一階のホールに降りると結構な人数が待っていた。
疲れ切った様子の人は、順番待ちのための椅子に座ってぐったりしている。
比較的元気な人は立ちっぱなしで、遠巻きにボクを見ている。
なんかこう終末感といいますかなんといいますか。
「う。この人数。視線。ヤバすぎる」
引きこもり特有の他人の視線が気になる性質。
あると思います。それにみんなヒロ友という町長の弁だったけど、この視線の性質はそんな単純な切り分けができるものでもないかもしれない。
ボクという存在を見極めようとしている。
そんな視線だ。信じるとか信じないとか以前に、得体の知れないストレンジャーなのかな。子どもたちとか知っている人はそれなりなんだけど、知らない大人から見ればそうだよねって思っちゃう。
ボクは怪物なのかもしれないのだから。
「大丈夫ですよ。ご主人様」
「マナさん……」
「ご主人様はビックリするくらいカワイイですからね。とりあえず、視線に入れておくだけで幸せになるタイプです」
「とはいえ、ゾンビ案件だし」
ボクってゾンビだしな。
みんなの気持ちとしては、ボクが何をしたいのかもよくわかっていないのが実情なのかもしれない。あるいはボクが何者なのかもわかってないのかも。
ひとまずのところ、配信動画をみんなで見ていたというのは本当だろうけれども、それにしたって、なにかこの事態を収束させるヒントはないかとか、ゾンビ避けのよりよい方策はないかとか、生存のために必要な行為だったのだと思うし。
ボクみたく純粋に楽しみたいとか。
みんなと出会いたいとか。
そういうお花畑思考ではなかった。
もっと切実なものだった。
そう考えると、ぼっちさんのような純粋なボクのファンっていうのは逆に珍しいのかもしれない。
「うお。ヒロちゃんが僕のことを熱い視線で見ている」
「うん。ぼっちさんって変だなって思って」
「さりげにひどい」
「いい意味での変だからいいの!」
「いい意味っていう言葉をつけると、どんな言葉でも悪口じゃなくなる魔法!」
「ぼっちさんってボクのこと好きなんだよね」
あかべこみたいに首を高速で縦に振るぼっちさん。マナさんからは「小悪魔ムーブ」って言われちゃった。男の人の『好き』を確認するのは確かに小悪魔ムーブかもしれない。やべえ。
でも気持ちとしては、みんながどう思ってるか知りたい。
「ボクとしてはぼっちさんのような人のほうが珍しくて、ヒロ友っていってもいろいろレベルがあるんだろうなって思うんだよね。本当のユーチューバーみたいにボクのことが好きって人はあんまりいないんじゃないかなって……」
「うーん。困惑に近いのかもしれないね。だって、超能力が使えますって言ってもみんな信じられない気分なのかも。それに、ゾンビという異常事態について信じたくないって気持ちがあるから、同じようにヒロちゃんのことも信じたくないとか?」
それはあるかもしれない。
みんなゾンビが怖い。だから、ゾンビを操れるボクのことも怖い。
ゾンビが得体のしれない怪物であるのと同様に、ボクも外貌がカワイイだけの怪物なのかもしれない。
「僕はヒロちゃんを信じてるけどね」
かあああああああああ。
ぼっちさんって、なんだかこういうとき恥ずかしげもなく言うよね。
惚れてまうやろ。
「ご主人様ってわりと全方向にチョロインですよね」
マナさんが楽しげに言った。
「チョろくねーし!」
☆=
しばらく待っていると。
「やあ。ヒロちゃん。町役場のなかはどうだったかな」
通路の向こう側から悠然と歩いてきたのは、葛井町長だった。
こうして歩いていると普通の人というか、それどころかある種のカリスマがあるように思える。
甘いマスクと余裕の表情は、危機的な状況ではより輝いて見えるかもしれない。
なんというかサマになっているっていうのかな。
エライ人って感じがして、まだ若いし。
リーダーって言われても信じられる感じ。もちろん、ナルシストな言動がなければだけど。
ボクはぺこりと軽くお辞儀する。
「いろんなところ見せてもらいました。ゾンビさんとか、雨水貯めるタンクとか」
「そうかい。それなりに生存状況は整っているけど、余裕があるとまでは言い難い状況なのはわかってもらえたかな」
「はい。わかりました」
わりと、素直なボクです。
雨水タンクについては、雨が降ればそれなりに貯まってはいくんだろうけど、あれだけじゃ足りないだろうなとも思う。みんながみんなそれこそ湯水のように使えばすぐになくなっちゃう程度。要するに、お風呂には入れない。生活用水としては最低限度に抑えなければならないと思う。
「一級河川が近くにでもあればだいぶん違ったんだろうけどね。筑後川も遠いしゾンビハザードが始まったのがそもそも夏だったし、なかなか困った状況だよ」
「そうなの?」
筑後川ってどっちかというと福岡の川だと思ってた。
「先輩。筑後川って佐賀と福岡にまたがって流れてるんですよ」
命ちゃんが補足してくれる。
なるほど、そうなのか。
「ちなみに、筑後川は佐賀の南のほうに流れていますから、ちょっとここからじゃ遠いです。治水してみますか。先輩」
「治水って……」
なにその王者の仕事。
ヒイロパワー全力全開でもさすがに川の流れまでは変えられないよ。
「水もだけども、食糧的にもわりとギリギリなんだ。最低カロリーは維持できていると思うけどね。だいたいがレーションみたいなのばっかりになってるから、みんなおいしい食事を求めていると思うよ」
ボクに窮状を伝えてくる町長。
ちくちくってボクの良心を刺激しているのかな。
単に事実報告をしているだけにも思えるけど。
「まあ――、そんなわけでみんなツライ状況にあるんだ。おおまかなところは僕が説明するから、君はそのあとになにか付け足すことがあればいってほしい」
「わかりました」
町長が壇上に上がる。
小さな手で持てるタイプの檀上だ。脚立の小さいバージョンといえばいいのかな。子どもでも持てるような小さなサイズで、ちっちゃなボクがみんなに見えるようにという配慮なのかもしれない。
手にはマイク。そして、コードはこれまたコンパクトなタイプのスピーカー。これまた人が手に持って移動できる程度の大きさだ。珍しい電池式のやつだ。メガホンでもよかったんだろうけど、なんとなくかっこいいのはやっぱりマイクなのかな。
「えー。みなさん、お集まりいただきましてありがとうございます」
町長の挨拶が始まる。
☆=
「――そんなわけで、ヒロちゃんには太陽光パネルをしきつめてもらうことになりました。その後は、みなさんの生活水準をひきあげるために、ゾンビがいないエリアを拡大してもらう予定です」
おおーっという声があがる。
狭い町役場に閉じこめられて、強制的に引き籠りになっていた状況からすれば、希望の光が見えたってことなのかもしれない。
「では、ヒロちゃんにご挨拶をしていただきます。お願いします」
町長からマイクを渡され、檀上に上がるように促される。
う~~~っ。緊張してきた。
視線にパワーを感じる。今のボクには、その視線はファンの視線ではなくて、さりとて悪意の視線でもなく、なんというかフラットなものに感じられた。
選挙とかのときに政治家の人たちが、持論をつらつらと述べているのをみて、不思議に思っていたボクだ。人前でしゃべるのはやっぱり緊張する。
「み、命ちゃん。いますぐボクをバーチャルユーチューバーにして」
「先輩がなに言ってるのかわかりませんが……」
命ちゃんが冷たい……。
こうなったら!
「マナさんが代わりにいろいろと説明するのはどうでしょうか?」
「すぐにヘタれちゃうご主人様もカワイイです」
うぐ。マナさんもあてにならねえ。
そ、そうだ。
こんなときはさっき教えてもらったとおりにすれば――。
ボクは左手と右手をそっと重ねて、上目づかいでマナさんを見つめる。
これ以上なく優しげな表情になるマナさん。
そしてボクは最強の魔法を使う。
「おねがい。お姉ちゃん」
「ずっきゅーん! これはすさまじい威力です。ああ、ああああああ。脳が震える!」
いや……それはあかんでしょ。
いきなりその場でブリッジしそうなくらいのけぞってしまうマナさんに、ボクどんびき。そして周りに興奮している人がいると、自分が相対的に冷静になるって本当なんだね。
少し落ち着いた。小さな胸に手を当てて深呼吸すると、なんとか檀上に上がることができた。
配信のようにネットというフィルタに覆われていない生の現実は、なにが違うかっていうと、見られているという感覚だ。
みんなのぶしつけな視線。
ボクという存在を見極めようとしてくる。
喉がねばつくようにカラカラだ。
意味もなくマイクをポンポンしてみたり。マイクテストマイクテスト。
「えっと……こんにちわ」
ざわっ。ざわっ。
特に意味のない喧噪がまわりに広がった。
「葛井町長さんのお話にあったかと思いますが、ボクが終末配信者のヒロちゃん――いや、夜月緋色といいます。ゾンビを操れたり、超能力が使えたりします」
「超能力使ってー」
わずかな喧噪の中に広がるひとつの声。
ボクがさっき遊んだ子どものうちのひとりだ。
ボクはうなづき、マイクをふわっと浮かせる。
ざわつきが少し大きくなる。
「太陽光パネルは……その、ボクのわがままで、衛星インターネットを使いたいからで、優先させてもらいたいんだけど。生活圏を広げるのはその後になってからでもいいかな?」
なんかボクって説明ベタかもしれない。
それでも大意は伝わったらしく、さらにざわめきは大きくなる。
特に異論はないかな?
「ヒロちゃん。生存圏っていつ広げてくれるの?」
ざわめきのなかから澄んだ声が響く。
確か、ボクと恵美ちゃんの家で会った五十嵐新太くん。男の子だけど女の子の格好がよく似合ういわゆる男の娘だ。
そしてヒロ友でもある。
ボクは少しほっとする。見知らぬ人ってわけじゃないからね。
「うーんと、太陽光パネルを集め次第だよ。きっとそんなに時間はかからないと思う。それと、みんながどうしても困ってるってことがあれば優先するよ」
ざわつきが大きくなる。
あれ……?
命ちゃんのほうを振り向くと顔に手を当てて、あちゃーって感じ。
ボクなにかやっちゃいました?(わりとマジで)
「洋服が足りないの」「お風呂入りたい」「もっとうまいもんくいてえよ」「電気がやっぱり一番ほしいな」「クスリとか抗生剤とか」「ゾンビを全滅させることはできないのか?」
津波のように意見が押し寄せてくる。
ボクは気おされてしまって、壇上から降りたい気持ちでいっぱいです。
「その……ボクにできることは限られてるけど、みんなの希望はできるだけ聞くから、待ってください」
「また待たないといけないの?」「こんな状況でいつまでも待てねえよ」「人間らしい暮らしがしたい」「おれたちがなにしたって言うんだよ」「一階のトイレしか使えないから死ぬほど臭いのなんとかしてくれ」「ヒロちゃん。助けてよ!」「自衛隊はなにやってんだ」
ざわめきは大きくなるばかり。
これはパンドラの箱を開けちゃった的な?
いままでこの町役場でずっと同じところにいたから、みんなの不満やストレスがここにきて一気に爆発しちゃったのかもしれない。
ざわつきのなかに剣呑な空気が混ざり始める。
ど、ど、どどどどうしよう。配信みたいにスイッチを切れば終わりってわけじゃない。リアルの人間関係はこのへんが厄介だ。
ボクは無意味にまごついてしまって、何もいえなくなる。
そしたら、さらにざわめきは大きくなって――。
「美しくないなぁ」
背後から声があがる。葛井町長だった。ボクが小さな壇上にあがっても町長のほうが身長が高い。町長はボクの背後から肩にそっと手をやって、ボクのマイクをさりげない動作で受け取った。
「まだヒロちゃんは小学生だよ。そんな子に一気にみんなが言いたい放題いっても全部の希望を叶えられるとは思えないな。なにより――美しくない。君たちがいろいろと無茶な要求を通そうとしても、ヒロちゃんに叶える気がないなら全部ご破算になるんだよ? そのへんのことわかって発言してください」
ぴしゃりとはねつけるような言い方だった。
町長はナルシストだけあって美的感覚で物事を捉えているらしい。
しかし本当に――、ボクって小学生設定で本当によかったぁ。
みんなが切実で余裕がないのは本当だけどギリギリのところで秩序を保っていた。
だから、小学生に無理強いするというのは、彼らの中でもまだ恥ずべきことだった。
ざわつきが収まり、ひそひそレベルに落ち着いた。
そこで、もう一度町長からマイクを返された。
「大丈夫……みんなゾンビからはいつか解放されると思います」
ゾンビとは顔も知らない隣人みたいなものなんだと思う。
ボクは本当に引きこもりがひどい時期は、電車に乗るのが怖かった。
だって、隣の人がいきなりナイフを持って襲い掛かってどうしようかと、わりと本気で考えていたから。
ボクは誰かと友達になる機会を数え切れないほど逸失しているのだろう。
でも、隣人がゾンビのように襲ってくるかもしれないという恐怖は簡単にぬぐいきれるものじゃないということもわかってる。
だって、他人のことをどうとも思っていないモンスターは――。
確率的にどうしようもなく存在するのだから。
「なあ。ヒロちゃん様よお」
ざわめきが収まり、静かになったホールに、男の声が響いた。
その人は中肉中背。二十代半ばから三十代くらいで、無地のTシャツにジーパンを履いている。
目つきは正直なところ悪い。
人は第一印象が九割っていう本があったかと思うけど、その人はたぶん容貌で損するタイプかもしれない。そういうつもりはないかもしれないけれど、なんか見下されているような感覚がする。
「はい。どうしました?」
と、ボクは冷静を装って答えた。
「ちょっくら、ヒロちゃん様に頼みたいことがあるんだけどよ。いや、なにたいしたことじゃないんだ」
たいしたことじゃないって言葉、たいしたことある説。
あるよねぇ?
「なんでしょうか?」
「隣に住んでる婆さんが飼ってる犬がクソうるさいんだよ。なんとかしてくれ」
「犬?」
ボクは首を傾げる。
男は大仰にうなずいた。
「ポメだよ。ポメ。小さい犬だけにキャンキャンわめくのなんのって、マジうるさくて夜も寝れねえの!」
「ポメってポメラニアンのこと?」
「それ以外になにがあるんだよ!」
男は怒りに任せて声を荒げた。正直なところ意味がわからない。困惑半分。そして若干はムっとしたのも事実だ。ボクも引きこもりだけれども、人並みの感情は持ち合わせてるから。
「よくわからないんですけど……どういうこと?」
「だからさぁ! 婆さんがポメ飼ってんの! こんなゾンビだらけの余裕のない時に迷惑なんだよ。わかるだろ?」
「よくわかりませんけど……それで何をどうしてほしいの?」
「捨てろって言ってくれよ」
「えっと、犬をだよね?」
「そんなの当たり前だろ。オレだって婆さんにゾンビになれとか言ってるわけじゃねえし! ただ、婆さんぜってぇ認知症入ってるってあれ。世話もできてねーし。さっさと処分しちまえばいいのに、80のババアにご配慮しまくって誰もいわねえ。そのくせ犬の世話をしようってやつは誰もいない。だからオレが代表して言ってやってんのよ」
男は真剣な様子だった。
少なくとも自分の環境を改善しようという気持ちは本気だろう。
しかし――、でも。
「なんでボクが言う必要があるの?」
それこそ、町役場のみんなで決めればいいじゃん。
ボクが口を出す必要はない。
「ヒロちゃんがいろいろやってくれるってんだろ? だったらみんなヒロちゃんの言うことならほとんど聞く。本当にたいしたことじゃないんだ。ヒロちゃんが犬を捨てろって、それが正しいことなんだって言ってくれたら、みんな納得するにきまってる」
「なにそれ……」
確かにボクはゾンビ避けできるし、みんなの生存圏や生活水準を押し上げるつもりだ。
でも、それを引き当てにして権力とか発言権を持とうとは思ってない。
第一、ボクはそのおばあさんにも会ったことないんだし。
「辺田! そのへんにしておけ!」
一際おおきな、渋い声。
ゲンさんが辺田と呼ばれた男の人を叱責するように声を上げた。
「ゲンさん。そりゃないぜ……。オレ、おかしなこと言ってるつもりないよ。だって、あの婆さんひとりで一部屋使ってるだろ。みんな、大部屋で共同生活なのに、婆さんだけ一人暮らしだぜ。おかしくないか? それに犬を見る余裕がないのも本当だろ」
「そのことは後で協議しようってことになっただろ。つべこべぬかすな!」
「話をするっていったって、結局、一ヶ月もそのままだったじゃないか」
「今の状況では何かを決めるのにも時間がかかる。おまえさんもわかっているだろう。国はどうなったかもわからん。いまここには150人足らずの人間しかおらん。家族とも離れ離れになっている者がほとんどだ。みんな我慢している」
「だったら、オレだって、オレたちだって我慢してるだろ。どうして、婆さんだけ優先しなくちゃなんねーんだよ。あんなの彼岸に片足つっこんでるだけだろう!」
冷たい視線を返していた。じろじろと見るぶしつけな視線に、辺田さんは冷や汗を流している。
無言のほうがプレッシャーがある。
それで――。
今度は静かに。
静かすぎるほど厳かに。
葛井町長がいつものアルカイックスマイルで述べた。
「辺田くんの言い分もよくわかるんですけどねぇ。いまはそれだけの余裕がないんですよ。何度も言いますけど、ヒロちゃんはたまたまこちらに来てくれたんです。偶然ですよ。たまたまですよ。この奇跡を前にして、あなたにはどんな価値があるんですかねえ」
辺田さんは無言のままだった。
「おまえいい加減にしろよ」「ヒロちゃんは何も悪くないだろ」「犬は確かにうるさかったけど、それをヒロちゃんになんとかしてくれっていうのもどうかと思う」「辺田さんの言うこともわかるんだけど……」「これでヒロちゃんに見捨てられたらどう責任とるんだよ。辺田!」
「あ……う」
総体として、辺田さんの意見は通らなかった。
でも集団生活を営んでいる以上――そういうのはいくらでもあるんだろうな。
辺田と書いてヘタさんと呼びます。
リアルだと、意見や対立は正当性の衣をまとっている的な話でして……
なるはやで書いていきます。