あさおん・オブ・ザ・デッド   作:夢野ベル子

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ハザードレベル85

 配信まであと二十分。

 命ちゃんはあいかわらず忙しそうだし、ボクのページにはもう既に待機者の列。

 うげ。既に七百万人くらい待機してる。

 なんか動作がもっさりしてるような……これって大丈夫なのかな。

 

「命ちゃん。なんか動作がスローリィなんだけど」

 

「そうですね。これだけ人数が多くなるとそうなりますよね」

 

「命ちゃんのほうでなんとかできないの?」

 

「配信環境自体は借り物ですからね。どうにもならないですね」

 

「じゃあ、みんなには、ボクの声が遅れて聞こえたり、ブツブツ切れたり、動画が止まったりする可能性もあるってこと?」

 

「そうなりますね」

 

「なんとかできないの!?」

 

 ボクはあわてた。

 配信はボクが人間総体とコミュニケーションをとる手段だ。

 今後人間との関係がどうなるにせよ、言葉も交わさないで何かを決めるというのはちょっとどうかと思うわけです。

 町役場の人たちとはリアルなコミュニケーションをしているわけだけど、それはある意味試験的な何かだ。

 

「ご主人様の配信姿を後ろから眺めるというのも乙なものですね」

 

 マナさんは放送室の後ろの方で待機している。

 じっくりねっとりボクのことを見ているみたいだけど、べつに気持ちの悪い視線ではないので放っておいてます。

 

「マナさんも何かないの?」

 

 配信には姿をさらさないと決めたマナさんだけど、外野だからか余裕の表情をしている。

 

「ご主人様が呼びかけて自発的にリアルタイム視聴を取りやめてもらうとかしかないですよね」

 

 それぐらいしかないか。

 

「ちなみに、ご主人様の動画に対する配信リソースはいま全体の50%くらいは振り分けてるそうですよ」

 

「え、それってどういうこと?」

 

「自発的に、そこの運営会社さんがご主人様の動画に対して回線を太くしているんです。700万人でも落ちないのは、それが理由ですね」

 

「ふうん……」

 

「とはいえ、想定外な数値なので、いつ落ちてもおかしくないですけどね」

 

「じゃあ、呼びかけてみるね」

 

「あ、お待ちください」

 

 マナさんはボクを呼び止めた。

 

「え? なに」

 

「ツブヤイタ―とかで告知したほうがよいかと思いますよ。配信動画で大人気のヒロちゃんが呼びかけてもむしろ数が増えるだけかと」

 

 マナさんは苦笑めいたそんな表情だった。

 そんなものかなと思う。

 確かにボクの人気といいますか、半分くらいはゾンビ利権を狙ってるんだろうけど、リアルタイムで見たいって人は多そうだ。

 生存に直接かかわるゾンビ配信だしね。気持ちはわかる気がする。

 

「じゃあ、ツブヤイタ―で、リアルタイム視聴にこだわらない人は後でアーカイブを見てくださいって言うね」

 

 ボクの動画のアーカイブだけど、厚生労働省のページもだけど、基本的にミラーリンクが一つの動画に対して200くらいは増殖している。非公式的なアップロードされたものを含めれば、その数は数えきれないくらい。

 各国の言語に翻訳されていたり、字幕がついていたりと、バリエーション豊か。

 これもゾンビ的特性のひとつなのかな。

 だから、アーカイブはほどよく分散されてて、特に問題なく視聴できるんだ。

 

「ツブヤイタ―で呟いてみたよ?」

 

 視聴者さんの数は、700万人から微動だにしない。

 

「あれ? ピクリとも動かないんだけど」

 

「増減なしってことは、入った人が自発的に出ていってるってことですから、ご主人様の言うことを聞いてる人はいるってことでしょうね。でも、中には自分だけはいいとか、自分はどうしてもリアルタイムで見たいと考えてる人もいるはずです」

 

「そうなのか……」

 

 自分勝手だって思わなくもないけど、これもまた生存にかかわることだけに、強くは言えないと思う。でも、動画配信自体ができなくなっちゃったらどうしようもない。

 

 どうしよう……。

 

「先輩。運営会社からDMが来てますよ」

 

 命ちゃんの声にボクはツブヤイタ―のDM欄を見てみる。

 あ、本当だ。

 ご丁寧にも日本語で書かれてる。

 

『ヒーローちゃん様。日頃より当社サービスをご利用いただきまして誠にありがとうございます』

 

『さて、今般よりヒーローちゃん様の動画配信については、折からのゾンビ禍に対する有効的な対策になりうる可能性もあることから、政府関係者含め、多くの方からの衆目を集めるところでございます』

 

『これも日頃よりのヒーローちゃん様のご活躍によるところでございますが、動画配信の物理的容量の関係から、当社サービスが十全にご利用できなくなる可能性がございます』

 

『当社としましては、ヒーローちゃん様の動画の価値を鑑み、当社リソースのほとんどをヒーローちゃん様に振り分けているところでございますが、それでもなおヒーローちゃん様の人気はとどまるところを知らず、当社のか細いリソースでは追いつかないのが実情です』

 

『そこで、ヒーローちゃん様の動画配信につきましては、視聴者数を限定して百万人までに絞るという案をご提案いたします。いかがでございましょうか。当社のご提案にご承諾いただけましたら、ご返信をお願い申し上げます』

 

 えーっと。

 

 ボク、小学生の設定なんだけど……。ちなみに全部の漢字にわざわざフリガナ振ってます。でも言葉づかいが難しすぎるよね。で、結局、言いたいことは視聴者限定するよってことか。

 

「マナさんどうしたらいいと思う?」

 

「ふむふむ。ご主人様としては、運営会社さんの提案に何か穴はないかって考えてるのですね」

 

「いやそこまでは思ってないけど、ボクひとりで決めるのも性急かなと思って」

 

「そうですね~。たとえば、運営会社さんはアメリカの会社さんなわけですけど、アメリカの政府と通じていて、視聴者を限定するっていいながら、さりげに作為的に選ぶってことは考えられますね。アメリカの政府高官たち、CIAとかFBIとか、そういう人たちだけ優先的に入れて、逆にライバルになりそうな中国の人たちははじくように設定するとか」

 

「なるほど……」

 

 そういうのもあるのか。

 じゃあ、どうすればいいのかな。

 

「まあ百万人もいれば特に問題ないと思いますよ。矛盾するようですけど、完全に敵対勢力を除くなんてできるわけありませんからね。最初の百万人について早い者順だったら必ず何人かは各国の要人クラスが入るはずです。ヒロ友の数が現在5億人ですから当選確率は0.2%。これは超ウルトラレアですね。きっと、百万ドルで視聴権利が売れちゃいますよ。運営会社にその気があればですけど」

 

「なるほどぉ……ボク、マナさんに翻弄されちゃってる」

 

「もっとお姉さんに翻弄されてくださいね」

 

 マナさんがおもむろに近づいてきて、やむなく抱きしめられるボク。

 ちょっと暑苦しいよ! 距離があったからなにするかはだいたいわかってたし、拒まなかったのはボクだけど。

 

「で、例えばの話ですけど――、ご主人様」

 

「あ、はい」

 

「極端な話ですけど、ご主人様が視聴者を日本人に限定するなんてこともできるわけです」

 

「あー、なるほどね」

 

「嫌いな人ははじくなんてこともできるわけです」

 

「そうだね」

 

「どうします?」

 

「どうもしないよ。ボクは人間総体と話してるわけであって、特定の人種や国と話してるわけじゃないから」

 

「日本を特別扱いしないってことですか?」

 

「うーん。ボクにだってそれなりに生まれた国に愛着はあるよ。だけど、そうやってボクが好き勝手してしまっても人間側も困るんじゃないかな」

 

「好き勝手しようがしまいが、ご主人様の対応にあわせて向こうもいろいろ考えるだけだと思いますけどね。まあ、お姉さんとしては、ご主人様が選ぶのであれば、それでよいかと思います」

 

「うん」

 

 でも、やっぱりできれば純粋なヒロ友というのを想定してしまう。

 

 それは、ゾンビハザードが起こらなくて、ボクが普通のユーチューバ―だったらどんな反応だったんだろうっていう益体もない想像だ。

 

 大変お恥ずかしながら、ボクってかなりかわいいし?

 それなりに人気はでたんじゃないかなって思うけど。

 わざわざ外国の人が日本語を覚えてまでアプローチをかけてくるなんてことも思えない。

 

 ボクはゾンビにまつわる力がなければ、ただの凡人だ。

 そんなのはボク自身が一番よくわかっている。

 

 沈みかけていると、ほっぺたに感覚が伝わった。

 

 マナさんにほっぺたをやさしくつままれている。

 

「マナさん?」

 

「ご主人様はジョハリの窓という言葉はご存知ですか?」

 

「ん。ジョハリ? 守破離ではなくて」

 

「ジョハリです。まあカンタンに言えば、他人が見ている自分と自分が考える自分を四象限に分けて表現する方法なんですけど、ジョハリさんがそういう自己認識ツールを開発したという話です」

 

 マナさんがゆっくり諭すように言うには、

 

 自分が知っていて他人が知っている自分。

 自分が知っていて他人が知らない自分。

 自分が知らず、他人が知っている自分。

 自分が知らず、他人も知らない自分。

 

 というふうに、自分というひとつの個体にも四つの見え方があるんだって。

 

「できるだけ自分も他人も知っている開放の窓を広げたほうがいいといわれてるんですけど、わたしとしては無理をして広げる必要もないと思っています。それもご主人様のキャラですからね」

 

「配信をし続けると、ボクも自分が気づかなかった自分のキャラに気づいたりもするけど、ただゾンビを操れるって特性が大きすぎるかな」

 

「それもまたキャラですよ」

 

「そうかなー」

 

「そうですよ。不安そうな瞳が非常にそそります」

 

「うん。本音の部分は最後まで隠しとけばかっこいいと思うよ。でも、マナさん、ありがとうね」

 

 いまさらゾンビとは無関係に配信なんてできないしね。

 それに、ゾンビを操れて、救世主になれる可能性を秘めた自分っていうのも、べつに嫌いじゃないんだ。

 

 だったら、今はそのキャラでいい。

 

 

 

 ☆=

 

 あとわずかで配信開始時刻。

 

「そろそろ準備しようかな。ペットボトルよし」

 

 中にはお茶入ってます。

 話し続けると喉が渇いたり、キタナイ声がでちゃったりするしね。

 適度に喉を湿らせると配信にいいのです。

 ボクもちょっとはプロっぽくなってきました。

 

「あ、ヒロちゃん。ちょっといいかな」

 

 放送室のドアから顔をのぞかせたのは、ぼっちさんだ。

 

「なんです?」

 

「ヒロちゃんに会いにきてる人がいるみたいなんだけど」

 

 歯切れの悪い言葉だ。

 

 それに誰なんだろう。

 

 あと少しで配信時間だけど。

 

「えっと、誰?」

 

「わからないんだ」

 

「わからないって」

 

「まだ降りてきてないからね」

 

「降りてきてない?」

 

 ほとんどオウム返しになっちゃう。

 

「ちょっと来てくれると助かるんだけど」

 

「え、もう少しで配信始まっちゃう……」

 

「時間はそんなにかからないと思うよ。みんな不安がってるんだ。得体のしれない――ヘリに」

 

「わかりました。いきます」

 

 ぼっちさんに案内されて外に出てみると、50メートルぐらい上空に黒い大きなヘリがたたずんでいた。たたずむって変かな。いわゆるホバリング状態なんだけど、普通のホバリングとも言い難い。

 

 確かに得体が知れなかった。

 

 だって、このヘリからはホバリングの音がほとんど聞こえなかったからだ。

 

 まさしく、たたずんでいるという形容が正確なように、ヘリは音もなく空中に静止している。

 

 もちろん、完全無音ってわけじゃないし、プロペラが回っているのもしっかりと見える。

 

 地面を風が薙いでいき、ポールに設置してある国旗がパタパタと激しく動いていた。

 

「音があんまりしないね?」

 

「音は空気中を伝わる振動ですから、同一振動で打ち消し合って無音にしてるんでしょう」

 

 命ちゃんが淡々と説明するように言った。

 

 なんだかたいしたことないように言ってるけど、これってとてつもない技術なんじゃない?

 

 ボクたちが見上げたままでいると、重い鋼鉄のドアが横にスライドし、そこに見知った人の姿を見かけた。

 

 ピンクさんだ。

 

 あるいはピンクちゃん。あいかわらず、ドクターの正装である小さいながらもちゃんとした白衣を身にまとい、なぜかよくわからないけどキノコみたいな帽子。そしてショートカットのピンク色の髪をした自称八歳の女の子だ。

 

 ボクのようにエセ小学生ってこともないだろうから、普通に天才児なんだろうと思う。

 

 ボクが手を振ると、ピンクさんはパッと顔を輝かせ――。

 

 それからコンマ数秒の逡巡もなく、ヘリから飛び降りた。

 

 驚いたのはボクだ。

 

 いくら人間を越えた反射神経を持っていても、普通に予期しない行動には驚くし、ピンクさんの矮躯では地面にたたきつけられたらミンチになってしまう。

 

 かつてないほど集中して、ボクは不可視の力を展開する。

 

 念動力で優しくピンクさんの身体を受けとめると、音もなく地面におろした。

 

 アトラクションを全力で楽しんだあとみたいに、ピンクさんは晴れ晴れとした顔だ。

 

 ずれた帽子をなおして。

 

 ボクに近づき。

 

 ぎゅっと抱きつかれます。

 

「ヒロちゃんにあえて、ピンクはうれしいぞ」

 

「てぇてぇ」「幼女どうし仲良しなにも起こらないはずがなく」「ヒロちゃんへ向かうドクターピンク。 疲れからか、不幸にも黒塗りのヘリから墜落してしまう。 後輩をかばいすべての責任を負った三浦に対し、車の主、暴力団員谷岡が言い渡した示談の条件とは…」「おまえ途中から雑」「幼女キマシタワー」「なんだこれ……なんだこれ……」

 

 なんか周りが騒がしかった。

 

「なんであんな無茶をするかなぁ」

 

「ヒロちゃんなら、ピンクがピンチでも助けてくれると信じてる」

 

「お試しされちゃった……」

 

「試したわけではないぞ。ピンクはヒロちゃんに一秒でも早く到達したかっただけだ」

 

 うーん。信頼されてるのはわかるけどね。

 

 でも、ヘリから飛び降りるのはお勧めしないな。

 

 ボクが力を使えなかったらどうなっていたのか。もっと慎重になるべきだと思う。ボク自身も慎重さとチャランポランさを兼ね備えているからあまり強くは言えないけど。

 

「もしかして迷惑だったか? マイシスターを困らせるつもりはなかった」

 

 シュンとしてしまうピンクさん。

 

「あ、あの、ぜんぜん大丈夫。ぜんぜん大丈夫だよ。ピンクさんが危ないかなって思って心配だっただけだから」

 

「心配してくれるのか?」

 

「うん。そりゃ心配するよ。ピンクさんもボクの友達だし」

 

「ピンクはうれしい。でもそれなら、ピンクちゃんって呼んでほしい。ヒロちゃんとおそろいだ」

 

「ピンクちゃん」

 

「ピンクだ」

 

 そして、頭をこすりつけるようにすりすりしてくるピンクちゃん。

 なにこの子。かわいすぎるんですけど。

 ボクはピンクちゃんを愛でることにした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ヘリはピンクちゃんだけを置いて飛び去っていく。

 あのヘリの科学力もすごかったな。

 でも、八歳の女の子だけをひとり置いていってよかったんだろうか。

 

「ピンクちゃんのお仲間は降りてこなくてよかったの?」

 

「ん。定時になったらここに来るようになってるから大丈夫だ」

 

「町役場に住むわけじゃないんだね?」

 

「ヒロちゃんがここに定期的に来るなら、住むことも考えなくはないのだ」

 

「まあそれはいいんだけど、ここに住むなら町長さんの許可はとってね」

 

「わかった。ただ、物資とかはたぶんここよりは潤沢だ。ピンクひとりがここに住むだけなら特に問題はないぞ。場所さえ貸してくれたらそれでいい」

 

「その場所もただじゃないからね」

 

「日本は土地が高いと聞いていたが、本当だったのか」

 

 少し驚いた様子のピンクちゃん。

 天才だけど歳相応なところもあってカワイイな。

 

「先輩。そろそろ配信の時間です」

 

 命ちゃんが声をかけてきた。

 そろそろ時間か。

 

「ピンクちゃんも生配信に参加する?」

 

「するする! ピンクは参加を表明するぞ!」

 

 手をいっぱい伸ばして、絶対に参加するという不退転の意思を見せるピンクちゃん。

 

 ボクとしては拒む要因はない。

 

 配信でピンクちゃんが八歳だとわかったときに、みんながどんな反応をするかは興味深くはあるけれど。

 

「あ、それとヒロちゃんに伝えておこうと思う」

 

「なに?」

 

「私たちの組織の名前はホミニスというんだが、前にもいったとおりアメリカと日本の共同科学開発機構のようなことをしている」

 

「うん」

 

「少なくとも世界でも五本の指に入るくらいの科学機関だと自負しているが、既に他の科学機関にも働きかけてる。いろいろな思惑はあるだろうがみんな言葉のうえでは協調できたぞ。ヒロちゃんがたとえ人間でなくても」

 

――ゾンビだとしても。

 

「わたしはホミニスの全権委任大使だ。だから言葉を伝えることができる。少なくとも人間の科学サイドはヒロちゃんと共存したいと思っている」

 

 ちいさなおててが差し出され、ボクも手を差し出した。

 

「友達になろう」

 

 ピンクちゃんの言葉がボクの胸奥に響いた気がした。


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