ボクたちが探索にでかけていると、いつのまにか未宇ちゃんがいなかった。
びっくりするほどのステルス能力だ。いくら物静かだからってほどがあるよ。
周りは遮蔽物が多い佐賀的ビジネス街なのでちょっとでも建物に入り込めば、あるいは路地に入り込めば視界の外に出てしまう。それこそ小学生の足でも二十秒もあれば、視界の外に出るだけなら簡単。
といっても、佐賀のビジネス街ってたかが知れていて、あえていうならシャッター通りに近い感覚です。なんもないです。穏やかな感じです。
あるいは――。
「誘拐? いや正確には略取っていうんだけど……」
誘拐とはその文字のとおり、誘ってかどわかすことを言う。
つまり、言葉とかを使ってその気にさせて連れ去ることを言うんだ。
無理やりさらう場合は、略取というのが正しい。
未宇ちゃんは耳が聞こえない女の子だから誘ってかどわかすというのは難しいだろうから、ありえるとすれば、誰かが無理やりという線だ。
「先輩。おそらくですけど、一番考えうるのは誰かにさらわれたというよりは未宇ちゃん本人がどこかにいってしまったという線ではないですか」
命ちゃんの冷静な判断に、ボクも少し考える。
確かにその線が一番濃いかな。
ボクのことに対して敵対的ともいえる『カエレ』の文字で敏感になっていたけど、普通ならこの状況で誰にも見られずにむりやりどこかにつれていくというのは難易度が高い。
「つまり、ワンちゃんがどこかに行ってしまって、それを追いかけてってこと?」
「そうですね。リードはしてたようですが、あれだけ元気な犬ですし、ないとは言えないんじゃないですか?」
「確かにね……」
犬もダッシュしているときは案外吼えないものだ。
なにしろ、自分の欲望が一番満たされている瞬間だからね。
吼えるというのはなんらかの不満があっての行為だろうと思うし。
「みんな未宇ちゃんの姿は見てないの?」
ボクは周りにいる全員に聞いた。ボクを含めて、命ちゃん、マナさん。ゲンさん。湯崎さん。ぼっちさんと、六名もいる。十二の瞳に見つめられながら、どこかにいっちゃうなんてありうるんだろうか。
でも、みんな否定した。
「油断していたとしか言いようが無いが……、ワシらは前方にばかり注視していたからな」
ゲンさんの言葉に同意の声多数。
「ぼっちさんも?」
「僕は……正直なところ」
そこで、口を閉ざしてしまうぼっちさん。
「正直なところ?」
「ヒロちゃん見てました」
「は?」
マナさんをみても、
「まあ殺人的にかわいい生物がいるとしょうがないですよね。ずっとご主人様の膝裏を見てました。膝裏かわいすぎて困りますよね」
命ちゃんをみても、
「先輩のことしか見えませんでした」
ダメだこいつら……。
ボクのことしかみてねえ。
つまりそういうことか。比較的まともなゲンさんと湯崎さんはいつものクセで最も危険といえる前方を本当に注視していて、他のみんなはちょうど真ん中あたりにいたボクのことをずっと見ていて、一番後ろにいた未宇ちゃんを見ていた人が誰もいなかったってこと?
そんで――、ゾンビの数がにわかに多くて、うなり声にまぎれて、物静かな未宇ちゃんがいなくなっても気づかなかったって、そんなオチ?
ロリコン率高くね?
マナさんが言ったように、ボクの膝裏を見ている人ばかりなの?
いや、この際、原因は置いておこう。
「ボクとしては、すぐに見つけ出さないとまずい気がするんだけど」
言わずもがなってやつだ。
ボクのゾンビを操作する能力は無限大の距離を持っているわけじゃない。
そりゃ、祈祷力というか集中力というか、ボクの気持ち次第で操れる範囲は多少広がったりするけれども、無差別に全部のゾンビを操ろうとすると、それだけ疲れちゃう。
平野とかで、見えるゾンビは操りやすいけど、高低さのある建物が多くなるとさらに難易度は上がる。佐賀には高層ビルの類は無いけれど、それでも建物の中にいるゾンビは感知しにくい。
つまり、ほんのちょっとボクが祈祷力をきらしてしまって、未宇ちゃんがゾンビに襲われるなんてことも普通にありえるんだ。
生きながらにして食べられる恐怖というのは、筆舌に尽くしがたいものがあると思う。
たとえ、ボクという特効薬があったとしても。
じゃあ、全身噛まれまくってくださいとはならない。
ましてや小さな女の子ならなおさらだ。
やっぱりヒイロウイルス入りのお守りでも持っててもらうほうがよかったかもしれない。
「先輩がレーダーのようにゾンビを見ることができるなら、あえて襲わせるというのも一手かもしれませんね」
「え、ダメだよそれ」
命ちゃんの言うやり方はボクにもわかる。
ボクの脳内にあるゾンビレーダーはそれなりに発達しているから、ゾンビのコントロールをといて襲われるがままにまかせておけば、ゾンビが人間を襲う動きで未宇ちゃんの位置は把握できるってことだ。
ゾンビレーダー内の動きが激しくなるからね。
でも、いくらなんでも小学生相手にガチでゾンビ案件させるつもりはない。
ゾンビを停止させるまでのわずかな時間で噛まれたらどうするのって話だし、その恐怖がトラウマになってもかわいそうだ。
「ご主人様は優しいですねー。まあゾンビになっても回復できるわけですし、べつに問題ないと思いますが、襲わせたくないなら地道に探索するしかないのでは?」
「そうだね」
マナさんの意見を取り入れて探索することになった。
☆=
探索をするということになれば、できるだけ短時間が望ましい。
つまり、チームを分けて捜索する。
でも、二次的な被害も抑えなくちゃならない。
人間サイドのぼっちさんたちがゾンビに万が一でも襲われないようにしなくちゃならない。
ボクは周辺のゾンビを全部コントロールしながら、チーム分けを考える。
一番いいのは、できるだけチーム分けをしたほうがいいという原則論からして、ヒイロゾンビと人間を一対一ずつ組ませるという方法かな。
これだと、三チームできるから一番効率がいい。
でも――。
命ちゃんの瞳が何かの感情に揺れるのをボクは見逃さなかった。
命ちゃんって、男の人が苦手なんだよね。
たぶん、初老のゲンさんでも苦手なレベル。
ごく短時間なら、理性でなんとでもなると思うけど、生理的嫌悪感があるのは否めない。
ボクとか雄大に対してはぜんぜんそんなそぶりはなかったんだけどね。
おそらくは『敵』『味方』『モブ』というようなわけかたをしていて、ボクや雄大だけが命ちゃんの味方なんだと思う。
ボクが頼めば、きっと命ちゃんは拒否しない。
でも、身が震えるほどの恐怖を他人に抱いているのに、あえて強硬するのもボクはいやだった。
「えーっと……、マナさんがぼっちさんたちといっしょに行動して、命ちゃんとボクは単独で動くっていうのはどうかな」
「ご主人様は命ちゃんにあまあまですねぇ。てぇてぇ……」
尊いがなまると『てぇてぇ』になるらしい。
配信中にも何回か言われたことあるけど、リアルで言われたのはこれが始めてだよ。
「それでみんないいかな?」
「ワシらはそれでかまわんが……、そっちは単独行動でいいのか?」
「まあボクは強いし。命ちゃんもゾンビだらけの場所だと逆に安全かな」
命ちゃんが危険なときって、ゾンビよりも人間に襲われるときだし、こんなに周りがゾンビだらけだと、逆に問題ない。命ちゃんもゾンビを操る能力はあるみたいだし、そこらの人間よりはパワーに溢れてるからね。
ダンベル何トンもてますかってレベルです。
「では捜索開始!」
☆=
集合場所と時間は決めてある。
一時間をタイムリミットとした。一時間あれば、おそらく小学生の女の子でもボクのコントロールレンジからはずれることも可能だろうから。
でも、いくら小学生だからって、そんな無謀な真似はしないと信じたい。
みんなバラバラの方角を探すことになっている。
ボクは当然、一番探しやすい上空からの探索だ。
ふわっと浮きあがり、多少の寒さが混じってきた秋空を進む。
秋の澄み切った空。天高い青空に近づくと、命ちゃんたちの姿が豆粒くらいに見える。
このくらいの高さであれば、ギリギリ未宇ちゃんの姿も視認できるし、より早く探索できるはずだ。建物の中にいなければ、だけど……。
いつもは無上の気持ちよさを感じる空中遊泳も、今日は不安な気持ちでいっぱいだ。
「いないな……」
網の目のように広がる路地裏も、比較的広がりのある大通りも、ゾンビだらけで未宇ちゃんの姿はない。
ボクは未宇ちゃんのことをほとんど何も知らないといってもいいけれど、きっと本当に何も知らなかったら探しもしなかっただろう。
ゾンビになっても、はいそうですかで終わり。
テレビの向こう側の戦争で何人死んでも、朝ごはんを普通に食べて学校に行くのと同じだったはずだ。
この心配って気持ちは――。きっと、知り合いになったからだと思う。
もっと言えば、ヒロ友として、まがりなりにも友人として認識したからだと思う。
ボクってわりと普通に人間してます。
「見つからんね」
ひとりごとを呟き、ボクは適当なところで地面に降りる。
スタンと足を響かせて着地。
ゾンビのコントロール域は可能な限り広げている。人間的な感覚でいえば、ずっとマウスをクリックし続けるような感覚に近い。もっと極狭い範囲だったら空気を吸うような無意識に近い感覚で操れるんだけどね。ボクは"ゾンビ"であり、ゾンビは基本的には不随意筋みたいなものなのかもしれない。
「建物の中かなぁ」
そうとしか言いようが無い。少し離れたところをみると、道の途中から小さな商店街があるみたいだった。アーチが天空を覆っている。上空からはテントか何かのように見えたけど、百メートルかそこらくらいの長さしかない商店街だ。でも見えないところには違いない。
普通の建物はざっと見た限り、扉が閉まっていて、もしも予想どおりワンちゃんが逃げ出したのを捕まえようとしたのなら、入ってる可能性は低い。他の建物をひとつひとつ探すよりは可能性は高いか。
商店街のほうに行ってみますか?
「昼でもちょっと薄暗いな」
もともと佐賀の商店街はシャッター街化が進んでて、開いているのは半分くらい。だいたいは大型のショッピングモールとかにお客さんをとられて、でもそのショッピングモール自体も撤退して、なんにも残ってないというのが現在の状況だ。
シャッター率はたぶん50パーセントくらい。
べつに佐賀に限らずだけど、日本の地方都市はだいたいにおいてこんな状況です。
少子高齢化が悪いのです。
「いくつかはシャッターが破られてるな……」
クリーム色をした昔ながらのシャッターがぼこぼこにへこんでいる。穴をあけるような開け方ではなく、強烈な力で押し込められて歪み、その分、下に穴が開いている感じだ。
もちろん、ゾンビハザードの初期の頃には人間がいてゾンビに襲われたということも考えられるし、あるいはヒャッハー系の人たちが物資を調達するために開けたということも考えられる。ただ、人間が開ける場合は、もうちょっとスマートに開けるような気がするけどね。
人間の子どもなら楽勝で入れるくらいの穴が開いてたので、とりあえず入ってみることにする。
中は当然のようにまっくらで、物音ひとつしない。
ボクは夜目が利くから真っ暗でも問題ないところだけど、未宇ちゃんは物音が聞こえないから、ボクがいるってことを知らせる必要がある。
サイドのポシェットから取り出したるは――はい、スマホです。
すっかり両手持ちしないと落としそうなサイズになってしまったスマホだけど、いまだ懐中電灯代わりくらいにはなる。ネットにつなげないスマホなんてただの板だという説もあるけど、少しは使える。リバーシも将棋もできるし、ダウンロード済みのなろう小説も読めます。
青白い光が店内を照らした。
いくつかのプラスチックの棚のようなものが散乱している。なにかが暴れたような後?
で、いました。
普通にゾンビさんです。
夜遅くまで仕事をしていたのか、くたびれたスーツを着た男の人でした。
はいこんにちわこんにちわ。
まあわかってたんだけどね。
ゾンビレーダーが発達しているボクには、ゾンビがそこにいるかどうかぐらいはわかる。
人間のほうはいるかどうかわからないのが困りものだけど、わざわざこんな危険なところに未宇ちゃんが入っていったのかという問題はあるかな。
ただ――、
ボクとの関係性を見る限りだけど、ワンちゃんはゾンビ犬にはならないみたいだし、つまりゾンビに襲われないってことだから、ゾンビなんかものともせずに建物内に侵入するってことはありえる。未宇ちゃんもボクがゾンビをコントロールできるから安全だって思って入ることはありうるかもしれない。
「ねえ。ゾンビさん。ここに小さな女の子来なかった?」
「あ、ああああうううう」
無理でした。
このゾンビさんを人間に戻したらいろいろと聞ける可能性はあるけど、食糧問題とかもあるし、勝手に戻すわけにはいかないよね。
ざっと店内を見渡してみても、やっぱり未宇ちゃんはいなかった。
限りなく残念な気持ち。シャッターが開けられた店はまだたくさんあるけれど、やっぱり中にゾンビがいる状況だと、未宇ちゃんもいない可能性が高いか――。
ガッカリ。
くるりと踵を返し、ボクは店内を後にしようとする。
と、そこで。
「あ、緋色ちゃん。久しぶりだね」
「ふぇ!?」
店の奥から響いた声。
それは、まぎれもなく人の声で――。
幽霊?
そんなことも今のボクの状況からはありえるかもしれなくて、全身の毛が逆立つような感じがした。怖すぎて天井近くまでジャンプしてしまった。
き、季節はずれの幽霊とか勘弁してください。暗いのはいいし、ゾンビは全然怖くないけど、幽霊はちょっとだけやっぱり怖い。
「だ、誰?」
「僕です。小杉ですよ」
「うわぁ……ビックリした。なんでここにいるの?」
そう。
店の中に存在感薄く隠れるようにして座っていたのは、小杉豹太。
ボクが最初にゾンビにした人だった。
☆=
小杉豹太さん。
命ちゃんを殺そうとした人。
だから、ボクは彼を哲学的ゾンビにしてしまった。哲学的ゾンビというのは行動自体は生前と変わらないけど、内的な精神活動が一切無い状態のことを言う。
超精密なロボットみたいなものといえばわかりやすいかな。
今、小杉さんには他の人間がいるところで暮らしちゃダメっていうコードを走らせている状態だ。だから、町役場とか他のコミュニティに属してないのは当然の流れだった。あと、人間を傷つけてはいけないということも厳命しているかな。
いずれにしろ、彼は生きているように見えるけど死んでいる。
本当のゾンビ状態だ。
小杉さんは肩をすくめた。
「どうやら、僕にはゾンビを避ける力があるようですので、ゾンビがいるところのほうが僕にとっては安全だと思ってそうしてます。このあたりの商店街は人はいないし、物資は多めなので都合がいいんですよ」
あいかわらず猫背でボソボソとした喋りだった。
「まあそれはそうだよね」
ボクがそういうふうにしたんだし。ある意味では小杉さんもヒイロゾンビなんだし。
いやでも分かるんだけど、命ちゃんたちがヒイロゾンビで意識がある存在なのは、ボクとしても信じているところだけど、ボクが小杉さんにしたように、生殺与奪の選択権があるっていうのはかなりの問題だ。
ボクは人を殺せる。
ヒイロゾンビになった人は一瞬で意識を霧散させることができてしまう。
無へと――。
死へと――。
人間とは何かって考えたとき、究極的にはボクは意識だと考えた。その意識を簡単に奪ってしまえるのは化け物に違いない。
ボクはやっぱり人間にとっては特大級に危険な存在なのかもしれない。
カエレって言われるのもわかる気がする。
「ねえ。ところで、ここらへんに小学生の女の子が来なかった?」
「女の子ですか? いえ来てませんけど」
「そう……」
やっぱりダメか。
これはゾンビ荘のみんなを連れてきていっしょに探してもらうしかないかな。
そろそろ一時間も経過しちゃうし、いったん戻るべきかもしれない。
「あ、でもボクが来たのに、小杉さんってなんで声かけたの?」
命ちゃんの評価だと、小杉さんは利益的な計算をする人だ。
つまり、利益がなければ動かない人。
ボクが来たからといってわざわざ声をかける必要はない。
「いや、べつにたいした理由はないのですが……」
小杉さんは一瞬悩むような形を見せ、
でも、ボクのコントロール化では沈黙もウソも許されてないから、
「久しく会話をしていなくて寂しいと思ったからですかね」
「―――」
哲学的ゾンビのあまりにも人間的すぎる答えに、ボクは絶句してしまった。
少しだけ最悪な気分だった。
あのときのボクの行動はベストなものでないにしろ、ベターなものだったはずだ。
でも、もしかしたら、殺すほどのことはなかったかもしれない。
ボクの確信的な気持ちとしては――、死んだ人間が生き返ることは無い。
いくら泣き叫ぼうが、胸をかきむしりたくなるほど苦しかろうが、それだけはボクの経験に裏打ちされた純然たる事実だった。
死んでしまった小杉さんを元に戻すことはたぶんできない。
取り返しはつかない。
沈黙――。
そして、小杉さんが思い出したかのように軽い口調で言う。
「ああ……そういえば、女の子は来なかったですが、先ほど犬の鳴き声はしましたよ。いつもは音のない商店街ですから珍しく思いました」
「え? それ本当」
「本当ですよ」
ウソはいえない。
「どっちからしたの?」
ボクは急かすように言った。
小杉さんといっしょに店外に出て、指差してもらう。
「確か、こちらから聞こえたかと思います。店内からですからわりと曖昧ですが」
「ありがとう」
「あ、ちょっと待ってください」
「え、なに?」
ボクの作り出した小杉さんの形をしたオブジェクトは、ここでもボクを呼び止める。
精神のカタチというものは小杉さんの生前のままだから、これは小杉さんが生きていたらそう判断したであろう内容だ。
「手伝いましょうか?」
「え?」
「いや。緋色ちゃんは小学生の女の子と犬を探しているんでしょう?」
「いいの? 小杉さんの利益にはなんにもならないけど?」
「たいしたことでもないですし、べつにかまいませんよ」
無意識にボクがコントロールしている可能性もある。
少なくとも実害を与えることはできないように命じているし、その強制力は絶対だという確信もある。ただ、手伝いをお願いしようとは思ってなかった。
だとすれば、これは小杉さんの精神の一面であることは間違いないかもしれない。
どんな悪人でも気まぐれで人を助けたりすることはあるという不思議さなのかな。
本当は違う未来もあったのかもしれない。
ゾンビみたいな極限的状況がなければ。
「じゃあ、お願いします」
☆=
商店街の近くにいるとわかればあとは片っ端から調べていくだけだ。
シャッターが壊れている店はいくつもあるけど、店内は狭くてスマホで光らせればいくら未宇ちゃんでも気づく。
で――、数件目。
中から犬の鳴き声が聞こえてきた。
「ここみたいですね」
小杉さんの声にボクはうなずく。
ゾンビはいないみたいだ。
スマホの光を店内にさしこみ、中を覗いてみる。
いた!
床にはいつくばりながら何かを探しているような体勢になっているのは、まぎれもない未宇ちゃんだ。ゾンビの気配がないことから特に怪我をしている様子はない。
差し込まれた光に気づいて、未宇ちゃんが立ち上がり、こちらに振り返る。
そして、軽く手を振った。
ボクも心配したんだよって伝えたかったけど、手話がつかえないボクにはそこまで複雑なことは伝えられない。
そうだ。ヒイロ文字で。
空間に文字を投射して伝える。
『心配したんだよ』
そしたら、未宇ちゃんは頭をさげて、ごめんなさいって伝えてきた。
反省しているならかわいいからゆるしてあげよう。
そんな気持ちになるボクでした。
『ワンちゃんは?』
未宇ちゃんが指差すと、ちょうど小さな棚の間に隠れるようにして唸り声をあげていた。
未宇ちゃんには懐いていたみたいだけど、久しぶりの外で興奮しちゃったのかもしれない。
粘り強く出てくるのを待っているみたいだけど、もう時間切れだ。
ボクはヒイロウイルスの浸透力を用いて、物理現象を歪める。
要するには念動力なんだけど、動作原理が少し違うからね。まあ、近似的な現象としてはサイコキネシスが一番近い。
つまり、お犬様にはなんら抵抗を許さず、無理やり棚から引っ張り出したのでした。
そして、ボクの腕の中にイン!
「おまえ……迷惑かけすぎ」
暴れまくるお犬様。
二度と噛まれないという覚悟を持って対処するボク。
やらせはせんぞ。
小学生の身体だと小型犬でも結構な大きさに感じる。
ぎゅっと身体全体で押さえつける感じだ。
「あれ? オマエ……」
昨日は洗ってない犬の臭いがしたけど、今日はいい匂いだな。
未宇ちゃんが洗ったのか。ぼっちさんが洗ったのかな。
なんにせよ、未宇ちゃんが腕を広げてウェルカムしているので、ワンちゃんを返してあげた。
未宇ちゃんの手に渡った瞬間に、いままでの暴力的な行動がウソのようにおとなしくなった。
なんだそれ。やっぱりボクのヒエラレルキーって低すぎっ!?
☆=
問題があります。
小杉さんの姿がばっちり未宇ちゃんに見られているということ。
未宇ちゃんは耳が聞こえないせいか、あまり喋らない子みたいだけど、小杉さんを連れて行かなくちゃ変に思うかもしれない。
小杉さん自身に帰ってもらうような感じで行動させるか――。
でも。
小杉さんは寂しかったからって言ってた。
ただの超精密なエミュレータに過ぎないとしても、ボクはどうしてもここで踏ん切りをつけることができないでいた。
魔界の実家に帰ってたら遅れました。