんは目をごしごしこすって、こちらに近づいてくる。

 スタスタと歩いてきて、ほとんど無意識のような見とれるほど自然な動作で。

 

 んちゅ。

 

 って、キスぅぅ。

 

 全国の視聴者さんの前でキスしちゃだめええ。

 

『なんだよ百合かよ。ズボンはもう脱いでました』『はぁはぁ……涙目になっているヒロちゃんがかわいすぎて』『後輩ちゃんが寝ぼけてキスした線も……ないか。ありゃ普段から相当ヤッてる』『おいおいマジかよ』『小学生に迫るのは普通に犯罪だと思います』『イリーガルユースオブハンズ』

 

「うらやましーでしょ!」

 

 命ちゃんは、一見してわかるくらい目が据わってました。

 お酒抜けきってない。

 アルコール臭がすさまじい。やはりストゼロ500ミリ缶を三本は危険すぎたか。というか、命ちゃんってもしかして初めてだったのかな。

 

「先輩はだれにもわたさないんだから!」

 

 ボクを傍らに抱きながら、命ちゃんが全世界に宣言した。

 視聴者数はいつのまにやら3万人を突破しようとしており、短期間で増殖している。まさにパンデミック。爆発的に感染している。

 

「あの、後輩ちゃん……、そのボクの身バレがですね」

 

「大丈夫ですよ。ここのセキュリティクリアランスはペンタゴン並にはしてます。外部から侵入することはまずできません」

 

「でも、リアルの……あのですね。謎の美少女さんがですね」

 

「あー、なるほど。ポンコツかわいいを狙ってるんですね。わかります」

 

「いや、わかってないよね?」 

 

 カタカタといくつかのスレッドとウェブカメラを見始める命ちゃん。

 欺瞞活動にいそしんでらっしゃるのでしょうか。

 

「ふむ……ふむ……なるほどヒロ友さんたちはウェブストーカーでしたか。やることない引きこもりたちばかりだから、美少女とかをカメラで追い回してるんですよね。最低です。一度ゾンビになって頭を冷やしたほうがいいのでは?」

 

 み、命ちゃん様?

 

『後輩ちゃんに最低ですともっと言われたいだけの人生だった』『ヒーローちゃんが寛容なので新鮮です』『ウェブカメラで謎の少女を追い回したのはオレじゃないからな』『オレでもないぞ』『オレだよ』『オマエはBANされたはずじゃ』『トリックだよ』

 

「いっときますが嘘つきもBANしちゃいますよ。本当に先輩の居所を狙ったゴミクズ虫は永久にBANしましたんで」

 

 ちょっとだけ言葉が荒くなってない?

 鼻息が荒くて、目が怖いです。

 

『嘘です。ごめんなさい』『ゆるして』『みんなヒロちゃんのことが大好き』『幼女には触れずの誓いをたてている』『オレは純粋にヒロちゃんの配信が楽しみなだけの人生』『まー、あと少しで終わると思えば天才的にかわいい生物を眺めたくなるよな』『メシア様だったら、普通に会ってみたいんですけど』『信心不足。幼女は会えたら奇跡。はぐメタみたいなものと思いましょう』『でもオマエの人生経験値は腐った死体にも劣るけどな』『なんだぁてめぇ』

 

「あの、みんな仲良くね。後輩ちゃんも穏便にいこ。セーフティにさ。セーフティ大事だよ」

 

「先輩のかわいさは暴発クラスですけどね。神様がかわいさに全振りしちゃいましたけど何かって言ってる気がします」

 

『いつライフラインとまるかわかんないから』『政府もなにしてるかわからんしなー』『助けてくれメシア様』『ヒロちゃん様ならヒロちゃん様ならきっとなんとかしてくれる』『ダレカタスケテー』『うーあー』『ゾンビがまぎれこんでるぞ。処せ』

 

 あまり効を奏さない。

 

 みんな興奮してるから――、誰もボクの言葉に耳を貸していないような気がする。

 ボクは少し寂しさを感じた。

 

「まあいざとなったら福岡に行きましょう! ノートパソコンからでも配信環境は作れますよ」

 

「え、そんなレベル?」

 

「ふたりで愛の逃避行も悪くないです!」

 

『おお、今度はわが県にも来てくれるのか』『Come also to my country』『おいおい外国人も来てるじゃん』『これは国と田舎をかけた高度なギャグなのでは?』『後輩ちゃんが躊躇なさすぎて草』『配信してくれるならどこでもいいよ』『ゾンビはどうするの?』

 

「そもそも、一介の女の子にゾンビをどうにかするとかしないとか求めるほうが間違ってます。あなたたちはヒロ友でしょう。だったら友達に利益を求めるのはそもそもおかしいんですよ!」

 

 命ちゃんが言ってることは、すごく正しいとは思うんだよ。

 友達にもいろいろあって、ヒロ友は配信の時だけの緩い連帯だし、生死を共に分かつレベルかといわれるとそういうわけではない。

 

 例えば、ヒロ友のひとりと命ちゃんのどちらか一方だけ助けることができるといわれたら、命ちゃんを選んじゃうと思う。

 

 でも、そうじゃないなら、まったく知らない人よりヒロ友のほうを優しくしたいし、こちらに好意をもってくれるなら好意を返したいと思う。人間としてごく当たり前の感情だと思うんだけど。

 

「ゾンビについてはひとまず置いておくとして――。ボクとしてはみんなと仲良くしたいと思ってるよ。ボクの歌がなぜかよくわからないけど、ゾンビ避けに役立つなら、時々唄うのはべつにやぶさかじゃないというか」

 

「本当に先輩は甘いですね」

 

 いつもジト目するのはボクのほうだったけど、今回ばかりは命ちゃんのほうがジト目でボクを見すえていた。

 

 ボクの考えは確かに自分で言うのもなんだけど甘いのかもしれない。

 

 ゾンビ避け技能というのは、このゾンビに溢れた世界じゃ、特A級のスキルだと思う。限定的にだけどゾンビに襲われる確率を下げることができるし、最終的には文明を取り戻す力になるかもしれない。

 

 みんなそのチート能力に熱狂してて――。

 

 少し複雑な気分だった。

 

 ボクはマイクをミュートにする。

 

 みんな好き勝手にコメントしている。こちらの動画は停めていない。いまは無音の映画みたいにボクたちが口パクしているように見えてるはずだ。

 

「命ちゃん」

 

「はい。なんですか。先輩」

 

「少しは酔いは冷めた?」

 

「そうですね。少し頭痛が痛いです。IQが五千くらい下がった気分ですよ」

 

「大丈夫そうだね」

 

「でも、先輩が甘々なのは本当ですよ。人間に対する接し方がものすごく甘いです。なんでそこまで人間に尽くすのかよくわかりません」

 

「尽くしてるって感覚はないんだけど……」

 

「バーチャルユーチューバーもアイドルですからね。アイドルは偶像という意味です。つまり、みんなの祈りの対象ですよ。みんな先輩を見ているわけではないんです」

 

「そうかもね」

 

 アイドルをやっているという感覚はなかった。

 

 だってボクなんてそういう訓練を受けたわけでもなければ、発声練習すらやったことがない。トークもうまいわけじゃない。ただ、ちょっとゾンビ能力に長けただけの、ただの一般人だ。まあ死ぬほどかわいいのは認める。

 

 アイドルだとしたら――。

 

 ボクもなんとなくわかる。アイドルはその人自身と知り合えるわけじゃないって。アイドルになったボクという形でしか知り合えないわけで、それはボクであってボクじゃない。

 

 都合のいいキャラクターというか。

 

 なんといえばいいんだろう。

 

 ビートルズっていう超有名なロックバンドがあるんだけど、昔は今ほどライブ環境が整っていないから、ファンの人たちの歓声で彼らの歌がかき消されてしまうこともあったんだって。

 

 ただ、彼らが歌ってるってだけで熱狂して、歌なんか誰も聞いてない。

 

 ボクというチートが注目されるにつれて――。

 

 ボク自身のことを見てくれる人は減っていくのかもしれない。

 

「そんなに寂しそうな顔をするくらいなら最初から配信しなきゃいいのに」

 

「でも、ゾンビなボクもボクだし!」

 

 ペルソナ被ってるのが人間でしょうが!

 

「ああもう。かわいすぎるでしょー」

 

 ぎゅーってされちゃう。

 

 コメント欄が騒がしくなっている気がするけど、抱きつかれてるせいで、そちらを見れない。

 

「ともかくだよ。ボクのスタンスは最初から変わらないよ。ネットで済む範囲ならヒロ友の期待にはこたえるし、ちょっとは配信もしたいです」

 

「ゾンビ特効についての解説メインになってもいいんですか?」

 

「それは……、うーん。ボク自身も自分の力についてよくわかってないし、わからないことはわからないとしか答えようがないよ。実験したいっていうんだったら、それに付き合ってあげる感じ。例えばアニソン唄ってとかだったら唄ってあげてもいいけど、その効果がどうなるかはボクにはわかりません。結果に責任も持ちません」

 

「先輩の身体を求める変態がでてくるかもしれませんよ」

 

「目の前にいる命ちゃんが一番怖いんだけど……」

 

「人体実験したいという人が出るかもしれないって話です」

 

「見つからなければ問題ない。大丈夫だよ。命ちゃんのおかげで、顔バレはしていないし――。バーチャルユーチューバーはなんだかんだ言ってもアニメ顔なんだから」

 

「つまり、いざとなったら逃げるということでいいんですね」

 

「うん……」

 

 まあできれば逃げたくはないよ。

 

 このアパートも気に入ってるんだ。狭くて古くて、駅まで微妙に遠いけど、ボクにとっては初めてのパーソナルスペースだったから。

 

「まあ、先輩には他の道もあるように思いますけどね」

 

「え、なに?」

 

「先輩が本当に望んでいるのかがよくわからないので言いません」

 

「思わせぶりな……」

 

「先輩がヒロ友ばっかりに優しくするからです」

 

 ボクはヒロ友に優しいのかな?

 

 命ちゃんやこのアパートに住むことになったみんなのほうを究極的には選んでいるような気もするけれども。

 

 名前も知らない誰かのために、ボクは名前を知ってる誰かを犠牲にしたくない。

 

 そしてその選択肢はすぐに訪れた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 PRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR

 

 ボクのスマホが机の上で震えていた。雄大からだ。

 

 いまだに配信は続いているけれども、ミュートにしているし、少しはいいだろう。命ちゃんに了承をとったら、軽くうなずいていた。

 

「雄大!」

 

「ハァ……ハァ……よう、親友」

 

 明らかに疲れたような声だった。

 

 今しがた全速力で走ってきたかのような、そんな声。

 

 バイクの音はしない。静かな環境。

 

 海が近いのか波の音が聞こえる。

 

 かすかにスマホが拾うのは聞きなれたゾンビのうなり声。

 

 赤ん坊の喃語のように意味のない言葉未満のうめき声が風に乗って運ばれてきている。そして身近に感じる雄大の声。

 

 どうしたんだろう。

 

「ねえ。どうしたの?」

 

「トンネルの中……も、ゾンビが紛れ込んでてな……ハァハァ……バイクはダメになっちまうし、ゾンビどもには追いかけられるしで、散々だよ」

 

「怪我してないの?」

 

「あー」

 

 どくん。と心臓の音が聞こえた気がした。

 

「噛まれちまったよ」

 

「なんだよ……冗談言うなよ」

 

 歯の奥がわけもわからず鳴った。

 

 ゾンビになること自体は、ボクの能力からすればたいしたことはないかもしれない。ゾンビ状態から復帰させることは可能だし、時間が経たないうちであれば、ヒイロウイルスを注入しないでもまっさらな状態にリセットできる。

 

 けれど、雄大がいるのはずっと遠くで、ボクは雄大を見つけることができるかわからない。青森だけに限っても、広すぎるし、ゾンビは多すぎる。

 

 恵美ちゃんみたいな幸運がずっと続くとも思えない。

 

 つまり、永遠に雄大がどこか行っちゃう。

 

「ヤダ! ヤダ! ヤダ! 雄大ヤダよ!」

 

「どうにもお前の声が幼女の声……つうか。ヒロちゃんの声に聞こえるんだが。後輩ちゃんは命みたいな声だしよ。どうなってんだ? マジで」

 

「ゾンビに感染してるせいで耳がおかしくなってるんだよ」

 

 ボクの目からぽたぽたと涙が流れた。

 命ちゃんは――、ボクの様子を察して、一瞬身を強張らせた。

 そして、険しい顔でボクを見つめる。

 

「先輩。雄兄ぃが……」

 

「うん……。ねえ。雄大。噛まれたのって本当なの? 勘違いだったりしない?」

 

「勘違いだったらいいんだが、バッチリ噛まれてるな。わりとガッツリ腕を噛まれて血も出てる。おまけにゾンビどもがトンネル近くでうじゃうじゃ沸いて出てな。あと数分で到達って寸法だ。少なく見積もっても絶望的状況ってやつだな」

 

「なんでそんなに軽いのさ」

 

「最後に親友と話せたからな――スマホもよく壊れなかったと思うぜ。ハァ……命のことよろしく頼むな。あいつオマエのことが本当に好きみたいだからよ……」

 

「いやだ。また三人でバカみたいに遊ぼうよ」

 

「そうできたらいいんだけどな……。ひとりで山登りに行ったのが間違いだったかな」

 

「ボクが行かないって言ったから」

 

「それもいいんじゃねって思ったんだよ。ずっといっしょにいられるわけじゃないし。オレたちも大学卒業したら、きっと、違う仕事をするだろ」

 

「ボクは卒業できるかわかんなかったよ」

 

「そんなことはねーさ。オマエは人間のことが信じられないっていいながらも、立ち直ったじゃんか」

 

「雄大のおかげだよ」

 

「そういってくれるのはうれしいけどな。それはオマエの力だぜ」

 

「なんでそんなふうにキレイにまとめようとするの!」

 

 ボクは怒りにも似た感情を抱いていた。雄大が簡単に諦めるのがいらだたしかったからだ。

 

 けど、どうすればいい。

 

 スマホで――、ゾンビを散らして。それは可能だろう。

 

 でも、噛まれてたらもう意味は……。

 

 思考がぐるぐるととぐろを巻いて、意味をなさなくなっている。

 

 身体がガタガタと小刻みに震えた。

 

「じゃあ切るわ。さすがに親友に断末魔を聞かせるのも忍びないからな」

 

「待って! 雄大、ボクまだ――話してないことがあるんだ」

 

「なんだよ。親友。時間切れまであと数十秒くらいだぜ」

 

「ボクね――」

 

 

 

 

 

 

 

――女の子になっちゃったんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 世界は緋色に染まっていた。

 

 目に見えない素粒子が世界を覆って、血のように紅く、真紅よりも紅く、世界を染め上げている。物理的に紅いわけじゃないけれど、地球はもう青くない。

 

 ボクのエゴに汚染されている。

 

 ボクの意識が距離を無視してある程度の影響をゾンビに及ぼせるのは、ボク自身の浸透能力によるところが大きい。

 

 まがまがしいほどに巨大な緋色が世界を覆っていた。

 

 中枢であるボクが臨在しているところほど汚染濃度が濃いため、緋色の世界に染まっている。

 

 彼我の絶対的な距離は――、ボクのパーソナルスペースの問題だ。

 

 つまり、極簡単に言えば、ボクのこころ次第。

 

 ボクの気合次第で、汚染濃度は変わる。

 

「緋色。おまえ今なんて言った?」

 

「難聴系主人公はいまどき流行らないよ」

 

「いや、マジで聞こえなかったんだけど。ノイズが激しい。今も嵐みたいになってる」

 

 なるほど、それは一理あるかもしれない。

 

 ボクが今やろうとしていることは、スマホという小さな媒体を通じての、ボクの浸透だ。ヒイロウイルスは、スマホを通じて送ることができる。

 

 と思う。

 

 厳密にはヒイロウイルスは既に世界を覆っているんだけど、ボクはそれを意識することで濃度を上げることができるんだ。

 

 その伝送がノイズみたいになっているのかもしれない。

 

 ちょっと振り返ってみると、高出力のアフターバーナーみたいに、ボクの背中から緋色の粒子が巻き散らかされていた。

 稲妻のようなプラズマが空間にはじけて、時折、空間を揺らしている。

 風もいっしょに巻き起こってるみたいで、物理に干渉する光のようだ。

 命ちゃんが手をかざして片目をつむっていた。

 

 これが原因かな。

 

「電子系統が壊れかけてます。先輩」

 

「そうなの?」

 

「はい。配信も停められません。プログラムが高速で書き換わってるみたいな。もしかすると、バーチャルなプログラムがはずれてしまうかもしれません」

 

「しょうがないよ」

 

 ボクは言う。

 

 ボクはヒロ友には裏切られたことはない。むしろ揺籃のようにボクを甘やかしてくれた空間だったと思う。

 

 でも――、ボクは雄大を手放せない。

 

 ヒロ友を犠牲にしてでも、ボクが配信者として終わってしまっても、やっぱり雄大のことを切り捨てるなんて選択は始めからなかったんだ。

 

「雄大。スマホをビデオ通話にして」

 

「おう。したぞ。ってうお、なんだこの美少女」

 

「ボクだけど」

 

「緋色か?」

 

「うん」

 

「こりゃまた……すげえ、美少女だな。ゾンビウイルスに冒されて目までおかしくなっちまったか」

 

「黙っててごめんね」

 

「いや、うん。そうだな。すげーかわいいとしか」

 

「ふへへ……」

 

 まあボクがかわいいのは、当然、誰もが認めるところではありますけど?

 

 いけないいけない。つい雄大に褒められてうれしくなったけど、高出力モードはそんなに長く持たない気がする。

 

「雄大。スマホをゾンビたちの目の前にかざして」

 

「おう。やったぞ!」

 

「みんなどっか行って!!」

 

 ボクはひときわ大きな声で命じた。

 緋色の翼が咆哮するように震えた。

 ヒイロウイルスが紅い世界を作り出す。比喩的な表現だけどね。

 

 効果は抜群だ。

 

 なにせ、今のボクは雄大のスマホを中心にヒイロウイルスの濃度をあげている。

 目の前で命じているのと同じだから、ゾンビたちの動きも手に取るようにわかる。

 

「すげえな。ゾンビがどっか行っちまったぞ。でもオレは……」

 

「ゾンビウイルスは消すよ。はい消えた」

 

「は? 意味がわからんのだが」

 

「ボクにもよくわからん」

 

 そもそも分かっていたら、人間の誰かに教えて同じようにやってもらうよ。

 

 ゾンビウイルスとヒイロウイルスの関係は主従関係なんだろうけど、いったいどうしてそういうふうに位階が設定されているのかとか、謎以外のなにものでもない。

 

 でも、雄大が無事ならそれでいい。

 

「雄大。生きて帰ってきてね。待ってるから」

 

「お、おう。ともかく、お前は緋色なんだよな」

 

「うん。ボクは緋色」

 

「ならいいよ。帰ったらまた朝まで駄弁ろうぜ」

 

「うん。いっぱい話そ!」

 

「あのさ――」

 

 ビデオ通話で、雄大が照れるように頬をかく。

 

「オマエ、ヒロちゃんなの?」

 

「えっと、そ、そうだけど?」

 

「前、話してたからわかると思うんだけど、オレ、ヒロ友なんだわ」

 

「あ……はい」

 

 な、なんだ。この気恥ずかしさは。

 

 とても恥ずかしい。なにしろ、推しまくられたあとに、実はそれボクでしたって展開だからね。これで恥ずかしくなかったらなにが恥ずかしいのかって感覚で。女の子になったことがバレたことよりもある意味恥ずかしいぞ。

 

「そっちに戻るまで配信は見続けるからさ。やめんなよ」

 

「う、うん。配信がんばります」

 

「よし。なら――、安心だ」

 

 なにが安心なのかはわからないけれど、ボクは雄大と約束してしまった。

 だったら続けるしかないだろう。

 さっきのボクはやっぱりよくない考えでした。

 なにかを切り捨てないとなにかを得られないなんて、命ちゃん的なサバイバル思考であって、ボクらしくない気がする。

 

 最近、殺伐としてきたから、ちょっと考え方がよくない方にいってしまっていたのかもしれないね。ラブ&ピース。平和が一番だよ。

 

 うん。ボクは配信をやめなくていい。

 

「ね。命ちゃん」

 

「ダメです。先輩」

 

「え?」

 

「バーチャルプログラムが壊れました」

 

 見ると、画面外では大騒ぎ。

 もはや乱痴気めいたコメントがひしめいていた。

 

『約束された勝利の美少女』『謎の美少女様ぁぁ』『ヒロちゃんが天使みたいにふわってなって』『あああああ目が目がぁぁぁ』『こんなかわいい生物がいるなんて』『生物名=かわいいで登録お願いします』『もうこんなの天使に決まってるよね』『ていうか、あの光の翼みたいなの何なん?』『バーチャルよりかわいいユーチューバー』『ガチ恋してもいいよね』『小学生に恋するなんてみんなロリコンかよ。オレもロリコンになろっと』『妹よ。また一段とかわいくなったな』『元ボッチです。これは生配信が解禁されたってことでいいんですかね』『アイちゃんです。さすがに大丈夫ですかね』

 

 ふぅ。おーけい。おーけい。

 おちつけ。おつけつ。

 あ、言えてない。内心で言えてないってヤバない?

 

 ボクの最大出力時間はおよそ五分も満たないみたい。

 かくんと糸が切れたみたいになった。

 今、みんなの前で顔をさらしているのが、なんだかすごく恥ずかしい。

 

『お顔が真っ赤?』『ヒーローちゃんが真っ赤』『紅白でめでたくね?』『血が通ってるからやっぱりゾンビじゃねーよな?』『ヒロちゃんかわいいよヒロちゃん』『ロリコンウイルスには罹患しそう』『もうさ。ロリコンでよくね? ゾンビ避けもできるし』『天使様……我らをお導きください」

 

「えっと、ボクは……超能力者だったりして……ふ。ふへへ」

 

『超能力が使える天使?』『美少女で超能力者ですか』『もうなんでもいいんじゃね。かわいけりゃ』『うちの県にも来てくれ』『ヒロちゃんがきてくれるんならどこの国の大統領でも百万ドルくらいならポンとだしてくれそう』『ヒロちゃんどこにすんd』『あれ? 今コメント消された?』『顔バレしたから、住所特定班が動き出しそうじゃね?』『後輩ちゃんがものすごい勢いでタイピングしてるな……』『でも、この映像からすっと、国のおエライさんに狙われそう』『気をつけてヒロちゃん』

 

「ダメですね。ゾンビと同じで数の原理に押し切られてしまいます。先輩。適当なところで配信を切ってください」

 

「う、うんわかった」

 

 雄大に認めてもらった配信だから、名残惜しいけど。

 いったんは切ることにする。

 

「えっと、そんなわけで、ボク……配信やめないよ。じゃあね。バイバイ!」

 

『いかないで』『もっとお話しようよ』『ヒロちゃん様ぁ』『なんか怪しい宗教じみてきたな』『ゾンビになってもヒロちゃんの隣なら大丈夫っぽい気がする』『だからって仲良しになろうとかすんなよ』『好きだから見るってのが基本スタンスだろ』『ヒーローちゃんは、何度もいっとるじゃろ。仲良くしなさいと』

 

「そうだよ。みんな仲良く楽しんでくれたらうれしいな」

 

 その日は最終的にヒロ友の数が5万人まで増えた。

 

 クリックするたびに登録数が爆発的に増えていって、得体の知れない数字の化け物みたいに思えて、最初はうれしかったんだけど、妙な焦燥感を覚えた。

 

 それはコントロールできなくなっていくボクという虚像に対する恐怖だったのかもしれない。

 

 ネットの炎上は怖い。マナさんに聞いたら、正確には炎上ではなく単にバズっただけということだったけど、ボクへの興味が三百六十度、いろんな方向に向いているのが怖くもある。

 

 本当はいますぐにでもアパートを出たほうがいいのかもしれない。

 でも――。

 もう少しで電気も切れる。ネットも寸断される。かもしれない。先のことはわからないけど、そうなる算段が強い。

 そうしたら、雄大と会えなくなっちゃう。

 雄大はここを目指しているんだから。

 

 だからボクは動けなかったんだ。もしかしたらという可能性を考えながら、ジワリジワリと特定されていくことに怯えながらも、

 

――あの人たちがアパートに来るまで。

 

 ボクは動かないことを選んだ。




配信する時はね、誰にも邪魔されず 自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで・・・

そんなわけでついに足元を掬われてしまうのでした。
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