あさおん・オブ・ザ・デッド   作:夢野ベル子

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ハザードレベル72

 双方いろいろ言いたいことはわかった。

 

 特にゾンビだった令子ちゃんとしては、女将さんが子どもである令子ちゃんを愛しているがゆえに、その愛のせいで傷ついたって思ってる。

 

 まあ無理やりゾンビだったときに人間をモグモグしちゃった記憶が残っている令子ちゃんとしては、ゾンビ状態のときの女将さんの行動は許しがたいのだろう。

 

 さっきまで鼻先がトナカイのように真っ赤状態だった令子ちゃんだ。

 

 どうして真っ赤だったかって? 

 

 当然、人間をモグモグしていたからに違いなく、もっと言えば、あちこちに散乱していた残りものというか、長くて赤黒いやつを見るに、鼻先くっつけてモグモグしていたからだろう。身体を拭いたりはしていたんだろうけれど、顔はゾンビチャレンジでも高難易度だからね。なかなか拭けないってことだったのかなぁっと。

 

 そこから察するに、令子ちゃんのモグモグさ加減っていうのは、ちょっと腕をかじっちゃいましたとかそういうのじゃなくて、まるちょうとか、レバニラとか、ほらいろいろあるじゃない。察していただきたいわけですけれども、腸をちょうっとばかし、こう舌先で味わうようにしてモグモグしていたというかそんな感じだったんじゃないかな。わりと人間の視点からするとグロ注意だ。遅すぎるけど。

 

 ともあれ、令子ちゃんの中では――。

 

 愛は虐待だし。

 

 教育は洗脳だし。

 

 子育ては支配なんだ。

 

 それは、ある意味では正しいだろうけれども、女将さんの言い分も少しは聞いてあげてほしい。

 

 それがわからないというのが、いわゆる反抗期なんだろうけれども。ボクは反抗期を始める前に両方ともいなくなっちゃったから……。

 

 女将さんと令子ちゃんはまだやり直せると思いたい。

 

 母と子の関係がこじれて硬直状態だったところに、ボクはサーフィン状態で到着していた。念動で波を発生させてそのビッグウェーブにのるっていうのは、わりと簡単だった。

 

 べつに温泉施設内でサーフィンをしたかったというのが理由じゃない。

 

 そう。ボクはただ単にボク自身が人間っぽくないという演出がしたかったんだ。

 

「えっと……、温泉施設内でサーフィンしちゃダメだったかな」

 

「ダメ……といいますか。そうですね。よく考えたらいまさらな感じですね」

 

 広めの浴槽内で、女将さんはわずかな時間考え、苦笑めいた笑いをこぼした。ボクの年齢からしたらおばさんだけど、相当美人さんだなとも思う。記憶の中のお母さんの顔が重なる。

 

 女将さんが言う「いまさら」って、きっと、お風呂の中でサーフィンをしても、迷惑をかける他のお客様はきそうにないって気づいたからこそ漏れた言葉なんだと思う。

 

 温泉宿の営業はひとまず終わり、ゾンビハザードが終息するまでお客さんはきそうにない。もしも、ゾンビハザードが終わらなければ、この宿も終わり、人間も終わりだ。

 

 そうはさせないつもりだけど、女将さんとしてもここを出て行く決心がついたわけで、その腹をくくったからこそ苦笑がでたのだろう。

 

 人間って、何かを捨てる覚悟をするときが一番キレイに思います。

 

 だから、最初の言葉はこんな感じでどうだろう。

 

「ボクはわりとワガママなんです」

 

「お客様はいろいろとよくしてくださいました」

 

「それは交換だよね」

 

「交換?」

 

「そう。ボクは温泉に入りたかったし、その交換価値として、ここから他の安全な場所までつれていくことを約束したわけだよ」

 

「お客様が満足していただけたのでしたら幸いです」

 

「満足したよ。温泉は気持ちよかったし、イカはおいしかったし」

 

 そう。

 

 多くの人間にとって、価値とは交換価値のことだ。

 

 つまり、なにかしらの代わりに、なにかしらの交換として、なにかしらをもらうとか、してもらうとかするというのが価値なわけ。

 

 よりわかりやすく言えば、例えばお金をわたして何かを買ったりするというのも一種の交換だ。

 

 今回の肝というのは、ボクは温泉に入る代わりに、女将さんたちを安全な場所に連れていくというのが当初の約束だったわけだ。

 

「令子ちゃんは追加条項にすぎないけどね」

 

 ボクは手のひらでお湯を意味もなく掬いながら、令子ちゃんのほうに視線をやった。令子ちゃんはいぶかしげにボクを見ている。

 

「わからないかな。ボクが令子ちゃんをゾンビから元に戻したという点については、なにも交換条件を提示していないってことだよ」

 

「それはどういうことなのでしょうか。わたしができることなら、いくらでもいたしますが」

 

「女将さんからもらえるものってもうないよね。イカも食べきっちゃったし……。あとは女将さんたちを安全な場所につれていけばミッションコンプリート。最初の契約は達成されるってわけ」

 

「なにを対価として差し出せばよろしいのでしょうか」

 

「べつに交換するのはプラスの交換じゃなくてもいいんだよ」

 

 ボクはできるだけのんびりと――、残酷に言う。

 

「プラスではない交換というと、マイナスの交換ですか……それはいったい」

 

「女将さん、ゾンビになってよ」

 

「え?」

 

 と、声を出したのは令子ちゃんだ。

 

 みんなも声をださないけど驚いている。

 

 確かにボクが言ったことは不合理で意味がない。マイナスの交換をしたところで、ボクが得をするわけじゃないからだ。

 

 単に、ボクが与えた分の帳尻をあわせようとしているだけ。

 

「意味わかんない」

 

 令子ちゃんはボクを射殺さんばかりににらんでいた。

 視線で人を殺せるなら、ボクは撃ち殺されているかも。

 でも、世の中ではわりとありがちな不条理ってやつなんだけどな。

 

 ゾンビになるのも不条理なら、残酷な悪魔に出会うのも不条理だ。

 

 ボクは残酷な小悪魔です。

 

 マナさんにも言われたことあるし。ワガママムーブしている女子小学生なんて、小悪魔以外のなにものでもないと思います。正直なところ、一番苦手な部類です。そういう姿態を想像しながらの言動をしています。

 

 もともと陰キャなボクには荷が重いけどね。

 

「ボクがゾンビから回復させる力があるなら、その逆にみんなを自由にゾンビにする力もあるんだよ。みんな軽度の感染レベルだから人間のままだけど、みんなの中にあるゾンビウイルスを活性化させればゾンビにするのはたやすいってこと」

 

「そんな力があるとかのことを言ってるんじゃないよ。どうして、お母さんがゾンビにならないといけないのって言ってるの」

 

「べつに慈善事業をしているってわけじゃないからさ。ボクはしたいようにしているってだけ。令子ちゃんをゾンビから戻したのもボクの気まぐれみたいなものだし、どうしても意味がほしいっていうんだったら、あえていうけどさ。なんだか令子ちゃんはゾンビのままでも良さそうみたいだったし、ボクに対する感謝の言葉もかたちだけだったじゃん。それがちょっとムカついたってだけ」

 

「なにそれ」

 

 蒼白していく令子ちゃんに、ボクは口元をゆるませる。

 

 あー、ちょっとだけこころが痛い。べつにボクって人間をゾンビに変えたいわけじゃないしね。人間にはこころがあると信じてるし、みんながみんな悪い人ばかりじゃない。そりゃ中には他人を傷つけてもちっともこころが痛まない人っていうのはなかにはいると思うけど、ほとんどの人は、できるなら他人を傷つけたくないと思っているし、そういう優しさ成分を持ってると思ってる。

 

 女将さんはうつむいたままだ。

 

 女将さんの言葉にウソがなければきっと――。

 

「わかりました」

 

 そう言ってくれるって信じてた。

 

 ボクにとって、お母さんの愛っていうのは無限に信じきれるところがあるから、本当は試したくもないところ。

 

 ほら、某宗教でもよくあるじゃない。自分の神様を試してはいけませんって。それと同じように、母親の愛情を確かめるのっていうのは、本当はしてはいけないってことだと思う。

 

 でも、子どもにはその愛情が見えなかったりするんだよね。どうしてだろう。傍に在るのが当たり前だからかな。

 

「お母さんもなに言ってるの? こんなわけわかんない子どものいうことを聞いちゃうの」

 

「お客様は神様ですからね。きっと、何か正当な理由があるのでしょう」

 

「本当にわけわかんない。お母さんはいつもそうじゃん。他人のことばかり気にして、自分のことは殺して――そんなお母さんが嫌いだから、わたしは女将さんなんかなりたくなかったの」

 

「初めて聞きました」

 

「初めてじゃないよ。何度も言ってるじゃん」

 

「いいえ。令子の口から直接ここを継ぎたくない理由を聞いたのは初めてです」

 

「そんなの今はいいよ」

 

 令子ちゃんはザバザバとお湯をかきわけてボクに近づいてきた。

 

「ねえ、あんたもここの温泉を楽しんだのなら、それぐらい大目に見なさいよ」

 

「いやです」

 

「このクソガキ……っ」

 

 令子ちゃんはそれ以上近づけなかった。

 ボクが簡易的な渦潮のようなものを足元に発生させて、それ以上前に進ませないようにしているからだ。

 

「正子。和美。そいつを取り押さえてよ」

 

「無理だよ。人間がボクに敵うはずがないよね」

 

 うーん。最高にイキってる台詞だな。これ。

 正直あとで黒歴史化しそう。

 でも、目の前で実際に動けない令子ちゃんを見ているからか、正子ちゃんたちも動けないみたいだった。早成ちゃんなんか腰抜かしてるよ……。

 

 えっと、それでどうしたらいいんだっけ。

 

「それで女将さん、さっきの言葉だけど本当にいいんだね」

 

「それでかまいません。わたしにとっては終わった人生でした。令子がゾンビになってしまい本当に死んでしまったと思って……わたしの人生は少しずつ腐りきっていくようなものでした。それを生き返らせてくださったのはお客様です」

 

 女将さんは肩をふるわせて泣いていた。

 

 ボクは街中を破壊して進むゴジラみたいな感じで、ゆっくりとゆっくりと女将さんに近づく。女将さんは湯船に浸かったままの姿勢で微動だにしない。

 

 覚悟は決まっているのか。

 

「お母さん。嫌。待って……待って。わたしがゾンビに戻ればいいんでしょ」

 

 えっと、それは想定してなかったな。

 どうしよう。

 

「令子ちゃんをゾンビに戻しちゃったら、ボクがせっかく人間にもどした意味がなくなっちゃうしね。令子ちゃんはそもそもゾンビのほうがよかったんでしょ? 人間に戻ったからこそ、いろいろと悩んじゃうわけだし、死にたい気分っていうのを味わえるわけだ。ボクっていじわるでしょう?」

 

「死ぬよりはマシだし……ゾンビになるよりはマシ」

 

「そう。でも、最悪な気分なんでしょ」

 

「それはそうだけど!」

 

「だったら、黙ってみてればいいじゃん。その最悪を作り出した元凶がここでゾンビになるんだよ。君にとっての復讐が達成される――わけだ」

 

 邪悪な顔を作ろうってがんばってます。

 あ、視界の向こう側でマナさんが『カワイイ』って口の形で伝えてきている。

 シリアスモードなんでほんとやめてください。

 

 ボクはとうとう女将さんのすぐ傍まで近づいて、頬のあたりに手を添えた。

 令子ちゃんを人間に戻したときと同じように手で触れてみただけだ。演出だけなんでなんの意味もないけどね。

 

 女将さんは観念してるらしく翻意する様子はない。目を閉じて、黙ってボクにされるがままだ。ついに、令子ちゃんが泣き出してしまった。

 

 女子中学生を泣かせるボク。

 

 あかん。このままじゃ良心が死ぬぅ。

 

「お母さんをゾンビにしないで……」

 

「令子。わたしの我侭なのはわかっていますが、どうか健やかに生きて……」

 

 重苦しい静寂。

 ボクは、ボクは――『なーんてうそぴょーん』なんて言える雰囲気でもなく固まっていた。

 最初は、母親の愛の偉大さに屈服させてしまおうという作戦だったわけだけど、効果が抜群すぎた。

 

 これってボクはどう考えても悪魔的ムーブですよね。

 小さい悪魔じゃなくて、普通に悪魔ですよね。

 ああ。どうしよう。

 

 女将さんの頬に手を当てたまま、ボクはもはや最終手段に出ることにする。

 

 困ったときのヒイロウイルス。

 

 もとい、ただの光る羽だ。

 

 背中のほうからヒイロウイルスを放出させると、緋色の光がまるで天使の羽みたいに広がる。

 

 自分で言うのもなんだけど、この姿を見るとボクのかわいらしさとあいまって本当に幻想的に見えるらしい。

 

「えー、ごほん。あー、そのー、汝の選択はなされた的な?」

 

「はい?」

 

 女将さんですら困惑の声色。

 

 目の前には天使の羽を広げたボクがわけのわからないことを言っているのだから当然そうなるだろう。

 

 もうこのまま押し切るしかない。微妙になってしまった雰囲気を払拭するんだ。そうするしかない。

 

「ボクは天使なんです」

 

 そういう設定でいく。

 

「お客様は天使でしたか」

 

「そうなんです。天使なんです。だから、令子ちゃんと女将さんが仲良くしてくれることを望みます」

 

「それはもちろん」

 

「令子ちゃんもそれでいいかな」

 

「お母さんをゾンビにしない?」

 

「しないよ」

 

「わかった」

 

 感極まった令子ちゃんはついに母親に抱きついた。

 肌色成分大目だけど、母子の愛の前ではべつに変な気分になったりしない。

 

 とりあえず、丸く収まって超よかったです。まるちょうではなく。

 あ、命ちゃんが絶対零度の視線でボクを見ている。

 脳内無罪だよね。ねえ?

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 夜になりました。

 

 昼くらいに温泉宿についたボクたちはなんやかんやあって、なにもかも解決したのは夕方くらいだったから、町役場に向かうのは明日にしようってことになったんだ。

 みんな夕方になると寝静まるだろうし、そんなところに出かけていったらビックリするかなって思って。

 

 ゾンビ荘のみんなには一泊する可能性も伝えてあるから大丈夫だと思う。

 

 ちなみに、夕方から夜にかけてやったことはバリケードの撤去だ。

 

 もはやボクがここにいる以上、ゾンビに襲われる心配はないわけだし、女将さんは最後にここをオープンな状態にしておきたいというのがその理由だった。

 

 まんまるのお月様が優しく照らし出してる。

 

 中庭の縁側みたいなところに腰をかけて中空を望むと、ボクの髪の毛と同じ色をしたお月様がかかっていた。

 

 うーむ。風情があるな。

 

 涼むのもちょうどいいし。

 

 もちろん館内は電気がないから暗いんだけど、ボクとしては夜目が利くから問題ない。

 

 と、そこへ、懐中電灯の光がこちらにやってきた。

 

 令子ちゃんだ。

 

「あんた……えっと、天使ちゃん?」

 

「ボクは緋色だよ」

 

「緋色ちゃん」

 

「なに?」

 

「お母さんと仲直りさせてくれてありがとう」

 

「うん。ボクがそうしたいって思っただけだから。正子ちゃんたちとも仲直りした? みんな令子ちゃんのことを思っていろいろしてくれてたみたいだけど」

 

「正子たちとはさっきまで部屋でいろいろ話してたよ。ちゃんと謝ったから」

 

「そう。それはよかった」

 

「どうして、そこまでしてくれるの。天使だから?」

 

「温泉に入って、天使のわっかがさらに強力なものになりました」

 

 キューティクルですよ。キューティクル。普段から髪の毛はさらさらしてて、汗もほとんどかかないから、天使のわっかはあるんだけど、温泉に入ったことでさらに輝きは増してます。

 

「そうじゃなくてさ!」

 

「直接的なところで言えば、女将さんの言動が大きいと思うよ。令子ちゃんとしては多々気に入らないところはあるんだろうけど、お客様は神様ですという思想とかさ――まあ今の時代、ぶっちゃけ神様幻想もそろそろ崩れてきてたとは思うんだけど」

 

「そうだよね。お客様は神様でもなんでもないって思ってるよ」

 

「だよね、ボクもそう思う。でも、なんというか――、そういう伝統的な考え方というのかな、女将さんの思想にも合理性があるというか、分かる部分もあって、ボクはお客様の立場だからやっぱり心地いいって思ったんだよ」

 

「おもてなしを受けて、対価を支払ったってこと?」

 

「風情のない言い方をすればそういうことだね。令子ちゃんがいま人間に戻れてるのは、要するにそういう伝統的な考え方に基づいた思想というか哲学というか倫理というか、なんでもいいけど、ともかく令子ちゃんが嫌ってる考え方に守られたからなんだよ」

 

「わたしは頼んでないけど」

 

「まあそうだよね」

 

 その思想は令子ちゃんの根底にあって、たぶん今はまだ揺るがないものだと思う。それをどうこうしようというのも大人げないし、やるつもりもない。

 

 ただ――。

 

「いやなら、令子ちゃんをいますぐにでもゾンビに戻すけど?」

 

 へらへらと笑いながら言ったら、令子ちゃんは高速で首を振っていた。

 まあそうだよね。

 

「令子ちゃんはお母さんの愛情で傷つけられたと言ってたけど、令子ちゃんもお母さんの愛情を人質にしているように思うよ。だから、女将さんはいろいろといいたくてもいえなくて、ききたくてもきけないこともあるんじゃないかな」

 

「わたしが……お母さんの愛情を人質に?」

 

「そう。どうやったって、なにを言ったって、母親は子どもを愛するものだって思ってるでしょ。あるいは自分を生んだんだからそれぐらいの責任はあるって思ってるんじゃない?」

 

「そんなことは……ないと思うけど」

 

「だったら、母親の言うことにもっと耳を傾けてもバチはあたらないと思うけど。天使が言うんだからまちがない」

 

 天使設定いらないかなと思うけど。

 超常の存在から、そうしなさいって言われたほうが、母親からそうしなさいっていわれるよりは聞きやすいかなって思ったんだ。

 いわば、女将さんの責任をひとつかみ程度だけど肩代わりする案。

 

「ねえ。天使さま」

 

「はいはい。緋色です」

 

「わたし、パティシエになれるかな」

 

 すがるような目で見てくる令子ちゃん。まだ中学生にしてはしっかりしているなと思うけど、夢のかたちすら見えない年齢だ。

 

 未来にはバラ色に輝く未来だけじゃなくて、ゾンビ色した腐っていく未来もありうると知ってしまった。それは想像を絶するほどの恐怖だったのだろう。

 

 だから不安なんだろうと思う。

 

 ボクは緋色の粒子を背中から拡散させた。困ったとき以下略だ。

 

 夜の暗闇の中では、緋色の光がまぶしいくらいに映える。

 

 令子ちゃんは、目を見開き、ボクを見ていた。

 

 母親との確執が終わったとしても――。友人との仲直りが済んだとしても。

 

 なんだかんだいって、ゾンビになったときの記憶自体は、母親や友人の責任のあるなしに関わらず、醜悪なものとして、そこに泰然と存在する。

 

 それをどうこうするには、上書き処理をするしかない。

 

「ボクは――保証はしないけど」

 

 指先をトンと令子ちゃんの額にあてた。

 脳内レセプターを焼ききってマインドアサシンをするつもりはさらさらない。

 洗脳なんてもってのほかだ。

 

 ただボクは言うだけ。

 

「祝福するよ。令子ちゃんの願いが叶いますように」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 朝になりました。

 

 昨日は布団に戻ったあと、なぜかマナさんがボクのお布団の中で待機してたので、そのまま簀巻きにして部屋の外に放り投げたり、ボクが寝ていたら命ちゃんが襲ってきたりと大変でした。防御力がきわめて低い浴衣というのもよくなかったのかもしれません。

 

 いろいろとありすぎてちょっと眠たい。

 

「ふゎああん」

 

「ご主人様はあくびもかわいくて困っちゃいます」

 

 マナさんが例によってもっさもさになったボクの髪を丁寧にブラシで梳かしてくれています。ドライヤーがない状態の濡れた髪のままだと、どうしてもそうなっちゃうんだよね。だいぶんタオルとかで水気は吸わせたけど、やっぱりダメだったよ。

 

「先輩といっしょのお布団で眠りたかったです」

 

 命ちゃんの悔しそうな表情。

 

「ただ眠るだけじゃないから問題なんだよね……」

 

 それと精神的疲労が多少あったんじゃないかな。

 やっぱり、人間は仲良く。ラブアンドピースが望ましいに決まってるよ。

 まだ少人数だったから、天使設定でゴリ押しできたけど、これが何十人となっていくと、その利害調整といいますか、そういうのってどうやるんだろうね。

 

 それを考えると、町役場にいくのがちょっとだけパンドラの箱を開けるみたいで怖い。だって、あそこにはおそらく何十人も住んでいるだろうから。

 

 いつのまにかみんな元気にゾンビになってました――とかだと、いままでのボクの苦労はなんだったのって話になる。

 

 まあそれはないと信じたい。運び入れてる物資は、電気が通っていた頃にぼっちさんとかにツブヤイターを通じて聞いた限りだと、全員分をまかなえる程度はあったとのことだし、不穏な組織が牛耳ってたりもしてない様子だった。

 

 もちろん、ぼっちさんがそういうふうに書かせられていたという線もなくはないだろうけど、そんな状況で、配信見るかって話もあるしなぁ。

 

 町役場までは歩いても三十分ほどの距離。

 ゾンビ避けはバッチリだけど、おみやげも持っていったほうがいいということで、トラックを二台ほど用意した。

 

 なんと女将さんはトラックを運転できるらしい。エクセレント。

 そういうわけで、ボクと命ちゃんとマナさんは一台目に。温泉組は二台目に乗り、ゆるゆると町役場に向かうのでした。

 

「それにしても――、ご主人様」

 

 運転しながらマナさんが口を開く。

 

「なにかな」

 

「ついにご主人様自ら、天使宣言をなされちゃいましたね」

 

「あれは方便で」

 

「でも、彼女達は信じきってると思いますよ」

 

「え、そうかな?」

 

「実際、あのお姿を見せつけられてしまっては、信じるほかないと思いますよ。いよいよ、天使様として、ご降臨いたしますか」

 

「しないけど」

 

「人間支配しちゃいますか」

 

「しないって……」

 

「町役場に向かってるわけですけど、今回は実際に中に入るのでしたよね?」

 

 そう。いままでは町役場のすぐそばで生存者をトラックにのせたままにして、ボクたちはすたこらさっさと逃げだしていたんだけど、いよいよ接触を試みることにしたんだ。

 

 その理由は――、

 

 衛星インターネット。

 

 他の地域では使えてると思われるインターネットを通じて雄大に連絡を取りたかった。あと、配信を心待ちにしてるみんなに状況説明とかいろいろ。

 ピンクさんにも連絡とりたいかな。

 

 おそらく、町役場では衛星インターネットが使えると思うし、使えないにしろ、どの施設なら使えるかを知ってる人がいると思うし、そういうわけで今回は接触したいなって思ったのです。

 

「マナさんはまだ顔を知られてないから帰ったほうがいいかもしれないけど」

 

「あ、べつにどちらでもかまいませんよ。いまなら温泉組さんたちと同じような立ち位置で溶けこめるかもしれませんし、うまく状況判断していきたいなと思います~」

 

 さすがマナさんだな。

 ボクのふとももを撫でながら運転していなければ完璧だったのに。




当初のプロットではもっと凄惨だったんですけどね、
正子ちゃんだけ生き残って、他全滅するという予定だったという感じです。
プロットを守ってるんじゃなくプロットに守られているという意識が足りませんでした。
そのせいで、若干の心理状態の移り変わりにぐらつきが見られるかもしれません。
町役場ではもう少し楽しいことが待っているといいなと思います。
ほんわかハザードものにしたかった。
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