「マジ最悪なんですけど」
令子ちゃんは切れ長の目でじっと女将さんをにらみつけている。
そう――、人肉モグモグしちゃった件について、ひどくお怒りのようだ。
もしかすると人を殺してしまったということもかも。
いずれにしろ、令子ちゃんは心神喪失状態だったわけだから、ゾンビ無罪だと思うけど、そんなの関係ねぇって感じか。
嫌悪感ばかりは停めようがない。
よく、中学生が言ってるようにマジ無理ってやつだ。生理的レベルで嫌悪感を抱いている。
「令子、人間に戻って……よかった」
今にも泣き崩れそうな女将さんとは対照的だった。みんな、ゾンビから人間に戻った令子ちゃんに対して、ある種の感動を抱いているみたいだけど、そんなみんなとは違って、令子ちゃんはものすごく冷静だ。
いや、冷徹というレベルかも。
「腕痛いんですけど。縄ほどいてよお母さん」
いまの令子ちゃんは後ろ手に縛られていて、まともに動けない状態だ。令子ちゃん自身が縛られることを許容していたみたいだけど、それはゾンビになった際に誰かを襲わないようにという配慮だ。
もちろん、人間に戻ったからにはもはや縛られている必要はない。
あたふたとしながら、なかなか縄がほどけない女将さんの代わりに、正子ちゃんが近づいてきた。女将さんといっしょになって縄をほどこうとしている。
そして、ぽつりと呟くように。
「令子」
「なに?」
「その……いろいろと最悪なのはわかってるけど、仕方ないって思うんだけど」
「そんなの正子に言われたくない」
わずかにショックを受けた様子の正子ちゃん。
でも、気にしてないふうを装っている。
「硬いな……くそっ」
正子ちゃんが悪態をつく。
縄は相当硬く結ばれているみたいだ。しかたないので、ボクが近づいてゾンビパワーでブチって切ってあげた。ゾンビから人間に戻している段階で、ボクは客観的に見れば不思議少女なので、このくらいでみんなは驚かなかった。
ひとりだけ例外がいるとすれば、目の前にいる令子ちゃんだけど、見た目にはそんなに驚いた様子はないな。
ゾンビだったときの記憶があるとすれば、ボクがゾンビから回復させたことも覚えているはずだけど。
まあ、ボクと令子ちゃんはいましがた会ったばかりだし、自分がどうして人間に復帰したかまではよくわかっていないのかもしれない。
そういうわけで。
「あんたは?」
と、令子ちゃんは特に感慨もなく言った。
「ボクは緋色」
「緋色?」
「名前が緋色」
「そう」
ボクに対する態度もなんだか冷たい。ほっぺたに氷をぴたってつけられたみたいな感じだ。
回復したことで惚れさせるというチート――、いわゆる回復ポはボクにはなかったみたい。
ボクが見た目女子小学生で、彼女が女子中学生だからかもしれないけど。
特に残念ではないけれど、人間に戻した点についてちょっとは感謝してほしくもあった。少なくとも嫌われたくはない。そうじゃないと、ゾンビ状態のほうがボクにとってはまだマシってことになってしまうから。
うーん。身体だけでなくこころもちっちゃいなボクって。
でも本音としては他人にそういうことを期待しちゃってる。
令子ちゃんの態度は素っ気なかった。もしかするとゾンビから人間に戻ったことすらもあまりありがたくはない感じだった。
人間に戻ったことでツラミを感じてるからだと思う。なにも考えないゾンビライフって、それはそれで楽そうだもんね。将来のことなんかも考えなくていいし、老後に2000万円貯めなくてもいい。
つまるところ――、中学生というのは、世の中の不条理というやつを始めて感じはじめる年頃なわけで、その憤懣を誰かにぶつけるのはしょうがない面もあるように思うよ。
現実と理想のギャップを弁証法的に解決するために、とりあえずのところ一番身近な人を現実の代表者として攻撃する。
人はそれを反抗期といいます。
その反抗期をファンタジーというか脳内妄想で乗り切ろうとすると中二病になるんですね。
ボクは詳しいんだ。(体験者は語る)
令子ちゃんの場合は、ただの反抗期かな。
「緋色さんはあなたをゾンビから戻してくださったんですよ」
と、女将さん。
なんというか、声にうれしさがにじんでいる。
回復ポしているのってむしろ女将さんだったりして。
「ふうん。ありがとう」
「どういたしまして」
なんだかサバサバしてるな。その調子で人肉モグモグの件も曖昧に解決していけばいいんだけど、そうはならないんだろうな。
ここまで明確な怒りの感情があると、その感情を解消しないことには落ち着かないように思えた。
「みんな最悪なんですけど」
ほらやっぱり。
手首を軽く握りながら、じんわりと嫌悪感をにじませた声。
正子ちゃんたちは気まずいのか何もいえない。
「普通に考えて、人間を生きたまま食べさせるってどうなの?」
「それは……あなたが人しか食べようとしなかったから」
「ゾンビでしょ。ゾンビは人しか食べようとしないのは常識でしょ!」
「そんなのわかりません。あなたがなにも食べないと死んでしまうんじゃないかと思ったのよ」
「もう死んでるって、ゾンビなんだから」
まあ、ゾンビだし。
普通は死体だよね。ただ、死体じゃなくて感染者というパターンもあるから、微妙どころではあるけどね。
ボクのゾンビさんたちはべつに飢えてるから人間を食べようとしているわけではないと思うんだよね。
なんというか共感性の発露というか。
寂しいから人間をゾンビに変えようとしているように思う。
孤独を癒そうとしているのです。
でも、他人を自分に変えてしまったら結局のところ孤独になるわけだから、矛盾している行動ともいえるのかななんて思ったりもしています。
哲学だ。
しかし、基本的によそ様のお家のことだとはいえ――、親子喧嘩はあまりしてほしくない。
「ゾンビとか、わたしは知りませんよ。あなたが病気だと思ったから、そのときの最善を尽くしたまでです」
「それで生きた人間を食べさせるっておかしくない? あんたたちもそうよ。正子。和美。早成。なんでお母さんを止めてくれなかったの。あんたたちは全員人殺しよ!」
あー。早成ちゃんがぶるぶる震えているよ。
罪悪感で膨れ上がってる早成ちゃんにとって今の言葉はクリティカルダメージだったみたいだ。
「あいつは死んでもしょうがないやつだったんだ」と正子ちゃん。
「だから? だからなに。それでわたしを使って殺してもいいって?」
自分も殺したって意識があるわけか。正子ちゃんは二の句を告げない。自分が女将さんに逆らえなかったという意識があるからだ。
「あの人を殺したのはわたしの判断です」
女将さんが毅然とした態度で、きっぱりと言った。
令子ちゃんのほうはいまにもつかみかからんばかりの勢いだ。
顔が紅潮している。
「人殺し!」
「そうしなければ、みんな殺されると思ったんですよ。令子がなんといおうと、あの時のわたしの判断は正しかったと思います」
「お母さんはいつもそう。自分は正しい。わたしは感情的にわめき散らしているだけ。子どもは親のことを聞いていればいいって思ってるんでしょ」
「そうはいってません。ただ、世の中はいろんなことを考えなければ生きていけないようになってるの。甘い夢ばかり見てたらいつか死んでしまう。あなただってゾンビになって思い知ったでしょう」
「子どもは親の言いつけを守って、親が与えてくれるものだったら人肉でも食べろっていうの? そんなのひどくない? 狂ってる」
吐き捨てるように言い放った令子ちゃん。
まあ、狂ってるという言い分は強烈だけど、あながち間違いではないとも思う。普通ゾンビになってるからって人間を食べさせようとするのはちょっとねえ。
いま、令子ちゃんが人間に戻ってるから、女将さんは『正気に戻った』のかもしれないけど、やっぱり、ゾンビのままだったら、あのまま突き進んでいたかもしれない。極端な話、早成ちゃんあたりをモグモグさせたりしたかもなんて。
女将さんは顔を伏せて絞り出すように言う。
「あなたを愛しているからよ」
「愛してさえいれば何してもいいって思ってるの? わたしはお母さんの愛で傷ついたんだよ! もう一生ずっとずっと悩んで、苦しんで、きっと夢に見る。歯の隙間に肉が挟まってるみたいに、すえた腐ったにおいがして、もう絶対にパティシエになんかなれない。ひどいよ……お母さんのせいだよ……」
ぽろぽろと泣き始める令子ちゃん。
「令子……」
女将さんのほうは抱きしめようとしたけれど、抱きしめたら余計に傷つくと思ったのか、そのままじっと時が過ぎ去るのを待った。
やべえ。この修羅場なんとかなりませんかね。
命ちゃん。ふるふると頭を振る。
マナさんも同じく。
「う。うーん。その……あれだよ。ゾンビセーフ!」
「え?」
「とりあえず、ゾンビに造詣が深いボクから言わせてもらえれば、ゾンビ状態で何かを食べると素粒子化するので人間を食べたことにはなりません。これをいわゆるゾンビセーフといいます」
「ゾンビセーフ?」
「つまりなにが言いたいかっていうと、温泉にでも入ってさっぱりしようよということで、ここはひとつ」
「なに言ってるのかさっぱりわからない」
ですよねー。
でも、地下室でずっとののしりあってても始まらないので、ボクたちはまた温泉に入ることにしました。
☆=
かぽーん。
前回は命ちゃんたちと家族みたいな感じで温泉に入ったけど、今回は見慣れない人たち――女子中学生ズもいっしょだ。セクハラじゃないよ。精神的なケアに必要な行為だよ。正直なところ、ボクたちは二度目なのでべつに入らなくてもよかったけど、流れってあるからね。しかたない。
「さあ入ろうかな」
「どうして温泉なんかに入らなくちゃいけないの」
「もう二カ月近く入ってないんでしょ。きっと気持ちいいよ」
「べつに今じゃなくてもいいじゃない。わたしはそんなに汚れてない」
「まあまあ、とりあえずとりあえず」
ボクの言葉に、顔をそらす令子ちゃん。
あいかわらずツンツンしてるけど、これはもう時間が解決するのを待つしかない。
でもね。
なんとなく嫌ではあった。
ボクって親を早くに亡くしてるから、親子という関係に憧れみたいな感情を抱いてる。できれば、仲良くしてほしいって思ってる。
親も子も互いに互いを選べないけど、縁あって親子になったんだからさ。
そこは仲良くしたほうがいいに決まってる。
人間だから、互いに間違うことはあるにしろ、生きてる限りは――、間違いを正せるんじゃないかって思いたい。女将さんは少なくとも令子ちゃんを愛してるって言ってるわけだし、愛でも虐待になったりするんだろうか。うーん。
愛情も使い方次第だから、絶対の免罪符にはならないと思うけど、トランプのジョーカー程度には、いろんな問題を解決する切り札になりそうではあるかな。
少なくともボクとしては女将さんのほうに共感する。
「親がいっしょにとか、マジありえんくない?」
いやまあそう言わずに。
令子ちゃんはいまだに納得していないようだ。
長めのタオルを前掛けのようにして身体を隠しているけれど、特に肉体的な変調はないみたい。瑞々しい肌が側面から覗いていて、幼女的精神以外のところで存外焦る。
あんまりじろじろ見てると、命ちゃんに怒られるので、ボクは早々に湯船に浸かった。さっき洗ったばかりだし、もういいかなって。
「お客様。お背中お流ししましょうか」
湯船のヘリのところに膝をついたのは女将さんだ。
もちろん、タオルを身体に巻いている。
「さっき洗ったからいいです」
「さようですか」
「あと……、令子ちゃんとの仲直りだけど、ボクにはがんばってってしかいえないけど……がんばってくださいね」
「はい。お客様にいただいた機会。ありがたく使わせていただきます」
やっぱり綺麗な所作で頭を下げる女将さんだった。
女将さんは静かに立ち上がると、令子ちゃんのほうに向かった。
令子ちゃんのほうは、誰とも視線を合わせずにしきりに身体を綺麗にしている。
特に口の中に水を入れてすすいでいる。
ゾンビ状態のときは代謝が停止しているから身体もほとんど汚れないんだけどね。
罪の意識というか、罪の記憶というか、そういうものを洗い流そうとしているのかもしれない。
うーん。
なにかボクにできることはないだろうか。
「こころの問題ですから、自分でどうにかするしかないですよ」
命ちゃんの言うこともわかるよ。
何を想って、何を感じるかは人次第だし、その人のキャパシティの問題もある。
パティシエになるのが夢だといった令子ちゃんにとって、食べるという行為は崇高な概念だったのかもしれない。それが踏みつけにされたって感じてるのかもしれない。
「ご主人様が、ズビャっと令子ちゃんの脳内レセプターをいじって、罪の意識だけを感じさせないようにすればいいんじゃないですか?」
「マナさん。それは鬼畜」
ゾンビウイルスが人間の意識を奪うことができるのなら、その上位互換であるヒイロウイルスは人間の意識を操ることもできるだろう。
脳だって物理的な"モノ"であることに間違いはないわけだし――。
でもそうやって、人の意識を操るのはよくないことだと思う。
「ロキソニンを飲んだら痛みを忘れるじゃないですか。ご主人様成分を摂取したら、この世は天国。なにが違うんですか~」
「痛みを忘れるのと洗脳するのとはだいぶん違うと思う……」
「わたしの場合は、ご主人様に洗脳されたいです♪」
「じー」
ジト目でマナさんを睨んでみる。ヒイロウイルスを操ったりはしてないけど、マナさんが豊満な身体をくねくねさせた。
「あ♪ あ♪ 素敵です♪」
「なにもしてないんだけど」
「放置プレイも好きです~」
度し難い。
マナさんらしいともいえるけどね。
そもそも、マナさんは最初からゾンビだったわけだし、そうやってボクに操られるのを望んでいる人なのかもしれない。
こういう言い方が正しいのかは謎だけど、ソフトなマゾなのかも。
「ご主人様にいじめられるのもいいかもしれない。幼女に縛られてのっかられて、ふひ」
「いや、マジでやめてね」
「マジといえば真面目な話ですが、結局あれですよね。罪悪感というのは汚れてしまったという意識なんだと思います。それは自分で自分を罰する気持ちですから、誰かから赦してもらいたいんですよ」
「女将さんから赦してもらいたいとか?」
「女将さんのせいだってしたいのは、罪の意識を軽くしたいからでしょうけど、そうではなくてですね~」
そうではなくてなんだろう。
マナさんのお胸さまがお湯にぷかぷかと浮いていた。
なんだか、とろけそうな声とあいまって、すごく癒される気分になるのはどうしてだろう。
「例えば、少女マンガとかもご主人様は読んでらっしゃいますよね」
ほんわか声でほっぺに人差し指をあてるマナさん。
「うんまあ」
最近は暇だしね。電気が使えなくなってからはマンガ本はかなりのところ暇つぶしになる優秀な媒体だ。残念なところは、続きものはほぼ絶望的ってところ。読むなら完結済みのやつがお勧めだと思います。そういや前に超有名な漫画家の先生から、ヒロちゃんと会いたいみたいなメールもらったけど、どうしてるかな。元気にゾンビになってるかな。それともいまだ描きつづけてたりして。
ま――、いまはマナさんの言葉を聞かなきゃ。
少女漫画か……。
だいたいは女性主人公で恋愛ものが多いってイメージかな。偏見かもしれないけど。
「少女漫画のテンプレ展開で、ポッと出の男とかに寝取られ展開とかあるじゃないですか」
「うん。まあそういうのもあるかなあ」
「で、結婚したのかオレ以外のやつとってなるわけです」
「うーん。まあそういうこともあるかな」
「ありがちなのは、わたし汚されちゃった――からの――、あなたで忘れさせてほしいっていう展開です。どうですか覚えありませんか」
「どっちかというと、マナさんの言ってるのってエロ本展開だよね」
「ご主人様……」
「なに?」
じとー。
「わたしのゾンビだったときのツラい記憶。忘れさせてください」
うるうるマナさん。
もう、この人のことは放置するしかない。
でも、まあなんとなくわかったような気もする。
男は恋愛対象を別ファイルで保存しておくけど、女は上書き処理をするってことだよね。
あるあるー。
「違うと思います」
命ちゃんの冷静なつっこみにもめげないぞ。
べつにいいんだ。違くても。
結局、マナさんが言いたいのは、罪というのを上書き処理しましょうってことでしょ。
転化じゃなくて。
そう、誰かのせいにするんじゃなくてさ。
そのためにボクができることなんて限られている。
★=
マジで最悪な気分だった。
簡単に言えば、目が覚めると知らない間に人を殺していて、親も友人も等しく共犯者になっていたというありえない展開。
さらにいえば、わたしは――人間を……。
胃がそりかえるような気持ちがした。
わたしをゾンビから人間に戻してくれた不思議な女の子は『ゾンビセーフ』とか言ってたけど、なにがセーフなもんか。
少なくとも、お母さんは人間をわざと殺した。
事故でもなんでもなく、殺すつもりで殺したという事実は変わらない。
わたしが人間を××した事実も変わらない。
厚手のベーコンをくいちぎるような感覚。髪の毛ごと頭蓋をかみ砕くバカみたいな力。歯の隙間に繊維質が挟まる感覚。ぶよぶよとしたカタマリをお腹の中からひきずりだして、泥団子を作るみたいにこねくりまわすわたし。
味は覚えていない。
いや、臭かった。ゾンビになってしまったわたしよりも遥かに生臭くて、きっと人間はいろいろと悪いことを考えているからそんなに臭くて、気持ちの悪い味になるんだろうと思った。
人間が人間を食べない理由は、きっとマズイからだろう。
吐きそうだ。胃のなかは既にからっぽで、唇がかさかさになるまで乾いていたけれど。
水で口をそそいでも、歯の裏を指でごしごしこすっても、きっとアレがこびりついてるような感覚は一生ついてまわるだろう。
みんなひどい。
友人だと思ってたのに。どうして誰も止めてくれなかったんだろう。
裏切りもの。
そう、裏切りだ。
だって、あのときのお母さんの目。
あれは狂人の目だった。みんな自分がお母さんに殺されるかもしれないと思って、保身で付き従ったんだろう。だから、みんな嫌いだ。
嫌い。嫌いだ。なにもかも嫌いだ。死んでしまえばいい。自分も含めて。全部ゾンビになってしまえばいい。
「令子ちゃん……」
ふと目を横にやると、早成が立っていた。
わたしが浸かってる浴槽にそっと足を運び入れる。
ただそれだけのことなのに、わたしはイラっとした。
わたしがゾンビに噛まれる原因を作った早成。
いつも誰かに守られて、そのせいで誰かに迷惑をかけている。
「なに?」
声にいらだちが混じるのを、わたしは止められない。
「あのときのことをもう一度謝りたかったの」
「あのときってどのときよ」
「令子ちゃんがゾンビに噛まれたときのこと」
その言葉に、むしろ胃の中が冷たくなるような感じがして――。
「あんたはそうやって自分が苦しいから罪の告白をしてるだけでしょ。自分だけが罪を告白してすっきりしたいだけでしょ。やめてよ」
「ちが……」
「じゃあ、黙ってて。わたしは忙しいの」
そう、自分の罪に忙しい。早成を本当に傷つけそうで、いまはそばにいてほしくない。お腹のあたりに力をこめて、これ以上悪いことを考えないようにしたいけど、止まらない。
止められない。
だって、アレの感覚が、考えないようにしても、ずっと再生されるから。
「令子。早成を傷つけないで。お願いよ」
今度は和美だった。委員長然としたメガネはいまはかけていない。
和美の言い分に、また怒りが湧く。
「わたしが悪いの? それっておかしくない?」
「いまのは令子も悪いよ」
「なにが悪いの! あんたがいつも早成を守るから、そのせいで誰かが傷ついてるんでしょ」
和美はさっと顔を青ざめさせた。
きっと思いあたることがあるのだろう。
「確かに」和美は言う。「わたしは早成を守るために人を殺した」
「ふうん。あっそ」
「あの男を最初にぶん殴って気絶させたのはわたし」
「ほら。言ったとおりじゃない! そうやって誰かれかまわず傷つけてんのよ。あんたは」
「令子こそ悲劇のヒロインぶるのはやめて」
「いつからわたしが悲劇のヒロインぶってるって?」
友情なんて嘘っぱちだった。わたしたちの数年来の付き合いは、もう破綻寸前だった。
きっとこれからよくなるなんてことはないだろう。
「令子。ちょっと冷静になって――人間に戻ったばかりだからあんた混乱してるんだよ」
うざいことに正子までやってきて、わたしを否定しようとしてくる。
こいつらは結局のところ、みんな自分が悪くないって言いたいだけなんだ。
「わたしが勝手に人を殺して勝手に人を食べたんだから、あんたたちは自分は悪くないって言いたいだけでしょ。もう放っておいてよ! みんな仲良く町役場でもどこでもいけばいいじゃない」
「人間に戻るなんて誰も想像できなかったから仕方ないでしょ」
「そうやって、仕方ない仕方ないって言って、わかったふうの口をきいてるだけでしょ。いい加減にしてよ」
ああもう――。
こいつら。
「お友達を悪く言うものじゃありませんよ」
そして、諸悪の根源。お母さん。
何も――わかってくれない。
わたしはお母さんに虐待されている。べつに今回の件だけに限らず、由緒正しい何十年も続いている温泉だからとか、そんなのはどうでもいい。わたしには関係ない。
なのに、わたしの意思はないがしろにされていた。
子どもは親を選べないけれど、親は子どもを選べないという言葉はウソだ。だって親は子どもを産むかどうかを選べるわけだし、どんな子が産まれてくるかはわからないけど、なんにも知らない赤ん坊を自分の好みに洗脳していくのなんてたやすい。
わたしもきっと半ば洗脳されているんだろう。
世の中の子どもは誰もが、親に虐待されている。
「わたしたちのことに口を出さないでよ。うざい」
「みなさん令子のことを思って、あなたがゾンビだったときにいろいろとお世話をしてくれたじゃないの」
「そんなの頼んでないし、お母さんが命令しただけでしょ」
「そうですね。みんなに無理強いしていた面はあります」
「お母さんはいつだってそうじゃない。わたしが言うことを聞かなかったら被害者面して、自分はひどい子どもを持ったとか思ってるんでしょ」
「長く生きているから、いまのあなたに見えてないものが見えるの。だからアドバイスをしたくなるのよ。あなたがよりよい道を進んでいけるように」
「それも頼んでない!」
どうして、だれもかれもわたしをコントロールしようとするの。
そうやって、わたしには無数の穢れがこびりついていって、最後には湯船の底に沈んでしまうのだろう。頼んでない。頼んでない。頼んでないのに。
と、そのとき。
隣りの大きな浴槽から、大きな津波のような何かが迫ってきた。
いや、水が壁のようにうねって――、どういう原理なのか、木でできた小さな踏み場をつかって波に乗っていた。
「お、お客様。浴室でサーフィンは困ります!」
そう、言ってみればサーフィンだった。
あの不思議少女は水を操って波にして、驚異的といっていい身体能力でサーフィンをしている。
サーフィンをしている……。
あまりにも異質な光景に、わたしは茫然としていた。
「ふぃーん。ジャパンに到達。おっけーまる♪」
おけまるなんて使う子。もういないよ。
TS小学生、流行語に乗り遅れる。
あると思います。