恋愛はエンターテインメントだと、いつかどこかで聞いたことがある。
恋は駆け引き、恋は罪、恋はまやかし。色んな言葉があるけれど、フィクションに限ってはエンターテインメントという言葉が似合っているような気がする。
エンターテインメントといえば、小説もそれに当てはまるのだろうか?
読んでいた恋愛小説を閉じ、白い天井を見上げる。なんとなく、本の余韻に浸りたくなった。
小さい頃から、物語が好きだった。
役になりきるのが好きだった。
物語の中でいちばん共感できる誰かに、いつの間にか自分がなってしまっていることがしばしばあった。私自身がそのキャラクターに入り込んで、本当に物語中の境遇に立ったような錯覚を覚えることがあった。
たぶん私は、良くも悪くも物語を読むことに真剣になりすぎている。その情熱は中学、高校になっても冷めることなく、今もこうして演劇の高校に通い続けている。
私は、やっぱり物語が好きなんだ。
勉強は苦手だけど、本を読むこともたぶん好きだ。別世界に飛んでいけるとか、新しい知識を得たいとか、自分では想像もつかない綺麗な文を見たいだとか、本を読むにはあまたの理由がある。その中で私があえて理由を挙げるなら、おそらく「知らない気持ちを知っている気分になりたかったから」だ。
目を閉じ、両手で本を抱き寄せる。そういえば、こんなふうに台本を抱きしめたこともあったっけな。と思いながら目を開ける。
目に映るのは勉強机、その上にテキストエディタを開いたままのノートパソコン、右にバナナ型のマウスパッド、左にはたくさんの付箋が貼られたしわくちゃの台本。小説の世界から戻ってきても、私はまた、物語の世界に戻っていくんだ。
「なな、何を読んでたの?」
心がくすぐったくなる声がした。頬が自然と緩む。左方向に顔を向け、小説の表紙を見せる。
「これ。テレビで話題になってたの」
意識した明るい声で答える。視線の先には、椅子に座った紫髪の少女。彼女は興味ありげに「ふぅん」とだけ呟き「今度、読ませて」と微笑んだ。
喉の奥が、キュッと締まった。
星見純那。
同級生でルームメイト。優しい皆の委員長。ひとりぼっちを見つけてくれる人。中央から大きく分け目をずらした特徴的な前髪の眼鏡っ子。色んな表現があるけど、私の主観で表現するなら「好きな人」だ。友達としても、それ以上の存在としても。この恋愛小説を読むきっかけになった人物と言ってもいい。好きだとは、まだ伝えられていないけれど。
そんな私の気持ちなんて知るよしもなく、彼女はじっとこちらを見つめて私の言葉を待っていた。
「今から読んでもいいんだよ?」
できるだけ自然に、フッと笑いかける。純那ちゃんが小説を手に取る。両手で持ってまじまじと表紙を見つめはじめる。
「恋愛小説……かしら?」
いかにもな表紙イラストを見た純那ちゃんが首を傾げる。
「ピンポーン!実話らしいよ?」
先程まで私が読んでいたのは、とある男女の大恋愛を綴った長編ドキュメンタリー小説だ。最近テレビで話題になったものだが、文庫化されているということは、その前に大きなサイズの単行本が存在したはずだ。
だから、話題になりそうなものを先に見つけられなかった悔しさもあって、一気に読み込んだ。キュンとするというより、妻の愛の深さにただただ驚かされるばかりだった。それでも、共感できるところはあるもので。
「大恋愛って、憧れるよねえ」
純那ちゃんの右眉がピクリと動く。『恋愛』という言葉を聞いた瞬間に眉が動いた気がしたけれど、それはきっと私の願望の表れだ。つられたように、ほんのわずかだけ私の右目がピクリと閉じる。軽く閉じた目が再度開き切ったところで、文庫本裏のあらすじをよんだ純那ちゃんが口を開いた。
「そうね。好きな人と離れ離れになるなんて。想像するだけで苦しくなるのに、実際に体験したら、どんな気持ちになるのかしら」
その言葉を聞いて、咄嗟に思った。『私は、想い出を忘れられても好きなままでいられたよ』なんて返したら、純那ちゃんはどう思うんだろうと。どういう顔をして、どういう言葉を返してくれるんだろうと。
純那ちゃんは真面目だから、きっと真剣に受け止めてくれる。『好き』の意味を履き違えても、きっと私の望む言葉をくれる。
だから、言いたくなかった。私が純那ちゃんに甘えていることを自覚してしまったから。
何度も好きになった人に好きと伝える時は、舞台と同じくらい、いやそれ以上に真剣に向き合いたいと思ったから。
一瞬言葉に詰まり、もう一度笑い直す。頬の筋肉が少し固くなっている気がした。
「星を見ている気分なんじゃないかな?自分だけが信じている、自分だけの星を」
もちろん、ここでいう『星』は純那ちゃんを指しているのだけど、当の本人は目を丸くしていた。数秒間硬直が続いたあと、椅子ごと移動して、身を乗り出し私に迫る。
「もっと聞かせて」
真剣な表情だった。新しい知識を得たい、私の考えにもっと触れたい――私を知りたい、そんな表情だった。嬉しさで跳ねる鼓動を聞こえないくらいの一呼吸で落ち着かせる。
「遠くて届かなくても、太陽の光にに隠れて見えなくなっても、自分の星は目の前にあるんだと思う。大切なのは、その星を思う気持ちなのかなって」
せいいっぱいの笑顔で答えた。純那ちゃんは、黙って私の言葉を噛み締めるように聞いていた。
そして一瞬、何かに気づいた素振りをした。目が泳ぎ出し、明らかに動揺しているようだった。こんな純那ちゃんの様子を、私はまだ一度も見たことがない。スマートフォンに手を伸ばしたくなる衝動を抑え、はじめてを目に焼き付ける。
「ねぇ、なな」
純那ちゃんの瞳がもう一度私を捉える。
怯えたような目をしていた。
純那ちゃんは口を開いて、また閉じて、また開いて、閉じて。
俯き、唾を飲んだ。
もう一度こちらに向き直ると、舞台の上に立っているような表情で純那ちゃんが言った。
「好きな人。いたことあるの?」
私は当然、狼狽した。みるみる顔が熱くなっていくのを感じる。それはそうだ。ずっと私が好きだった人は、今目の前にいるのだから。初恋の人はまさにあなたなのだから。
空気を求める金魚のように、パクパクと口を開閉した。二、三回繰り返したところで、口を開ける。
「それは、……れ、れれ恋愛的な意味で?」
私の声には絶妙なビブラートがかかっていた。喉を抑え、咳払いをすると、純那ちゃんはゆっくりと頷いた。
「な、ないよ?」
「嘘ね」
「嘘じゃ、ないよ」
「……私だって、あなたのことを見ているのよ?」
強気だった純那ちゃんは少し眉を下げた。悲しませたのかもしれない。でも本音を言ってしまえば私の方が無事じゃ済まないわけで。
「……恥ずかしいよ……」
脳をフル回転させて、匂わせる程度の回答を導き出す。だけど、脳は既にオーバーヒート寸前だった。
「なおさら、聞きたいわ」
ここぞとばかりに純那ちゃんが詰め寄ってくる。世界で一番好きな顔面が五センチくらいまで近づく。
「……聞きたいの」
世界で一番好きな声が私の鼓膜を揺らす。
「なな」
どんなエメラルドよりも綺麗な緑が揺れる。
トクン、と心臓が跳ね、私はついに冷静さをどこかに吹き飛ばしてしまった。
「……私の、好きな、人は」
そこまで言うと、純那ちゃんが目を見開いた。前のめりだった身体を引き、口に手を当ては顔を背けた。
「………………やっぱり、やめておくわ」
頬も耳も、真っ赤だった。私はそこで、やっと自分を取り戻した。
「そんな顔、初めて見た」
「……見せて、ないだけよ」
大きすぎるため息をつきながら純那ちゃんが答える。
「もっと見せて?」
「見せられないの。……今は」
見たい。見たい。眺めていたい。
顔を押さえる両手を剥がしてでも見たいと思った。
でも、今の私にはそれができない。
純那ちゃんには、純那ちゃんが見せたいと思った顔を私に見せて欲しかったから。純那ちゃんが見せたいと望まない表情を、私のエゴだけで勝手に奪っていいものじゃないと思ったから。
しかし、見たいものは見たい。
だから、私はちょっとだけズルをした。
「純那ちゃんの話も、聞きたいな」
真面目な純那ちゃんが「あっ」と声を上げる。
「そうよね、不公平よね」
動揺というよりは狼狽。なんで今まで気づかなかったんだろうと自分を責めている表情。純那ちゃんの信号機は、わかりやす過ぎるくらいに『恥ずかしい』と『ずるい』が交互に点滅していた。
純那ちゃんが呼吸をするたびに、点滅のスピードが落ちていく。点滅が止まると、『諦め』が色濃く点灯し、深呼吸してまた、『恥ずかしい』が表れた。
こんな純那ちゃんを見るのも初めてだった。
「私、好きな人がいるの」
そう微笑んだ純那ちゃんの表情は、今まで見たどんな彼女よりも綺麗だった。
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