「はい。こんこん。今日も終末配信をはじめようかなぁ……」
ちょっと気だるげな始まり方です。
そして今日の配信はひとりですることにしました。
放送室のカーテンは締め切り、誰からも見えないようにしている。
一階にある放送室の傍は、みんなも立ち入り禁止。
だれも入れない。
少し静かな環境が欲しかったから。
『こんこん』『おきつねこん』『よっこらフォックス』『ゾンビじゃなくてお狐さんだったのか?』『ばかされちゃう?』『そんなことよりゾンビテロは大丈夫?』『ヒロちゃんのお身体が心配です』『うむ。今日もわが妹はかわいいな』『なんかちょっと疲れてる?』『みんなヒロちゃんに頼りすぎだから』
ボクはまだ犯人が捕まっていないのにも関わらず配信をしている。
今日のボクはちょっと特殊な格好だ。
装備品――、狐のお面。お祭りとかで売ってるようなやつ。
そして露出度高めの邪道着物。スカートと着物が合体したようなやつね。
生白い足が見えちゃってて、ちょっとだけ恥ずかしい。
でも配信用のノートパソコンは上半身しか映らないから何も問題はない。
髪型をロング海老テールにしたら、なんとなく神力とか放ってそうな怪しげな美少女がそこにいた。黙っていればボクって儚げな配色しているし、妖精っぽいし、雰囲気でてる。
ちなみにお面の装備の仕方は、頭につけるのが正しい。被っちゃダメなんだよ。前が見えないからね。
もちろん、マナさんの趣味だ。
そして擬態だった。
ボクはいつもの素のボクじゃなくてちょっと偽りのボクだった。
みんなと純粋に配信を楽しみたいっていう気持ちじゃなくて、今回は『いつもと変わらず』に配信するように、葛井町長に頼まれたからだ。
配信はボクと人類をつなぐコミュニケーションツールになりつつある。
この町役場の事件で、そのコミュニケーションに滞りがでたら、ボクの評価もおちるだろうし、この町の評価も落ちるだろうというのが理由だ。
なんだそれって思った。
正直なところ、すごくイラっとした。
そんなにも、人はゾンビ的思考能力しかないのか。
つまり、なにも考えられないのか。
マナさんが前にも言ってたけれど、『自立できる人は少ない』のかな。
自立って自分で立つってことだけど、要するに周りの判断に流されずに自分で考えられる人って少ないのかな。
――そうだろうと思う。
ボクの冷静な部分は、その通りだと判断してしまう。
そうじゃなければ、割れ窓理論なんてないはずだから。
つまり、人は周りを見て、空気を読んで、自分で考えずに、他人の考えで動く。
レミングスのように流れに逆らわずに生きている。
そういう人がたくさん集まれば、デマとかに流されやすい集団ができあがる。
きわめてゾンビに相似した集団だ。
ヒロ友たちの流れるコメントを、ボクはじっと眺める。
高速で行き交う文字列は、ひとつの川の流れのようで、それはボクを肯定するものではあるけれども、ボクを見ていない。
流されている。流れている。ボクもそうだけど……。
『ヒロちゃんどうしたの?』『なんだか魔王様っぽい』『今日のヒロちゃんはやたらと神秘的なんだが』『ヒロちゃん様。天使さまぁ!』『またわけのわからんやつが湧いてくるし』『テロが怖いのかな』『ヒロちゃんは対人無敵だろ?』『そろそろ核でも落とされるんじゃないかってビビってんじゃ無いの?』『だから、核はゾンビ無効っつったろーが』『正直なところ、人間に萎えちゃってるんじゃね?』『陰キャあるあるだわ』
そこにクオリアはありますか?
「今日のボクはアンニュイです」
『どうしたの? 生理?』『この人数でセクハラする勇気は褒めてやる』『ぽんぽん痛いの?』『アンニュイの意味わかる?』『英語よわよわガールだしなぁ……』『ヒロちゃんのアンニュイな顔が正直抜ける』『かわいそうなのは抜けないだろいい加減にしろ』『むしろかわいそうなのが抜けるという説も』『じゃあ、君は両足からゾンビにちょっとずつかじられるゲームしようか』『おいやめろ』
「アンニュイの意味ぐらいわかるよ! えっと……そう、メランコリックな感じだよ」
『メランコリックの意味わかる?』『にゅいにゅい』『ちょっと気だるげな感じだよな』『はぁ。着物の肩のところがちょっとズレて扇情的すぎる』『相手は小学生だぞおまえらしっかりしろ』『むしろ小学生がいい』『ヒロちゃんだからいいんだろうが』『かわいい』
「メランコリックの意味はアンニュイだよ!」
『ああ、ついにヒロちゃんが同語反復という裏技を身に着けてしまった』『これはとんちじゃな』『でもなにひとつ解決していない件』『どうしたのかお兄ちゃんは心配です』『緋色様。何をお悩みなのでしょうか』
「ボクって、みんなに嫌われてるのかなぁって思って……」
『そんなことないよ!』『すこすこのすこ』『おまえのことが好きだったんだよ』『ヒロちゃん愛してる』『こんなかわいい小学生を嫌いになるわけないだろ』『ゾンビのことは置いておいても好きです』『いつもとなんかちょっと様子が違うなぁ?』『ヒロちゃんってあまり自分のこと好きかどうか聞くタイプじゃないと思うんだが』『ヒロちゃんが小悪魔モード?』
「そう。ボクらしくなかったかもね。でも、みんなに嫌われたくなかったから」
流れを少し意識する。
ゾンビを操るように大衆を意識して動かせるか試行する。
逆らってほしい。クオリアを――輝く断片を見せて欲しい。
そんな逆説的アプローチ。
「ボク、みんなに好かれたいな」
『やべ。かわいすぎる』『ヒロちゃん本当大丈夫?』『なんか弱気モード?』『媚び媚びやな』『なんか変じゃね?』『いつもと違うような』『正直キモい』『ゾンゾンしてきた』『小悪魔モード?』
「あは……初めてキモいって言われちゃった」
ボクを否定するコメントをピックアップする。
そしたら――、一気に燃え広がった。
炎上した。炎上した。炎上した。
ボクに対するものじゃない。ボクなんてそっちのけで、ボクをキモイと評価した人を糾弾する。ボクを鑑賞するよりも、誰かに憎悪の言葉を投げかけるほうが気持ちいいから。
もっと――もっと、燃え広がれ。
正直、ボクはイラついているんだ。ボクの配信なのに!
ボクの配信にゾンビみたいに侵入してきて、感染する悪意に対して真っ赤に燃え盛る炎のようにボクのおなかの中はグツグツと煮立っていた。
だから、燃え盛るのは上等だ。
ボクはわりと暴力的でワガママなのを、みんな知ってほしい。
『マジかよ』『消えろ』『ゾンビに欲情しているおまえらがキモい』『なんだこいつ』『ヒロちゃん助けて』『キモいのはおまえの精神だろうが』『やめてくれー。ヒロちゃんの配信を荒らさないでくれ』『アンチに反応するやつもアンチ』『これはひどい』『今日の配信はなんか変だな』『ヒロちゃんアンチスレの住民だろ。まじこっちくんな』『運営会社はなにしてんだよ。早く荒らしを消してくれ』
ボクは荒れるがままに任せて――。
それから――たっぷり時間をかけて待った。ただひたすらに待った。
人差し指を口元にあてて、静かにのジェスチャー。
コメントの勢いが失速していく。
百万人もいるからなかなか収まらないけれども、ボクがじっと黙ったままだったからか、その意図を察してくれて、徐々にコメントの数が減っていった。
やがて――0になる。
ほんのわずか、ポツポツとコメントがついたりしているけれど、全体の流れは停滞し、凪のように穏やかだ。さっき鉄火場のように燃え盛っていたのがウソのようだ。
「えー、みなさんが静かになるまで五分もかかりました」
『ズコー』『それが言いたかっただけなんちゃうか?』『え、ヒロちゃん関西人なの?』『ヒロちゃんは佐賀県民だろ』『今日のヒロちゃんは一体何がしたいのかおじさんわからないよ。厚労省に三十年勤めてきてわからないことがあるとは……』『厚労省のおっさんがここにいる件』『わしは汚れ好きの土方の兄ちゃんだが何か?』『聞いてねえよ』
「あのね……、今日はちょっとやりたいことがあって実験したんだ。ごめんね」
『わかったー(素直)』『なんの実験?』『アンチを釣る実験とか? 趣味悪いな』『そんなエサに釣られクマー』『ナニカサレタヨウダ』『さすがに釣り実験じゃないよな』『びっくりしたー。心臓停まったわ』『心停止兄貴はゾンビとしてたくましく生きて』
「アンチを釣る実験じゃないよ。これはね――」
犯人を釣る実験なんだ。
話は二日前に遡る。
☆=
二日前の会議室。
ピンクちゃんの報告のあと、命ちゃんが静かに挙手をした。
「どうしたの?」
「先輩。わたしとしては、疑わしきを
「なに言ってるの? そんなことをしたら法律も秩序もないよ」
ボクが勉強してたのって実をいうとそれ系だし、社会秩序を積極的に崩壊させるなんて意図していない。ボクはできれば人類文化をそのまま保全したいと思ってるし、そのために人類の秩序というものもできるだけ壊したくないんだ。
「ピンクさんの調査によって明らかになった事実は二百名近い町民のなかの百名くらいが容疑者ではないかということです。そして、複数犯ではないかという推理――、この点についてはわたしもそう思います」
「まあ、複数犯かもしれないけど……」
「であるならば、犯人かそうでないかを選り分けるためのメルクマールが必要です」
メルクマール。目印。法律用語のひとつで、命ちゃんはボクの思考に沿おうとしてくれている。
だからといって、疑わしい人を次々罰していくというのは納得できない。
納得できるはずがない。それは冤罪の温床だからだ。
「言ってることは正しいと思うけど、それがどうして疑わしきを罰するという話になるわけ?」
命ちゃんはピンクちゃんの向こう側に座っている。
距離的に言えば、数メートルくらいしか離れていないけど、命ちゃんのこころがわからなかった。それは寂しくもありうれしくもある。
ボクは命ちゃんのこころを支配していないってことだから。
「
命ちゃんの迂遠な言葉。
そしてタイムラグ。
ボクに考えが染みるのを待っているみたい。
ピンクちゃんはなるほどって顔つきをしていたけれど、ボクにはよくわからない。
ボクがよっぽどいぶかしげな表情をしていたのか、命ちゃんは再び唇を開く。
「要するにトロイの木馬であるということです」
「うーん。パソコン用語のことだよね」
「そうです」
「トロイの木馬もウイルスも悪さをするくらいのイメージしかないんだけど、何か違いがあるの? カレーメシとカレーライスくらい違うのかな」
「まったく違うぞ」
ピンクちゃんが振り返りながら言う。
「どう違うの?」
ピンクちゃんの言葉を継いだのは命ちゃんだ。
「簡単に言えば、ウイルスは非正規のプログラムで他の正規ファイルに感染していくものです。他方でトロイの木馬は単独で成立し、正規ファイルを装います」
「どっちも悪いやつだよね」
「そうですね。どちらもマルウェアでありますが……理論上、トロイの木馬は正規ファイルを装っている限りは発見されることはありません」
「ゾンビ槍を持ち帰ったり、貯水タンクに入れる行為は十分に非正規な行為、つまりウイルス的な行為だと思うけど。悪意も不安も感染したよ」
「ええですから、犯人たちはトロイの木馬ですが、実行犯はウイルスだと思っています」
命ちゃんの考えがようやく少しだけ分かった気がする。
要するに、今回ピンクちゃんが犯人を突き止められずに困っているのは実行犯を補助したやつらは、きっとたいした行為をしていないということなんだ。
例えば、同じ部屋にいる町民たちが、ゾンビ部屋に近づきそうになったら、ちょっと声をかけて止めるとか。普通の人のような振る舞いでコントロールできてしまう。
実行犯は決定的な行為をしているから、突き詰めていけば誰がやったのかはわかるかもしれないけれど、もしも、そうした行為が判明したときに犯人たちが一斉に抵抗したら困る。
ほとんどは戦闘力のない無辜の民だからね。
だから――、トロイの木馬をあぶりださないといけない。
「えっと、つまり命ちゃんはお馬さんたちを見つけ出すために疑わしきを罰する必要があるって言ってるんだね?」
正規のプログラムを装うトロイの木馬は、悪意のある行為をおこなわない。感染活動をおこなわない以上は、見つけることができない。
命ちゃんは神妙に頷いた。
「そういうことです」
「でも、何をするつもりなの?」
「わたしとしては――、ヒイロウイルスに感染させてしまえばいいと思います」
「命ちゃんそれは……」
「先輩が嫌がっているのは知ってます。周りがヒイロゾンビになれば生殺与奪の権利を握ってしまう。それが人間の尊厳をなくしてしまうのではないかって考えてるんでしょう」
「そうだよ。それにヒイロゾンビになったって、みんなのこころがわかるわけじゃないから無駄なんじゃないかな」
「無駄じゃないです。犯人はゾンビテロを起こした。つまりそれは先輩に対する糾弾です。ノーモアゾンビノーモアヒロちゃんってことじゃないですか。そんな人がゾンビに感染したいと思いますか? きっと犯人はゾンビにならなかった半数の中にいるに違いなく、ピンクさんのあぶりだした証言と重ね合わせればさらに絞れます。そうやって、疑わしい人物を敵として認定することでしか、トロイの木馬は排除できないんですよ!」
命ちゃんはクールな顔つきだけど、ボクにはわかる。
必死だった。
どうしてそこまでヒイロゾンビを増やしたいのかがわからない。
いや――、本当はわかってる。
たぶん、命ちゃんにとって町のみんなとか犯人とかはどうでもいい。
ヒイロゾンビになるのを拒否した人を疑わしいものとして排除するというのは、ただの副次効果なんだ。犯人探しはただのおまけ。
「ボクのため?」
びくっと肩を震わせる命ちゃん。
やっぱりそうなんだ。
「ボクがヒイロゾンビを増やさないとなんでダメなのかな?」
「先輩、考えてみてください。今のところヒイロウイルスのことまでは知れ渡ってませんが、もしも世の中に知れ渡ったら、先輩はゾンビ利権のためにヒイロウイルスを出し渋っていたと思われかねません。自分の優位性を利用して独占状態を作っていた。人はそういうビジネスを悪と評価します」
「うーん。そういう可能性もあるかもしれないけど、でも血を飲むとかいやじゃないかな。言ってみればゾンビっぽくないけどゾンビになるわけだし。ボクの血を飲むと人間やめることになるけどいいですかって話でしょ。ゲンさんだって言ってたじゃん。混乱するって」
「混乱はするでしょう。でも、このままだと先輩にばっかり負担が集中してしまう。回復魔法のヒールだって完璧ではなかったでしょう?」
確かに未宇ちゃんの耳までは治せなかった。
たぶん、ヒイロウイルスに感染したら治せるだろう。
あくまで回復は治癒であり、再生とか復活の領域じゃないってことなのかもしれない。
「人はしてもらったことは当然だと思うようになるんです。先輩がゾンビハザードを完全に払いのけるにはまったく力が足りません。でも――、ゾンビは増殖するじゃないですか。ヒイロゾンビならいくらかは先輩の助けになれるはずです」
「ヒイロゾンビを増やしても、結局のところボクに集中すると思うんだけどな」
命ちゃんもマナさんもボクのレベルを超えることはないというか。
結局、ゾンビもヒイロゾンビも管理者権限があるのはボクだけで、命ちゃんやマナさんがゾンビを操れるのは下位存在だからだと思うんだよね。
命ちゃんは悲しげな顔になった。
「それでも先輩の重荷が分散できるならって思ったんです! もう人類の未来とか他のみんなに任せればいいじゃないですか。あのアパートで怠惰にモラトリアムに引きこもって、ただただ楽しく配信して、わたしも時々参加して、人類の行く末を見守っていればいいじゃないですか!」
命ちゃんがボクのことを思ってくれてるのはわかる。
きっと他の誰よりも強い気持ちだろう。
「でも、町のみんなの気持ちも考えてあげて? だって今それやったら踏み絵じゃん」
ボクの血を飲まないと犯人扱いしますって踏み絵そのものだよね。
お隣の長崎ではわりと有名だった隠れキリシタン的な話だけどさ。現代社会においてそれをするのはどうかと思います。魔女裁判的でもあるし、そんなのやりたくない。
だいたい、後でバレたらよっぽどボクの評価が落ちるよ。炎上案件だよ。そうなってもヒイロゾンビが今より増えたら自動的にゾンビは駆逐されていくのかもしれないけど……。
「ねえ。マナさんもそう思うよね」
「そうですね。ご主人様に無理やり舐めろと言われるシチュエーションも捨てがたいな、と」
ダメだこのお姉さん。聞いたボクがバカだった。
「ピンクも踏み絵は嫌いだが、考え方としては間違っていないと思うぞ。今ざっと数えたが、ゾンビにならなくてアリバイがないやつは三十四名だった。ヒイロウイルスに感染するよう仕向ければトロジャンホースプログラムは軒並み偽装がはがれるだろう。ウイルスを識別因子として使うのは天才的発想だ。さすが後輩ちゃん!」
ピンクちゃん大きな頭を揺らして答える。
三十四名か。あと少しで絞り込めそうではある。
二百名の容疑者からすれば、十分すぎる推理。十分すぎる成果だ。
命ちゃんの疑わしきを罰する方式は確かに有効だと思う。
でも、命ちゃんが言ってるのは犯人がどうこうとか、町役場がどうこうとか、今後の人類がどうなるのかとか、そんなことじゃなくて、ただひたすら、ボクが勝手に考えひそかに感じている責任を放棄しろということに等しかった。
責任――
ヒーローとしての責任。
そんなのもとから無いのは知ってるけどさ。
ゾンビがいなければ、もっと楽しく配信できたのにって思ってるよ。
命ちゃんはボクを睨むようにまっすぐと見ている。
「いままで先輩が危なかった場面だってたくさんあったじゃないですか」
「そうかもしれないけど」
「先輩は自分勝手です」
「否定できないけど」
「……」
命ちゃんは何も言わずに、すっと右手に左手を重ねた。
なんだろう。
何をしているのかわからず、ピリっとした空気めいたものが流れる。
小さな貝殻のような親指の爪が右人差し指に食いこんでいく。
紅いボクによって汚染された血。
目の前にいるピンクちゃん。ピンクちゃんを挟んで命ちゃん。
何をしようとしているのか、瞬間的に理解した。
ピンクちゃんの口元に命ちゃんの指が伸びる寸前。
ボクは念動力を使って、命ちゃんの指を叩き落した。
まるで不可視の重力場のようなものが発生して、命ちゃんの指は地面に引き寄せられ、途中の机を紙みたいに真っ二つに引き裂いて墜ちていく。
盛大に倒れこんだ形だ。
強い力が反発しているのがわかる。
命ちゃんもヒイロゾンビだから抵抗する力が激しい。
でも――、ボクも怒っていた。
怒りすぎて逆に血の気が引いている。冷静だ。
「命ちゃん。なにピンクちゃんを感染させようとしているの……」
命ちゃんの端正な顔が歪んでいる。
身体は地面に押しつけられ指一本も動かせない状態。
こんなことしたくないけど。
こんなの胸が裂かれるみたいに痛いけど。
でも、ピンクちゃんを害そうとする命ちゃんを許すことはできない。
「先輩が自分勝手にするなら……、わたしもそうしようと思ったから……」
「それだと命ちゃんを害そうとした小杉さんと変わらないじゃん」
「それでも……、先輩がいつか傷つくんじゃないかって思ったら怖かったんです」
泣いちゃった。
いつもはクールで無表情な命ちゃんだけど、ボクのことになると途端に感情が豊かになる。
今までで一番、命ちゃんのこころを感じた。
それはうれしくもあるんだけど、ちゃんと言葉で最後まで交信してほしかった。
「命ちゃん。ボクは……、命ちゃんからみたら歯がゆいくらいに何もできないのかもしれないけど、ちゃんと命ちゃんの言うことは聞いてボクなりに考えて答えを返すからさ。お願いだから、暴力は使わないでね」
ボクが使ったのも暴力だけど……。
命ちゃんは大の字に横たわったまま、こくんと了承した。
素直な子なんだ。ずっと昔から。
「すみませんでした。ピンクさん」
「んー。ピンクはちょっぴりビックリしたけど大丈夫だぞ」
ピンクちゃんはいい子すぎた。
幼いながらも手を伸ばし命ちゃんを立たせようとする。
しかし、体力的に無理だったので、命ちゃんは自分で立った。
かぷっ。
あ?
ピンクちゃんの身長的に命ちゃんの指先は、ちょうどよい塩梅だった。
いや、そんなのはどうでもよくて、なにがどうなっているのかわからないけど、ピンクちゃんがおしゃぶりみたいに命ちゃんの指先を咥えていた。
咥えて? え?
ヒイロウイルスのたっぷり蠢いている指先を。
あ、あばばばばばば。
なにやってんのピンクちゃん。またマモレナカッタ案件です?
「ふむ。当然のことながらなんともないな」
でも、感染している。
ボクにはわかる。ピンクちゃんはヒイロゾンビになっちゃいました。
人類の科学者が、あっというまにゾンビサイドに。
これっていいのだろうか。ボクにはよくわからない。
「よかったんですか?」と命ちゃんが聞いた。
「いい機会だったし問題ないぞ。それにピンクは科学者だしな。このゾンビハザードをなんとかする際に自分の身体を実験体にするのは当然だと思う」
「あの、ピンクちゃん。ボクに感染しちゃったらもう戻れないんだけど」
「不可逆的反応だといいたいんだな。たいしたことじゃない。人間は皆、たったひとつの死というゴールに向かって生きている。いのちにレトロアクティブなんて無いんだ。ただひたすらに自らを更新し続け、前に進み続ける。もとより不可逆的な存在なのだ」
「いやあのね。風邪とかインフルエンザじゃないんだよ?」
「うん。むしろ身体の調子はいい感じだ。どんどんパワーが湧いてくるぞ。それに――」
ピンクちゃんがボクに抱きついてきた。
いままでよりももっとずっと密着させている。
「これでヒロちゃんに抱きついても感染の心配はないぞ! なにしろ既に感染しているからな」
まさかそれだけのために?
ボクが感染させるのをおそれて遠慮がちになってたのを見抜いてたのか。
ピンクちゃんおそるべし。
あっあっあっ、すごい勢いで頭すりすりされてる。
「ピンクちゃんもゾンビになったので、同族としてわたしも愛でてもいいんですよね?」
「マナさんはしばらく黙ってて」
そんなわけで、ウダウダやりながらも、もうしばらくお馬さんを炙り出す方法を議論したのだった。
ミステリーっぽくなくて正直スマンカッタ。反省してる。