悠然と空の彼方に去っていくヘリをボクは見送った。
いや~。めちゃんこ可愛かったなぁ乙葉ちゃん。あんな美少女を見たのってボク以来だわ。
コラボの約束は二週間後。
今日、ボクがいたところに迎えにきてくれるようお願いした。
さすがに、ボクの住んでるアパートまで来てもらったら、身バレどころの話じゃないんで、そこは最低条件だった。
人類との戦争になるような気配もないし、ボクだけが行けばたいして危険にさらされるわけもない。そもそも、ボクのレベルもかなり上がっている感じがするし、そろそろ対人兵器じゃどうしようもないところまで来てるんじゃないかな。
「慢心」
う。
「環境の違い……」
うううっ。
命ちゃんに、そんな感じで伝えたら、ものすごくジト目でボクのことを見ていた。
「先輩って、もしかして警戒とかなさらないタイプですか?」
「け、警戒はしてるよ。だから住んでるところは教えてないし」
「コラボ配信にかこつけて、いろいろ実験されちゃうかもしれませんよ」
「そういう気配を感じたらすぐに逃げかえってくるよ。ボクって対人戦闘力はかなり強いからね。もう自衛隊にもひとりふたりだったら余裕で勝てるし」
「戦闘でどうこうというより、懐柔策でこようとしているから怖いんですが。先輩って、ちょっと優しくされただけでコロっといっちゃうタイプですか? チョロイン枠なんですか?」
命ちゃんの言葉がいつもより辛辣だ。
「チョロインじゃないよ。人類と協調路線っていうのは悪くないって命ちゃんも言ってたじゃん」
「協調というレベルを超えている気がします。あくまでこちらのコントロールのもと、情報を小出しにしていくという話だったはずです」
「向こうがいっしょに配信したいって提案して、ボクがそれを承諾したんだから、本質的にはいままでと変わらないはずだよ」
「その配信がネットを通じてのものだったらよかったんですけどね。コラボ配信ってどこかで生配信するってことでしょう。あのどこにでもいるようなアイドルの隣りで愛想をふりまくってことですよ。危険です」
「機材がそろってるテレビ局でするんだって! すごいよね」
命ちゃんがぱちくりとまばたきをした。
ボクってそんなにおかしなこと言ってるかな。
「先輩って大学に入ってからは精神的引きこもりになってたと思うんですけど」
「うん。まあ確かにそうだけど、それがなにか?」
「最新機材で生配信をアイドルとするって、先輩の引きこもり癖はなおったんですか?」
「配信していくうちにちょっとは慣れたよ」
ボクが精神的引きこもりになっていたのは、べつに孤独になりたかったからじゃない。ひとりきりでいることは孤独を余計に感じると思うかもしれないけれど、ボクとしてはあまり知らない人と話を合わせて、自分を調整して、そうやって会話をすることが面倒くさかったんだ。
だって、それはボクじゃない。
会話をしているのは紛れも無くボクだけど、他者との間でたいして面白みもない話をして笑っているのは、ボクじゃない。
だから――、余計に孤独を感じて。
ひとりきりでいるほうが、よっぽどマシだった。
それだけのこと。
本当のところは、配信も現実での人間関係といささかも変わるところはないのかもしれない。ボクはあいかわらず仮面をかぶってるわけだし、みんなが好きなヒロちゃんを演じている部分もある。
でも、それでも、ヒロ友は基本的には匿名であるし特定の誰かではないから、ボクはボクらしく振舞える部分が大きい。
配信は――ヒロ友と触れ合うのは、巨大な他者と触れ合うみたいだった。ボクは『彼ら』と比べるとちっぽけな存在で、だからこそ、ボクは宇宙みたいに大きくなれた気がする。
巨大な――つながり。
おおきなひとつに。
ボクは小さいからこそ大きくなれた。
だから今は寂しくないんだ。
「結局、先輩は他人のクオリアを信じていないってことじゃないんですか?」
命ちゃんは冷たく言い放った。
クオリア――人間が持っている『感じ方』のこと。
つまり、こころのことと言い換えてもいい。
ボクは命ちゃんがクオリアを持っているか確信が持てないと言ったことがある。それは誰の視点からみてもそうだ。
人間はそれぞれが一人称的な視点しか有しない。
したがって、他者のこころは見えない。
でも、今のボクなら自信をもって言える。
「信じてるよ」
「本当にですか」
命ちゃんが陰気な声で呟くように言った。
「本当だよ」
「だったらなぜ、あんなアイドル風情を選んで、私を選んでくれないんですか」
「えっと……、ボクは乙葉ちゃんを選んだとかそういうつもりはないんですが。単に配信仲間としていっしょにコラボしましょうねって言っただけだよ。ぜんぜん選んだとかそういうんじゃないんだよ。信じて」
「素敵ですね。コラボ」
「うん! すっごい楽しみ」
「…………はぁ」
すごく重そうな溜息。
憂鬱そうな表情。
そして、命ちゃんはおもむろに屋上のドアを開けた。
え? っと思ったボクは、命ちゃんに声をかける。
「あ、あの命ちゃん。どこに行こうとしているの?」
「帰るんですけど何か?」
「ボク……送るけど。ほら、地上部隊がまだ近くにいるかもしれないし……。乙葉ちゃんに聞いたんだけど、ドローンは違う人たちなんだって。まだ外は危ないかもしれないんだ」
「いいですよ。先輩はひとりで帰ってください。わたしもひとりで帰ります」
「どうしてそんなこと言うの?」
屋上から階段を降り、ゾンビ溢れる診療所内をスタスタと歩く命ちゃん。
とても怒ってるっぽい。
ボクの歩幅は命ちゃんよりも狭く、追いつくのに小走りになってしまう。
いつもは少し速度を緩めてくれる命ちゃんだけど、ボクを一顧だにせず、前だけを見つめて歩きつづけている。
ゾンビのひとりが道をふさいだんで、えいっと横にやって命ちゃんを追い続ける。ゾンビはフラフラとしているから、それだけのことでも横転してしまう。
ゆったりとした動きの高齢者ゾンビだった。ごめんなさい。手をひいて立たせてあげた。ゾンビだけど、なんとなく感謝されてる気がする。マッチポンプなんだけど、まあいいや。
とりあえず今は命ちゃんを優先しないと。すぐにどっかに行っちゃう。
一階に降りたところでようやく追いついた。
「命ちゃん。待ってよ」
ボクは命ちゃんの手をとった。
ゾンビパワーで筋力マシマシなボク。当然、命ちゃんも同じくらいのパワーだけど今は離す気はない。一度、それで痛い目を見ているからね。いや、二度か。
ともかく――、離さないよ。
命ちゃんは瞑目し、静かに言った。
「先輩はヒイロウイルスを世界に広げて、それでみんな"緋色"にしてしまって、ひとりじゃないって言ってるだけなんじゃないですか」
「そんなことないよ」
「わたしも先輩のお気に入りのゾンビに過ぎないんじゃないですか」
「そんなことないって……。ボクは今も命ちゃんのことは大事な後輩だと思ってるよ」
「後輩にすぎないんですね」
「大事な人だって思ってるよ」
ボクはすぐさま言いなおす。
なぜかそうしないと、とんでもないことが起こりそうな気がしたからだ。
下手すると命ちゃんがヤンデレさんになっちゃう。
「大事な人」
「そう、ボクのなかの特別な人なのは間違いないよ」
命ちゃんの無表情な仮面が一瞬だけピクリと動いた気がした。
ボクは慎重に言葉を選ぶ。
「命ちゃんのおかげで配信もできたし、ボクもやりたいことやれてるし、本当に感謝しているよ。ありがとう」
肩がぴくりと動く。
「命ちゃんがボクを好きだって言ってくれたこともすごくうれしかったよ」
ぴくぴく動く。
「命ちゃんがいっしょにいてくれないとボク寂しいなー」
ぴくぴくぴくと動く。
よし。いける。いけるぞ!
ボクは全身全霊をかけて命ちゃんに微笑む。
「命ちゃん、大好きだよ」
身長がたりないから、ふわりと浮き上がって。
ちゅ。
って、軽くキス。
認めよう。これはボクのまぎれもないファーストキスだ。
気持ち的にね。
でも、これはいわゆるガールズラブってやつじゃないだろうか。ガワだけみればそうだけど、ボクは男だったわけで、精神的にはノーマルラブなのかな。わからぬ。
と――。命ちゃんを見ると、ぷるぷる震えていた。
「先輩。私も大好きです!」
なんというかサメだ。サメが獲物を追いかけて最後に捕食する瞬間だ。
せめて予兆がほしかった。
ボクは地面に押し倒されて、たっぷりとヒイロウイルスを搾取されました。
☆=
外に出ると、装甲車ではなく何の変哲もないバスにところどころトゲトゲとか、ごっつい鉄板とか、鉄格子みたいなのとか、いろいろ追加した感じのやつが建物のすぐ近くに停車していた。
既にゾンビで囲まれていて、こりゃどうしたものかなと思ったけど、側面から飛び出したのは……なんとノコギリ。
回転電動式の丸い形をしたノコギリで、ギザギザの強烈なやつだ。
それがバスにとりついているゾンビたちを、ちょうどお腹のあたりで分割した。
窓には血と肉が飛び散り、すさまじい有様になっている。
当然、それだけの爆音を出していると、ゾンビもすぐに寄ってくる。
ゾンビを踏み越えてゾンビが這いよる。
問題なのは、バスはそこまで走破性能が高くないということだ。ボクの配信に気をとられたのか、あるいはそうではないのかはわからないけれども、止まっていたのが悪かったのだろう。ゾンビの死体を踏み越えるほどの動力が出せない。
つまり――立ち往生というやつだった。
「あれがドローン組かな?」
「おそらくはそうだと思いますが、どうします先輩?」
ボクと命ちゃんは手をつないでお家に帰ろうとしている。
一階まで降りちゃったから、そのまま空に浮き上がって、帰宅するつもりだったんだ。
離さないとは思ったけど、さっきから離してくれそうにない。
そっと力を緩めて、離脱を試みる。無理。速攻で力をこめてくる。
「あの、命ちゃん……あの人たちを助けにいこうかなって思うんだけど」
「え、あんなの放っておいてもっと先輩とイチャイチャしたいです」
「ドローン組は軍用だったから、軍属じゃないの? 政府勢だから優遇したほうがいいって命ちゃん言ってたじゃん」
「光学迷彩と消音機能がついているからそう思っただけで、実際には既存の発明の組み合わせですからね。わりとどうにでもなるというか、わたしでも作れます。そもそも、あのバスを見たらたいした技術レベルでもないみたいですね」
つまり――、民間人レベルということらしい。
じゃあ、乙葉ちゃんはどうかというと、軍用ヘリはさすがに装えないから本当の軍属だ。
乙葉ちゃんは真実、ドローンとは無関係だったということになる。
それはうれしいお知らせかな。
ただ、ボクに墜とされる可能性とかを考えなかったのかなとは思うんだけど。
いままでのボクの行動パターンから分析されてるのかな。直接的な暴力をふるわれない限りは、わりと好きにしろよって思うタイプなのは確かだ。他人に関して無頓着なんだよね。
そういうボクの精神を配信から読み取ってる可能性はある。
少なくとも、ピンクさんあたりはしてそう。
ただ――、ドローン組はさすがに雑だった。
それだけのことだ。
「なんらかの政治的な組織に属している可能性はありますけどね。いずれにしてもたいした人たちではありません。ドローン組は私たちにとっては敵です」
「そういうふうに敵をいっぱい作っちゃうと、さすがにハイスペックな命ちゃんでも立ち行かなくなるよ。ボクとしてはそれが心配だな」
「そうでしょうか。本当の敵は味方面してやってくるんですよ。人間は曖昧な存在だから、最初は誰だって敵なのか味方なのかわかりません。だから厄介なんです。最初から敵か味方か見定めておけば、そういうややこしい事態はなくなります」
「ボクがいちばん曖昧でちゃらんぽらんとしてて、訳がわからない存在だと思うけどね」
「先輩は違います!」
「そうかな。どうして女の子になったのかもわからないのに?」
「だって先輩は私と付き合ってくださるんですよね」
「えっと、付き合うっていつ言ったっけ」
「え?」
「え?」
しばし沈黙。数十メートル先ではゾンビが百か二百くらいはつらなって列をなし、改造バスを取り囲んでいる。中から怒声が聞こえるが、ボクたちはそんなのそっちのけでラブコメしていた。
「先輩。さっき私のこと好きだって言ってくれましたよね」
「う、うん。言ったけど?」
「つまり、私を選んでくれたのだと思ったのですが、違うのですか?」
命ちゃんの瞳の光彩が徐々に失われていってる。
いかん。これじゃ闇堕ちしちゃう。
「あ、あの、好きなのは本当だよ」
その間もゾンビさんたち、バスの窓をバンバン叩く。
中の人たちが「うおおおおおおっ」「回転のこぎりがもう使えなくなった。次の刃をもってこい」「少女を確保できれば、ゾンビ避けできるんじゃなかったのかよ」「前方のドアのあたりがヤバい」「横転しそうだ」「ちくしょう。銃をつかえ!」「弾はあまりないぞ!」「いいからやれよ早く!」と忙しそうに対応している。
命ちゃんがじっとボクを見定める。
目をそらしちゃダメだ。
バンバンバン。
銃撃の音が夏の夕空に響きわたる。そろそろ秋が近づいてきたのか、ツクツクホウシとのコラボを奏でていた。短銃しかないんじゃ焼石に水かな。いくら装甲車並に硬いとはいえ、いずれは突破される。うちのゾンビさんたちは強いですよ。
って、今は命ちゃんだ。
「先輩。私は先輩にならすべてをささげていいと思ってます」
「うん。その気持ちはありがたいよ」
「じゃあ何が不満なんですか? あのアイドル? それとも雄兄ぃ?」
なんでそこで雄大がでてくるんだろ?
「そんなんじゃなくて、ボクは付き合うっていうのはよくわからないからだよ。逆に聞くけど命ちゃんにとって付き合うってなんなの?」
「……わかりません」
「そうなんだ。じゃあ、ボクと命ちゃんはいっしょだね」
ゾンビさんたち『あーあーあー』と大合唱になる。
ものすごい力でバスを揺さぶって、中を揺らしている。
あ、バスが横転した。
ついに立ち往生が確定した。
バスを背景にしながら、命ちゃんは泣きそうな顔になっていた。
「でも、私は先輩のことがこの世で一番大事なんです。それは本当です。だから先輩にも私が一番でいてほしい。先輩の一番になりたいんです!」
命ちゃんはかわいいボクの後輩で、幼馴染で、それで妹のような存在だ。
命ちゃんのことが大事なのは確かで、それはゆるぎないボクの気持ち。
でも、選ぶとか選ばないとかいう話になると、とたんに曖昧になる。
ボクは命ちゃんに誠実であろうとすればするほど、彼女を傷つけてしまう。
どうすればいいんだろう。
ウソをつくべきなのだろうか。
いいよって。付き合うよって軽い感じに返事して。
命ちゃんのことを一番大事にするねって言ったらいいんだろうか。
男だったら貫くような意思の強さで、断定することができると思う。そんなのは幻想かもしれないけれど、ボクはあさおんしてから今日はじめてボクのこころがだいぶん変化していることを自認していた。
こんなにもフワフワしているなんて思わなかった。
ボクの答えを待っている命ちゃん。無言のままのボク。
ゾンビはあいかわらずうるさくて、人間たちは必死の抵抗をしている。
「おい、こっちきて助けてくれよ」「ヒーロー様。お助けください!」「いやだ。いやだ死にたくない。食われたくないよう!」「おまえがゾンビ避け少女拉致ればこの世界の王者になれるっていうから付き従ったのに話が違うじゃないか」「うるせえ、お前らがあの子が降りてくるまで待つっていうからこうなったんだろうがカスが!」「おい、フロントガラスが破られそうだぞ!」
そろそろ時間切れ。
人間たちはゾンビに追いつめられ、もう少しで全滅するだろう。
押し寄せるゾンビはボクの無意識なのかな。
他者との摩擦によって生じるストレス。
それは大好きな命ちゃんでも例外じゃない。
みんな"緋色"になってしまえばいいというのは、他人を受け入れることで、そうであるならば命ちゃんと付き合うってことこそが、他者を認めないってことにならないだろうか。
「命ちゃん……ボクは」
バンっ――――-。
破れかぶれの一発が命ちゃんに偶然飛来した。
ボクのゾンビ化された知覚は銃撃が命ちゃんの頭蓋に到達することを正確に予測し、それはまぎれもない二度目の死をもたらすものだと確信した。
刹那――、ボクは9ミリパラべラムにヒイロウイルスを浸透させ、その運動能力を奪った。
ギリギリのところで銃弾は止まり、ちらりと命ちゃんは後ろを振り返る。
「先輩。ありがとうございます。それでお答えはいただけるんですか?」
あの、銃弾。止めたんだけど。
そんなのどうでもいいって感じで、じっとボクをみつめてくる命ちゃん。いまは世の中のすべての事象がどうでもよくなってないかな。ボクの言葉以外はなんの価値も見出していない。
自分の命さえも――。さっき追いついてて本当によかった。もし一歩まちがえば命ちゃんは危なかったかもしれない。
「先輩?」
それよりも答えのほうが大事なんですか。やっぱり。
バスのフロントガラスが破れた。
「ひいいいい。いやだーっ!」「おまえ前行けよ」「いやだ。いやだ。いやだ。」「こんなことになるなら避難所にこもっとけばよかった」「助けて下さい。お願いします。助けて。いやだ!」「こんなところで死にたくない」「なにもしてないなにもまだ」
ボクはそんな人間たちの悲鳴を聞きながら――。
「人がわかりあうのには時間がかかるって思うんだ」
と、言った。
我ながら玉虫色もいいところな回答だけど、これが今の本当の気持ち。
だいたい、ボクも命ちゃんもゾンビなんだし、もしかすると寿命なんてものはないのかもしれない。だったら、少しくらいは時間をかけたっていいんじゃないかな。
「ぎゃあ。噛まれ噛まれた」「ああああああああっ」「死ぬ死ぬぅ」「こっち来いよ。殺してやる!」「死にたくない死にたくない死にたくない」「うあああ。やだああああああ!!」
あいかわらずBGMはうるさかったけど、ボクは命ちゃんから視線をはずさない。
命ちゃんもボクを見ている。
「ボクに時間をくれないかな」
「先輩は本当にしかたのない人ですね」
命ちゃんにとっては事実上振ったも同然だったかもしれない。それでも、最後には優しげな視線に戻っていた。本当に悪いと思ってる。でも、ウソもつきたくないし、命ちゃんのことが大事な人なのは間違いないんだ。
ボクの答えは、いまのボクのこころをできるだけ精確に切り取ったもの。
輪郭だけはせめて明確にしておこうとしたものだ。
「先輩の気持ちが本当だっていうのはわかりました。私が先輩のクオリアを信じているように、先輩は私のクオリアを信じてくれているのですね」
「うん。そうだよ」
「だから――、待ちます」
「お願い」
「はい。お願いされました」
涙がポロリと一筋流れ、命ちゃんはくるりと後ろを向く。泣かしてしまった。すごい罪悪感だ。それとバスの人たちはどうしよう。
とかなんとか考えてたら――。
ゾンビたちの動きを止まった。命ちゃんが止めたんだ。
どうして? 命ちゃんにとって彼らは敵で、どうでもいい存在だったはずだ。
「彼らも人間で――、クオリアを持っていると先輩が信じているからです」
ボクの言葉を命ちゃんがおもんばかってくれたのか。
敵はゾンビといっしょで心が無いと言っていた命ちゃんが、ボクの言葉を信じて、他人を信じてくれたのかな。そうだとうれしい。
バスの中にいる人たちは肉体的にも精神的にも疲労困憊の様子ではあったけど、なんとか生きていた。噛まれた人は数名。それでも腕くらいだ。
とりあえずゾンビたちを外に出し、みんな横転したバスから出てくるように伝える。
多少のレベルアップで、ボクもエリアヒールが使えるようになっていたみたい。わざわざ手を触れなくても、近くにいればゾンビウイルスを除去するのはたやすくなっている。ここらにいる百人近いゾンビも人間に戻せるとは思うんだけど、それはそれで元ゾンビさんたちの行き場に困るから戻したりしない。
拾ってきた猫に対して責任が生じるのと同じ理論だ。
とりあえず、ドローン組は自分たちのねぐらくらいは確保できる野性味あふれる人たちなので、今回だけは大目に見よう。ボクたちに対してストーキングしたことも含めて。
彼らドローン組は、みんな古式ゆかしい土下座の姿勢でボクに対してかしこまっている。まあ周りを見渡せば、いまだに百人近いゾンビたちが周りを囲ってる状況だからね。
そんななかボクはゾンビたちを操ってる主なわけだから、恐怖されもするだろう。
それぐらいはわかってるんだ。ボクもきちんと理解している。
そのまま震えられていても困るから、とりあえずリーダー格の人にボクは声をかけることにした。20代になったばかりのバンダナまいた男だ。
「あの……、ボクのことストーキングするのやめてほしいんだけど」
「もちろん。そのようにいたします」
「さっき、バスからボクたちのこと拉致ろうとしていたみたいなことが聞こえてきたんだけど」
「アイドルのおっかけみたいな感じです」
「そっかー」
アイドルのおっかけならしょうがないかな。
ボクってアイドル状態なんだなぁ。ふひひ。ちょっとだけ気分がいいぞ。
「ヒロちゃんの配信は見続けてもかまわないでしょうか」
「うん。それはいいよ。配信はボクが好きでやってることだからね」
「先輩がやっぱりチョロイン……」
「チョロインじゃないよ!」
ともかく――、
ドローン組が逃げる時間を稼ぐために、ボクはゾンビの動きを強制的に止めることにした。
「一時間くらいはここらのゾンビは動かないようにしました。その間にどこかに逃げたらいいよ」
「ありがとうございます」「ヒロちゃんマジ天使」「天使様ぁ」「もういっそゾンビになってもいい」「ヒロちゃん様に土下座できるってオレらヒロ友に自慢できるんじゃね?」「おまえ、ドローンで盗撮してたってバレたらボコられるに決まってるだろ」「ヒロちゃんを盗撮した写真いくつかデータ残ってる」「あとでちょっとまわしてくれ」
抱き合って喜んだり、ボクを拝んだりする人たち。
「写真データは没収します。それと一時間内に逃げないと次はないですよ」
命ちゃんの冷徹なひと言に、みんな青ざめた顔をしていた。一時間もあれば十分だとは思うけど、確かに乗り物もないし、危険な状況なのは間違いない。ボクたちがここにいても、どこに逃げるか相談しづらいだろうし、早くおいとましたほうがいいかな。
「じゃあ、帰るね」
ボクはみんなに手を振って、命ちゃんとともに空を舞った。
みんなわりと長い間、手を振りかえしてくれた。
時間は……二時間くらいは延長しておいてあげよう。
まあ、今回のドローン盗撮事件は、ちょっと過激なファンもいるってことだよね。
ボクも結構アイドルしてるじゃないかと思うと、なんだか恥ずかしいようなこそばゆいような気持ちになってくる。
そうアイドルだよ!
乙葉ちゃんのことを思いだし、口角があがるのがとまらない。
実はアイドルコラボっていうものにあこがれていたんです。
二週間後が本当に楽しみ!
★=
アメージンググレイス。
天使の軽やかな歌声に、わたしはパイプオルガン――ふうの音に似せた電子オルガンを弾いている。無垢で罪のない声に、わたしのつむぐ電子的な音が絡まり、神の恵みへと昇華する。
わたしは天使様のおみ足へ口づけるほどの価値もないが、しかし、天使はそのような取るに足らないものにも微笑みかけてくださるだろう。
滅びの時は来たれり。
滅びとはおそらく人の死を予言したもの。
いろいろな書物にも書かれている滅びとは、避けられぬ死を具象化したものだ。
確かに死は訪れる。誰にでも平等に。
永遠に生き続ける存在などいない。いままではそうであった。そういままでは。
しかし、世界は変わる。滅び生まれ変わる。
二週間後。
天使様は再臨されるという。
ああ――、歓喜。歓喜。歓喜。
こころのうちに歓喜の念が生じるのを抑えきれない。
祝福されなかった者たち。
虐げられた者たち。
神を信じ、ついに救われなかった者たちが、復活の時を迎えるのだ。
千年王国を実現し――、我らは素粒子の存在として甦る。
ヒロちゃん様ぁ。我らを御救いください!
実寸大まで引き延ばされたヒロちゃん様のポスターにすがりつき、そのおみ足に口づける。わたしのいまおこなっていることは厳密な意味で宗教的行為であり、俗世間で溢れるような変態的行為ではない。ましてや性的対象として天使様を見ているなどということはありえない。
そのような誤解をされたらわたしは即座に自分の首を掻き切って自ら死ぬことを選ぶだろう。いや、それは許されていない行為だ。
ともあれ、ケガレなき白くぷにぷにとした曲線に口づけていくと、たまらずわたしのなかの信仰心が溢れていく。陶酔。ただ陶酔。
だが、ぶしつけにドアがノックされた。
陶酔から急速に現実に引き戻され、はらわたが引きちぎられるほどの怒りが湧いたが、しかし、感情とはコントロールすべきものだ。自分も他者もすべからく。
わたしは気をとりなおして居住まいを正し、電子オルガンの前に座りなおしてから、入るように声をかけた。
「計画はうまくいきました」
乙葉が帰ってきたか。
報告は既にラインで受け取っている。
『(´▽`*)b やったよ』という感じだ。あいかわらずノリが軽い。高校生にもなれば少しは落ち着くと思ったがまったくそんなことはない。
とりあえずノリで『(゚д゚)キター』と返してしまったが、やはりラインというものは情報共有が速すぎてイマイチよくない。
しかし、どうしてこうも間が悪いのだろうか。
彼女はとても優秀なのだが、わたしに似て間が悪い。
まるで世界から嫌われているかのようだ。
「乙葉。私はいま天使様の声に伴奏をつけるのに忙しい。報告は後にしなさい」
「わかりました……。お父さん」
外面とネット以外のときダウナー系すぎないか、娘よ。
キャラを増やし過ぎたせいで、全員を均等に出せなくなってきてますね。
群像劇化してるってことで、このままいくと三人称のほうが有利になってる気もします。
次章はどんな書き方をしようかな。
それと……皆様にお伝えすることがあります。
この作品はたぶんそろそろ
ガールズラブタグがいるのではないか!
ということ。
主人公がTSしているので、微妙どころではあるのですが、もうそろそろTS百合化しているんじゃないかなと思います。なので追加します。
この作品の面白みがどこにあるのかはよく理解してもいないのですが、TS百合的な面白さも追求できたらいいなと思います。