「許可でたぞ」
渋い口調で語りかけてきたのは、先ほど二階にあがっていった初老の連絡員さんだった。
灰色の作業着を着ていて、手には手旗信号用の旗をもっている。
その持ち方ひとつで年季が入っている感じがした。
「ヨウカンヲクレ……」
ボクはつぶやいてみる。ちょっと見せてほしいかなって。熟達した技の数々をボクにプリーズ。なんか格好いいじゃん。手旗信号って。
「ん。ヨウカンがほしいのか?」
「あ、いや、そういうわけじゃないんだけど」
「飴でいいか?」
ポケットのなかをごそごそと探り、その人はボクの手のひらの中に飴だまを落とした。もちろん飴玉そのものじゃなくて、きちんと包まれている。風情のない透明な包装紙とかじゃなくて、お耳があるタイプのキャンディだった。ひねるところをお耳っていわないかな。
「ありがとう?」
白くひねられた包装紙にはイチゴのマークが小さくたくさん描かれている。渋いおじいさんって感じなのに、案外趣味がかわいいな。
左右に引っ張って、飴玉を口の中にいれる。当然のことながらイチゴ味。
舌のうえでイチゴの飴を転がしてると、不意に手が伸びて、連絡員さんに頭をなでられた。ずっと撫でる感じじゃなく、ワシャワシャと二往復くらいだ。
孫みたいな感覚なのかな。髪が乱れるのはちょっとだけ嫌だけど、圧倒的に気持ちよくて、されるがままだ。
「この子がヒロちゃんか?」
と、ぼっちさんに聞くおじいさん。
「そうです」
ぼっちさんの言葉にはその人に対する敬意のようなものが含まれてる気がした。このグループ内でのリーダーはまちがいなくこの人なんだろうな。ボクとしてはぼっちさんの暮らしぶりも気になるところだし、そのためには他の人の視点っていうのも大事だ。
だから――。
「おななえおしええくだたい」
この人と知り合うことにした。
「食べてからにしろ」
「むう……」
「ああ、噛み砕かなくていいぞ。ゆっくりでいい」
ワシャワシャ。
うむん。
なんだかぶしつけではあるけど、撫でるのうまいなこの人。技巧派ですか?
「む……」
飴玉を舐めてると、おじいさんは未宇ちゃんにも飴玉をあげていた。
ニコって笑って御礼の代わりにする未宇ちゃん。
ワシャワシャ。
くすぐったそうに目をつむってされるがままになってる。
たぶん、未宇ちゃん用だったのかな。この飴。
そんなことを考えていたら、すっとボクの手のひらに重なる手。
そのまま両の手を胸のあたりまで持ち上げられ、手で手を包み込むようにして祈りの姿勢になる隣のロリコンお姉さん。言うまでもなくマナさんだ。
「ああ、ご主人様の舐めた飴を卑小なるわたくしめにも与えてください」
マナさんがまた変態フレーズを言ってる。なんで人が舐めたのをとろうとするの? 変態なの? 変態か……。
「ん。おまえさんもほしいのか?」とおじいさん。
「あ、いえ……、わたしがほしいのはご主人様の舐めたものです」
「そ、そうか」
ドン引きされるのも無理のないことだった。
「あげないからね」
大分小さくなった飴玉を舐めつつ、ボクはぺろんとマナさんを引き離す。
「そんな~~~。今日は美幼女に会えた大吉の日だったのに、ご主人様はそんなわたしをガッカリさせるおつもりですか」
「知らないよ」
まだ床の上に転がってジタバタしないだけマシかな。
家だったらそうなってた可能性も高い。
マナさんの変態さ加減は衆目にさらされているし、ボクのことをご主人様とか言っちゃってるし、もういまさら無関係を装っても無駄だろう。
本当にいいのかなって思うけど、こうなったらボクが守るしかない。
「あ、ご主人様に守られてる感覚がします」
「それはいいんだけど、ちょっとは自重しようね」
そうしたら、ちょいちょいとボクの肘のあたりにつっつかれる感覚。
「先輩」
命ちゃんだった。
もう、目を見ただけで何が言いたいかわかったよ。
自分もってやつだ。
「変態ロリコンがまたひとり増えたよ」
「違います! ヒロコンです。ロリコンじゃありません!」
「知らないよ!」
気づいたら飴玉は溶けてなくなってました。
やれやれ。
☆=
「わしはゲンさんと呼んでくれりゃあいい」
「ゲンさん……」
ふむ。まさにイメージどおりな感じだな。
例の建築業者さんが着てるような――ぼんたんっていう裾になるにつれて広がりのあるズボンとかを着てるわけじゃないけど、なんというか現場の人って感じだし、実際、パソコンをカタカタ打つような仕事というよりは鉛筆を耳に挟んで、図面に線を引いてるイメージの人だ。ゲンさん……すごくしっくり来る。
「ボクは夜月緋色っていいます」
ボクは本名を名乗りました。
終末配信者のヒロちゃんでもいいかなとは思うんだけど、配信業は休業中だし、いまは謎の勢力からの接触を待ってる状態ともいえるので、いまさら本名を名乗るのに躊躇はない。ただ、ゾンビ荘のみんなの安全は確保したいと思ってるけど、どうしたらいいんだろう。
ボクはどこまでいっても一般人だし、政府とかその道のプロがどんなふうな手法でどんなふうなことができるかを知らない。それはたとえ天才である命ちゃんであってもあんまりわかってないんじゃないかな。そういう方面の防衛能力を高めるのであれば、ピンクさんみたいな政府組織に寄り添うほうがいいんだろうけど、人類全体の問題を解決しようとするときに、どこかにべったりくっつきすぎるのもよくないような気がする。
ピンクさんは接触がはやかったし、かわいいし、幼女だし、幼女は正義だし、それはそれでいいんだけどね。
停電させた組織がどんな考えなのか、"御意向"ってやつを聞かなきゃ始まらない。
そんなわけで本名を名乗ってるのも考えなしじゃないんですよ。
と、言いたい。
やっぱり、ちょっと考えが足りないかな……。うーん。
「ヒロちゃんの本名?」
疑問顔で聞いてきたのは、ぼっちさんだ。
「うん。ボクの名前」
「どんな字を書くの?」
「そのまま、スカーレットの緋色だよ」
「緋色ちゃんだからヒーローちゃんか」
「そうだよ。ギャグみたいな名前の付け方だけど、ボクなりに考えました」
「かわいらしい名前だね」
「むふん。ありがとう」
「くっそかわいいな……それに、よく考えたら僕がヒロ友の中ではじめてヒロちゃんの本名を知った人間なんじゃ」
「ん……そうかな」
「やった!」
まあ、マナさんとか飯田さんとかをヒロ友だと考えれば、そっちのほうだけど、なんとなく身内感があるのがふたり。ぼっちさんも友達だけど、ちょっと距離感は違うかな。わざわざそんなことを言う必要はないけどね。
感無量って感じのぼっちさんを、わざわざ下げる必要はないというか。
「掲示板とかで知らせてもいいのかな」
「べつにいいよ。でも停電中だよね」
「ああ……そうか」
目に見えて落ちこむぼっちさんだった。
「でもまあ、電気ぐらいならなんとかできなくもないよ」
「え?」
「ボクがここに来た理由が、インターネットを使わせてほしかったからなんだ」
「インターネット?」
「うん。衛星インターネット。衛星を使ったインターネットで、基地局とか必要ないやつ。でも当然、そういうインターネットでも電気は必要だよね」
「ああ。ネットをしたいから電気も復活させるって感じか」
「うん。発電機を置いて、少しの間くらいは使えるしね。みんなもちょっとの間は使えるようお願いしてみるよ」
「それはうれしいな……正直なところ、ここは娯楽不足なんだ」
それはボクも感じてます。
なにしろ、ゾンビだらけの世界をセーフティに暮らせるボクですら、ネットがなければ暇でしょうがないからね。
精神的な意味で『暇』に負けて、みんなのところにやってきたというのはあると思う。もちろん、ヒロ友のみんなのことが気になってというのもあるんだけどね。暇は強敵だったなぁ。強すぎるよ。永遠の命を生きる吸血鬼とかが暇すぎてちょっと死んでみようかなって思う気持ちがわかっちゃった。
ゾンビは既に死んでる説はありますけれども。
深閑とした静けさが不意に訪れた。
みんなしんみりしちゃってる。ゾンビハザードって生命の危機でもあるけど、文明の危機でもあるんだ。
「ともかく――、ヒロちゃんがきてくれて本当によかったよ。みんな、いつか来てくれるんじゃないかって思っていたから」
「みんなボクのこと知ってるの?」
「電気が止まるまではヒロちゃんの動画を映画みたいにプロジェクターで流していたよ」
それはそれは……恥ずかしいというかなんというか。
「もちろん、コメントを打ちたい派は自前のパソコンとかで接続していたけどね」
「ぼっちさんも?」
「うん。僕も古参面したかったからね。僕にとってはヒロちゃんに実際に会ったことがあるというのがものすごく自信になったんだ。みんなは僕とヒロちゃんの秘密を知りたがったしね」
キラキラとした瞳でいわれると面映い。
かぁぁっと顔が熱くなる。
でも、配信の向こう側って誰がどう感じているかわからないから、こうやって面と向かって感謝されるとうれしいな。
★=
天使が笑ってる。
画面の向こう側の天使が。
静かで音のない世界で、いろんなものからわたしだけが浮いている。
イメージする。
世界は大雨洪水警報。
ざぁざぁと大降りな雨。
大きな木の下にわたしはぽつんと雨宿りしている。
雨の音はきこえないけど、誰も彼もいないひとりぼっちの世界で、なんだかキレイであったかい無関係で透明な世界が広がっている。
舌の上にはいちごの飴。
隣にいるぼっちも笑ってる。
どうして笑ってるのかはわからない。
けど、最初にぼっちがぼっちという名前だと名乗ったとき。
この人はわたしと同じなんだと思った。
わたしはひとりぼっち。
でも、それが悪いことだとも思わない。
みんなが笑ってて、わたしにはどうして笑ってるのかわからないけど、画面の向こう側の笑顔がきれいだと思うから。
みんな天使で、みんなきれいだから。
天使が笑ってる。
☆=
「この人たちは、えっとどういう関係なのかな」
ぼっちさんが確認したのは、女将さんたちのことだ。
女将さんが代表して、ボクによって助けられたというようなことを言っていた。つまり、身内ではないということも伝えていた。
「ああ、なるほど僕と同じような方なんですね。ゲンさんどうしましょう」
「ぼっち。オマエは町長のところに案内したほうがいいだろう。湯崎、おまえがこの人たちを案内しろ」
湯崎さんっていうのは、壁際で腕を組んでいた細身の男性だ。
もう10月にもなろうっていうのに、タンクトップを着ていて、むき出しの筋肉がすごい。細いマッチョな人だ。肌が浅黒くてポニーテイルみたいに髪をしばってる。
それにしても、ぼっちさんって、ここでもぼっちさんなんだね。
そう名乗ってるのだろうか。
「わかりました。じゃあ、みなさんはオレについてきてください」
女将さんが最後にボクに対して一礼。正子ちゃんはボクに手を振り、ボクも返す。そこでとりあえずお別れということになった。
ボクたちはリーダーさんのところに向かうらしい。
リーダーは町長? なのかな。
ここK町の町長さんが誰なのか、実をいうとボクは知らない。でも、地元の町新聞みたいなのに掲載されていて顔だけは知っている程度。
ゾンビハザードのときに生き残ってるとすれば、それはそれで運がいいかもね。
でも、違う人の可能性も高いかな。
「町長さんってどんな人なの?」
「うーん。なんといえばいいか。リーダーシップはあるように思うよ」
「ほぅん」
リーダーシップね。
このゾンビアポカリプスの世界を生き抜くにはリーダーシップは必須項目だろう。でもなぜか微妙に言いよどんだような気もするのはなぜだろう。
「ちょっと個性的なんだけどね」
「個性的?」
「まあ会ってみればわかるよ」
ボクたちはゾンビ監視の家を出て、町役場に向かっている。徒歩で五分もかからない距離だ。ゾンビ避けのためのバリケードは一つじゃなくて、地面には有刺鉄線と杭で出来た簡易バリケードがはりめぐらされている。
人が通る分には避けていけばいいけれど、ゾンビって避けて通るという発想があんまりできないからね。このバリケードもありかなぁ。たぶん時間稼ぎのための一種なんだろう。
いよいよ町役場を見上げられるところまで来た。
ここK町の役場は実をいうと、そんなに高い建物ではないです。前にもどこかで言ったかと思うけど、佐賀県の地盤は緩いので、あまり高い建物はNGなんだ。その代わりに地価が安いからか、長屋みたいに広大な敷地面積を持っている。横広がりをしているんだよ。
町役場の敷地内は低い植え込みがあるくらいで、バリケードはなかった。横手には空港みたいな広さの駐車場がある。もともと夜には車を出せなくなる仕様だったからか、何台かしか車は停まっていない。その代わりにボクたちがいままでに用意してきた巨大なトラックがキレイに整列している。
「あのトラックも使われてるんだね」
「いざというときの脱出用だよ。まだ役場内の部屋数も足りてるからいまのままでもいいけど、足りなくなったら、トレーラーハウスみたいに使う案もあるみたいだよ」
「ほぅん」
なんかそれワクワクしますね。
現実的にはワクワクするのは不謹慎極まりない話なのかもしれないけど、男としてはそういうキャピングカーとかで暮らすのは、なんか冒険って感じでワクワクするんだ。思わずスキップしちゃう。
「ご主人様が女の子してらっしゃる。尊すぎます~~~」
「先輩が女の子的なかわいさを発揮してらっしゃる」
だから――、女の子じゃなくて男の子的なワクワクさなんだって!
続けて町役場の中に入ると、案外薄暗くはなかった。敷地面積をそれなりに確保している状況なので、窓ガラスとかを覆ったりしなくてもゾンビに発見されるおそれはないからだ。
特に玄関ホールは訪れた人に明るいところだと思ってもらいたいせいか、空間的な広がりがあって、光をとりこめるようにしている。
ホールにはまばらに人間がいた。
みんな流浪の民みたいに打ちひしがれてるかなと思ったけど、案外普通な感じだ。もともと住所変更とかの手続きをする台のところとか、役所側のスペースとか椅子は多いし、ソファにねっころがってる人もいる。
ブルーシートを敷いて、そこでなにかの本を読んでる人もいる。
駆け回って鬼ごっこをしているボクよりも小さな子ども達もいる。遊ぶスペースないからしょうがないのかもしれない。
そのうちひとりの子どもがボクの姿に気づいて、指差していた。まるで恐竜を見つけたみたいに、驚きのあまり口をパクパクさせている。
みんなが一斉にこっちを見る。
「あ、ヒロちゃんだ。ヒロちゃん」「え、どこ?」「すげー。マジだ」「白玉団子ちゃん!」「え、ヒロちゃん?」「超能力みせてー!!」「わあああああ」
げっ。
すごい勢いでダッシュしてきてる。
ゾンビみたいな迫り方だ。
「ちょ、ちょっとちょっと」
接触まで余裕はあったし、ボクの動体視力なら避けるのは楽勝だ。
でも、避けたら全力ダッシュしている子ども達がきっと転んじゃうかもしれない。まだ小学生低学年。場合によっては幼稚園くらいの子ども達が五、六人。怪我されるわけにもいかない。
「むんっ」
ボクがやれることは孤軍奮闘おしくら饅頭でした。
つまり踏ん張って耐えるだけ。
場合によってはトラックすら持ち上げることが可能なチート能力は、子ども達の体重を支えるくらい楽勝だった。
あ、でも髪の毛ひっぱらないで。
もみくちゃにしないで。なんかおっぱい触られてるんですけど! 手つきがエロい。にやけた顔がクレヨンしんちゃんそのものだった。
むう。
不可視の力で悪ガキをつまみ、離れたところにクレーンみたいな要領で置く。
その子はポカンってしてたけど、それは一瞬。
「すげー。もう一回。もう一回!」
むしろ悪化した。
「遊んでるんじゃないんだけど!」
「このくらいの年齢のおねロリショタも大変いいものですね。尊みが溢れる」
いやマナさん。それはちょっとどうかと思います。ともかく、子どもって元気だよね。傍らにいる未宇ちゃんの静かな様子とは大違い。ベタベタ遠慮なく触りまくってくるし、ボクの見た目が珍しいのと、超能力に興味があるんだろうけど、みんな無慈悲すぎるよ。めちゃくちゃにされちゃう。
イメージ的にはミツバチがスズメバチを取り囲んで体温で倒す攻撃方法だ。
「こらー。みんなダメだよ」
意識が朦朧としていたら、なんだか場違いなポワポワした声が聞こえた。
あ、この人は知ってる。
確か、図書館にいたゾンビになりかけていた子だ。
名前は確か――平岡鏡子ちゃんだったかな。
「久しぶりだね。ヒロちゃん」
同じくその子の隣には図書館にいた太宰こころちゃんもいた。こっちは「こんにちわ」と小さい一言だ。クール美人な感じなので、小さな声でも凛としている。
ボクも久しぶりにあった人たちに対して笑顔を向けた。
「こんにちわ」
事件が起こるまであと一、二回くらいな予定。
それまでは状況説明が続く・・・?