君に好きだといいたくて   作:stright

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過去最長。どうしてこうなった……。




 彼女が初めて店に来た日から、2週間が経過した。現在俺は嫌だと思っていた店の手伝いを真剣に取り組むようになっていた。父の「これが青春か……」とほほえましいものを見るかのような姿には腹がたったが、突っ込むとこちらが不利になるため、足蹴りを一発お見舞いするだけに留めておいた。

 店の掃除を手早く済ませ、厨房に入る。昨日夜遅くまで考えて準備しておいたタレとスープを取り出す。スープが入った鍋を煮込み、タレを器に盛る。スープを煮込んでいる時間は、父に言って貸してもらったレシピを読み込む。

 元々幼いころから父の手伝いをしていた影響もあったのか、あらかたの手順は理解することができた。だが細かい部分、ダシの取り方やタレの調合などの手間のかかるところとなると話は別である。あまり評判の良くないうちのラーメンですら様々な工夫がされている。これまで店の手伝いに消極的だった自分に後悔をしつつ、少しでも前に進めるよう研究をつづけた。

 何せ2週間前まではほとんどラーメンはおろか料理も作ったことがなかった身である。時間はいくらあっても足りない。俺が目指しているのは“おいしいラーメン”を作ることである。ここでもたついていてしまっては、その目標を達成することなど夢のまた夢だ。

 うちのお品書きに書かれているラーメンは8つである。しかしそれらはネギやチャーシュー、タマゴなどのトッピングや麺の硬さによって商品分けしているだけであり、実際のラーメンの種類としてはしょうゆとしおの2つのみとなっている。そのため渡されたレシピの中にはこの2つのラーメンについての作り方が記されていた。

 うちのラーメンはどちらもダシに鶏がらをメインに据えたものを使用しており、両者の違いはタレによる部分が大きい。しょうゆダレとしおダレ。この2つをそれぞれ器に乗せてダシと混ぜ合わせることで、しょうゆのスープ、しおのスープが完成する。スープを作るということは、このタレとダシをどのように作るのか。これが肝となってくる。

 故に短い期間に今までのラーメンとの違いを出すのに今回注目をしたのが、その“タレ”、俗に“かえし”と呼ばれる部分である。

 スープの3大要素とも呼ばれる“かえし”は、調合に扱う材料の組み合わせだけでなく、その温度でさえも風味に欠かせない重要な役目を持っている。ダシがラーメンの深み、香味油や香辛料が香を引き立たせるとするなら、タレは純粋にラーメン自体の味を表すものという感じだろうか。そこを変えるということは違いが分かりやすいが、それ故に良し悪しも分かりやすいということになる。まだ勉強をし始めて間もない身であるからこそ、ゼロから家にあるものを使っていろいろな組み合わせを今まで試してきた。

 結局理想に描いていた段階までは届かなかったが、納得できるレベルには達したと思う。あとはダシが煮込み終わるのを待ち、それを組み合わせるだけ。

 レシピを机に置き、ポケットからメモ帳を取り出す。自分的に良いと思った組み合わせと悪いと思った組み合わせ、そしてその感想を書いたメモを読み返し、メモ帳を閉じる。するとちょうどダシの入った鍋の蓋がカタカタと震え始めていた。コンロの火を止め、鍋の蓋を外す。それからお玉を使い鍋からダシをすくって小皿に少量垂らし、口に含んで味を確かめる。いつものダシが作れていることを確認してから、脇に置いておいた鍋の蓋を持ち上げようとすると、その鍋の蓋を持つ手は震えていた。それに思わず苦笑いしながら、ゆっくりと蓋を戻した。

 息を1つ吐き、なんとか心を落ち着けようとする。だが早まっていく心臓の鼓動を抑えることはできなかった。緊張のせいか体が僅かに震えている。額や手からも汗がにじみ出ていた。緊張のし過ぎだと思いつつも、無理もないかと自身の状態に納得できる部分もあった。

なぜなら、

 

(今日は、約束の日だ……)

 

 

 

 

 

 

 あの日、俺は小泉さんに俺の作ったラーメンを食べてほしいといった。その時の俺の思考回路は、

 

 小泉さんの笑顔がもう一度みたい! → どうすればいい? → ラーメンを食べてるとき幸せそう → そうだ! 俺がラーメンを作って食べてもらえばまた見れるかも!

 

という単純明快なものだった。だがこの考えは彼女に対しては間違ったものではなかったらしく、小泉さんは少し考えたようなそぶりを見せた後に、いいですよ、と言ってくれた。

 半ば衝動的に口にしたことであったため、了承してもらえたことを信じられずフリーズしたが、その言葉の意味を飲み込むと俺は思わず立ち上がって大きくガッツポーズをしてしまった。そんな俺の様子を見て彼女は目を丸くして驚いていた(とても可愛らしかった)が、すぐにいつもの無表情に戻りこちらを見上げてきた。

 

「貴方の作るラーメンを食べることはかまいませんが、それはいつですか」

「うえっ!? なっ、なにが?」

「ですから、それはいつですかと聞いているんです。今日私はこれから予定がありますから、今すぐに食べることができるというわけではありません。そのためあらかじめ日時を教えていただければ、私がまたこのお店に食べに伺うと言っているんです」

「そ、そっか。ありがとう。ごめんね、わざわざ」

「かまいません。それで、いつですか?」

「そう、だね。えーっと」

 

 困った。どうしよう。確かに俺の作ったラーメンを食べてくださいとは言ったけれど、今までラーメンを作ったことなんて一度もない。これまで俺は家の手伝いそのものが好きではなかったから、ラーメンはおろか料理にだって興味はなかった。これですぐに明日来てほしいなんて言っても、付け焼き刃過ぎてまともなものを出せる気がしない。でも言い出したのはこっちだし、今更やっぱり無理ですなんて言える訳が……。

 そんな風にうんうん唸る俺の様子を見かねたのか、彼女は助け舟を出してくれた。

 

「貴方からの日時の指定が特にないのならば、こちらが決めてもかまわないですか」

「へ? う、うん。大丈夫だよ」

「そうですか。では2週間後の今日というのはどうでしょう。私も色々としたいことがあるのですが、そのころには一段落していると思いますので」

「OK!」

「では、そういうことで」

 

 もういいですかと尋ねてくる彼女に対し、ありがとうと伝え店から出ていく彼女の姿を見送る。そして店の外に出て彼女の姿が完全に見えなくなったのを確認してから、俺は地面に崩れ落ちた。

 

「まずい。どうしよう。とんでもないこと言っちゃった」

「どうしたんだ? 息子よ」

「わあっ!」

 

 背後から突然聞こえてきた声に、思わず悲鳴を上げる。振り返るとそこにはいつの間にか厨房から出てきて傍に来ていた父の姿があった。全然気づかなかった。忍者か。

 

「なんだ。父さんか。おどかさないでよ」

「すまんすまん。だが翔も悪いんだぞ。ずっと厨房から声をかけているのに反応しないから」

「そ、そうなんだ。それは、うん、ごめん気づけなくて」

「まあいい。……それで、どうしたんだ」

「え?」

「え?じゃない。地面に手をついてどうしようって言ってたじゃないか。何かあったのか?」

「あー……」

 

 聞かれてたのか。しかし父にこのことを話すのも何となく憚れる。ここ最近まともに話もしておらず、口を開けば不満ばかり言ってきた。手伝いも最低限しかしてこなかったし、以前には店の料理について教えてくれると言っていたこともある。しかし俺はそれを面倒くさいからといって断ったし、何より今まで家のことに消極的だったのに急に自分の都合だけで必要だからといって協力してもらうのも虫がいい話だ。けれどことラーメンに関して、今父以上に助けになる人は他にいない。だが今更教えてくれというのも……。

 そうやって迷う俺の様子を見て父はため息を一つつき、困ったように笑うとその大きな手を俺の頭の上に乗せ、ゆっくりと撫でてきた。不器用な父なりの慰め方なのだろう。 

 こうやって父に頭を撫でてもらうのはいつぶりだろうか。少し前の俺なら、こんな風に頭に手を乗せられたらすぐに振り払っていたことだろう。だがこの時の俺は大人しく父にしばらくの間撫でられるままでいた。そうしているうちに段々と心が落ち着いていくのが分かった。

 ……そういえば母が亡くなる前はこうやってよく撫でてもらっていたっけ。幼いころの俺は父の大きな手で撫でてもらうことが大好きだった。でも母が亡くなってからは、どこか父のことが苦手に思えてきて、少し避け気味になってしまっていた。そのまま店のことを含めて父に時間をとられるのが嫌に感じるようになって、今の今まで父に冷たく接してきたのだ。

 頭に感じる父の手の温かさに懐かしさを感じつつも、そのやさしさに申し訳なさを感じた俺は目ににじむ涙を堪えることができなかった。突然泣き出した俺に父は驚いたものの、その手の動きを止めはせずに、泣き止むまでそのままそっと頭を優しく撫で続けてくれた。

 しばらくして俺が泣き止んだのを確認してから、父はゆっくりと話しかけてきた。

 

「それで、どうしたんだ?」

「……」

「翔が意味もなく泣くとは父さんは思ってないし、大方お前のことだからこちらに何か遠慮して言い出せなくて、自分の中にため込んでしまっているんだろう」

「なんで、わかるのさ」

「わかるさ。家族、なんだから」

「っ」

「さあ。言ってみな。遠慮するこたあない。どんとこい」

「……あのさ。父さん」

「ん?」

「俺にさ、ラーメンの作り方を教えて」

「おう。任せとけ」

 

 父はニカッと笑いながら快く了承してくれた。

 俺は今までいろいろと誤解していたのかもしれない。一方的に嫌っていただけで父はいつでもこちらのことを考えてくれていたのだ。家の手伝いに関してもよくよく思い返してみれば、いつも申し訳なさそうな顔をして頼んできていた。俺はいつの間にか父の顔をよく見ることがなくなっていたから、気づくことができなかった。

 いや、気づかないようにしていたのかもしれない。単に俺は自分の中に積もっていく不満やわだかまりを父にぶつけて、すっきりしたかっただけだったのだ。母がいなくなってからの寂しさや辛さなども含めて、店のことを理由にしてその矛先を父に向けることで紛らわしていた。ただ、それだけのことだった。

 

「父さん」

「なんだ」

「……今まで、ごめんね」

「さあ? 翔が何に対して謝ってるのか、父さんにはわからないな」

「そっか」

「ああ。そうだとも」

「それと、ありがとう」

「気にするな。家族だろう」

「うん。……ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 それから1週間。まずは基本的なラーメンの知識について教わった。放課後学校から帰るとすぐに店の掃除を済ませて、たまに店に来る客の対応をしながら、時間ができたら父のもとに行ってすぐそばで調理を観察しながらレクチャーを受けた。閉店後は翌日の仕込みを手伝いながら、この店のダシやタレの作り方を学んだ。

 麺についても色々と教わったが父が言うには「麺よりもスープについて考えたほうがいい」のだそうだ。

 なんでもうちの店のラーメンは、スープに関しては毎回微妙な評価しかもらわないが、麺だけは別であり、店に常備している父手製の3種の麺は全て高評価をもらっているらしい。「麺はうまいんだけどな」「麺は好きなんだけどねー」という言葉を客から聞くことが度々あったのを思い出す。なぜ麺だけそんな感じなのかと聞いてみると、「生地の混ぜ合わせや水の配分とか餃子づくりに生かせそうだから研究した」のだという。

 スープのほうも研究すればいいのにと思ったが、「ラーメンはあくまでついで。俺が作りたいのはおもしろくてうまい餃子」という父のこだわりらしくあまりスープの研究はしてこなかったのだそうだ。

 言われてみれば父の作る餃子はバリエーションが豊富で、様々な特性餃子がある。品書きの中で異色なのは具にチョコレートが入っていたりするものだろうか。スイーツ系餃子を目指していたらしい。他にもいろいろあったが今は割愛する。

 話を戻すが、そんなわけでうちのラーメンの長所である麺は変えずにスープを改善することがうまいラーメンを作る上での近道となるのではないかと父は教えてくれた。だからこそ最初の1週間は今のスープを自分で作ることができることができるようになるための指導をしてくれた。

 うちのスープに使われる材料は全体的に少ない。そのため1週間で大体の味を再現できるようになった(その際の父の何とも言えないような顔が印象的だった)。

 そこからは試行錯誤の日々である。貸りたレシピを見て復習をしつつ、いろいろな組み合わせを試していった。朝は4時に起き、夜は12時まで起きて実験を繰り返す。父には根を詰めすぎじゃないかと心配されたが、俺にとっては一世一代の大勝負である。ここで手を緩めるわけにはいかない。そう硬い決意をもって父を見つめると、父は納得してくれた。

 

「因みにだが息子よ。ひとつ聞いておきたいことがあるんだが」

「なんだよ父さん」

「ラーメンを御馳走する友達っていうのは、女の子か」

「そうだけど」

「ふーん。そっかそっか」

 

 にやにやとこちらの事情が分かったかのように笑う父。その視線に顔を赤くしつつ、ごまかすように後ろを向き調合を再開した。

 そんなような日々が続き、あっという間にその日はやってきたのだった。

 

 

 

 

 

 

 (ついにこの日がやってきた)

 

 ここまでいろいろなことがあった。作り始めた当初は簡単じゃないかと甘く見ていたところもあったのだが、実験を繰り返していくうちにその難しさを実感することになった。

 何しろ組み合わせは無限に存在する。そのうえで今までのスープとの違いを出すには、ベースとなる根本的な材料を変えるか、その調合配分を変えるのかという工夫が必要となる。渡されたレシピだけでなく、図書館やインターネットでも調べてみたりしたが情報量が多すぎてあまり賢くはない自分の頭では整理するのが難しかった(そのための時間もなかった)。

 ゆっくりと息を吐き、うつむいていた顔を上げる。厨房から出て、この店の全体が良く見える場所に向かい、近くにあった椅子に腰を下ろす。そして彼女がやってくるのをじっと待った。

 壁に掛けられた時計の針の音がやけに大きく感じる。ちくたくちくたくと店内に鳴り響くその音は、まるで世界に俺一人だけ取り残されたような錯覚を与えてきた。震える体に活を入れ、大きく深呼吸をする。するとからからとゆっくりと戸が開く音が聞こえた。

 バッと勢いよく顔を上げて、戸のほうを見る。するとそこには案の定、長く美しい金色の髪をなびかせた少女――小泉さんが立っていた。

 彼女はきょろきょろと店内を見渡し、俺を見つけると小さく会釈してきた。それを見て我に返った俺は、すぐさま彼女のほうへと向かい、以前話をした奥の座敷へと案内した。

 いつものように気品ある姿で靴を脱ぎ、正座をする小泉さん。その姿に見惚れつつ、そばにある給水器からコップに水を入れ彼女に渡す。ありがとうございますと小さくうなずきながら彼女はそれを受け取った。

 

「いらっしゃいませ。小泉さん。久しぶりだね」

「はい。お久しぶりです。中華くん」

「来てくれたんだ」

「はい。約束でしたので」

「そっか。ありがとう」

「いえ。かまいません。では早速ですが、ラーメンを1つお願いします」

「はい。わかりました。少々お待ちください!」

 

 一応形式的に注文を受け取ったように動く。店内にほかに客はいないが、まあ気分の問題である。俺は厨房に戻ると用意していたタレの入った器に煮込んだダシを少しずつ混ぜていく。それからあらかじめ茹で始めていた麺を湯切りして、盛り付けていく。トッピングにチャーシューとネギ、ノリを添えて完成だ。

 白く湯気を上げるラーメンを小泉さんのもとへと運ぶ。以前も運ぶ際に手が震えていたが、それは小泉さんに対しての緊張だけだった。だが今回はそれだけではなく、この2週間の努力の成果が試されるからでもあった。好みに合わなかったらどうしよう、まずいと言われたらどうしよう。そんな恐怖が体を襲っていた。

 ゆっくりとゆっくりと彼女のそばに近づく。彼女は前回のようにその透き通るような髪を後ろ手に縛っていた。隠れていた白いうなじがどこか扇情的で、彼女の美しさをさらに際立たせていた。そんな彼女に近づくたびに鼓動が早くなっていく。神秘的な雰囲気をまとい、どこか近寄りがたいような世界を持った彼女に圧倒されかけたが、それでもなんとか彼女のもとに向かい、ついにたどり着いた。

 

「お待たせいたしました。特製しょうゆラーメンでございます」

「ありがとうございます。これが、あなたのつくったラーメンですか」

「はい。頑張っていろいろ考えながらつくりました」

「そうですか。では、いただきます」

 

 テーブルに置いてあった箸を取り出しその白く指先まで綺麗な手を合わせて、一礼。割り箸を割り、一度目の前に置かれたラーメンをじっと見つめると、目をつぶる。数舜後、カッと目を見開きラーメンに取り掛かった。

 一心不乱とはまさにこのことだろう。ずるずると音を立てて麺を啜る彼女。たまにその髪が前に落ちようとするのを片手で抑え、ふーふーと息を麺に吹きかけながら、食べ続ける。

 普段は新雪のように白い顔を赤らめ、うっとりとした目をしている彼女。やはりラーメンを食べているときの小泉さんは幸せそうだ。この顔を見れただけでもこれまで頑張ってきたかいがあった。そんな風に自分の努力の成果を噛み締めていると、いつの間にか小泉さんは麺を食べ終え、器をその小さな両手で持ち上げてスープを飲み始めていた。

 バクバクと騒ぎ立てる心臓の音を聞きながら、俺は小泉さんがスープを飲み終えるのを待った。大体10秒くらい経ち、スープを飲み終えた彼女はその器に隠れていた顔をあらわにした。

 

 そこには、この世のどんなものよりも美しく、可憐だと断言できる笑顔があった。

 

(頑張ってきて本当に良かった)

 

 しばらくの間、その幸せに俺は浸っていたが、その間に彼女は紙ナプキンで口を拭き、縛っていた髪をおろしてこちらを見上げていた。それに気が付いた俺は、こほんと一つ咳払いをしてから彼女に話しかけた。

 

「お粗末様でした。小泉さん」

「いえ。ごちそうさまでした」

「どうだった?俺の特製ラーメン。わりといい出来だったんじゃないかって思うんだけど」

「そうですね……」

 

 そこで彼女は目をそらしわずかに悩むようなそぶりを見せた後、

 

「忌憚なき意見を言ってもかまいませんか」

「キタン? よくわかんないけど、大丈夫! どんとこい!」

「そうですか。では」

 

 小泉さんは佇まいを直しこちらに体を向けると、目を一度伏せてから数度うなずいた。そんな姿も絵になるなあなんてぼんやりと思っていると、彼女は目をゆっくりと開き、開口一番にこう言った。

 

「結論から言うと、あまりおいしくはなかったです」

「ぐはあ!?」

 

 凄まじい威力だった。無防備にアッパーをクリティカルヒットされたような威力。されたことないけど。

 まったく予想だにしない答えが返ってきたことに驚き、衝撃のあまり口を大きく開いて呆然としてしまった。そんな俺をいつもの無表情で見つめてくる彼女。そんな彼女と見つめあいながら、たっぷり30秒くらい経ってから再起動した俺は彼女に問いかけた。

 

「ま、マジで?」

「マジです」

「でも小泉さんうまそうに食べてたじゃない」

「それはこれがラーメンだからです。ラーメンの形を成しているものは基本好きですから。ただそれだけに過ぎません。」

「さいですか……」

 

 俺の、2週間の努力の成果が……。

 

「このラーメンは確かに前回このお店でいただいたものとは違います。おそらくはダシなどはそのままに、タレを大きく変えたのでしょう。味の変化がはっきりと伝わってきましたから。ですが確かに変化はありましたが、以前のものよりもどこか味が薄くはっきりとしていない印象があります。それ故にダシとの相性が合わずに喧嘩をしてしまって、味がまとまっていないように感じました」

「うそっ!ちょっとまってて!」

 

 急いで厨房に戻り、器にスープを作る。そしてそれを口に含むと確かに指摘されたように味が薄い感じがした。それに対して一度あっけにとられてから、すぐさまその原因について考察を始めた。

 ダシは煮込んだ後一度味を確かめたから問題はなかった。麺やその他の調味料に関しても問題はない。だとすると原因はタレということになるが、こちらも昨晩味を確かめてから保存をした。だとしたら、なんで。

 頭の中をぐるぐると様々な考察が行違う。そのどれにも納得ができずにいると、その様子を近くで見ていたらしい父が近づいてきた。

 

「どうした」

「父さん……」

 

 声をかけてきた父に理由を説明する。すると父は僅かに数巡したかと思うとこう切り出してきた。

 

「それはタレが原因なんじゃないか?」

「でもかえしに関しては昨日何度も味を確認したよ。ちょうどいい感じに味もまとまってる感じがしたし」

「そこだな」

「え?」

「俺もラーメンが専門というわけではないからはっきりとは言えんが、それでもかえしはダシを混ぜ合わせるのが前提で作られるものだということはわかっている。スープはダシとかえしを組み合わせてつくるもの。だからこそかえしはちょうどよいと感じるぐらいの味では逆にスープを薄くしてしまうんだ」

「あっ…!?」

 

 そうか。そういうことか。確かにこの1週間タレのことばかりを考えていたこともあって、味見もかえしのみしかしていなかった。加えて実際にスープを合わせてみることもここ最近はなかった。その弊害が出てしまっていたのか。

 

「……」

「はじめのうちは陥りやすい失敗だな。俺も何回かやらかしたことがある」

「なら、教えてくれても」

「基本の説明の時に一度教えたぞ。それにここ2・3日は自分でやるからといって味見もしていなかったしな」

「うう」

 

 原因が分かった俺は父に礼をした後、肩を落としながら小泉さんの待つ席へと戻った。彼女は先程のきれいな姿勢のまま、こちらを待ってくれていた。

 

「ごめん。小泉さん。待たせて」

「いえ」

「原因がはっきりわかったよ。タレの問題だった。ごめんね。不出来なものを食べさせて」

 

 目頭が熱くなる。けれど涙だけはこぼさないように上を向いてこらえる。仮にも好きな女の子の前である。男としてみっともなく涙をながす姿を見せる訳にはいかなかった。

 

「本当に、ごめんなさい」

「……」

 

彼女はそんな俺の様子を見て、ため息を一つつく。それからどこかこちらに呆れたような感じでこうつぶやいた。

 

「なにか勘違いをしてはいませんか」

「……え?」

「私は別に、まずい、などとは言っていませんよ」

 

 そして彼女は一拍あけて、テーブルに置かれた空の器を見ながら

 

「確かにこのラーメンはおいしいとは言えません。ですがここのお店の長所である麺のうまさを引き出そうと工夫した部分がよく見られます。もちろん結果としてはその良さを出し切るところまではいきませんでした。味がまとまっていませんし、バランスも良いとは言えないでしょう。でもそれはこのラーメンにおけるスープの役割をしっかりと意識した結果の表れとも言えます」

「え、と」

「つまり、何が言いたいのかといいますと」

 

 小泉さんは器から目を離し、こちらに向き直る。そしていつもの無表情でそのルビーのような力強く美しい紅の瞳を向け、そして

 

 

「これはこれで悪くはなかった。ということです。ごちそうさまでした」

 

 

俺の、欲しかった言葉を言ってくれた。

 

 

(ああ。もう駄目だ)

 

 

 俺は必死に抑えていた涙が頬を伝っているのを感じた。止まらない。いや止められない。好きな子の前なのにみっともない。でもどうしても嬉しくて、悔しくて、いろんな感情が混ざり合って頭の中はぐちゃぐちゃになってしまっていた。

 結局俺はしばらくの間、そのまま涙を流し続けた。

 

 5分後。なんとか気持ちを落ち着けることができた。小泉さんは急に泣き出した俺に驚きながらも、その場から立ち去らずに、彼女のポケットの中に入っていたハンカチを差し出してくれた。

 俺はありがたくそのハンカチを借り、目を拭いてから彼女に向き直った。

 

「ごめんね。小泉さん。急に泣き出したりして。ハンカチありがとう。今度洗って返すから」

「気にしていません。お構いなく。……もう、大丈夫ですか?」

「うん。ありがとう。大丈夫だよ。あはは、なんか小泉さんに迷惑をかけてばっかりいるね。俺は」

「はい。少し反省してください」

「うん。ごめん。ありがとう」

「謝ったり、礼を言ったりばかりして、忙しい人ですね」

「そうかな」

「そうですよ」

 

 そんな他愛のない話をしながら、少しして俺は小泉さんに頭を下げた。

 

「小泉さん。改めて今日は来てくれてありがとう」

「いえ。こちらこそありがとうございました。ラーメンごちそうさまです」

「それでなんだけどさ、また来てくれないかな。俺のラーメンを食べに」

「かまいません」

「……いいの?自分で言うのもなんだけど、今回あんまりいいラーメン作れてなかったんだよ」

「はい。そうですね。ですがまた私を誘うということは、同じものを出すというわけではないのでしょう」

「それは、まあ。そうだけど」

「でしたら問題ありません。一種の創作系ラーメンだと思えば、どんなものであっても大丈夫です」

「そっか。ならよかった」

 

 彼女なりの気遣いなのか、単にラーメンが食べたいだけなのかはわからなかったが、また来てくれるというのであれば是非もない。

 

「じゃあ、期待してて。今度こそ君がおいしいって言ってくれるようなラーメンを作って見せるから!」

「……はい。楽しみにしています」

 

 俺の宣言に目を丸くしながらも、彼女は僅かにほほ笑んだ。桜の花びらのような小さくも可憐な微笑。それを向けられて俺は顔を真っ赤に染めつつ、おうっと返事を返した。

 それから小泉さんは店を後にした。次に来る日を具体的に決めはしなかったが、そんなのは関係ない。いつ彼女が来たとしても、その時に出せる最高のラーメンをご馳走するだけだ。

 そのためにも今日の悔しさを忘れずに一歩でも前に進むことが出来るように努力していくだけ。

 

 

「よしっ。頑張るぞ!」

 

 

 彼女の姿が見えなくなるまで見送り、そして俺は決意を新たに店の中に戻った。

 

 俺の戦いは、これからだ!

 

 

 

 

 




全4回で終わらなさそう。

次は恐らく1週間後です。
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