【DQⅪ】Quod Erat Demonstrandum【グレイグ&ホメロス】   作:千葉 仁史

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本編(真エンディング)より三年後のグレイグが主人公で、亡き親友のホメロスの部下で『Judas』と呼ばれた男(Guy called Judas)とお話するというもの。

この第二話より捏造設定+捏造部下が登場。
第一話が「亡くなったホメロスが親友を案じて幽霊になってまで助言している」とグレイグが思っているという内容から一転して一気にシリアスに突入。

※ホメロスは亡くなっているので、グレイグの回想でしか登場しない。
※終始、勇者は出てこないが、彼はうっかりさん設定。

→後書きに解説あり。だが、解説を飛ばして次の話を読んでも構わない。


第二話 Guy called Judas(ユダと呼ばれた男)

 ホメロスの亡霊を見るようになって半年が経った。

 グレイグはクレイモランの国事に誘われ、吹雪舞う雪国へ来ていた。話題は最近のデルカダールの軍隊の活躍に移り、グレイグは此処でも文武両道と褒め讃えられた。そしてシャール女王の隣に立つリーズレットから、国政は落ち着いたというのに結婚はいつするのだ、と急かされて頬を赤くするマルティナを見て、グレイグも照れ臭くなる。そして、平和になった世界の情勢を語り、ほんの少しグレイグはホメロスのことを語った。オカルトすぎる幽霊の話は誰にもしなかったが、英雄が故人を懐かしみ、どうして裏切ったのかと嘆くのは常のことであった。

 

「年を取ると、過去の話をしたがるものです」

 

 そう笑うと、次にグレイグは女王の幼い頃のお転婆エピソードに入るものだから、マルティナは毎回「もう昔のことでしょ!」と肘鉄を与えるのだった。

 

 国事が終わるとグレイグは宛がわれた部屋に戻らず、クレイモラン内の場末のバーへ足を運んでいた。顔見知りが多いとはいえ、やはり厳かなイベントは苦手だ。アルコール度数の高い酒を飲むと、凍えた身体が内側から暖まっていく。蜂蜜が流れる速度でピアノの音色が響き渡るオレンジ色の仄かな照明のなか、人々は各々に夢中で英雄グレイグが来ていることに誰一人気付いていない。おかげで元帥は静かに疲れを癒すように一人でカウンター酒を楽しむことができた。

 

 ドアベルが鳴った。白いフードを被った男がグレイグより一席開けてカウンター席に座る。男はグレイグが飲んでいるものと同じものをマスターに頼み、運ばれてきたグラスを慣れた様子で飲んでいく。あれほど度の強い飲み物を咽もせずに飲む様子に、グレイグはこの男が雪国出身であることを察した。マスターに注意されたのか、男がフードを外した。途端、細々とした灯りにすら反射するブロンドが表れ、男の背を馬の尾のように流れ落ちる。それと同時に、花か果物の香水でもしていたのか、すっとした香りが漂った。髭の無い三十過ぎの整った顔立ちに、赤いピアスとそれと同じ色の髪留めが映える。垂らしていた右前髪を掻き揚げた後、開けた瞼の下には赤紫色の、世にも気味の悪い眼球が収まっていた。

 

「ジューダス! お前、ユダか! まだ生きていたのか!」

 

 久方ぶりに見た顔にグレイグが声を上げる。赤紫色の瞳を持つ男はグレイグを見ると、驚いたように目を細め、「元帥」と呼んだのだった。

 

 ジューダスは生前ホメロス率いる海軍の副官四人衆の一人であり、その中で一番若い男であった。軍略を得意とし、常にホメロスの傍にいた男だが、今も昔も此奴を『ジューダス』と呼ぶ者は滅多にいない。誰もが通称である『ユダ』と呼ぶ。何故なら、この男は根っからの『狂信者』だったからだ。

 

 今から十三年前、十八の頃にジューダスは陸軍から海軍へ移った。デルカダールでは新米兵士は陸か海か配属された二年後に異動届が出せる仕組みになっている。ジューダスは十六に仕官しており、陸軍から海軍へ移動するという物珍しい、たった一人の異動者であった。この季節になると、沢山の異動者に悩まされるグレイグは面接に手が回らず、副官任せになっていたが――最もなんだかんだ言って全員異動者を受け入れてしまうのがグレイグの常だった――ホメロスはたった一人だったため直々に面接し、異動を認めたという。

 

 ホメロスは彼の名を聞いた際、「ジューダス、長い名だな。戦場では短い名の方が呼びやすい。これからユダと名乗れ」と言ったらしい。『ユダ』なんて裏切り者の名前を付けるとは、と誰もが激怒してもおかしくないというのにジューダスはこう言っただけだった。

 

「では、今日より私めは貴方様のユダでございます」

 

 与えられた名に感謝の意を込めて膝を折るジューダスことユダの姿を、ホメロスは大層お気に召し、そのまま傍仕えにしてしまった。ホメロスの気も分からなければ、ユダの気も分からない不気味なエピソードである。

 

 ところで、このユダという男だが、かなりのミーハー気質で、光の当たりようによってはオレンジ色に見える金髪を伸ばし、武器を二刀流へ変え、赤いマントとピアスと髪留めを身に着け、歩くときは背筋を真っすぐ立てて歩いていた。あまりにもあからさまにホメロスに似せた立ち振る舞いに海軍副官の一人フランシスが「何故そこまで?」と訊いたところ、ユダはこう答えたそうだ。

 

「あの方と同じ姿で、あの方と同じ仕草でいたら、ホメロス様と同じ思考回路になれるかもしれないので」

 

 鳥肌が立つレベルの話だ。正直に言うと、グレイグはこの時からユダが苦手だった。シソの葉を煮詰めたような赤紫色の瞳が更に彼の存在を気味悪くさせた。お前は気味が悪くないのか、とグレイグは一度ホメロスに訊いたことがあったが、彼は「可愛いものじゃないか」と一笑しただけで止めもしなかった。

 

 これだけでもお腹がいっぱいになのに、ユダが『狂信者』と呼ばれるように至った逸話がある。

 

 ユダが海軍に移って五年経ったか経たないかぐらいのことだ。グレイグの部下である陸軍副官たるパウロに掴み掛って大喧嘩を起こしたことがあった。当時、ユダは二十代前半、階位は海軍将校の“鞄持ち”というしがない海兵であり、対してパウロはグレイグより年上の四十代のガタイの良い戦士で、陸軍将軍の次のクラスに当たる陸軍の副官であった。だというのに、二回りも違ううえ、階級差のある屈強の戦士を彼は殴り付け、大立ち回りを演じたのだ。この狂犬を抑えつけるのに海軍副官が三人掛かりだったというのだから驚きの話である。

 無論、ユダとパウロの二人は謹慎処分となった。争いのきっかけは実に下らないことで、常にホメロスの傍にいるユダをパウロが「小姓か」と揶揄したことが発端だった。懸想する上司との夜はどうだ? と言い切る前に無防備なパウロの頬をユダは勢いよく、そして躊躇なく殴り飛ばしたという。人伝になるが、海軍副官たるフランシス・メーベ・アウグスト三人によって、ホメロスの前に連れられて尚、ユダは未だ興奮冷めやらぬ様子だったらしい。その時、そんなユダを見兼ねて、ホメロスはこう話し掛けたそうだ。

 

「ユダ、お前が血気盛んな若者とはいえ、どうしてこんなことをした。私を馬鹿にされたからか」

 

「それもございます」

 

「それも、とは?」

 

「あのパウロという男は、私のホメロス様に対する『純然たる忠義心』を侮辱したのです。このユダがホメロス様にかような下賤な感情を抱いていると邪推する男にどうして我慢ができましょうか」

 

 時折拳を揺らしながら語るユダに、ホメロスはすっと目を細めると芝居がかった口調でこう尋ねた。

 

「全くお前は仕方のない奴だ。ユダ、どうやったら機嫌を治してくれる?」

 

 この言葉にユダは何かを察したのだろう、「虎の髭に触らせて頂ければ」と答えた。ホメロスは演技っぽく自身の髭の生えていない顎を撫でてから言った。

 

「生憎、私は髭を生やしていない。代わりに髪はどうだ?」

 

 勿体なくございます、と恐縮するユダにホメロスは近寄り、その自身の金髪を触らせたという。敬愛する上司の髪に触れたユダはうっとりとした表情でこう言ったそうだ。

 

「天上人の髪に触れることができました」

 

 なんとも、ぞっとする逸話である。恐らくその場にいた副官三人もドン引きしたことだろう。第一、この話をホメロスから聞いたグレイグですら顔の引き攣りを止めることが出来なかった。

 

 かくして、ユダは城中の者から『狂信者』と呼ばれるようになった。だが、本人は全く気にしておらず、むしろ狂信者と呼ばれることに気を良くしている風だった。そんな男を傍に置くどころか、とうとう副官四人衆に引き入れたホメロスの気がグレイグにはさっぱり分からなかった。

 

 そんな狂信者ユダがホメロスの裏切りに全く加担していないことは誠に意外なことであった。広間に集結した王侯貴族・兵たちの前でホメロスの裏切りと死を知らせた瞬間、大声で泣き崩れたのがユダだった。その悲しみようが演技ではないことは誰の目にも明らかであった。他の海軍副官のように――フランシスのように貴族に掴み掛ることもせず、メーベのように茫然と立ち尽くす訳でもなく、アウグストのように唇を噛み締めたまま身動ぎもしなかったということもなく、わぁわぁと幼子のように泣き喚いていた。

 

「どうして……私はあの方の……」

 

 どうしてホメロスは魔に落ちたのか、グレイグと同じ気持ちを抱いていたのだろう。頻りにそう嘆く男の姿は親に捨てられた哀れな子供のようでもあった。この時、ユダは二十八歳。ホメロスに仕えて十年目の節目の年であった。

 

 性格・気質は『あれ』だったが、ユダはホメロスから直に海のタクティクスを習った優秀な軍略家だった。そのため慰留されたが、そのままふらっと国から出て行ってしまい、デルカダールに姿を現すことはメーベ同様に二度となかった。

 

 その後音沙汰を聞かず、てっきりフランシスのようにユダも亡くなったとばかり思いこんでいた。しかし、今こうしてクレイモランの場末のバーで生きて出会えたことに、グレイグは苦手だったことも忘れて感慨に耽り、アルコールが入っていたのもあり、思わず話し掛けた次第だった。

 

「まさか此処で会うとはな」

 

 そんな台詞から始まった会話は殆どグレイグが話すばかりであった。陛下は、姫は、と国への忠義心をデルカダールの元帥が語るなか、その軍を辞めたユダは黙って酒を飲んでいた。グレイグはユダが優秀な軍略家かつ狂信者であることしか知らない。ただホメロスに気に入られ、副官四人衆では一番の年下なこともあり可愛がられていたらしい、ということは耳にしたことがあった。

 もうあれから三年の月日が経った。三十九歳となった英雄は、三十一歳となった男の旋毛を見ながら時の流れを感じた。酒による気持ちよさから微睡むような感傷に引っ張られる。氷だけとなったグラスを覗き込むばかりになったユダにグレイグは問い掛けていた。

 

「なぁ、俺にも分らんのだ。どうして親友たるホメロスが魔に落ちたのか。何故、あのような裏切りをしたのか。ユダ、お前もそう思うだろう。お前も俺と同じ気持ちならば」

 

 椅子から立ち上がる音がした。何処へ向けていたか自分でも分からない視線を音がした方へ戻すと、それはユダが立ち上がった音だった。ピアノのメロディがする。まだ誰もグレイグたちに気付いていない。

 

「元帥閣下、半年前の魔物を岩道に誘導しての迎撃についてですが」

 

「ああ、あれか。あれはなぁ……」

 

 ようやく口を聞いたと思えば過去の征伐戦のことだった。なんとも軍略家のユダらしい、とグレイグは心密かに笑った。よもやホメロスの亡霊が出てきて教えてくれた、なんて言えず、元帥は頭を掻く。でもユダには言ってもいいかもしれない、と口を開くよりも先に狂信者は口火を切っていた。

 

「あの内容はホメロス様が七年前に貴方様に進言した作戦です」

 

 ユダの言葉にグレイグの動きが止まった。何故なら、あんな作戦で自分が動いたことがないからだ。

 

「デルカダールの都督が『連環の計』と呼んでいた策略は、十年前に軍記ものかぶれの世間知らず貴族が提案したものです」

 

「待て、ユダ。俺は知らんぞ、そんなことがそんな昔にあったことなんて」

 

「当然でございましょう。『連環の計』という、あんな児戯以下の策略、軍議が始まる前にホメロス様が切り捨てましたから。誘導迎撃につきましては貴方様が台無しにしたのですから、覚えているはずもございません」

 

「ユダ、お前は何を言って……」

 

「被害を最小限に抑える策略を、そんな貴方の訴えに対してあの方は一番適した作戦を提示しました。なのに、貴方は自身の武功を優先して単騎突撃し、自ら隊列を崩し、白兵戦へ雪崩れ込み、作戦は立ち消えた。あの時は対悪魔の子のため士気が高い時でしたから今ほど被害は出ませんでしたが、グレイグ元帥閣下のご活躍を間近に見れた兵士は色めき立ち、軍略などやはりいらぬとせせら笑い、作戦失敗による被害の責任はホメロス様へ押し付けた。……貴様自ら望んで台無しにしたというのにな!」

 

 ユダの瞳には憤怒と憎悪の赤紫色の焔が宿っていた。今更になって、グレイグはユダが狂信者なだけでなく激情家だということを思い出した。

 

「知略を踏み躙られ、怒りで震えるホメロス様の肩を、汚れる必要のなかった小手で叩きながら、貴様はあの方の顔を見ることなく何て言ったか覚えているか! 『自分が動いた方が早いと思った』とな。この作戦だけでなく、何度貴様は台無しにしたか! 作戦のさの字も理解できぬ阿呆な陸軍に、ホメロス様が策略を授けたのは、それが最後になった」

 

 グレイグはユダの怒りの行方を探そうとした。だが、彼の言うことにまるで思い当たる節がないのだ。

 

「その策を今更になって貴様は己が智勇兼備であるかのように使役し、完遂してみせた。魔王が倒されたことで、当時よりも遥かに士気も練度も落ちた兵士を使ってな! この事実こそが、あの時出来るのに貴様が敢えて成功させなかった何よりの証拠よ! 愚物め、貴様は生前だけでなく、死してなおホメロス様を貶めたいようだな。あの方から尊厳や歴史を奪い取るに足らず、軍師という肩書すら剥ぎ取ろうというのか!」

 

「尊厳も歴史も……? ユダ、落ち着け。何を言って――」

 

「三ヶ月に刊行した英雄譚という名の史書! 知らぬとは言わせんぞ!」

 

 どうして今、史書がでてくるのだろう。全く関係ない話では? 狂信者と呼ばれただけに話題が安定しないユダにグレイグは会話についていくことが出来なかった。だが、グレイグ自身を侮辱していることだけは分かっていた。

 

「口を慎め。ユダ、これは命令だ」

 

「命令? 抜かせ、暗愚め。俺が仕える方は――この熱い忠義心を捧げる方はホメロス様ただ一人よ」

 

 絡み酒というのに、きっぱりとした物言いにグレイグは「主が死してなお、思い続けるか。まさしく狂信者……いや、狂人だな」と心の内で感嘆する。そのあまりにも熱狂的なユダに、ついグレイグはこんな科白を漏らしていた。

 

「何故、その熱い心をデルカダールへ捧げなかった?」

 

「鳥頭め、兵の皆が皆、国へ忠義を捧げていると思っているのか? ならば何故、ホメロス様が率いる海軍から貴様率いる陸軍への異動者が多かったと思う? 国への忠義を捧げるならば何処でも働けるだろうに」

 

「海より陸の方が戦いやすいだけだろう?」

 

 あちこち飛躍するユダの話題に、グレイグは首を捻りながらそう答えた。元々気が狂った男であったが、ホメロスが亡くなったことで更にそれが加速したらしい。もしこの場に部下がいたなら、狂人相手に真面目に答える方が馬鹿馬鹿しいと言われると思ったが、これが自分の性分なのだから仕方ないと自評する。そして、せっかく回答したというのにユダが「相変わらず貴様はめでたい頭の持ち主だな」と溢すものだから、グレイグは溜息を吐きたくなった。

 

「ユダ、いい加減、俺に絡むのはよせ。酒に酔ったのであろう、みっともないぞ」

 

「クレイモランで研鑽を積んだこともあるこの俺が、この程度の酒で酔うものか。そんなにもこのユダの存在が嫌なら普段から酷使している権力を使って俺を消せばいい。……世界を救ったグレイグ元帥閣下、貴方様の権力を使えば、こんな矮小な存在の私めを消すことなんて容易くできましょうぞ。ご自身の手を汚すことなく、ね」

 

「何を馬鹿なことを。権力を私利私欲で使う訳がなかろう」

 

 急に慇懃無礼な態度を取り始めた狂人にグレイグはとうとう溜息を吐いた。さて、どうやってこの酔っぱらいを追っ払うか。せっかくの酔いが醒めてしまったことをいいことにそう考えるグレイグに、ユダは「猿山の大将が何をほざく」と唾棄するように呟いた。

 

「では、そうでないならば、お一つ伺いましょう。三年前のことです。何ゆえ、貴方様はホメロス様の裏切りと死を王侯貴族・兵士の集まる場で知らせたのです? ホメロス様が魔の物に仕えていた以上、海軍全体がそうではないという確証はないから疑うのは当然のことでしょう。しかし、貴方様は詳しく調べることなく、一斉に全員に伝えた。……あの瞬間、何も知らなかった我々はあの方が裏切っていたという事実だけでなく、既に亡くなったことに打ちのめされた。おかげで激情したフランシスは貴族に掴み掛ったせいで幽閉され、そのまま獄死した。海軍の切り込み隊長たる男がこんな惨めな最期を遂げることになるとは……っ! メーベもそうだ! 彼奴も国を飛び出して、それっきりよ。貴様の浅はかな思慮によって勇敢な海の男が二人も死んだのだ!」

 

 とんだ言いがかりだと思った。まるで二人の死を自身のせいにされ、グレイグは咄嗟に言い返していた。

 

「それはホメロスが裏切ったからだ!」

 

「正論たる暴力を奮うのがそんなに愉快か、蒙昧の輩め! では何故、陸軍海軍の混合軍にした?」

 

「海軍が魔に堕としたホメロスの影響を受けているかもしれないから陸軍に編入したまでだ」

 

「その結果、ホメロス様に仕えていた海軍は陸軍の奴隷と化したではないか! ただでさえ、陸軍と海軍の仲は悪かったからな、裏切者の海軍の兵士を、救世主たる勇者を支えた英雄を将に持つ陸軍の兵士がどのように扱うか、想像できなかったとは言わせまいぞ。貴様の愚行はそれだけではない! 海軍には海軍にしかない役割がある! それを一切合切無視して何ゆえ陸軍の兵にした! 砲撃手が、航海士が、剣を持って前線に立てると貴様は本気でそう思っているのか! それだけでなく、貴様は陸軍に取り込んだ海兵を敢えて激戦地に送った! 死ぬような陣形を強要した! 援軍も来ない配置にした! 陸兵にそうするよう認めた! おかげで海兵は死に、生き残ったアウグスト達の心は死んだ。貴様はそんなにも我々海兵が憎かったのか!」

 

「ユダ、いったい何を訳の分からないことを言っているんだ?」

 

「愚図め、此処で開口一番に俺に言ったことを忘れたとは言わせんぞ。貴様は『まだ生きていたのか!』と言ったのだぞ! ……グレイグ元帥、余程残念だったとお見受けしますよ――海軍であったこの俺が生きていた事実に、ね!」

 

(それはお前が……狂信者とまで呼ばれていたのに、ホメロスの後を追わなかったからだ)

 

 怒り上戸よろしく意味不明なことを滾るままに喋る狂人に、グレイグは額に手を当てながら冷静に「意外とユダは薄情なのかもしれない」という結論に思い立った。いっそのこと殴って昏倒させてあげた方がいいのではないか、という案もちらほら頭に浮かんだ。

 

「ユダ、悪酔いし過ぎだ。だからそんな無茶苦茶な妄想に駆られるのだ。良く分からんが、国と陛下と親友を裏切ったホメロスがそもそもの発端ではないか?」

 

「貴様とホメロス様が親友だと? 嘯くな!」

 

 間髪入れずに一蹴される。場末のバーの明かりに煌めいたのは果たしてユダの赤紫色の瞳か、それとも彼のブロンドか、赤いピアスか。絶対的な否定にグレイグは思わず顔を顰めてしまった。

 

「ユダ、俺と彼奴の仲を否定するのは許さんぞ」

 

「それならば何故、あの方は貴様に何も言わなかった? 魔に落ちるというのは相当の覚悟がいるもの。それをどうしてホメロス様は何も貴様に伝えなかった?」

 

「それはウルノーガに操られて――」

 

「愚鈍め、貴様は本当にそう思っているのか?」

 

 ユダの台詞にグレイグは引っ掛かりを覚えた。

 

「まさか、お前、本当はホメロスが魔に落ちていたのを知っていたのではないか?」

 

 グレイグのその台詞にユダの瞳の焔が更に激しく燃え上がるのを見えた。逆巻く激情に身を焦がしながら、狂信者は叫んだ。

 

「とんだ愚弄だな、元帥閣下! もし知っていれば、俺はこの世にいない。俺の命はあの方のためにあった。あの方の代わりに斬られるための肉体であり、あの方のために死ぬ魂だった! ……だが、あの方が亡くなった今、俺には生きる大義もなければ、死さえ意味がない」

 

 ユダが目を伏せた須臾、彼の瞳から燐光のように灰が舞ったような気がした。

 

「俺が判ったのは貴様の口から、あの方の裏切りと死を知らされたときだ。理由も時期も総て閃くように判った。あの方の姿や仕草を真似ていれば、きっとあの方の思考回路が理解できると思っていたが、まさか亡くなったことを知った瞬間に理解できるようになるとは、とんだ皮肉だ」

 

 ホメロスの裏切りと死を知らされたことで、海軍将校が魔に落ちた理由も時期も瞬時に理解したというユダにグレイグは訝し気な視線を向けた。あのとき、英雄は淡々と結果だけ伝えたのだ。理由は言っていないし、親友たるグレイグすら知らないのに分かるはずがない。

 

「ユダ、それこそ嘘――妄想だろう。覚えてないだろうが、あの時お前はこう言っていたではないか、『どうして……私はあの方の……』と。どうしてホメロスが裏切ったか分らぬと俺同様に嘆いて――」

 

「ほざくな!」

 

 ユダの唇から鉈で叩き割るように発せられる言葉に、グレイグは頭が痛くなるのを感じた。グレイグの話を端から真面に聞こうとしない男相手では、まるで会話にならない、と英雄は思った。

 

「俺は『どうして、私はあの方の心の変化に気付かなかった』と自問自答し、自責していたのだ! このユダの忠義心が足りなかったのかと、どうして届かせることが出来なかったのか、とそればかり考えていた! 言って下されば、気付いていれば、このユダ、行き着く先が地獄の底だろうとも絶対にあの方についていったというのに! それを『どうして裏切ったのだろうな』とほざく能天気な貴様と同じ気持ちだと! とんだ侮辱だ! とんだ屈辱だ! ホメロス様の気持ちを何一つ理解できなかった貴様に言われる筋合いなど微塵もない!」

 

「たかが十年しか付き合いのないお前こそ何が分かるものか。俺とホメロスは三十年の付き合いだったんだぞ。俺は彼奴の幼い頃から知っている」

 

「それなのに、あの方の心の内を知らぬと? 心の内を教えて貰えなかったと? それでは、まるで顔の見知った赤の他人ではありませんか。それとも、パンデルフォンには長年顔を見慣れた者を親友と呼ぶ風習でもあるのでしょうか」

 

 憤懣を織り交ぜながら恍惚にユダが笑う。その嘲りを今度はグレイグが打った斬るように発言した。

 

「彼奴は親友だ。裏切られても、その事実は変わらない」

 

「ええ、そうでしょうとも、お優しい英雄殿。だから貴方様は何時でも何処でもあの方を引き合いに出す、生前はあの方のことを歯牙にも掛けなかったというのに。死人に口なしとは言うが、全く都合のいい口を持っていらっしゃいますな」

 

「訳の分からない、悪意のある言い方は止せ」

 

「今更止まらぬよ、私の口は」

 

 狂人が垂れ下がった右前髪を掻き揚げると、赤紫色の双眼がグレイグを射抜いた。

 

「貴様は自分の立場を本当の意味で理解していない。いや、理解していないからこそ出来るのか、貴様は昔から無意識のうちに自分の思い通りにする天才であったからな。真実か嘘かなんてどうでもいい、英雄グレイグが口にすれば、態度に示せば、その情報は真になり、民草の同情を呼ぶのだ」

 

 小難しい話になったため、グレイグは眉を顰めた。昔からこの手の話は苦手なのだ。言葉を挟む間すらグレイグに与えずに、ユダは板に水を流すように喋り続けた。

 

「生前、ホメロス様にとってはこの世は地獄であった。そして今尚、あの方は地獄の底で苦しみ続けている。本当は今すぐにでも泉下へ赴き、私が唯一使えるべき御方ホメロス様の前で膝を折りたい。だが、私が後を追えば、地獄があることの証明になってしまう。どうして、この世で苦しんだというのに、あの世でも苦しまなければならないのだ。だから私は後を追わない。死ねば『無』だ、地獄なんて存在しない。私が死んだところであの方には会えず、意味のない『無』になるだけだ。今の私に生きる大義はなく、かといって死ぬ意味もなく、ただ死ねない理由のみが転がっている」

 

 ユダが掴んでいた自身の右前髪をくしゃりと掴んだ。

 狂信者の言うことを真に受ける必要がないことをグレイグは百も承知していたが、何故か英雄はユダの後ろにただ漠然と広がった荒野を見た。光差さぬ、風だけが乱暴に荒々しく吹く荒野には生物どころか草木一本すら存在していない、その荒野の真ん中に英雄と狂信者の二人だけが突っ立っている。おどろおどろしく吹き荒ぶ風の音は阿鼻叫喚に似ていて、まるで人の声のようであった。その嵐の中、ユダはグレイグに指を突き付けて言った。

 

「あの方の苦しみを理解するどころか追い詰め、死してなお蹂躙を辞めず、積み上げた歴史を奪い、我が身の賞賛の為に体よく利用するに留まらず、我が同胞を殺し、海兵の死を望み、それでもあの方を『親友』だと嘯き、己が見てきた『見たいもの』しか信じず、このユダの『純然たる忠義心』すら嘲り、知らぬ・存ぜぬと愚かさを演じ続ける貴様は英雄でも誇り高き戦士でもない!」

 

 風が鳴りやんだ一瞬の隙を突いてユダは宣告した。

 

「恥を知れ!」

 

 その言葉は、グレイグの防寒具を通り抜け、二つの誓いのペンダントも素通りし、鍛え上げた胸板を無視し、心臓だけを的確に突き刺したようであった。だが、飽くまでこれは心理描写だ。実際は、ユダがバーの客に殴られた現実のみだった。あれだけ大声で叫んでいたのだ、気付かぬ客ではない。

 

 世界を救った元帥様になに訳の分からないことを言っているのだ! 失礼にも程があるわ! 流石、裏切者の部下だ、推して図るべき輩だな!

 

 殴られた衝撃で床に転がされたユダにバーの客たちが次々に折檻を与える。酔った客の足と足の間に、ちらちら見えるブロンドにグレイグは一瞬呆けそうになったが、慌てて「よさないか」と止めに入る。英雄の制止に客は皆揃えたかのように動きを止めた。鼻血を流すユダは立ち上がり様に何か言いたげにグレイグを睨んだが、客の「元帥様に免じて赦してやらぁ」「心優しい英雄様に感謝しろよ」という言葉に邪魔されて何の発言も許されなかった。去り際に金貨の入った袋をカウンターに置くと、ユダは足を引き摺りながら猛吹雪の中へ出て行った。無法者の退散を喜ぶかのように、閉まった扉のドアベルが室内に響く。その場にいる誰も彼もがグレイグを案じ、あんな頭のおかしい男のことなんて気にする必要は全くないと励ました。事実、グレイグもそう思っていた。やはり狂信者、最初から相手にしない方が良かったのだ。

 それから無法者が一杯のお酒代には多すぎる金貨で皆が皆お酒を楽しむことにした。英雄が来ていたことに気付かなかったことを謝りつつ、先程の空気を払拭するように明るいメロディがピアノから流れ始めた。グレイグより一つ席を開けたカウンターに置かれていた、水だけになったグラスは下げられ、水滴を布巾で拭き取ると狂信者の気配はあっという間に雲散霧消してしまった。英雄の杯に次から次へと酒を注がれ、バーの客は此処が雪国であることが分からなくなるような陽気なダンスを踊った。その光景にグレイグは何度も頬を緩ませた。だが、幾ら杯を重ねても、明るい光景を目にしても、その日は微塵とも酔うことはなく、ユダによって見えない刃で貫かれた胸内が温まることはなかった。

 

 

 

つづく




◆◇ 解説&後書き ◇◆

※これを飛ばして次の話を読んでも構わない。

 この小説『Q.E.D』のキーパーソンとなる「ユダ」の初登場。どうせ、オリジナルキャラを出すなら強烈な奴がいいと考えた結果、かなりアクの強いキャラとなった。台詞回しもこれからの小説の軸となるので、かなり推敲しているが、Pixivに最初に投稿してから改定や改変は一切加えていない。
 ユダの台詞については、グレイグが後々「証明」していくので解説は割愛する。

 この話はグレイグの主観で語られているので、ユダのことを何度も「狂人」とグレイグは心の中で言っているが、ユダは独特な忠義心を持っているだけで全うな男であり、正気である。

 小説説明に「⑩三国志や戦国史を聞きかじっていると少し楽しいかも?」と注釈を入れた通り、ユダの逸話は三国志を知っている人だと思わずニンマリとしてしまっただろう。
 三国志は中国のとある時代の戦乱を書いた読み物であり、そのうちの国の一つ「呉」に「朱桓(しゅかん)」という武将がいた。朱桓はとある騒動を起こして怒り心頭になってしまい、首都に療養という名目で送られてしまう。呉の君主である孫権に有能な朱桓を咎める気はなく、孫権は見舞いに行くと「朱桓、どうやったら機嫌を治してくれるのだ?」と尋ねた。すると、朱桓は「虎の髭を撫でさせてもらえれば」と答え、孫権が自分の顎髭を朱桓に触らせると、朱桓は満足したという。
(遠方の領地へ行く前、孫権と酒を交しながら、朱桓が孫権に「髭を触らせてください」とお願いして、そうさせると「虎の髭を触ることができました」と朱桓が嬉しそうに答えるパターンもある)
 ホメロスにユダを咎める気は全くなく、「芝居がかった」や「演技っぽく」とあるので、この世界にも似たような軍記物があったのだろう、ユダも「何かを察した」とあるので(そもそもホメロスの“鞄持ち”であり、ホメロスを理解しようと頑張っているユダが分からない訳がない)、二人でその逸話をなぞって戯れているシーンなのだ。
 ホメロスがグレイグにユダの話をしたのは、ホメロスを侮辱されたことに対して怒り、かつ軍記や軍略を理解している部下を自慢したかったのだ。

 ところで、グレイグはどうだろうか。
 ホメロスが侮辱されたというのに「争いのきっかけは実に下らないことで」と気にもしておらず、大喧嘩を起こしたという事実に基づいて陸軍部下のパウロに謹慎処分を下しただけである。
 もし、グレイグの言う通り、彼にとってホメロスが「対等な同僚」であり、「親友」であるならば、パウロの言葉に怒り、海軍将校に対する侮辱だとして叱責したことだろう。しかし、ホメロスを侮辱したことに対して、グレイグがパウロを叱責したという描写は一切無い。

 ちなみにユダがよく使う「嘯(うそぶ)く」とは「とぼけて知らないふりをする/偉そうに大きなことを言う/豪語する/大きなことを言う/平然として言う/ほらを吹く」等の意味である。



次の話へ続く

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