敵がいなくなってしまったので、ボクたちはさっさと移動することにした。
とはいえ、待ち伏せの可能性が高いので、あまり大胆に移動するのは得策じゃない。ピンクさんの提案で、ひし形の陣形を取って周囲を警戒している。
みんな、真剣そのものだ。
「先輩、このまま襲撃されることなく麦畑にたどり着いたら、南側に寄せるようにジリジリ移動しませんか?」
「その心は?」
「もちろん居場所がバレないようにするためです」
「匍匐で移動してたら危険じゃない?」
「ノーリスクノーリターンですよ」
うーむ。
ここまで狭いエリアになってしまえば、もはや相手がどこに隠れているかはわからないし、いつ襲撃を受けるかはわからないか。匍匐だと動きがワンテンポ遅れてしまうし、こっちはほとんど麦しか見えない。黄金の絨毯にはばまれてしまう。そういったデメリットはあるものの、ただのカカシみたいに突っ立っているよりはマシだ。
少しでも生存率をあげるという意味で賛成だった。
「でも、幼女先輩が南側にいたらどうするんデース?」
チラっと横を見ると、あいかわらずかわいらしい乙葉ちゃんが、ぽわっとした声を出している。でも、その疑問は鋭い。
ボクたちがいる麦畑の西側は、幼女先輩が来ることはほとんどないだろう。ゾンビがジリジリと迫ってきているし、そこを抜けてくるとは考えにくい。
じゃあ、北、東、南のいずれかの方向から幼女先輩は来るということになるんだけど、さっき命ちゃんが指差し確認してくれたとおり、東はたぶんありえない。
このゲームってボートに乗ってると銃を撃てないからね。
一方的に撃たれまくることになって不利すぎるし、接岸した瞬間が最も危険だから。
つまり、北か南。
でも、地図を見る限りじゃ、南は平原で幼女先輩にとっては相対的に不利だ。物量作戦が一番効くのが南側ということになるからね。例えば、チームプレイしている四人組が全員で南側で待ち構えていたら、さすがに幼女先輩でも厳しいんじゃないかな。
だって、相手は物陰に隠れながら――例えば、車とかを盾にしながら攻撃できるわけだけど、幼女先輩は麦畑エリアに到達するためには、そこにいる敵を排除しなければならないから。そのためには銃を撃つ。そうするとゾンビが寄ってくる。それに禁止エリアにかかる可能性も。
車で急行突破とかもできなくはないだろうけど、四方からアサルトライフルで撃たれれば、フロントガラスごと撃破される可能性が高い。重要なのは、車を運転しながらは銃を撃てないってこと。助手席とかに座ってる人は撃てるんだけど、運転手は撃てないんだ。これはシステム的にできないから幼女先輩も例外じゃない。
さっき命ちゃんがモヒさんたちにやったみたいに車でひき殺すとかはできるんだけど、終盤戦で装備がそろってる連中相手だとちょっと悪手。
幼女先輩がそんなわかりやすい作戦を立てるとも思えないけどね。
幼女先輩がもしも南側で交戦しているとするならば、どうするか。
命ちゃんの答えはシンプルだった。
「もしも、幼女先輩と交戦中なら、助勢します」
「相手チームを先に倒したほうがよくないかな?」
と、ボクは聞く。
答えたのは命ちゃんではなく――、
『ピンクとしては、幼女先輩を先に倒したほうがよいと思うぞ』
「どうして?」
『幼女先輩が強いからだ』
わかるー。
というか、幼女先輩って本気で1人対100人でも勝てそうだよね。
勝率という意味では、普通のゲーマー四人と戦うほうがまだ勝ち目があるというかなんというか。
「もしも、幼女先輩がいなかったらどうするの?」
「必然的に北から来る可能性が高いですが、その場合は彼らに期待するほうがいいでしょうね。幼女先輩が無傷だと辛いですが、いくらかはダメージを受けていることを期待するしか……」
命ちゃんの智謀を持ってしても、このあたりが一番勝率の高い方法論だったのだろう。
命ちゃんの提案に対しても否はない。天丼はしないよ。
ボクだってちゃんと学ぶんだ。
「じゃあ、いもいも動くね」
芋ではなくて、芋虫みたいにいもいも動く。
匍匐前進ッ!
★=
さて困ったことになった。
素人ゲーマーのオレにとっては、幼女先輩の思考は遥か高みにあるといっていい。それでも、オレだってモラトリアムの時間をたくさん使ってゲームばっかしてたんだ。
はっきり言えば、ゲームも音楽と似ていて練習すればするほどうまくなる。もちろん能力的な限界もあるから、オレは早々にプロになるのは無理だと思っていたけれど、費やした時間だけは膨大だ。
親から与えられた時間をたっぷり使って――、たぶん本当の大人になったら、使えなくなってしまう時間をたっぷり使って、オレはゲームという平均的社会人から見ればまったく意味のない遊びに熱中した。
罪悪感はあるんだ。親に対する罪悪感。社会に対する罪悪感。それと自分自身に対する罪悪感。イライラとした焦りに似た気持ちなんていくらでもある。こんなゲームにマジになっちゃってどうすんのって思ったことだってないとは言えない。
でも、何かに熱中することが、悪いことばかりとは思いたくない。ゲームは確かに虚構だが、そのゲームに熱中しているオレの気持ちは本物だから。
その時間がまったく通用しないなんて思いたくない。
過ごしてきた時間が無為だったなんて。
生きてきた甲斐がなかったなんて。
誰だって思いたくないはずなんだ。
ただのデータにすぎなくても、いつかはなくなってしまうものでも。
オレにとってはゲームをする時間はかけがえのないものだったから。
感傷的すぎるか?
そんなオセンチなものじゃないけどな。
ただ誰にだって否定されたくない時間っていうのはある。
ただそれだけの話。
その証明のために、幼女先輩を倒す。
そのためには、考えなくては――いけないのだが……。
思考がうまくまとまらない。
北と南いずれかが幼女先輩である現状、北はその技量からして幼女先輩だろうと思われる。
しかし、南は平地で比較的警戒がしやすい。
オレに一言も連絡なしにやられるか普通。いや――偶然ヘッドショットなんてこともなくはないだろう。
事実だけに目を向ければ、北はほんの点にしか見えない顔を正確に狙ってくる凄腕スナイパー。南は得体の知れない謎のアサシンってところだが、南のほうはまだありえる話ではある。麦畑前の平地エリアはスナイパーにとっては限界距離でもなんでもなく、およそ500メートル程度の十分にスナイプ可能な距離だからだ。もっとも――、車を遮蔽物にしながら警戒しているやつを真正面から撃ちぬく技量が必要ということになるが。
可能性だけに限れば、北は幼女先輩、南はやはりプロ並の実力ということになるだろうな。
それで、だ。
オレはどちらに向かうべきなのかというのが問題だ。
東にいた仲間はいま北に急行している。オレはちょうど真ん中あたりで立ち止まっている。おそらくヒロちゃんたちはオレたちの待ち伏せを考え、麦畑に入ったあたりで匍匐移動しているはずだ。
北に行くべきか?
微妙な判断にはなるが、やはり幼女先輩を先に倒すべきだろう。
相手の位置がおぼろげながらもわかる今の状況しか勝てる見込みはない。
北だ! 幼女先輩を倒す!
★=
勾配を背にして、東と北の仲間はまだ生き残っていた。
北のやつはかろうじてという感じだけどな。既に何度かヘッドショットかまされてるらしい。普通なら死ぬが、ゲーム的にはヘルメットがなければ即死だったというやつだ。
冗談っぽく言ったが、レベル3のヘルメットなら、ギリで耐えられるというゲームのシステム上の話。
もちろん、治療薬は尽きてるだろう。ポーション頼みで生きていけない。
「状況は?」
「つらみ」
「つらたん」
「余裕ありそうだな。おまえら……。で、なにしてんだ。交戦中じゃなかったのかよ」
「無理だべ。だってこっちは全然あたらねーし」と東。
「顔出したらやられるんだから、ゾンビ来るまで待ったほうがいいって」と北。
「時間切れを狙うってことか」とオレ。
それもひとつの手かなとは思う。
相手もあれだけバンバン撃ってるんだ。ゾンビがかなり寄ってきてるはずだ。このまま圧死するのを待てばいいというのはわからんでもない。
だが、そんな消極策で本当に勝てるのか?
相手はあの幼女先輩だぞ。
「オレには、幼女先輩の手のひらの上という感じがする」
「だったらオマエいってこいよ」
当然の反応だった。
でも顔を出したら即座に狙われる今の状況だと、どうしようもない。
沈黙が落ちた。結局、とりうる手段は最初からひとつだけだったんだ。待つしかない。そしてゾンビが幼女先輩を押し出すのを待つしかない。
猛烈に嫌な予感がするが、オレにはその予感を塗りつぶすだけの実力はない。ただの素人ゲーマーだから、やれることは限られる。
たったひとつだけ有利な点があるとすれば、銃を構えていない状態だと、このゲームはTPSであるということだ。TPSとはキャラクターの背中から撮影してるような視点のことをいう。だから、それを利用すれば遮蔽物に隠れつつ、敵の姿を捉えることができる。
いやもうひとつ有利な点はあったな……。
幼女先輩はひとりで、こっちには仲間がいるってことだ。
「幼女先輩がこちらに向かってきたら、全員で特攻をかけよう」
「まー、それしかないしな」
「リーダーが一番最初にキルされそう」
「うっせえ」
握ってるコントローラーが汗ですべりそうなくらいだった。
幼女先輩と戦ったことは何度かある。殺した数がナンバーワンだった幼女先輩には、当然殺された人も多いってことだ。ゲームを長い時間プレイする人間ならおのずと出会う。
幼女先輩は強い――というのはいまさらのことだが、その強さはとてもシンプルだ。シンプルに強い。
そのいずれもオーソドックスなチート的能力による。
チートというとゲーム的には侮蔑に当たるからそんなことは言わないが、そう思えるくらい神業としか言いようがないエイムのスピード、判断力、そしてゲームの知識に長けているんだ。
おそらく、幼女先輩が採る戦略は単純――。
ただ、ひたすら進軍し、こちらが照準を合わせる前に引き金を引く。
それだけのことだ。
この意味がわかるか?
三人が撃つ前に三人に照準を合わせることができるとか――アホらしいと思うだろ。でも、それができるのが幼女先輩だ。
こちらができるのは人並に当たる距離までひきつけること。
それしかない。
☆=
芋虫みたいな行進から早幾年。というほど時間は経ってないけど、もうかれこれ数分はこの状態だ。だいぶん、南のほうに移動している気がする。
「みんな、ストーップ!」
ボクはみんなに声をかけた。
「どうしたデース?」と乙葉ちゃん。
「あの、そろそろ南側に到着したのに人いなくない?」
「幼女先輩が来たのは北側からだったということでしょうね。ここにいたチームの人たちはやられたか、それとも北に向かったか」
命ちゃんはあいかわらず冷静な分析だ。
「どうしたらいいのかな」
「そうですね……。ヒロ友のみんなに聞いてみるのはどうですか?」
配信画面を見るのは、若干、反則気味になるかもしれないので自重してたんだけど、みんなといっしょに楽しむのも目的だからね。今回は例外。ボクルール適用! みんな許してくれるよね。
「じゃあ、みんなに聞くけど、これからどうすればいいと思う?」
『ヒロちゃん民主主義』『サーチ&デストロイ!』『エンジョイ&エキサイティング』『あー、匍匐解除して、しゃがみの姿勢なら見えないまま遠くが見渡せるぞ』『匍匐のままのがよくね? 幼女先輩に狙撃されるぞ』『だからしゃがみでも見えねーって』『ヒロちゃんを撃つとか幼女先輩のファンやめます』
みんなの意見をざっと見ると、ふむふむ。
「しゃがみの姿勢になるといいのか。そうしてみようかな」
っと、ボタンを押して――あれ、しゃがみってどうするんだっけ?
Zボタンかな。
『おっと、ここで棒立ちプレイ』『姫プならぬ舐めプ?』『ヒロちゃん痛恨のミス!』『立ち上がれー立ち上がれーヒロちゃん!』『おいおい死んだわ』『ぽんこつかわいいよ』『はよしゃがめwwwwCボタン押せしwwww』『ヒロちゃんが撃たれちゃう!!』『やめて撃たないで! 幼女先輩やめて』
あわわわわ。
お、おち、おちつけ……。おちついてCを押せばいいだけだ。
ゾンビパワーでキーボードを破壊しないように優しく。
そのとき、蒼い空に、ターンという甲高い音が木霊した。
ボクの前方からだろうか。
弾が通過するときに現実的にもよく聞く風切り音。
ね、狙われております。おります!
「落ち着いてください。先輩」
命ちゃんが手を伸ばして、ボクのキーボードを押してくれた。
「あう……。ありがとう。後輩ちゃん……」
さすがにこれには申し訳ない気持ちでいっぱいです。
申し訳ない。不甲斐ない先輩で申し訳ない。
『これは伝説の介護プレイじゃな』『しゃがむボタンもひとりで押せないヒロちゃん』『ヒロちゃんかわいいよヒロちゃん』『完全にちょんぼやしな……』『小学生だから仕方ないと思います』『地上に舞い降りたばかりの天使だからしょうがない説』『今のは温情じゃね?』『獲物の前で舌なめずりするのは三流だぜ。幼女先輩じゃなくね?』『かもなー』
幼女先輩じゃないもうひとりか。
ここまで生き残ってることから考えても、相当強いんだろうな。
まあ、幼女先輩ならボクが立ち上がった瞬間に終わってただろうから、ある意味、運がよかったのか?
「先輩のミスが帳消しになるわけじゃないですけどね」
「うっ……」
命ちゃんが少しばかりボクに厳しくなってる気がする今日このごろです。
昔は素直な女の子だったのに。
「ともかく、移動しないとまずいですね。しゃがみ移動で少しでも距離を稼ぎましょう」
しかし、その時間は無かった。
また銃声が鳴った。パタパタと雨が葉っぱを打ち据えるような音。
ヒュっと風を切り裂く音が耳元を通過した。
散発的な音だから、たぶんアサルトライフルに消音機とスナイパーサイトをとりつけた装備だろう。
ボクたちがいるあたりをおおざっぱに狙っている。向こうがいる方向が全然つかめない。
みんながボクの周囲を固めて、盾になってくれる。
ダメージは不可避だった。
ヘッドショットではないから一撃死ではないにしろ、少なくないダメージが入る。このままじゃ、ジリ貧だ。
「戦おうよ!」
『ピンクとしては囮作戦を提案したい』
『囮作戦?』と、ボクはチャットで答える。
さすがにリアルで口を開くとバレちゃうからね。
『ここでひとりが残り応戦する。その間に残りはしゃがみ移動で微妙に位置を変える。相手としては見えてる敵を減らしたいだろうから、きっと囮に食いつくだろう』
『それなら、みんなで移動したほうが良くない?』
『いや、ヒロちゃんといっしょにいたいという思いから、べったりくっついていたが、冷静に考えると勝率をあげるだけなら、周囲に展開したほうがいいぞ』
まあ確かに――。
ていうか、それって最初、命ちゃんが提案してたけど、みんなが蹴ったんじゃなかったっけ。
でもここにきて、ついにピンクさんも本気を出したということだろう。
『待ってくだサーイ。それならここで残るのはわたしのほうがいいはずデース』
『どうして?』
『わたしが一番イラナイ子だからデース』
いきなりイラナイ子宣言されちゃったよ……。
『乙葉ちゃんはイラナイ子なんかじゃないよ』
そうチャットにうちこむと、なんだか妙な熱視線を感じる。
横を見ると、乙葉ちゃんがうるうると涙でにじむ瞳でボクを見ていた。
いや、そこまで感動すること言ったっけ?
『ピンクとしては、提案者である自分が囮になりたい』
ピンクさんがかっこいいな。
でも、そうさせてしまってもいいものなのか。このゲーム、死んでしまうとチャットはできなくなる。リアルで近くにいる乙葉ちゃんと命ちゃんはべつとして、ピンクさんとはいったんコミュニケーションをとれなくなっちゃうんだ。
それが少し寂しい感じも。
『ヒロちゃんは何も問題なく、見てこいピンクと命じればいい』
『それは死亡フラグだよ……ピンクさん』
『ピンクもただで死ぬつもりはない。さっきのヒロちゃんみたいに立ち上がったあとはすぐにしゃがむつもりだ』
ピンクさんの悲愴の覚悟――なのかな。
ともかく自分が囮になることには矜持があるらしい。
『じゃあ、お願いするね』
『任された。一度……言ってみたかったんだ』
え、なにを?
『ここはピンクに任せて、先に行け!』
それも死亡フラグだよ……ピンクさん。