「ここね……」
クロエは車を降りてサングラスを外す。目の前にはこぢんまりとした一軒家が立っている。まるで人を避けたかのような立地は、この家に住む人物が只者ではないことを明らかにしている。
呼び鈴を鳴らすと、ちょうどノエミのような声で返事が帰ってきた。
「どなたですか?」
「私はクロエ、ここに凄腕のプログラマーがいるという噂を聞いたのだけれど」
「そうですか。しかし残念ながらここには私一人しか暮らしてませんよ」
言葉の裏に早く帰ってくれという意が含まれているのがありありとわかった。
「……はあ、普段ならこんな手は使わないのだけれどね」
クロエはバッグから一枚の紙を取り出す。
「私は一応絵描きをしていてね、こんな絵を描いているのだけど見覚えはないかしら」
「私は絵なんて知らな……え……あ……」
スピーカーから聞こえてくる声が小さくなっていく。そして、人の体くらいの重さのものが倒れた音がした。
「ねえ、大きい音がしたけど大丈夫なの?」
返事は返ってこない。
「これは救命行為だから仕方のないことよ」
クロエはリビングに通じているであろう大きなガラス窓を、車に備え付けの緊急脱出用ハンマーで割る。簡単に砕けたそれの破片に気をつけながら、中に入ると、見覚えのある少女がインターホンの親機の前で倒れていた。
「本当に瓜二つなのね」
倒れている少女を抱えると、リビングのソファへと寝かせる。今頃彼女は夢の中だろう。
ついでにと車にのせてきたノエミもリビングへと移す。二人を横に寝かせてみれば、まるで双子の姉妹のようであった。
「さて、本題に入らないといけないのだけど、銃を下ろしてもらえるかしら?」
「無理だ。お前は何者だ」
身体を扉で隠しながら、男は銃を握る手に力を入れる。
「私?私はクロエ。しがない絵描きよ」
「その子をどうやってシャットダウンさせたんだ」
「……知らないわよ。インターホン越しに倒れる音が聞こえたから急いで入ってきただけよ?ガラス代は弁償するから許してくれないかしら」
「嘘だな。あんたは明らかに彼女が人形であることを知っていた」
「降参よ。私は争いに来たわけじゃないの。本来の目的の話をさせてちょうだい」
「本来の目的?」
「ええ、私は襲撃しに来たわけじゃないの。むしろ助けをかりにきたのよ」
「助け?もしかして人形のことか?」
「ええ」
男が銃を下ろしたのを見てクロエは上げていた手を下ろした。
「この子、突然動かなくなっちゃったのよ。これを見たあとにね」
男はクロエの差し出した写真を見た。
「幼い頃のあんたの写真か?これとなんの関係が」
「そうね……まずはあなたの彼女を眠らせたタネの話からしましょうか」
そう言って差し出したのは戦場の様子が描かれた絵の写る、一枚の写真だった。
「絵描きっていうのは本当のようだが……この絵となんの関係が?」
「わからないの。ただあの子ったら絵を見るたびに不調になっていくの」
「そんな不確定なものを9に使ったのか!」
「大声を出さないで、彼女が夢から目覚めてしまうわ」
「夢?人形が夢を見ないというのを知らないのか?」
「知ってるわよ。だからこそ、今彼女には夢の世界を楽しんでほしいのよ」
男は受け取った絵をまじまじと見つめる。
「確かに絵は上手い、だがそれだけだぞ?」
「言ったでしょう?私にもどうしてこう作用するのかわからないの」
「……わかった。ただし彼女が起きて無事が確認できてからだ」
「ふーん、大事に思っているのね。でも恋愛感情というよりは……背中を預けた相棒のような」
「詮索するはやめてくれ」
男は端末を開き、なにかをタイピングし始める。
「これ借りるぞ」
クロエの絵をとりスキャナに通すと、再び端末に向き合い、難しい顔をする。
「なんだこの解析結果は……こんな偶然が?」
「なにかわかったのかしら?」
男はしばらく悩んだ様子をみせる。
「あんたの絵は危険だ。それこそ世界が揺らぐ程にな」
「どういうこと?」
「簡単に言うとだな、この絵を人形が見たときにある図形を見つけるんだが……その図形がどういうことやら偶然システムの穴を付いてやがるんだ。その図形は人形の保護されたプログラムを容易く書き換え、その変更に耐えられなくなったプログラムが自動的にスリープモードに移行して変更処理を優先実行しているみたいだ」
「偶然の出来事っていうわけ?でもこの絵以外にもノエミは……」
「それはもう才能の域だろうな。あんたの絵には人形で成り立っている現代社会を崩しかねない力があるということだ」
「でも私の絵は世の中に結構出回っているとは思うのだけど」
「人形が突然夢を見るようになったと言って信じる人間はいないさ。それにそんなことを言えば壊れたと思われかねないから言わない人形が大半だろう」
「そんな偶然が折り重なることなんてあり得るのかしら」
「ありえてしまってるから困っているんだろう?あんたの絵は人形にとっての特効薬だ、このことが知れ渡ったら大変なことになるぞ。最悪あんた一人のために戦争が起きる。しかも人間同士が直に戦うレベルのな」
「私一人のせいで……?」
クロエは椅子に座り込む。頭に思い浮かぶのは戦場に居た頃の記憶だ。自分の絵があの状況を引き起こすとなれば、彼女にできる選択は限られてくる。
「私は――」
「死んだほうが良いなんていわないでよね?」
「ひっ!」
突然耳元から声がしてクロエは飛び上がる。聞き慣れたはずである声だったが、どこか違和感がある。
「さっきは素敵な時間をありがとう、クロエさん」
「えっと……9でよかったかしら」
「うん、私はUMP9。どうやらダミーの一人がお世話になってるみたいだね、保護してくれてありがとう」
「ど、どういたしまして」
「9、話はそれくらいにして二階に行くぞ」
「ん、なに?」
「システムチェックをする。それがその子を救う条件だ」
「私は大丈夫だよ?だからあの子を――」
「駄目だ」
「……はーい。クロエさん、ちょっと待っててね」
二人が階段を上がっていく様子を見ながらクロエはノエミの側へと座る。まだ苦しそうにしており、その顔をそっと撫でる。
しばらくすると男が降りてくる。その後ろからは顔を赤らめた9がついてきている。
「ちょっと9に何したのよ」
「ただ夢の内容を聞いただけだ。それよりその子を上に運ぶ」
「いえいいわ、私が運ぶから」
軽々とノエミを持ち上げたクロエをみて、男はどこか複雑そうな表情を浮かべながら上の階へと案内した。
案内された部屋は普通の部屋だった。一つ言うのであれば、置いてある端末が一般よりも大きいことであるくらいだ。
「それじゃあ接続ケーブルを差してくれ」
男から差し出されたケーブルを、ノエミの首へと繋ぐ。接続によって処理内容が強制的に切り替わり、ひとまずノエミの表情は和らいだ。
「それじゃあ始めるが、時間がかかるぞ」
それは気遣いのつもりだったのだろう。しかしクロエはこの場にいることを選択した。
「ええ、ここで見ているわ。始めて」