ゾンビの朝は早い。
このごろ、とても多くなってしまった質問箱の中身に答えていっているからだ。
質問に返信するのは義務ではないけれど、なにかしらアクションを起こすというのはとても勇気がいる行為だとボクは知っている。
配信をするときのドキドキ感と同じくらい、視聴者さんも質問するときに答えが返ってくるかドキドキしているに違いない。
だから、ボクもできるだけ返していけたらと思っている。
このごろは物理的に厳しく、返信するのはわりと時間がかかる。
――質問数は2000を優に越えている。
そして質問箱の質問は多岐にわたる。例えば――。
『ヒロちゃんのスリーサイズを教えてください』
教えないよっ。
おかしいでしょ。小学生のスリーサイズを知ってどうしようというのだろう。言うまでもないけれど、ボクは胸とかあまり成長していないし、寸胴鍋みたいな感じだ。悪く言えば、手も足もゴボウみたいな細さだし、全体的に白いし、なにが知りたいのかは謎だった。
もう少し真面目なところになると――。
『ゾンビウイルスに感染したあと回復したとして副作用はありますか?』
この人ゾンビに噛まれたのかなと思ったらそんなこともなくて、ゾンビから回復したらEDになるんじゃないかが心配だった模様。
ゾンビは血流がなくなると考えられているから、局部の血も滞るんじゃないかって考えてたみたい。確かにゾンビコメディ漫画でそんな描写あったけどさぁ。
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インポ・オブ・ザ・デッド
漫画『ゾンビフルライフ』における根源的な設定。ゾンビに噛まれたあとに抗ウイルス薬ができて人間並の思考を取り戻した主人公は、血流がないためにあそこも勃たなくなってしまったのである。ある意味、渾身の自虐ネタともいえる。
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うーん。微妙にセクハラ質問じゃないよね。
ボクも元男だし、事の重大性はわからなくもない。でも飯田さんや恭治くんに勃起できますかと聞くのはちょっと無理です。恥ずかしい。
命ちゃんに判断を丸投げしたら首をひねってました。アウトかセーフか微妙どころさんだったみたいです。
続きましてご紹介いたしますのは、アウトの事例。
『ヒロちゃんのアへ顔ダブルピースが見たいです』
命ちゃんは×ねって言いながら、速攻BANしてました。
残念ながらしかたのない処置だと思われます。
そんなこんなでだいたいの選り分けができてきた。
外国からも質問が来ていて、ゾンビ対策的な質問がほとんどだ。
その筆頭はやっぱり先駆者である三日前の科学者さん。
例の科学者っぽい人は『ピンク』さんを名乗っていた。
ヒロ友の間では、通称ドクターピンクと呼ばれている。
謎の人だけど、なんだか日本人っぽくないんだよな。
ものすごく学術的で硬い文章だ。本人といくつかやりとりをしたところ、所属的には日本らしいけど、大本は米国にあって、それの日本支部らしい。詳しくは分からなかったけど、どこかの研究機関出身らしく微妙な立ち位置らしい。最初にボクを見つけてきたのは、ピンクさん自身みたい。
ピンクさんは情熱的な人だ。
知識欲という意味で。
『貴殿はゾンビ避けができるとあるが、そのほかの行為をとらせることは可能なのか」
「操れるよ」
ピンクさんはダイレクトメッセージも頻繁に送ってくるようになった。
みんな謙虚なのか、あまりツブヤイターのDM機能は使わないようにしているみたいだけど、ピンクさんだけは例外だ。
命ちゃんは国家権力枠ということで、一応特別扱いしたほうがいいという意見みたい。少なくとも雄大がこっちに戻ってくるまでの間、時間稼ぎとして少し飴を与えていたほうがいいとのこと。
打算というのも人間らしいコミュニケーションではあるかな。ボクは打算的な人間というのはわりと好きだ。暴力的な人間よりもよっぽど知恵を使っているといえるし、人間らしいといえるから。
『人間も操れるのか?』
「程度問題だね。ゾンビウイルスをボクは操れるわけだけど、みんな感染はしているからね。それが多くなるとゾンビになるって感じ」
『我々も一人残らず感染しているということか』
「そうだよ。おめでとう。みんなゾンビファミリーだね」
『ファミリー? 貴殿はゾンビを同胞として捉えているのか?』
「まあ、もともと人間だし?」
『やはり貴殿はゾンビ……』
「ちがいます!」
すぐにボクをゾンビ扱いするのはどうかと思うよ。
むしろ、ゾンビも人間もたいした違いはない。
ただ数が多いか少ないかだけだ。
思考能力に差があるように見えるけれども、それはヒイロウイルスに感染すれば問題ない。つまり、ボクがレベルアップすればいずれは全部解決する。
単に思考能力の差が、ゾンビと人間の違いであるというのなら、たいした違いはない。
そういう思考をもとに、ボクはピンクさんに逆に質問してみた。
「ピンクさんはゾンビと人間ってなにが違うと思ってるの」
『ゾンビに同胞はいないと考えられる』
「群れているじゃん」
『単純な密度の問題を同胞とは呼ばない。仲間・家族――畢竟、同胞とは心の連帯であるが、ゾンビにそのようなものはないと確信している。したがって、人間がゾンビを駆逐するのはたやすい。時間の問題である』
「確かにいっしょにうろうろしているだけじゃ友達とは言わないかな」
『そのとおり。貴殿は友達という概念を知っている。つまり人間であると推測される』
「まあね」
『貴殿は人間が好きか?』
「好きだと思うよ」
好きじゃないとピンクさんに付き合う義理もなければ、配信を始めることもなかっただろうし、それが誰かに承認されたいという病だとしても、いまさらそれを止めるなんてできないよねって話。
『最終的にゾンビをすべて人間に回復できるとしたら、貴殿はそうするのか?』
「そうするかも?」
『なぜ疑問系なのか?』
「よくわかんないから」
『貴殿にはプレコックス感が見られない。貴殿は平凡な人間的感覚を有しているように思われる』
「ぷれっこっくすかん?」
『統合精神失調症者に見られるような特有の相貌である。ゾンビは意識レベルが極めて低いため、統合精神失調症者特有の相貌、すなわちプレコックス感が見受けられる』
「ボクを診断してるってわけ?」
『申し訳ない。そうするように"上"からは言われている』
「いいよ。ピンクさんもヒロ友だもんね。ちなみに診断ってどんなふうにするの?」
『わたしは、患者に対すると、Schizopherenie か否かの"あたり"を探る。Nichts Schizopherenes なら organisch か symptomatischへと探索を進めていく」
「は?」
『申し訳ない。貴殿は小学生だったか。知識レベルや言動からかんがみ、少なくとも中学生レベルの平均的知能レベルを有していると思われることから、貴殿の聡明さを大きく見積もっていた』
「えっと……中学生レベル?」
『もしかすると高校生レベルに達しているかもしれない。称揚や媚ではない。その年齢にして素晴らしい知見と知能レベルである。いわゆる天才である』
いや……、あの、ボク大学生なんですけど。
専門家レベルの観察だとボクの知能って中学生レベルなんでしょうか。
あはは……すごーい。
いいもん。ボクは配信では小学生なんだもん。くすん。
『簡単に言えば、体型のバランス、頭部と大部の均整、脊柱の湾曲、頭蓋骨の形、首の張り、口蓋の高さ、歯牙歯列の欠損融合等を貴殿の動画から読み取っている』
「ふ……ふーん。そうなんだ。でも、ゾンビが波動存在だっけ? なら、物理学者でもつれてきたほうがいいんじゃないかな」
『当然、ピンクの背後にはそういう専門家も控えている』
「へえ」
全身嘗め回されてるみたいな感覚。
ボクの配信を血眼になって一フレーム単位で見ているんだろうな。
ある意味、ヒロ友の中でもかなり濃い趣味をしている。
でもね。ピンクさんはたぶん心理的な方面に強いのか、なぜかあまり不快じゃないんだよな。
例えば、こんな一文。
『我々は友達になれるのだろうか?』
「なれるよ」
少なくともボクはそう信じたからこそ、手を伸ばしているわけだし。
政府から、アレをしてくれコレをしてくれという要望にもできるだけこたえることにしている。
ピンクさんってなんだかかわいいんだよね。ロボットみたいな精確すぎる受け答えをしているんだけど、命ちゃんに少し似ている感じ。
『シスターと呼んでよいか?』
「ん? よくわかんないけどいいよ」
ブラザーみたいな感じの意味かな。
ほら、よく外国映画とかで黒人さんとかが言ってるじゃん。
ブラザーって。親愛の情をこめた言葉だと思うし、それと同じような感覚でシスターかな。ボクって女の子だしね。シスターであってるというか。
やっぱりピンクさんは外国の人だよね。
『ありがとう。マイシスター。いつかあなたの許に向かってもよいだろうか』
「もちろんいいよ。でも、住所がバレるといろいろ困るから、ランデブーポイントを決めてからのほうがいいかもね」
『了解した。マイシスター』
なんだか、命ちゃんの亜種みたいな感じだなぁ。
ほほえましい波動を感じるのはなぜだろう。
☆=
ふわりとボクは、ビルの屋上に降り立つ。
前にも言ったとおり、佐賀には高い建物はないけれど、さすがに三階程度の高さの建物は存在している。
名もわからない診療所。高さはたいしたことない。せいぜい30メートルに届くかどうか程度。
その上にボクは降り立ち――。
命ちゃんをふわふわと浮かせて、その場にゆっくりと下ろす。
なにをしているのかといわれると、外での配信ができるかのテストだ。
「命ちゃんも自分で飛べたりしないのかなぁ」
「わかりません。そのうちはできるようになるかもしれませんが、どういう原理で物理現象を克服しているのか。重力という絶対の法則を打ち破っているのかわかりませんから」
「いや、そのあたりは感覚的な問題で、ひゅっとして、うにょんってすれば簡単にできたりしないかな」
「……先輩が感覚派なのは昔から知ってました」
なんで、死んだ魚みたいな目になるんだろう。
確かに、モノを浮かせるなんて魔法みたいな力、おいそれと他者に伝達できるものじゃないとは思うけれど、最初から諦めてたら何事もできないと思うんだけどな。
「私はべつに空を飛べなくてもまったく困らないと思ってますからね」
「うーん。ふわふわって飛んでると気持ちいいんだけどなぁ」
実際に腰のあたりからプカプカと浮かんで、命ちゃんの傍まで近づいてみる。
ガシっと顔をつかまれ。
「んむ」
という間に、キスされてしまいました。
ボクはジト目になる。
もういまさら何も言わないけど、命ちゃんはボクに遠慮がなさすぎる。
「は……はぁ……すごっ……。先輩成分きもちよすぎ……」
「命ちゃんはそろそろボク依存症から脱却しないとまずいと思います」
だって、ボクの成分を補充したあとの命ちゃんって、危ないクスリをキメましたって感じで、ぽわんとしてるんだもん。若干怖いです。
「もう先輩なしで生きられない身体になってしまいました」
「はいはい。もういいから、早くセッティングして」
そう――これは実験なんだ。
ピンクさんから提唱された、ゾンビ避けの実験。
ボクの歌がゾンビ避けに使えることはたぶん数十万人には知られるところとなっているけれど、歌以外になにが効くのか、一番効率がよいのはなんなのか知りたいらしい。
「やっぱりボクとしてはギターだよ!」
だって、ギターって――偏見かもしれないけれど男の楽器って感じするじゃん。ボクは元男として、これをはずすことはできないよ。
ギターを弾いたことはないけど、そこはエアギターでなんとかしてみるしかない。
ビルの屋上で、配信環境を整えてもらって、ボクは今日の配信を始める準備をする。具体的にはスカートのすそをなおしたり……、きょろきょろと周りをみまわしたり、チラチラと命ちゃんのやってることを見守ったりしている。
カメラマンは命ちゃんだ。ハンディカメラだけど高性能らしい。
大体の機材は電池で動くポータブルなものだけど、さすがにギター関連はいくつかの発電装置が必要みたい。診療所の屋上には時計塔みたいな梯子になっているところがあって、鳥が入らないように緑色の網がかけられている。
「機能的にはあそこにも電気来てるみたいですね」
ボクはふわふわと浮いて、中をのぞいてみた。
中は四畳半もないこじんまりとした作りで、いくつかの電源盤みたいなのがついている。ゲームみたいに簡単そうじゃない。命ちゃんは普通に梯子を上ってきて、すぐになにやらしていた。最後に長いケーブルにつないで解決。さすが命ちゃん。
これで準備OK。
「はろわー。終末配信者のヒーローちゃんだよ」
『今日もかわいい生ヒロちゃん』『あいかわらず天使』『今日も天使でかわいい』『どこここー?』『どこかの屋上かな?』『天使だから余裕だよね。どこの屋上でも』
「今日はゾンビ沈静化にどんな楽器が一番効くのか試してみようと思います。手始めはこれ……、ギターだよ!」
『ギター少女っていいよね』『フェンダーのストラトかな』『渋い選択だな』『ZO3じゃないのか?』『象さん?』『外で弾く分にはそれしかないっつーか』『レスポールは?』『どうせなら百万円くらいするギターを死ぬまで借りてくればいいのにな』『本物だったらそれぐらいするぞ』
コメントにもあったように、本当は象さんとかのほうがよかったかもしれない。
象さんならアンプ内臓だから余計な装備が増えないで済む。でもそれでもフェンダーのストラトキャスターを選んだのは、なんかギターの本に、これの音がいいと書いてあったから。
ニワカでごめんなさい。
でも配信にはいい音が必須なんだよ。
バーチャルユーチューバーにも音が劣化するのが嫌でボイスチェンジャーは使わないって信条の人がいて、なるほどそうだねと思ったんだ。
ボクも趣味で始めた配信だけど、既に十万人を超える視聴者さんがいる。
平均PVは百万を超え、ぶっちぎりの一位だ。
ゾンビ避けできなかったらここまではいかなかっただろうけど、みんなにはいい音を聞いてほしい。
『マイシスターの協力に感謝する』『は? ドクターピンクがなんか言ってるんだけど』『マイシスター?』『お姉さま?』『ムキムキのマッチョが妹よって言ってるのかもしれんぞ』『どちらにしても許せぬ』『黙れ。凡人ども。ピンクはマイシスターの了承を得ている』
「あー。ピンクさん。煽らないでね」
『了解した。マイシスター。凡愚どもは無視しよう』『ピンク……おまえ。すっかりヒロちゃんのこと大好きっ娘じゃねえか』『たぶん八歳くらいの幼女だろ。ピンク』『ピンクは淫乱』『ヒロちゃんがピンクに優しくて嫉妬』
「ともかくはじめるよ。といっても、ボクはギターについては素人なんだけどね。さっきギターの攻略本読んできたからなんとかなるかなー」
身体能力の高さでなんとかなると信じたい。
ギターは肩紐にかけたまま、ボクはギターの初心者向け書籍を手に取る。
世に言うエアギターとかはすごく簡単そうに弾いてるように思うけど、結構複雑な感じ。
たぶん、単発の音源を弾いていくというのは初心者のボクには難しいかもしれない。本を地面に置いてっと……。
最初はやっぱり和音からだ。
和音はCとかDとかよくわからないけれど、決められたポジションに指を置いて、そのまま全部かき鳴らせばいいらしい。
まずはC。
ここから始める人が多いはずだ。本にもそう書いてあった!
ポローンと音はいい感じ。
『まあこれはな』『ギターは誰がひいてもギターだからな』『そういや全然関係ないんだけど衛星から追尾とかされてないの?』『お外で配信はヤバそうではあるよな』『我々はヒロちゃんと協力関係を築きたいと思っている。そのような活動はしていない』『ピンクが媚び媚びじゃねーか』
「衛星からの追尾はできないようにしておきました」
「さすが後輩ちゃん」
「先輩のためです。でも先輩も素粒子なら別に私に頼らなくてもそのくらいできるのでは?」
「うーん。まあできるんだろうけど、ボクがやっちゃうと大雑把だから落としちゃうかもしれないし。衛星落としたらみんな困ったりしない? お天気予報がわからなくなっちゃう」
「先輩がお天気予報に多大なる関心を寄せていることがわかりました」
『お天使キャスター』『ヒロちゃんはスマホの天気予報のために全力を出す女の子』『ゾンビより明日雨が降らないかが大事な美少女』『マイシスター。人間のことにもっと関心を払ってくれ』
「だ、大丈夫だよ。ほらギター実験続けるよ」
「ギターをかき鳴らす先輩がかわいい件」
『わかる』『わかる』『理解する』『わかるけど、ゾンビ避け実験なんだから、ゾンビにもカメラ向けろよw』『ヒロちゃん様が今日もかわいい』『需要』『需要と供給』『アダムスミスの神の見えざる手!』
「後輩ちゃん。ゾンビにもカメラ向けてよ」
草生やされちゃったけど、言ってることは正しいよね。
ボクを見てても意味ないというか。
命ちゃんはチラっと下を撮影していた。
「うーん。ギターだと効き目が薄いみたいですね」
「やっぱり、誰が弾いてもギターはギターだからかな」
「それと単発の音ではあまり意味がないのかもしれません」
「わかった。もうちょっとがんばってみるね。C……D……うーうー」
「どうしたんですか。先輩? そんな襲いたくなるような涙目になって」
「あの……あのね。Fに指が届かないんだけど」
Fコードを弾くためには、人差し指で弦を全部押さえる動作が必要になる。
ボクの指は年相応というか小学生並だった。
つまり――届かない。
「先輩ががんばってる姿がかっこかわいいです」
『ああ……』『手首をスナップさせろ』『小学生用のギターをもってこいよぉ』『できなくはないんだろうけどな』『ライトハンドでもしてればいいんじゃね?』『できない~って涙目になるとこスコ』
「そもそもボクって……なにかの音楽を弾きたいんだけど」
「昨日はじめてギターを触った先輩がいきなり歌にあわせて演奏ですか?」
「できないかな」
「ディープパープルあたりならできるかもしれませんね」
「ああ、でっでっでーってとこね」
『できるのか?』『ていうかギター初めて触ったのかよw』『ヒロちゃんは小学生だぞ』『何ヶ月か練習すればなんとかなるんじゃね?』『マイシスター。おそらくギターはあまり効き目がないようだ』
ちくしょう。素人特有のなんの確信もない思い込みで、簡単に弾けるようになると思っていたよ。
「先輩、ギター貸してください」
「ん。後輩ちゃん? え、カメラいいの?」
カメラは地面に落として、命ちゃんが映らないようにする。
「あ、べつに映してもらってもいいですよ」
「顔バレしちゃう……」
命ちゃんはボクが顔バレしたときもだけど、背後に隠れていて顔バレはしていない。わざわざみんなの前に顔を晒す意味はないと思うんだけど。
「いいんです」
ギターを受け渡したあと、命ちゃんは柔らかく微笑んだ。
ふうむ……。
もしかして、顔バレを自分もすることで、アイドルユニットになろうとしているな。恐るべし命ちゃん。
ボクはカメラに命ちゃんを映した。
『ふお。この子が後輩ちゃん?』『ええやん』『ふーん。高校生くらい?』『やっぱり百合じゃねえか。やべえぞ』『前回のバーチャルなキスって、つまりこの子とヒロちゃんがやったんだよな』
「後輩ちゃんです。お目汚しですが……わたしも多少はゾンビを操れます」
『ふぁ?』『マ?』『どういうことだってばよ』『後輩ちゃんもゾンビ?』『ヒロちゃんから感染したんじゃね?』『天使ウイルスが感染』『後輩ちゃんもかわいいよ後輩ちゃん』『卑しい豚って呼んでください』『ヒロちゃんがちっちゃな先輩でかわいすぎるって事に気づいた』
命ちゃん……。
ボクの悪目立ちを防ぐために、自分も押し出すことにしたのか。
ああ、ボクのバカ。
いまさら遅いけど、命ちゃんも顔バレしたら、狙われちゃうかもしれない。
ボクの中には後悔しかなかったけれど、命ちゃんは最初から決意していたのだろう。まったく後悔の念というのは見られない。
むしろ、やってやったという爽快さのようなものが顔には現れていた。
「とりあえず、ギターを弾いてみます」
屋上の縁に立ち、命ちゃんが颯爽とギターを弾き始める。
てか、ウマ。なにこれ……。
『ライトハンド?』『これはひどい』『なんやこの子天才か』『後輩ちゃんも天才美少女かよ』『はー。すごい』『ていうか何を弾いてるの?』『プッチーニ』『誰も寝てはならぬ?』『ギターアレンジですね』
天壌を駆け抜けるような音楽。
すごいな命ちゃん。羨望という感覚しか湧かないよ。
一瞬、目があって、視線で下を映すように言われた。
だから映してみたんだけど――。ふむ。変わりはないみたいだね。
ゾンビにギター音源は効かないことがはっきりした。
「ありがとうございました。はい。先輩」
『88888』『ギター歴何年くらいだろ』『マジですげえな。ゾンビじゃなくてもやっていけるだろ』『こいつはすげえや』『ヒロちゃんとのコラボもいいけど、ソロでチャンネル立ち上げてほしい』
「うん。ありがとう。後輩ちゃん」
ギターを受け取る。うーむ。ギターはボクには難しいみたい。
驚くべきことに、ボクが知る限りでは命ちゃんはギターを持ったことはない。もしかしたら福岡のお家にこっそり持っているかもしれないけれど、雄大からもそんな話がでたことはなかった気がする。
つまり――どんなことでもほんのちょっと触っただけでできてしまう。
たぶん、昨日ボクから借りてちょっと弾いたのが最初だって話。
天才としか言いようが無い。
むむう。先輩としての威厳が。
ボクとしては命ちゃんが天才なのは知ってるから、べ、べつにいいんだけど。
ほら、同じことをしちゃうと、ボクの平凡さが目立っちゃうというかなんというか。嫉妬。嫉妬だよ。ちくしょう。
命ちゃんがすごすぎる。
対してボクは――。ボクができることと言ったら。
デーデン。デーデン。デーデン。デーデン。
なんとはなしに弾きつづける。
「先輩……サメのテーマをギターで流すのはどうかと思います」
「そ、そうだね……ボクも反省しました」
今回の配信ではギターだけじゃなくて、いろいろ持ってきたんだ。
まだまだ続きます。
そろそろ章代わりなんですが、配信編は盛り上がり的なものがなく唐突に終わります。
でも次章と地続きになってる感じです。
統合失調症のくだりは、斉藤環先生の『承認をめぐる病』を参照しました。
ゾンビはクオリアがないように見えるけど、プレッコクス感は……まあゾンビによるかもしれない。最近のゾンビはわりと怒ってるようなタイプが多いから。
ロメロ監督のオールドタイプゾンビがそういうふうに見えるって話です。
ゾンビは奥が深い。