11話後くらいの話で、大場さんが受け気味です
純那ちゃんと身体を重ねる夢を見た。
私の
私だけの純那ちゃんが
私を
私だけを見つめて
私だけを求めている
私は
私はただ受け入れて
抱きしめて
「死んでもいい」
って言いながら純那ちゃんを求めた
「私だけの、なな」
夢の中の純那ちゃんは
この時のためだけに買ったコンタクトレンズを付けて
愛おしそうに私の顔をしっかりと見ながら、
何度も甘いキスをした。
――この甘い時間が、現実になりますように。
「顔青いわよ、なな」
朝目を開けると、純那ちゃんがベッド脇に座って心配そうに私を見ていた。青緑の瞳、ピシッと着た制服、整えて右後方で結んだ紫色の髪。ほんのりと施したベースメイクは大げさ過ぎないくらいに彼女の魅力の解像度を上げている。ほんのりと赤みが差した頬は、チークでも付けたんだろう。夢の中で付けていたコンタクトレンズなんてどこにもなく、いつも通りの黒縁ウェリントン眼鏡を付けていた。
「あ、い、して、る」
そこまで言い終わって私の目は覚めた。夢と現実の狭間でまだフラフラと意識が朦朧としていて、私はまだ純那ちゃんに抱かれているつもりになっていた。夢の中で脱ぎ捨てていたはずのパジャマは、少し乱れているもののすっぽりと私を覆っている。
「寝言。聞いてたわ」
寝言まで言っていたなんて。みるみるうちに頭部から血の気が引いていき、背中の辺りまで降りていって、気配がスウッと消える。軽く頭痛がした。
終わった。
人は、超大な羞恥を前にすると血の気が引くものらしい。
何か言わなきゃ。けれど、口を開いても何も出てこない。いつもなら咄嗟に出てくる冗談が、重い体に引きずられて出てこない。
「私。あなたを我慢させてたのね」
その瞬間、胃の中身が全て出てきそうな吐き気がして、私は口を抑えた。その状態のまま、フルフルと首を横に振る。純那ちゃんは眉を下げて立ち上がり、自分の机に向かう。私は夢から覚めたと自覚して、心がグジュグジュに腐り始めて、汚い気持ちを吐き出す前に急いで口に手を当てた。
「学校、私も休んだから。本当に酷かったら私に言って。私はあなたの恋人なんだから」
荒い呼吸を少しずつ長くしていき、落ち着いたところで三回大きく呼吸をする。いくらか気分がよくなったので、私は上半身だけ起き上がった。
「起きて、大丈夫なの?」
ほんの少しだけ、頷く。
「そう。水、飲めそう?」
もう一度頷く。身体中がカラカラで、無性に水が飲みたかった。けれど口を開く体力もなく、私は頷くだけだった。
「ペットボトルの水なら台所から持ってきてるけど、それでいい?」
コクリ、と頷くと、元々準備していたのか、純那ちゃんは机の上に置いてあったペットボトルを手に立ち上がった。数歩歩いたところでひざまづき、キャップを開けると両手で私にペットボトルを手渡した。
私はその純那ちゃんの手ごと持ち上げ、ペットボトルの口を自分の口に持っていった。地面から二十度くらい倒したところで口内に水が流れ込み、スウッと染み込んでいく。今まで感じたことがないほどその感覚は続き、口の乾きが収まった頃には500ミリリットルペットボトルを飲み干してしまった。
「プハア! ハァ、ハァ……」
純那ちゃんは私が飲み終わったことを確認すると、ラベルをベリベリと剥がした。そして雑巾を絞るようにペットボトルをグシャグシャに潰してゴミ箱に捨てた。
「ありがとう、純那ちゃん……」
息絶え絶えに恋人にお礼を言う。
「いいのよ。これくらい」
息が落ち着いたところで、私は全身ビッショリ濡れていることに気づいた。パジャマに染み付いた液体は少しベタついていて、匂いを嗅いでみるとほんのちょっぴり塩臭かった。
「なな」
甘く名前を呼ばれた瞬間、キュッと上半身を抱き寄せられた。自分の汗の匂いに気を取られていたせいか、全く抱きついて来る気配を感じなかった。制服姿の純那ちゃんの体は冷たくて、私のからだがどれだけ熱くなっているかを文字通り肌で実感した。
「……ごめん。ななが、そこまで溜め込んでたなんて」
溜め込んでたわけじゃない。発散する場所を、タイミング失っていただけだ。それに、たかが夢くらいでこんなにも気分が悪くなるなんて誰も夢にも思わない。
「……たぶん、そうじゃないんだよ」
*
私は、何年もずっと恋をしていた。
けれど、目の前にいる想い人は、一年と半年分の私しか知らない。
私は何年も彼女に恋し続けて、何度も恋し直してきたのに、彼女はその何分の一かの私しか知らない。
それでも。
彼女が何度も私に恋をしていたことなんて、知らなかった。
知らなかった。
知らなかった。
知らなかった。
私は、知らなかった。
私は、第九十九回聖翔祭――私のスタァライトを守るために、私だけのために、何度も、何度も彼女の想いを、トップスタァになりたいという願いさえも打ち砕いて、私だけを守り続けた。
そしてその再演が途切れた今、私は彼女と結ばれている。
こんな都合のいい話はあるだろうか。
いや、ない。あっていいはずがない。
何度も何度も他者の夢を喰らい続けた魔物は、いつか勇者の手によって打ち倒されなければならない。
それがハッピーエンドというものだ。
いや、私はすでに勇者に打ち倒された魔物だ。
運命に誘われるように、ある日突然現れた勇者。
その勇者との約束により、煌めきに目覚めた勇者。
二人の勇者に打ち倒された魔物は、一人の恋する女の子に戻ってしまった。
*
私は、純那ちゃんと身体を重ね合うことを望んでいる反面、それ以上に純那ちゃんと重なり合うことを拒否していた。
その気持ちに気づかないまま付き合いはじめて、当たり前に手を握ってキスをするようになって、身体を重ね合わせる瞬間が現実味を帯びてきたところで、今までの罪が私に牙を剥いた。
再演の度に身体の中で育っていき、新しい生活を迎えた頃に卵の殻が割れた。
フウ、と息をつく。
キュッと抱きしめる力を強めて、恋人に縋りつく。
「私、寝ている時になんて言ってた?」
「……聞かない方が、身のためだと思うわ」
「そっか」
「……ビックリしちゃった。たぶん、ななは夢の中で私と――」
「私も、ビックリしてるよ。まさか、あんな夢を見るなんて」
「……ねえ。キスしても、いいかしら?」
「うん、私からも、お願い」
純那ちゃんは私の両肩を持って、ゆっくりとベッドに寝転ぶよう誘導した。そして私の頭が枕に付いた頃、私の唇に純那ちゃんはキスをした。
今までにない、激しいキスだった。
最初は唇にだけを重ねていたけれど、だんだんと激しくなって、今まで数回しかしたことがないディープキスを始めた。
口内に柔らかいものが侵入して、歯茎、舌、口の奥まで舐め取られた後に息を吸われる。私はその度に純那ちゃんに抱きついて、何かが零れそうな股をキュッと締めるばかり。
息も荒々しくなって、身体も熱くなって、お腹の下がキュンキュンと感じ始めた頃に、純那ちゃんは私の上に飛び乗った。
「ななが、いけないのよ」
上気しきった汗まみれの顔で純那ちゃんが言った。
「純那ちゃん……好き」
精一杯の余裕の笑みを浮かべると、悔しそうな顔をした純那ちゃんが眼鏡を外して、私の首筋に吸い付いた。
首筋はあまり感じないところだと思っていた。
けれど、音を出して吸われる度に、舐められる度に心臓が飛び跳ねてしょうがない。声が勝手にのどの奥から漏れて、その度に純那ちゃんの動きのキレが増していく。
――こんな純那ちゃん、私は知らない。
グイグイと口で私の首を押し上げ、パジャマの下に差し込まれた手の冷たさを感じたところで、私は純那ちゃんの手を止めた。
「純那ちゃん、本当にはじめて?」
純那ちゃんが不満そうにムウ、と声を上げる。
「たくさん、想像していたのよ。本当にたくさん」
上半身を起こした純那ちゃんは照れくさそうに笑った。それからいくらか純那ちゃんが喋っていたけれど、身体が熱くて、心臓の音がうるさくて、声がよく聞こえてこない。やっとのことで聞き出した「初恋」という単語に、私は反応を示した。
「初恋、かぁ……」
ぼんやりとした意識で、そっと呟く。
私は何度、あなたに恋をしたんだろう。
私は何度、あなたの恋を裏切ったのだろう?
ふと泣きたくなって、純那ちゃん越しに天井を見上げた。
「ねえ、なな。今朝はどうして、具合悪そうだったの?」
「――え?」
「慌てて学校に電話したけれど……。昨日は、元気そうだったじゃない」
「私のお腹を触りながら身体の心配をするの、純那ちゃんらしくて、優しいね」
「そっ、それは――!」
純那ちゃんは慌てて、手を引っ込めようと身体を引いた。私は、その手を離さなかった。二秒くらい引き合ったたところで触っていてもいいと理解したのか、上半身を私に覆いかぶせて、ギュッと抱きしめてくれた。
「重いよ」
「……ごめん」
「でも、離れないで」
「……ええ、わかってるわよ」
狭いベッドの上で、ギュウギュウと二人で重なる。その重さが、心を押し縮めている圧力とちょうど同じ重さで。
私の心には、人一人分の重圧しかかかっていなかったんだと理解した。
「私。今までずっと忘れていたんだよ」
「忘れていた?」
「大好きな純那ちゃんの夢を喰らい続けた、あの再演の日々を。だから、私と純那ちゃんと結ばれるのが、本当は怖かったんだって気付いたの」
純那ちゃんはほんの少し身体を起こして、私にキスをした。
「……ここまで私をその気にさせておいて、もう遅いわよ」
「遅いよね。ほんと、私は何をしていたんだろうって思ってる」
「――別れよう、なんて言わないわよね」
「別れないよ。だって、私はスタァライトが大嫌いだから。物語は、ハッピーエンドの方がいい。塔から落ちたフローラだって、下にトランポリンがあって、落ちた勢いのまま塔のてっぺんに戻って欲しいって思うくらい」
「それは、さすがに」
「うん。きれいじゃない。だからせめて、もう一度立ち向かうチャンスがあって欲しい」
「……華恋に、そのチャンスがあってほしいと?」
「今は、私の話をしているんだよ」
「……そうね」
華恋ちゃん、か。
今までずっと相手にすらしていなかった、八人目のメインキャスト。
自分だけの煌めきを秘めているのに、トップスタァを目指さなかった舞台少女。
……私はなんで、あの子に負けちゃったんだろう?
私も、あの子みたいに運命の約束があれば、ずっと前を見続けられたのかな?
「……ななは、何故同じ一年間を繰り返したの?」
起き上がった純那ちゃんが私の頭の両脇に手をついて、私の目を真っ直ぐ見ながら言った。
「結局のところ、私を守るためかな」
純那ちゃんは微笑んだ。
「……素敵よ、なな」
「……どうして?」
「ななには、自分の意思を貫き通すだけの力があるってことだから」
「意思を貫くなんて、そんな大層なものじゃ」
「あなたは、確かに強い意志を持っていたんだと思うわ」
そんなことない、と叫ぼうとすると、純那ちゃんは顔の前で人差し指を立てた。
「私は、あなたが優しいことを知っている」
そのまま私の頬を撫で、また、やさしいキスをした。
「何度も同じ世界を行き来してなお優しさを保っていられるのは、あなた自身の優しさが、再演を繰り返す原動力だったからだと思うの。たとえ、根本的には子供みたいな考えだったとしても、『皆を守りたい』という優しい思いは、否定されていいものじゃない」
プツプツと何かにヒビが入る音が聞こえる。
もうすぐ生まれる、新しい私。
ジタバタと卵の中で暴れまわって、純那ちゃんの前に姿をあらわそうとしている。
否定したくて、否定し続けた、否定したくない私。
純那ちゃんの手を探って、キュッと握った。
「あなたは、何年も皆の煌めきを守り通した、優しい勇者なのよ」
何度も何度も他者の夢を喰らい続けた魔物は、いつか勇者の手によって打ち倒されなければならない。
私は確かに魔物だった。けれど、魔物の存在は同時に、皆を守ることにつながっていた。
私は、舞台の基本を忘れていたんだ。
脚本が変われば、魔物もまた勇者なのだということを。
私の人生の脚本は、私しか書けないのだということを。
「ねえ、純那ちゃん」
「なぁに? なな」
「これからも、私だけの星でいてくれますか?」
「私は、いつでもあなたを迎えに行くわ。高い高い星摘みの塔の、さらにその上から」
ホロリ、と私の頬を新たな星が伝う。
流れる星に願いをかけると、その願いは叶うとずっと昔に誰かが言っていた。
「……キスして」
そっと、二人で目を閉じる。
伝う涙は流星のように、私の願いを叶えたの。
今朝、純那ちゃんと身体を重ねる夢を見た。
私の
私だけの純那ちゃんが
私を
私だけを見つめて
私だけを求めている
私は
私はただ受け入れて
抱きしめて
「死んでもいい」
って言いながら純那ちゃんを求めた
「私だけの、なな」
目の前の純那ちゃんは
いつも通りに黒縁眼鏡を付けて
愛おしそうに私の顔をしっかりと見ながら、
一度だけ、ほんのりとしょっぱいキスをした。
「あ、い、して、る」
――その甘い時間は、まるで夢のようだった。