マナさんのカヴァーストーリーはボクには思いもつかないものでした。
まあ簡単に言えば、謎の組織ジュデッカもとい自衛隊の久我さんたちが悪いという感じのなすりつけかな。ジュデッカの暗躍に気づいたゲンさんがあぶりだすために使ったという、なんかそんな感じのやつだ。
マナさんがA4用紙で10枚くらいのレポートを書いてくれて。
ピンクちゃんが要点をまとめてくれて。
ボクがボクなりの言葉で書いて。
命ちゃんが校正と添削してくれて。
最終的に400文字の作文用紙が完成したのだった。
あれ、コレってもしかして小学生並の作文!?
もちろん、発表はボク。
『じえいたいはえらいとボクは思います。じえいたいはボクたちのような子どもやいっぱんしみんを守るためのそしきだと習らいました。たとえあいてがせめてきても、せん守防えいして決して自分からはこうげきしないそうです。
でも、じえいたいの人が暗やくして、みんなをゾンビにするという悲しいできごとが起こりました。ボクは悲しかったです。悪いことをしていない町のみんなをどうしてじえいたいの人はこうげきするのでしょうか。町の勇気のある人はそうなるのがいやだったからカエレという言葉を書いたそうです。ボクはえらいと思いました。人がいがみあいこうげきしあう世の中はダメだと思います。
日本は災害の起こりやすい国です。そんな時、じえいたいの方々が災害救助で活やくしているのを見て、ボクはうれしくなります。じえいたいのえらい人が町のみんなをきずつけるように命令したのだったらやめたほうがいいです。
なにごとも平和が一番だと思います』
棒読みちゃんにならないように演技がんばりました!
以下掲示板とか配信での反応。
『ヒロちゃんって小学五年生くらいだよな。正直小学二年生くらいの……いやなんでもない』
『ダメだと思いますが小学生並の作文で草』
『やめたほうがいいです。ここ強者感』
『でもカエレの文字が先だよな。ジュデッカの暗躍がわかっていたってことか?』
『ジャパニーズ忍者がいるんじゃないか?』
『ジュデッカ以外にも暗躍する組織が?』
『まあ小学生並の作文ではあるが、言ってることは正論だよ。自衛隊が自国民を攻撃するとかありえん。存在の矛盾だ』
『作文用紙がなつい』
『PDFスキャンデータ助かる』
『女の子っぽい丸文字かなって思ったら想像以上にその……なんというか個性的な字だね』
『多様性だよ多様性』
『なんか作文用紙のはじっこに変な落書きされてて草を禁じえなかった。あれなんだ?』
『スプーだよ。知らないのか?』
『日本式のハロウィンだと思ってた』
『後輩ちゃんや毒ピンに添削してもらったんだよな?』
『うーむ。謎が多い作文だが、詮索しないでほしい感もあるような』
『最初は丁寧に書いているのに、途中から段々飽きてきてる感がリアル』
『書くことがいよいよ無くなって、平和が一番というおざなりエンド……』
『ヒロちゃんがんばったねすごいね!』
『全肯定おじさんやめろ』
役場内では、ゲンさんが隣に立っていたけれど、配信での発表は町役場内の有志の方ということにしました。いろいろと議論にはなってるみたいだけど、いちおう解決したことはお知らせしたカタチです。あのクレーマーの辺田さんが何か言いたそうな顔をしていたけど、そのときは何も言われなかった。もうこれ以上の混乱を望まない民意というか、同調圧力が強かったのだと思う。
日本人、右にならえが大好き説。
あると思います。だって楽だもん。
「すまなかったな」
みんなへの説明が終わったあと、ゲンさんはあいかわらず渋い声を出している。
「いいよ」
ゲンさんはボクのことが嫌いというわけでもないと思う。
孫みたいな感覚もあり。ゾンビみたいな感覚もあり。
複雑な感じ。
複雑なクオリア。
であるがゆえに、ボクはまた飴をいただきたいなぁと思うわけであります。
「ねえ。ゲンさん」
「なんだ?」
「ひとつお願いがあるんだけど」
「お願い?」
瞳の奥に奇妙な寂しさみたいなものがあって、ボクに関する態度はちょっとだけよそよそしいというか、そんな感じだ。
少しだけ距離を取り戻したい。
だから言った。
「ボクの配信動画に参加してもらえないかな?」
☆=
「おでこのメガネで、でこでこでこり~ん。今日もはじまったよ。最近は物騒なことが多かったから普通に配信したいと思います」
おでこにあげていたメガネをジャキーン!
装着完了。
『はぁメガネっ娘!』『メガネですか?』『メガネ装備なんで?』『ヒロちゃんの視力は2.5以上あったろ?』『ピンクちゃんが調べてたしな』『伊達メガネでもメガネはメガネだ』『でこでこなんだって?』
「きょうはメガネを装備しないといけない理由があるのです。後輩ちゃんの謎技術で、メガネのちょっと前にみんなのコメントが投射されるようになってます」
『メガネ助かる』『メガネはしてないほうが好き』『なんだてめぇ……』『お、戦争か?』『いきなり喧嘩はじめんな』『喧嘩といえば勢力図また変わったよ』『ヒロちゃんの作文で入間自衛隊に動揺が走ってるしな』『ちょっとリラックスしてる感?』『事件が解決してゆるんでるんだろう』『今日の服装はショートパンツにニーハイか……きゃわ』『ゆるゆるヒロちゃん』『ていうかいつものパソコンのカメラじゃないね』『これは誰かが撮影しているパターンだな。後輩ちゃんがやってたやつだ』『なんか美容室っぽい?』
はい。町役場の目の前にある美容室です。
わりと苦労したよ。太陽光パネルの余りを設置して電気を確保したり。
電気がないといろいろと大変だからね。
町役場からだだ漏れのネットはかなり高出力で、例によって障害になるような高い建物がないから、普通に通じた。これがダメだったら中継ルーターを道路に這わすとかしないといけなかったから難しかったろうな。
水はたとえ電気ができたとしても、送水するための水道局の電気が止まってるから無理でした。
まとめると――。
電気ありネットあり水なしです。
室内はクリーム色を基調とした落ち着いた作りで品がいい。どちらかといえば女性向けの店だったようで、ゲンさんはちょっと緊張しているみたいだった。ボクとしても若干の緊張があります。なにしろこういう店には縁遠かったものでして。
さて、そんなわけで、美容室の三つくらいある大きな椅子のうち真ん中に座ってもらってるのはゲンさんです。プライバシー保護のためにアイマスクつけるか聞いたんだけど、そんなもんは要らんと一蹴されてしまった。頑固なおじいちゃんめ。
撮影してくれているのは命ちゃんです。
ボクは――、施術者だ。
「今日はね。ヘッドマッサージに取り組んでみようと思います。みんなを癒すカリスママッサージストだよ! ボクはヒールも使えるんだから理論上最強なはずだよね」
『え? ASMR配信するの?』『おじいちゃんと孫って感じだな』『官 理職(67)』『ヒロちゃんがとびちる水に濡れ濡れになる動画か』『それだと不真面目マッサージになるぞ』『わしの孫がかわいいのう……』『パパにもマッサージしてくれないかな』『そういや癒しの力が使えたんだったな。癒し効果高そう』
「配信を通じて癒し効果あるのか試してみるね!」
ASMRって音を通じて癒す効果があるみたい。
なんか絶頂するみたいな感じの翻訳がなされていたし、ドーパミンがどぱどぱでるんだろう。
ボクの癒し効果ってなんかよくわかんないけど、みんなの中に感染してある微量のゾンビウイルスをなんかあれこれして、あれこれできるはずだ!(小学生並の構文)
『もしかしてゾンビ回復効果がネット配信で?』『そんな効果があったらすげえよ』『それができたらゾンビ終了のお知らせかな?』『ふむ。やってみようってやつか』
「さすがにゾンビからの回復効果まではないかもしれないけど。なんか効果があったらいいなと思います。癒してみせようホトトギス」
まあそこまで深く考えてるわけじゃないけどね。
そもそもゾンビからの回復という点でいえば、旬なのはやっぱりヒイロゾンビだ。
ヒイロウイルスを輸入できれば、つまりヒイロゾンビがひとりでも自国にいれば、その人を基点にしてゾンビを駆逐できるし、ゾンビからの回復も可能になる。
ピンクちゃんが証明してしまった。
ボクでなくてもゾンビからの回復は可能であるという事例。
でもみんな及び腰なのか、慎重論者が多いらしくまだボクのところに来る人はいない。
何人かヒロちゃんゾンビになりたいっていう人はいるんだけど、正当な政府から承認を受けた人はまだいないらしい。非正規の人を勝手にヒイロゾンビにするとそれはそれで人類側の警戒を招くので、いまは待ちの状態です。町だけに。
あ、あ、命ちゃんがとても残念な顔になってる。
さて……はじめようか。(あきらめの境地)
「はい。ではまずは……あったかいものから。あちあち」
『ほかほかタオル』『あちあちってなってるのがかわいい』『このあちあちタオルをそのまま顔にぶっかけたらコントなんだけどな』『寒くなってくるとあったかいタオルは気持ちいいっすよ』『わりとまともなマ民たち』『真面目マッサージだからな』『あちあち動画』
少し冷やして適温にしてから、タオルを顔の形に。
呼吸ができるようにちゃんとそこは折り曲げてます。
それぐらいはできるよ。ぽんこつじゃないからね!
『ポンコツじゃないだと?』『ヒロちゃん大丈夫。体調悪くない?』『無慈悲な呼吸困難動画になるとばかり思ってた』『ヒロちゃんだしな』『まあこの際、美少女ってだけで十分なんじゃ』
ポンコツじゃないし……。
「暖かいタオルを顔にあてると、血行が結構よくなってリラックス効果があるよ」
『血行が結構』『ヒロちゃんってたまに親父臭くなるよな』『まあそこがいいという説もあるが』『む……よく見ると身長が微妙に足りないのを空中に浮いて補ってるな』『無駄に洗練された無駄のない無駄な動きというやつか』『倒した背もたれなんで戻すの。終了なの?』
無駄じゃないし、終了でもない。
「ヘッドマッサージするからね。背もたれは元に戻します」
『結局のところ無駄な動きなのでは?』『その……個性的なマッサージだね』
「さて、今回使うのはこれ……ハールワッサー1だよ!」
『なにそれ?』『ハールヴァッサーが正しい発音なんじゃないか?』『日本式のドイツ発音なんだろう』『なんかラムネみたいだな』『ラムネ……?』『ヒロちゃんそれなぁに?』
「ハールワッサー1はヘッドマッサージ専用に開発されたローションだね。地肌に心地よい刺激を与え頭皮を健やかに保つトウガラシチンキ。フケかゆみを抑えるヒノキチオール。清涼感を与えるメントールを配合してます」
『すごいまるでカンペを読んでるみたいだ』『メガネには両目あるからな……おそらくそういうことだ』『後輩ちゃん。さすがだな』『後輩ちゃんのシナリオどおりか』
なぜバレてる……。
ヘッドマッサージって簡単に見えるけど、案外難しいんだよ。それなりに練習したけど手順を忘れちゃうから台本くらいいいでしょ。
高速で流れていくコメント欄と、命ちゃんが作ってくれた台本を同時に見ながら施術する。
想像してもらえればわかると思うけど、かなりの難易度。
ボクがほぼカンペ読みになるのもしかたない。でも、解説するっていうことが大切なんだ。我々は文明人だからね。解説されることによって、それが刺激となるんだ。
「まず、ハールワッサー1を十分に塗布します。髪の毛がひきつれると怖いからね」
『ドバドバいくな』『これメンソール系だろ。こんなに塗布して大丈夫か?』『髪の毛がひきつれると怖いからな』『頭頂部から周囲へよくもみこんでるな』『マ民たちが活性化してる』
「十分な塗布が完了したら、椅子を倒します」
『なんだ。結局倒すのかよ』『倒したり起こしたりしろ』『背もたれを倒すのか起こすのかはっきりして』『ヒロちゃんに翻弄されちゃってる』
「通常のマッサージは背もたれを起こしたまま行いますが、このアメニティマッサージは椅子を倒したまま行うことによって、お客様にリラックスしていただき、より気持ちよく、効果的に行うことができます。サロンが儲かる仕組みを……あ、これ違う感じ?」
命ちゃんが首を横にブンブンと振っていた。
『儲かる?』『儲かるってなんだ?』『どこかのマッサージ動画を元に後輩ちゃんが台本書いたんやなって』『後輩ちゃんもいろいろと大変だな』
確かに命ちゃんに頼りっぱなしなのは悪かったと思います。
「まずは、ひたいの蹂躙? からおこないます」
『あ、読めてないやつや』『蹂躙しちゃだめだろwww』『なまじっか握力10トンくらいありそうだしな』『ご冥福をお祈りします』『ジュウネンな。ジュウネン。押しつけて揉みこむやりかただよ』
「漢字難しかっただけだし。やりかたはわかってるから大丈夫だよ。えーっと、ぜんがくぶのぼしきゅうをひたいに当てて、なんかともかくやります」
やりかたは本当にわかってるんだ。
手のひらのつけ根の部分を押し当てるようにして軽く圧迫する感じ。
力の調整だってできるよ。まちがっても海水浴場のスイカみたいにはならない。
『きもちよさそう』『おてて』『おてて民。おまえ生き残ってたのか』『ヒロちゃんにいつトマトみたいに潰されるのかわからなくてヒュンってなる』『孫にマッサージしてもらえるなら死んでもええ』『爺さん。あんたそこまで……』
「顔面の指圧に入ります。親指をつかって額からコメカミをグリグリするよ」
『あ、途中で読めなくなったやつだ』『後輩ちゃんがもう少しだけ優しさがあれば』『後輩ちゃん。ルビ振ってあげて』『でも読めなくても施術自体はできてるな……練習したんやな』『台本を読む練習もできれば行うべきだった』
「人差し指を使って、目の上の骨を押し上げるようにするよ。これで目の疲れが取れます」
『ああ、絶対気持ちいいやつや』『目の疲れが取れます(断言)』『ぎゅむぎゅむ』『ぎゅー』『極楽動画』『目で見る癒し』『マ民が歓喜しておる』
「さらに、びこんこつ。きょうこつ。かがんか。あごの骨の順でジュウネンします」
『後輩ちゃんの優しさキター!』『なんだ動画配信中にルビ振ったのか』『誰もヒロちゃんが素の状態で読めると思ってないんやなって』『しかし、言われてもどこの骨なのかわからんな』『どこの骨とも知れないやつ』
「これで顔面指圧は終了です。続いて四本の指を使って、そっけいかぶを良く揉みこみます」
ぐーりぐりぐり。ぐーりぐりぐり。
『あああ……』『ああ……』『ああしかいえないんかい』『首って疲れるからな』
「手のひらを額にあてて、こうとうかに中指を押しこみます」
『あああ……』『ああ……』『わかるマン』『首はらめぇ。首はらめなのぉ』
「非常に疲れやすい筋肉である……きょうさにゅうとつきんを揉みこみます。お客様をつかの間の眠りに誘うようなタッチでおこないましょう」
コメント欄がzzzで埋め尽くされる。
ゲンさんもほとんど眠たそう。うまくできてるみたいだね。よし次。
「続いて頭皮のマッサージに入ります。頭皮と骨の動く範囲を側頭頂部まで10回ずつジュウネンします。このとき、通常のトニックですと、水より乾燥が速く髪の毛がひきつれることがあるのですが、このハールワッサーはマッサージ専用のローションとして開発されているので、大丈夫なんだよ。すごいんだよ」
『さようでございますか』『ダイレクトマーケットしていくスタイル』『髪の毛がひきつれることへの過度の恐れ』『ハールワッサーSUGEEEE』
「頭頂部のマッサージにかかる前にまたハールワッサーをたっぷりと塗布します!」
『追いワッサーだと』『短時間のうちに二回も!?』『なんて贅沢なんだ』『本当に短時間のうちにかけまくってるからわりとビショビショ感あるな』『気持ちよくはあるんじゃないか?』
「えーっと……なんか台本が長すぎるから簡単に説明すると、頭を掴んだ状態でドリブルする感じでマッサージします」
『わりと本気で揺らしてて草』『脳震盪』『これ大丈夫なのか?』『ほんとにドリブルじみてる』『美容室の椅子はわりとはずむから大丈夫……だと思いたい』『官さぁん!』
「このように大きく振ってもお客様は不快感を感じませんので思い切って振ってみてください」
『正体あらわしたね』『不快感は感じません(断言)』『これお客様は文句を言う気力もないだろww』
「ここがアメニティヘッドマッサージのクライマックスです!」
揺らせ揺らせ。頭を揺らせ。
『死んじゃう死んじゃう』『案外気持ち良さそうでもあるが』『口開いたら舌かみそうだしな』『盛り上がってきたな』『よーし逝くぞぉ!』
「この快感が忘れられないってファンがいっぱいいるんだからね。特に、管理職の方に多く見られます」
『ホンマかいな』『やっぱり管 理職(67)』『バブル時代を彷彿とさせるようなワードばっかりだな』『最近の小学生はいろんなこと知ってるなぁ』『ネット時代の恩恵だろう』
「いよいよ椅子を起こしてフィニッシュのマッサージに入ります。ここで三回目の塗布を必ず行ってください。お客様に新たな快感を与えるとともに、短時間に三回も塗布されたという贅沢感を植えつけます」
『短時間に三回も塗布していただけるんですか?』『すごい……なんて贅沢な』『え、今日は三回も塗布していいのか?』
「ぼしきゅうで、じぜんぶ、じごぶ、じじょうぶ、そっけいかぶの順でジュウネンします。左側も同じように行います」
もうどこがどこやらわからない……。
ともかく頭全般だ。
「ぼしとうで、俗にいうフウチをよく揉みます」
実をいうとフウチはわかります。なんでか知らないけどいつのまにか知ってたツボの名前。ここはいいツボだ。
「次に首の運動です。ゆっくり前傾。後ろ。横と、十分にストレッチを行います。ゆっくりと回転をさせます」
『首ポキ動画……首ポキ動画はどこじゃ』『首ポキはやめといたほうがええで』『起こさないでやってくれ死ぬほど疲れてる』『神経集まってるもんな』
「最後に軽く肩を揉んであげましょう。これでアメニティマッサージは終了です。この施術で絶対にしてはいけないことがあります。それは施術中に髪の毛を絶対に引きつれさせないことです」
『引きつれこえー』『早くハールワッサーを買わなくちゃ』『なんだかんだいってもいいマッサージだったよ』『癒しの効果は……まああれだな。コメントみながらだと微妙だからコメント切ってあとから見てみる』『髪の毛ぼっさぼさなんですがそれは……』『ぼさぼさになる髪があるだけマシだろ。いい加減にしろ!』
マッサージも終わり。
ゲンさんは無言のまま立ち上がる。
なされるがままだったけれど、気持ちよくなかったのかな。
名前を言うと、個人情報的にまずいので、ボクは一般的な人称代名詞で聞くことにした。
「おじいちゃん。マッサージどうだった?」
「……まあまあだな」
顔はこちらに向けず、しばらくゲンさんは突っ立ってた。
どうしたんだろうって思って、ボクが覗きこもうとすると、命ちゃんに途中で止められた。
少ししてから、ゲンさんは振り向いた。
ハールワッサーが目に入ったのか、瞳が赤い。
「おじいちゃん。大丈夫?」
「ああ……礼は飴玉でいいか」
「うん」
欲しかった飴玉。
お耳のあるピンク色の飴。
いちご味。
★=
動画の配信と聞いて、公開処刑でもするのかと思ったらなんのことはなかった。
ヘッドマッサージ配信の対象者になってほしいという、小さなお願いだった。
「いいかな?」
小さな瞳が怯えたようにわしを見定めようとしている。
紅いまなざしがわしをみている。
そのまなざしは、この星の人類を救いたいという大それたことを考えながら、その実、わしひとりに嫌われることすら怖がっている小心な子どものように見える。
ゾンビか人か。あるいは天使か。
そんなことはわしにはわからんが、しかし、その外貌はまぎれもなくわしの孫と同じくらいで、そのこころも変わるところはないように見える。
ゾンビが溢れたのは、誰のせいでもない。
夜月緋色がそうしたのであるなら、きっと、このような小さなひとりの老人の想いなんぞ踏みにじって笑うだろう。
だから、わしがやったことはただの――八つ当たりだ。
孫を失ったわしの行き場のない怒りをぶつけただけだ。
だが、孫娘はわしの宝だった。
その孫娘の頭を撃ちぬいたとき、こころのなかが黒く塗りつぶされていくような気持ちになった。底なしの黒い沼底に腰までつかり、溺れるのをいっそ望むわしがいた。
自殺を考えたこともある。
ただの義務感で生へとつなぎとめていた。
その義務感すらもぷっつりと切れてしまったのは、後悔があるからだ。
もし、あとわずかでも早く……あるいはわしが孫娘の頭を撃ち抜いていなければ。
「かまわん」と答えた。
緋色は花がほころぶような笑顔を浮かべた。
似ている。
思い出すのは孫娘のこと。
「おじいちゃん」
そう言って、優しく肩を揉んでくれる孫娘。
いちご味の飴が好きな――。
その声が重なった気がした。
孫娘とこの子は似ても似つかない容貌だが、わしのようないかつい顔をした気難しい老人に、気兼ねなく声をかけてくれたのは、孫娘以外にはいなかったのだ。
形容しがたい言葉に、身がすくんだ。
目を閉じたまま、考える。
孫娘のことを。ゾンビのことを。人間のことを。
考える――。
生きていてよいのだろうか、わしは。
「おじいちゃん。大丈夫?」
「ああ……礼は飴玉でいいか?」
「うん」
いちご味の飴玉は、手のひらにおちて。
彼女は優しく笑顔をこぼした。
ハールワッサー動画はマ民の基礎演習だよ。みんな見ようね?