ライブハウスの裏方には、シャワールームがある。
ボクがいま何をしているかというと、禊である。お清め的な何かだ。
まあたいして汗をかかない体質になっているとはいえ、あれだけ車を浮かせたり、蹴ったり、移動してきたんで、埃っぽくなってしまっているし、せっかくの乙葉ちゃんとの配信だし、ボクとしてはキレイにしたかったんだ。
つまり、これはボクのわがまま。
乙葉ちゃんは驚いていたけど、まあそれはそうだろうね。敵性勢力がいるかもしれないなかでシャワーを浴びるとか、どこのホラー映画だって話で、不用意すぎる。乙葉ちゃんのことを信頼しているよって伝える点ではいいかもしれないけど、もしかしたらただのアホの子と思われちゃうかもしれない。
でも――それでも。
なんというか、推しの子の前では、入念に手を洗って握手する気持ち。
わかりますでしょうか。
さすがに、飯田さんにはシャワールームの前で守ってもらうようにお願いしたけどね。ボクがシャワー浴びたいっていったら、飯田さんだけでなく、自衛隊服着た人たちの息も荒くなってたけどなぜでしょうか。もしかして……ロリコン?
そんなわけないよね。
蛇口をひねり、温水になるまで待つ。最初は水がでるから身体の表面をシールドで覆った。肌ではなく膜のようなものが薄皮一枚で水をはじいていく。冷たさは微塵も感じない。
だから、シャワー口は壁にかけたままで十分。
いつのまにやら傘がいらない子になってましたか、ボク。
もうそろそろいいかな。
シールド状態を解除すると、生白い肢体をシャワーの温水が伝っていく。
汗も汚れも流れおちていくと気持ちいい。
まちがいなく男だったときとは肌感覚が違う。
本当はお風呂に入りたかったけど、シャワーでも少しはリラックスできる。
ほんとはね、ちょっと緊張してたんだ。
こんな世界にでもならなきゃまちがいなく接点なんかなかった、スーパーアイドルといっしょに配信できるなんて、想像もしてなかったことだからね。
期待と緊張でドキドキがとまらない。ボクは無い胸に手を当てて静まるように言い聞かせてる。
ちなみに、命ちゃんが入ってこようとしたけど、遠慮してもらったよ。
小さい頃は確かにいっしょにお風呂とか入ってたけどさぁ。
もう高校生だし、ボクは大人だし……恥ずかしすぎるでしょ。
「先輩になら見られてもいいのに」
「いやいや、それはさすがに――って、命ちゃん!?」
背後から聞こえたのは命ちゃんの声だった。
シャワールームは、下が数十センチ開いている簡素な作りで、西部劇のバーみたいに、ちょっと手で押しただけで開く仕切りしかない。
顔だけ振り向くと、その仕切りの向こう側に命ちゃんが顔をだしていた。
身体は仕切りのせいで見えないけれど、何も着てないみたい。
裸を見られる恥ずかしさもあるけれど、裸を見ちゃうかもしれない恥ずかしさもあります。
「命ちゃんダメだよ。そんな……はしたない」
「ふふ。先輩が焦ってる。かわいい」
「焦るよ。そりゃ……。と、ともかく、シャワー浴びたいならそっちがあいてるでしょ。そっち使ってよ」
仕切り上になってるシャワールーム。
ボク以外には使ってないから、あいてるところはあと四つくらいある。
というか、隣使えばいいじゃん。
「先輩といっしょのシャワー浴びたいです」
「だめ。それはさすがに恥ずかしすぎるよ……」
ボクはくるりと回転して、壁を見つめる。
壁をただひたすらに見つめる。仕切り戸が開く小さな音。
ボクの肩がぴくんと跳ねる。
や、ヤバイよ。
命ちゃんの気配が近づいて、吐息が首のあたりにかかった。
「先輩……」
「み、命ちゃん怒るよ!」
「怒られてもいいです」
「外にたくさん人いるよ! 変なことしてるって思われちゃう」
「べつにいいじゃないですか。スッキリしてから配信しましょう」
なにがどうスッキリするんですかねぇ!?
肩とそしておなかにまわされる手。
シャワーで温まってきていた身体と対比してひんやりしていた。
ボクは身動きがとれない。とりようがない。だって、もし振り向いたらそこには裸の命ちゃんが立っているわけで、男として、兄のような存在として、見ちゃいけない気がした。
「先輩ならいいのに」
「ダメ……」
「OH……、ヒロちゃんと後輩ちゃん。仲良しさんデース」
ふぁ?
新たな乱入者の声。
もちろん、声だけですぐにわかる。乙葉ちゃんだ。
シャワールームによく反響する透き通るような甘いボイス。
ボクは一瞬で想像してしまった。全国のアイドルの頂点にたつ国民的グループ。そのなかでも一番人気な乙葉ちゃんが、桃色の肌をさらしている様を。
ごくり――。
自然と唾をのみこむボク。
「先輩はやっぱり、あの金太郎飴みたいなアイドルのことが好きなんですね」
「金太郎飴なんかじゃないよ。乙葉ちゃんが一番キラキラしてたし」
「ふうん。一番……ですか」
後ろから底冷えする声が届いてくる。
命ちゃんがまた、ヤンデレ化している。
あわわ。おへそのあたりを這うように触る左手が怖い。
「あの、違うよ……。ちょっと、ほら、アイドルの裸とか見ちゃったらダメかなぁって思って」
「ダメじゃないデス。女の子どうしデスカラ、なんの問題もありまセン」
乙葉ちゃんの声は少し楽しそうに近づいてきている。
仕切り戸の向こう側。わずか数メートルほどの距離に乙葉ちゃんがいる。
きっと、なにも着ていない。
だって、ここはシャワールームなのだから。
あわわわ。
小さな仕切りが開く音。
命ちゃんが振り返って乙葉ちゃんと対峙しているのが気配でわかる。
「あなた、邪魔です」
対する命ちゃんは直球すぎた。
「そんなこと言わないでもいいじゃないですか」
ほとんどシャワーにかき消されるほどの小さな声。乙葉ちゃん?
「それが地ですか? 私の先輩に粉かけてたんですね」
「ち、違いマース!」
「いまさら取り繕わないでください」
「み、命ちゃん……だめだよ。そういうことは言わないで」
「先輩はわたしよりアイドルのほうがいいんですね」
「だから違うって!」
命ちゃんは全然わかってくれない。
そんなイライラもあって、ボクはとっさに振り向いてしまった。
って、あ。
目の前に広がる肌色。ちょうど、命ちゃんの胸のあたりに視線がいって、ボクは変に意識してはいけないと目を伏せて……伏せちゃだめ。
ともかく、目をつむって。ああああ。あああああ。
「先輩。私のことを見てください」
「そ、そういうの、露出狂っていうんじゃないかな」
「ヒロちゃんは女の子が好きなのデスカ?」
「乙葉ちゃんもよくわからないこと言うね! 後輩ちゃんのことは人として好きなだけでありまして……」
「私は先輩のことが肉欲の対象としても好きですよ!」
「だったら、わたしもヒロちゃんの肉奴隷になってもかまいまセーン」
ボクの手が……両の手が引っ張られる。
なにか柔らかいものに押し当てられる。唇の感触が両腕の肩口あたりにあたる感触。もみくちゃに。
「どいてください」
「いやデース」
「あなたは先輩自身を見てるわけじゃなくて、ただゾンビ避けできる先輩を篭絡したいだけでしょう!」
「ち、違いマース。純粋に、ヒロちゃんに興味があるデース!」
「あ、あの、ふたりとも喧嘩しないで。ボクをとりあわないで!」
肌と肌のぶつかりあい。
水滴のぴちゃぴちゃと跳ねる音。
「じゃあ、ニンゲンやめられますか? 私は先輩のためならゾンビにだってなれます!」
「あうっ」
命ちゃんには正面から抱きつかれた、手をピーンと伸ばしているけど、真正面から伝わる肌の感覚。そして、おそるおそる目を開けると――。
命ちゃんの濡れた顔が迫ってきていた。いろんな意味で濡れた顔。
唇と唇が重なる。
むうう。
「ぷはっ。どうですか。先輩にキスしたらあなたはゾンビになります。そんな覚悟がありますか?」
「キスしたら……感染するんですか?」
「そうですよ。でも私のように意思がある存在になれるとは限りません。もしかしたらそこらにいるゾンビみたいに心のない存在になってしまうかもしれない。それでも先輩といっしょにいたいと思うんですか? あなたはそれだけの覚悟をもって先輩と接触しようとしているんですか?」
「ヒロちゃんはゾンビなんですか」
「ええ……。そうですよ。先輩と接触するというのは感染の危険があるということです。篭絡なんて甘い考えで接触しないでください。それとも――」
――ニンゲンやめますか?
「ボクは乙葉ちゃんを感染させるつもりはないんだけどな」
「先輩にその気がなくても、この子はどう考えてもハニートラップしかけようとしてたじゃないですか。ボディタッチは基本ですし、下手すると、挨拶とか言ってキスだってしてくるかもしれません。いま、そうしようとしてましたよ」
そうか。このままだと乙葉ちゃんがなにかの拍子に、ボクの体液を摂取してしまいそうだから、あえて情報をだしたのか。
それとも、乙葉ちゃんの真意を探ろうとしているのかな。
乙葉ちゃんのほうを見る。あいかわらず、愛くるしい微笑だけど少し困惑しているように見えた。
そして――白い乙女の柔肌。
近くには命ちゃんの。
身体ごとぴったりと押しつけられてるボクは、もう……もう……。
ぷしゅう。
「あ、先輩? 先輩! 先輩!」
「ヒロちゃん? おぅ……マジですか」
のぼせました。
☆=
肌色地獄でした。
シャワールーム前の脱衣室で、ボクはベンチに横たわってる。
タオルだけの状態で、命ちゃんに膝枕してもらってる。
「はい。冷たいお水デース」
「あ、ありがと! 乙葉ちゃん」
乙葉ちゃんは既に服を着ていた。
残念だなんて思ってない。思ってないからね。
ボクは起き上がってコップを受け取り、ゆっくりと水を飲み干す。
ひゃぁ。キンキンに冷えてやがる。
火照った身体には、まさに神の水だよね。うますぎるっ。
「はい。先輩。アウト」
横から命ちゃんにコップを取り上げられてしまった。
「へ? どうして」
「さっきキスで感染するって言いましたからね。さっそくですよ」
コップの縁をなぞる命ちゃん。
よくわかんないんだけど。
「コップについた先輩の唾液をかすめとろうとしたんでしょう」
「えー。違うよね? 乙葉ちゃん」
「違いマース」
なんで小声なんでしょうか。
微笑は変わらずだったけど、ちらりと視線を逸らしたし。
「わりとボク。唾液ぐらいだったらいくらでもあげてもいいと思ってるんだけど。さすがに危険性がわかってるなら摂取しようとはしないでしょ?」
「最初は小さな要求をして、少しずつ大きな要求になっていくんです」
「違いマース……」
うわ。蚊の鳴くような声。
「えっと、乙葉ちゃん気にしないでね。後輩ちゃんは心配性なんだ。唾液の中のヒイロウイルスはそんなに強くないから、ほっとけば霧散するよ」
血はわりと残存するんだけどね。
それと霧散というのは誤解される言い方かもしれないけど、表面的にはそういう表現のほうがわかりやすい。
ヒイロウイルスは無くなったわけじゃない。素粒子だから今の科学力じゃ感知できないだけ。非活性状態という表現のほうがいいのかな。
たぶん、唾は時間経過とともにゾンビ化させるほどのパワーが消えちゃうんだと思う。どうしてなのかはわからないけど、感染力は時間とともになくなる。ウイルスそのものは残ってるのかもしれないけど、人間を変態させるほどの力は残ってない。
ゾンビウイルスに人類みんな感染しているけどゾンビにならない状態と同じで、素粒子としておそらく残存はしているんだろうけど、人間をゾンビにする力はなくなるんだ。
どのくらいでなくなるのかは不明だけど、人間をヒイロゾンビ化するには直接マウストゥマウスで経口摂取しないと難しいんじゃないかな。
「ヒイロウイルス? なんですかそれ」
乙葉ちゃんがすごく流暢に日本語を話した。
「あ、うん。ボクが勝手に名づけただけなんだけど、ゾンビウイルスよりも上位のウイルスなんだと思う。たぶん」
「正直にイイマス。わたし、お父さんにあなたのこと、調べるよう頼まれマシタ。だから、ヒロちゃん汁……いっぱいいっぱい欲しいデス」
ヒロちゃん汁とはいったい……。
搾り取られちゃうの?
「そんな、私でも言えない変態的なことよく口に出せましたね。馬鹿を演じて、ノリでいいよって言われるのを期待するとか。アイドルは詐欺師なんですか? 先輩の人柄につけこんで最低です」
う。まさに、今いいよって言いそうになってしまってた。
ヒロちゃん汁ってなんだろうって思ったけど、べつに唾液だろうが血液だろうが、研究したいっていうならすればいいと思う。ボク自身がモルモットにならないなら、どうだっていい。
ゾンビを完全に駆逐されたら、モルモットになっちゃうかもしれないけど、その前にボクが強くなれば問題ない気がしてきてるんだよね。
ボクがゾンビ化してからおよそ一ヶ月。
ボクの戦闘力は既にスナイパーライフルの銃弾くらいなら受け止めることができるレベルに達している。そろそろロケットランチャーでも大丈夫そう。
この星にゾンビウイルスやヒイロウイルスが広がるにつれて、少しずつボクのパワーが増してきている。
ゾンビが駆逐されても、ヒイロウイルスは無機物にも感染するから、ボクの力は多少弱まるだろうけど、消えることはないと思う。唯物論的なすべての原子に寄生しているんだから、ゾンビの死体も物質であることに変わりは無いってわけだね。だから――。
「まあ、唾液くらいはいいんじゃないかなぁ」
というのが、ボクの結論です。
アイドルの唾液は高く売れるらしいけど、ボクの唾液ってどれくらいで売れるんだろう。成分的には素粒子的にヒイロウイルスが多く含まれてるけど、たぶん普通の唾と変わらないと思うんだけど。そんなことを言ってみたら――。
「垂涎の的に決まってるじゃないですか。百億円出しても買いますよ」
命ちゃんはさらりとすごい金額を出してくる。
「う、そうなの?」
「だとオモイマス。とはいえ、お金の価値がいまどれほど残っているかは疑問デスガ」
乙葉ちゃんも同じ感想らしい。
百億円とか言われてもよくわからないけど、
「先輩。ともかく安売りだけはしないでくださいね。下手すると、先輩とセックスしたら永遠の命が手に入るとか、そういう流れになりかねませんから」
「えー、こんなちんちくりんな身体に欲情するの?」
「わかってない。先輩はぜんぜんわかってない」
タオル姿の命ちゃんが全力で否定する。
うーん。ボクとしては命ちゃんのほうが魅力的なんだけどな。
まあ、カワイイとは思うんだけどね。
ボク自身の可愛さはアイドルにも匹敵するほどだと思ってるけど、なんというか生々しいものじゃなくて、猫みたいな可愛がられ方をするものだと思ってる。
周りがロリコンばかりで勘違いしそうになるけど、たぶん、本来なら、ボクってそこまで性欲の対象には……ならないよね?
「神格化されてしまうということですよ。天使とか呼ばれてるでしょう」
「たしかにヒロちゃんは天使だと思いマシタ」
乙葉ちゃんのほうが天使っぽいんだけど。ボク的には。
「超常の存在と交わることで、自らも人間を超える存在になりたいと願うのは、歴史的にはいくらでも例があります。私だって先輩が許してくれるのなら、いくらでも交わりたいです」
「交わりたいってそんな……もっと強くなりたいの?」
「そうではなくてですね……」
そんなガッカリするような目で見なくてもいいじゃない。ボクだってそれくらいわかってるよ! 命ちゃんが何を望んでるかくらいわかってる。
ただ、それを言うのは、はずかしいのっ!
「ヒロちゃんが女の子のことが好きなら……、わたし、ヒロちゃんのものになってもイイデス。ちょっとくらいエッチなこともしていいデスヨ」
「ま、マジですか」
乙葉ちゃんの真剣な瞳。
さりげない動作でベンチに座り、ボクの右手を両の手で包むようにしている。
鼻腔をくすぐるのは、甘ったるい女の子の匂い。
乙葉ちゃんのこと――ボクのものにしちゃっても、いいのかな?
なんて……。
「先輩! そんなに簡単にホイホイされないでください!」
ベンチの反対側にいる命ちゃんに、首をグキっとされた。
痛い。下手すると、ボクは永眠するところだった。
「あ、あの、そんなこと思うわけないじゃない。ふふ。ボク、お、女の子だし」
「そうですよね。先輩はたまたま好きな子が私だっただけの人ですよね」
「う、うん。まあそうかな」
「ちょっと待つデス」
グキ。
あう、今度は乙葉ちゃんだ。
「わたしのことはどうナンデスか?」
「すごく魅力的だと思います……はい」
「ヒロちゃんの使徒になるのが必要ナラ、何の問題もナイデス。その覚悟はできてマース」
「乙葉ちゃんはもう少し自分を大切にしたほうがいいんじゃないかな」
「大丈夫デス。ゾンビになってもかまいマセン。ヒロちゃんなら、わたしを大事にしてくれそうだし……」
「ええ~っ。ほ、ほんとにいいの。乙葉ちゃん」
「先輩っ」
グキっ。
命ちゃんだ。
「私はもう身も心も先輩に捧げてます。ぽっと出のアイドル風情になに誘惑されてるんですか。私との十数年来の思い出はどうなるんですか」
「わ、わかってるよ。ちょっと、言ってみただけだし。乙葉ちゃんは紛れも無い人間で、そんな簡単にヒイロウイルスに感染させたらダメだって、きちんとわかってるから」
「人間側が同意しているのにダメなんデスカ」
く、首が……。
ついに、命ちゃんと乙葉ちゃんの両方に持たれてる。
大岡裁きのように、ふたりして全力で振り向かせようと力をこめている。
ボクが普通の小学生だったらヤバかったな。ゾンビ小学生じゃなきゃ万が一が起こっていたよ……。
ともかく、ふたりの気迫がすごい。
魂のぶつかりあいを感じる。
こんなにもクオリアを感じたことはなかった。
「ちょっと聞いて!」
ボクはふたりから脱出するために立ち上がった。
「あ」「あ」
ふたりしてそんな寂しそうな顔しないでよ。
ボクが悪いことしてるみたいじゃないか。
「えっとね。そろそろ着替えようよ。ヒイロウイルスについてはボクが伝えられることは伝えるし。配信の後でもいいじゃない。乙葉ちゃんもそれでいいよね」
「もちろんデース」
「後輩ちゃんもそれでいい?」
「わかりました」
渋々ながら頷く命ちゃん。
ようやく落ち着いたみたい。
エキサイティングしたせいか、いろいろとベタついてしまった肌を見て、ボクは大きな溜息をつく。これはもう一度、汗を流したほうがよさげかな。
やれやれ、ボクはシャワーした。
★=
まさか女の子のことが好きだとは思わなかった。
お父さんの書いた予言めいた本のとおりになりつつある。だったら、わたしの価値もあるということだ。
わたしがゾンビになれば、ヒロちゃんはわたしを認めてくれるかもしれない。わたしが認められれば、お父さんはきっと喜んでくれる。
人をゾンビに変える素粒子。
そんなものがあるのかないのかはわからない。
けれど、後輩ちゃんが使徒であり、ヒロちゃんが主上であるというのなら、話の展開としては納得できる。
まさしく――先輩なわけだ。
ゾンビ的な意味での先輩。
ただ、ゾンビ的なというのが、イメージ的には悪いかもしれないので、魔瑠魔瑠教的には『人を天使に変える聖霊』であるといえるだろう。
聖体拝領――、あるいは血脈相承。
どっちの言葉を使うのかな。
お父さんの宗教はぶっちゃけ西洋宗教のパクリな面も多いのだけれども、実際はお寺さんだった小さな宗教法人を買い叩いたことで引き継いでいる。
日本的な宗教を引継ぎ、西洋的に変容させたという感じなので、ちゃんぽんみたいになってる。
いい意味、和洋折衷。
悪い意味、カオス。
つまり、そういうこと。
まあ、わたし自身は宗教にはそこまで興味はない。お父さんが教祖をしているから、わたしも影ながら応援しているってだけ。実のところ芸能関係はそのあたりは結構、緩くてべつに新興宗教に属しているからって、特になにかをいわれたことはない。プロフィール上では書いても書かなくてもいいし、この国の憲法上は、『何を信じているかを言わない』という自由も保障されている。
宗教法人がバックにあっても、それはお金儲けのためにしているんだろうなと思われて、ガチでやってるとは誰も思わないというのも背景にあるのだと思う。
お父さんは、わりとガチでやってる系ではあったけど……。
まさか、ここにきて本当に予言どおりになるとは思わなかった。
それは驚きだ。
ヒロちゃんは本当に天使なのだろうか。
「乙葉ちゃん。どうかなー?」
控え室のドアから、チラっと顔を出し、エヘ顔しながら入ってきたのは、わたしが所属していたアイドルグループの服を着こなしているヒロちゃんだった。
赤を基調とした服。そこらのアイドルを遥かに凌駕する魅力値。
アイドルとしての経験が教えてくれる。おそらく、ゾンビでなくても、天使でなくても、ヒロちゃんはトップアイドルになれるだけの逸材だろう。
「すごくカワイイデス!」
「えへ。ありがとう! 乙葉ちゃんもその服。卒業式とかの時に歌われる定番の曲のときのやつだよね」
「そうデース」
「ボクに合う服ってどうやって用意してくれたの?」
「アイドルは成長期なので、実をいうと予備のサイズがたくさんアルデス」
「へえ……えへ」
くるりくるりと回転しながら、自分に魔法がかかったみたいにはにかむヒロちゃん。わたしが男なら一発で篭絡されそうな恐ろしいほどの愛されぢからを感じる。
とくん。と胸が高鳴った気がした。
わたしのことを好きだといってくれたヒロちゃん。
じんわりと、心が温かくなってくる。
誰かに直接的に欲しいと言われたことはなかった。
配信で何万人の人に見られて、何万人の人に褒められても、それは空虚な言葉だと思う。
なぜなら、その言葉は無限の距離があって――。
あの暗闇の中に閉じこめられていたわたしには届かないから。
でも、手の届く範囲なら。
「ヒロちゃん。今日はよろしくお願いシマース」
「うん。よろしくね」
わたしは、自然と握手した。
握りしめた手のひらから、暖かさが伝わるような気がした。
二話即堕ちのアイドル。
でも、使命を忘れたことは一時だってない……はずです。