【DQⅪ】Quod Erat Demonstrandum【グレイグ&ホメロス】   作:千葉 仁史

4 / 9
本編(真エンディング)より四年後のグレイグが主人公で、ホメロスの前に立つ守護者(Guardian)と対面するお話。

※ホメロスは亡くなっているので、グレイグの回想でしか登場しない。
※終始、勇者は出てこないが、彼はうっかりさん設定。

→後書きに解説あり。だが、解説を飛ばして次の話を読んでも構わない。


第四話 Guardian(守護者)

 国を飛び出したグレイグだったが、行く宛なんてものはなかった。ただひたすらに国にいられなくて飛び出したに過ぎない。だが、世界は優しくてグレイグを放っておくことはなかった。

 

 当所なく辿り着いた最初の街ダーハルーネでグレイグは熱烈な歓迎を受けた。当然だ、グレイグは世界を救った勇者様御一行の一人なのだから。女王マルティナが気を利かせてくれたのだろうか、出奔した理由は長期の休暇となっていた。もしかすると、そういう体(てい)で出て行くことを知らず知らずのうちに承認していたかもしれない。ダーハルーネで町民に周りを取り囲まれたグレイグは美味しい料理や酒を振舞われた。心の内ではこんなことをされている場合ではないのに、と思ったが、人々の心からの善意を振り払える英雄ではなかった。

 

 大概の者は酒が入ると饒舌になる。口にする感情が強くなる。杯を空にする暇もなく注がれるエールの舌触りの良さと酩酊からくる心地よさから、いつの間にかグレイグはホメロスとの思い出話を町民に訥々と語っていた。そして最後はどうして裏切ったのかと嘆いていた。

 

(ホメロス、何故裏切った? 裏切らなければ、こんなことにならなかったのに)

 

 そう思った途端、赤紫色の二つの焔が人々の隙間から視えたような気がした。だが、あれは幻影だ。まやかしだ。グレイグは眼を閉じるようにグラスを傾けたのだった。

 

 その晩、民衆から解放され、夜半遅くに宿屋に戻ったグレイグは皮手袋を酒場に忘れたことに気が付いた。取りに行くのは明日にしようか、と思ったが、寝てしまったら忘れてしまうかもしれない。恐らく後片付けしている最中だから酒場に戻っても問題ないだろう。そう結論付けたグレイグは踵を返して元来た道を戻ることにした。酒で熱を持った頬に夜風が気持ちいい。天上には落ちてきそうなほど、星が瞬いている。英雄の読み通り、酒場にはまだ煌々と明かりが灯っていた。グレイグが『close』のプレートが掛かった扉を開けようとしたとき、中にいる人々の会話が聞こえてきた。

 

 グレイグ元帥様、かなり悲しんでいらしていたわ。英雄を悲しませるとは全くホメロスは最低な野郎だ。性格も能力も終わっているのに張り合おうとか馬鹿じゃねぇの。だよな、あのグレイグ様に勝てる訳ないのに。魔王の力を借りなきゃ英雄の隣に立てない癖に。あんな器の小さい男にペコペコしていたと思うと吐き気がするな。あのきれいな姿も魔王から得た力のせいよ、きっと。あの野郎、俺の隣の家の子供に酷いことをしたんだぜ。知ってるわ、あんな最悪で矮小な男がデルカダールの将軍だったなんて、ぞっとする。そうそう、あの男、落ちぶれ貴族の末裔だって。なんでも父親が国庫金横領で子供だけ許されたとか。あの時に一緒に始末しちまえば良かったのに。本当よねぇ、そうすれば英雄様もこんなに悲しまずに済んだのに。それにしても、グレイグ元帥はなんて出来た御方だろう。裏切者に対しても恨み言一つ言いやしない。嗚呼、だからこそあの方は英雄になれたのだろう。あんな奴の為に悲しむとは英雄はなんて心優しい方なのだろうか。

 

 星が流れ落ちる音がする。頭の中が真っ白になる。続けて聞こえてきた賞賛の声にグレイグの指はドアノブを滑っていった。

 

 英雄は何時でも何処でも亡き友の思い出話をした。そして最後は必ず「どうして裏切ったのか」と嘆いた。世界を救った英雄が悲しむ様はどれだけ民衆の心に強く残っただろう。裏切者を未だに親友と呼ぶ英雄の優しさが胸を打つ一方で、その心暖かな英雄を裏切った男に対する恨めしさ・罵詈雑言・誹謗が民衆の中に浮かぶのは至極当然のことだった。つまり、グレイグが故人を悲しみ嘆くごとに、民衆からのホメロスに対する誹りが増え、そんな男を親友と呼ぶ心優しい英雄としてグレイグの株が上がっていったのである。

 

『彼奴は親友だ。裏切られても、その事実は変わらない』

 

『ええ、そうでしょうとも、お優しい英雄殿。だから貴方様は何時でも何処でもあの方を引き合いに出す。死人に口なしとは言うが、全く都合のいい口を持っていらっしゃいますな』

 

 クレイモランで出会った狂信者とのやり取りがグレイグの頭の中で繰り返される。ホメロスを我が身の賞賛の為に体よく利用する、とユダに言われたとき、何を言っているのだ、と思ったものだが、これでは全く持ってその通りではないか。違う、と思った。『何が』とは相変わらず言葉に出来ず、その代わりに『そんなつもりはなかった』とはっきり言えた。しかし、それは次に蘇ったユダの言葉で大きく揺さぶられることになった。

 

『貴様は無意識のうちに自分の思い通りにする天才であったからな』

 

 史書を発刊することでホメロスの生前の偉業を我が物にし、その彼についていた海兵を皆殺しにして証人を消し、残った海兵の心を死なせることで彼らの忠義を自分に向かせ、裏切られても親友だと所構わず言うことで、死後の彼の評判を地にまで落とし、人々の間に自身の存在を英雄としてより高尚なものにした。

 

 これが己の『思い通り』になった結末か?

 こんなおぞましいことが己の望みとでもいうのか?

 

 光に満ちた扉が開いた。入口に突っ立っていた英雄に空瓶を持った女性店員が「あ」と微かな悲鳴を上げた。忘れ物を取りにきたんですね、と柔らかく言われ、皮手袋を渡される。御礼の言葉は果たして言えただろうか。皮手袋を受け取ったグレイグは宿屋へ真っ直ぐに戻ると、手荷物をまとめ、誰にも見つからない様にして港町を出立した。

 

 あんなに心地よかったはずなのに、今となっては町民の善意も涼し気な夜風も瞬く星も何もかもが恐ろしく感じた。だが、何よりも恐怖だったのは、あの時のユダの言葉が一つ一つ証明されていくことだった。

 彼奴の言葉を否定せねば、己が恥知らずではないことを証明せねば、と夜道を駆けながら、時に魔物を斬り捨てながら、グレイグは強く思った。彼奴の言葉を否定できなければ、英雄が今まで見てきたこと・やってきたことが嘘になってしまうような気がした。

 

(あの男の言葉を否定するには彼奴の知らないホメロスの事項を探し出さねばならぬ。それを一つでも見つけ出すことができたならば、きっと彼奴の言葉は否定できるはずだ)

 

 必ず見付けだしてみせるという決意を兼ねて、音が鳴るぐらい皮手袋越しに得物を握りこむ。夜闇の果てに赤紫色の焔がちらつく幻を見た。

 

 それからグレイグの旅が始まった。町や村、国に辿り着く度に英雄は手厚い歓迎を受けた。振舞われる料理と酒の種類は違えど、人々の善意と感謝は皆同じだった。世界中の人から向けられる暖かい感情にグレイグは絆されそうになるが、ぐっと耐え、ホメロスのことを聞いて回った。

 だが、何処に行ってもホメロスの悪い話を聞いた。部下に辛く当たった、商船護衛の見返りに相場以上の金銭を要求した、誰それの娘に脅迫紛いに近付いた等々、あまりにも様々な悪行にグレイグは頭が痛くなった。こんなにも悪人なのだ、一体何をどう弁護すればいいのか。頭を抱えるグレイグに人々は心配と励ましの声を与えた。しかし、それは裏切者に対しても優しさを発揮する英雄への気遣い以外の何物でもなかった。つまり、ユダの言葉の証明が積み重ねになっていっただけである。その事実に気が付いたグレイグは逃げるようにして街を去り、次の街へ向かった。

 

 真相に気付いたのはプチャラオ村に来た時だ。其処でも歓迎されたグレイグはいつも通りホメロスのことを聞いて回った。その時聞いた悪評はホメロスが父親同様に国庫金を横領したというものだった。だが、それはすぐに嘘だと判った。横領だなんて、そんな話をグレイグは聞いたことがなかった。デルカダール国の事件なのに、辺境の村の民が知っていて、その大国の元帥たるグレイグが知らないことなんてあってたまるものか。加えて『父親同様』という言葉がでることすら、そもそも変な話なのだ。

 

 一度だけ耳にしたことがある。ホメロスが幼い頃、彼の父親に国庫金を横領したのではないかという嫌疑が掛かった。その当時、確かに国庫金は理由・経路不明で減っており、王侯貴族のみならず陛下ですら、その噂を信じ、ホメロスの父親を疑った。彼の屋敷の捜索を翌日に控えた晩、その屋敷は大火事になった。一族会議の最中に発狂した奥方が屋敷に火を放ったらしい。たちまち屋敷は夜の闇を焦がすように燃え、その屋敷にいた貴族も召使もみんな亡くなった――ただ一人、ホメロスを除いて。恐らく不憫に思ったメイドが逃がしてくれたのだろう。横領一家は消え失せ、全てを失った少年はスラム街へ消えていった。

 それから数ヶ月後、全く別の事件で逮捕された貴族がその横領の犯人だと判明した。つまり、ホメロスの父親は無罪だったのだ。その真実にデルカダール王は顔を真っ青にしたに違いない。罪滅ぼしだと言わんばかりに陛下はスラム街を彷徨っていたホメロスを王宮内に引き取り、没落した貴族の名誉回復に勤しんだ。

 

 つまり、もう既にホメロスに父親に掛かった疑惑は晴れ、無実だと周知の事実になっているはずなのだ。なのに、父親は横領の犯人として認識されている。そういえば、ダーハルーネでもそんな話を町民はしていた。嘘がまるで真実のように広がっていた。

 

 グレイグは得意げにその話をした男の肩を掴み、更に詳しく話すよう詰め寄った。すると途端に男のお喋りは尻すぼみになり、単なる根も葉もない噂話だと判った。あんな男、裏切者だからこれぐらいしてても可笑しくない、いや、しているに違いない。ロトゼタシアの民の間のそんな曖昧な思いから出来上がったのであろう、ホメロスの嘘の悪評はゴシップとして世界中に溢れていたのだった。

 

 その後、英雄は亡き親友の悪評を聞く際は注意深く辛抱強く行うようにした。ここまでしぶとく尋ねるのは生まれて初めてだったかもしれない。すると大概は「単なるゴシップだから」と言って逃げた。中には子供の声を奪った、イカの魔物を連れていたと本当の出来事も混じっていた。無論、黒か白か判別できない、悪事の話もまた幾らでもあった。

 一番困ったのは海兵に纏わる話だった。グレイグはホメロスが部下から強く慕われていたのは知っていた。だが、それは本当だったのだろうか? そんなの実は表面上の話で、水面下ではどうだったかなんて結局のところは不明だ。真実かどうか証明しようにも証拠も無ければ証人もいない――ホメロスの部屋は無くなってしまったし、元海兵はグレイグの意を汲んだパウロによって大多数殺され、残った元海兵の心は死んでしまったのだから。

 

 旅を続けて気付いたのはそれだけではなかった。その証人たる元海兵の死を不審に思う者は誰もいないということだった。そもそも、元国王や女王すら何も言わなかったのだ。部下の兵士に至っては言わずもがな、国民からもそんな黒い噂を聞かなかった。史書の内容についても然りだ。誰も英雄を疑わない。何故なら英雄は『正義』そのものだからだ。

 民草の間でグレイグがその『正義の英雄』としての地位を確固たるものにする一方で、ホメロスはそれに仇なす『悪』として着実に認識されていた。だから、何処に行ってもホメロスの嘘の黒い噂話はついて回った。逆にグレイグの噂はどれも美談に満ちていて、あの史書に則って亡き海軍将校の活躍を英雄の活躍として、まるで見てきたかのように嬉々として語る町人に会ったとき、あまりの恐怖にグレイグは卒倒してしまいそうだった。

 それが恐ろしくて逃げるように街を出立したことは幾度もあった。だが、グレイグの評判は微塵も揺らがず、人々は「あの方は恥ずかしがり屋なのだ」で笑って済ました。何故なら彼は優しい英雄様なのだから。そう思われていると知ると、ますますグレイグは恐怖に襲われた。だが、ユダが知らないホメロスの事項を見付け出すまで旅を辞めることは出来なかった――たとえ、旅そのものが恐怖から逃げ出すための手段になっていたとしても。

 

 時は流れ、世界に平和が戻って四年目になっていた。

 ユダの言葉を否定すべくホメロスの真意を知るために世界を旅するグレイグだったが、師匠のいるソルティコ、勇者が治めるユグノアや狂信者に出会ったクレイモランには絶対に行かなかった。あのジエーゴから史書に載った嘘の経歴で褒められたりしたら、英雄は素足で逃げ出してしまうだろう。ユグノアには勇者がいる。彼の全てを見透かしたかのような晴れ渡った青空色の瞳に見詰められたら、きっと耐え切れない。クレイモランに至っては、その国の想像をしただけで吐き気がした。もしかすると、あの雪国には今尚あの狂信者がいるかもしれない。行かない理由なんて、それだけで十分だった。そして、もう一つ行きたくない街があった。グレイグをどの街よりも英雄と讃えるグロッタの町である。

 

 そんなグロッタの町に来てしまったのは、町周辺で見付けた、親とはぐれた町の子供を連れていくためだった。こればかりは仕方ない、ソルティコやクレイモランよりかはマシだろう、と敷地内に入るやいなや、子供捜索のために集まった自警団の連中によりグレイグは他の町以上に手厚い歓迎を受けた。親からは涙を流して感謝された。流石は英雄グレイグ元帥だ、と町民からは歌うように称えられ、自身の銅像と引き合わされた男は鉛球を飲まされてような気分に陥る。真昼間から催された宴でグレイグはいつも通りホメロスのことを聞いた。だが、此処でも何処かで聞いたことがあるような悪評を聞いただけに終わった。もしかすると、本当にホメロスは掛け値なしの悪党だったのだろうか。沢山の嘘とグレーの噂が入り交じり、グレイグを混乱させる。英雄が適当な理由をつけて宴から立ち去ろうとしたとき、「もし」と控えめに話し掛けられた。振り返ると、三十過ぎだろうか、一人の女性が立っていた。

 

「私(わたくし)、『ボタニカ』と申します。四年前、デルカダールで王宮メイドをしておりましたが、父の容体が悪化したので故郷のグロッタまで戻ってきたのです」

 

 ボタニカ。グレイグはそんな名前のメイドがいたか思い出そうとしたが、ちっとも思い出せなかった。そのことを謝ると、彼女は王宮内を飾る植物を育てる温室担当であって、他のメイドのように室内にいることが少ないから仕方のないことでしょう、と応えた。

 

「して、そんな貴方がどうして俺に話を?」

 

「貴方様がホメロス様の話を聞きたがっているようでしたので、こんな話でも慰めになれば、と」

 

 あの方が将軍になられる前のことです、と彼女は前置きをしてから語り出した。

 

「ある日のこと、あの方は私が管理する温室へいらっしゃいました。花々を見て、とてもいい状態だと褒めて下さった後、温室内を見渡したあの方は一つの花を指差して、あの花をグレイグ様の私室へ飾るように仰いました。あれは故郷の花だから、きっと喜ぶと。それから私はメイドを辞めるその日までその花を貴方様の私室に飾り続けました」

 

 ボタニカの話を聞いたグレイグは私室にいつの間にか置かれるようになって、いつの間にか消えた故郷の花が入った花瓶を思い出した。部屋を仄かに満たす懐かしい香りに気持ちが高揚して、いつでもあの香りを忘れないでいたいとホメロスに言ったら、「香水でも付ければいい、城下町でいいのが売っている」とそげなく言われて二人で買いに行った記憶が浮かび上がる。

 

「本当は辞める際に後任者に引き継がなくてはならなかったのですが、なんだか悔しくて何も言わずに此方へ戻ってきてしまいました」

 

「悔しい?」

 

「ええ。生前、あの方は多くの国民に慕われ、惜しみのない賞賛を浴びせられていました。ですが、死後、裏切者だと知られ、あの方には沢山の良くない噂が出回りました。仕方のない話だとわかっております。ですが、いえ、だからこそと言うのでしょうか、あの方のこんなエピソードを私は誰の目にも触れず大事にしたかったのです」

 

 そう言って寂しく微笑む彼女に、グレイグは故郷の花を重ねた。しばらくの間嗅いでないというのに、香りまで蘇ってきたような気がした。

 

「最近、町の周辺で倒れたデルカダール兵を見付けました。壮年のお方で、もう虫の息で何の手の施しようがありませんでした。最期を看取った後、恐らくその方の武器と思われます弓矢と共に埋葬してお墓を立てたのですが名前が分からなくて……。そんなことがあったものですから、つい感傷的になってしまいました」

 

 誰の目にも触れないよう大事にしたかったエピソードを話した理由について語った彼女は、つと思い詰めたように次の言葉を唇に載せた。

 

「元帥様。私は思うのです。あの方ホメロス様は皆が言うよりずっと本当は――」

 

 しかし、ボタニカは唇を閉じて続きを飲み込んでしまった。

 

「申し訳ありません、こんなことを言われても困るだけですよね。忘れてください。それにしても、元帥様、どうして今更になってあの方の話を? あの方が亡くなってもう四年も経っているのに」

 

 不意に放たれた質問にグレイグは矢を近距離で射られたかのような気分に陥った。そして、世界を救ってからの三年間、ホメロスの話をすることはあっても、彼の話を誰かから聞こうとしなかった事実に気が付いた。これではあまりにも都合のいい感傷ではないだろうか。それとも本当に自身の株を上げるためだけに彼奴の死を利用したというのか――ユダの言っていた通りに。

 

 何も言えなくなってしまった英雄にボタニカは「不躾な質問をしてしまいました」と非礼を詫び、しずしずと頭を下げた後、父の看護があるからと去っていった。

 

 まさか、全く行く気のなかったこの街で自身ですら知らないホメロスの逸話が聞けるなんて、いったい誰が想像できただろうか。去り行く女性の後ろ姿を見ながら、グレイグはどれが本当の彼奴なのだろうと思った。悪評はいくらでも聞いた。嘘だと判別できる噂もあれば、嘘か真か判別ができないグレーの内容の物もあった。だが、今回のように善い噂は初めてであった。グレイグの中に存在していたホメロスの姿が揺らいでいく。だがしかし、ボタニカが言っていたように『今更過ぎる』話だ。ホメロスが亡くなって既に四年も経っている。真相を追及するには時間が経ち過ぎていた。

 

「あ、グレイグのおっさんじゃねぇか」

 

 グロッタから飛び出し、定期便を利用してダーハルーネに戻ってきたときだった。港に降り立った途端、グレイグは四年前世界を救うために共に旅した仲間の一人である青年ことカミュに話し掛けられた。

 世界を救った後、カミュは唯一の血の繋がった妹をメダル女学院に入学させると、その学費を稼ぐため、ダンジョンの奥深くに眠る宝を探し出して売るという冒険家になっていた。

 

「おっと、今となっちゃあ、おっさんは失礼だったな。将軍様……じゃなくて、元帥様と呼ばねぇと」

 

「おっさんで構わん。国から飛び出した今、俺は元帥ではないからな」

 

「アンタはそう言っていても周りはそう見ないぜ、グレイグ元帥。まぁ、今この瞬間だけはおっさんでいいか」

 

 茶化すようにカミュの目が猫のように細められる。太陽に乱反射する海を横目にグレイグは口を開いた。

 

「ところでお前は結婚式以降に勇者殿には会ったのか? 俺がユグノア王に最後に会ったのは一年以上前になるが、随分と会いたがっていたぞ」

 

「馬鹿言うなよ。住む世界が違うんだ、会える訳がないだろ」

 

 グレイグの問い掛けに、さも当然とばかりにカミュが肩を竦める。勇者とエマの結婚式の時に、カミュは彼からユグノアの復興を手伝うようお願いされたようだが、首を縦には振らなかった。世界を救ったことで――ハッピーエンドに相応しいイベントを見たことで、ある種の夢から目が覚めたのかもしれない。王宮にいた三年間、グレイグはユグノアに行くことは多々あったが、その度に勇者は相棒の不在を寂しく口にしていた。そのことはカミュも知っていたはずだ。それでもユグノアへ足を運ばなかったのは、カミュにとってのなにがしかの『けじめ』であり、誰も知らない『決意』があったのだろう。

 

「今の時期、ダーハルーネは漁が盛んだから、対海の魔物対策のために武器が一番高値で売れるんだ。これで今年一年間のマヤの学費も支払えそうだが、他に物入りだからな、もう少し頑張らねぇと。……ところで、おっさんはどうして長い休暇を取ったんだ? なにか探しものか?」

 

 カミュの近況報告がてらの質問にグレイグは視線を海へ向けた。キラキラ光る海に浮かぶ船は黒い影となっていて、その上では海鳥が愚痴っぽく鳴いている。探しもの、といえばそうなのだろう。青年冒険家の言葉を反芻しながら、グレイグはそう思った。ぼんやりと海を見詰めたまま、そのぼんやりとした調子で英雄は言葉を放っていた。

 

「分からないのだ、何が彼奴の真で嘘なのか。どれが本当の彼奴の姿か、まるで見えてこない。世界を巡って色んな噂話を耳にしたが、俺はただ信じたいことだけを真として、信じたくないことを嘘にしているような気さえしてくる。そもそも、どうして彼奴はあんなことをしたんだ? 何故、彼奴はその道を選んだ? 何時頃に彼奴は――」

 

「なんだ、全くの『赤の他人』でも探しているのか? おっさん、さっきから『どうして』ばっかりじゃねぇか」

 

 カミュの指摘にグレイグは目の前の景色が一気に灰色になるのを感じた。まるで雪国にいるように体が凍える。海鳥の声も聞こえない。代わりに鼓膜を叩いたのは、あのクレイモランの狂信者との一幕であった。

 

『ユダ、お前はどうしてホメロスが裏切ったか分らぬと俺同様に嘆いていたではないか』

 

『俺は『どうして、私はあの方の心の変化に気付かなかった』と自問自答し、自責していたのだ! それを『どうして裏切ったのだろうな』とほざく貴様と同じ気持ちだと! ホメロス様の気持ちを何一つ理解できなかった貴様に言われる筋合いなど――』

 

『たかが十年しか付き合いのないお前こそ何が分かるものか。俺とホメロスは三十年の付き合いだったんだぞ』

 

『それなのに、あの方の心の内を知らぬと? 心の内を教えて貰えなかったと? それでは、まるで顔の見知った『赤の他人』ではありませんか。それとも、パンデルフォンには長年顔を見慣れた者を親友と呼ぶ風習でもあるのでしょうか』

 

 今、この瞬間、グレイグはカミュにホメロスのことを『赤の他人か』と訊かれた。三十年も一緒にいたというのに『どうしてばかりだな』と評された。ユダの言葉がまた一つ証明され、それが正解と言わんばかりに承認印を押す軽妙な音が脳内に一つ響く。グレイグは隣に立つ元盗賊の青年の顔を見ることができなかった。だが、あの時に詰め寄ったパウロと同じように不思議そうな表情をしているのが安易に想像できた。

 

 気が付けば、グレイグはダーハルーネ内の宿屋に戻っていた。どうやって戻ったのか、どんな別れの挨拶をカミュにしたのかすら思い出せない。陽が落ちた暗がりの部屋の中、グレイグは茫然と立ち尽くしていた。カミュの言葉――『なんだ、全くの『赤の他人』でも探しているのか? さっきから『どうして』ばっかりじゃねぇか』――が何度も脳内をリフレインした。その終わらないリピートを打ち消そうと、『赤の他人』ではないことを証明するためにグレイグは二つの誓いのペンダントを握り締めて瞼を落とし、今は亡き親友の姿を思い描こうとした。

 後ろ姿が瞼の裏に浮かぶ。白いマント、裏地は赤だったか。デルカダール鎧は裏切者がデザインしたという理由で四年前にグレイグの分まで即刻廃棄処分されたので細部まで思い出せないが、鎧も白色だったのは確かだ。髪は穂のような色の金髪で、赤い紐で一つに括っていて随分と長かった。後ろ姿が出来上がったので、グレイグはその男に振り替えるように念じた。マントと金髪が翻る。実年齢よりも若く見える整った顔立ち。赤いピアスが微かに光り、右目を前髪が隠している。白い鎧を着た男が瞼を開ける。其処にはシソの葉を煮詰めたかのような薄気味悪い赤紫色の眼球が収まっていた。

 

『お久しゅうございますな、元帥閣下』

 

「ユダ!」

 

 闇のなか現れた幻影にグレイグが吼える。くつくつと目を細めて笑う様はまさしく狂信者のそれで、グレイグの怒りのボルテージが上がっていく。

 

「お前なんぞに用はない! そこをどけ!」

 

『阿呆なことを。貴様のくだらない感傷にホメロス様を利用させる訳にはいかない』

 

「くだらない感傷だと? この親友に持つ感情をお前は『くだらない』というのか」

 

『ええ、その通りですよ、グレイグ元帥閣下。英雄が英雄たらしめるためだけにあの方を利用する男にどうして私がホメロス様を晒すのでしょうか? ……寝言は寝て言うものだぞ、愚物めが』

 

「黙れ! お前に俺の何が分かる! 俺にその気はなかったんだ!」

 

 英雄を散々に貶す狂信者の後ろにホメロスがいることがグレイグには分かっていた。此奴さえいなくなれば、ホメロスに会うことが出来るというのに、ユダはまるで守護者のように其処を動かない。ナイフよりも鋭い殺気を向ける大男に対して、守護者は右目に掛かった前髪をいじると、こう切り出してきた。

 

『ところで、元帥閣下、こんな軍記物を読んだことはありませぬか? とある島国を統一する前に部下に裏切られて命を落とした武将の話です』

 

「それが今の話と何の関係がある?」

 

『何故、その部下が裏切ったかご存知ですか?』

 

 どうやらどうしてもユダはこの問いを英雄に答えさせたいらしい。狂信者をどうやって退かして親友と対面しようか、と考えた最中に放たれた質問にグレイグは「その主君が気に入らなかったからであろう」と子供のようにぶっきらぼうに答える。その答えにユダはにんまりとしながら『本来その島国を治めるべき正統継承者のため、という説もあります』と口にした。

 

『様々な説があるように、どうして部下が裏切ったのか実のところ真相は分からないのですよ、元帥閣下』

 

「それがいったいどうしたというのだ。早く其処を退け、俺にホメロスを会わせろ」

 

『理由は不明でも、『裏切った』という事実だけは確実に残るのです』

 

「俺はホメロスが何故裏切ったのか知らぬ。その事実だけは残ったとでも言いたいのか?」

 

『ホメロス様は確かに裏切った。理由は私しか知らない。あの方の思惑なんて誰にも分からない。……だから、貴様が海兵殺しに加担したこともホメロス様の死後の評判を落としたことも積み上げた歴史を奪ったことも同じ事だ。『その気がなかった』なんていう貴様の思惑など知ったことではない、ただ『そうなった』という歴然たる事実だけが残るのだ』

 

 思惑なんて関係無く、ただ事実だけが残る。その言葉にグレイグは握りこんだペンダントから手を放してしまっていた。理由を、言い訳を取り繕ったところで無意味だと逃げ道を塞がれ、男は無様に呼吸することしかできない。

 

『そもそもなんだ、その気がないなら許されるとでも? とんだ笑い種だ。第一、貴様は罪など犯していないではないか。今まで誰が貴様を責めた? 世界中の誰も――元国王陛下も女王も民も世界を共に救った仲間ですら貴様を責めなかったではないか。これは罪ではない。罪ならば贖罪が出来てしまう。神の前に告解ができてしまう。だが、これは恥だ。だから罪滅ぼしも告白も出来ない。雪辱の機会が来ない永遠の恥なのだ』

 

「黙れ!」

 

 大男が吼え猛ると、幻影は跡形もなく消え、真っ暗な部屋があるだけだった。白いマントも鎧も金髪も赤紫色の瞳も何もかもが闇に吸い込まれたように消えていた。その目の前の光景にグレイグは思い出したかのように瞬きを行った。いつから自身の瞼は開いていたのだろうか、最初は確かに閉じていたはずなのに。グレイグは息を整えると、どっかりとベッドに座り込んだ。ユダの言葉をかき消すように頭を両手で掻き乱す。もう今宵は親友の姿は思い描けないだろう。

 

 夜が支配しつつある部屋のなか、グレイグは「明かりを」と祈った。闇を照らす光を心から欲し、望んだのだった。

 

 

 

つづく




◆◇ 解説 ◇◆

※これを飛ばして次の話を読んでも構わない。

 ユダの言葉が次々と証明されていく第四章。グレイグにとっては、おぞましい以外の何物でもないだろう。

(あの男の言葉を否定するには彼奴の知らないホメロスの事項を探し出さねばならぬ。それを一つでも見つけ出すことができたならば、きっと彼奴の言葉は否定できるはずだ)

……というように、グレイグがホメロスの死の真相を探し始めたのは、自分が恥知らずではないことを証明するためである。断じて、親友のためではない。ボタニカに指摘されるまで、グレイグは親友の死の真相を探そうともしなかった自身に気付かされ、ユダの言う通り、「ホメロスは親友だ」と嘯いていたことを証明してしまう。

 ボタニカが「最近、町の周辺で倒れたデルカダール兵を見付けました。壮年のお方で、もう虫の息で何の手の施しようがありませんでした。最期を看取った後、恐らくその方の武器と思われます弓矢と共に埋葬してお墓を立てたのですが名前が分からなくて……。そんなことがあったものですから、つい感傷的になってしまいました」と言っていたが、亡くなっていたのは弓の名手であったメーベである。海軍副官であった彼の末路が行き倒れで亡くなるとは、フランシス同様、なんともいえない最期だ。

 グレイグの幻覚(精神疾患)が進み、第三章では実際にユダが言った台詞の繰り返しだったり、色を付けたようなものだったのが、第四章ではちゃんとした会話をしてしまっている。ユダの話した『ところで、元帥閣下、こんな軍記物を読んだことはありませぬか? とある島国を統一する前に部下に裏切られて命を落とした武将の話です』は戦国時代の信長と光秀の話。光秀がどうして裏切ったのか不明だが、裏切ったという事実だけが歴史に残った。

 グレイグが現実(自身が恥知らずであるかもしれないこと)に直面して否定する一方で、カミュは現実(王族でも貴族・士族でも賢者でもない野良の自分とみんなの差)を受け止め、「そんな自分がイレブンたちと仲良くするなんて、おこがましい」と考え、イレブンと距離を置いている。グレイグがホメロスのことを「たとえ裏切っても親友だ(ただし死の真相を知らないうえ、知らず知らずとはいえ、グレイグはホメロスの悪名を広め、彼の偉業を掻っ攫った挙句、元海兵を皆殺ししている)」と言う一方で、カミュは「馬鹿言うなよ。住む世界が違うんだ、会える訳がないだろ(王族のイレブンと盗賊である自分を線引きし、友情でもそれは超えられない。というより、もはや友人ではいられない)」と線引きしている。嫌な言い方をするならば、偽りの友情を抱えている者が「親友」と言い張り、真の友情を抱えている者が「親友ではない」と言っている、なんとも対照的な二人。

 ユダとの会話の回想シーンにて。グレイグは自身への暴言をカットして(都合よく)思い出している。以下、第二章の会話部分の抜粋。

「ユダ、それこそ嘘――妄想だろう。覚えてないだろうが、あの時お前はこう言っていたではないか、『どうして……私はあの方の……』と。どうしてホメロスが裏切ったか分らぬと俺同様に嘆いて――」

「ほざくな! 俺は『どうして、私はあの方の心の変化に気付かなかった』と自問自答し、自責していたのだ! このユダの忠義心が足りなかったのかと、どうして届かせることが出来なかったのか、とそればかり考えていた! 言って下されば、気付いていれば、このユダ、行き着く先が地獄の底だろうとも絶対にあの方についていったというのに! それを『どうして裏切ったのだろうな』とほざく能天気な貴様と同じ気持ちだと! とんだ侮辱だ! とんだ屈辱だ! ホメロス様の気持ちを何一つ理解できなかった貴様に言われる筋合いなど微塵もない!」

「たかが十年しか付き合いのないお前こそ何が分かるものか。俺とホメロスは三十年の付き合いだったんだぞ。俺は彼奴の幼い頃から知っている」

「それなのに、あの方の心の内を知らぬと? 心の内を教えて貰えなかったと? それでは、まるで顔の見知った赤の他人ではありませんか。それとも、パンデルフォンには長年顔を見慣れた者を親友と呼ぶ風習でもあるのでしょうか」

 以下が第四章の回想。

『ユダ、お前はどうしてホメロスが裏切ったか分らぬと俺同様に嘆いていたではないか』

『俺は『どうして、私はあの方の心の変化に気付かなかった』と自問自答し、自責していたのだ! それを『どうして裏切ったのだろうな』とほざく貴様と同じ気持ちだと! ホメロス様の気持ちを何一つ理解できなかった貴様に言われる筋合いなど――』

『たかが十年しか付き合いのないお前こそ何が分かるものか。俺とホメロスは三十年の付き合いだったんだぞ』

『それなのに、あの方の心の内を知らぬと? 心の内を教えて貰えなかったと? それでは、まるで顔の見知った『赤の他人』ではありませんか。それとも、パンデルフォンには長年顔を見慣れた者を親友と呼ぶ風習でもあるのでしょうか』
 
 なので、ユダとの会話の回想はグレイグにとって都合が(まだ)いい思い出され方をしている。 

 一つだけ良い点(?)といえば、グレイグが「盲目の信頼」を辞めたことである。

その後、英雄は亡き親友の悪評を聞く際は注意深く辛抱強く行うようにした。ここまでしぶとく尋ねるのは生まれて初めてだったかもしれない。

 ここでの文面を見る通り、町人や部下の言葉を頭から信じて、疑ったり、自分の頭で考えることを今までしなかった彼がようやっと考え始める。考え始めた結果、どうなるかとは知らずに。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。