日も昇っていない、月明かりだけが頼りの暗闇の中で鞘を刀に見立てて握り、振るう。豊穣の女主人に居た頃にやっていたように、速さを可能な限り削ぎ落としてゆっくりと動く。やっていることは同じだが、あの時とは身体が別物になっている。
ロキにステイタスを刻まれて発現したスキル【
それでも無駄にはならない。疲れた時の動き方を身体に刷り込ませる事ができる。筋肉や関節だけでは無く、指先まで意識を集中させて身体を動かす。
そうして十数分程経った後に、強張った身体を解す為に大きく息を吐きながらイメージトレーニングを始める。
鞘を構える。闇の中から五人の人影が現れる。
フレイヤ・ファミリアのナイフ使い、剣使い、槍使いの三人。刀を構えたムラマサ・アヤメ。サーベルを抜いたアイズ・ヴァレンシュタイン。俺がこの世界に来て、戦ったことのある相手だ。
まず初めに突貫してきたのはナイフ使い。身体を低く倒しながら間合いに入り込もうとしたのを膝で合わせて迎撃し、仰け反って露出した首を鞘で跳ね飛ばす。
次に前に出たのは剣使い。真っ向からの唐竹割りを半身になって躱し、追撃の切り上げを受け流す。そして残るのは張り切った無防備な姿を晒している剣使い。鞘を寝かせて一歩踏み込んで突きを放ち、肋骨を避けながら心臓を貫く。
そして槍使いが出てくる。俺の間合いに近づくことなく、槍の間合いを保ったままで刺突を放つ。その一撃は鋭く、そして重たい。今の俺では受け止める事は愚か、受け流す事さえ難しい。避けて避けて、埒を明けようと刺突を掻い潜って踏み込めば下の死角から石突きがやって来て顎をかち上げる。そうして動きが鈍ったところに留めを刺されてしまいだ。
何度繰り返したのか忘れてしまうほどに続けたイメージトレーニングを辞め、背後を振り返る。そこにはトレーニングの相手だったナイフ使いと剣使いと槍使い、そして俺の死体が無数に転がっていた。勿論これはイメージであって本物では無い。
そして、死体の山の中にはアヤメとアイズの死体は一つも転がっていなかった。
今の俺では安定して勝てるのは剣使いまでだろう。槍使いと戦った場合、Lv.の差からくる身体能力の差で勝てなくなる。基本的には負けて、良くて相打ちが取れるかどうか。綱渡りを乗り越えて辛勝したとしても、その先に待っているのはアヤメだ。
彼女の抜刀術を一切反応出来ずに、両断されてそれで終いだ。
アイズの前に立てた事など一度もない。
「呵々、なんとまぁ酷い有り様だこと」
思わず渇いた笑いが溢れてしまう。自分でも酷いと思っているのだ。もしも親父や爺が今の俺を見れば、酸欠で死ぬ程に笑うに決まっている。
だが、まぁ、それでも悪くは無いなと思っている。
確かにステイタスを刻まれたせいで俺は弱くなった。慣らしをしたとはいえ息苦しさを感じている事には変わりないし、身体は鉛を身に纏っているのではと思える程に重たい。
しかし、そんな状態だろうが剣は振るう事が出来る。身体能力の低下に伴っていくつか使えない技が出来てしまったが、それでも俺が積み重ねてきた物は確と残っているのだ。
それに弱くなると言う経験をするのはこれが初めてでは無い。地球にいた時には老化による衰えを毎日のように感じていたのだ。一気に失う事の衝撃は堪えたが、少しずつ零れ落ちていくように失っていく事に比べればまだマシだ。
それに希望はある。【
他にやる事など無いし、出来る事もない。何もしないというのは性に合わない。故に剣を振るう。己を磨き、高みへと至る為に。
「ーーーんぁ?」
船を漕いで夢の世界に旅立っていたロキが目を覚ました。いつものようにベッドに横になっていた訳ではなく、机に頬杖をしながら眠っていたので変に身体が凝り固まってしまっている。
その理由は机の上に散らばっている本や羊皮紙ーーー正確には、それらを引っ張り出す事になった蔵人のスキル。
蔵人はステイタスを刻まれると同時にスキルを発現させ、それまでとは比べ物にならない程に弱体化してしまった。
同時に発現していたステイタスを自動更新する【求道者】、本来ならば持つはずのない発展アビリティの【剣聖】など、どれもが見たことも聞いたことも無い物ばかりだったが、その中でも【
効果は発現者の弱体化。それも身体能力だけでは無くて魂さえも制限するという念の入り様だ。
このスキルの効果を知った時、ロキは何故【
簡潔に言えば、漣蔵人という人間があまりにも強過ぎたから。
さて、そんな人間に
それを防ぐ為にスキルという形で蔵人の力を枠組みに納まるように削いだ。
他に前例が無いので仮説の域を出ないが、間違いないと思って良いだろう。説明にある制限の解除の部分も、ランクアップにより枠組みが大きくなったからと解釈すれば得心がいく。
無論、マイナスばかりでは無い。ランクアップした時点で制限が解除されるのならば、その分が上乗せされる筈だ。つまり、全制限が解除された時点で元の蔵人の強さにステイタスの分が追加される事になる。
ロキはそれを蔵人に説明しようとしたが、彼の顔を見て出来なかった。
その時の蔵人の顔はーーー全てを失ったかの様な、酷い顔をしていたから。
その時の顔を、彼が部屋から出て行った後でも忘れる事が出来なかった。なのでロキはファミリアの書庫へと赴き、スキルに関して記されている本をありったけ部屋へと持ち込んで片端から読み散らかした。どうにかしてあのスキルを無くすか、或いは緩和出来ないかと思っての行動だ。
調べて、調べて、思い付いた事を羊皮紙に書き込んで、そして調べてーーー気がつけば寝落ちしていたのだ。
固まった身体を解す為に大きく伸びをし、眠気で働かない頭を必死に起こしながら机の上に散らばっている成果を検分する。何か見落としは無いか、何かヒントは無いか、そう思っていたが、
「……やっぱダメかぁ」
結果は散々な物だった。本に関しては同一どころか類似しているスキルも発見する事が出来ず、羊皮紙に書き込まれている文字はどれもこれも斜線が引っ張ってある。もしかしたら、万が一と思って消されている文字を読んでも効果があるような方法は書かれていなかった。
窓を見てみれば日は昇っていないものの、月は殆ど沈んでいて直に朝が来るだろう。中途半端とはいえ寝たので眠気も感じない。働かせて過ぎて茹だった頭を冷やす為に、彼女は散歩に出る事にした。
誰も起きていない時間なので当たり前なのだが、黄昏の館の中は静かだった。誰もいない通路を一人で独占して歩く事に優越感を覚えながらフラフラとあてもなく歩いていると、人の気配を感じた。
「誰や、こんな時間に……もしかしてアイズたんか?」
中庭の方から感じた気配に、心当たりがあるのはアイズ一人だけだ。彼女は強くなる事に対して異常なまでの執着を見せている。昨日だって彼女を倒した蔵人にどうして強いのかと話を聞きに行ったくらいだ。彼女ならばこんな時間に剣を振っていたとしてもおかしくは無い。
もしそうであれば彼女の胸を揉んでやろうと、親父心丸出しで中庭に向かったロキが目にしたのは、一人の剣餓鬼の姿だった。
「ーーー」
その光景にロキは言葉を失った。何故なら、蔵人の剣を振るう姿があまりにも美しかったのだ。
全身から滝のように汗を流しながら、それでも身体のブレを感じさせる事なく、緩やかに動く姿は鍛錬というよりもまるで舞っているよう。刀では無く鞘を握っているが、彼から放たれる気迫がそれを本物の刀のように錯覚させる。
沈みかけている月明かりに照らされながら舞うように動く様は、神に奉納される御神楽を思わせ、どこか神聖さを感じさせた。
それだけでは止まらない。蔵人が大きく息を吐き、鞘を構えて闇に対峙し、それを速さを元に戻して振るう。ロキの感性、そして蔵人の気迫が合致して、彼女の目にも闇の中に浮かぶ人影が見えた。
人影を相手にして蔵人は鞘を振るう。一人目、二人目と倒す事が出来たが、三人目は踏み込んだところで反撃を食らって負けてしまっていた。
蔵人はその戦いを反芻するようにしばしの間上を見上げると、再び速度を無くして鞘を振るい始めた。
「……あぁ、なんや。自分立ち直っとるやないか」
その時の蔵人の顔を見て、ロキは安堵の溜息をついた。月明かりに照らされて浮かぶ彼の顔には彼女の頭の中にあったような絶望し切った顔は無く、心底楽しそうな笑みがあったから。
何があったのかは分からないが、そんな顔を見せられれば誰だって立ち直ったと分かってしまう。
自分の手を借りる事なく立ち直った事に少しばかり寂しさを感じるが、立ち直ったのなら良しとしよう。そう思い、彼女は中庭の片隅で蔵人の鞘を振るう姿を眺める。
この子なら、きっと元以上の強さを得られると確信して。
ちゃんと理由があって弱体化したんだよ?その事を理解して欲しい。
弱体化が完全解除された暁には元の強さにプラスしてステイタスの恩恵が上乗せされた究極蔵人が誕生するよ!!
一体どれくらいの時間が必要なんだろうねぇ……