あさおん・オブ・ザ・デッド   作:夢野ベル子

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ハザードレベル91

 雨が降ろうが、槍が降ろうが、ゾンビテロがあろうが、ボクはボクの責務を果たさなければならない。少しずつ人類生存圏を拡大していくという使命です。

 

 しかし――、これってもうそろそろボクの居場所が世界中にバレてるんじゃないだろうか。

 

 べつにいいけど、ピンクちゃんくらいしか会いにこないっていうのはどうしてなんだろう。ゾンビテロが起こっているから怖いとか。あるいは多くの勢力が牽制しあって、たまたま台風の目のように静かな状況だとかかな?

 

 あるいは電気が通ってるのは町役場だけだから、まだボクの正確な居場所がわからないってことも考えられるけど。どうだろうなぁ。佐賀にずっといるって明言しているわけじゃないし、もしかしたら不意に手を出したらボクが逃げるなんてことも考えてるのかもしれない。

 

 とりあえず、仮定に仮定を重ねてもしかたない。

 

 今は目の前のことに集中しよう。

 

 人類生存圏を広げるお仕事というのは、結局のところバリケードをどんどん進めていくということと、当該エリア内のゾンビさんを外に出すということだ。

 

 ボクひとりでやってもいいけど、そこは人類とボクとの共同作業ということで、ぼっちさん達も手伝ってくれる。

 

 今日のメンバーはいつもの探索班。ぼっちさんゲンさん湯崎さんの三人と、ボクと命ちゃんとマナさんの三人の計六人だ。未宇ちゃんは危ないから置いてきたよ。

 

「よし。せ……っ。押せっ……」

 

 ゲンさんのかけ声で、探索班のみんなは力を入れる。

 

 巨大な簡易移動式バリケードがジリジリ動いていく。

 

 塩化ビニルでできたやつをとりあえずのところ設置して、ゾンビが近づくとボクの歌が流れるようにして、そうやって少しずつ少しずつ安全なエリアを確保する。

 

 ボクたちゾンビ少女たちは男達の力仕事を見守るのみだ。

 

 本気出せば指先ひとつで動かせそうではあるけど、いうのは野暮ってもんだよ。だって、男にはプライドがあるからね。男のプライドをへしおらない。つまりこれって男ごころがわかる男ならではの思考です。

 

「お兄ちゃんのことが大好きな妹的思考のように思われてるかもしれませんよ~」

 

 マナさん。そんなこと言っちゃだめ。

 

 それにボクたちの仕事はべつのところにある。

 

 いわゆるゾンビ避け。

 

 ボクほどではないけど、マナさんも命ちゃんもゾンビを操れるし、建物はたくさんあるから、そのひとつひとつをボクひとりで確認するのは時間がかかる。建物内のゾンビさんたちも丁寧に拾っていく必要があるためだ。

 もしも、ゾンビさんがひとりでも残っていたら安全とはいえないからね。

 

 ボクの能力で、ゾンビさんは軒並み停止しているから、ぼっちさんたちは安全だとは思うけど、バリケードを動かしたり、バリケードを作ったりする作業は重労働といえた。

 

 チラっとぼっちさんを見てみると、そろそろ寒い風が吹き込んでくる季節になったのに、あせばんで息があがっている。もともとひょろい身体しているからなぁ。

 

「そろそろ休憩するか?」

 

 と、ゲンさんが声をかけた。

 

 お年寄りっていってもいい年頃のゲンさんだけど、ぼっちさんより体力あるな。

 

 しっかりとした足取りで適当な家の中に入っていく。

 

 今のところ、どこの家も所有者はいないからね。外で座るよりも衛生的だし身体を休めることは必要です。ボクとしては――まあ全然疲れてないけど。

 

 湯崎さんが疲労困憊なぼっちさんの肩をポンと叩き、後を促す。

 ぼっちさんも首だけで返事し、家の中に入った。

 

 お疲れかな?

 

 ボクはお疲れのぼっちさんを癒すという崇高な使命感にかられた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「ぼっちさん。ボクあのときみたいにご飯作るね」

 

「おお。ヒロちゃんがご飯つくってくれるの? 役得だなぁ。でも大丈夫なの。無理しないでいつもどおりマナさんにつくってもらったら……」

 

 少し不安気な視線を感じる。

 

 確かにあのときはピザをまともにチンすることもできない料理よわよわガールだった。

 

 しかし――、いまのボクは違う。

 

 リュックの中から取り出したのは、なんとお湯をかけるだけで超簡単にできる即席カップライスだ。これだったら誰も文句はいうまい。お湯を入れてかき混ぜるだけでできる。しかも人類の多数派が好きだというカレー味。これはもう勝ったわ。お風呂入ってこよう。

 

「カレーメシ? 聞いたことないな」

 

 湯崎さんが首をひねる。

 

「最新系カレーだからね! これだからニワカは」

 

「し、辛辣だな……」

 

「カップライスは年寄りにはきついな」

 

 ゲンさんがあいかわらず渋い声をあげる。

 

 食べる前から文句いうのはダメだと思います。

 

「国産米をつかってるんだよ! 侮っちゃダメ!」

 

 そう…・・・即席だからという考えをまず捨てるべきなのだ。

 思った以上にちゃんとしてる。即席だけど、即席とは思えないほどに奥深く、まろみがあり、なんというか完璧なんだ。

 

「お湯は?」

 

 命ちゃんがつっこみを入れる。

 

 ふっ……。そんなの考えてるに決まってる。

 

「マナさん。お湯ちょうだい!」

 

「はいはい~。こんなこともあろうかと持ってきてますよ」

 

 さすがゾンビお姉さん。ボクのこころを知っている。

 忘れてたわけじゃない。

 忘れたわけじゃないんだ。

 

 マナさんから魔法瓶を受け取り、みんなの分にお湯を入れる。

 そのあとは、箸をつかって、かき混ぜるだけ!

 ちょっとずつ、とろみのようなものがでてきて液体から半固形になっていく。

 ふっ…・・・ボクにもできた。マジで超簡単だった。

 

「できたよ!」

 

「お、うまそう」

 

「いいにおいだな」

 

「通常のカレーライスとは何か違うのか?」

 

「言ってみれば、カレーおかゆみたいな感じかな」

 

「コクが違いますね」

 

「カレーメシ最高っ!」

 

「スパイス効いてる」

 

「うーん。インドに到着……」

 

「銀河が渦巻いている」

 

「これが最新系……」

 

「うまいぞっ!」

 

 みんなもカレーメシたべよう!

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 今日のお仕事が終わったあと、ボクたちは町役場に戻ってきていた。

 少し――、みんなの視線がいつもと違うような気がする。遠巻きに見ているような。カレーくさいからじゃないよね? お口はゆすいできたんだけど。

 

 集団の中から出てきたのは、にやついた顔をした辺田さんだった。

 辺田さんはおばあさんが飼っている犬を捨てるよう言ってくれとボクにお願いしてきた人だ。

 つまり、ボクと意見の対立があった人。

 集団の中で少しだけノイズになる人ともいえる。そういう考え方は嫌いだけど、事実として争いの種になってしまっている。

 

 そのため、前に湯崎さんから"カエレ"の文字の暫定犯人として扱われていた。

 その後はうやむやになっていたけど、辺田さんがここで多少なりとも住みづらくなっていたかもしれない。

 

「ゾンビテロを起こしたのはお前達探索班の誰かだろ!」

 

「はぁ?」

 

 湯崎さんがここでも切れたのか、つかつかと近づいていって辺田さんの襟元をつかむ。

 

「なんの根拠があって言ってるんだよ!」

 

「ゾンビ槍を管理しているのは探索班だし、あの文字だって外に行ってるお前達ならそんなに怪しまれずに済むだろ」

 

 ゾンビ槍は――、ゾンビウイルスが散逸してしまう特性上、ある程度の新鮮さが求められる。

 つまり、活動しているゾンビに刺しこみ、ある程度急いで屋上にある貯水タンクに投げいれなければならない。

 

 町なかにいるゾンビに突き刺すというのは人目につくだろうし、必然的にゾンビ部屋にいるゾンビたちを使ったという可能性が高い。

 

 ゾンビ部屋を使ったりゾンビ槍を使うのは確かに探索班だった。

 

 だから、辺田さんの言い分は多少は論理的だし、推理の範疇には入っているだろう。

 

 牽強付会というわけではないように思う。

 

 ただ、ボクには探索班の人たちが犯人だとは思えない。人のこころはミステリーだけど、いくらボクがいるからゾンビから回復できるといっても、勝手に人をゾンビにしていいわけがない。誰だって自分の意思が霧散し、思考が停止するのは怖いって思うはずだから。

 

 ちなみに、探索班の人たちはゾンビテロのときに全員無事でした。

 やっぱり生存能力高いのかもしれない。あるいは、それも辺田さんが考える探索班=犯人説の根拠のひとつなのかな。

 

「ゾンビ部屋の上の階は人目のつかない離れにあるから、誰だってこっそり入るのはできないわけじゃない。ゾンビ槍だってそこに無造作に立てかけてただけだから誰だって持ち出せる」

 

 ゾンビ槍って対人間用の武器だからね。対ゾンビ用の武器じゃない。もちろん、ゾンビの頭をかちわったり、身体にぶっさしたりしてたら必然的にその武器がゾンビウェポンになってしまうこともあるけれども、あくまでこの町役場におけるゾンビ槍の役割は犯罪者に対する刑罰という扱いだったんだ。ボクという回復役がいつか現われることを前提とした刑罰だけど。

 

 ちなみに槍って言い方をしているけど、これは鉄パイプを斜めに切ったもので、細長い筒状になっているからゾンビに突き刺したときにゾンビーフが中に入りこむ仕様となっております。

 

 貯水槽に入れられていたのは、この鉄パイプの"先端"のみ。ポケットに入るぐらいの十センチくらいの大きさだった。パイプカッターが部屋の中に放置されていたから、おそらくはそれで切ったのだろうと思われる。パイプカッターも思った以上に小さくて、小さなレンチくらいの大きさしかない。鉄パイプを挟み込んでグルグル回転させて捻じ切るような感じの使い方をするらしい。音もしないし慣れれば切るのはあっという間にできるとか。

 

「いいがかりはやめろ」

 

 湯崎さんが辺田さんを殴りそうになる。

 止めようか迷ったけど、その前にゲンさんが間に入って止めた。

 

「ふたりともよせ」

 

「けどよぉ。あんただって容疑者のうちのひとりなんだぜ」

 

 むき出しにした歯茎が覗く。

 探索班に対する明確な敵意がそこには見て取れた。

 ゲンさんはただ睨みつける。

 

「へ。だんまりかよ」

 

 辺田さんはゲンさんの視線だけで少しひるんでいる。

 

「あんたらは、外にいける特権階級だから好き勝手やってるんだろ。どうせ、自分達の価値をもっと認めてほしいから、ゾンビテロを起こしたにちがいねぇよ。なあそう思うだろ。みんな!」

 

 みんなの視線は――わからない。

 どちらともとれるものだった。

 

「武器の管理はワシらがやってたのは事実だ。その責任を問われるのであればわかる」

 

「認めるのかよ」

 

「武器の管理責任はな。だが、貯水槽に毒を混ぜたのはワシらではない」

 

「証明できるのか?」

 

「証明はできん」

 

 貯水槽に投げ入れられた正確な時刻はわからない。

 ピンクちゃんが唸っていたけど、ゾンビの発症スピードは人によってまちまちだから、正確な時間を特定できない。

 真夜中だろうなっていうのはわかるにしろ、だれがどのように動いているかなんて自分自身も把握していないだろう。

 

 つまり、アリバイを証明できないということだ。

 

 大部屋にいて、いっしょに寝てる人たちはわかるかもしれないけれど、部屋にも大小あって、数人程度のところもいれば、十人以上寝泊りしているところもあるだろうし、みんな気を使っているから、夜中にトイレにこっそり抜け出すなんてこともあるだろう。

 もちろん完全に潔白かなという人も中にはいるみたいだけど(複数人から爆睡してたと証言されている人とか)その精査だけで膨大な時間がかかる。その精査がおわっても、犯人特定までいたるかどうかは不明だ。

 

「証明できないっていうんだったら……」ゾンビよりも獰猛な狂犬めいた顔つきだった。「お前達が暫定的な犯人ってことでいいよな」

 

 そういう論理か。

 あの"カエレ"文字のとき、湯崎さんはいちばん怪しいからというただそれだけの理由で、辺田さんを犯人扱いした。

 

 その結果――、彼は犯人のように扱われた。

 かもしれない。わからない。ボクは町役場に住んでいるわけではないから。

 ただ、そうなりそうだったのは事実だ。

 つまり、これは辺田さんの意趣返しだったのだろう。

 

「もうやめよう?」ボクは言った。「疑わしきは罰せずだよ。つまり疑いだけで犯人扱いするのはまちがってるし、あのときの湯崎さんの言葉もボクとしてはまちがってると思うな」

 

 いちおう公平にジャッジするのです。

 あのときは湯崎さんの論理もひどかった。

 いま辺田さんに攻められているのは因果応報かなって。

 まあ放置していたボクも悪いんだけど。

 

「け、けどよ。ヒロちゃんの功績を奪うつもりかもしれねえんだぞ」

 

「うーん。べつにそれはどうでもいいんだけど。辺田さんとしてはこれからどうしたいのかなって思ったよ。例えば、探索班は信用ならないから自分が探索班になるとか?」

 

「う……、あ、いや……それは」

 

 ゾンビは怖いらしい。

 それともボクが怖いのかな。

 

 どちらでもかまわないけど、この人に将来の展望とか、あるいは他人が利他的に動くということを想像できないのなら、糾弾する資格はないように思うな。

 

 自然と集団は解散し、辺田さんはひとり取り残されることになった。

 

 

 

 

 

「だからね。配信は変わらず続けてくれないかな」

 

 辺田さんの言いがかりのあと、ボクは葛井町長に呼び出されていた。

 

「配信はちょっとオヤスミしてたほうがいいと思いますけど」とボクは答える。

 

 だって、犯人が捕まってない。

 配信は言ってみれば娯楽の側面が強くて、犯人が捕まってもいないのに何あそんでいるのってならないかな。いやもちろん、普段でもそうなんだろうけど、特に今回の場合。炎上一歩手前の不安定感があるらしいし。

 

 それに――、

 

 はっきり言えば……。

 

 ボクは誰かに指示されて配信をしたくない。

 

 心の底から楽しいと思えるときにしか、配信をしたくないんだ。

 

「僕としても義務的な行為なんて美しくないとは思うんだけどね」

 

 ナルシストで自分の美学を持っている町長は、ボクの在り様も理解してくれていた。

 

 それでも、なお――ということらしい。

 

「はっきりいうと、町のみんなは当事者だからね。逆に事件から目を背けている部分もあるんだよ。けど、そうじゃない外部者にとってはどうだろう」

 

「外部者? 町の外の人たちですか?」

 

「そう。君は自分のスレッドを覗いたことはあるかな。匿名掲示板でもそうでないものでもどちらでもかまわないんだが」

 

「えっと……多少はありますけど」

 

 エゴサーは配信者の基本ですからね。

 

 いまはめちゃくちゃ有名になってしまったから、それほどでもないけど、新人だったときは本当に毎分、毎秒の勢いでエゴサーしてましたから。

 いまでも適当にスレを覗いたりはするよ。やっぱり自分の評価って気になるし。

 

「スレでのこの町の評価はかなり厳しいものもあるよね」

 

 葛井町長が顎のあたりを手で支えるようにして、(つまりエヴァのゲンドウのポーズね)ボクに対してニコニコ笑いながら問いかける。

 

 確かに――、この町は『衆愚』であるという評価もあったな。

 

 ボクというジョーカーを十全に使いきれていないことへの評価なのか。

 

 あるいは、ゾンビテロみたいなことが起こってしまうほど統制がとれていないということに苛立ちを覚えているか。

 

 いずれにしろ、外野はなんでも言える。

 外野だからこそ野次を飛ばせる。

 そういう面はあると思う。

 

 案外、内部である町役場の様子はあの事件がウソのように静かなんだけどね。

 さっきは辺田さんの件があったけど、逆にいえばあれぐらいしか問題になっていない。ただの口論のレベルだし、むしろ静かすぎるくらいだ。

 逆に言えば、犯人が潜伏しているってことでもあるんだけど。

 

「ボクは、この町の在り方はけっこう好きだけど。ううん。葛井町長のやり方はそんなに悪くないと思ってます」

 

 思い起こすのはホームセンターのときの力による支配だ。

 あのときに比べれば、この町はまだ自由だし、町長はあんまり権力とかに興味がなさそう。

 みんな出入りは自由だし、来るものは拒まず受け入れている。

 いまでは200人くらいにはなったのかな。ただ、町なかに戻った人はいないようだけど。

 

「緋色ちゃんの評価は光栄だけど、少し本音を言えばね。君の在り様を考えてそれに合わせた面もあるんだよ」

 

「ボクの好みの政治形態を選んでるってこと?」

 

「ありていにいえばそうなるね。例えば――、いまの政治形態は無政府じゃない。言ってみれば原始的な集権国家だろう。しかし、当然のことながら経済活動もないし、外部から狩猟――つまり物資探索して、それを配給しているに過ぎない」

 

「うん」

 

「だけど、当たり前のことだけど外部から調達するにしろ限度はあるだろうから、いずれは農業なり酪農なり、ともかくなんらかの食糧生産手段を確立しなければならないし、みんなにはいずれ働いてもらわないといけない。ニートだった僕がいうのもなんだけど」

 

「それは必要なことだと思います」

 

 ゾンビになったボクはわずかな食糧でも生きていけそうだけど、町のみんなはゾンビじゃないし、食糧はいる。電気だって、いまは太陽光パネルでなんとか確保しているけれど、今後、町や県というふうに生存領域が拡大するにつれて、新たな手段を模索しなくちゃならない。

 

 みんなも町役場のなかで何もしないってわけにはいかないだろう。

 

「実を言えば、町のみんなは自発的に町なかに行かない人も結構多いけど、最近では町の中に戻りたいという陳情も多いんだよ」

 

「へえ。みんな元の暮らしに戻りたいからかな」

 

「配給だけでは物足りなくなってきたんだろうね。例えば、ヒロちゃんの配信を見たいっていうときにパソコンなりタブレットなり、あるいはスマホなりを確保しなければならないわけだけど、みんながみんな持っているわけじゃない。役場のフロントに大きなモニターを置いてはいるけど、個人的に見たいって人は多いだろう」

 

「そういえば、ゲンさんたちといっしょに電気屋さんにいって、ノートパソコンをガサって持ち帰ってきたけど……」

 

 そういう陳情を聞いていたわけか。

 みんなが戻りたいっていう意見を封じているのは、たぶん犯人を取り逃がすのを恐れているのだと思う。確認の意味で聞いてみたら、

 

「それもあるけれど、今は分配を公平におこなうだけのリソースがないんだよね」

 

「どういうことですか?」

 

「たとえば、いまではここからここまで広がったわけだけど」

 

 町長がローテーブルのうえに、この町の地図を置いた。

 A3サイズの大きさで、町役場を中心としている。

 ボクが広げてきたのは主に北西方面だ。

 ゾンビ荘はこの町役場からそんなに離れていないけど、南のほうに位置している。

 つまり反対方向。

 ボクが住んでるところと完全にリンクさせるのはちょっとまだ怖かったんで、みんなとエリアを決めるときに、ちょっとごねたら、そうなりました。

 まあ――、北西方向には佐賀市がある。そちらに伸ばすほうが物資補給の面では堅実だろうと思う。北東には鳥栖市があって、こちらはこちらで捨てがたいけどね。南東の久留米市も悪くない。でも手榴弾は勘弁な。

 

 そんなわけで、広がった地図を見ていると、なんだか歴史シミュレーションで領地が増えてるみたいで少し楽しい。

 

「いま、この町役場に住んでいる人もこの周辺に住み家を持っていた人、賃貸アパートに住んでいた人などいろいろといる。他県に住んでいた人もいるみたいだよ。で――、そういった人たちに家を分配するときに、勝手に誰かさんはここに住んでくださいというふうに決めていいものかという問題がある。みんな自分が住んでいたところに住みたいよね?」

 

「まあそれは確かに」

 

 ボクだって、自分のゾンビ荘にこだわりがあるから住み続けているわけだし。

 でも、いずれかの時に住み家の分配はしなくてはならないだろう。

 町役場で集団生活するよりはきっと住み心地がいい家はたくさんあるはずだ。

 

「例えば、グレードの問題もある。家だって全部同じ規格ではないからね。みんな少しでもいい家に住みたいと思うはずさ。貨幣が復活した場合に備えて、そのとき既存の……つまり数ヶ月前まで使っていたお金を使うと考えて、金持ちの家を所有したいと考える人だって出てくるだろう」

 

「なるほど……」

 

 なんだか複雑すぎてよくわからない。

 ボクだって大学生だったわけだし、それなりに社会経験をつんではいるけど、この国の仕組みって、政治を一ミリも考えなくても、とりあえずのところブイチューバーの動画を見て、ソシャゲをやったりして、適当に遊びながら生きていけるようになっているから。

 

 ボクはあまり考えてこなかった。

 たぶん、本質的には小学生とそこまで知識量に差がないと思う。

 

「ヒロちゃんはお金って好きかな?」

 

「お金? 好きか嫌いかといえば好きなのかな・・・・・・よくわかんないです」

 

 両親が残してくれたお金がボクのモラトリアムな時間を与えてくれた。

 その意味ではお金にも価値があるなんてことは言われなくてもわかっているつもりだ。

 お金があればできることは増えるし自由を買える。

 

「いうまでもないけど。ある程度の領域を確保したらみんなには町に戻ってもらおうと考えている。そのときに貨幣経済を復活させるかどうかということも考えなきゃいけないね。もちろん、貨幣こそ交換価値の際たるものだから、復活させたほうがいいという意見が多数派だろう」

 

 お金をたくさん持つってことは、自分を拡大化するという欲望の一種だろうから、多数の人がお金持ちになりたいという意見はわかる気がする。

 

 ゾンビ的な百パーセントOFFの世界も、それなりにおもしろくはあると思うんだよ。

 ドラえもんの鏡の世界のように、誰もいない世界で、好きなものを所有できる。

 

――ワールドイズマイン。

 

 本質的な世界の所有。所有権者はボクひとり。

 でも、ボクは孤独になるのは嫌だった。

 だから、人間と仲良くなりたかった。

 配信してるのは、そんな理由だ。

 

 整合性のとれた態度という意味であれば、ボクは配信をするしボクは資本主義を認める。

 

 そういうことになる。

 

 カレーメシを食べよう。ちゃんと買ってね。

 

 

 

 

 

 

 ピンクちゃんの捜査が数日続き、町役場は仮初の落ち着きを取り戻していた。

 

 カタチにならない不安が残存していて、奥歯に何かが挟まったような気持ち悪さを感じていたけれども、人間というものは状況が固定されてくると、それに慣れてくる。

 

 犯人がわからないという状況にも慣れる。そんな生き物だ。ボク自身もそう。

 

 このごろのボクは完全にルーチンワークだ。

 

 平日の九時くらいから町役場にいき、ぼっちさんたちといっしょに町のバリケードを少しずつ広げて、建物の中をざっくり探索して、ゾンビさんがいたら追い出して、お昼ご飯を適当に食べて、町役場に戻り、三時くらいからピンクちゃんと合流して、犯人探しにつきあったり、ワンちゃんをいっしょに世話したり、町のみんなと雑談したり、ともかくそんな感じで日常を過ごしていた。

 

 ピンクちゃんがやった捜査はボクには理解できないし、その点については効を奏さなかったという結論だけを述べることにしよう。

 

 具体的に言えば、おそらくは指紋がついていないかとか、DNAが付着していないかとか、足跡の痕跡がないかとか、目撃証言がないかとか、ゾンビになるまでの発症確率と時間からおおよその犯行時間を特定したりとか、そういう有形無形の証拠を集めていたみたい。

 

 謎の機械を取り出してきて、ミクロン単位でうんぬんかんぬんって言ってたけれど――、結局、犯人はわからなかった。

 

 それが結論だ。

 

 そして、いつもの会議室でボクはピンクちゃんに相談を受けた。

 

「科学的捜査でわからなかった。ピンクは無念の極みだ」

 

 ピンクちゃんは小さなかんばせを曇らせる。

 せっかくボクのためにがんばってくれたのにね。

 落ちこんでるピンクちゃんの頭をボクは優しく撫でた。

 

「だがわかったこともある。まず、ゾンビにするための血肉だが新鮮さが求められる。このことから、ゾンビ槍に付着したゾンビ肉は少なくともゾンビウイルスが密集していると思われる活動的なゾンビより摂取しなければならない」

 

「ピンクがきたときにもそうだが、葛井町長は町役場から人間が出ることを許可していない。出ようと思えば出られなくもないが、まだ外に出たくない人が圧倒的に多い。したがって――、犯人は内部犯である可能性が高いといえる」

 

「犯人はゾンビルームに置かれていた鉄パイプをパイプカッターで切断しポケットなどにいれやすい形状にして貯水タンクまで持ち運んだ」

 

「現在、町役場に住んでいる人数は203名。このうちアリバイが成立するのは105名。アリバイといっても後で言う理由であまり意味はないのだが……」

 

「要するに複数犯じゃないかと思う」

 

「なぜなら、ゾンビルームにしろ、屋上にしろ、人の動きを想定できないからだ。つまり目撃者が出る可能性がある。偶然うまくいったのか? しかし、ゾンビルームに向かう。パイプカッターで切る。屋上に向かう。貯水タンクを開ける。ゾンビ槍を投げ入れたあとに何食わぬ顔でベッドにもぐりこむ。非常に困難なミッションだ」

 

「低い可能性に賭けたとも考えられるが、何人か犯人がいればべつだ。人の動きを誘導する役割の者と実行犯がいれば目撃者を減らせるだろう。ピンクがそう思った理由はもうひとつある。ピンクはかなり科学的な手法を用いて犯人を特定しようと考えた。貯水タンクの指紋というか……付着している微粒子を調べたのだが、ゲンゾウのモノしか検出されなかったんだ」

 

「そこでピンクは考えた。ゲンゾウが犯人じゃないかと。否定神学的に言えば残った唯一の可能性が真実だからな。当然だ。だが、ヒロちゃんにも聞いたとおり、ゲンゾウはヒロちゃんに貯水タンクを見せるために開けてくれたそうだな」

 

「もちろん。それも後々の犯行のための布石だったと考えることもできる。けれど、ピンクはちゃんと全員に証言を聞いたぞ!」

 

「グランマはゲンゾウが会いに来てくれたって言ってた。ゲンゾウにはアリバイがあるんだ」

 

 ふぅむ。

 ほっぺたをピンク色に染めるピンクちゃんがかわいい。

 グランマって萌美おばあさんのことだよね。犬の飼い主の。

 ゲンさんは自分には証明する方法がないって辺田さんに言ってたけど、たぶんそれは――萌美おばあさんをかばったのかな。

 

 辺田さんは、おばあさんを認知症扱いしているし――、証言の是非が問われたらあの足の悪いおばあさんが証人として引っ張られることになるから。

 

「ピンクちゃんありがとうね。でも、萌美おばあさんがウソをついている可能性もあるよね?」

 

「あるが……、ピンクとしてはこうなるともはやプロの犯行だと考えたほうが妥当だと思う」

 

「複数犯だと考えたのもプロっぽいから?」

 

「そうだ。組織だった行動のように思えるから。たぶんジュデッカの連中が入りこんでいるのかもしれない」

 

 ジュデッカ。日米共同経済開発機構とかそんな感じの組織だったと思う。日本を裏側から動かしているとかいう陰謀論とかもスレにあがっていたけど、真実のほどはわからない。でも、その下位組織にあたるピンクちゃんの所属組織が実際にボクに会いに来ているわけだから、ジュデッカの人たちがいないとも限らない。

 

「うーん……複数犯を捕まえるのは難しいよね。反撃を受けたらみんな危険かもしれないし」

 

「犯人を特定できないと厳しいだろうな。ピンクは探偵役失格だ。所詮ただの科学者だった」

 

 落ちこむピンクちゃん。

 

 そのとき、命ちゃんがすっと手をあげた。

 




みんなも食べよう。カレーメシ。

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