ロキ。目の前の女性は自分の事をそう名乗った。
ロキという名前でまず先に思い浮かんだのは地球の北欧神話に登場する神の名前だという事。詳しくは分からないが確かラグナロクという出来事の切っ掛けになった神だという事と、その振る舞いからトリックスターと呼ばれていた事は覚えている。厨二病に罹って腕に包帯をグルグル巻きにしていた曽孫だったらもっと詳しく知っていたかもしれないが、全才能を戦闘方面に全振りして後は気持ち程度のキチガイにはこれが限界だろう。ロキという名前を覚えていただけでも驚きである。
渾身のドヤ顔を晒している自称ロキの言葉を時間を掛けて咀嚼しーーー
「ロキ、ロキか……まぁ、神様っていうのなら納得だな」
「ありゃ?そない驚いとらんな?もっと驚いてええんやで?」
「寧ろ神以外だっていうのならそっちの方が驚くわ。そんな中身で人間だって言われても嘘だろってな」
「中身?」
「そうそう、中身が全然違うんだよ。そこのエルフのお嬢ちゃんなら常人よりも優れてる程度だから元いた場所でも見た事がある。でも、あんたはまるで違うんだよ。質とか量とかじゃなくって……格が違うって言えばいいのか?」
「格なぁ……確かに人とウチらとじゃあ同格には比べられへんわなぁ」
俺の説明に納得してくれた様だが、ロキの顔は新しい玩具を与えられた子供の様な笑顔が浮かんでいる。明らかに俺の事をその程度の存在だとしか認識していない。傲慢だと感じたが、不思議と不快だとは感じなかった。なんと言うのか、その傲慢さがロキらしいと自然に納得しているのだ。それは人と神の関係性を考えれば自然な事だろう。
神は人を見下す者だ。日本でも信仰という名の祈りが捧げられれば恵みを齎し、いないものとして扱われれば機嫌を損ねて災害を齎すという伝承が残されている。同じ世界で同じ目線に立っているというのに、彼女は俺たちとは全く別の視点で物事を考えている。
「で、そろそろ自分の名前を教えてくれんか?」
「おっと、悪かったな。俺は
「サザナミ・クランドなぁ……もしかして自分、ニホン言う所の出身か?」
「日本知ってるの?もしかしてこっちの世界にもある?」
「いんや、前に会ったことのある来訪者がそこの出身言うとってな。こっちの極東の文化がそこによぉ似とるって言っとったわ」
流石に日本は無いが、似た文化を辿っている地方があったことに内心で安堵する。異世界に来て、望んでいた日常を送れるのなら帰る気は無いと考えているが、米と醤油と味噌の存在が心配だったのだ。孫や曾孫たちが嵌っていた異世界ファンタジーでは当たり前のように日本と似た文化の国が登場していたが、この世界でも適応されるかは分からなかった。
米と醤油と味噌があるのなら一月休みなしで戦える。
「なぁクラウド、自分はこれからどうするつもりや?」
「どっかのファミリアに入ってダンジョンに潜るつもりでいるけど……どうせ門前払い食らうだろうからバイトしながら気長に探すさ」
「ふーん、オラリオに来たばかりっちゅうんに分かっとるやないか」
「ギルドの紹介があったとしてもはいそうですかって入れる訳ないんだよなぁ……それにこの見た目だろ?手土産の一つでも持って行かないとマトモに取り合ってくれなさそうでな」
「まぁ流石に手土産まではどうか思うけど大体間違っとらんで。ダンジョンを探索する事を主体にしてるファミリアは即戦力を欲しがっとる。
「
「あ〜そこまで詳しく無かったんか〜……しゃーない、ウチが教えたるわ!!」
「キャー!!ロキ様ー!!」
知識というのはあるだけで価値のある物だ。親父と爺からも耳にタコが出来るほどに口うるさく言われていて、戦争中にそれで助かった経験をしているので理解している。流石に全知と呼べるほどの知識を持っているわけでは無いが、それでも常人以上の事を知っているつもりでいる。
しかし、今いるのは異世界。俺の知らない出来事で動いている世界である。勿論向こうで培ってきた知識が活かされる場面はあるのだろうが、それよりも圧倒的に知らないことの方が多いのは明白だ。
故に求める。この世界の知識を、そして常識を。無知が原因で死ぬように、常識に適応出来なければ淘汰されるのは世の常であるのだから。
俺の反応が気に入ったのかロキは上機嫌になりながら饒舌に語り始めた。
曰く、千年程昔に天界と呼ばれる場所に飽きた神々は地上に降りてきた。
曰く、神々は地上の生活を楽しむ為に神同士でルールを定めた。
曰く、全知全能の
曰く、許されたのは
曰く、
そして眷属が積み重ねた
得られるのは人を超越した身体能力、魔法と奇跡。
神が人に開く、神に至る道。
無限に広がる可能性ーーーそれが
そしてさっきロキが口にしていた
「成る程なぁ……冒険者にならないとダンジョンに入れないって言われたけどそれが理由だったのか」
「まぁ他にも細々とした理由はあるんやけど大雑把に言えばそんなところやな。
「いんや、国が違うだけで文化はガラッと変わるんだ。世界が変わりゃあ常識が変わったっておかしくないだろ?」
「そりゃあそうやけど……自分、変わっとる言われたことない?」
「キチガイを他称されて自称してるんだ。変わってるなんて言われ慣れてるよ」
「キチガイ……キチガイかぁ……」
ベッドの上で胡座をかきながらキチガイ発言に対してウンウン唸っているロキを見て笑う。キチガイであることは俺が漣の家に生まれた時から自覚している。でなければあの狂気が渦巻く時代に戦争に参加して、正気で居られるなどあり得ない。
故に笑う。他者からすれば欠点であろうそれを認め、受けいれて、愉快だと大口を開けて笑うのだ。
そうでなくては楽しくない。
そうでなくてはつまらない。
俺が俺であるために、己が異常性を認めた上で愉悦を求め続ける。
それは一種の開き直りだと言っていいだろう。だが、それが俺が生きてきた中で出した答えなのだ。それに俺だけではなくて親父や爺、それよりも前のご先祖様達も似たような答えを出していたと聞いた事がある。
要するに、楽しんだ者勝ちというだけだ。
「そういや自分、どこのファミリアに入りたいとか希望はあるん?」
「どんなファミリアがあるかはまだ調べてないから知らないけど……出来る限り大きい所、上級か中級あたりだな。やっぱり組織の大きさっていうのはそのまま力に繋がる。装備や道具を整えられる資金、そこまで成長するまでに培った知識、長年のダンジョンアタックで得た経験、そこら辺が欲しい」
「ほーん……」
ロキが俺を見る目が変わった。ただ人を見る目付きでは無く、来訪者という物珍しい物を見る目でもない。明らかに、俺という個人に対して興味を持った目だった。
「なぁクラウド、自分ウチが誘ったらウチのファミリアに来るか?」
「……誘ってくれるのならありがたいけど、良いのか?主神の一存で何でも決められるっていうわけじゃないだろ?」
「勿論手放しで受け入れるわけじゃないで?一週間後に入団試験がある。それに推薦してやるっていうだけや。ウチから直接の推薦ともなればどれだけ人が来ようが試験は受けられる。だけど、その分厳しく見られるのは間違いないで」
確かに、主神であるロキからの直々の推薦ともなればファミリアの冒険者達から注目されるだろう。そして試験の際にヘマをすればこの程度だったのかと落胆され易くなるのも理解出来る。普通に試験を受けに来た者達よりも、圧倒的に不利な条件で試験を受ける事になる。
だが、この誘いに乗るしかない。伝もコネも無い俺の前に現れた、冒険者になるチャンスなのだから。
「乗った。その推薦とやら受けてやるよ」
「へぇ、随分思い切った判断やな。もうちっと吟味したりとかせんでええん?」
「他で門前払いされるだろうに、この提案は試験を受けさせてくれるんだ。他のファミリアが良いと思うかもしれないけど受けないに越したことは無いだろう?それに……」
「それに?」
「ロキが自分のファミリアを語る時の顔が良かったからな。あんな物を見せられたらお前のファミリアに入りたいって思っても仕方がないだろ?」
ロキが自分のファミリアの事を語る時の顔は見下すような傲慢なものではなく、見覚えのある親の顔だった。俺が引き取った子供を育てていた時に、そしてその子供が親になった時によく見たことのある顔だった。子供の成長が堪らなく嬉しく、そして子供のことが堪らなく愛おしいというありふれた表情。
そんな物を見せられれば、ロキが心の底から眷属達を思う主神である事は嫌という程に分かってしまう。そして、悪神と呼ばれていた彼女がそんな顔をするようになったファミリアに入りたいと思ってしまうのは仕方のない事だ。
「ーーーはぁ……自分、誑しとか言われたことあらへん?」
「自論だが良い事を教えてやろう。本当に格好の良い男っていうのはな、異性だけじゃなくて同性すら惹かせる奴の事を言うんだよ」
「あぁ、うん。何が言いたいのかはよう分かったけど、縛られて言われても格好つかへんで?」
「クソッ、そういえばそうだった」
縛られる程度では痛みを感じないので忘れていたが、今までずっとロープで縛られた状態で話していたのだ。これではいくらカッコつけたところで滑稽なだけである。
「ねぇエルフのお嬢ちゃん、これ外して良い?」
「……」
「ウチは外してええと思うで。別に下の事は気にしとらんし」
「……わかりました」
エルフのお嬢ちゃんがロープを解こうと近づいてくるが、それを手で制する。折角だから少しだけ面白いものを見せてやる事にした。
「いいか?普通の奴は肩を外す事で隙間を作ってそこから抜け出す。だけど、俺くらいに芸達者になればーーー
身動ぎをしながら肋を外し、元の場所からズラす。そうする事で胴が細くなり、ロープとの間が出来る。後はそこから抜け出せば良いだけだ。
「肋を外すって……どうしたらそんな事が出来るようになるねん」
「俺の親父と爺から教えられたんだよ。今考えると5歳児にこんな事を教えるんだからドン引きだわ」
肋を元の位置に戻しながらはめ直し、はめ忘れが無いかを確かめてから肩をはめ直す。神であるロキは元より、縄抜け対策を知っていたはずのエルフのお嬢ちゃんでさえ肋を外しての縄抜けには頬を引きつらせていた。
「あんたら、まだこんなとこにいたのかい?」
長時間同じ姿勢でいたので固まった身体を解していると、女将がノック無しで扉を開けて入ってきた。ロキとの話に集中していたから気が付かなかったが、下の階からは二階に来るまで聞こえていた喧騒が聞こえない。客が居なくなったのか、閉店になったかのどちらかだろう。
「お、ミア母ちゃん。ごめんな部屋借りて。もう帰るから」
「さっさと帰ってまた明日来な。それとあんた、この部屋使いな。明日は早いから寝坊しないように」
言いたい事だけ言って女将は部屋から出て行った。俺としては採用予定のつもりだったが、女将の中では確定事項だったらしい。
「うーんこの強引さ、確かに母ちゃんだ」
「伊達や酔狂でウチが母ちゃん呼んどる訳やないって分かったやろ?」
ロキの言葉に対して頷きで返すことしか出来なかった。