「行こう」
「はい」
小さく、そして短く声を掛け合ってベルとヒュームは移動を始める。気配でモンスターの位置が分かる蔵人が居ないが、だからと言って全く分からない訳ではない。極力自分が立てる音を殺し、周囲の音を聞くことに集中する。そうすれば、少なくとも近づいてくる存在を知覚する事は出来る。
地響きの音が遠くへと離れていく。予定通りに蔵人がこの階層に現れたモンスターを引き連れているのだろう。
「クラウドさんは予定通りに行ってるみたいだね」
「急ぎましょう」
焦らず、騒がず、しかし迅速に、上の階層へと続く通路を進む。二人とも蔵人の強さを理解している。だが、それでも彼にやばいと言わせるほどのモンスターの相手が出来る筈がないと考えていた。
ベルは今の蔵人の強さを知っているから。正面からの戦闘に暗殺者の様な奇襲まで幅広く戦える彼の事を先生と呼ぶ程に慕っている。だからこそ、そんな彼をしてやばいと言わせるモンスターは彼よりも強いのだろうと察していた。
ヒュームは前の蔵人の強さを知っているから。入団試験の時にLv.5のアイズを相手にステイタス無しで勝利した彼だが、どういうわけかその翌日には弱体化していた。理由は知らされていないので不明だが、フィンをはじめとした幹部とロキが秘密にして欲しいと頼んだ事から誰もこの件には触れようとしなかった。弱体化してなお自分よりも強いが、それでも彼がやばいと言い切るモンスターと戦おうとしているのだ。心配しない筈がない。
足早に進んでいると、通路にはモンスターの死体が灰化した物が散らばっていた。他の冒険者が倒したのかと思えば、灰の中にはドロップアイテムが紛れている。地上に持ち帰れば高値で売れるドロップアイテムを放置し、魔石だけ持ち去っている。冒険者がそんな事をするとは考えにくい。
「……もしかして、強化種?」
この状況に当てはまり、知識の中にあった単語をベルは呟く。否定してくれれば良かったのにヒュームも同じ結論に至ったらしく、顔を青くしながら急ぐ様にハンドサインを出す。
モンスターが別個体の魔石を摂取した場合、冒険者がステイタスを更新させる様にモンスターの能力は飛躍的に上昇する。そして魔石のもたらす力と全能感に酔ったモンスターは魔石を求め続け、弱肉強食の法則に則る様に強くなっていく。
魔石を摂取し続けて通常の個体よりも強くなったモンスター、それを強化種と呼ぶ。
上層で強化種が発生したという前例は無く、環境的に鑑みても発生するとは思えない。なら、この強化種は下層からやって来たのだろう。そうなれば最悪だ。
蔵人ならばLv.2のモンスターでも戦えるだろう。隙を伺い、デタラメな剣術で敵を斬り裂く姿が容易く想像できる。が、Lv.3のモンスターを倒せるとは思えなかった。出来たとしても死なない様に立ち回るくらいだろう。
早くしなければ蔵人が危ない。早く助けを呼ばなくてはと焦りながらも、自分たちが危険に陥っては本末転倒だと冷静な判断をして安全を確認しながら進む。
そうして、上の階層へと続く階段に辿り着いた。
だが、不幸は続く。
上の階層から極東の衣服を着た冒険者たちが転がり落ちる様に降りて来たのだ。顔色は青く、息は荒いーーーまるで、何かから逃げて来た様ではないか。
「ッ!!あんたら!!逃げろ!!」
リーダーであろう青年が声を荒げながら叫んだ。それだけで二人は危険が迫っている事を察し、魔石を入れる為の物とは別のバックパックに手を伸ばす。
「ヴヴォォォォォーーーッ!!」
極東風のパーティーが降りて来た後にやって来たのはミノタウロス。叫びをあげ、狭い通路を抉るように迫る姿は下位の冒険者ならば恐怖心を煽る。そもそもミノタウロスはここよりも下層のモンスターでLv.2相当だと位置付けられているのだ。上層にいる冒険者では相手にならない。
だからこそ、ベルとヒュームは相手にしないことにした。
バックパックから取り出した球体をミノタウルスの顔に目掛けて投げつける。不意に飛んできたからか、それとも避ける必要は無いと判断したからかは分からないが、ミノタウルスはその球体を顔で受け止めた。
「ヴヴォッ!?ォォォォーーー!!」
球体が砕けて粉塵が舞う。ダメージを受ける要素は無かったはずなのに、ミノタウロスは顔を抑えて暴れ出した。良く見ればミノタウロスの目と鼻からは液体が流れ出している。
「何したんだ!?」
「後で説明するから今は逃げますよ!!」
使用した球体の正体は胡椒と唐辛子を詰め込んだ蔵人お手製の催涙球。既にモンスターに対して実験して通じる事を確認している。Lv.2相当のミノタウロスに通じるか不安だったが、あの様子では効いている様だ。
だが、安心出来ない。今は目と鼻は効いていないが、その内立ち直るのが目に見えている。そうなればミノタウロスは怒り狂ってこちらを殺そうとしてくるだろう。その上、上からは巨大な何かが走る様な足音が嫌に響いている。想像したくは無いが、一番可能性としてあり得るのは他のミノタウロスが存在している事。徐々に大きくなって来ている事から、こちらに向かって来ているのが伺える。
その前に逃げる。上の階層に通じる道は使えなくなり、この階層には恐らくミノタウロスよりも強い敵がいる。残された選択肢は一つだけ。
ベルとヒュームは逃げて来たパーティーを連れて下層に逃げ込む事を決意した。
「……む?」
ベルとヒュームの気配が上へと続く道ではなく、下の階層へと続く通路を進んでいる事に気がつく。彼らの他に人間の気配が複数、そしてミノタウロスと酷似した気配が感じられるので、逃げていた他の冒険者と合流して逃げているのだろう。
だが、それに気がついたところで俺にはどうする事も出来ない。
「ヴヴォォォォォーーー!!」
「うっせぇ!!バーカバーカ!!」
後ろから届くミノタウロスの咆哮に苛立ちを隠さずに罵倒で返し、
他のミノタウロスもベルたちからしてみれば危険なモンスターだろうが、それよりも目の前のミノタウロスの方が明らかに危険だ。強化種だと思われる体格に、人間を生存本能ではなく遊びで甚振る様な強烈な悪意。現に今だって、一定の距離から付かず離れずを保って俺の事を追いかけている。
アレは自分の優位をしっかりと認識している。その気になればいつでも捕まえられると理解しているから、近くは無く遠くもない距離を保つ事で俺の恐怖心を煽ろうとしている。アレにもし人の顔が付いたのなら、間違いなく吐き気を催す程にいやらしい笑みを浮かべているだろうと容易に想像出来る。
その点ではアレには感謝しなくてはならない。余裕ぶって遊びに興じているからこそ俺は逃げ続ける事が出来ているのだ。時に情けなく叫び、時に罵倒を吐きながら、懸命に逃げていると
数分程走り続け、辿り着いた先は拓けた空間。横幅、奥行き、高さが十分に確保された部屋で、ここならばさっきまでの狭い通路よりもまともに戦う事が出来るだろう。
他の出入り口が存在しない点を除けばだが。
この部屋は俺が入ってきた通路以外の出入り口が存在しない。つまり、ここから出るためにはミノタウロスをやり過ごすか殺すしか無くなったわけだ。増援が期待出来ないデメリットがあるが、巻き添えを食わさないで済むというメリットがあるので良しとしよう。
まさに背水の陣だ。いや、水では無くて壁だから背壁の陣と言うべきか。
ナイフを納め、刀と剣を抜く。ここまで走り続けた事で乱れた息を数回の呼吸で元に戻し、迅る精神を抑えつける事に努める。
あのミノタウロスと対峙して、怖いと感じる事は無かった。恐怖心などという下らないものでは無く、喜びと好奇心だけしか湧き上がらなかった。
一眼見ただけで分かる。人間を嬲るというモンスターにあるまじき悪意、上層のモンスターとは比べ物にならない強靭な肉体。身体に残る傷痕は多くの戦いと、それだけの間生きていた事実を示している。
歴戦のモンスターという他ないだろう。下層のモンスターとは比較出来ないだろうが、それでもLv.1の俺よりも強いのは分かる。
嗚呼ーーー是非とも斬りたい。
あの強靭な革を、肉を、骨を斬り裂き、返り血を存分に浴び、俺はお前よりも強いのだと腹の底から叫びたい。アイズやアヤメたちの様な技を競い合う戦いでは無く、生き死にを賭した血が湧き肉踊る様な戦いに興じたい。
ロキやフィン、リヴェリアは間違いなく怒るだろう。そうなったら土下座でも何でもして謝り倒そう。
アヤメは良くやったと笑いながら肩を叩くだろう。その時はどうだ凄いだろうと胸を張って言ってやろう。
オッタルは何と言うだろうか。馬鹿なことをしたなと呆れながら言う姿が簡単に想像出来たので、適当に言いくるめて酒でも奢らせよう。
そして……リオンはどんな反応をしてくれるだろうか。
あぁ、やっぱりと呆れるだろうか?それとも怒って怒鳴るだろうか?はたまた心配したと言って泣きそうになりながら手を伸ばすだろうかーーーいや、最後のは想像出来ない。
しかしどんな反応をするのか気になる。これは死ぬ訳にはいかないなと決意を固め、
真っ二つになった岩が落ちて大きな音を立てるがそれに注意を向けず、視線は通路に固定する。
そこから現れたのはあのミノタウロス。獣臭い息を吐きながらゆっくりと、威風堂々という言葉が似合う立ち振る舞いを見せながら姿を現す。
それだけではない。アレよりも小さいが五頭のミノタウロスを引き連れて現れた。モンスターは群れないなどと聞くがそれは通常の話だ。何事にも例外は存在する。強化種のミノタウロスが率いているのならば、この現象にも納得がいく。
逃げ場は存在せず、前には強化種を含めた六頭のミノタウロス。絶体絶命の窮地としか言えない状況の中でーーー嗤う。
「誓おうーーー鏖殺だ」
絶望の中で嗤う。厚顔に、大胆不敵に、格上を格下だと見下す様に。
「皆悉く斬り刻もう。他ならぬ、俺の殺意で」
「ヴヴォォォォォーーー!!」
強化種が吠える。それに従う様にミノタウロスたちが突進してくる。それに合わせて、俺もその場から動き出した。
ベルくんたちがミノたんの群れに追われてデッドオアアライブな鬼ごっこをしている最中に一人だけ良い空気を吸ってるキチガイがいるらしい。